2005/9 Puglia州とMatera」カテゴリーアーカイブ

Gallipoli(ガッリーポリ)2005/9/12

◆行く
レッチェに2泊した真中の日、ずっとレッチェにいるのも飽きるかなぁと思って最初の予定ではアッピア街道の終点、ブリンデッシにでも行こうかと考えていた。

ところがローマからレッチェに向かう6時間半のES(ユーロ・スター)の車中、暇つぶしにガイドブックほか持参した本、雑誌の付録など読んでいるうちに、レッチェの近くに生ウニを食べられる町があることを知った。それがガッリーポリだ。
ただ、ガッリーポリを紹介していた本にはレッチェからの距離が40Kmとあったものの鉄道での所要時間が書かれていない。

この日の朝、まだイタリアに着いてから2泊目ということもあって早く起きたので、相棒はバス停留所へ、私は駅に時刻表を調べに行くことにする。
駅へ向かう途中、ホテルから数分のところにインフォメーション発見!まだ開いていないが表に時刻表が貼り出されていたので早速メモする。これで役割を果たしたのでホテルへ戻っても良かったが、駅までの道のり、所要時間を確かめるため駅へ向かう(前の日、駅からホテルまではタクシーに乗り、このタクシーが旧市街に入らず大きく迂回したから駅までの通り道がわからなかったのだ)。

地図で小さな路地を確認しながら左へ、右へ、曲がってそして右道なりに行くと駅からの大きな通りに出た。ホテルから駅まで15分少々。駅の中で到着・出発の表示板と掲示されている時刻表を照らし合わせ再度確認してホテルまで戻る。
駅よりも近いはずのバス停に行った相棒がなかなか戻ってこない。地図上のバス停がなかったことと、帰りに旧市街特有のくねくね道で迷ったようだ。

結局バス停は駅の近くらしい(確かに駅前にバス停はあったが、市内バスだとばかり思っていた)が列車の時刻もわかったので9時02分のガッリーポリ行きに乗ることにし、朝食後駅へ向かった。

切符売場でメモを見せるがFSE(私鉄、Sud-Est線)の売場は別のところだと言われる。地下道をくぐってFSEのホームへ行ってみたものの見当たらない。ちょうど停車していた列車に運転士がいたので乗り込み尋ねると、今度は駅の向こうを右に曲がったところだと言われる。そこも違う。もう一度最初の売場で訊くと1番ホームを右に曲がったところだと言われ、ホームをどんどん行くと一番先にFSEの緑の看板があった。
メモを出したらそこに「9:43 No.6」と書かれたので、「9:02」と書き直して見せると、時刻表が変わったとのこと、あとで夏休みのヴァカンスシーズンが終わり今日(9月12日、月曜日)から変わったことを知る。掲示されていた時刻表は運悪く前日までのものだった。こういうトラブル遭遇は個人旅行につきもの。
次の列車まで駅の近くをぶらぶらする。といっても何があるというわけでもなくそれほど時間をつぶせない。早めにホームに行って列車を待つが、単線のため遅れて入線し約20分遅れで発車。車内は大変な混雑だ。満員のため立っている人も沢山いる。途中の駅(ゾッリーノ)で大半の人が降りた。11時ガッリーポリ到着(列車は1両になっていた)。

駅を出て広場を突っ切りまっすぐ行くと大きな通りにぶつかったので右に曲がる。

 

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この町についてはガイドブックに出ていないので地図を持たない我々にとっては、田島麻美さんが書いた『南イタリアに行こう』]がガイドブック代わり。それによるとこの大きな通りがローマ通り。小さな町にしては道幅が広く、通りに面した建物も新しいものもあって開放感がある。
町の構造として駅からしばらくは新市街、橋(ポンテ・チッタ・ヴェッキア)を渡った向こうの島が旧市街ということらしいのでシチリアのシラクーザみたいなイメージを持っていたが新市街はそれほど大きくなくすぐ橋に着いてしまった。橋の向こうに昔のお城があうる。要塞としての役割を持っていたようだ。

