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Mola di Bari(モーラ・ディ・バーリ)2005/9/17

◆行く
プーリアマテーラの旅、最終日の昼食をバーリ市内のミシュラン3本フォークの店にするか、それともモーラ・ディ・バーリの《南イタリア屈指の洗練レストラン》にするか迷ったままバーリのホテルをチェックアウトし、荷物を預けてホテルを出る。

バーリから列車に20分乗らなければならないがプーリア&マテーラの旅のフィナーレを飾ることにして行動派の我々としてはモーラ・ディ・バーリへ行くことにした。

11:57の電車があるが、ドイツ人の若い女性バックパッカーグループが駅の自販機を陣取っていたのでイライラしながら待つ。発車5分前にようやく番がきて「行き」の乗車券のみ買ってホームへ急ぐ(これがあとで問題をひきおこす)。

12:17着。モーラ・ディ・バーリの駅は小さい。窓口は閉まっている。外に出ても土曜の昼時のせいかひっそりとしている。
店の名前と住所はメモしてきたがそれがどっちの方向なのか誰にも訊くわけにもいかない。とりあえず駅からまっすぐのびた道を海の方向へ行くが市内地図の大きな看板があったので、それをじっと見ると大体の場所がわかった。店までの通りの名前と曲がる方向を持っていたバーリ市内地図の余白に書き込んだ。これで一安心、あとは店が開いているか、開いていてテーブルがあるか、だ。

◆親切に感謝
途中、通りの名前を確かめるためバーリ市内地図をひろげていると通りがかった熟年のご夫婦が声をかけてくれる。

『どこに行きたいのですか?』、『このリストランテです』とメモを見せると、奥さんがご主人に『あなた、案内してあげれば』(と多分言ったんでしょう)。ご主人は持っていたスーパーの買い物袋を奥さんに渡しウンベルト通りまで一緒に連れて行ってくれた。親切に感謝、感謝だ。

彼は国連職員としてニュー・ヨーク勤務だったので日本人初め数々の国際的な友人がいるという。ウンベルト通りに入ったところでその先の左折する目印を教えてくれ、こちらからは丁重にお礼を言い(といっても“Grazie, molto gentile”)別れる。

◆プーリア最後の食事
さて、お目当てのお店に着いたが、やっているのかどうか、何となく静かな雰囲気。不安になったその時、一人の女性が出てきたので訊いてみると『どうぞ』とのこと。
テーブル・セッティングやインテリアからみると優雅なリストランテではあるが、中はひっそりとしていて客は誰もいない。

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若いカメリエーレが注文を取りにくる。例によってプーリアのワインという希望を出しあとの具体的な選択は任せる。
コペルトとして出されたオリーブはさすがプーリアがイタリア一の産地だけあってか、きれいな緑色で粒も大きい。フォカッチャのようなものは表面のパルミジャーノがこんがりと焼けていて香ばしい。

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前菜は恒例の海の幸サラダと車エビのカルパッチョにした。初めてカルパッチョで車エビというのを食べたがこれは美味い。車エビの身をたたきにしたようなもので素材が新鮮で美味しいからできるのだろう。とろけるような味だ(ぜひとももう一度食べたい)。

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プリモは海の幸のリゾット、セコンドはスカンピ(手長エビ)のグリル。いずれも今回の旅では何回か食べていて、プーリアの最後を飾るにはふさわしい。

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最後にカフェでしめるが大満足。

この間、他のお客は1人のみ。

料理を注文する時に帰りの列車の時刻を伝えていたこともあって駅までカメリエーレのトゥーリオが車で送ってくれることになった。モーラ・ディ・バーリの人たちって何と親切なんだろう。

◆とんだトラブル
いい町、いい人、いいリストランテだという印象を得て駅に入ったのだが・・・・・。
駅は週末だからなのか依然として無人。乗車券の自販機は他の駅にあるようなカードも使えるタイプのものはない。初めて見るような行先を選びコインを入れる機械式のものだ。何回かやってもコインがそのまま戻ってきてしまう。
それを見ていた少年2人が『おれがやってやるよ』というのでやってもらったところ、同じようにコインが戻り、すぐに『おれのもんだ』と取ってコインを返さない。最初から取るつもりだったとしか思えない。「冗談じゃない!」と思って握った手の中から何とか取り上げる。

その後、きた人のやり方を真似て切符を買って地下道をくぐりホームで列車を待つ。

そうこうしているうちにさっきの悪ガキがホームへやってきてころがっていた棒切れを手にして襲い掛かってきた。日本語で怒鳴るが今度は屋根瓦のようなものを見つけ、棒を捨てその瓦を投げつけようとする。無事に終わるはずだったプーリアの旅がここで大怪我をしローマに戻れなくなり、ひいては日本に帰れなくなるのかなぁという思いが一瞬頭の中をよぎった。

そのうちホームにいた一人の男性が彼らに声をかけいろいろと説得をしてやめさせてくれて事なきを得た。最後が少年に謝るように言い、彼に言われたようにオウム返しの英語で謝ってきた。

彼は我々に『自分の側にいるように』と言ってくれ、少年たちも同じ列車に乗り込んだので列車の中でも一緒に座ってくれた。彼の名はクリスさん。オランダ系アメリカ人でフロリダからバイオの研究に来ているとのことだった。『日本に来る機会があれば連絡して下さい』と相棒が連絡先を渡す。
14:45、バーリ着。クリスさんと別れる。

いろいろと中身の濃い3時間だった。

◆食べる
●リストランテ
Niccolo Van Westerhaut, via de Amicis 3/5
FIGARO(2002年4月5日号)のとじこみ付録で「南イタリア屈指の洗練レストラン」と紹介されていた。
<食べたもの>
オリーブ、フォカッチャ、海の幸サラダ(7.5ユーロ)、車エビのカルパッチョ(carpaccio di gamberoni、6.5ユーロ)、海の幸のリゾット(10.5ユーロ)、スカンピのグリル(7尾、20ユーロ)、カフェ(2ユーロ×2)
2人で70ユーロ(チップ込み)
<ワイン>
SALICE SALENTINO 2001 Riserva, CA’NTELE (10ユーロ)

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時間とともに段々美味しくなる。

Castellana Grotte(カステッラーナ・グロッテ) 2005/9/16

◆行く
バーリでの2泊の中1日、世界遺産のカステル・デル・モンテか、鍾乳洞のカステッラーナ・グロッテのどちらかに行こうと思っていたが、交通の便を考え結局カステッラーナ・グロッテに行くことにする。

ここは、実はアルベロベッロバーリの間にあり、アルベロベッロからバーリに向かう途中に立ち寄ることもできたが、旅の荷物を持っては難しいということもあって予定通りバーリからの日帰りにする。

8時にホテルを出て歩いてバーリ駅へ向かう。

駅の中でFSE(私鉄Sud-est線)の切符売場を探すが見つからない。あまり余裕を持たずに出かけてきたため発車時刻まであと5分足らず。FSの切符売場で訊いたら『11番線』、早口で『右へ曲がってずっと行く』みたいなジェスチャ。

時間がないので訊き直すこともせず、とりあえず切符売場すぐ近くの入り口から出て11番線へ通じる通路を探すがわからずどんどん駅から離れてしまう。カヴール通りまで行ってしまいの陸橋を渡り右折して、ようやく駅の裏側にあるFSEの入り口を見つけた。そこから階段をあせって下ったその時、乗るはずの列車は出て行ってしまった。

あとでよく考えると駅員のジェスチャを勘違いしてしまったようだ。というのはアルベロベッロからバーリに着いた時には、バーリ駅の一番奥のホームに降り立ち、地下道を通って駅の正面側に出ていたからだ。

FSEの切符売場はこのホーム横の待合室を兼ねた小さな建物の中にあった。切符を買う時、『次は9時52分、1番線(これは実は11番線)から』と念を押される((1人往復5.2ユーロ)。1時間半以上もあるので、駅北側の下町を散策して時間をつぶす。

列車は少し遅れて9時58分発車、日本人旅行者も何人かいた。

10時45分ころグロッテ・デ・カステッラーナに着く。下車する時に、朝、駅で会った日本人の女の子が『ここですか?』というから『そうだよ』と答えると一緒に降りてきて、『駅の名前が違いませんか?』。『アルベロベッロに行くの?』『そうです』『じゃここではないよ』。

お互いの誤解で彼女のスケジュールを狂わせてしまうところだった。同じ列車に乗っていた女性2人組、若い夫婦はそのままアルベロベッロへ(だと思う)。

 

この駅はまるで原っぱのようなところにあるホームだけの無人駅。グロッテ入り口まではすぐだ。大きな通りに面して土産物屋や食堂があり観光地ぽいといえばいえるが平日のせいかそれほどの人出はない。

この通り右手の食堂の先にゲートがあった。横断幕のようなこげ茶色の横看板に《グロッテ・デ・カステッラーナ入り口》と書かれているのですぐわかる。その奥には7〜8階建てほどの高さのあるタワーのような建物が見えた。

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◆見る
ゲートをくぐってタワー棟の方に行くと左手に切符売場があり付近には入場待ちの数十人の観光客が集まっている。
売場で少し並んだが11時から始まるガイドツアーにぎりぎり間に合った(1人13ユーロ)。

先ほどの建物の中に入るとすぐ『English?』と訊かれたので『Guide?』と訊き返すとうなずくのでEnglishの方に入る。その場所で英語組とイタリア語組にふるいわけられ、先にイタリア語組が進んで行く。英語組には日本人は我々だけだった。

ガイドは若い女性でドイツ人とのハーフだと自己紹介し、ドイツ人が多そうなので英語とドイツ語で説明するという。それから右手をくるっと回し“アンディアーモ”(レッツ・ゴー)と言ってガイドツアースタート!

まず階段を降りるとパンテオンのように天井に穴があいているとんでもなく大きなドームに入る。馬鹿でかい空間に圧倒される。天井の穴からは日が差し込んでいる。

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ドーム中央にはモニュメントを思わせるような石筍のかたまりが、そしてドームの壁一面はつららのような石筍で覆われていて凄い。

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しかしこれはここから始まる洞窟探検のほんの序章だった。ガイドを先頭に総勢30人ほどが列をなして進む。通路がきちんと整備され足元の照明もある。天井も高く圧迫感はまったくない。ところどころで立ち止まってガイドを取り囲むようにして説明を受ける。まず英語、それからドイツ語の説明がある。

自然が造った石筍のかたちに特徴があるものはイタリアらしく《ローマ建国のロムルス・レムスに乳を飲ませるの狼》、《ピサの斜塔》などと名づけられていて、なるほどと思う。とりわけ狼はまるで彫刻されたかのようにそっくりだ。
そのほか、駱駝、インディアン、コブラ、天使の廊下など。

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一番奥のグロッタ・ビアンカ(白い洞窟)まで行って来た道をまた戻ったが、どこかが上り、下りの一方通行になっているらしく前の組や後の組とすれ違うことはない。

その下り見学路で石筍の聖母子像を見た。これはそれまでの名づけられたものと違ってものすごく小さい。この小さいものに聖母子像と名づけること自体イタリアを感じさせる。
石筍の長い廊下があったり、ドーム手前の最後のところにはとうもろこし、カリフラワーの形そっくりの石筍もあり驚きの連続だった。

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実際に行くまでは個人で歩くものと思いガイドブックに2時間コースとあったので1時間半くらいで見終えるつもりだったが、2ヵ国語でしかもイタリア語組のあとだったので2時間10分かかってしまう。

1938年に発見されたが、それまでは例の天井の穴、それは地面の穴なのだがそこへ農民がゴミを捨てていたという。それを今のようなすごい観光対象までにしたイタリアの観光に賭ける情熱、コストは大変なものだ。電気もあり、要所要所がライトアップされ、通路(というより道路といってもいいかもしれない)や手すりがしっかりと整備されている。

こんなスケールの大きい鍾乳洞が、南イタリアのしかもやや交通不便なところにあるので日本ではあまり知られていないのは残念だ。

◆帰る
バーリに戻る次の列車は13時53分、30分足らずしか時間がないがお昼を食べていこうと駅に一番近いリストランテに入りテーブルに座ったもののお店のスタッフは誰も来ない。客もそれほどいないので「こりゃだめだ」と席を立つ。

やむを得ず他の店へ行こうと戻ったところバールを見つけたのでパニーノとビールを買い、駅近くのベンチでピクニック気分の昼食をとる。陽射しが強くて暑いがあまり日陰となるような木もなく逃れられないが冷たいビールがうまい。

