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Vicenza (ヴィチェンツァ)  2008/9/24~26

 

Vicenza (ヴィチェンツァ)  2008/9/24~26

◆行く
‘08年イタリアの旅、最後の目的地ヴィチェンツァへ向かう。この町は今回の旅を計画するにあたり、絶対に外せないところだった。というのは、アンドレア・パッラーディオの建築物がこの町を中心として溢れているからだ。おりしもこの年は生誕500年にあたる。
14時45分、定刻にトリエステ中央駅を発車。途中から乗り込んできた隣の女性2人がずーっとしゃべり続けているうちにメストレ駅に到着。ここでヴェネツィアからの列車に乗り換える。
ヴィチェンツァへの列車は16時49分発。12番線であることを確認して移動、すでにヴェネツィア・サンタ・ルチア駅からの客でかなりいっぱいだ。2階席の一番前5人掛けを占有していた学生2人が席をあけてくれた(この学生、特に1人がうるさい、手を振り回すジェスチャーもすごい!)。

メストレを出るとすぐにドーロ(パドヴァからのブレンタ川クルーズで降りた町)、そしてパドヴァ。ここまでは少し遅れていたがほぼ定刻(17時50分)にヴィチェンツァ到着。
駅を出てイタリアの駅前では珍しい広々とした公園の真ん中のローマ通りを進み旧市街の大通り(アンドレア・パッラーディオ大通り)を行く。歴史的建造物はあるがとりあえずホテルを目指す。このあたりで右折かな、と思った所に看板をみつけ迷わず到着。駅からわずか12分だ。

◆アンドレア・パッラーディオ大通りで乾杯
夕食はミシュラン・ガイドに載っている店にして例によって場所確認かたがた出かけたが肝心の地図を持ち忘れ1軒だけ分からずじまい。そうこうしているうちにサン・コローナ教会、オリンピコ劇場の場所がわかる。想像したよりずっと小さい町だ。

もう1軒のリストランテはわかったが20時では予約がとれないので21時で予約し、帰り途アンドレア・パッラーディオ大通りのエノテカのテラス(大通りそのもの)でプロセッコを飲む。カメリエーレのお兄さんからつまみとしてクロスティーニを勧められた。3種類頼んだが夕食前にはちょっと重いほどだったが美味い。

Vicenza Enoteca La Molanotte クロスティーニ

外のテーブルだったがトイレを借りるため中に入ると細長い店内は結構奥行があり、しかも途中で半地下になっている。セラーにはいろいろな地方のワインが沢山ある。なかなか良さそうな店だ。

◆Agli Schioppiでの夕食
いったんホテルに戻り時間調整をしたうえで予約10分ほど前に出かける。ブラブラし、ちょうど21時に着く。
店内は左右に分かれていてその左側、7つのテーブルの中で最も入口に近い席に案内された。

前菜は生ハムと酢漬けのラディッキオ、バッカラとポレンタ。プリモはバッカラのビゴリ、ポルチーニのスープ。セコンドはポルチーニのグリル1品のみを注文。ワインはヴェネトのアマローネにしたが初めに頼もうとしたものが品切れのようで同じ味だからと別のハーフ・ボトルをすすめられた。結局これを2本飲んだが値段は当初のものと同じだった。

店内の写真をとっていたら正面のディスプレイをバックにシャッターを押してくれた。オーナー夫妻のようだが――最初に予約したときもそうだが――とても良い感じを受けた。

Vicenza agli Schioppi 洒落たインテリア

およそ1時間半のディナーとなる。

◆ヴィチェンツァ2日目
旅が始まって実質5日目となり、時差ぼけがすっかりなくなったのかぐっすり眠り目が覚めたら7時すぎ。
8時過ぎ朝食をとる。このホテル(DueMori)は朝食別料金で5ユーロ。その割にはパンとジャム、コーヒーと極めて質素。

ヴィチェンツァ2日目ではあるが観光としては実質初日、まずこの町のシンボルともいえるオリンピコ劇場へ行く。もちろんパッラーディオの作品だ。来る前はガイドブックの地図を見る限り旧市街の外れでかなり遠く感じていたが実際にはそんなに遠くない。むしろ『エッ!!こんなに近いの?』と思えるほどだ。
ここではオリンピコ劇場のほかキエリカーティ絵画館など6カ所の共通入場券(1名8ユーロ)を購入して入場。

Vicenza オリンピコ劇場

 

◆オリンピコ劇場
最初の部屋にはフレスコ画が4面の壁に描かれている。進んで行くと劇場の中に入る。トイレ、クロークと書かれた方向に進み、劇場客席に入る。
舞台の前には平土間の客席、その上には舞台をとりまくように半円状の10数段の階段座席がある。その1番に座って全体を見おろす。タオルミーナのギリシャ劇場やオランジュ(フランス)の古代劇場のようだ。
階段座席の上には神殿のような列柱が半円状にとりまき、その上に2階席がある。その壁には28体の彫像がグルッと置かれている。

Vicenza オリンピコ劇場客席と数々の彫像②

Vicenza オリンピコ劇場客席と数々の彫像①

一方、舞台の方は、というと奥に向かって古代テーベの町が作られていて遠近法によって小さな舞台がそれなりの奥行きがあるように見える。

Vicenza オリンピコ劇場舞台

 

観客席(平土間、階段)、舞台、いずれも木造であるが階段席にクッションが置かれていることからみると今でも実際に使われているようだ。

フラッシュなしなら写真が撮れるようなので数枚写す。もとの入口に戻ったので係員に『フレスコ画を写真に撮っていいですか?』と尋ねるとO.K.とのこと。デジカメに収めた。

◆絵画館キエリカーティ宮
次は大通りをはさんで反対側のキエリカーティ宮だ。正面は広場(というより公園)に面していて左右に広がった白っぽい優雅な建物だ。もちろんこれもパッラーディオの作品だ。

Vicenza 絵画館キエリカーティ宮

 

この建物は絵画館のほか博物館にもなっている。まず、2階の第9室へ行く。椅子がいくつも並べられた教室みたいな部屋には大作が何点もある。ほかにも部屋の天井からドアの上まで壁一面にフレスコ画が描かれているところが何部屋かあった。
天井の絵や細工もすばらしい。もちろん展示されている宗教画もすばらしい。

Vicenza 絵画館キエリカーティ宮天井画②

Vicenza 絵画館キエリカーティ宮壁の絵

 

◆サンタ・コローナ教会
大通りのまた反対側、ななめ向かい奥まったところにあるのがサンタ・コローナ教会。赤レンガのロマネスク様式。

Vicenza サンタ・コローナ教会①

内部は3廊式、主祭壇にはすばらしい彫刻、取り囲むようにステンドグラスが美しい。

Vicenza サンタ・コローナ教会主祭壇

 

レオーニ・モンタナーリ宮(Gallerie di Palazzo Leoni Montanari)
ここはイコンの展示が中心だ。金物細工のイコンのカバーも多数展示されている。はじめの頃は素朴だったイコンのカバーも色をつけたり、宝石をうめこんだり時代とともに豪奢になっていくさまがよくわかる。
この建物は珍しく撮影禁止、中庭さえもダメだった。

自然科学考古博物館(Museo Naturalistico Archeologico)
サンタ・コローナ教会の通りの奥にあり、共通入場券対象なので行ってみた。入って右手の階段を上がると化石から始まり昆虫や動物の展示。約2000年前の兵士が武器を持ったままの白骨もある。そのほか石器時代の石器など。
下に降りて中庭に出るとローマ時代の石造建物の柱、梁や彫刻が置かれている。

vicenza 自然科学考古学博物館中庭

Vicenza 自然科学考古学博物館床のモザイク画

 

◆ヴィチェンツァをうめつくすパッラーディオ建築めぐり
ホテル隣のトラットリアのテラス席でランチのあとパッラーディオ作品である建物を見て回ることにした。といっても建築に格別の興味があるわけでもないのでこの町を訪れた観光の一環として外観を見るということだが。

パッラーディオ大通りでいうとオリンピコ劇場あたりとは正反対側、昨晩のリストランテ近くからスタート。一つ一つ地図と照らし合わせながら大通りをジグザグのように進む。
Palazzo Porto Breganze (2つのタワーのようなバルコニーがある)
いったんローマ通りに出てサルヴィ公園の中にあるLoggia Valmaranaを見ようとしたが園内工事のため入ることができずカステッロ広場から大通りに戻る。

Palazzo Thiene Bonin Longare (左右対称の端正な形、左側にはスーパーCoinが入っている)

Vicenza ティエネ・ボーニン・ロンガーレ宮

 

Palazzo Valmarana Braga Rosa (窓やドアの上には彫刻がほどこされている)

Vicenza ヴァルマラーナ・ブラガ宮①

 