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右手はもう海だ。この海はアドリア海ではなくイオニア海、ガッリーポリは、かかとでもちょっと土ふまず側に入ったところにあるということがわかる。

この橋を渡ると旧市街。入ってすぐローマ通りは突き当たってしまい左右の道路に分かれる。

旧市街に入るために左に曲がったが、その直前の食堂(としかいいようがない)の前で座っていた男性からランチのチラシを受け取ったがお昼には時間も早いし、田島さんの本に出ていた生ウニの食べられる店が頭の中にあったのでそのまま進む。
左に曲がってすぐ左手にメルカートの建物があったが中には土産物屋が数軒。そのすぐ先の狭い路地に入る。目当ての生ウニの店は魚市場の近くと思い込み魚市場を探す。

両側には間口の狭いお店が続いているが、魚市場を見つける前にVecchia Osteria発見。店の前にはテーブルが一つ、何かわびしそうでイメージしていた魚市場前のシー・フードの店とはかなり違う。通りから中を見ると、11時半前なのでいわば準備中みたい。
とりあえず路地をさらに進むとどうやら左の建物がドゥオモのようだ。左折すると正面ファサード前に出た。狭い路地からファサードを見上げると一面バロック様式の彫刻がものすごい。

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中は3廊式で左右各7本の柱で分かれている。周囲はフレスコ画で一杯だ。
途中の観光案内所でもらった地図では他にも見所はあるようだったがあまり考えずにドゥオモの前の通りから右折し、旧市街の本当に細い道を歩いているうちにどこにいるのか分からなくなってしまい、小さな広場で地図を広げ確かめる。1本路地を勘違いしていたようだ。

現在地を確認したので今度は海の方に出てみる。途中、民宿なのか地元の人の家なのか、海水パンツ、水着が干してあるのを見てここが庶民の海水浴場だということを知らされた。

海側に出てみると眼下に浜辺が見える。ちょうど小さな湾になっていてまるでプールのようなおだやかな海水浴場だ。月曜だというのに楽しんでいる人が多い。

050912_1147~01 この海はイオニア海だ。おだやかな水平線が見える。早朝のレッチェでは気温が低くひんやりとし、もやがかかっていたがここでは時間も時間だけあって暑く空には久しぶりの入道雲を見た。

 

 

 

 

 

 

時間も12時近くなったので件の店へ向かう。途中、通りに椅子を出して座っていたおじいちゃんに背後から英語で『ガッリーポリは好きかね?』と声をかけられたので『イエース』と答える。

そのすぐ先がチェック済みのVecchia Osteriaだ。店の中を覗くとまだ誰も客はいなかったがお店の人(若い男性)がいてもうオープンしているようなことを言うので中へ入ろうとしたら『外のテーブルで』とのこと。

入口の前にあったテーブルかと思ったら、店からほんのちょっと離れている向い側の角(メルカートの建物からこの通りに曲がったところ)に案内される。行きにそこにお店(テーブル)があるのには気がついていたがまさかそこが目指す店だとは思ってもいなかった。
まずメニューを見せてもらう。ウニは前菜の中で一番下にあったが値段が書かれていなかったのにすぐ上に書かれていた魚介類の盛合わせ(15ユーロ)と同じだろうと思い込み、また個数も知らずに注文する。他には、前菜盛合わせ(12ユーロ)、海の幸(Frutti di mare)のスパゲッティ(8ユーロ)、海の幸のオレッキエッテ (8ユーロ)、ハウスワイン(白、1リットル)。
前菜盛合わせは今回の旅ではどこでもそうだったが一皿に盛り合わせているのではなく何皿かのつまみが出てくる。前菜の金額にもよるが一番多かったのは10皿、ここでは4皿だった。いわしのマリネ、小ぶりなムール貝の焼き物にピッツァ風トマトソースのナスが添えられたもの、ムール貝のリゾット、タコの煮物。どれも美味しくて昼間にもかかわらずワインの進むこと。
これを平らげたところにお待ちかね、生ウニ登場。日本のウニより小さめ。

