月別アーカイブ: 2014年7月

懐かしのペルージャ BottegaかOsteriaか

夕食後2階での用を済ませ下のリビングに戻ったちょうどその時、突然妻に『ペルージャよ!』と言われ、テレビの方を見ると確かにペルージャのチェントロが映し出されていた。

11月4日広場(Piazza ⅣNovembre)やそのシンボルでよく待ち合わせに使った大噴水(Fontana Maggiore)など懐かしい。

番組はBS日テレ《世界水紀行 イタリアの大河テヴェレ》だった。ペルージャにテヴェレ川は流れてはいなかったが流域の一部なのだろう。

画面はリストランテに変わる。店の名は《Bottega dei priori》とあった 。

『あー、あそこだ』

ペルージャ滞在中には何度も行った店だ。アペリテォーヴォにも夕食にも。おととし、去年とペルージャを訪れた際にも在住の人たちと行った店だ。

と思ったが翌日になって、自分が行っていた店は《Osteria a priori》だったのを思い出す。

 

たまたま録画していたのでもう一度見てみたが雰囲気は2階のテーブル席に似ている。でも確信が持てない。

自分が知っている店は1階がワイン売り場と奥にカジュアルな感じのテーブル席、2階が食事用のテーブル席になっていてまさに1階はbottegaなのだが。

 

ネットで検索して住所を調べると番地がちょっと違う。でもあの辺りには似たような名前の店が2軒あったとは思えない。移転をして名前を変えたのだろうか?それとももう1軒できたのだろうか?

 

今年も1泊だけだがペルージャに行くつもりなので確かめてこようと思う。

フィレンツェ  ドゥオモの謎

3年目に入った東京外国語大学のオープンアカデミー《映像と文章で学ぶイタリア語》講座も今年上期の授業はあと1回を残すのみだ。この2年間は『魔女の宅急便』(イタリア語版)やイタリア映画『Aprile』などが教材だったが、今期はトスカーナやフィレンツェにまつわるもので『旅行にも役立つかなぁ』と思っていた。

映像はNational Geographicのフィレンツェのルネッサンスについてのものだった。それが進むにつれ、フィレンツェのシンボル、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂のクーポラがどのように造られたかという話に移る。

今まで何回かフィレンツェを訪れ、クーポラにも上ったこともあるがどうやって造られたかなど考えもしなかった。ただ知っていたのは、洗礼堂の東の扉の彫刻コンペで敗れたブルネレスキがあの大きなそして特徴のあるクーポラを造ったということだけだ。

どのように造ったか、ブルネレスキは何の図面も資料も残しておらず《謎》らしい。今回の教材では、その謎を40年以上も調査研究してきたリッチ教授の仮説が説明されている。辞書を引きながら単語の意味を調べるもののイタリア語そのものが分からないのに加えて建築のことは全くの素人なのでチンプンカンプンだ。

とはいえ、理解をすすめるためにGoogleで検索したり、YouTubeで見てみたりなどしている。クーポラに上る階段は内側のクーポラと外側のクーポラの間のスペースだということは思い出した。

今年のイタリア旅行はどこに行くか決めていないが、フィレンツェに行ってもう一度あのクーポラにじっくり考えながら上るのもアリかもしれない。ただ、四百数十段もあるので足腰が持つだろうか息切れするのではないか心配だ。