食べ終わってまもなく列車がホームに入ってきた。何と3両編成の展望車だ。ここは無人駅のため帰りの乗車券もバーリで買ってきていたが、発車してすぐに車掌が乗車券販売のためやってきた。
バーリには定刻の14時49分着。鍾乳洞探検、半日の旅を終える。

Bari(バーリ) 2005/9/15〜17

◆行く
ローマを起点としたプーリア&マテーラの旅もマテーラ観光を終え最終宿泊地(といっても本当の最終宿泊地はローマだけれど)のバーリに向かう。
マテーラ発14:18の列車は15:48にFAL(私鉄Appulo-Lucane線)バーリ駅到着。ホテルは駅から比較的近いところを予約していたため16時にはチェックイン、ボーイに案内された部屋がダブルだったのでフロントに戻りツインに変えてもらう。

◆見る
相棒は一生懸命ローマにいる知り合いのオフィスに電話しようと試みるがつながらない。そうこうしているうちに17時になったのでバーリ旧市街観光に出かけることにした。

ホテルの面しているニコライ通りを東へ向かいウンベルト1世公園に出る。かなり大きくて開放的な感じだ。いろいろな露店が出ていて大勢の人々が楽しんでいる。左折してこの公園を2分しているスパラーノ通りに入り旧市街の方へと歩く。17時すぎとはいえ、サマータイムでもありまだ結構暑い。

大きな通り(ヴィットリオ・エマヌエレ2世通り)を渡るとそこから先は旧市街だ。旧市街に入りカテドラーレを目指すが「本当にこの先にあるの?」というようなトンネルのような両側から建物おおいかぶさってくるような路地に入ってしまった。ようやくカテドラーレの前に出る。前の広場はそう広いわけでもない。地元の人が大勢繰り出している感じで、また車も通っていたりで何となく雑然とした広場。ファサードの写真を撮るにも一苦労だ。このときのバックの空の色が真っ青でものすごく印象的だった。

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ファサードはバラ窓のほかはこれといった装飾もなく、中も石が剥き出しのままで素朴な感じがする。レッチェなどのバロック様式の教会を見たあとだけに余計素朴さを感じる。

内部は左右各10本の柱で分けられた3廊式で大きくてシンプルだが、主祭壇下のクリプタはこれとは対照的に木彫りのアーチの連続で豪華だ。壁には彫刻がほどこされている。

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カテドラーレを出て西の方へいくとカステッロがある。

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レッチェのカステッロよりかなり前の時代に建てられたようだが、同じような四角い形で大きさも同じくらいのようだ。中に入ろうとしたところ呼び止められ入場料がいるとのこと。見学には時間がかかりそうなのでパスする。

海岸に沿って走る通りに一旦出てぐるっと一回りする。ポルト・ヌオヴォを左に見るがC.コロンボ広場を過ぎると反対側の海が見える。

それをどんどん行くと城壁が途切れ車も通行できる門があったのでそこからまた旧市街に入るとそこはバーリの守護聖人であるサン・ニコラス(あのサンタクロース)の遺骨があるというサン・ニコラ教会だった。カテドラーレとは正反対で教会前の広場は広々として落ち着いた感じだ。

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ちょうど教会の中では結婚式が行われていたようでまもなく新郎新婦、家族、親戚、友人とおぼしき人たちが出てきた。若い友人たちが「プープー」と風船ラッパをならすが「よく続けて吹けるなぁ」と思い目をやると吹いているのではなく、エアゾール形のボンベの頭に風船が付いていてボンベのボタンをプッシュしているのには思わず笑ってしまう。イタリアならでは、なのだろうか?

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結婚式が終わったばかりの教会の中に入ってみる。大きな花の飾り付けを片付けている最中だった。
ここもやはり3廊式で側壁は石、身廊を分ける柱は左右2カ所が2本づつくっついたような形になっている。天井は金の装飾と絵で飾られている。主祭壇の前には3つのアーチがあって奥行きを感じさせる。

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旧市街の観光はこのくらいにしてホテルへ戻る。相棒が奥方から頼まれたものを買うためにリナシェンテを探したいというので、南北に走る大通り、カブール通りを歩く。この通りの両サイドはファッション関係の店が多い。途中、今回の旅で初めてジェラートを食べた。

◆食べる
ホテルで一休み後、夕食に出かける。何を食べようかいろいろ考えたものの海の町なのでシーフードにしようと決め、ホテルのスタッフに教えてもらった店《al Pescatore》はカステッロの近くで気になっていたところだった。
南イタリア特有のオープンエアのトラットリア、夕方明るいときに見たときは外にテーブルがある程度にしか見えなかったが夜は雰囲気がいい。また風が心地良い。流行っている店なのか、お仕着せのワインを勝手に開けてもってきたり、待っている客を入れるためなのかやや急がされたような感じもしなくもない。

結局この日はホテルと旧市街を2往復したことになる。

◆見る(2日目)
半日、カステッラーナ・グロッテへ鍾乳洞を見に行く(詳しくは“(9/16)Castellana Grotte”旅行記で)。ただ、そのとき予定していた列車に乗り遅れ、1時間半の待ち時間を利用してバーリ駅の北側を散策した。ジュゼッペ通りを南へ、南へと行ったが名前は忘れたけれどジュゼッペ通りを交差する通りで朝市が開かれていた。魚屋、果物、野菜、肉、日用品など。

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ムール貝がネット入りで売られている、シャコもある。

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カジキマグロが生きているかのような形でディスプレイされている。

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ここで買ったアンチョビ(瓶詰め)はすこぶる美味だった。とにかく洞窟見学を控え荷物にはしたくないので一番小さいのにしたがあんなに美味しいのが分かっていたならまたあとで買いに行けば良かったと思うほどだ。
別のお店では何かポリ袋に入れて売っている果物、『何だろう?』と立ち止まるとお店の人がサボテンの皮を剥いていて、「ほれっ!」とナイフの先に載せて一つづつくれた。すっごく甘い。“セ・ボン?”と訊かれ、うなずくと周りから“セ・ボン!”、“セ・ボン!”の合唱が(ちょっとオーバー?)。

9:52発の列車に乗るため駅へ戻り、カステッラーナ・グロッテへ向かう。
(詳しくは”(9/16)Castellana Grotte“旅行記で)

バーリ着14:49、一旦ホテルへ戻る。10分もかからないので便利だ。

◆買う
旅も終わりに近づきそろそろお土産というか、ワインやその他食料品を調達しなければならない。
ホテルで一休みしてから、前の日に気になっていた洒落たワインの店を探す。カイロニ通りのその名も“Cantina Cairoli”。中に入るとビジネススーツを着込んだセクレタリーのような女性がいる。店内は天井が高く、ウィンドゥ以外の壁は白っぽく明るくて肝心のワインも整然と陳列されていて酒屋というよりはワインのブティックという感じだ。
『美味しい地ワインを』というといろいろ相談に乗ってくれ土産用2本、寝酒用1本買う。相棒はグラッパやマスカット味、レモン味のオリーブオイルを買う。帰国後の話ではレモン味のオリーブオイルはドレッシングとして美味しくて重宝したとのことで買わなかったのは残念!
この店でかいわいの食料品店を尋ねたらすぐ先とのこと。同じブロックの角だ。

外から店内を覗くとまぁまぁいろいろなものがありそうだったので“ボナ・セーラ”と中に入る。お土産用に小瓶(250ml)のオリーブ・オイルを買おうと探すが見当たらずあきらめる。パルミジャーノ・レジャーノを買うことにした。別にバーリ特産品ではないが、最終日のローマで買う時間があるかわからないからだ。大体1キロくらい欲しいがお店の人に塊を指さし量ってもらうと1キロ弱、相棒もほぼ同じくらいのものを買う。このままでは重くて荷物になるので一旦ホテルへ戻る。

◆食べる(2日目)
この日も夕食のリストランテ探しに出かける。カステッロから海岸通りに出る。ほどなくオステリア《Osteria al Gambero》発見!名前の通りここもシーフードの店だ。まだ準備中だったが、中に入ってお店の人に何時からか尋ねると7時からとのこと。一旦出たけれど『夕べのところと食べ比べるのもいいか』と相棒と意見が一致したのですぐ戻って『7時から7時半で』と予約する。

この店で何が印象的だったかというと、前菜が9品もあったこと、日本人だと分かって生もの盛合せを食べるか訊いてきたこと(もちろん注文した)、そして勘定書きの数字がまったく判読できないことだった。生もの盛合せは要するに刺身盛合せだ。カキ(5個)、ウニ(4個)、ムール貝(7個)、そしてイカ。レモンを絞って食べる。しょうゆとわさびが欲しいところだ。

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2人で90ユーロとプーリアとマテーラの旅で一番高かったのはこの盛合せのせいかもしれない。ここの海の幸のスパゲッティはゆで加減良く美味しかった。
9時半過ぎに店をあとにしたが金曜の夜の割にはすいていたようで1/3くらいの空席があった。

◆朝の散歩
プーリア最後の1日となった。6時に目覚めたので朝食前に魚市場を見に6時半すぎ出かける。カヴール通りから旧市街に入ったすぐ右手の建物だと思って入ってみたら中では魚屋と八百屋が準備中。ここではないなぁ、ということで海岸通りLungomare)に出ると右端に“Mercato Pesce”の看板が見えたのでその方向へ行ってみる。

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ずっと先の方で何か作業中。漁師なのか魚屋なのか分からないが、イカ、タコ、ムール貝の下処理中だ。そこのお兄ちゃん2人と話す。『日本にもイカがあるのか?』、あまりにも小さなイカだったので『あるけど、もうちょっと大きいね。しょうゆで食べるけど』、『それはレモンの類か?それともオイルの一種か?』。しょうゆについては全く理解してもらえなかったようだ。

海からホテルに戻らずそのまま駅へ行き、午後のローマ行きの乗車券を買おうとしたが満席。午前中の8時台、9時台の列車は乗換えが多くて時間がかかる。午後の次の列車は15:59発のIC(Inter City)でローマ着22:02だ。
ひとまず考えることにしてホテルへ戻り朝食後フロントで教えてもらった駅裏手のプルマン営業所へ向かう。プルマンだとローマまで5時間半かかるが、時刻表に13時発があったので予約窓口の女性に「13時発に乗りたい」というと“Oggi, e pieno”(今日は満員よ)。こっちも満席。その次は16時、しかもローマの到着ターミナルはティブリアーナ(予約しているホテルはテルミニ駅近く)なのでやむなく列車にする。その足でバーリ駅に行く。自販機でペスカーラ経由もチェック、11:04発は空いていたものの途中ペスカーラで乗換え、17:56ローマ着ということもわかったが、乗換え時間が短いこともあって結局15:59発の乗車券を購入。

これで帰りの足は確保できたし、有意義に時間を使うことができる。

今回の旅ではマテーラで博物館に行ったものの美術館には行っていなかったので海岸通りに近くにある県立絵画館Pinacoteca Provinciale)に行くことにしてまた歩く。

途中、ホテル備え付けの市内観光ガイドブックに出ていた食料品店を見つけたのでちょっと覗いてみる。若いお兄さんがいろいろ説明してくれ、相談にのってくれる。ここで買うことを決めたが荷物になりそうなので『絵画館の後にまた来るから』と言ってとりあえず出る。

海岸通りに面した絵画館の入口は10時近くだというのにしっかりと閉まっている。一度はあきらめたが海岸通りから建物の北の通りに回ってみると守衛さんがいたので絵画館に入れるか尋ねてみた。左に曲がったところのエレベーターで4階に上がるように教えてくれた。
4階の受付で、『右から入ってぐるっと回り最後に左の《ナポリ銀行収蔵品展》を見るよう』にいわれる(入場料 1人2.58ユーロ)。
教会の祭壇画、彫刻などの他16〜17世紀の宗教画が多い。他にはいつごろのものか不明だが男女の盛装の展示や当時の生活をあらわしているミニチュア(これも制作時期は古そうだ)があった。絵ではヴェネツィア派のティントレットの大きな作品がある。

終わりの方には静物画や、19世紀の印象派時代の作品も展示されている。

約30分で芸術鑑賞終了、さきほどの食料品店へ行く。看板には“SALIMERIA”とある。もとはハム・ソーセージなどの肉加工品が中心だったのかもしれない。ここではオリーブオイルと衝動買いでオリーブの実を量り売りで買ってしまった。相棒はワインなどいろいろと買っていた。

