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Verona(ヴェローナ)2004/8/18~20


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ヴェローナは1998年2月にベルガモからヴェネツィアへの途中1泊したことがある。今回は2度目だが夏休みで丁度有名なアレーナ(ローマ時代の円形闘技場)での野外オペラが開かれているため訪れたのだ。

【1日目】
今回の旅はローマからヴェローナということでローマ4泊後、10:05発のESでヴェローナへ向かう。
ES乗車券は2日前テルミニ駅の自動販売機で購入(1人40.08ユーロ)、列車はほぼ満席。約4時間の旅、ただ座っているだけだ。
隣にはイタリア人の30代夫婦、夫婦とも本を読んでいるが、奥さんの貧乏ゆすりがずっーと続く。12時少し前にフィレンツェに停車した。窓越しにドゥオモの大きなクーポラと鐘楼が見えて懐かしかった。

ヴェローナには定刻の14:05より少し早く到着。オペラのせいか降りる人の数が心なしか多い。2年前にマントヴァからヴェネツィアへ行く途中乗換えのため歯の痛みをこらえながら座っていた待合室の前を通り、駅の外へ出てタクシー乗り場へ行く。待たずに乗れた。運転手は女性だった。この日も外は暑かったがタクシーは客待ちの間エンジンを切っていたのだろう、車内は物凄い暑さだった。

ポルタ・ヌオヴァを抜けてアレーナへの通りを行く。『ポルタ・ヴェッキアという門はあるのですか?』と訊ねると『カステル・ヴェッキオの門よ』と教えてくれ『ヴェローナは何度目ですか?』と訊かれたので“セコンダ・ヴォルタ”と答える。予約していたホテルはアレーナより手前にあり14:10にホテル到着。
イタリアにはめずらしく自動ドアのモダンでかつ機能的なホテルだ。フロントもフロントというよりは机をおいた何かの受付といった感じ。

荷物をおいてすぐにオペラのチケット受取りのために出かける。出掛けにフロントの女性にチケット・オフィスと、とあるリストランテの場所を地図上にマークしてもらった。
ホテルを出てすぐに、ブラ広場がありその向こうにアレーナが見える。チケット・オフィスはすぐにはわからなかったが、「チケット・オフィスはアレーナの向こう側、黄色い建物の1階」と掲示されているのを見てそちらに向かう。入場券は3ヵ月ほど前にインターネットで予約し、カードで決済していたので、チケット・オフィスからのメールのプリントアウトを見せ、そこにサインをするだけですぐに受取ることができた。

さて、これから遅い昼食、地図を見ながら《ラ・タヴェルナ・ディ・ヴィア・ステッラ》(ステッラ通りの食堂、という名前)を探す。『おぉ、このあたりだ!』と思って番地をみると通り過ぎていた。戻ってみると、通り過ぎるときに気づいていた店。ドアの前のシャッターが半開きになっていて、ご主人らしき人がいたので、声をかけ『開いていますか?』と訊くと『閉めるところ』とのこと。
時間も3時頃なので、リストランテはあきらめ、アレーナに戻りアレーナの前のカフェで遅い昼食にする。白ワインをデカンタで頼むとつまみとしてグリーンのオリーブが『これは無料です』と出てくる。日本なら黙っていても「お通し」として勘定にもついてくるはずだ。

フンギのピッツア、野菜のラザーニャをそれぞれ注文する。
食べながら前をみると、オペラの大道具がアレーナとブラ広場の間に置かれている。また、ずらっーと並んだカフェにも、ブラ広場にも大勢に人がいる。以前来たときには閑散としていたのに、さすがに夏のイベントシーズンであることを感じた。
カフェは大きなパラソルの下で日蔭にはなっているが暑い空気がこもり物凄く蒸し暑い。まるで東京のようだ。

腹ごしらえもできたので観光スタート。両側がお店のマッツーニ通りを東へ、エルベ広場へ向かう。

Verona‐エルベ広場

 

途中、ホテルで場所を教えてもらったリストランテをチェック、この店にはこの日オペラの前に夕食に行った。通常は午前中で終る広場の屋台の店がさすがにオペラシーズンということでまだ普通に開いていた。6年前に来たときはお店が片付いたあとの広場をみながらランチをとったものだ。
この雰囲気を楽しんだあと、シニョーリ広場に入る。ここにはヴェローナで晩年を過ごしたダンテの像がある。広場には大勢の観光客。ドイツ人が多いようだった。シニョーリ広場を形取っている建物の一つにランベルティの塔がある。

Verona‐シニョーリ広場 ダンテ像

Verona‐ランベルティの塔

早速ヴェローナ・カード(共通入場券、3日券、1人12ユーロ)を買って塔に登る。途中までエレベーターがあり、たまたま関西弁の熟年夫婦と一緒になったので『オペラですか?』と訊くとツアーの短い自由時間での見物とのこと。エレベーターを降りてから階段で上へいくが、アディジェ川を抱くヴェローナの町が、360度素晴らしい景色で一望することができた。

Verona‐ランベルティの塔から アレーナ

 

Verona‐ランベルティの塔から カステル・ヴェッキオ
次にかの有名なジュリエッタの家に行く。ここも凄い混雑。とてもジュリエッタの像まで進むことができないと判断し、ジュリエッタの家の中に入る。ランベルティの塔に登るとき、ヴェローナ・カードを買っていたのでそれを見せてチェックしてもらうだけ。どうやらツアーご一行は入場料無料の庭までらしく、家の中はすいていた。夜のオペラに備えて今日の観光はここまで。

Verona‐ジュリエッタの家 中庭

 

◆アンティカ・ボッテーガ・デル・ヴィーノでの夕食
一旦ホテルに戻りシャワーを浴び、着替えて早い夕食に行く。何しろ遅い昼食から時間が経っていないが、オペラが何時に終るか分らないしまさか野球観戦のように中で弁当を食べるわけにもいかないだとうしし、ということで18時すぎ、ホテルを出て場所をチェックしたばかりの《アンティカ・ボッテーガ・デル・ヴィーノ》へ行く。