Palazzo Pojana
Palazzo Thiene (窓枠の円柱が優雅)

Vicenza ティエネ宮

 

この途中にパッラーディオ生誕500年のイベントの建物がある。

Vicenza パッラーディオ生誕500年会場の建物②

Vicenza パッラーディオ生誕500年会場の建物天井画団体客がいてガイドが一生懸命説明しているようだ。天井画《聖母被昇天?》が印象的。
Palazzo Barbaran da Porto

Vicenza バルバラン・ポルト宮

 

Palazzo Da Schio (Ca’ d’Oro)

パッラーディオ以外の建物もあるがそれらもなかなかの作品。パッラーディオの建物同様に作者名、建築年のプレートで表示されている。

◆ドゥオモもパッラーディオの作品
15時半頃、ドゥオモに入る。中にはほとんど人がいない。
中は明るい。ヴォールト状の天井、クーポラには装飾も絵も何もなくシンプルだ。内陣は白い壁、後陣はなんとなく赤っぽい。

Vicenza ドゥオモ内部①

Vicenza ドゥオモ主祭壇

 

ファサードの写真を撮ろうと試みたが大きく画面には入りきらないほどだ。

Vicenza ドゥオモファサード②

 

パッラーディオ大通りの裏手を進むかたちでシニョーリ広場に行ってみる。もう市は終わっていた。

Vicenza シニョーリ広場

Vicenza シニョーリ広場の2本の円柱②

 

◆量り売りのグラッパ
そろそろ旅も終りに近づいてきたのでお土産を買わなくてはと、観光はひとまずおいて歩きまわる。
チョコレートの店があったのでここのところ家族に評判のいいジャンデゥイオッティを買う。チーズが欲しいので広場東の食料品店を覗くが残念ながらまったくない。
少し戻りウィンドウ越しにオリーブオイルが見えた店に入り、ワインがあるか尋ねると『もちろん!』と下へ降りて行く。ワインは地下の奥の部屋だ。ヴェネト特産のアマローネともう1本買う。『グラッパは?』と訊くと連れていかれた売り場は量り売りのようで味見をさせてくれる。試飲をした4種類の中から3種類を各250ml買うことにした。ボトルも量に応じて何種類もある中から選ぶスタイルだ。キャップをはめ封印してからボトルに白いペンでそのグラッパの名前を書いてくれた。
(このうち1種類は少し赤みがかった甘口でちょっと梅酒を思わせるもの。ドイツ産にはびっくり。)

Vicenza ワインとグラッパの店①

 

あまりにも重いのでホテルに置きに帰る。近いので本当に楽だ。

それからシニョーリ広場のパッラーディオ建築物見学再開だ。
ラジョーネ宮、別名バジリカは白い大理石の壮大な建物。広場に面したところにレンガの高い塔(ジローネ塔)がすっくとそびえている。さらに東の方には2本の円柱があり、左側は例のヴェネツィアのシンボル、翼のある獅子像だ。

Vicenza バジリカも修復中

Vicenza ビッサーリの塔とバジリカ①

 

カピタニアートのロッジャ、これはヴェネツィア共和国総督の官邸だった建物で小さいがどっしりとしている。2階だけでなく3階にもバルコニーがある。残念なことに修復中。

パッラーディオ大通りに再び出てブラブラと散策、常設店舗ではなさそうだが食料品店(兼土産物店)があったので入って見ているうち、パルミジャーノ、栗のジャム購入。

18時過ぎ店を出て恒例の一杯やるため歩き始めたところで雨がポツリ。少し店を探しまわったが雷も鳴り、稲妻が光り始めたのでとりあえずホテルに逃げ込むように帰る。
部屋に入るやすごい雨足の音。
19時におさまる。19時15分ころ窓から外をみるとやんでいた。

◆今回の旅、最後のチェーナ
雨が完全にやんでから30分ほどたち、夕飯に出かける。今回の8泊10日の旅で最後のチェーナだ。予約はしていないがこの町を歩きまわった昨日、今日通りかかったサン・ガエターノ通りのオステリアに向かう。名前はOsteria Ca’Doro。

入口から見る感じは狭そうで素朴だ。すでに1階は3つ、4つのテーブルが埋まっていて、その間の席を示されたが、あまり色良い返事をしなかったところ2階に案内される。2階は天井が低く山小屋風だ。1階とは全く趣きが違って落ち着いている。

Vicenza Antica Osteria Ca D'Oro テーブル

 

カメリエーラの女の子の声が太く元気がいい。『イタリア語は?』、『ちょっと』。『英語は?』、『ちょっと』と答えると若い人懐っこそうな男がやってきた。英語で料理の説明をしてくれる。
『生がいいのか?調理したものがいいのか?』と訊かれ答えに窮すが『生も好きだし、調理したものも好き』と答える。

結局次のような料理をオーダーした。
前菜は①タコのカルパッチョ、盛り付けが丸くきれいだ。②スカンピのカルパッチョ、尾がとられたもの6尾。

Vicenza Antica Osteria Ca D'Oro スカンピのカルパッチョ②

 

プリモはウニのスパゲッティ。《ウニ》を英語で言われ理解するのに大変だった。スパゲッティは細いが微妙に芯があるアルデンテ。シェアーしたが1人前を2皿に取り分けてくれた。
セコンドは①相棒は魚介(マグロ、スカンピ、車エビなど)のグリル。②自分はマグロのフリット(炙り2切れの中にチーズを挟んでいる)。

Vicenza Antica Osteria Ca D'Oro マグロのフリット
食後にはデザートを頼みカフェで締める。食後酒は昨夜のエノテカと決めていたのでここではパス。

オステリアという割には前日にくらべ高いがその分量も多いし食材も良く美味しい。いい店だった。
勘定はシェフ自らが打ちこんでいたが帰るときには若い男もあとから出てきてわざわざ挨拶してくれる。
また訪れたい店だ。

◆昨夜のエノテカで乾杯!
大通りに出て件のエノテカへ。雨が降ったからなのか、もう遅いからなのか外のテーブル席はクローズ。中に入るとご主人とおぼしき人に奥に行くようすすめられた。
グラッパを1杯づつ注文すると《太めの大竹まこと》似のご主人がボトルごと持ってきて注いでくれる。いろいろ話しかけてくれ盛り上がったところで笑顔のご主人をパチリ!
そのうち昨夜の若いスタッフ(息子か?)も気づき挨拶してくれる。
こういう旅先でのコミュニケーションは実に楽しい。

23時すぎホテルに帰る。

◆いよいよ最終日
観光に出かける前に駅へ行きミラノまでの切符を買ったり、ホテル近くでお土産になりそうなものを買ったりしてから荷物をパッキング。10時すぎとりあえずチェックアウト。

最終日の観光はまずドゥオモ近くの司教区博物館(MuseoDiocesano)へ。
キリスト教の歴史と題した展示、聖具、聖職者の衣裳、宗教画、ローマ時代の石、遺構、下水などが展示されている。

Vicenza 司教区博物館

Vicenza 司教区博物館展示①

 

◆ラ・ロトンダ
それからいよいよメイン・イベント、時間があれば訪れたいと思っていたラ・ロトンダを目指す。ホテルで訊いたところ歩いて20分少々ということだったのでまず門へ向かう。この道が途中でわからなくなり郵便配達の人に現在地の確認と門までの道を教えてもらう。
門を出て何本かの大きな道路に出てそのうちの「こっちだろう」と思い込んだ方に行くが何となく不安。今度は通りがかったちょっと年上くらいの男性に訊くと道が90度違っていた。地図が悪すぎる。『ここから20分くらいかかる。気をつけて!』といわれ、お礼をいい握手をして別れる。
個人旅行といってもこうした善意の地元の人々に支えられていると思い感謝する。

途中から道路の右側の山の中の道を進む。およそ15分でラ・ロトンダ到着。門の前で立ち話をしていたひとが係の人、入場料(1名10ユーロ)払って敷地の中へ。

Vicenza ラ・ロトンダへの入口
ラ・ロトンダももちろんパッラーディオの作品で最高傑作だそうだ。左右対称の正方形のヴィラ(別荘)でホワイトハウスの原型ともいわれている。

Vicenza ラ・ロトンダ正面②雄姿

 

Vicenza ラ・ロトンダ背面円柱正面から写真を撮り、それから左手から一周、どの方向でもギリシャ神殿風の大きな列柱がある。
ヴィラだけあって町の中のパッラーディオの建物とは趣きを異にしている。

◆ヴィラ・ヴァルマナーラ・アイ・ナーニのフレスコ画
ここからの帰り道ティエポロのフレスコ画があるというのでヴィラ・ヴァルマナーラ・アイ・ナーニに寄ってみたら入場料が1名8ユーロ。ポケットの小銭が足りない、ということであきらめ歩き始めてから「ひょっとしてお札が残っているかも」と思い、パスポートを入れているポーチをあけると70ユーロもあったのであわてて戻った。