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上の部分1/3くらいをスパッと切り取った形のものが何と22個。中の余計なものはきれいに取ってくれたのだろうか、上からみると真中から★のように5本の筋のウニ、これをスプーンですくって食べる。甘くて本当に美味しい。わざわざ来た甲斐があったというものだ。

あとでお勘定してもらったらこの生ウニはわずか10ユーロ。これにはびっくりした。2皿頼んでも金額的にも量的にも良かったかもしれない。

普通パスタはソースで選ぶものだと思っていたらこの店では全部Frutta di mare だった。そこでパスタを選ぶことになったのだが定番のスパッゲティとプーリア地方独特のオレッキエッテにしたが同じ具でもパスタの食感の違いを楽しむことができ、また両方とも美味い。

裏の海を見ながらの食事で最高のランチとなった。お勘定を頼むと食後のコーヒーはどうかと聞かれたが、13時29分の列車に乗りたかったので遠慮する。

食べ終わったあとは行きに来た道をそのまま戻り13時29分の列車に乗る。車内の高校生が通学の帰りで騒ぎまくっている。うるさいと思う反面どこの国でもこの年代の少年たちは同じだなぁとほほえましくも思う。
途中で乗換えとなり予定より少し遅れ、14時45分レッチェ到着で「生ウニ・グルメの半日の旅」を終えた。

◆食べる
●リストランテ
お店の名前 Vecchia Osteria, Via Antonetta de Pace, 15
食べたもの 本文の通り、水、コペルト込みで50ユーロ(計52ユーロのところ端数をサービスしてくれた)、チップ4ユーロ。

[b]◆読む[/b]
本の名前 『南イタリアに行こう』田島麻美著(双葉社 1700円)』
イタリア在住の著者が南イタリア各地をドライブした時のエッセイ、訪問都市情報が満載されていて随分参考になった(一部間違いもあるようだけれど)。
たまたま今回の旅の直前にこの著者が『ミラノから行く北イタリアの街』という新刊書を出したのを書店店頭で手にし、南イタリア編が既刊であることを知って探し回り出発6日前に新宿のJUNKUDOで見つけ購入。

Lecce(レッチェ) 2005/9/11~13

 

◆長靴の踵から
イタリア半島は長靴。そのかかとにあるのがレッチェ、このレッチェもマテーラ同様に陣内秀信さんの『南イタリアへ!―地中海都市と文化の旅』で知る。《びっくり箱のバロック迷路》と紹介されている町だ。
今回のプーリア&マテーラの旅のプランニングでは、州都バーリから入ってマテーラ、アルベロベッロを見てからレッチェに行くか、その反対にレッチェをスタートとしてバーリで締めくくるか考えた。日本からの往復はローマなので、まず初めに一番遠くまで行きだんだん戻ってくるイメージのルートを選び、レッチェを起点とすることにした。

◆ローマからレッチェへ
前日夕方ローマに着く。レッチェまでは鉄道に決めていたのでホテルはテルミニ駅からすぐのところを予約していた。チェックイン後、夕食のために外出した際テルミニ駅の自販機で7時38分発ES(ユーロスター)のチケットを購入(1人39ユーロ)。

7時27分テルミニ駅のホームに着くとすでにESは5番線に入線していた。予約していた指定席の車両は先頭の9号車、車内は結構混んでいる。
ローマを出て30分~1時間経ったあたりに右側に島や山が見えた他は平地。ぶどう畑とオリーブの木々ばかりだ。
カゼルタでは列車が駅に着く直前に世界遺産の王宮が見えた。
フォッジアでスィッチバック式というのか列車の進行方向が反対になり我々の乗っていた車両は最後尾になってしまう。
フォッジアを過ぎてからは心なしかぶどう畑よりもオリーブの木が優勢。ところどころにかぼちゃのような色をしたラグビーボールのような形の植物が見える。相棒と「何だろう」と考えたがわからない。
最終訪問地のバーリは停車している時に車窓から見た感じでは駅周辺には大きな建物が多くそれなりの大都会のようだ。
バーリを過ぎしばらくすると右手に白いウェディングケーキといわれるオストゥーニの町がはるか向こうの丘の上に見える。こんなに駅から遠くてはアルベロベッロに行く途中FSでオストゥーニまで来ても町まで行くなんていうのは無理のようだ。
この付近には古い大きなオリーブの木が目立つ。樹齢は一体何年くらいなのだろう。