ここは前回ヴェローナへ来た時は定休日で入れなかった店でどうしても来たかった。『ボッテーガ』とはお店、商店の意味、直訳すると古いワインの店となる。『ボッテーガ』にはさらにこじんまりした店構えの、主に仕事場を兼ねた「職人の店」を指す(小学館、伊和中辞典)とのこと。

Verona‐ボッテガ・デル・ヴィノ入口
18:15、ドアを開け中に入る。外から見た感じと大違いで中は立派なリストランテだ。右手には前菜を調理するキッチン、その奥にはあとで気づいたが立ち飲みのカウンター。挨拶をして2人と伝えると『予約していますか?』と訊かれる。『いいえ』と答えると、席はその時立っていたところのすぐ左のテーブル。オペラの前に食事をする人の予約しているテーブルが多い。

Verona‐ボッテガ・デル・ヴィーノ 店内

 

席につくとまず、大きなグラスにドボッドボッとスプマンテが注がれる。カメリエーレから英語でウェルカムドリンクと言われた。暑い時の冷えたスプマンテは最高!感激した。
まず、これでこの店の評価がクッと上がる。メニューを渡され、注文したのは前菜として、「サラミの盛合わせ3種」、「ボッテーガ風前菜」をそれぞれ1皿、プリモは「アマローネのリゾット」をシェアすることで2皿に分けてもらう。セコンドは魚料理を2皿頼む。

ワインリストを見せてもらうと、その分厚さに驚く。『さぁ、どうやって選ぼうか?』と頭の中が真っ白になりそうな時、地域別のインデックスに気づき、ご当地ヴェネトを開き、ソアヴェの中から1種類選んで指をさして注文する。

さっそくワインが運ばれボトルの確認後、ソムリエ(正しくはカメリエーレ)が開栓し、一つのグラス(白にしては大きい)に少し注ぎ、グルグルまわしグラス全体を洗う。そしてそのワインをもう一つのグラスに移し、同じように洗った後、別のグラスにいわば捨てる。それからテイスティング。注ぐ量が多いのでテイスティング無しなのかなぁと思うほど。先ほどのグラスに注ぎかなりグルグルまわしてからようやくテイスティングとなる。儀式というよりは美味しく飲んでもらうためのプロセスと感じた。食事中のワイン、水の注ぎ足しにも本当に注意を払っているという印象を受ける。

昼食が遅かったこともあり、また前菜、プリモの量も多くて最後の魚料理はついに二人とも食べきることができず、食後のカフェも飲めなかった。
それにしても満足いくリストランテだ。
店の中は時間がたつにつれ、予約客を中心に満席となる。ほとんどがオペラを見る人たちだろう、服装は多くの人がそのままアレーナに駆けつけるのかきちんとしている。
20時ころ店を出て着替えのため一旦ホテルに戻る。途中アレーナの前を通ったがやはり盛装している人も多い。黒いスーツ姿、女性はイブニングドレスなど。暑いけれど我々も席が階段席ではなくいわば平土間なのできちんとしなければいけないと覚悟する。

◆アレーナで野外オペラ
シャワーを浴び一休みして盛装?(ボタンダウンの半袖白ワイシャツにネクタイ、ジャケット着用)していざアレーナへ。まだまだ外は暑い。20時45分頃、66番の入口から入ると、すぐの席。

雨が降らないだけましだったが(ローマで見たこの日の天気予報は曇りときどき雨だった)蒸し暑くて大変。アレーナの中は観客の熱気もあるのか暑い空気がよどんでいるようだ。

前の方の座席ではないせいか、周りをみるとジャケット着用はそれほどいない。すぐ失礼してジャケットを脱ぎ、ネクタイも外す。
すぐ前のカップルがスプマンテを飲んでいた。冷たくて美味しそうだ。グラスは持ち帰りできるとのことだし、雰囲気的には飲みたかったが、リストランテで二人で1本飲んだばかりなので我慢する。

ステージに長いドレスの女性が銅鑼を持って登場、開演が間もなくであることを伝える。同じ頃階段席の観客にろうそくが渡され、ライトが消えるとアレーナ全体が幻想的な雰囲気につつまれた。

この日の演目はリゴレット。オペラに今まで興味があったわけでもないので、チテット予約後CDを購入して、音楽を何回も聴き、ストーリーを頭に入れて臨んだ。オープニングのコーラスは会場の性質上、CDに比べ弱いなぁと一瞬思ったが、徐々に迫力を感じる。
言葉はよくわからないがストーリー展開を知っていたのと歌も聴きなれていて退屈するということがなかったにもかかわらず暑さと連日の観光疲れのせいか眠気に襲われるが、持参のペットボトルの水を何回も飲んで眠気を何とかこらえる。
第1幕終了後、場内の売店で冷やした水(半分凍っている)を3ユーロで買う。飛び切り冷たくて生き返った感じだ。

Verona‐opera リゴレット2幕
23時、第2幕が終る。直前の主人公リゴレット、その娘ジルダの歌が素晴らしく、観客からの掛け声、拍手がすごかった。2人(リゴレット=レオ・ヌッチ、ジルダ=エレーナ・モスク)は、カーテンコールに応え、ステージ両サイドの石段を両手を掲げ駆け上がる。特に、レオ・ヌッチは何回も上の方まで行く。凄い体力!
あまりにもそれが長いのでもう終わりかなと思ったがどう見てもストーリー的には終っていない。そのうち舞台に次の大道具が運ばれ第3幕の準備が始まる。

23時30分、第3幕開演を伝える銅鑼の女性が現れ、いよいよクライマックスへ。
ジルダが公爵の身代わりに殺される悲しい場面。最後は、ジルダの死を悲しむ父親リゴレットの切ない歌で終る。