Vicenza ヴィッラ・ヴァルマラーナ②

 

切符売り場を見落とし正面の建物の方へ向かうと女性の係の人が追いかけてくる。
建物に入ると掃除をしているおじさんが入場担当、説明文書を『英語?それともイタリア語?』と尋ねてきたので英語版を借りる(帰りに返し忘れ、また声をかけられる。『セニョーレ!!』)。
天井から壁から一面のフレスコ画。素晴らしい。撮影禁止なのはわかっていたが『禁止ですよね?』と訊くと、《目を隠すしぐさ》でO.K.。

Vicenza ティエポロのフレスコ画①

Vicenza ティエポロのフレスコ画③ Vicenza ティエポロのフレスコ画⑥

Vicenza ティエポロのフレスコ画⑦

ティエポロのフレスコ画は傷んでいるところがほとんどなく、壁の下から上、天井と一面に描かれている。
真ん中の部屋から左右の部屋に入る。本末転倒だがシャッターを押すのに夢中でじっくりと一つ一つを鑑賞する余裕がなかったのは失敗だ。
ここを見終えてから切符売り場の建物に入り、第1~5室までの絵を見る。《中国の部屋》、《カントリー・サイドの部屋》とか《オリンポスの神々の部屋》と銘打たれ、それにふさわしい絵が展示されている。12時で閉館のため駆け足だ。
外に出て見る景色の素晴らしいこと!少し遠くに見える教会の鐘楼が絵になる。そのころ到着した人は数分前のため断られていた。

Vicenza ヴィッラ・ヴァルマラーナからの風景①

 

ヴィチェンツァの町に戻る。スカレッテ門の階段を上がった方がわかりやすいと思ったがどうも町とは少し方向が違うようだ。階段を下りて行きに来た道を戻る。サン・ミッシェル橋(ヴェネツィアのリアルト橋みたい)を渡るとほどなく見なれたバジリカ南側に出る。

◆最後の町歩き
バジリカ近くの大きなパラソルの下、テラス席のリストランテでランチをとる。周りのテーブルもほとんど観光客のようだ。
ミラノまでの列車まで1時間以上あるので最後の町歩きをする。
例のエノテカの正面を写真にとってから大通りと交差しているフォガッツァーロ通りサン・ロレンツォ教会に 向かう。偶然なことにエノテカの若いスタッフに出会い、挨拶する。縁というのは面白い。

15時42分発の列車でミラノに向かい、今回の旅(パドヴァ~ヴェネツィア~トレヴィーゾ~トリエステ~ヴィチェンツァ)は終わった。

◆食べる
●お店の名前 Antico Ristorante Agli Schioppi, Contra’ Piazza del Castello 26
(http://www.ristoranteaglischioppi.com/)

Vicenza agli Schioppi
食べたもの 前菜は生ハムと酢漬けのラデッキオ、バッカラとポレンタ(各3個)、いずれも8ユーロ

Vicenza agli Schioppi 生ハムと酢漬けのラデッキオ

Vicenza agli Schioppi バッカラとポレンタ
プリモはバッカラのビゴリー(7.5ユーロ)、ポルチーニのスープ(色はグレー、刻んだポルチーニのほかに何か入っている。うまい!8ユーロ)

Vicenza agli Schioppi バッカラのビーゴリ

Vicenza agli Schioppi ポルチーニのスープ
セコンドはポルチーニのグリル、ポレンタ、チーズ添え(13ユーロ)をシェア。一本一本が小さいポルチーニが2、3個に切って焼いている。ポレンタは黄色、チーズはパルミジャーノではないが良く似たハードタイプ。

 

Vicenza agli Schioppi ポルチーニのグリル
ワイン

Vicenza agli Schioppi アマローネAmarone della Valpolcella classic,ACINATICO 2004(375ml,18ユーロ)2本
グラッパ1杯(3ユーロ)、ジェラート(4ユーロ)、コペルト(2.5ユーロ×2)、水(3ユーロ)で合計95.5ユーロ

●お店の名前Café’ Restaurant dai Nodari, Contra’ Do Rode 20 (ホテルの隣)
食べたもの 早くできるという意味のVeloce(セットメニュー)3種類(7ユーロ、9ユーロ2種類)から9ユーロの一つを選ぶ。それぞれ前菜とプリモに水(500ml)がついている。これにハウスワイン(メルロー、500ml、3.6ユーロ)とエスプレッソを追加。値段の割に料理もワインもまあまあ。

Vicenza Dai Nodari 生ハムと酢漬けの小玉ねぎ

 

Vicenza Dai Nodari トルテリーニ
合計23.6ユーロ

●お店の名前 Antica Osteria Ca’ D’oro, Cotra’ S.Gaetano 8
(http://www.vicenza.com/mx_op-minisite2_cat-1004_id-1722_lang-it.shtml)
食べたもの  本文の通り。前菜2品で27ユーロ。プリモ(ウニのスパゲッティ)18ユーロ。セコンド2品で33ユーロ。デザートはクレーム・カラメル、セミフレッドのジェラート、各10ユーロ。

Vicenza Antica Osteria Ca D'Oro クレーム・カラメル

Vicenza Antica Osteria Ca D'Oro セミフレッドのジェラート
ワイン    Amarone della Valpolicella classic 2003, MANARA (30ユーロ)

Vicenza Antica Osteria Ca D'Oro アマローネ
カフェ(3ユーロ×2)、コペルト(3ユーロ×2)、水(2ユーロ)で合計142ユーロ

●お店の名前 Ristorante Gran Caffe’ Garibaldi, 7, Ctr. Camillo Benso Conte Di Cavour
食べたもの  前菜はヤリイカのイカ墨ソース煮、ポレンタ添え(7ユーロ)、カジキマグロのカルパッチョとガンベローニ添え(7ユーロ)。

Vicenza Garibaldi ポレンタの上にイカ墨とヤリイカ

Vicenza Garibaldi カジキマグロのカルパッチョ
プリモは生ハムとポルチーニのピッツァ(6.5ユーロ)とトマト、バジリコのニョッキ(6ユーロ)
ワイン    プロセッコ(250ml)のあと赤ワイン(500ml)
コペルト(2ユーロ×2)、水(2.5ユーロ)で合計44ユーロ

◆飲む
●お店の名前 Enoteca La Malanotte, Corso Palladio,56

Vicenza Enoteca La Malanotte
1日目 クロスティーニ3種(①バカラ、②ルッコラに生ハム、上にフルーツトマト、③タルタル、1.5ユーロ×3)とプロセッコ(3ユーロ×2)
2日目 グラッパ(4ユーロ×2)。
店内黒板にはグラスワイン(2.5~7ユーロ)が何種類も。うらやましい。

Vicenza La Malanotte こんなグラスのグラッパ

Vicenza La Malanotte 黒板のワイン・リスト

◆泊る
ホテル Due Mori(★★), Contra’ Do Ronde,24 Twin 80ユーロ/泊、朝食別 5ユーロ/食
メールで予約、フロントは何人も変わるが皆親切、ロケーション抜群
(http://www.hotelduemori.com/inglese/prima_en.htm)

Vicenza ライトアップされたホテル

 

 

◆買う
◎ワイン Amarone della Valpolicella classico,Vendemmia 2000,BERTANI (61ユーロ)
地ワイン(32ユーロ)
◎グラッパ 3種類を250mlづつ、瓶代別途、合計24ユーロ
以上購入のお店 Remember, Contra’ Pescherie Vecchie 32
◎フラゴリーノ(5.5ユーロ)
◎チーズ パルミジャーノ(約600g、9ユーロ)
◎栗のジャム
◎チョコレート ジャンディオッティ(100g×4、14ユーロ)
◎お菓子類

Trieste (トリエステ) 2008/9/23~24

Trieste (トリエステ) 2008/9/23~24

◆行く
‘08年のヴェネトの旅、プラン段階ではここトリエステまでは行くつもりはなかった。
5日目はバッサーノ・デル・グラッパでホテルも予約していたのだが、カブレーノ以上にイタリア大好きの大先輩と話していたら、『トリエステは日帰りもできるよ』と言われ、バッサーノ・デル・グラッパには短時間とはいえ前に行ったこともあるし、前泊のトレヴィーゾから近すぎるので急遽変更しトリエステのホテルを予約したのだ。

トレヴィーゾを定刻より少し遅れ14時29分発車。普通列車だがトリエステ直行なので乗換えもなく約2時間のローカル線の旅、ゆっくりと休むことができた。
普通列車とはいえ各駅停車ではない。いくつかの駅を飛ばす。快速のよう。結構乗り降りする人が多い。
トリエステに着く15分くらい前に進行方向右手に海が見えた。