そうこうしているうちに定刻より4分ほど早く14時05分にレッチェ到着。初め混んでいたが終点レッチェまで乗っていた客はわずかだった。

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◆駅から旧市街を抜けて
駅から旧市街のホテルは歩いて歩けないこともなさそうな距離のようだが、「歩き方」の地図しかなく詳しくは分からないのと予約していたホテルが5つ星だったのでタクシーに乗る。

ところが駅を出てからまっすぐ行かず右折して地図の上のホテルからはどんどん離れていく。年輩の運転手だったが一瞬遠回りしているのかと思う。途中で『フランス語を話せるのか?ドイツ語はどうだ?』と訳の分からない質問。

ホテルはサンタ・クローチェ聖堂のまん前、ただ正面エントランスとの間にある左右の建物が修復工事中のためか南側からエントランスに横付けされる。横付けするということは雲助タクシーではないようだが、料金を尋ねるとパッとメーターを戻して答えてきた。『高い!』というと『日曜だから』といいながら『13ユーロでいい』とメーター料金と荷物料金の端数を切り捨てた金額だったので払って降りる。確かに旧市街を最短距離で行くのは無理だとは思うが新市街の方へかなり遠回りしたようだ(ひょっとしたら日曜は旧市街に乗り入れできなかったのかもしれないが)。

◆困難な交渉に勝った
ホテルにチェックインしボーイに案内されて部屋に入る。窓を開けるとそこは何も見えない。このホテルの売りは《サンタ・クローチェ聖堂》が目の前に見える、とりわけライトアップされた夜景だ。それがまったく見えないなんて!
そこで部屋を代えて欲しいというと、ボーイはフロントへ電話。何やらしゃべった後に『代わってください』と受話器を渡される。フロントの担当者、さっき鍵を渡してくれた人だが、彼は『部屋がないので無理だ』というので『まだ2時半、空いているはず』と主張。『聖堂が見える部屋には限りがあり、皆さん予約時に指定しているが、貴方は?』と問われる。

何しろ電話で、英語で交渉、勝ち目はない。『ジュニア・スイート・ルームなら空いている、差額を払うならば』といわれ、穴倉のような部屋よりは多少高くともやむを得ない、その提案に乗ることにした。

また下のフロントまで戻り、顔を出したところ、『何とかやりくりがついたのでツインで聖堂が見える部屋を用意できる』とのこと、厳しい交渉に勝った!!
部屋は301号室、サンタ・クローチェ聖堂を真正面に見る絶好の部屋だ。この部屋はテラスに面していて、そのテラスの南側部分にはカフェがある。さっそく広いテラスに出てサンタ・クローチェ聖堂を写真に撮る。

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◆遅いランチ
テラスからの聖堂もそこそこに街に出かける。ホテルを出て南側には広場(ピアッツァ・サントロンツォ)があり、その真ん中ではサン・トロンツォの聖像が円柱の上に高々とそびえて人々を見下ろしている。

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ゆったりとした広場だ。とりあえずここは見るだけにして広場から南の通り(ヴィットリオ・エマヌエーレ通り)へ進みドゥオモを目指す。細い通りの正面にはサン・ティレーネ教会が見えた。ファサードは見るからにバロック様式そのもの。

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通りはこの教会のところから道なり左に曲がっている。

教会の横、通りの反対側に大きなパラソルがいくつも開いたオープンカフェがあり食事もできそうだったので遅いランチにする。それぞれ1品に赤ワインをグラスで1杯、レッチェからの旅のスタートを祝って乾杯と洒落込む。このカフェの一角にあるリストランテ入口の壁には「野外映画会」のポスターが貼られていた。今や日本ではもうはやらないと思うが、昔、こどもの頃の夏に近所で行われていたことをフッと思い出した。