ここからのカーテンコール、そして出演者たちの反応が凄い。全員ステージにならび挨拶を正面、右、左と続く。レオ・ヌッチはまた何回も何回も石段を駆け上がる。観客への挨拶もあるだろうが、『今日もうまくいった』、という達成感を表しているようだ。いつまでも続きそうなので24時20分にアレーナの席を立つ。
アレーナを出るとぞろぞろとポルタ・ヌオヴァ方向へ向かう人出で一杯。途中、オペラ・ツアー客を迎える大型バスも随分停まっていた。ホテルが近くて大正解。24時30分にはホテルに戻ることができた。

【2日目】
前日の夜更かしのため珍しく朝ゆっくりと寝ていたので10時少し前に観光を開始する。
出掛けにフロントで食料品とチョコレートの店を訊ねると、1枚の食料品店のパンフレットと、スーパーマーケットの場所を教えてくれた。
この日はまず、カステル・ヴェッキオの市立美術館へ行く。前回はカステル・ヴェッキオに隣接する橋(スカリジェロ橋)は見たが、建物に入るのは初めて。

Verona‐カステル・ヴェッキオとスカリジェッロ橋②

Verona‐カステル・ヴェッキオ中庭

このお城は14世紀に建てられたもので大小2つの跳ね橋があり、そこが入口となっている。跳ね橋は機能していないようだ。
1階から2階へ行く途中のテラスにカングランデ1世騎馬像がある。

Verona‐カステル・ヴェッキオ カングランデ1世騎馬像

 

2階にはマントヴァのマンテニャ、ヴェネツァのティントレットなどの作品を含め多くの絵が展示されている。
ここを出て隣の橋を渡る。橋の上には、ギターを引く青年、南米の笛ケーナでフォルクローレを奏でるカップルがいる。観光客から演奏料をもらうことも期待しているのだろうが楽しんでいるようにも見える。橋の上は絵になるので皆写真を撮りあっている。我々ももちろんそうした。

次にどっちに行くかということになり、ヴェローナ観光スポットのうち1ヵ所だけスポンと離れているサン・ゼノ・マッジョーレ教会へ行くことにした。離れているがゆえに先にすまそうということだ。川沿いに歩き、途中で少し左に入る。

通りがかったバールではまだ昼前だというのに外のテーブルでワインを飲んでいる。サン・ゼノ・マッジョーレ教会の広場に出て堂々とした教会の雄姿を目にし、6年前訪れたことを思い出した。あのときは訪れる人がいなくて左の入口が分らず右往左往したが今回はまぁまぁの人がいて、初めてでも分るだろう。教会は遠くからみると白とピンクに見えるが、白い部分は石、ピンクの部分はレンガを積み上げている。近づいてみるとピンクというよりはレンガ色そのもの。ファサードのバラ窓が大きく印象的だ。

Verona‐サン・ゼノ・マッジョーレ教会
入口でヴェローナカードを提示すると、係りの人に英語で何だか訊かれる。パンフレットはどの言葉にするか、ということだ。日本語はないというので英語版をもらう。
パンフレットを見ながら見学する。本来の入口、正面扉には右が旧約、左が新約聖書からとったレリーフがある。身廊左には大理石の柱に支えられた礼拝堂があり、キリストとマリアのピエタ像。主祭壇の手前には7つのアーチの上にキリストと12使徒の彫像が置かれている。主祭壇の奥にはマンテニャの描いた祭壇画がある。

サン・ゼノ・マッジョーレ教会で出てすぐ前のバールのテーブル席に座り、冷たい白ワインで一息つく。この店は若い女性ばかり3人でやっていた。白ワインを飲みたいというと、幾つかの銘柄を言い出したので、『任せる』と仕草で示したところ“イォ?”というのでうなずく。さて、彼女が選んでくれたのは、クストーザ・ディ・ガルディーニ(と聞こえた)、色は少し濃い目、キーンと冷えていて、あーあ、極楽、で1杯2ユーロ。

このあと、ぶらぶらと歩いて昨日3時ごろ通りがかった時丁度店を閉めるところだった《ラ・タヴェルナ・ディ・ヴィア・ステッラ》へ行く。奥行きのある店で立飲みのカウンターの奥、左側2つ目の席に案内される。席の左奥は、お店の通路、席の奥にはドルチェが置かれたコーナー(ケーキの類を盛付ける作業台)と、あまりいい席ではない。昨晩といい、どうも予約していない場合、日本人だということでこんな席になってしまうことがある。
飲物はまずスプマンテを注文した。辛口ですっきりしていて暑い日には最高だ。

旅行中ずぅっと「生ハムとメロン」を食べ続けていたので、このお昼ではやめるつもりだったが、黒板に「本日のおすすめ」と書かれていたので条件反射のように頼んでしまう。他に前菜として「海の幸サラダ」、プリモは、「トマト、ナス、リコッタチーズのフジッリ」と「馬肉のミートソースのニョッキ」、さらに野菜のグリル(ナス、ペオエロンチーノ、まいたけ、フンギ、ズッキーニ、玉ねぎなど)を注文。ワインは1杯幾ら、というのが黒板に書かれていて方式なので2杯づつ飲む。最後にエスプレッソで締め2人で60.1ユーロ。席はともかく大いに満足。
ご主人から握手を求められ気持ちよく店を出た。

店を出てステッラ通りを右に行き最初の角(ここにも良さそうなカフェがあった)を右折し、左数軒先の《イル・デスコ》に夕食の予約のために入る。20時半ということで簡単に予約できた。ミシュランの星2つの店なので『上着は要りますか?』と訊ねると『要りません。ただ、カミチャ(襟のあるシャツ)は必要です。』とのことだったのでこの暑い日に上着が要らなくてホッとした。

このまま、すぐ近くのスカラ家の廟を見る。ここは2度目で前回も思ったが、とてもお墓とは思えない形だ。狭いところに大勢のドイツ人ツアー客がいてガイドの説明を聞いている。