ホテルに戻って荷物をパッキングし、スーツケースなど預けてチェックアウト。

昼食をどこにするか迷う。バーリ市内のミシュラン3本フォークの店にするか、《南イタリア屈指の洗練レストラン》と紹介されているモーラ・ディ・バーリの店にするか。
バーリから列車に20分乗らなければならないがプーリア&マテーラの旅のフィナーレを飾ることにして行動派の我々としてはモーラ・ディ・バーリへいくことを決断する。
(詳しくは“(9/17)Mola di Bari”旅行記で)

◆ローマへ
モーラ・ディ・バーリでの優雅な食事を終え、バーリへ戻りホテルへ荷物を取りに行く。ローマまでの列車は15:59発のIC、少し早めにホテルを出る。
8番線にすでに列車は入線、3号車に乗り込む。指定席にはすでに若いバックパッカーの男2人がトランプに興じていたが、乗車券を見せるとすぐに席を立ってくれた(コンパートメント6名のうちもう1名も途中でやはり指定券がなく席を立つ)。
ローマまで6時間余り、ちょうど半分くらい経ったころに前日買っておいたワインを飲み始める。ブティックのようなワインの店で『ティピカルなプーリアのワインを』と言ったら最初に出てきたのがこれ、(Don Marcello 2003, Torre Qvarto 5.5ユーロ)。
初めはピリッとして渋みを感じたがそのうちまろやかになる。値段の割に美味しいワイン。

『これを輸入して日本のお店で出せば4〜5千円はとれるか』などと談笑する。

ローマまであと1時間半くらいのところで雨と雷、定刻より15分ほど遅れ雨のテルミニ駅到着。プーリア&マテーラの旅を終える。あとはローマで1泊だ。

◆泊まる
ホテル Hotel Victor Bari(★★★), Via Nicolai, 69/71, Twin 116ユーロ

Venere.comで予約、2泊 する。4つ星に近い3つ星か。
イタリアらしくなく大きな目立つ看板のあるアメリカンスタイルのホテル。
玄関を入ってすぐのところに浮いている島のように真ん丸いカウンターのフロントがある。部屋を替えてもらったり、リストランテを教えてもらったり、その他の対応は良い。朝食は今一つ。

◆食べる
●リストランテ
お店の名前 Al Pescatore, Piazza Federico ? di Svevia 6
食べたもの 前菜盛合せ(5皿)タコの煮物、タコのマリネ、イカのマリネ
ムール貝、ポテトとムール貝(13ユーロ×2)。セコンドはスカンピのグリル、魚介類のミックス・グリルと海の幸づくしにする(あわせて26ユーロ)。魚介類のグリルは小さいがエビ、タコ、イカ、魚と盛り沢山。コペルト(2.6×2)、水、デザート1品、ワイン2本。合計 2人で77ユーロ。
ワイン   LAROCCA (プーリアの地ワイン、白、お店のオーナー爺さんが席へ着くと抜栓したものをすぐに勝手に持ってきた)
GRAVINA 2004, Botromano (赤を頼もうと一言いっただけで出されたハウスワイン、プーリアの地ワイン) ワイン2本で何と15.7ユーロ

お店の名前 Osteria al Gambero, Corso Antonio de Tullio, 8
食べたもの 本文の他、セコンドはスカンピのグリル2人前(大1、中7)、前日のAl Pescatoreよりも大きいが味は前日の方が良かったか。

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食後酒(グラッパ、レモンチェッロ)、このとき厚めのクッキーが5個付く。
2人でチップ込み 90ユーロ(勘定書きは手書きで判読不能、計83.14ユーロに端数を加え切り上げていた)
ワイン   BAROCCO Martina 2004, Locorotonpo (白)

◆買う
オリーブオイル 500ml 11.2ユーロ (バーリ産、DECARIO社)
バーリで2軒の食料品店に行ったが小さな(250ml)瓶のものはなかった、やむを得ず2軒目の店ですすめられたのを買う。甘い青りんごのような味わい。
お店 Bozzi dei F.lli De Bartolo, Via G.Bozzi, 53 (www.salumeriabozzi.com)

パルミジャーノ・レジャーノ 900g 14.4ユーロ
お店 Salumeria de Carne Francesco, Via Calefati, 128

ワイン Donna Lisa Rosso, Salice Salentino Riserva 24ユーロ
IL FALCONI, Castel del Monte Riserva 2000 8.6 ユーロ
お店 Cantina Cairoli, Via Cairoli 81

Matera(マテーラ) 2005/9/14

 

 

◆マテーラは洞窟住居の世界遺産の町。

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この町の名前を知ったのは陣内秀信さんの『南イタリアへ!』だ。

この本を買ったのはシチリア行きを漠然と計画しているころ。当時の印象としては住民が立ち退かされた何やら廃墟のようなところ、といったものだったが、自分の頭の中では今回の南イタリアの旅では絶対にはずせないところに変わっていた。

大きな岩山のてっぺんにある十字架、これを見下ろすようにはるかに上にあって対峙しているドゥオモ。イタリアとは思えないモノクロの世界。そして3次元のだまし絵と思わせる町。これがこの町を訪れた後の率直な印象だ。

◆行く
前泊地のアルベロベッロからマテーラまでは直線距離では意外に近い。アルベロベッロのヨーコさんの話では車で1時間くらいとのことなのでツアーでは大体この2ヵ所をセットで観光するようだ。しかし、路線バスはないのでいつものように列車の旅だ。
アルベロベッロをFSE(私鉄Sud-Est線)8時28分の急行(diretto)に乗りバーリ経由FAL(私鉄Appulo-Lucane線)で向かうことにした。

定刻通りだとバーリに9時36分に着くので9時46分発のマテーラ行きにギリギリ乗れるかなと思っていたが、1つ手前の駅で停車してなかなか動かず結局間に合わず、気持ちよく?あきらめることができた。
次の列車は10時53分、1時間も待たなければいけないのでバスで行くことも考え駅前のバスターミナルで訊くとマテーラ行きのバスは駅の向こうで色はブルーだ教えてくれた。そこまで行っても待たずに乗れるかわからずないし面倒なので予定通りFALに決め切符を買う(1人4ユーロ、アルベロベッロからバーリまでも1人4ユーロ)。

FALの駅はバーリ中央駅から出て左手の建物で駅舎というより事務所ビルのような感じだ。これまた切符売場が最初わからず右往左往する。ホームは駅の2階の屋上にあり、折り返し方式でコの字型になっている。このホーム上の先頭車両が着くすぐ近くのベンチでしばし待つ。

列車は意外に早く入線した。前の方の車両に向かう人が多いので途中で切り離されるのかと不安に思い、一旦車両に上がってしまったものの慌てて降りて駅員に訊くと“Pol・・・・”、“???”、『あの女の子の後に続け!』とのこと。

その時、最初に乗った車両に行先表示板がかけられたところ、危ないところだった。前の車両に乗り込むが、あれだけ早くから待っていたのにモタモタしていたので日が当たる方の2人掛けの席しか空いていない。陽射しが強くて暑い。車窓風景は荒涼たるトスカーナという感じだ。

ほぼ定刻(12時18分)にトンネルのようなマテーラ中央駅地下ホームに着く。駅前は広々しているが時間のせいなのか人出は少ないし車もさほどでもなくどちらかといえば閑散していた。
とりあえずホテルへチェックインし荷物を置きたいところだが、予約していたホテルはサッシ・カヴェオーゾの中。手にしていたインターネットで取り出した簡単な地図ではわかるとは思えず、インフォメーションに行くことにした。看板は2方向出ていてどっちにしようか迷ったが結局は同じところ。

このインフォメーションで地図と一緒に貰ったガイドブックは今までのどの町でも貰ったことのない立派なもの、それも2種類だ。貰った地図を見ながら向かうがヴィットリオ・ヴェネト広場で間違えてローマ通りに入ってしまうなど暑い中思った以上に時間がかかる。
いよいよサッシ・カヴェオーゾの中の通りへ。右手前方の岩山の上には例の十字架(「サンタ・マリア・デ・イドリス教会」)が見える。

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ゴロゴロと転がすスーツケースがところどころ滑らずサッシの中の通りでは持ち上げなければならない。持ち上げてはは転がし、転がしては持ち上げる。

音を立てて転がしている時、突然人が現れてきて止められた。ちょうど通りに面した洞窟住居の中で映画なのか撮影をしていて、音が問題らしい。撮影が終わるまで待つわけにもいかないのでやむを得ず持ち上げて通してもらう。
そんなこんなでインフォメーションではホテルまで5分といわれたが結局30分近くかかってしまった。ホテルそのものがサッシの中にあるので着くまでに「サッシとはこういうものか」と目のあたりにする。周りを見渡すと今まで見たこともない、あり得ない光景だ。
◆見る
道中汗をかいたのでホテルで着替え、昼食をとるため田島さん(「南イタリアに行こう」の著者)ご推奨のL’osteriaを探しがてらはるか前方に見えるドゥオモ鐘楼を目指して歩き始める。
まっすぐ進むと右側にサン・ピエトロ・カヴェオーソ教会がある。その前に駐車場のような展望台ベル・シトがある。ここから眼下に見えるカヴェオーソ渓谷とその川原は荒涼たる風景だ。

渓谷を見下ろし、ドゥオモを見上げる比較的大きな道路を北の方へ歩く。我々が泊まったホテルのように洞窟住居がホテルになっていたり、食堂になっていたりするが大半は無人のサッソで中に入れないよう入口には大きな錠前で鍵がかかっている。
地図の上ではドゥオモへ抜ける小道はありそうだが、高低さもあって実際に行けるかどうかわからないがとにかく進む。L’osteriaはドゥオモの近くのようで住所も本に出ていたのだが、いくらインフォメーションで貰った地図でもサッシの中の通りの名前は出ていないのでとりあえずドゥオモを目指す。

はるか前方、上の方に見えたドゥオモがかなり近づいたところで左の小道を登り始める。結果オーライでドゥオモ横の広場に出た。広場にはクレーン車が停まっていて何か工事中のようだ。
ドゥオモ内部を見るのは後回しにして近くの小道を行ったり来たりするが目指すL’osteriaは見つからない。お腹も相当すいてきたのであきらめドゥオモへの参道のような通りを下ると視界が開けるような広場に出た(あとでわかったがここはサン・フランチェスコ・ダッシジ教会前の広場)。
広場の入口近くにバールがあり、外には珍しく人だかりがしているがどうやら観光客のようだ。そこでこのバールをパスし広場を出て右に曲がってみる。もうこのあたりはサッシ地区ではないようだ。通りに面した建物も全く普通の建物だ。少し歩いたところで目についたリストランテに入る。

もうお昼時は外れているものの小さな店内はほぼ満席だ。壁をみると映画のスチール写真らしきものが何枚か飾られている。相棒がいうにはメル・ギブソンの《パッション》だそうだ。《パッション》はキリストの最後の12時間と復活が描かれ、この地マテーラで撮影されている。この店の人も何か協力をしたのかもしれない。

前菜、パスタ、地ワインの昼食をとって一息ついた。

ここから一旦ホテルへ戻ることにし、サッシ方向という標識にしたがったところ、ドゥオモを山頂とするとふもとを逆周りで歩いてしまう。

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探し回っていたL’osteriaがサッシの路地にあった。しかし休みだったのであれ以上探し回らなくて良かった。

そのうち雨が降ってくる。

ホテルで一休み。少しまどろんでから雨の中をサッシ観光へ出かける。まず洞窟住居、カーサ・グロッタに入る(1人1.5ユーロ)。伝統的な家具の置かれた昔の住居だ。昔の、といっても1956年まで農民が住んでいたところ。

内部にいたスタッフから“ジャパニーズ?”と訊かれ「そうだ」と答えると日本語の説明テープが始まった。

今や誰も住んでいないので壁の白さや意外な広さも感じるが実際に家族何人かと馬がいたことを考えると劣悪な環境だったことがわかる。何しろ一部屋がすべてなのだから。

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この後、岩の上の教会に行こうとして少し上り始めたところで雨が激しくなりあきらめてまたホテルへ戻る。

ホテルはゆったりとしたスペース。することもなくベッドに横になっているうちに眠る。寒くなって毛布を取り出し本格的に眠ってしまう。
その間、雷鳴と雨音が激しい。
目が覚め、ダイニング・ルームの窓から外を覗くと例の岩山の十字架のあたりにも稲妻が光り、何かおどろおどろしい光景だ。
しかし、まさにマテーラでしか見られない景色だと思うと泊まった甲斐もあったというものだ。