◆市内観光へ
腹ごしらえをすませ、ヴィットリオ・エマヌエーレ通りを進むと左手にドゥオモ広場がある。ただこの広場は四方に開けた形ではなく左の鐘楼、正面のドゥオモ、右の神学校で三方を囲まれたいわばドゥオモ前の閉ざされた空間だ。だからこの時間この場所にいる人は観光目的の人だけなのだろう、そう多くはない。落ち着いた雰囲気だ。

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とりあえずドゥオモ広場はこのくらいにしてヴィットリオ・エマヌエーレ通りからジュゼッペ・リベルティーニ通りへと名前が変わった通りを進むとすぐ左にサン・テレザ教会の前に出た。ここも当然ながらバロック様式だが残念ながら下の方は足場が組まれ修復工事中。

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この通りをさらに進むとルディアエ門だ。その手前には右にサン・タンナ教会、さらに門の近く、左にはロザリオ教会と次から次へとバロックの建物が現れる。サン・タンナ教会のファサードは1階部分の正面扉両側の柱が力強さを感じさせる。ファサードは動物、天使、聖人やら数々の彫刻で装飾されている。

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ルディアエ門を出ると大きな道路が通っていてごく普通に車が走っている。この門は旧市街の南の端っこにあたる。ここから引き返し、またドゥオモ広場へ。今度は正面のドゥオモに入る。中は暗い。入って左側に主祭壇があるがまわりは修復工事中のようだ。
ひととおり内部をみた後の出口は広場とは反対側の細い路地で最初は方向感がわからない。元の通りに戻ろうと何回か左や右に曲がって行くうちローマ劇場を示す看板があったので行ってみる。扉が閉まっていて中に入ることはできないがフェンスごしに眺めるが割と小さな劇場のようだ。

路地をさらに歩くとサンタ・キアラ教会のところに出る。

◆サンタ・キアラ教会へ
サンタ・キアラ教会を見るのは後回しにして左に曲がって進むとすぐ右手の一角が旧市街の商店街。その商店街が取り囲んでいるのがピアッツァ・サントロンツォなのだがそれはあとで気づいたこと。広場に円形闘技場が埋め込まれているようにあるのには驚いた。遺跡が人々の生活のなかにあるとは!

ピアッツァ・サントロンツォから北に進み比較的大きな7月25日通りを渡ると右手にはカステッロ・ディ・カルロⅤ(カルロ5世の城)がある。この城は四角い形をしていてかなり大きなものだ。この城の北側ではイタリアの地方都市特有の日曜市が開かれていた。衣料品、靴、その他いろいろな店が数多く続いている。

この場所は最初に行ったルディアエ門のちょうど反対側に位置していて、ここも旧市街の外れということになるのでとりあえず戻っていよいよホテル前のサンタ・クローチェ聖堂に入る。
3廊式で左右各8本の柱で仕切られている。天井は金の縁で装飾された木がはめ込まれていてものすごく豪華だ。
とはいえ、ここはやはり《サンタ・クローチェ聖堂》といえばバロック様式の豪華な彫刻装飾のファサードに尽きるだろう。

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サンタ・クローチェ聖堂を出ると目の前の修復中の建物の奥がホテル、これでローマを朝発ってからの長い一日の観光を終えホテルに戻る。

◆ホテル内で食事
泊まった5つ星ホテルには”ATENZA”といういいリストランテがある。2泊のうち1回はここで夕食をとろうと決めていて、当初は2日目にするつもりだったが少し疲れたので外に出る気がおこらず、ホテル内で食事をすることにした。

リストランテはロビーの左手の入口から入る。入口の近く、というよりはロビーにメニューが掲げられている。

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天井が高くシックな感じだ。テーブルの数は8~10(仕切りがあるため全体を見渡すことはできない)。中央にサーヴするための水とワインを置くテーブルがある。高級リストランテだけあってこの席数にもかかわらずカメリエーレが2人もいる。客は年輩の夫婦ばかり5組で、男二人の自分たちはちょっと肩身が狭いといったところか。