早々に切り上げ、サンタ・ナスターシア教会へ行く。この教会はヴェローナに沢山ある教会の中で一番大きいらしいが、ファサード前の広場がこじんまりしているためあまり大きさを感じない。とはいえ、ランベルティの塔やアディジェ川対岸のローマ劇場から見ると鐘楼が大きく目立つのは確かだ。

Verona‐サンタナスターシア教会

Verona‐サンタナスターシア教会③

この後はドゥオモ通りを経てドゥオモへ。前回はドゥオモの中にはほとんど人がいなかったが今回はオペラ観光客のせいか少し多かったようだ。ここには、ティツィアーノの《聖母被昇天》があった。ヴェネツィアのフラーリ教会の《聖母被昇天》に比べると小ぶりだ。

Verona‐ドゥオモ

Verona‐ドゥオモ ティツィアーノ聖母被昇天

本日の観光はこれにて終わりにし、一旦ホテルに戻って一休み。
翌日のミラノまでの列車を予約、切符を購入するために歩いて駅へ行く。17時すぎだったが、夏時間のことでもありまだまだ暑い。いつものように自販機で座席指定まで行い、カードで決済、実に簡単だ。
駅を出てから、朝出掛けにフロントの女性に教えてもらった食料品店に行ってみたが、なんと月末まで夏休み中。ヴァルヴェルデ通りをとりあえず東(中心部)の方向へ進んでいるうち気づいたらホテル前の公園に出、そのままポルタ・ヌオヴァ通りを経てサンタ・ナスターシア教会手前の食料品店に行く。ここでは、パルミジャーノ・レジャーノとバルサミコを買った。一緒に行った兄が、グレープ・シード・オイルを買いたいと突然言い出し、年老いたご主人といろいろやりとりするが、結局は「ない」らしいということであきらめた。(英語の辞書まで引っ張り出してくれたが、載っていなかった)

◆エノテカで交流

ブラ広場の裏道にエノテカがあるのを昨日チェック済みだったのでワイン探しに行ってみたところ、店の前には若いあんちゃんが2人いる。そのわきを抜け店に入ってみると奥の方にワインがあるがイメージしていた店ではなく、どちらかというと立飲みの店と感じて買うことをあきらめ1杯飲むことに頭をすぐ切り換えた。

カウンターの中には若い女の子。外にいたのは友達らしい。黒板を見て、“Lugana Santa Chiristo 2003”を飲む。フルーティだが色は濃く、香りもあってしっかりしている(1杯2ユーロ)。
飲みながら“コメ ティ キャーミ?”と訊くと『ロミナ』だという。ロミオとジュリエットの町で、『ロミナ』とからかわれているのか、と思ったが、彼女によれば20年前にかなり売れた歌手の名前だという。こちらが日本人で名前を告げると、ちょっと見てくれと後ろを向きTシャツを少し上げ、背中の漢字のタトゥを見せる。そこへ、外にいた男の子が2人入ってきてそれぞれのタトゥを見せ、意味を教えてくれという。
ロミナ 『君を永遠に愛す』
男1 『賢者の世』
男2  『夫流利子く』
突然のことで、かなり適当に説明したが、男2は自分の名前(フェデリコ)の当て字らしい。最後の「く」はどうも「へ」らしいので、90度右回転するのが正しいと言っておいたが通じたかどうか。
イタリアでは今、漢字が流行っているようで、意味のない漢字が羅列したTシャツを着ている人をローマでも目にしたが、日本人がイタリアを好きなように、彼らの説明によれば『うまく説明できないけど、日本が好きだから』みたいなことを言っていた。

◆ミシュラン2つ星イル・デスコでの夕食
20時30分に予約していたので着替えて20時15分にホテルを出、丁度いい時間に《イル・デスコ》に着く。途中ブラ広場には昨日と同じく、オペラ観客が大勢いた。『イル・デスコ》のドアを開け、名前と予約していることを伝えると、左の部屋に案内される。予約していただけあって席には何の問題もない。隣には女性客2人。ダイニングルームは窓のないこの部屋だけのようだ。

メニューを見ている間に、昨晩同様スプマンテが注がれる。まず、いつものようにガス入りの水を頼む。
あるサイトを見ておおよそのメニューを知り、その中で紹介されていたものを頼むつもりだったが、それがメニューに載っていない。セコンドの中で魚料理はどれか訊ねるとメニューの右上がそうだった。てっきりそこは左下のプリモの続きかと思って気がつかなかったのだ。
初めにアミューズとして甘くないジェラートが出てくる。トマトソースとオリーブオイルで味付けされている。プリモは、相棒は「スカンピ(手長海老)のなんとか」、自分は「生のまぐろを炙ったものに豆とポテトサラダの一種」、注文するときにシェアするよう伝え、うなづいてくれたのだが、料理が出たときに再度頼むとだめだとのこと(注文をとったカメリエーレと違った)。まぁ、高級店だからと思いあきらめ、お互いに少し手を伸ばして味見をする。まぐろは赤いというよりややピンクに近い。寿司屋にも「炙り」はあるが全然違う。まぐろの炙りは想像を超える美味しさ。
小さなパンがディップクリームとともに出される。美味しくて4つも食べる、それほど小さいのだが。
セコンドは相棒が「スィーバース、かきの黒トリュフ添え」、こっちは、「フォアグラの上に海老、甘いソース、玉ねぎ添え」。これは世界の三大珍味、フォアグラが惜しげもなく台になっており、甘いソースと絶妙なハーモニー、くどさをやわらげるように海老が引き立つ。
デザートの前にプチフールが6種類2個づつ出た。マコロン、ホオズキ、チョコレート、パンナコッタ、ミントがのっている小さなケーキ、シュークリーム、すべて美味しくいただきました。
チーズも食べたかったがお腹もいっぱいだし、カメリエーレがデザートのメニューを持ってきたので素直に従うことにし、ティラミス、メロン味のプリン・メロン添えを頼んだ。これもボリュームが多い。ただ、デザート一皿が18ユーロというのも凄いといえば凄い。
まぁ、なかなかの店であるのは確かだ。今回の6泊8日の最後の夜を飾るのにはふさわしかった。
2時間で夕食を終え、ぶらぶらと歩いているうちに今回の旅では食後酒のグラッパを飲んでいないなぁということになり、カステル・ヴェッキオ前のバールのテラス席で夜空に浮かぶカステル・ヴェッキオを楽しみながら一杯やって最後の夜をすごす。