20時をすぎ、しばらく様子を見ていると小降りになったので夕食に出かける。

雷雨のせいで急に冷え込んできたので半袖シャツの上にカステッラーナ・グロッテ観光のために持ってきたウィンドブレーカーを着込む。

「駱駝」の創刊号で紹介されていたリストランテにする。駅からホテルへ向かう途中偶然見つけていたので場所はわかっていた。店はすぐそこだ。予約はしていなかったが、幸いなことに入口近く右手の席に案内される。
中二階のような席もあるようだったがほとんど満席で我々のテーブルと隣の死角のようなところにあるテーブルがあいているだけ。そこもそのうち30前後の若い男性2人で埋まる。仕事の話だろうか一生懸命話し込んでいる。見渡したところ雰囲気的にも観光客はいないようだ。

ビジネスマンのようにピシッとスーツを着込んだオーナーが注文を取りにくる。前菜盛り合せ、プリモは小海老とフンギのトゥロフィ(と書かれていたような気がする、ショートパスタ)、セコンドにはスズキのアクア・パッツア、ミックス・サラダ、を選ぶがワインだけはオーナーに相談し、この地方のワインを選んでもらった。
前菜盛り合せはここでも次から次へと出てくる。「駱駝」で写真入りで紹介されていたカプンティのエジプト豆ペースト和えも5皿のうちの1皿。
オーナーの仕草がちょっと気取っている。雰囲気といい味といい、また機会があったら訪れたい良いリストランテだった。

◆朝のマテーラ
目が覚めて窓を開けると空が明るく白みはじめている。窓から洞窟教会の姿が徐々に見えてくるが幻想的というよりは映画の場面に出てくるようなおどろおどろしさ。

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朝の散歩に出かける。夕べの激しい雨のせいか、すがすがしい。

サン・ピエトロ・カヴェオーソ教会前のベル・シトからカヴェオーソ渓谷を望み、引き返して昨晩のリストランテを通りすぎるとそこは、サン・フランチェスコ・ダッシジ教会。何とその裏は昨日ドゥオモから下りて来た広場。ドゥオモまでも近い。

景色を見る限りは随分遠くに感じるが目の錯覚か。3次元のだまし絵のような町だ。

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近くのプルガトリオ教会を皮切りにサン・ジョヴァンニ・バティスタ教会、サン・ロッコ教会のファサードだけ駆け足で見る。

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ついでに朝市を覗いてみた。店の数は多くはないが一応のものは揃っているようだ。

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ホテルに戻るのにサン・フランチェスコ・ダッシジ教会裏の広場の右側降り口から行ってみたら驚くほどホテルは近かった。

ホテルでの朝食後、午前中の時間を何回も外から見ていた洞窟教会やドゥオモの見学にあてることにした。
まず、洞窟教会、サンタ・マリア・デ・イドリス教会へ行く。時間が早くてまだ開いていなかったが、そのうち一人の男性が鍵を持って現れる。入場料がいるらしい。サッシの幾つかの場所を見る数で金額が決まっているようだ。3ヵ所用1人5ユーロのものを買う。これでドゥオモも見られるかというとドゥオモは無料だという。指定された3ヵ所は教会というよりは博物館だとのことで納得。
ここは大きな岩の中をくり抜いて教会にしている。壁には少し色あせたフレスコ画がある。
この教会を出て、次はサンタ・ルチア・アッレ・マルヴェ教会へ。ここでは別の係員が英語で説明してくれる。3廊式というのか3つの部屋になっている。ビザンチン様式のフレスコ画。
最後の1ヵ所はコンヴィチニオ・ディ・サンタニオ。何ヵ所も入口がある。ここは洞窟をさらに奥まで何本も掘っていてすごく広い。奥の方はロープが張られていて進めないようになっている。
壁にはフレスコ画も数々描かれていた。ここには修行僧が大勢いたのだろう。

◆ドゥオモを見る
初めてドゥオモに行った前日とは違ってホテルからの道のりは短くて本当に近い。
ドゥオモの中は3廊式だが残念なことに側廊は修復中だ。白い壁に金の縁取りが豪華な印象を与える。ファサード裏側祭壇には《キリストを膝にかかえた聖母マリア》の大きな画。左右の祭壇の下に部分にはキリスト生誕の場面が描かれている。後陣天井画はだまし絵のフレスコ画。

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ファサードのバラ窓は中から見るととてもきれいだ。

ドゥオモ通りを下りサン・フランチェスコ・ダッシジ教会へ。教会の左側にバジリカータ特産店が開いていたので立ち寄る。スペースの小さな店でお店の人は男性1人だけ。いろいろ特産品を説明してくれ、インターネット画面でホームページを見せてくれる。日本語ページもあるとのことだったがそのパソコンでは日本語変換ができず見ることはできなかった。ここでお土産として食後酒とオリーブオイルを買う。
サン・フランチェスコ・ダッシジ教会のファサードはバロック様式。中に入ってみると内部はスタッコ装飾だ。

次に国立ドメニコ・リドーラ博物館に向かったが間違えて、美術館(入場料1人2ユーロ)に入ってしまう。どちらもイタリア語での名前が“Museo Nazionale ”から始まるからだ。美術館では17世紀のキリスト教絵画、彫刻、法服が展示されている。1階に降りて学芸員に案内されたのは近代画だったので遠慮しつつパスして、本来のMuseoへ行く。
この博物館はマテーラ出身のドメニコ・リドーラ医師が個人としてマテーラ中で収集した石器時代から4世紀くらいまでのいろいろなものが展示されている。中でも黒地に茶色やクリーム色などくっきりとしかもきれいな絵が描かれた壷が沢山あったのが印象的だ。この時期にはさすがに訪れている人は少なく一層館内は広く感じられる。

これでマテーラでの観光はお終い、ホテルに戻ってスーツケースを受け取り見つけておいたリストランテで昼食。
14:18発の列車で旅の最終目的地バーリへ向かう。

◆泊まる
ホテル La Casa Di Lucio (★★★★) ,Via S.Pietro Caveoso 66, Twin 120ユーロ
(www.lacasadilucio.com)
「駱駝」で紹介されていて、世界遺産サッシのホテルというのが良さそうだったのでホームページからメールで予約。
14号室となってはいるが、1DKの独立した家。コテージというわけではなくサッシ長屋の1軒といった趣。ベッドルームは天井に大きな羽根のシーリング・ファン、アジアンテイストのモダンなインテリアで外観からはとても想像もつかない。
フロントは別の棟。朝食を取ったところは同じ並びの2軒ほど離れた部屋。よくありがちなブッフェスタイルではなく決まりきったものがサーヴされる。ややボリュームが少ない。
キッチンの窓から見えた別の建物に職人が入り工事中だったがオーナーがいろいろ細かい点を指示していていずれ1室(軒)増えることになりそうだ。
ロケーションといいゆったりとした広さといいなかなか良いホテルでまたマテーラに行くことがあれば是非泊まりたいお勧めのホテル。

 

◆食べる
●リストランテ
お店の名前 Ristorante Il Cantuccio, Via Delle Beccherie, 33
食べたもの 前菜盛合せ(4皿)カポナータ、生ハムとモッツァレラ、ズッキーニのマリネ、オリーブ2種類(8ユーロ)
カヴァッテリ(のような形のショートパスタ)軽くバジルとトマト・ソース、
餃子かわんたんの親分みたいなニョッキ、ゴルゴンゾーラのソースでポルチーニ味
(プリモ2品で14.5ユーロ)
ワイン Achelandro 2003(Fantana Rossa)バジリカータの地ワインでサンジョヴェーゼとモンテプルチアーノのブレンド、何と8ユーロ、値段の割に美味い
コペルト、水、コーヒー 2人で計37ユーロ

お店の名前 Ristorante Rivelli, Via Casalnuovo 27
(www.ristoranterivelli.com)
食べたもの 前菜盛合せ(5皿)ペペロンチーノをカラッと揚げたもの、ポテトをペペロンチーノで調理したもの、カプンティ(舟形のショートパスタ)のエジプト豆ペースト和え、豆腐のようなチーズ(モッツァレラではない)、あと1品(5皿で何と9ユーロ)
プリモ トゥロフィの小海老・フンギのソース(8.4ユーロ) これは美味しい。この日までの今回の旅でのプリモでは一番か。
セコンド スズキのアクアパッツァ(10ユーロ)
ミックス・サラダ
デザート(チョコレートケーキ、レモンケーキ) いずれもしつこくない味。
エスプレッソ(0.8ユーロ)とグラッパ(3ユーロ)
ワイン Carato Venusio Aglianico con vulture 2001 (Venosa)  20ユーロ

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(翌日、特産品店で14.8ユーロで売っていた)
2人で計58ユーロ

お店の名前 Il Terrazzino sui Sassi, Vico San Giuseppe, 7
食べたもの 前菜盛合せ(生ハム2種類とサラミ、5ユーロ)、プリモはトマトソース味のオレキエッテのグラタン(6ユーロ)、セコンドはスカンピのグリル(冷凍もの、4尾、8ユーロ)、ミックス・サラダ(3ユーロ)、ハウスワイン(5ユーロ)、コーヒー、水、コペルト込み、2人で計34.5ユーロ

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「歩き方」に「バリサーノ地区の見晴らしがいい」と出ていたので昼食で訪れる。
外のテーブルにしたので確かに景色はいいが風が強かったのが難点。料理はまぁまぁ。オレキエッテのグラタンが美味しかった。
時間がない人にはパノラマを楽しむことができるかもしれない。

◆買う
Sambuco (Parco Nazionale del Pollino) 食後酒 50ml 7.5ユーロ
オリーブオイル 250ml 4,5ユーロ
このあとバーリでお土産用にこの大きさのオリーブオイルを探したが、イタリアの家庭用に小さすぎるのか見つけることができなかったので1本だけでも買えたのは正解。
お店 Paloi food&beverage, Uffici in vico ? Cappuccini,1/A
(www.paolifood.it)

ワイン Covo dei Briganli, AGLIANICO DEL VULTURE 2000 24.6ユーロ

 

◆読む
・南イタリアへ!―地中海都市と文化の旅
陣内 秀信
4061494465

著者はイタリア建築・都市史の専門家。副題に《地中海都市と文化の旅》とあり、ナポリ、レッチェ、マテーラ、パレルモなど14の町の歴史や町並み、建造物、市民生活が紹介されている。観光ガイドブックとは違った町の魅力を伝えていて、南イタリアへ行く気を起こさせた1冊。

・『駱駝』創刊号 (小学館 880円)
2005年6月10日発行、《南イタリア縦断大特集 食遺産・名画遺産の旅》にひかれて購入。今回のレッチェ〜アルベロベッロ〜マテーラ〜バーリの旅の準備中タイミング良く出たので随分参考にした。ホテル、リストランテ選びに活用。

Alberobello(アルベロベッロ) 2005/9/13〜14

◆まるでお伽の国
あのとんがり帽子の、そしてきのこのような、まるでお伽の国のようなトゥルッリ。プーリアの旅を計画したときからこの世界遺産の町を訪れることを決めて日程を決めた。
レッチェからアルベロベッロに向かう。途中マルティーナ・フランカで下車、遊ぶ(詳しくは「マルティーナ・フランカ旅行記(9/13)Martina Franca」にて)。
マルティーナ・フランカ発13時03分の列車に乗り、わずか7分でアルベロベッロ到着。

ちっちゃな駅だ。駅前にはタクシー乗場もバス停もない。予約していたホテルは「歩き方」の地図でみるとかなり遠そうだ。

マルティーナ・フランカでお昼にありつけなかったのでまずリストランテを探してランチを取ってからタクシーかバスに乗ることにしてマッツィーニ通りを市街地の方に歩く。

◆創作イタリアン
1つ目の信号を渡ってほどなく左手に“ロカンダ・何たらかんたら”という看板を見つける。看板にはトラットリア・バールとあったのでさっそく左折してその店に行くとご主人が出てきて話しかけてくる。

我々がスーツケースを持っているのでロカンダ(旅籠)の泊り客だと思ったようだ。トラットリアはあいているかと尋ねると建物の右手にある外階段から下へ回ってくれとのこと。

スーツケースを持ちながら階段を下り地下1階へ行くと中は感じのいいゆったりとしたリストランテ。時間帯が外れていることもあって客は2組しかいない。途中で地元とおぼしき老若男女11名が入ってきた。何かのお祝いの集まりのようでにぎやかだ。

メニューを見て何にしようかと考えるが、ちょっと普通のリストランテではない感じがする。最近創作和食というジャンルの店が増えているが、たとえていえば創作イタリアンか。
前菜には「梨のカルパッチョ」、「パッションフルーツ味ソースの小さな海老」。プリモは「小さなロブスターのタリアテッレ」、「海の幸のニョッキ」、ワインはボトルで赤を頼む。食後にはジェラートとカプチーノで締め3時に店を出る。