当初の遅れのまま到着。大きな駅だ。
ホテルまでスーツケースを引っ張り歩く。海岸沿いの道路は広く、また建物も大きい。直前のトレヴィーゾが小さな町だったからなおさらそう感じたのかもしれないが、やはりハプスブルグ家統治下のオーストリア・ハンガリー帝国の軍港、その後の自由港の町として発展してきた歴史を感じる。

◆見る
整然と区切られた都市だけあって大運河の向こうにあるホテルまでミシュランの地図を頼りにまったく間違わずに到着。

18時すぎいつものように市内探訪兼リストランテ探しに出かける。

ホテルのあるサン・ニコロ通りをすぐ右に曲がり大きなイタリア通りを渡りその名もテアトロ・ロマーノ通りに進むとその先にローマ劇場があった。いつごろ発見されたのか?ローマ時代からそのままだったのか?などと思ってしまった。

 

 

Trieste ローマ劇場◆圧巻のイタリア統一広場(ウニタ・ディタリア広場)
次はイタリア統一広場だ。広場を整然ととりまく建物群に圧倒される。トリノの王宮広場のようでもあるが一方が海に開けている。といってもヴェネツィアのサン・マルコ広場よりも広くてすごい印象を受ける。風が強くまた冷たい。

Trieste ウニタ・ディタリア広場①

 

Trieste イタリア統一広場からの眺め

この広場には夜も、そして翌日も訪れたがトリエステではここが一番、ここに来ただけでトリエステを見た、といえるのかもしれない。

◆港町では魚料理
夕方出かけたもう一つの目的、リストランテ探しはイタリア統一広場から海岸沿いの大通りを魚市場(水族館)の先のリストランテまでチェック。それから戻り、ホテルを通りすぎ大運河まで。

ホテル近くへ戻りホテル前のカフェテラスでプロセッコを飲みながら情報整理をしつつ、ホテルのフロントで魚料理の店2軒を教えてもらう。この2軒と兄の資料の2軒とあわせ4軒チェックすることで再スタート。結局フロントで教えてもらった1軒にする。

外はパラソルが閉じられていて淋しいが中に入ると何組か食事中でホッとした。店内はどちらかといえば狭い。インテリアも木が使われているがまぁ普通か。案内された席はキッチン近くであまりいい感じはしない。

前菜は『海の幸サラダ』と『マグロの生ハム』の2皿、プリモは『小エビとフルーツトマト、ペペローニのスパゲッティ』、セコンドは『本日の魚のグリル』にした。『マグロの生ハム』は美味い!塩漬けにして軽くスモークしたもので、塩気が強いが結構いける。

Trieste Bandierette まぐろの生ハム

 

マグロ好きの日本ではなぜないのだろう。

◆2日目はミラマーレ城へ
朝からスカッ晴れ。トリエステは昼までの予定なのでまず遠いミラマーレ城に行くことにして8時15分スタート。
中央駅の36番のバス停がわからず右往左往する。他のバスの運転手尋ねると、駅横の通り、と分かった。近くのキオスクでバスの切符を買う。

8時40分のバスが数分遅れて到着、始発ではなく結構混んでいる。9時少し前に終点下車、運転手にミラマーレ城(ミラマーレ公園)の入り方を教えてもらう。

まず、公園へ。園内の案内板(地図)を見てやや大回りに進む。ほどなく海を背にした白い城があらわれる。

Trieste ミラマーレ公園の案内板

Trieste ミラマーレ城全景

入館料(1人4ユーロ)を払い音声ガイドを借りるか(日本語は当然ない)、デポジットをどうするかで係の人とやりとり、結局1個だけ借りることにした(3.5ユーロ)。
ところが英語の説明が長すぎ、どこでも最初だけでストップ。借りる必要がなかったかもしれない。

見学順路は1階から。まずCharlottoの寝室、天井が低い。執務室、ライブラリーと進むにつれて天井が高くなっていく。内部は木造で床は寄木のようだ。
No.7と8は応接室。主寝室のベッドは結婚の贈り物だとか。夏の食事室、謁見室、冬の食事室へと順に見学した。冬の食事室のテーブルが意外に狭い。
2階には20世紀になってからのパイロット関係の展示もあった。その部屋をすぎると各室の装飾は1階よりも華美だ。

◆帰りのバスのチケットに一苦労
庭園を抜け10時にバス停に戻る。すでに10時10分発のバスが待っている。帰りのチケットを買うためにすぐそばの食堂兼バールに行ったが『ないよ』と返事が返ってきた。困ってバスの近くにいた人に『ドライバーですか?』と尋ねるとずっと遠くの人を指す。行って話すと『あっちのバール』と言われ、さっきの店の左奥のバールに行ったものの閉まっている。右往左往して最初の店に行き再度訊いたけれど主人にまた“Non c’e` lo”と言われ困り果てたところに居合わせた人が個人のものを譲ってくれ走ってバスにギリギリ乗り込んだ。
行きに往復分買わなかったのは失敗だったがあの「近くの店で買う」というイタリアのシステムはいまだに理解できない。
ともかくも市内に戻ることができ、駅で降りずにそのまま終点、オベルダン広場まで行く。

◆サン・ジュスト聖堂からカステッロへ
ホテルに戻り荷物をまとめチェックアウト。
サン・ジュスト聖堂が12時から15時までクローズだというのでサン・ジュスト聖堂を目指す。
昨日トリエステに来て最初に行ったローマ劇場の左から回りこむように進む。気がつくとモナーケ通りだ。これを道なりに行くと前方に教会とローマ神殿跡が見えてきた。

サン・ジュスト聖堂は薄茶色のレンガでバラ窓がとても美しい。右にどっしりと寄り添う建物は鐘楼だ。

Trieste サン・ジュスト聖堂①
聖堂の中は非対称の5廊式、奥行きはそれほどない。後陣正面、左右ともモザイク画だ。正面は『聖母と聖人』、右は『キリストと聖ジュストと聖セルヴォロ』、左には『聖母と大天使聖ミカエルとガブリエル』。いずれも美しい。

Trieste サン・ジュスト聖堂「キリストと聖ジュストと聖セルヴォロ」

床にはところどころモザイク模様だ。5世紀のものだそうでびっくりだ。

Trieste サン・ジュスト聖堂床のモザイク

Trieste サン・ジュスト聖堂鐘楼①

鐘楼にはいってみると1階部分は土産物売店になっている。中の壁や柱はローマ時代のものなのだろうか?

次はカステッロへ。カステッロは市立博物館になっている。ちょうど14世紀の特別展開催中。入場料(1人3.5ユーロ)2人分を10ユーロ紙幣で払ったところあるはずのお釣りをくれない。『ここでいいんだ・・・』ちょっと変な顔をしたら係の人が折りたたみの観光ガイドを二つづつよこした。イタリアらしい。
ここでは武器(槍、弓、剣など)や貨幣、聖具、手紙など沢山展示されている。見終えたあとカステッロの屋根の部分に登りざっと一周してカステッロからのトリエステの街を見下ろす。

Trieste カステッロ

Trieste カステッロからの市街とアドリア海①
出る頃にはちょうど12時の鐘の音がなった。

◆ワン・プレート・ランチ
夕べホテルのフロント嬢に教えてもらったElefanteBiancoへランチに行く。前を通ったときランチ定食の小さな看板を見ていたからだ。

店に入っても誰もこない。時間が12時ちょっとのため客もいない。さらに中に入りフラッシュつきで店内の写真をとるとフラッシュで気づいたのかオーナーらしい男性が出てきた。
開いているか尋ねると“Certo!!”。

テーブルクロスが黄色基調でなかなかお洒落な感じだ。

Trieste Elefante Bianco店内①

 

メニューを持ってきたので定食にしたいと言ったのに通じない。外にあるメニューを一緒に見に行き、了解となった。水とワインがついて一人15ユーロ(他にコペルト2.5ユーロ)。ワインのボトルは真ん中のテーブルに置いてある。その中からシャルドネが注がれる。料理の注文を取りにこないなぁと思っていたらワン・プレートで出てきた。これにはちょっとびっくり。
ワン・プレートとはいえ、ホタルイカのスパゲッティ、セコンドとして鰯の空揚げ、フルーツトマトとルッコラのサラダと一応は揃っている。スパゲッティはそこそこのボリュームで美味しかった。

Trieste Elefante Bianco ワン・プレート・ランチ

 