前菜としてカプレーゼ、プリモとしてオレキエッティノを注文し、セコンドは私は魚料理、相棒は肉料理を頼む。ワインはプーリアの地ワインをリクエストし、カメリエーレに選んでもらう。
注文の時に『パン、・・・オリーブ・・・』と訊かれたのですっかり「パンにつけるオリーブオイルを用意するか」と思い込み、『持ってきて欲しい』と伝えると話がかみ合わない。『ロビーの奥にあるバールから持ってくるけどそれでもいいか』という。「???」。
ようやく分かったことは『オリーブ入りのパンを食べるか?』ということだった。この辺りではオリーブ入りのパンが名物だということを思い出す。

それぞれに出てきたカプレーゼはバジルの代わりにジェノヴァ・ペースト。モッツァレラの本場ということで注文したが、固めの豆腐という食感だ。トマトは輪切り、種類は分からない。
プリモのオレキエッティノ(小さめのオレキエッテ)は肉団子入りトマトソースで肉団子はオレキエッテに納まるような直径1cmぐらいの大きさ、ドライトマトと種類不明の千切りのチーズがのっかっている。
カプレーゼもオレキエッティノも1人前づつしか頼んでいないはずだが、いずれも2皿づつ出てきてしかもそれぞれがかなりの量だ。オリーブの1件もあり、『言葉が通じなかったかなぁ』と心配になり、魚料理も肉料理もそれぞれ2人前出てきたらどうしようと思い、カメリエーレを呼び、魚料理のキャンセルを頼んだ。カメリエーレは一応厨房に行くが戻ってきて、『もう取り消せない』と言いにきたが、予想に反してセコンドは1品づつ。ホッとする。

魚料理のMignulata alla Gallipoliは、海老、あさり、ムール貝、烏賊、他の具沢山のスープ。Zuppa di Pesce の一種でこれがガッリーポリ風なのだろう。少しスープが塩辛いが美味い。多すぎて食べきれない。
相棒の食べたラムチョップは逆に少し薄味のようで塩をかけていた。

2時間かけた夕食だったがボリュームが多かったせいか二人でワイン1本を空けることができなかった。
翌朝ロビーにあるメニューで価格を見たところ、請求額からみて前菜もプリモも1人前だった。それを2つの皿に取り分けてくれていたようだ。そのボリュームと心配りに大感激!

満腹のお腹をかかえ部屋に戻りテレビをつけると日本の衆議院選挙(郵政解散)の結果が報道されていた。自民党の地すべり的勝利と伝えられるのを南イタリア、かかとの町で知る。

◆レッチェは真夏そのもの
朝から昼すぎまでガッリーポリへ生ウニを食べに半日の旅をする(詳しくは(9/12)Gallipoli 旅行記で)。

朝は気温が低く空気がひんやりしていたが15時少し前に戻ったレッチェは真夏そのもの。ホテルに戻ってシャワーを浴び昼(?)寝、気持ちよく寝てしまい気がつくと17時20分。あわてて起き散策に出かける。
ドゥオモの裏手の方にあるらしいバロックの建物パラッツオ・モスリコ、《外科医の家》を探し回るが結局分からずじまい。
路地を歩いているうちに昨日のサンタ・キアラ教会の横に出る。ファサードは当然ながらバロック様式だがシンプルで、聖人(聖女?)の彫像が1階部分に4体、2階部分に2体ありファサードを装飾している。中に入ってみる。天井は細長い八角形で黒く、彫刻がほどこされている。

この教会前の通り(フェデリコ・ダラコーナ通り)を右に進むとサン・マッテオ教会だ。この教会は対照的にバロックの権化みたいだ。

丸みを帯びた建物でファサードがカーブしている。しかも下部が凸面であるの対し上部は凹面というコントラスト。「バロック」の語源に「歪んだ」という意味があるらしいがまさにそのもの。天井は角は丸いものの四角形でサンタ・キアラ教会とは反対に白くてシンプルだが一転して下の方はすごい彫刻だ。特に主祭壇の彫刻がすごい。