タクシーを呼んでもらうことも考え、お店のご主人にホテルの名前を告げ遠いかどうか訊くと歩いて5分くらいだと言われ、またスーツケースを引っ張って歩く。

ポポロ広場まではすぐだったが次に向かう方向がまったくわからない。ポポロ広場にはインフォメーションがあったが閉まっていて教えてもらうこともできない。

大きな通りの向こう側斜面にトゥルッリの屋根が見渡せたのでそっちの方向だと当りをつけ、その大きな通りを渡って小径を上る。上り始めたところでトゥルッリの前に座っていた年輩の女性に尋ねるとこの道でいいとのこと、そのうち左手に公園のような空き地がありそこで少し広い通り(via Cadore)に出たので左折、ほどなくサン・タントニオ教会に出る。予約していた5つ星ホテルはその少し先なのだ。

結局15分ほどかかった。サン・タントニオ教会を下りて行くとアルベロベッロ観光の中心の通り、モンテ・サンミケーレ通りに出ることがあとでわかったが、階段状になっていたのと観光客が多くてとてもスーツケーツを持っては上がってこれないので我々の歩いたコースが正解だったことを知る。

◆5つ星にしてはさえない
5つ星にしてはさえない小さなドアを開けて入るとフロントがある。ロビーなどはパンフレットを置いてある程度のスペース。部屋(12号棟)の鍵を受け取り庭を抜けて案内してもらう。庭を抜け何棟かを通り過ぎてさきほどのサン・タントニオ教会の裏手に12号棟があった。2棟続いたコテージ方式になっている。
ドアを開けるとリビング・ルーム(というよりはダイニング・ルームか、大きなテーブルがあって地図やガイドブックなどをひろげるには良かったが)、その左の突き当たりがバス・ルーム、その左にベッド・ルーム。内装は質素、天井や壁は真っ白、床は茶色のタイル。本物のトゥルッリかもしれないがハード、ソフトとも5つ星を感じさせるものは何もなくがっかりだ。

◆マリアおばさん
一休みして世界遺産のリオーネ・モンティ地区のトゥルッリ群を見に行く。サン・タントニオ教会はトゥルッリを模した建物だが比較的新しく町の雰囲気に合わせて建てられたもののようだ。ここを右折し、通りを下りて行く。さすがに観光客が多い。

突然、背中の後ろから『コンニチワ!』と声がかかる。『こんにちは』と返事をして振り向くと、日本大好き、日本人大好きのマリアおばさん。今年は日本に3回も行ったそう。アルベロベッロと合掌造りの白川村が姉妹都市になりそのために1回、愛知万博の多分出展の関係だと思うが1回、そのあと8月に東京へ行き、8月31日(この2週間ほど前)に帰ってきたとのことだった。
このマリアおばさん、田島麻美さんの「南イタリアに行こう」にも登場している。また、先日放送されたNHKの《探検ロマン世界遺産 〜とんがり屋根の不思議な街〜 アルベロベッロ》では屋根から水を貯める仕組みを説明していた。

マリアおばさんの家は「手縫い刺繍」の店。買う気はなかったが『入って、入って』というのでお邪魔する。雑誌「LEON」を開き、『この○○さんは私の友達』とかいいながら今度は次から次へと別の本を見せようとする。お礼を言って出ようとすると今度は『美味しいお茶があるから飲んで行って』。こちらは観光をする身、あまり時間をつぶせないので『時間があったらまた寄るから』と言って失礼する。

南イタリアに行こう
田島 麻美
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◆ヨーコさん
少し下ったところのお店の入り口に日本人女性がたたたずんでいる。テレビ(ぽかぽか地球家族)で紹介されたヨーコさんだと相棒が言ったので『ヨーコさんですか?』と声を掛けると『そうです。どうぞ、中に入って屋根の上にあがりませんか?』と誘われてご好意に甘えて屋上に上がる。

一面、という言い方はおかしいかもしれないが、トゥルッリの屋根、やね、ヤネ・・・・・・。幕張出身でもうアルベロベッロに来られて14年、ここのご主人と結婚されているとのこと。

短時間だったが、いろいろなことを教えてもらう。アルベロベッロからマテーラへの行き方、美味しいジェラテリア、リストランテを教えてもらう。我々が昼食を取ったところは地元ではおすすめだとのこと、我々も結構いい嗅覚を持っているんだなぁと内心嬉しくなる。
ヨーコさんのお店には若い日本の女性、Webで輸入雑貨&ビーズアクセサリーのお店を開いているMicheyさんに出会う。ホームステイしながらいろいろと勉強しているようだ。ヨーコさん、Micheyさんのお二人から名刺をもらってヨーコさんの店をあとにした。

◆まるで成田山の参道
この通りは、アルベロベッロ観光のメインだが、相棒いわく成田山の参道みたいだとのこと。

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売っているものこそ漬物や饅頭などはないが、通りに面した世界遺産の建物はほとんどが土産物屋。その間に、トラットリアや部屋数の少ないアルベルゴ(ホテル)が埋もれている。我が同胞の観光客も多いとみえ、日本語で呼び込みをはかっている。俗化していて、メルヘンの世界がぶちこわされる。

ポポロ広場の左側にヨーコさんから教えてもらったイタリア一美味しいというジェラテリアを見つけたが残念ながら休暇中。

ポポロ広場へ戻り、今度はヴィットリオ・エマヌエーレ大通りをどんどん進み正面に見えたサンティ・メディチ・コズマ・エ・ダミアーノの聖所記念堂へ行く。

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さらにその先にあるトゥルッロ・ソヴラーノに入る。今回のプーリアの旅で初めて入場料を払う(1人1.5ユーロ)。この建物は珍しい2階建てのトゥルッロだ。裕福な人の家だったらしい。ここにはイタリア人の5〜6人のグループがいたが、説明をしていてそれに質問しているのか、何か行き違いがあって口論をしているのか、うるさくてうるさくてたまらず早々に退散した。

ここを出てからは特にこれといった見所もないのでいろいろな道を試してホテルに戻る。

再び出かけ、例の参道を下りるとまた背後から『コンニチワ!』、『お茶に寄ってて』。『時間がないので』と言うと『あとで是非寄って!』という感じ。断るのも一苦労だ。下ると今度はまたヨーコさんに出会う。リストランテをもう1軒、1本南側の通りの店(Casa Nova)を教えてもらった。

どんどん下りマルテッロッタ大通りを越えアイア・ピッコラ地区へ足を踏み入れてみた。リオーネ・モンティ地区とは雰囲気ががらっと一変する。もちろん地形的に斜面でないこともあるがトゥルッリが立ち並んでいるものの観光客がいないこともあって普通の住宅地そのものだ。あまりうろうろするのも申し訳ないので戻ることにした。そのとき雨がパラパラ降ってきたのでホテルへいったん帰る。

ホテルでは翌日の出発時刻の検討をする。そのためにフロントで列車の時刻を教えてもらおうとしたが、何時に乗るのかと訊かれ、それがわかれば尋ねる必要もないのだが、8時というと表を見て口頭で8時台は何分だと答えが返ってくるのでいらいらする。何回か繰り返してこちらからその表のコピーをもらえないか頼んでようやくコピーを手に入れる。全く5つ星とは思えない対応だ。

◆結局ランチを取った店へ
20時をまわったところで夕食に出かける。

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ヨーコさん推薦のCasa Novaに決め出かけたもののやっていないようだ。ヨーコさんからは両方の通りに面して2つ入り口があると聞いていたので反対側にも回ってみたがどうやら休みのようであきらめ、結局ランチを取った店へ行くことにする。少ない日程の旅行ではいいと思ったリストランテはほかに当てがなければ再度行くのが鉄則だ。ポポロ広場に看板が出ていてその方向へ行くとすぐだった。

2度目だと店の雰囲気も分かっている。ヨーコさんは他の旅行者にも教えたから日本人がいるかも知れない、と言っていたが結局は我々だけ。
ここでは是非前菜盛合わせを頼んでみて、といわれていたのでそれを頼んだが、一言でいうと前菜の嵐。何と次から次に10皿も出てくる(1人前7.5ユーロ)。サーモン、パッションフルーツ味ソースの小海老(昼と同じ)、カニかま、ゆでた小さなタコ(味があまりしない)、ビーフの煮込み、ビーフカレー?(カレー味はないがライスにかける)、馬肉?のカルパッチョ、チーズやレバーのフリット(大皿)、サラミとチーズ(モッツァレラかも知れないがもっとやわらかい豆腐みたいなチーズ)、ロブスター(ナスとポテトの3段重ね)。
プリモはチコリのトマトソースのオレキエッテ(4.5ユーロ)1品にする。ソースの味が薄かったが前の晩もトマトソースだった我々にとっては食べやすかった。
セコンドはメニューには魚料理がなかったがカメリエーラに相談し前菜からそれぞれ選ぶ。ムール貝の煮込み。ソースが美味しくこれをさらうようにパンがついていたがお腹がきつくなるといけないので少しだけにする。もう1品はロブスターのグリル。形は小さい、これを半身に切り、ハーブで味付け。かなり塩辛い小さないかが添えられたもの。あわせて13.5ユーロ。

ワインは地域別にワインリストが作られていて沢山あったので選ぶのに困ったが、プーリアの、ということでターラントのもの(Patrula Tenuta Zicari, 18ユーロ)を選ぶ。このワインは20度が最適温度ということで7分待ってくれということで儀式が始まる。さっきまでのカメリエーレがソムリエになりワインクーラーに差し込んだ温度計を一生懸命にらめっこしている。イタリアで何十回もワインを飲んでいるがこんなのは初めてだ。おかげで濃厚な味わいを堪能できた。
食後に相棒はグラッパ、私はカフェにし、約2時間の食事を楽しんだ。

外に出ると相変わらず雨。

ホテルに戻ると玄関のドアに鍵がかかっているのでチャイムを鳴らしてフロントのおじさんに出てきてもらう。

◆朝のトゥルッリ
夕べの雨も上がっていたので朝の散歩で人気のないトゥルッリ群を歩く。気持ちがいい。朝焼けの中、例の参道、モンテ・サンミケーレ通りを下る。呼込みもなくて落ち着いた気分だ。アルベルベッロにはツアーで立ち寄るのが一般的のようだけれど、朝日の中をとんがり帽子の景色をゆったりと楽しめるのは泊まった者だけが体験できるメリットだ。

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適当に切り上げモンテ・サンミケーレ通りを戻ると、どこから見ていたのか、この日もさっそくマリアおばさんから声がかかる。多少予想していたとは言えまだ朝の7時頃なのでちょっとビックリ。
『カフェが美味しいから寄っていきなさいよ』とまた誘われるが『これから朝食なので』
とやんわりとお断りすると『じゃあそのあといらっしゃいよ』と再度のお誘い。『8時28分の列車に乗るので』と答えると、『駅まで車で送って行くから』と食い下がられたが何とか振り切ってホテルに戻る。

朝食後、モンテ・サンミケーレ通りを避けて前の日最初に通った道を下りておよそ15分で駅に着く。
バーリ行の列車(ディーゼル)はわずか1両、車内はバーリへ向かう学生でほぼ満員だ。定刻に発車、アルベロベッロの旅を終え、バーリ経由マテーラへと向かう。

◆食べる
●リストランテ
お店の名前 La Locanda di Don Antonio, Via Giove. 8
食べたもの 昼食 本文の通り チップ込み 2人で44ユーロ
夕食 本文の通り チップ込み 2人で63ユーロ
1日で2度行ったのは海外旅行経験でも初めてだったが、それに値するリストランテ。

◆泊まる
●Hotel Dei Trulli (★★★★★) ,Via Cadore 32, Twin 22,200円、アップルでネット予約
本文の通りとても5つ星とは思えないホテル。

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南イタリアのホテル代はそう高くないのでここの22,200円というのは決して安いわけではない。特に朝食は最悪。宿泊客が少なかったのか我々が早すぎたのか散歩を終え7時15分頃だったが、朝食は7時からということだったのに準備されていない(テーブルセッティングも食べるものも)。あわてて用意されたビッフェスタイルの料理も今ひとつではなく今ふたつ。ここに比べると2001年夏、泊まったタオルミーナのサン・ドメニコホテルは正真正銘の5つ星だと思う。

◆買う
●ヨーコさんのお店 Via Monte San Michele, 43
プーリア州の民芸品、オカリナ、テーブルクロス、パスタ、最高級オリーブオイル、珍しいワイン、トゥルッロのミニチュア等がお勧め(ヨーコさんのお店のカードから)。