◆大運河を見てからヴィチェンツァへ
まずまずのランチのあとまたトリエステNo.1の統一広場を名残惜しく訪れる。何度見てもこの広場は素晴らしい。
ホテルのあるサン・ニコロ通りも突っ切りどんどん歩いて大運河へ行く。大運河は今でこそその役目を終えているが海からサンタントニオ・ヌオーヴォ教会前の広場まであり水面は陽射しをあびキラキラと輝いている。

サンタントニオ・ヌオーヴォ教会を見ようとしたが昼休み中なのか閉まっていたので外観のみ観光、ファサードはトレヴィーゾのドゥオモのようにギリシャ神殿風で6本の円柱で支えられている。クーポラは低めの丸い屋根でちょっと変わっている。

Trieste サンタントニオ・ヌオーヴォ教会

 

大運河の北側には例によって大きなパラソルのリストランテが何軒か、ムール貝のワイン蒸しを食べている人がいて「ここでランチも良かったかなぁ」と一瞬思った。

大運河を往復してからゴルドーニ広場からイタリア通りをぶらつきホテルに戻ってスーツケースを受け取りトリエステ中央駅に着いたのが14時15分。
14時45分発のヴェネツィア行きの電車は6番ホームと出ていたので行ってみるとすでに入線していた。定刻に発車、トリエステをあとにし今回の最後の訪問地、ヴィチェンツァに向かう。

◆泊まる
ホテル Continentale Hotel Torieste (★★★★),Via San Nicolo 25
1泊 Twin 19,367円、HotelClubで予約、円で前払い

◆食べる
●リストランテ Hosteria Bandierette, Riva N.Sauro,2

Trieste Bandierette
食べたもの

前菜 海の幸サラダ(シャコ、サーモン、あじの南蛮漬け、オイルサーディン、イカ、タコ、エビなど)12ユーロ、マグロの生ハム、9ユーロ。

Trieste Bandierette 海の幸サラダ
プリモ 小エビ、フルーツトマト、ペペローニのスパゲッティ(少しゆですぎ)11ユーロ。
セコンド 本日の魚のグリル(サーモン、スズキ、スカンピ、小さな鰯、イカ、エビ。レモンを絞って食べる。素材を生かした味)16ユーロ。

Trieste Bandierette 本日の魚のグリル
ワイン ハウスワイン(トカイ、白)をすすめられる。味があわなければ取り替えると言われ、そのつもりだったがなかなかテーブルにこないので妥協、結局お代わりする。何と6.5ユーロ×2本。
コペルト、水、カフェ込み2人で70ユーロ。
●リストランテ Elefante Bianco, Riva Tre Novembre 3
2日目のランチをとった店。本文の通り。コペルト込み2人で35ユーロ

Treviso (トレヴィーゾ)  2008/9/22~23

Treviso (トレヴィーゾ)  2008/9/22~23

◆行く
この町に行く気になったのは陣内秀信氏の『イタリア小さなまちの底力』を読んで「二十分で歩ける庭園都市」と紹介されていたからだ。小さな町でありながらベネトンの本社があるというところだ。

◆ヴェネツァ経由トレヴィーゾへ
2日間のパドヴァ観光を早めに終え天気もいいのでヴェネツィア経由でトレヴィーゾへ行くことにした。というのは直行するにしても本土側のメストレで乗換える必要があり、ならばあの魅惑的なヴェネツィアの空気を少しでも感じようと思ったからだ。

11時10分発の電車で昨日のブレンタ川下りの町、ドーロで乗換えそのままヴェネツィアのサンタ・ルチア駅へ向かう。ヴェネツィアは4度目だったが、2階席しかも進行方向の逆に座っていたため島に渡る気分がしない。
11時53分到着。手荷物預り所が工事のため移動していてサインを見て右往左往した。
12時20分すぎようやく預け終え駅の外に出る。天気がいい!日が照っていると夏みたい。昨日とは随分の違いだ。

いつもながら大変な人ごみのリアルト橋サン・マルコ広場を抜け、一番東のカステッロ地区の方まで行きガリバルディ通りで大運河に面したサンタ・マリア・デッラ・サルーテ教会を望みながらランチを楽しんだのちほぼ同じところを通りサンタ・ルチア駅まで戻る。約4時間の滞在だったがヴェネツィアらしい景色を目の当たりにし大満足。

venezia リアルト橋からの大運河
Venezia サン・マルコ広場の賑わい

乗車券を買ったすぐあとに発車する電車に気づいたが行先が確認できずあきらめ16時17分のウーディネ行きの電車に乗る。ほぼ定刻の16時50分到着。いつものことだけど初めての駅に降り立つときはワクワクする。

◆ホテルにチェックイン
予約していたホテルはContinental Hotel、駅のすぐ近くのはずだ。駅を出てから橋をひとつ渡ったところはローマ通り。本当にすぐだったがHotel Carltonもすぐ近くにあり一瞬そっちに行ってしまいそうになった。
部屋は101、パドヴァのホテルよりちょっと狭いが全体にシック、床は寄木だ。

◆夕方のそぞろ歩き
17時半、毎度のことだがリストランテ探しも兼ね街に飛び出す。
ローマ通りポポロ通りボルサ広場をすぎてから左に行くと時計塔が見える。シニョーリ広場だ。時計塔は正面、ポデスタ宮にある。右手には三百人館があり下の階はカフェになっている。

Trevizo ポデスタ宮と三百人館

Trevizo ポデスタ宮の時計塔①

この広場の隣にはベネトンがある。本社は郊外のようだが敬意を表してこのお膝元の店でお土産を買う。

シニョーリ広場からさらに進むと別の時計塔が見えた。そこがドゥオモ、中に入るのは明日にして外観を正面から見る。ファサードはギリシャ神殿のようだ。

Treviso ドゥオモ ファサード

 

◆カフェで乾杯
来た道をまた逆に戻りシニョーリ広場からの左の道からインフェリオーレ通りに。

このあたりにはチェーナの候補店が2軒あったので店構えを確かめたあと、シニョーリ広場のカフェで恒例の一休み。キリリとしたプロセッコで乾杯だ。日が落ちたので座っていると寒い、昼の暑さからみるとうそみたいだ。

この広場はなだらかな起伏があり座っていても何となく落ち着く。向かい側の建物の窓にある鉢植えがとてもきれいだ。
その隣の建物の壁にはうっすらとフレスコ画が残っている。
19時の鐘がなる。半袖なので肌寒い。

ホテルに戻る途中(というかすぐそば)にさらに2軒チェック、部屋に戻って相棒の兄とリストランテ選びの作戦会議。1泊だけなので真剣だ。

『歩きつかれたので近いところにしよう』『サービス料12%でもチップを考えるとそんなに高いわけでもないし・・・』と一番最後にチェックした隣のホテル1階のリストランテに決めた。

◆チェーナ
ということで20時半頃ミシュラン・フォーク2本のL’Incontroへ。

 

Trevizo-Lincontro-エントランス

Trevizo-Lincontro-エントランス

Trevizo-Lincontro

Trevizo-Lincontro

ウィンドウ、入口ドアに書かれた店名は超モダン・アート。中に入るとさすが、黒服、ネクタイ姿の年輩のカメリエーレが寄ってくる。
突然『コンバンワ!』といわれキョトンとしていると今度は中国語で挨拶されたがこっちが日本人だと分かると片言の日本語でずーっとサービスされる。
それもそのはず、この店は何と玉川高島屋に出店していたことがあり彼は東京に住んでいたことがあるという。

英語併記メニューとにらめっこしていると全く同じ日本語メニューを持ってきてくれた。最初のプロセッコが注がれると『カンパイ!』といってサービスされる。
それで分かったのはこの店は肉料理の店だということ。魚はわずかにスモーク・サーモンがあるのみ。
『リゾットは日本語メニューにあるがイタリア語(英語)メニューにはないが・・・』と訊くと『リゾットはポルチーニ』といって生のポルチーニをカゴで持ってきてみせてくれた。
結局、前菜に牛肉のスモークのほかに各自アンティパスト・ミスト(セルフサービス)、それにリゾット2皿、「それでやめてとおきなさい」となかば強制され、従う。きっと日本人の胃袋を考えてのことだろう。
ワインは赤とだけ伝えると、アンティパスト・ミストをとって席に戻ると抜栓したボトルがあった。

Trevizo-Lincontro-前菜

Trevizo-Lincontro-前菜

お腹が本調子ではないのでアンティパスト・ミストはセルフサービスでもほどほどにしたが隣のテーブルの人などは3~4倍とっていたのにはびっくり。

 

牛肉のスモーク一皿をシェア、しっかりとした味だ。ポルチーニのリゾットは乾燥ポルチーニと違って香りだけでなく食感がいい。

Trevizo-Lincontro-ビーフのスモーク

Trevizo-Lincontro-ビーフのスモーク

Trevizo-Lincontro-ポルチーニのリゾット

Trevizo-Lincontro-ポルチーニのリゾット

 