その後、ピアッツァ・サントロンツォを抜け7月25日通りを渡って新市街へと足を伸ばす。新市街へ向かう途中から「何かあるのかなぁ」と思うほどどんどん人出が増えてきた。月曜日だというのにイタリアの町でよく目にする「そぞろ歩き」。夕方から夜の時間を楽しんでいるようだ。
そのうち夕暮れの遅いこの町も段々と暗くなってきた。新市街をUターンし、広々とした公園(giardini pubblici)の中を歩いて戻るうち政庁舎を通り抜けることになった。

政庁舎の門を出て建物外壁を見上げるとまばゆいばかりのライトアップ。息を飲む美しさで感動ものだった。『ここはどこだろう』とさらに進むと、何とそこはサンタ・クローチェ聖堂の正面ファサード。

政庁舎とサンタ・クローチェ聖堂は隣接していたのだ。あの素晴らしい彫刻で装飾されたファサードがさらにライトアップされるとその豪華さは倍加されるようで本当に素晴らしかった。

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さて、夕食。どこにするか、ホテルのフロントでおすすめのリストランテを教えてもらったが残念ながら休み、それから旧市街を行ったり来たりして、最終的にサン・マッテオ教会の先にあるトラットリア “NONNA TETTI” に行く。

1階の席はいくつか空いていたが2階へ案内される。2階の天井はヴォールト式になっていて雰囲気も良い。外国人観光客はいない、皆地元の人たちのようだ。カジュアルではあるが名物料理も食べることができ前日とは違った意味で良い店だった。唯一の失敗はワインを選ぶ時に地ワインの中から選んだのが前日と全く同じものだったこと、名前ではわからない、ボトルが出てきてラベルで気づく。

◆泊まる
ホテル Palace Hotel (★★★★★) Piazetta Ricardi 13,Twin 190ユーロ(1泊)
「歩き方」、「駱駝」で紹介されていて、旧市街、しかもサンタ・クローチェ聖堂の向かい側にあり5つ星ということもあって、どうしても泊まりたくて、イタリアのホテル予約サイト Venere.com で予約。
チェックイン時に「部屋を代えて欲しい」というリクエストにはハード・ネゴだったものの流石にきちんと対応してくれた。部屋(301号室)はそれほど広くはないが落ち着いた感じ。
フロントはじめ従業員はフレンドリーで感じが良い。またレッチェでは泊まりたいホテル。

◆食べる
■お店の名前 Ristorante ATENZA, Patria Palace Hotel , Piazzetta Riccardi
◎カプレーゼ(9ユーロ、2人でシェア)
◎オレキエッティノ(8.5ユーロ、2人でシェア)
◎魚料理、Mignulata alla Gallipoli(14.5ユーロ)
◎ラムチョップ(15.5ユーロ)
◎ワイン Cappello di PRETE 1999 (CANDIDO) SALENTO  プーリアの地ワイン(16ユーロ)
◎コペルト、水、コーヒー 2人で計73ユーロ、チップ5ユーロ

■Trattoria NONNA TETTI, Piazzetta Peginamaria17
◎前菜盛合せ(カリフラワーをパルミジャーノでまぶしカリッとやいたもの、カポナータ、など5皿、6ユーロ)、
◎チーズ盛合せ(4種類、蜂蜜とブルーベリーのジャム添え、5ユーロ)
◎カヴァテリ、生ハムとフンギ・ポルチーニのトマトソース(6ユーロ)
◎じゃがいものニョッキ、トマトソース(6ユーロ)
◎かじきまぐろのグリル、レモン添え(輪切りにしたもの2切れ、ハーブの入ったソースがかかっていて、そこにレモンを絞る、12ユーロ)
◎烏賊のフリット(魚介類のフリットを注文したのに烏賊ばかり、揚げ方が良く美味しいが何しろ量が多い、7ユーロ)
◎ワイン Cappello di PRETE 1999 (CANDIDO) SALENTO  プーリアの地ワイン(15ユーロ)
料理の量が多いのでワインより水がすすむ。水をもう少しとデザートを頼もうとしたが二人ともお腹一杯なので勘定してもらったがあまりの安さにびっくり。
水を含め2人で計58.5ユーロ