Martina Franca(マルティーナ フランカ) 2005/9/13

◆行く
今回のプーリアの旅ではこの町を訪れる予定はまったくなかった。
2泊したレッチェの次の宿泊地はアルベロベッロ、FSのES(ユーロ・スター)でレッチェからバーリまで約2時間、バーリから私鉄Sud-Est線で1時間40分、接続に時間を考えると4時間かかるが最初はそのつもりだった。ところが、レッチェから私鉄Sud-Est線に乗りマルティーナ・フランカで乗り換えれば2時間半前後で行けることが日本出発直前に分かりとりあえずインターネットで時刻表を調べてプリントし持って行った。

レッチェ2日目にガッリーポリへ行ったときにその日からいわば秋の時刻表に変わったのを知り、駅で手書きで写し取る。
レッチェからFSでバーリとの中間にあるオストゥーニに寄ってアルベロベッロに行くというアイデアも浮上したもののオストゥーニからアルベロベッロへの交通の便がホテルで訊いてもわからず、しかもローマからレッチェへ向かう車窓から見えたオストゥーニははるか山の上(イタリアの町にはありがちだが)だったこともあり断念し、マルティーナ・フランカ経由を選択した。

時刻表をよく見るとマルティーナ・フランカからアルベロベッロまではすぐで15分くらいしかかからないが接続がまったく悪い。レッチェを12時47分の列車に乗れば待ち時間は7分でこれが乗換えにはスムーズだが行動するには中途半端な時間だ。その前は7時59分、待ち時間は何と1時間半以上。

それならば待ち時間を利用してマルティーナ・フランカをちょこっとでも観光しお昼を食べてアルベロベッロへ行こうと相棒と意見が一致した。

レッチェの5つ星ホテルをチェックアウトし、到着した日に部屋まで案内してくれたラガッツオ(ボーイ)が玄関前にいたので挨拶して駅へ向かう。

定刻の7時59分発車、前日のガッリポーリ行きとはうってかわって車内はすいている。列車(ディーゼル車)はぶどう畑の中を行く。横に広がったぶどう棚の畑がほとんどだがたまに縦型のぶどうの畝も見える。

オリーブの木はバーリからレッチェに向かう車窓からも見えたが幹がねじたれたような太い大きな老木が目につく。そうこうしているうちに例のとんがり帽子のトゥルッリが点在しているのが見えてくる。トゥルッリといえばアルベロベッロと思い込んでいたのでこれは意外だった。

マルティーナ・フランカ駅、定刻の9時51分到着。トイレに行こうとすると駅の外から来たおじいちゃんが人なつこそうに何か話しかけてくるがとりあえず無視。駅の外に出てみると市内バスが停まっていて(ここにさっきのおじいちゃんがいるが)運転手に確かめると町の中心近くまで行くことが分かり料金は1人1ユーロとのこと、スーツケースを持って乗り込もうとするとくだんのおじいちゃん、『車なら5ユーロで行くよ。どう?』。おじいちゃんは白タクのアルバイトでした。バスの運転手も顔見知りのようで特に文句も言わないという感じだ。

スーツケース2個も込みで5ユーロだということを再確認し白タクに乗り込みチェントロ・ストリコへ。初めは大きな道を登っていったがそのうち細いくねくねした道に入ったと思ったらちょっとした広場に出る。

『ここがチェントロ・ストリコだ』と言って車を止める。サン・マルティーノ聖堂前の広場(ピアッツァ・M・イマッコラータ)だ。おじいちゃん運転手は『駅までの帰りに乗りたいなら電話をして欲しい』と言って初めに名前と携帯の番号をメモしてくれ、『携帯に出ない時は家にいるから』と家の電話番号も書き込んでくれた。『アルベロベッロまでは幾らで行ってくれますか?』と尋ねると20ユーロだとのこと、これはひょっとしたら使うかなぁと思い、別れる。

◆見る
サン・マルティーノ聖堂はちょっと奥まったところに位置しており手前の広場からファサードを見た時、バロック装飾の見事さに思わず息を飲む。聖堂の方に近づくと階段が数段ある。それを上るとまた聖堂の前にもう一つ広場(ピアッツァ・プレビシート)がある。

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左側には時計塔。手前の広場の周りにはリストランテ、バールはじめ幾つかの店があるものの時間が10時ということもあってスーツケースを預かってくれるようなところもなく聖堂に入るには邪魔なので交替で見ることとした。
正面ファサードはこの地方特有のバロック彫刻の華麗さであるのに対し、内部は荘厳さを感じさせる。天井などはきわめてシンプルだがさすがに周りはバロック的だ。主祭壇には左右2本づつ茶色っぽい大理石の柱があり立派でサン・ピエトロ寺院の主祭壇を思い出してしまった。

この聖堂を出ると相棒が「歩き方」の中から次のスポット(モトレーゼの館)を決めていたようでそれに従うが、詳しい地図を持っていないこと、そして細く曲がりくねってしかも平坦ではない小径をガラガラとスーツケースを持って歩くのはしんどい。そうこうしているうちに突き当たった道に教会がありそれがサン・ドメニコ教会(ファサードは修復工事中)だということが分かったものの方向感が分からず目的のモトレーゼの館はみつからない。
通りをふと見渡すとミシュランに載っていたリストランテの名前が書いてある看板に気づく。それが通りすぎたばかりのホテル(Villagio In)と同名だったことを知り、そんないいリストランテがあるなら昼食を予約してスーツケースを預かってもらうつもりで逆戻り。ホテルのフロントにいた女性にお願いしたところ、リストランテは定休日だけれどスーツケースは預かってくれるとのこと。ご好意に甘えることにする。

身軽になってサン・ドメニコ教会まで戻りプリンチペ・ウンベルト通りを下ってカルミネ教会へ向かう。この通りはカルミネ門まで続いている。カルミネ門を出ると大きな道路、ベッリーニ通りに突き当たるがこれを左に曲がると右手の小さな公園のすぐ向こうにカルミネ教会が見えた。ファサードは白い大理石が少し黄ばんでさびれたような感じだ。しかし、内部はそれに反して明るくてきれいだ。教会を出て手前の公園で一休み。町自体が高台にあるので見晴らしはいい。

市内の地図をまだ手に入れていないので「歩き方」の地図にしたがってベッリーニ通りを戻って町の中心部にあるドゥカーレ宮殿に向かったものの道がわからなくなり、歩き回っているうちにいつの間にか広場に出た。ベンチに座っているおじさんに『ここはどこですか?』と尋ねるとローマ広場だと教えてくれる。まさに目指していたところ、広場に面している建物がドゥカーレ宮殿だった。ここに観光案内所があったので地図をもらい、アルベッロ行きのバス停と時刻を教えてもらう。また、念のため駅までの道も教えてもらった。

ドゥカーレ宮殿は案内所でもらったきれいなパンフレットによると1688年ペトラコネ5世によって建てられ政治的にも経済面でも芸術の分野でも名声を博した大変贅沢なデザインの建物だ。

今は市庁舎として使われているようだが、2階はSala Dell’ Arcadia という美術館になっている。2階へ上る階段はシンプルだが、ゆったりとしている。美術館といっても当時のそのままの部屋が何部屋か公開されているようだ。調度品が置かれていたり主の肖像画が壁に掛けられている。そして壁一面にはギリシャ神話なのか聖書からなのか素晴らしい絵が描かれている。公開されている部分はそう広くはないようだがが小さいながらも往時をしのばせる美術館だ。

昼までもう少し時間があるのでカヴール通りのバロック建築を見ることにしてローマ広場から一番初めのサン・マルティーノ聖堂に戻るためにヴィットリオ・エマヌエール通りを進んだがあっけないほどすぐ近く。旧市街は狭いのだ。途中見つけたリストランテ、トラットリアはまだ開いていない。聖堂前の広場に面したお店も依然として閉まっている。
カヴール通りを下り始めるが通りは非常に狭い。極端にいえば建物が両側からおおいかぶさってくるような感じだが、通りに面した建物は見事にバロック様式で装飾されている。

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案内書でもらった地図にはファネッリ、マリ、カサノヴァ、マッジの館が表示されている。その中で一番下にあるマッジの館前の小さな広場でUターンしサン・マルティーノ聖堂まで戻って広場を抜け最初に見落としたモトレーゼの館を再び探す。

サン・ドメニコ教会のすぐ近くだった。ここも当然バロック建築だ。そのあとサン・ドメニコ教会の前に出たら背中の後ろから地元の住人だろう、『この教会は見たかい?』と声がかかる。

マルティーナ・フランカで昼食をとろうと思い、道々チェックしてみたもののほとんど閉まっていた。1軒だけ準備中みたいだったので覗いて訊いてみると1時間ほど待たなければならないようで結局あきらめる。
スーツケースを預かってもらっているところがサン・ドメニコ教会のすぐ近くなのでお礼を言って引き取り、FSの駅まで歩いて向かう。ところが行きがタクシーだったので幾ら地図の上で道を教えてもらったにしても、途中で通りの名前が変わってしまったこともあって全くどこにいるのか分からず迷子状態になってしまう。

通りがかった品のいい老婦人に尋ねると、すぐ次を右折し、また次を右折するよう教えてくれた。これはこれで合っていたがどんどん行ってもどうも自信がもてない。今度は通りに面したブティックに入り、お店の人に尋ねるとまっすぐでいいとのこと、先へ進む。ところがまっすぐの道が行き止まりになっている。
下の方に駅らしきものが見えたがどうやって下りたらいいかわからない。前方にはこの町にしては大きなマンションが立ちはだかっている。スーツケースさえなければ身軽に動けるのだがしようがない。このマンションをぐるっと迂回してみたらようやく下の通りに下りることができた。
何とか13時03分発の列車に間に合う。この列車は2階建ての展望車だった。アルベロベッロまではわずかなので展望を楽しむ余裕はあまりない。アルベロベッロには13時20分到着。

Gallipoli(ガッリーポリ)2005/9/12

◆行く
レッチェに2泊した真中の日、ずっとレッチェにいるのも飽きるかなぁと思って最初の予定ではアッピア街道の終点、ブリンデッシにでも行こうかと考えていた。

ところがローマからレッチェに向かう6時間半のES(ユーロ・スター)の車中、暇つぶしにガイドブックほか持参した本、雑誌の付録など読んでいるうちに、レッチェの近くに生ウニを食べられる町があることを知った。それがガッリーポリだ。
ただ、ガッリーポリを紹介していた本にはレッチェからの距離が40Kmとあったものの鉄道での所要時間が書かれていない。

この日の朝、まだイタリアに着いてから2泊目ということもあって早く起きたので、相棒はバス停留所へ、私は駅に時刻表を調べに行くことにする。
駅へ向かう途中、ホテルから数分のところにインフォメーション発見!まだ開いていないが表に時刻表が貼り出されていたので早速メモする。これで役割を果たしたのでホテルへ戻っても良かったが、駅までの道のり、所要時間を確かめるため駅へ向かう(前の日、駅からホテルまではタクシーに乗り、このタクシーが旧市街に入らず大きく迂回したから駅までの通り道がわからなかったのだ)。

地図で小さな路地を確認しながら左へ、右へ、曲がってそして右道なりに行くと駅からの大きな通りに出た。ホテルから駅まで15分少々。駅の中で到着・出発の表示板と掲示されている時刻表を照らし合わせ再度確認してホテルまで戻る。
駅よりも近いはずのバス停に行った相棒がなかなか戻ってこない。地図上のバス停がなかったことと、帰りに旧市街特有のくねくね道で迷ったようだ。

結局バス停は駅の近くらしい(確かに駅前にバス停はあったが、市内バスだとばかり思っていた)が列車の時刻もわかったので9時02分のガッリーポリ行きに乗ることにし、朝食後駅へ向かった。

切符売場でメモを見せるがFSE(私鉄、Sud-Est線)の売場は別のところだと言われる。地下道をくぐってFSEのホームへ行ってみたものの見当たらない。ちょうど停車していた列車に運転士がいたので乗り込み尋ねると、今度は駅の向こうを右に曲がったところだと言われる。そこも違う。もう一度最初の売場で訊くと1番ホームを右に曲がったところだと言われ、ホームをどんどん行くと一番先にFSEの緑の看板があった。
メモを出したらそこに「9:43 No.6」と書かれたので、「9:02」と書き直して見せると、時刻表が変わったとのこと、あとで夏休みのヴァカンスシーズンが終わり今日(9月12日、月曜日)から変わったことを知る。掲示されていた時刻表は運悪く前日までのものだった。こういうトラブル遭遇は個人旅行につきもの。
次の列車まで駅の近くをぶらぶらする。といっても何があるというわけでもなくそれほど時間をつぶせない。早めにホームに行って列車を待つが、単線のため遅れて入線し約20分遅れで発車。車内は大変な混雑だ。満員のため立っている人も沢山いる。途中の駅(ゾッリーノ)で大半の人が降りた。11時ガッリーポリ到着(列車は1両になっていた)。