食後に『何か?』と訊かれたのでチーズを頼むと各々にクリーム・チーズぽいチーズに蜂蜜がかかったものが出されそのほかにパルミジャーノが塊(多分300グラムくらい)で出てきた。イタリアでも初めての体験だ。その塊の1/3くらいを2人で食べる。

Trevizo-Lincontro-パルミジャーノがこんな形で

Trevizo-Lincontro-パルミジャーノがこんな形で

食後酒のグラッパは冷たく冷えたボトルをそのまま置いていく。パルミジャーノ同様太っ腹だ。好きなだけ飲んでいいということだろうが2杯目は少なめに飲む。あわせるようにプティフール(クッキー)盛合せが出てきてディナー終了。満足、満足だ。

店を出ると隣が我がホテルなのだが『近い方がいい』といった相棒が『まだ早いからもう一度シニョーリ広場に行こう』と、また歩く。小さな街だからすぐだ。
夕方とは違うカフェ、三百人館1階に行き、飲みすぎに注意する私はエスプレッソ、相棒は赤ワインでトレヴィーゾの夜を楽しむ。このとき気づいたワイン・グラス、0.1lという表示がありちょうどそこまで注がれていた。これはいいなぁ、と思った。

Trevizo 目盛りつきのグラス
23時頃ホテルへ戻る。

◆総裁選を知る
この日は自民党総裁選。TVのニュースで麻生氏が予想通り選出されたのを知った」。
翌朝も繰り返し報道されているがコメントは分からない。このところ毎年この時期に日本の政治の動きがあり旅行中のイタリアでそれを知ることが恒例となっている感がある。

◆トレヴィーゾ観光
8時半すぎ観光スタート。トレヴィーゾはヴェネツィアとは趣が違うが水路の町だ。
ホテルを出てすぐ橋を渡ると右手に水門みたいのがありそこでごみなどを自動的に持ち上げきれいにしている。水の流れはゆったりとしている。

Trevizo 水門

 

まず、ドゥオモへ向かったが『途中に《おっぱいの噴水》があるはずだ、どこだろう?』とシニョーリ広場とドゥオモの間を行きつ戻りつするがわからない。右手の小道にも入ってみるがわからない。通りがかりの小柄な老人に尋ねると嫌な顔ひとつせずに連れていってくれた。尋ねた場所からはかなり広場まで戻ったので申し訳ないくらいだ。
その噴水は裏通りの奥まった一角、もうほとんど美容院の中庭みたいな感じのところにグラマラスな身体をみせている。そこにあるのはレプリカで本物は市立博物館にあるらしい。

Trevizo おっぱいの噴水②

 

ドゥオモの外観は昨日みているが今日は中に入る。3廊式。ティツアーノのフレスコ画があるらしいがどれだかわからずじまい。

Treviso ドゥオモ 内陣

 

Treviso ドゥオモ 画

ドゥオモの前の通りを西に行き途中で右折、落ち着いた住宅街を進む。大きな通り(カヴール通り)に突き当たって左折し、サンティ・クアランタ門の外に出る。この門の上部にはヴェネツィア共和国の象徴の獅子像が彫られていてこの町がヴェネツィアに属していたことがわかる。写真を撮るがやや逆光気味か。

Treviso サンティ・クアランタ門

 

◆城塞を歩く
カヴール通りを戻り、市立博物館へ行ってみたが修復工事のためクローズ。その先を左折、壁に沿って歩く。途中から壁の上が散歩道になっているのを知り、上がって歩く。城塞の上を歩いているわけだ。

Treviso-城壁の上の散歩道

Treviso-城壁の上の散歩道

Treviso-お濠と水鳥

Treviso-お濠と水鳥

足元にはお堀の水の流れが見える。いい雰囲気のプロムナードだ。男二人で散策するのはもったいない。あざ笑うかのように突然栃の実が頭上から落ちてきた。

◆メルカートから北東へ
露天市(メルカート)のテントが右手下に見えてきたので下りてその市の中を歩く。買う、買わないにしても歩いて見て楽しい。
衣料品、花、日用品、だいぶ進んだところで青果(これがあると実にカラフル)、そしてチーズ、魚(1軒だけ)お惣菜など。この町でも圧倒的に衣料品店が多い。
グラッパ産のチーズがあったので値段を訊いたらすぐ量ってくれ3ユーロちょっとと安いので1個買う(スモークチーズの一種、割とふわっとしている)。

そのまま歩き北東にあるサン・トマーゾ門の外に出て写真を撮る。

Treviso サン・トマゾ門①

 

また中に戻ってサン・フランチェスコ教会へ行ってみたが修復工事中。教会前の広場を通り、サン・タゴスティーノ教会を訪れる。丸っぽくて白い内部、入口近くで遠慮がちに写真を撮っていたらおば様が来て『主祭壇の前に行って撮りなさい』とお墨付きをもらう。

Treviso-サン・タゴスティーノ教会 ファサード

Treviso-サン・タゴスティーノ教会 ファサード

Treviso-サン・タゴスティーノ教会 主祭壇

Treviso-サン・タゴスティーノ教会 主祭壇

 

◆川中のペスケーラ
地図を見ると近くにペスケーラ(魚市場)があるらしい。その名もペスケーナという小道を行くと川の中の小さな島に数軒の魚屋があった。時間のせいか半分の店は閉まっていたが1軒には人だかり。そばに行ってみるといろんな種類の魚介類。新鮮で美味しそうだ。スカンピ、もぞもぞ動く小さなカニもある。

Treviso-ペスケーラ(魚市場)

Treviso-ペスケーラ(魚市場)

 

来た道を戻り、サン・タゴスティーノ通りからカルロ・アルベルト通りへ。これで町の東に来たことになる。サンタ・マリア・マッジョーレ教会の前の広場はまるで駐車場と化している。小さな町で中世そのままなので車をとめられるところが少ないからやむを得ないのだろう。

サン・アガタ通りを通ってホテルに戻る方向に行くと、途中橋の上からの運河の流れの眺めがあまりにもいいので写真を撮り合う。橋の上の交通量が多いのでなかなか大変だ。

運河に沿ったリヴィエラ・サンタ・マルゲリータ通りを水面を見ながら歩く。実にきれいで気持ちが洗われる感じだ。トレヴィーゾに来た甲斐がある。

一旦ホテルに戻り荷物をまとめチェックアウト。スーツケースを預け最後の観光と食事に出る。

トレヴィーゾはこじんまりしているが品のいい感じの町だ。お店も洗練されている。川の流れもゆったり。天気のいい今日はいい。

◆サン・ニコロ教会はどこ?
サン・ニコロ教会に行こうとして大きなはずの通りがわからずドゥオモ近くまで行ったので地図を見直して進むと何とホテルを出て橋を渡ってすぐ左正面の像のあるところがヴィットリア広場でそれを左折するとさっきわからなかった「大きなはずの通り」サン・ニコロ通りだった。

サン・ニコロ教会はファサードのように見えたところは実は北の壁、通常のファサードにあたるところはなさそうで、北側のどてっ腹から入る。
中は広い。3廊式で柱にはフレスコ画、右の壁には大きなモザイク画がある。内陣も含め大きな絵が沢山掲げられている。

Treviso-サン・ニコロ教会

Treviso-サン・ニコロ教会

Treviso-サン・ニコロ教会-受胎告知フレスコ画

Treviso-サン・ニコロ教会-受胎告知フレスコ画

ここを出るとちょうど正午、2方向から教会の鐘の音が聞こえる。

 

◆ティラミス発祥の店でランチ
さて、ランチ。トレヴィーゾはティラミス発祥の地でその発祥となった店、Beccherieに行くことに決めていた(本当は夕食で行きたかったが前日は定休日だった)。
シニョーリ広場の裏側だとホテルで聞いていた。三百人館の裏にあたる店に着くとジャケット、ネクタイ姿のオーナーに迎えられる。
天気がいいのでテラス席にした。

Treviso-Beccherie

Treviso-Beccherie

Treviso-Beccherie-テーブルセッティング

Treviso-Beccherie-テーブルセッティング

食前酒のプロセッコでスタート。食事を終え時間をおいてからドルチェのオーダーを取りにきて『ティラミス?』と訊かれたので“Si!”。名物だもの、当然。
しっとりとしてそれでいて水っぽくなく美味しい。

Treviso-Beccherie-本家本元のティラミス

Treviso-Beccherie-本家本元のティラミス

2人でチップ込み80ユーロとランチとしてはちょっとかかったが、ティラミス発祥の店らしいしミシュランのフォーク2本なので満足だ。

この店は池田匡克氏の『イタリア老舗料理店』で紹介されていてオーナーへの取材もあったので尋ねてみたが、こちらのイタリア語が通じなかったのか『知らない』と言われてしまった。