Verona‐カステル・ヴェッキオ 夜

 

【3日目】
今回の旅行の最終日が早くもやってきた。予定としては、見残した観光スポットを見る、ワインを買う、そして16時前にはホテルを出て駅に向かう、というもの。

8時半からオープンしているスポットのうち一番遠いローマ劇場(考古学博物館)に行く。考古学博物館は元々は修道院だったということだ。エレベーターで何階かに上がると、小さな展示室が回廊のようにある。前回訪れたときはもっと広くてまた階段を随分登って足が疲れたような記憶があったが、心なしか少し展示スペースが少なくなったような気がする。隣接するローマ劇場そのものはそれほど大きなものではない。アレーナ同様夏の野外イベントが開かれているようでステージ、客席が準備されていた。

Verona‐ローマ劇場

Verona‐考古学博物館中庭
ローマ劇場の良い点は、アディジェ川をはさんでヴェローナの市街が一望できることだ。蛇行しているアディジェ川を抱くように市街地がある。アレーナもランベルディの塔もいくつかの教会の鐘楼も良く見渡すことができる。

ローマ劇場をあとにし、もと来た橋(ピエトラ橋)を渡り、ドゥオモの近くを通って今度はガルバリディ橋を渡ってサン・ジョルジョ・イン・ブライダ教会へ行く。

Verona‐サン・ジョルジョ・イン・ブライダ教会あとで地図を良く見ると橋を2回も渡る必要がなくローマ劇場からそのまま川沿いに行けたようだった。橋を渡って向こう側に行ったものの公園の中を歩かされ、しかも教会の裏側に出てしまい、随分遠回りをしてしまった。まぁ、こういうことも足で歩く個人旅行の思い出になる。この教会はヴェローナには珍しく大きなクーポラのある建物だ。身廊正面扉の上にはティントレットの《幼子イエスの洗礼》のフレスコ画がある。教会の前には、クーポラと同じ作者によるサン・ジョルジョ門があるが残念なことに修復中だった。

 

 

また橋を渡り、アレーナに観光客として入る。6年前の時は2月の終わりごろで石でできたアレーナの内部は物凄く冷え込んでいたが、それとは対照的な感じで、特に外の階段席の方は陽射しが強くてたまらない。舞台では当日夜のオペラ公演に備えてステージが作られはじめていた。2日前にオペラをみたときは指定されたゲートから入ってすぐのところだったので、自分たちの席が全体の中でどのあたりだったかわからなかったが、アレーナの階段席の上の方から俯瞰するとまぁまぁいい場所だったようだ。わざわざ降りておとといの席に座って記念写真をとる。

Verona‐アレーナ①

Verona‐アレーナ④

そろそろ荷物になるワインを今回の旅の締めくくりとして買わなければならない。前の日に目をつけていたエノテカに行くと、店の前に座っていたお爺さんがご主人のようだ。挨拶をして、いろいろ勧められだいたい決めたところでいつものように『クレジット・カードは使えますか?』と訊くとおもむろにレジを開け『現金のみ。近くに銀行があるのでそこで引き出してきて』と返される。

ということで、この店で買うのはやめ、昨日チーズを買った食料品店に行く。実は、直前に買物をしていたのでまた顔を出すと喜んでくれた。1人3本づつ買ったが、最後にご主人が店の奥から「ソムリエ・ナイフ」を持ってきてくれ、プレゼントしてくれた。“グラッツェ!アリヴェデルチ!”といい握手をして店を出た。12時チェックアウトなのでワイン3本入った手提げ箱を持ちホテルへ戻る。

汗をかいたのでシャワーを浴び着替えて、帰国するためのパッキングを大急ぎでやって12時ギリギリにチェックアウト。昼食と最後の町歩きがあるので、フロントのすぐ近くに荷物を預けて再び出かける。

昼食は初日夕食の《アンティカ・ボッテーガ・デル・ヴィーノ》にするか昨日の昼食の《ラ・タヴェルナ・ディ・ヴィア・ステッラ》にするか迷ったが、座ったままグラスで頼めるワインの魅力で2日続けての《ステッラ》になった(旅先で数日滞在した場合のリストランテは自分が良いと思ったら再度行くのがポイント。なぜなら知らない店ではなく、リスクがない、新しい店を探す時間を省ける)。

Verona‐ステッラのワインリスト
《ステッラ》に行くとあのオヤジさんが喜んで迎えてくれた。昨日のお兄ちゃんはいなかったが、奥さん(多分)がサービスをしてくれた。『今日も暑いですね』というと『湿度が高いわ』みたいなことを言っていた。食事は昨日と同じように冷えた辛口のスプマンテから始めた。

食事を終え、サン・フェルモ・マッジョーレ教会へ向かったが、途中で観光パスのヴェローナ・カードを胸ポケットに入れたまま着替え、そのままパッキングしてしまったことに気づく。まさかそのためにホテルに戻りスーツケースを広げるわけにもいかないので結局2ユーロ払って教会の中に入る。

Verona‐サン・フェルモ・マッジョーレ教会ファサード

 

この教会の天井にはびっくりした。普通はカラフルでいろいろな装飾をしているが、ここは何の装飾もなく真っ黒だ。この教会は2つの建物からなっているらしく、右側廊から階段を下りるとローマ時代の教会に入ることができる。素朴な感じだ。