駅を出て広場を突っ切りまっすぐ行くと大きな通りにぶつかったので右に曲がる。

 

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この町についてはガイドブックに出ていないので地図を持たない我々にとっては、田島麻美さんが書いた『南イタリアに行こう』]がガイドブック代わり。それによるとこの大きな通りがローマ通り。小さな町にしては道幅が広く、通りに面した建物も新しいものもあって開放感がある。
町の構造として駅からしばらくは新市街、橋(ポンテ・チッタ・ヴェッキア)を渡った向こうの島が旧市街ということらしいのでシチリアのシラクーザみたいなイメージを持っていたが新市街はそれほど大きくなくすぐ橋に着いてしまった。橋の向こうに昔のお城があうる。要塞としての役割を持っていたようだ。

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右手はもう海だ。この海はアドリア海ではなくイオニア海、ガッリーポリは、かかとでもちょっと土ふまず側に入ったところにあるということがわかる。

この橋を渡ると旧市街。入ってすぐローマ通りは突き当たってしまい左右の道路に分かれる。

旧市街に入るために左に曲がったが、その直前の食堂(としかいいようがない)の前で座っていた男性からランチのチラシを受け取ったがお昼には時間も早いし、田島さんの本に出ていた生ウニの食べられる店が頭の中にあったのでそのまま進む。
左に曲がってすぐ左手にメルカートの建物があったが中には土産物屋が数軒。そのすぐ先の狭い路地に入る。目当ての生ウニの店は魚市場の近くと思い込み魚市場を探す。

両側には間口の狭いお店が続いているが、魚市場を見つける前にVecchia Osteria発見。店の前にはテーブルが一つ、何かわびしそうでイメージしていた魚市場前のシー・フードの店とはかなり違う。通りから中を見ると、11時半前なのでいわば準備中みたい。
とりあえず路地をさらに進むとどうやら左の建物がドゥオモのようだ。左折すると正面ファサード前に出た。狭い路地からファサードを見上げると一面バロック様式の彫刻がものすごい。

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中は3廊式で左右各7本の柱で分かれている。周囲はフレスコ画で一杯だ。
途中の観光案内所でもらった地図では他にも見所はあるようだったがあまり考えずにドゥオモの前の通りから右折し、旧市街の本当に細い道を歩いているうちにどこにいるのか分からなくなってしまい、小さな広場で地図を広げ確かめる。1本路地を勘違いしていたようだ。

現在地を確認したので今度は海の方に出てみる。途中、民宿なのか地元の人の家なのか、海水パンツ、水着が干してあるのを見てここが庶民の海水浴場だということを知らされた。

海側に出てみると眼下に浜辺が見える。ちょうど小さな湾になっていてまるでプールのようなおだやかな海水浴場だ。月曜だというのに楽しんでいる人が多い。

050912_1147~01 この海はイオニア海だ。おだやかな水平線が見える。早朝のレッチェでは気温が低くひんやりとし、もやがかかっていたがここでは時間も時間だけあって暑く空には久しぶりの入道雲を見た。

 

 

 

 

 

 

時間も12時近くなったので件の店へ向かう。途中、通りに椅子を出して座っていたおじいちゃんに背後から英語で『ガッリーポリは好きかね?』と声をかけられたので『イエース』と答える。

そのすぐ先がチェック済みのVecchia Osteriaだ。店の中を覗くとまだ誰も客はいなかったがお店の人(若い男性)がいてもうオープンしているようなことを言うので中へ入ろうとしたら『外のテーブルで』とのこと。

入口の前にあったテーブルかと思ったら、店からほんのちょっと離れている向い側の角(メルカートの建物からこの通りに曲がったところ)に案内される。行きにそこにお店(テーブル)があるのには気がついていたがまさかそこが目指す店だとは思ってもいなかった。
まずメニューを見せてもらう。ウニは前菜の中で一番下にあったが値段が書かれていなかったのにすぐ上に書かれていた魚介類の盛合わせ(15ユーロ)と同じだろうと思い込み、また個数も知らずに注文する。他には、前菜盛合わせ(12ユーロ)、海の幸(Frutti di mare)のスパゲッティ(8ユーロ)、海の幸のオレッキエッテ (8ユーロ)、ハウスワイン(白、1リットル)。
前菜盛合わせは今回の旅ではどこでもそうだったが一皿に盛り合わせているのではなく何皿かのつまみが出てくる。前菜の金額にもよるが一番多かったのは10皿、ここでは4皿だった。いわしのマリネ、小ぶりなムール貝の焼き物にピッツァ風トマトソースのナスが添えられたもの、ムール貝のリゾット、タコの煮物。どれも美味しくて昼間にもかかわらずワインの進むこと。
これを平らげたところにお待ちかね、生ウニ登場。日本のウニより小さめ。

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上の部分1/3くらいをスパッと切り取った形のものが何と22個。中の余計なものはきれいに取ってくれたのだろうか、上からみると真中から★のように5本の筋のウニ、これをスプーンですくって食べる。甘くて本当に美味しい。わざわざ来た甲斐があったというものだ。

あとでお勘定してもらったらこの生ウニはわずか10ユーロ。これにはびっくりした。2皿頼んでも金額的にも量的にも良かったかもしれない。

普通パスタはソースで選ぶものだと思っていたらこの店では全部Frutta di mare だった。そこでパスタを選ぶことになったのだが定番のスパッゲティとプーリア地方独特のオレッキエッテにしたが同じ具でもパスタの食感の違いを楽しむことができ、また両方とも美味い。

裏の海を見ながらの食事で最高のランチとなった。お勘定を頼むと食後のコーヒーはどうかと聞かれたが、13時29分の列車に乗りたかったので遠慮する。

食べ終わったあとは行きに来た道をそのまま戻り13時29分の列車に乗る。車内の高校生が通学の帰りで騒ぎまくっている。うるさいと思う反面どこの国でもこの年代の少年たちは同じだなぁとほほえましくも思う。
途中で乗換えとなり予定より少し遅れ、14時45分レッチェ到着で「生ウニ・グルメの半日の旅」を終えた。

◆食べる
●リストランテ
お店の名前 Vecchia Osteria, Via Antonetta de Pace, 15
食べたもの 本文の通り、水、コペルト込みで50ユーロ(計52ユーロのところ端数をサービスしてくれた)、チップ4ユーロ。

[b]◆読む[/b]
本の名前 『南イタリアに行こう』田島麻美著(双葉社 1700円)』
イタリア在住の著者が南イタリア各地をドライブした時のエッセイ、訪問都市情報が満載されていて随分参考になった(一部間違いもあるようだけれど)。
たまたま今回の旅の直前にこの著者が『ミラノから行く北イタリアの街』という新刊書を出したのを書店店頭で手にし、南イタリア編が既刊であることを知って探し回り出発6日前に新宿のJUNKUDOで見つけ購入。

Lecce(レッチェ) 2005/9/11~13

 

◆長靴の踵から
イタリア半島は長靴。そのかかとにあるのがレッチェ、このレッチェもマテーラ同様に陣内秀信さんの『南イタリアへ!―地中海都市と文化の旅』で知る。《びっくり箱のバロック迷路》と紹介されている町だ。
今回のプーリア&マテーラの旅のプランニングでは、州都バーリから入ってマテーラ、アルベロベッロを見てからレッチェに行くか、その反対にレッチェをスタートとしてバーリで締めくくるか考えた。日本からの往復はローマなので、まず初めに一番遠くまで行きだんだん戻ってくるイメージのルートを選び、レッチェを起点とすることにした。

◆ローマからレッチェへ
前日夕方ローマに着く。レッチェまでは鉄道に決めていたのでホテルはテルミニ駅からすぐのところを予約していた。チェックイン後、夕食のために外出した際テルミニ駅の自販機で7時38分発ES(ユーロスター)のチケットを購入(1人39ユーロ)。

7時27分テルミニ駅のホームに着くとすでにESは5番線に入線していた。予約していた指定席の車両は先頭の9号車、車内は結構混んでいる。
ローマを出て30分~1時間経ったあたりに右側に島や山が見えた他は平地。ぶどう畑とオリーブの木々ばかりだ。
カゼルタでは列車が駅に着く直前に世界遺産の王宮が見えた。
フォッジアでスィッチバック式というのか列車の進行方向が反対になり我々の乗っていた車両は最後尾になってしまう。
フォッジアを過ぎてからは心なしかぶどう畑よりもオリーブの木が優勢。ところどころにかぼちゃのような色をしたラグビーボールのような形の植物が見える。相棒と「何だろう」と考えたがわからない。
最終訪問地のバーリは停車している時に車窓から見た感じでは駅周辺には大きな建物が多くそれなりの大都会のようだ。
バーリを過ぎしばらくすると右手に白いウェディングケーキといわれるオストゥーニの町がはるか向こうの丘の上に見える。こんなに駅から遠くてはアルベロベッロに行く途中FSでオストゥーニまで来ても町まで行くなんていうのは無理のようだ。
この付近には古い大きなオリーブの木が目立つ。樹齢は一体何年くらいなのだろう。

そうこうしているうちに定刻より4分ほど早く14時05分にレッチェ到着。初め混んでいたが終点レッチェまで乗っていた客はわずかだった。

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◆駅から旧市街を抜けて
駅から旧市街のホテルは歩いて歩けないこともなさそうな距離のようだが、「歩き方」の地図しかなく詳しくは分からないのと予約していたホテルが5つ星だったのでタクシーに乗る。

ところが駅を出てからまっすぐ行かず右折して地図の上のホテルからはどんどん離れていく。年輩の運転手だったが一瞬遠回りしているのかと思う。途中で『フランス語を話せるのか?ドイツ語はどうだ?』と訳の分からない質問。

ホテルはサンタ・クローチェ聖堂のまん前、ただ正面エントランスとの間にある左右の建物が修復工事中のためか南側からエントランスに横付けされる。横付けするということは雲助タクシーではないようだが、料金を尋ねるとパッとメーターを戻して答えてきた。『高い!』というと『日曜だから』といいながら『13ユーロでいい』とメーター料金と荷物料金の端数を切り捨てた金額だったので払って降りる。確かに旧市街を最短距離で行くのは無理だとは思うが新市街の方へかなり遠回りしたようだ(ひょっとしたら日曜は旧市街に乗り入れできなかったのかもしれないが)。

◆困難な交渉に勝った
ホテルにチェックインしボーイに案内されて部屋に入る。窓を開けるとそこは何も見えない。このホテルの売りは《サンタ・クローチェ聖堂》が目の前に見える、とりわけライトアップされた夜景だ。それがまったく見えないなんて!
そこで部屋を代えて欲しいというと、ボーイはフロントへ電話。何やらしゃべった後に『代わってください』と受話器を渡される。フロントの担当者、さっき鍵を渡してくれた人だが、彼は『部屋がないので無理だ』というので『まだ2時半、空いているはず』と主張。『聖堂が見える部屋には限りがあり、皆さん予約時に指定しているが、貴方は?』と問われる。

何しろ電話で、英語で交渉、勝ち目はない。『ジュニア・スイート・ルームなら空いている、差額を払うならば』といわれ、穴倉のような部屋よりは多少高くともやむを得ない、その提案に乗ることにした。

また下のフロントまで戻り、顔を出したところ、『何とかやりくりがついたのでツインで聖堂が見える部屋を用意できる』とのこと、厳しい交渉に勝った!!
部屋は301号室、サンタ・クローチェ聖堂を真正面に見る絶好の部屋だ。この部屋はテラスに面していて、そのテラスの南側部分にはカフェがある。さっそく広いテラスに出てサンタ・クローチェ聖堂を写真に撮る。

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◆遅いランチ
テラスからの聖堂もそこそこに街に出かける。ホテルを出て南側には広場(ピアッツァ・サントロンツォ)があり、その真ん中ではサン・トロンツォの聖像が円柱の上に高々とそびえて人々を見下ろしている。

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ゆったりとした広場だ。とりあえずここは見るだけにして広場から南の通り(ヴィットリオ・エマヌエーレ通り)へ進みドゥオモを目指す。細い通りの正面にはサン・ティレーネ教会が見えた。ファサードは見るからにバロック様式そのもの。