ランチを終え、ホテルでスーツケースを取って駅へ。次の目的地トリエステ行きの電車を約25分待つ。爽やかだった暑さもこの時間には陽射しが強くジリジリするほどだ。定刻より少し遅れ14時29分トリエステ直行の電車に乗ってトレヴィーゾをあとにする。

◆食べる
●お店の名前 L’Incotro, largo Porta Altinia 13
食べたもの 本文の通り チップ込み 2人で100ユーロ
ワイン CASTELLO di RONCADE, PIAVE (cabernet)

グラッパ BONAVENTURA MASCHIO, PRIME UVE, VENDEMMIA 2005

Trevizo-Lincontro-ワイン-Castello-di-Roncade PIAVE

Trevizo-Lincontro-ワイン-Castello-di-Roncade PIAVE

Trevizo-Lincontro-グラッパ

Trevizo-Lincontro-グラッパ

●お店の名前 Antico Ristorante Beccherie, Piazza Ancilotto 11
食べたもの 前菜はヴェネトの甘い生ハムとメロン、地元のサラミにポレンタ添え、(2品で16ユーロ)
サラミは一切れがかなり大きく太いもの、脂が結構あるがしっかりした味。やや塩気がきつい。

Treviso-Beccherie-生ハムとメロン

Treviso-Beccherie-生ハムとメロン

Treviso-Beccherie-サラミのポレンタ添え

Treviso-Beccherie-サラミのポレンタ添え

プリモ イカ墨のスパゲッティ(8ユーロ) 濃厚で唇が真っ黒になる。
セコンド ホロホロ鳥のロースト(15ユーロ)
(プリモ、セコンドをシェア)
ドルチェは二人ともティラミス(8ユーロ×2)
食前酒のプロセッコ、ハウスワイン(カベルネ・ソーヴィニオン)500ml、水、コーヒー、コペルト(3ユーロ×2) チップ込み 2人で80ユーロ

◆泊まる
ホテル Continental Hotel Trevizo (★★★★) ,Via, Twin 13,699円、HotelClubでネット予約

◆買う  男の子用パーカー、女の子用Tシャツ
お店  Beneton, Piazza Indipendenza
サイズが年齢ではなく身長のためちょっと苦労する。

◆読む
●本の名前 『イタリア 小さなまちの底力』陣内秀信著
トレヴィーゾに行く気にさせてくれた一冊。
ヴェネトの小さな町を訪ねようと思い、ネットで情報を検索していたらあるサイトに『この本を読んでトレヴィーゾへ行ってみようと思った』と書かれていたので参考になるかなぁと思いAmazonから購入(書店で探したが在庫なし)。
著者が留学されていたヴェネツィアはもとよりその後30年にわたり研究過程で訪れたイタリアの北から南までの数々の町が、そこに住む人(いろんな意味での知人)やイベント、多様な広場や建物そして文化を中心に述べられていてそれぞれの町の雰囲気がよくわかる。さらには、イタリアそのものの理解が深まる。

●本の名前 『イタリアの老舗料理店』池田匡克著(角川書店)
10ページにわたりBeccherieが紹介されている。ホロホロ鳥のローストはここの名物料理のようだ。

Padova (パドヴァ) 2008/9/20~22

Padova (パドヴァ) 2008/9/20~22

◆行く
パドヴァは2度目だ。前回(1999年9月)はヴェネツィアからラヴェンナへ移動する途中ジョットのフレスコ画でうめ尽されたスクロヴェーニ礼拝堂をみるためだけにちょっと寄っただけだ。今回はヴィチェンツァを中心としたヴェネトの旅、ということでヴェネト州第二の都市、パドヴァをじっくり見るつもりで行くことにした。今年の相棒は2つ上の兄だ。

前日、日本からミラノに着き1泊し、8時55分発のICでミラノ中央駅を出発。
ホテルを出た頃は肌寒く雲っていたが、列車が走り始めた頃はうす曇り。ところどころ青空がぼんやりと見える。あたり一面はとうもろこし畑だ。そのうちぶどう畑に変わる。
約3分遅れで11時すぎパドヴァ到着。

まず荷物を置くためスクロヴェーニ礼拝堂のちょっと先のホテルに向かったつもりだったが9年前の記憶が定かでなくちょっと方向を間違えたりして20分ほどかかってしまった。

◆パドヴァ旧市街を下見
荷物をフロントに預け、いざ市内へ。ホテルを出て旧市街へ向かう。すぐカヴール広場、その先に市庁舎があり、ちょうど結婚式の人たちが大勢いる。そういえばホテルのロビーには結婚式に出席するような服装のグループがいたのを思い出す。

Padova 市庁舎

市庁舎の向かいは13世紀に創立されたパドヴァ大学、何となく古めかしさを感じる入口だ。

 

右に曲がると果物と野菜の市が立っている。ラジョーネ宮の南にあたるエルベ広場だ。ラジョーネ宮をぐるっと回ると果物や野菜のほか衣類やパスタなどの店が沢山ある。あとで地図で確かめるとそこはシニョーリ広場だ。相変わらずイタリアの市はすごい。

Padova エルベ広場とラジョーネ宮

 

ちょうど昼頃になったので「歩き方」に出ていたオステリア”Al Pero”を通りがかったので昼食にする。12時ちょっと、というのに客はほとんどいない。それぞれ前菜とプリモを注文し、ワイン0.5lを二人で飲みパドヴァでの初の食事とした。

Padova al Pero たこのカルパッチョ

Padova al Pero フンギのポレンタ

◆パドヴァの町歩き
腹ごしらえを終え、ホテルに戻りチェックイン。14時頃、いよいよ観光スタート。
PADOVAカード購入もかね、市立博物館とスクロヴェーニ礼拝堂へ行く。PADOVAカード購入と同時に礼拝堂の予約をするのだが(前回は予約制ではなかった)何と礼拝堂は17時15分の予約だ。係のおばさんからそれまで博物館を見るようすすめられる。

博物館は前回も感じたが展示物がやたら多い。ギリシャ・ローマ時代の彫刻、エジプト関係、宗教画、祭壇画などなど。
要所、要所に係員がいて『次はあっち』と指示してくれる。
最後の方でマンテニャの作品を声かけて教えてくれた。その作品は透明のパネルで覆われた小さなもの、教えてもらわなければ多分見逃しただろう。

これでも予約時間までたっぷりある。戻ってさっきの係のおばさんに訊くとズッケルマンの邸宅の博物館に行くようにとのこと。右に出てアレーナの方に行ったが何もない。戻ったところの看板で確認するとトラムのレールの向こう側だ。
ヴェネト州3番目の都市、パドヴァにさえこんないろいろな芸術作品が集まっているのに感心する。

ズッケルマン氏はパドヴァの財界人。19世紀のスタイルの邸宅が博物館になっている。
入ってすぐ右は近代美術(パスする)。上の階にはBottacinコレクション(ギリシャ、ローマ時代の貨幣)が展示されている。寄木細工の調度品や食器、宝石、指輪なども展示されている。
これを見終えてもまだまだ時間があるので恒例のリストランテ探しもかね近くをぶらぶらし、戻って市立博物館のカフェでスプマンテを飲む。
17時ちょっと前にもとの切符売場に戻り入場を待つ場所を教えてもらう。礼拝堂入口のすぐそばだった。

17時15分丁度に中に入ることができたが、そこは礼拝堂ではない。まず椅子に座ってDVDを見せられる。約10分少々。15分後ようやく念願のスクロヴェーニ礼拝堂の中に入ることができた。壁いっぱいジヨットのフレスコ画が描かれているが2度目なので相棒に説明する。
3月27日に朝日が差し込む先はどの絵なのかいろいろ考えてみたが結局わからなかった。
場内では父親が子供に場面の説明をしたりする様子がみられほほえましい。

15分ちょうどで観覧終了となり17時45分退館。そのあとPADOVAカードを効率よく使える(2泊するとはいえ翌日は朝から昼すぎまでブレンタ川遊覧で市内観光の時間があまりとれないので)ということでカフェ・ペドロッキとラジョーネ宮に向かう。

カフェ・ペデロッキの閉館時間が「歩き方」に出ていた18時30分ではなく18時ちょうど、閉館になったことを教えられる(入口を探すのに一回りしてしまう)。

Padova カフェ・ペドロッキ
ラジョーネ宮も一回りしたがどうも修復工事中のようだ。

ラジョーネ宮を取り巻く広場の市は終りに近づいているようだけどラジョーネ宮の下はアーケード2本、各々の両サイドにはいろいろな店がある。
ここでの見学はできないので遠く離れた19時まで入場できるサン・ジョルジョ礼拝堂サンタントニオ聖堂へ行くことにした。