この教会は位置的にはアレーナの真東にあたり、今まで歩いていた市街地と少し町の雰囲気が違うような気がした。そこから、ジュリエッタの墓へ行こうとしてズンズン進んで地図を見誤ったのか場所がわからず城壁の門を出てみるが結局分らずじまい。

そうこうしているうちに、着ていたはずのベストがないことに気づき、多分《ステッラ》に置き忘れたのだろうと大急ぎで元来た道を引き返す。《ステッラ》に入るとこちらが何もいわないうちにカウンターの中にいた若い女の子がにっこり笑って奥からもってきてくれた。お礼を言って4度目の《ステッラ》をあとにする。

気がつくともう14時20分、観光はやめることにしブラ広場のカフェにて休むことにした。外のテーブルだが、もちろん日よけの大きなパラソルがあり、そのために暑い空気がこもっていて本当に蒸し暑い。冷たい飲物を、と思ったが結局キリリと冷えた白ワインにして、CUSTOZAのメッゾ(500ml)を頼む。昼にグラス4杯飲んだのでやや飲みすぎの感があるが旅の最後の締めくくりとした(本当の締めくくりはミラノ・マルペンサ空港で飲んだのだが)。

15時30分すぎ、カフェを出てホテルへ。荷物を取って15時47分ホテルを出てスーツ・ケースを引っ張り歩いて駅へ向かい10分足らずで駅に着く。16時21分のICは約10分遅れだったがミラノには定刻に到着。中央駅ホームを抜け、すぐ左のエスカレーターで降りて駅を出て左がマルペンサ行きのバス乗り場。18時20分のバスにゆうゆう乗り込むことができ今回のローマ&ヴェローナ7日間の旅を終えた。

◆食べる
■Antica Bottega del Vino(Via Scudo di Francia, 3 Verona)
◎サラミの盛合わせ3種(6ユーロ)、ボッテーガ風前菜(6ユーロ)

Verona‐ボッテガ・デル・ヴィーノ 前菜
◎アマローネのリゾット(10ユーロ)をシェアする。
◎魚料理(素揚げした鱈にミニトマトやら何やらのソース)を2人とも。
◎ワイン Soave Classico Superior Ca’Rugate 2003  (26ユーロ)
2人で96.5ユーロ(ワイン込み)

■La Taverna di via Stella(Via Stella, 5/C Verona)

Verona‐ラ・タヴェルナ・デ・ヴィア・ステッラ
1食目
◎生ハムとメロン(6.8ユーロ)、海の幸サラダ(7.8ユーロ)
◎トマト、ナス、リコッタチーズのフジッリ(7.2ユーロ)、
◎馬肉のミートソースのニョッキ(7.2ユーロ)
◎野菜のグリル (4.4ユーロ)
◎ワイン Spumante(1杯 2.5ユーロ)
◎Capitel Foscano Anselmi(白、1杯 3.1ユーロ)
◎Ripasso’La Oaseita(赤、香りが強く重い。1杯 3.5ユーロ) 1人各1杯
2人で60.1ユーロ(ワイン込み)

2食目
◎カプレーゼ(5.2ユーロ)、
◎タベルナ・ステッラ風前菜(ポレンタに生ハム、馬のハムなど4種類、5.8ユーロ)
◎スパゲッティ・ボンゴレ(7.4ユーロ)、
◎いわしのビーゴリ(少し太めのパスタ、7.4ユーロ)
◎ポレンタ料理 チーズと馬肉の生ハム(前菜とよく似ていた)
◎ワイン Spumante(1杯 2.5ユーロ)
◎Capitel Foscano Anselmi(白、1杯 1.8ユーロ)
◎Valpolicella “Canestrain”(赤、1杯 1.2ユーロ)
◎Rosso di Montalcino(赤、1杯 2.2ユーロ)1人各1杯
2人で54.9ユーロ(ワイン込み)

■Il Desco(Via Dietro S.Sebastiano 7, Verona)
ヴェローナの最高級リストランテ ミシュランの2つ星

Verona-イル・デスコ入口
◎甘くないジェラート
◎スカンピ(海老)のなんとか、生のまぐろを炙ったものに豆とポテトサラダの一種
◎スィーバース、かきの黒トリュフ添え、フォアグラの上に海老、甘いソース、玉ねぎ添え
◎プチフールが6種類2個づつ
◎ティラミス、メロン味のプリン・メロン添え
◎ワイン Soave Classico Superior Inama 2003  (35ユーロ)
2人で216ユーロ(ワイン込み)
このワインは小売店では18ユーロ、イタリアのリストランテで売値の倍とるところは珍しい?(普通は2割〜5割増程度ではないか) さすが高級店!
お土産用に買ったのは同じ醸造元でこれよりも1ランク上のもの。

◆泊まる
■Hotel Verona ★★★ Twin 170ユーロ (1泊)
アレーナから歩いて5分、209号室はポルタ・ヌオーヴァ大通りに面していたが窓を閉めると静か。ロケーションはオペラ、観光ともに抜群。
インターネット(VENERE.COM)で予約。オペラ・シーズンは通常料金のほぼ倍で上記料金。しかしそれだけの価値がある。

 

Pompei(ポンペイ)2004/8/16

 

  ◆行く

ポンペイへの行き方には大きく分けて次の3種類がある。

1.ローマから日帰り観光のバスに乗る。

2.ナポリに泊まり、ナポリ中央駅から私鉄(チルクム・ヴェスヴィアーナ線)でヴィッラ・ディ・ミステリ駅で降り、すぐ前の入口から遺跡に入る。

3.ローマから国鉄の列車で日帰りする。ナポリ中央駅で乗換えポンペイ駅で降りる。

今回は同行者たっての願いで2度目のポンペイ遺跡探訪となった。前回の一人旅では2.の方法をとったが、私鉄のストで路線バスに乗る羽目となってしまった(詳しくは「トラブル」で)。前回の経験から日本語によるガイドが必要だなぁと思い、初めはローマから日帰り観光バスに乗るつもりだったが、見たいところを見れない、所要時間の割に遺跡内滞在時間が少ない、ということで2度目の個人での日帰り観光とした。