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通りはこの教会のところから道なり左に曲がっている。

教会の横、通りの反対側に大きなパラソルがいくつも開いたオープンカフェがあり食事もできそうだったので遅いランチにする。それぞれ1品に赤ワインをグラスで1杯、レッチェからの旅のスタートを祝って乾杯と洒落込む。このカフェの一角にあるリストランテ入口の壁には「野外映画会」のポスターが貼られていた。今や日本ではもうはやらないと思うが、昔、こどもの頃の夏に近所で行われていたことをフッと思い出した。

◆市内観光へ
腹ごしらえをすませ、ヴィットリオ・エマヌエーレ通りを進むと左手にドゥオモ広場がある。ただこの広場は四方に開けた形ではなく左の鐘楼、正面のドゥオモ、右の神学校で三方を囲まれたいわばドゥオモ前の閉ざされた空間だ。だからこの時間この場所にいる人は観光目的の人だけなのだろう、そう多くはない。落ち着いた雰囲気だ。

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とりあえずドゥオモ広場はこのくらいにしてヴィットリオ・エマヌエーレ通りからジュゼッペ・リベルティーニ通りへと名前が変わった通りを進むとすぐ左にサン・テレザ教会の前に出た。ここも当然ながらバロック様式だが残念ながら下の方は足場が組まれ修復工事中。

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この通りをさらに進むとルディアエ門だ。その手前には右にサン・タンナ教会、さらに門の近く、左にはロザリオ教会と次から次へとバロックの建物が現れる。サン・タンナ教会のファサードは1階部分の正面扉両側の柱が力強さを感じさせる。ファサードは動物、天使、聖人やら数々の彫刻で装飾されている。

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ルディアエ門を出ると大きな道路が通っていてごく普通に車が走っている。この門は旧市街の南の端っこにあたる。ここから引き返し、またドゥオモ広場へ。今度は正面のドゥオモに入る。中は暗い。入って左側に主祭壇があるがまわりは修復工事中のようだ。
ひととおり内部をみた後の出口は広場とは反対側の細い路地で最初は方向感がわからない。元の通りに戻ろうと何回か左や右に曲がって行くうちローマ劇場を示す看板があったので行ってみる。扉が閉まっていて中に入ることはできないがフェンスごしに眺めるが割と小さな劇場のようだ。

路地をさらに歩くとサンタ・キアラ教会のところに出る。

◆サンタ・キアラ教会へ
サンタ・キアラ教会を見るのは後回しにして左に曲がって進むとすぐ右手の一角が旧市街の商店街。その商店街が取り囲んでいるのがピアッツァ・サントロンツォなのだがそれはあとで気づいたこと。広場に円形闘技場が埋め込まれているようにあるのには驚いた。遺跡が人々の生活のなかにあるとは!

ピアッツァ・サントロンツォから北に進み比較的大きな7月25日通りを渡ると右手にはカステッロ・ディ・カルロⅤ(カルロ5世の城)がある。この城は四角い形をしていてかなり大きなものだ。この城の北側ではイタリアの地方都市特有の日曜市が開かれていた。衣料品、靴、その他いろいろな店が数多く続いている。

この場所は最初に行ったルディアエ門のちょうど反対側に位置していて、ここも旧市街の外れということになるのでとりあえず戻っていよいよホテル前のサンタ・クローチェ聖堂に入る。
3廊式で左右各8本の柱で仕切られている。天井は金の縁で装飾された木がはめ込まれていてものすごく豪華だ。
とはいえ、ここはやはり《サンタ・クローチェ聖堂》といえばバロック様式の豪華な彫刻装飾のファサードに尽きるだろう。

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サンタ・クローチェ聖堂を出ると目の前の修復中の建物の奥がホテル、これでローマを朝発ってからの長い一日の観光を終えホテルに戻る。

◆ホテル内で食事
泊まった5つ星ホテルには”ATENZA”といういいリストランテがある。2泊のうち1回はここで夕食をとろうと決めていて、当初は2日目にするつもりだったが少し疲れたので外に出る気がおこらず、ホテル内で食事をすることにした。

リストランテはロビーの左手の入口から入る。入口の近く、というよりはロビーにメニューが掲げられている。

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天井が高くシックな感じだ。テーブルの数は8~10(仕切りがあるため全体を見渡すことはできない)。中央にサーヴするための水とワインを置くテーブルがある。高級リストランテだけあってこの席数にもかかわらずカメリエーレが2人もいる。客は年輩の夫婦ばかり5組で、男二人の自分たちはちょっと肩身が狭いといったところか。

前菜としてカプレーゼ、プリモとしてオレキエッティノを注文し、セコンドは私は魚料理、相棒は肉料理を頼む。ワインはプーリアの地ワインをリクエストし、カメリエーレに選んでもらう。
注文の時に『パン、・・・オリーブ・・・』と訊かれたのですっかり「パンにつけるオリーブオイルを用意するか」と思い込み、『持ってきて欲しい』と伝えると話がかみ合わない。『ロビーの奥にあるバールから持ってくるけどそれでもいいか』という。「???」。
ようやく分かったことは『オリーブ入りのパンを食べるか?』ということだった。この辺りではオリーブ入りのパンが名物だということを思い出す。

それぞれに出てきたカプレーゼはバジルの代わりにジェノヴァ・ペースト。モッツァレラの本場ということで注文したが、固めの豆腐という食感だ。トマトは輪切り、種類は分からない。
プリモのオレキエッティノ(小さめのオレキエッテ)は肉団子入りトマトソースで肉団子はオレキエッテに納まるような直径1cmぐらいの大きさ、ドライトマトと種類不明の千切りのチーズがのっかっている。
カプレーゼもオレキエッティノも1人前づつしか頼んでいないはずだが、いずれも2皿づつ出てきてしかもそれぞれがかなりの量だ。オリーブの1件もあり、『言葉が通じなかったかなぁ』と心配になり、魚料理も肉料理もそれぞれ2人前出てきたらどうしようと思い、カメリエーレを呼び、魚料理のキャンセルを頼んだ。カメリエーレは一応厨房に行くが戻ってきて、『もう取り消せない』と言いにきたが、予想に反してセコンドは1品づつ。ホッとする。

魚料理のMignulata alla Gallipoliは、海老、あさり、ムール貝、烏賊、他の具沢山のスープ。Zuppa di Pesce の一種でこれがガッリーポリ風なのだろう。少しスープが塩辛いが美味い。多すぎて食べきれない。
相棒の食べたラムチョップは逆に少し薄味のようで塩をかけていた。

2時間かけた夕食だったがボリュームが多かったせいか二人でワイン1本を空けることができなかった。
翌朝ロビーにあるメニューで価格を見たところ、請求額からみて前菜もプリモも1人前だった。それを2つの皿に取り分けてくれていたようだ。そのボリュームと心配りに大感激!

満腹のお腹をかかえ部屋に戻りテレビをつけると日本の衆議院選挙(郵政解散)の結果が報道されていた。自民党の地すべり的勝利と伝えられるのを南イタリア、かかとの町で知る。

◆レッチェは真夏そのもの
朝から昼すぎまでガッリーポリへ生ウニを食べに半日の旅をする(詳しくは(9/12)Gallipoli 旅行記で)。

朝は気温が低く空気がひんやりしていたが15時少し前に戻ったレッチェは真夏そのもの。ホテルに戻ってシャワーを浴び昼(?)寝、気持ちよく寝てしまい気がつくと17時20分。あわてて起き散策に出かける。
ドゥオモの裏手の方にあるらしいバロックの建物パラッツオ・モスリコ、《外科医の家》を探し回るが結局分からずじまい。
路地を歩いているうちに昨日のサンタ・キアラ教会の横に出る。ファサードは当然ながらバロック様式だがシンプルで、聖人(聖女?)の彫像が1階部分に4体、2階部分に2体ありファサードを装飾している。中に入ってみる。天井は細長い八角形で黒く、彫刻がほどこされている。

この教会前の通り(フェデリコ・ダラコーナ通り)を右に進むとサン・マッテオ教会だ。この教会は対照的にバロックの権化みたいだ。

丸みを帯びた建物でファサードがカーブしている。しかも下部が凸面であるの対し上部は凹面というコントラスト。「バロック」の語源に「歪んだ」という意味があるらしいがまさにそのもの。天井は角は丸いものの四角形でサンタ・キアラ教会とは反対に白くてシンプルだが一転して下の方はすごい彫刻だ。特に主祭壇の彫刻がすごい。

その後、ピアッツァ・サントロンツォを抜け7月25日通りを渡って新市街へと足を伸ばす。新市街へ向かう途中から「何かあるのかなぁ」と思うほどどんどん人出が増えてきた。月曜日だというのにイタリアの町でよく目にする「そぞろ歩き」。夕方から夜の時間を楽しんでいるようだ。
そのうち夕暮れの遅いこの町も段々と暗くなってきた。新市街をUターンし、広々とした公園(giardini pubblici)の中を歩いて戻るうち政庁舎を通り抜けることになった。

政庁舎の門を出て建物外壁を見上げるとまばゆいばかりのライトアップ。息を飲む美しさで感動ものだった。『ここはどこだろう』とさらに進むと、何とそこはサンタ・クローチェ聖堂の正面ファサード。

政庁舎とサンタ・クローチェ聖堂は隣接していたのだ。あの素晴らしい彫刻で装飾されたファサードがさらにライトアップされるとその豪華さは倍加されるようで本当に素晴らしかった。

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さて、夕食。どこにするか、ホテルのフロントでおすすめのリストランテを教えてもらったが残念ながら休み、それから旧市街を行ったり来たりして、最終的にサン・マッテオ教会の先にあるトラットリア “NONNA TETTI” に行く。

1階の席はいくつか空いていたが2階へ案内される。2階の天井はヴォールト式になっていて雰囲気も良い。外国人観光客はいない、皆地元の人たちのようだ。カジュアルではあるが名物料理も食べることができ前日とは違った意味で良い店だった。唯一の失敗はワインを選ぶ時に地ワインの中から選んだのが前日と全く同じものだったこと、名前ではわからない、ボトルが出てきてラベルで気づく。

◆泊まる
ホテル Palace Hotel (★★★★★) Piazetta Ricardi 13,Twin 190ユーロ(1泊)
「歩き方」、「駱駝」で紹介されていて、旧市街、しかもサンタ・クローチェ聖堂の向かい側にあり5つ星ということもあって、どうしても泊まりたくて、イタリアのホテル予約サイト Venere.com で予約。
チェックイン時に「部屋を代えて欲しい」というリクエストにはハード・ネゴだったものの流石にきちんと対応してくれた。部屋(301号室)はそれほど広くはないが落ち着いた感じ。
フロントはじめ従業員はフレンドリーで感じが良い。またレッチェでは泊まりたいホテル。

◆食べる
■お店の名前 Ristorante ATENZA, Patria Palace Hotel , Piazzetta Riccardi
◎カプレーゼ(9ユーロ、2人でシェア)
◎オレキエッティノ(8.5ユーロ、2人でシェア)
◎魚料理、Mignulata alla Gallipoli(14.5ユーロ)
◎ラムチョップ(15.5ユーロ)
◎ワイン Cappello di PRETE 1999 (CANDIDO) SALENTO  プーリアの地ワイン(16ユーロ)
◎コペルト、水、コーヒー 2人で計73ユーロ、チップ5ユーロ

■Trattoria NONNA TETTI, Piazzetta Peginamaria17
◎前菜盛合せ(カリフラワーをパルミジャーノでまぶしカリッとやいたもの、カポナータ、など5皿、6ユーロ)、
◎チーズ盛合せ(4種類、蜂蜜とブルーベリーのジャム添え、5ユーロ)
◎カヴァテリ、生ハムとフンギ・ポルチーニのトマトソース(6ユーロ)
◎じゃがいものニョッキ、トマトソース(6ユーロ)
◎かじきまぐろのグリル、レモン添え(輪切りにしたもの2切れ、ハーブの入ったソースがかかっていて、そこにレモンを絞る、12ユーロ)
◎烏賊のフリット(魚介類のフリットを注文したのに烏賊ばかり、揚げ方が良く美味しいが何しろ量が多い、7ユーロ)
◎ワイン Cappello di PRETE 1999 (CANDIDO) SALENTO  プーリアの地ワイン(15ユーロ)
料理の量が多いのでワインより水がすすむ。水をもう少しとデザートを頼もうとしたが二人ともお腹一杯なので勘定してもらったがあまりの安さにびっくり。
水を含め2人で計58.5ユーロ