ローマを8:45のES(ユーロ・スター)で立ち、ナポリ中央駅で乗換え11:18ポンペイ着、帰りはポンペイ発18:40、ナポリ中央駅乗換えローマ・テルミニ着21:16のESを前日予約し、乗車券を購入しておいた。

行きのESはがらがら、我々が乗った8号車には他に1組しか乗っていなかったがポンペイへ向かう各駅停車は座れないくらい満員だった。この日は聖母被昇天の日の翌日、月曜でどうもお盆休みみたいなシーズンで帰省客が多いのではないかと勝手に想像する。

ナポリ中央駅で乗換えるとき行先もわからずホームに貼られている時刻表にもポンペイ着11:18の表示の列車がないので駅員に訊ねると、丁度21番線の前で“クワッ!(ここだよ)”。見ると10:50発POALA行き。念のためもう1人の駅員に確かめ乗り込んだのだが・・・・。

列車はずーっと海を見て走る。おかしいな、ポンペイはもっと内陸のほうなのに、列車を間違えたのかなぁ、と不安にかられる。どこで左はカーブするのだろう? 急に海から離れたかと思うとスピードを上げ、定刻より少し遅れて11:20すぎポンペイ駅到着。列車はあっていて良かった。ホッ!

駅からまっすぐの通りの正面に教会が見えた。マドンナ・デル・ロザリオ聖堂だ。突き当たりの通りがローマ通り。ローマからポンペイに来てメインストリートがローマ通り、か。

商店街を通り抜ける感じだが、遺跡に入る前に早めの昼食をとることにした。予定ではたっぷり観光するつもりだったが、中では食事をするところがないと思ったからだ(実際には中にカフェテリアがあった)。

腹ごしらえを終え、闘技場前の門から入場する。門の前では日本の観光地にくらべると少ないが帽子や飲物を売っている。この日はハイキング用のつばのある帽子を持ってきていたがバッグの中に入れたままでかぶっていなかったので『帽子必要だよぅ』と身振りですすめられたがニッコリ笑ってバッグから取り出しかぶる。冷たく冷やした水は1本1.5ユーロだったが1ユーロに値切る。2人だから向こうは2本だと思ってまけたらしいが1本だけ買う。してやったり。自分はまだフルに1本あったので兄の分だけ。

12時45分、入場料1人10ユーロを払い地図をもらって入場する。まず、目の前の円形闘技場を右にぐるっと回り込み円形闘技場の中へ。前回はマリーナ門から入ったのでここは初めて。

(一般的にはマリーナ門から入るようだ。ツアーでも時間的制約からマリーナ門から入りある程度のエリアを見学するようで、見ることのできる遺跡のうち半分くらいしか見ないのではないだろうか)

だから自分にとって2度目のポンペイでありながら約半分は初めて目にするものだった。

◆ 見る(見た順)

円形闘技場 外からみると古さを感じさせないスタジアム。中に入ってみるとさすがに今もイベントで使われているヴェローナやアルルのアレーナとは違い石段の観客席には草がぼうぼう生えている。使用目的はローマのコロッセオと同じだろう。

Pompei‐闘技場① Pompei‐闘技場②

大体育場 回廊で囲われた芝生の大きなグランドといった感じだ。

Pompei‐大体育場① Pompei‐大体育場②

ロレイゥス・ティプルティヌスの家 ローマ人貴族が所有していたということで、かなりの大きさの家。両側に画を擁した噴水がある。

Pompei‐ロレイウス・ティブルティヌスの家の噴水

ヴェヌス(ヴィーナス)の家

庭の奥の壁にはヴィーナスやマルスのフレスコ画が残っている。 トレビウス・バレンスの家 アッセリーナの居酒屋 アッポンダンツァ通りの居酒屋、カウンターみたいなものは飲み物を混ぜる台だそうだ。

Pompei‐居酒屋 Pompei‐アッセリーナの酒場①

オルコニウス・ルフォスの家

Pompei_オルコニウス・ルフォスの家① Pompei_オルコニウス・ルフォスの家②

チェイユス・セコンドスの家

Pomoei-チェイユス・セコンドスの家アトリウム

ポンペイの家の中では小さな部類だそうだ。中にはアトリウムがあり、庭の奥の壁には大きな狩りの画がある。

ここを見た後、大劇場に行く途中、やや下りの車道(昔の車道、馬車の道)を歩いていた兄が敷石に躓きころんで頭から倒れてしまう。それをスローモーションの映像のように見てしまった。幸い、眼鏡のつるが曲がってしまうだけで、怪我はなかった。

劇場

紀元前3世紀に建設され、演劇が上演されていた。ここと隣の小劇場は今年も夏のイベントがあるようでポスターが貼られている。

Pompei‐大劇場②Pompei‐大劇場①

小劇場

大劇場よりは後になって作られた(紀元前1世紀)。音楽堂として使われていたようだ。

Pompei‐小劇場テラモン彫像   下4段の長老席を区切る欄干を支えるテラモン彫像が残っている。

スタビアーノ浴場

体育場、プール、浴場が一つの施設となっている。 脱衣場には大噴火の犠牲者の石膏像が展示されていて物凄く生々しさを感じる。 Pompei_スタビアーノ浴場犠牲者

クマの家

モザイクで飾られた綺麗な噴水がある。

ストルト路地のパン屋

かまど、ひきうすが残っている。

Pompei‐パン屋のかまど Pompei‐パン屋の路地①

バジリカ

ポンペイで一番古い公共建築物だそうだ。もちろん屋根はないが柱の下の部分が残っていて建物全体の大きさがわかる。遺跡の中で一番広い建物ではないだろうか。

Pompei‐バジリカ② Pompei‐バジリカ①

このあたりはマ リーナ門に近いエリア。このあたりで今回唯一の日本人ツアーの一行と出会う。

フォロ

ポンペイの中心となっていた広場。マリーナ門から入るとバジリカの先の広場ということのなる。ここから見るヴェスヴィオを望む景色は素晴らしい。

Pompei‐フォロ Pompei‐フォロからヴェスヴィオ

アポロ神殿

カフェテリアで一休みしたあとフォロを経て戻りアポロ神殿を見る。   フォロの柱廊に隣接している。バジリカの北側、マリーナ門から道に面した方から入って右側(フォロに近い方)にブロンズのアポロ像(コピー)があるが、柱廊に溶け込んでいてあやうく見落としてしまいそうになった。

フォロ浴場

フォロの北側にある。前回ここでは大勢の団体客がいて混雑していたが今回は時間も15時すぎのためか混んでいなかったのでゆっくり見ることができた。温浴室の壁には壁を支える柱が人の形をしていてアグリジェントのテラモーネ像を思い浮かべる。

Pompei‐フォロ浴場 温浴室①   Pompei‐フォロ浴場 温浴室②

悲劇詩人の家

フォロ浴場前、ノラ通りに面している。入口床には『猛犬注意!』のモザイク画、アトリウムには水槽と大理石の祭壇がある。

dc122501   Pompei_悲劇詩人の家①Pompei_悲劇詩人の家②

ファヌゥスの家

家の形はほとんどなく広い庭園のような印象だ。

玄関近くのアトリウムにはやはり水槽があり小さなファヌゥスのブロンズ像(コピー)が軽やかに踊っている。ここには大勢の観光客がいて写真をとるのも一苦労。随分と奥行のある大きな家だったようだ。

Pompei‐ファウヌスの家③ Pompei‐ファウヌスの家④

外科医の家

エルコラーノ門方向。このエリアは今回初めて足を踏み入れる。秘儀荘へ行くためだ。

この家から外科の医療器具が発見されたということだがすでにあの時代(紀元1世紀)に外科技術のあったことには驚きだ。

マミアの墓とイスタチディ家の霊殿

秘儀荘に向かう墓地通り、エルコラーノ門を出てすぐ左手の少し上がった所にある。

Pompei‐マミアの墓とイスタチディ家の霊殿

小礼拝堂風の墓

Pompei‐小礼拝堂風墓

秘儀荘

いきなり建物の中に入ってしまったが、地図を見ていた感覚からは秘儀荘はまだ先にあるものと思い込み手前のディオメデスの邸宅かなぁと思って建物の中をいくつもの部屋を見ているうちに秘儀荘であることに気づいた。ガイドのいない個人旅行ではたまにはこういうことがある。

建物自体は屋根も壁も床もかなり残っている。 待望のディオニュソスの儀式の壁画にたどりつく。L字型の壁にいくつもの《教理伝授》の場面が描かれている。照明がないせいか全体に暗くて写真で見るような《ポンペイの赤》ではなかった。しかし、絵巻物のような画だ。

Pompei‐秘儀荘② Pompei‐秘儀荘④Pompei‐秘儀荘⑥Pompei‐秘儀荘⑨

デジカメで写真を撮っていたため順路、時間がわかったものでさらにこれ以上見ているがここでは省略。

ポンペイがヴェスヴィオの噴火によりその姿を消したのは西暦79年とのことだが2000年近くも前にこのように整然とした町があり、現代と同じような、あるいはそれ以上の生活が営まれていたということは驚きだ。

当時の日本といえばまだ弥生時代で、ポンペイの遺跡からは当時のローマ人の文明の凄さがわかる。2000年の時を経ていながら、家屋の所有者が当時どんな家族構成だったか、経済状況はどうだったか研究によりわかってきているらしいが、当時の人が自分の生活を暴かれるなどを想像しただろうか?

 

8月の半ば、炎天下でたまに浴場など屋根のある遺跡に入らない限り陽射しがジリジリと照りつけてくる。トイレにも行きたくなりフォロからマリーナ門へ降りてみるが場外にトイレがあるものの中にはない。再びフォロの方へ行くとその先にいわばレストハウスがあるのに気づき、中に入ると2階にトイレがあった。かなり暑かったのでカフェテリアのスイカは美味しそう。2切れ買って(1切れ2.8ユーロ)席を探すがかなり満席。狭いテーブルの間を通りぬけ奥のテーブルで冷えたスイカを食べる。『うぁぁ!美味しい』。生き返った感じだ。ここでは軽食も取れるようだ。これは貴重な情報だと思う。

17時ころ遺跡を後にする。帰りは18:40の列車に乗り、ナポリ発19:30のESに乗り換える予定でESの指定席を予約していたのがポンペイの遺跡を見終わった以上ローマに早く戻りたかったので、その前の電車(17:39)に間に合うことがわかりポンペイ駅へ向かう。 ポンペイ駅には自動販売機がなく窓口に並んでいる。なかなか進まないのでイライラしたが、何とか間に合う。ESからICに変わるので少し安くなるが、乗車券をカードで買っていたので差額を返せない、というようなことを言っていたが、とにかく早い電車に乗れればいいと乗換えの時刻を確認してホームに急いで向かう。

ローマ・テルミニ駅に着く直前、到着ホームが空かなかったらしく15分遅れて20時50分ホームに入り、ポンペイ日帰り旅行を終えた。

◆ 食べる

お店の名前 Vecchia  America, via Roma 111, Pompei

奥へ奥へとすすめられ、中庭のテーブル席。時間が早いせいか一番のり。その後数組の客がくる。気取らない家庭経営の店。

食べたもの 前菜 海の幸(9ユーロ)、プリモ ボンゴレのスパゲッティ(8.5ユーロ)、ピッツア・ナポレターナ(4ユーロ)、コーヒー(1ユーロx2)、コペルト(1ユーロx2)、水(2ユーロ)

Pompei‐海の幸盛合せ

サービス料10%  2人で39ユーロ(ワイン込み)   ワイン   SORRENTINO,  白のテーブルワイン (8ユーロ)