サンタントニオ聖堂前の広場に着く。守護聖人、そして巡礼で訪れる人が多い総本山のためか聖堂がどっしりとしていてものすごく大きい。

Padova サンタントニオ大聖堂①

サンタントニオ聖堂に入ると荘厳なミサの最中で、中を歩き回る雰囲気ではないのですぐに出た。
印象は後陣に行くほど装飾はみごとだけれど全体には装飾を押さえ質素な感じで威厳がありかえって圧倒されるようだ。色は茶、クーポラもそんな感じ。壁などは白、茶、黒の3種類か。

サン・ジョルジョ礼拝堂は右隣だ。PADOVAカードを見せて入ろうとしたらさらに一人2ユーロ必要だった。スクロヴェーニ礼拝堂と同じく壁には絵巻物のフレスコ画(キリストとサン・ジョルジョのようだ)。英語の説明文を読んではみたもののよくわからない。礼拝堂の中にはもう一組、韓国人の修道士が一生懸命説明していた。

Padova サン・ジョルジョ礼拝堂②

Padova ガッタメラータ騎馬像

Padova ガッタメラータ騎馬像

広場にはのろうそくや宗教関連のみやげ物の屋台が出ていてサンタントニオ聖堂が巡礼者の多いことを示している。広場からサンタントニオ聖堂の左に目をやると道を隔てた建物群が整然としていて美しい。

Padova サンタントニオ聖堂左の建物群

 

来た道をゆっくりと戻ると門前町をあらわすように巡礼者用のおみやげの店が多い。

Padova サント広場の巡礼者向けの店

◆パドヴァの夕食
場所まで確認しに行ったリストランテに行くことにしてホテルのフロントから電話してもらったところ休みのようだった。ホテルの中のリストランテZaramellaがいいといわれ、ミシュラン2本フォークだったのを思い出し20時半に出かける。

フロントの横から入ってみるとゆったりとテーブルが置かれたエレガントな雰囲気だ(といってもお客の服装はカジュアル)。

ワインを頼むのに迷い、ワインリストの赤の中で地ワインを教えてもらう。
海が近い町なので前菜からプリモ、セコンドと二人とも魚で攻める。
前菜はマグロのカルパッチォ(茄子とジェノヴェーゼみたいな味のソース)と海の幸サラダ(エビ、シャコ、ムール貝、あさり、小さなイカなど)。この海の幸サラダには、オリーブオイル、胡椒、レモン半分で自分の好みで味付ける。シンプルだけれどめっぽう美味い。今までの同じ物の中で最高だった。

Padova Zaramella まぐろのカルパッチョ

Padova Zaramella 海の幸サラダ

プリモは何というんだろう。ぎょうざの皮みたいものを重ね間に何か(イカ墨?)をはさんだもの。上にエビが乗っている。これもものすごく美味しい。この店にして良かった!

セコンドは相棒はガンベローニ(エビ)、自分はアドリア海の白身魚を揚げたものにフンギ・ポルチーニが添えられたものにした。

Padova Zaramella ガンベローニ

 

イタリアでの夕食ではよくあることだが満腹状態。テーブル横にデザートがワゴンで運ばれてきたが手を振ってパスする。食後酒もカフェもパスだ。

Padova Zaramella ワゴンサービスのデザート

 

リストランテ入口から外に出てぶらぶらしてから一杯飲もうとしたがとてもそれどころではなくホテルへ戻った。

◆2日目はブレンタ川の川下り
8時30分出航の遊覧船をネットで予約していた。途中ヴィラを見学し、ドーロというところまでの半日観光だ。

7時50分すぎホテルを出て乗場に向かう。寒いのでセーターを着る。結構遠く、プリントアウトした地図を片手に歩くが途中通りの名前が分からなくなり遠回りしあせる。
交差点で親切なのか『何か情報が欲しいのか?』と声かけられたが信じていいのか、時間がとられては困るので遠慮する。

そのうちだいたいの方向がわかり、前方にぞろぞろと橋をわたるグループが見えたのでついて行くと小さな船着場(ホテルから1.7km、22分もかかってしまった)。そこにいた係とおぼしきおじさんに訊くとどうもここらしい。

Padova ブレンタ川遊覧 船が待っている

Padova ブレンタ川遊覧②

8時半すぎ出航。熟年の女性ガイドが『日本人も二人乗っている』とアナウンスしてくれ何だかこそばゆい。いろいろ説明しているが(もちろんイタリア語で)パドヴァとヴェネツィアのかかわりが中心のようだ。

我々は船の前部のややうしろに座っていたが進むにつれ前方からの風が冷たく寒い。誰かが言ったらしく橋の手前で停まったときおじさんが運転をやめ前のビニールシートを下ろし両側のファスナーをかける。風はほとんど感じなくなった。
川幅はそれほど広くない。日曜とあって両岸を散歩をしている人が見えたり何となくのんびりとしている。

Padova ブレンタ川遊覧 川岸

 

船の中から妻と長男にメールしてみた。長男からは『今どこ?』という返事がすぐ返ってきて・・・
いい意味で大変な時代になったもんだと痛感する。

この川下りのおもしろさは水門で水位がかわることだ(’08年の教育TVイタリア語会話でもモニカが遊覧船に乗り水門の説明をしていた)。9時10分頃最初の水位チェンジ、後ろの水門を閉じ前を開ける。

Padova ブレンタ川遊覧水門1①

Padova ブレンタ川遊覧水門1②

9時半ごろには2ヵ所目の水門、ここは大きな建物をくぐるような水門だ。水面の高さは前後で1mくらいの違いがある。

Padova ブレンタ川遊覧 ふたつめの水門②

Padova ブレンタ川遊覧 ふたつめの水門④

間もなく左手にヴィラが見え、みんな左側に寄って写真をとるがここで下船。

Padova ヴィラ・ピサーニ(船から)③

結構大きな道路を渡りヴィラ・ピサーノへと歩く。

Padova ヴィラ・ピサーニ③

入館見学だけれど大勢の観光客がいてすぐには入れずかなり待つ。

Padova ヴィラ・ピサーニ 正面①

Padova ヴィラ・ピサーニ 観光客がいっぱい

グループごとに発券されていたようでガイドから渡されたチケットの入館時刻は10時29分だったが10時すぎに入ることができた。ガイドを置いたまま二人でどんどん進むと同じ船のグループと一緒になる。
部屋は今まで見たいろいろなヴィラ、宮殿のように寝室、食堂、図書室、音楽室などいくつもある。

エマヌェルⅡ世、ナポレオンの寝室(隣の部屋がバスルーム)をすぎるといよいよSala di Ballare(舞踏の間)、柱はダマシ絵、天井にもダマシ絵(ないのにクーポラがある)。2階バルコニーはオケの場所か、手すりの金色の装飾がすごい。

この部屋の対面が外の庭園。ものすごく大きいがその向こうにまた建物がある。これにて館内見学終了、庭園に出て写真を撮り合う。

Padova ヴィラ・ピサーニ 庭園②

しかし、当時の貴族は大したもんだ、としみじみ感じた。
11時すぎ船着場に戻り船がくるのを待つ(船着場が小さいので次にくる船のためにどき、近くで待っているようだ)。停泊中の大きな観光船に横づけされたので大きな船を通り抜けて乗り込む。なかなか面白い。
11時22分出航。

Padova ブレンタ川遊覧 他の船②

 

12時頃、左手前方に教会が見えたとたんに船着場、下船。どうやらここが我々にとっては最終目的地ドーロのようだ。

Padova Doloの教会①

Padova Dolo 水車

日曜の昼とあって船着場近くにはパラソルの下、食事を楽しんでいる風景が目に飛び込んできた。

Padova Dolo 川沿いのカフェ

 

◆イタリア人夫婦2組とランチ

船を下りて団体客と別れ、ガイドのダニエラにイタリア人夫婦2組と我々の6人でリストランテに連れて行かれる。他の2組は食事込みのようでダニエラから『自費でいいですか?』と訊かれ了解する。いずれにしてもドーロでお昼を食べてからパドヴァに戻るつもりだったので悪くはない。

奥の広いリストランテだ。テーブルの間隔は結構狭い。テーブルに6人でつき同じメニューでいいか確認されたので同意する。その方がお互い好都合だろう。
そのうち空いていたテーブルもどんどん埋まり店内は活況だ。

熟年夫婦はパドヴァ在住、若い夫婦はトリノから来たとのこと。1年前にトリノに行ったことを話題にしたがあまり話が続かない。4人はヴェネツィアまで船下りを楽しんだのちパドヴァ夫妻は電車でパドヴァに戻り、トリノ夫妻はヴェネツィアで泊まるとのこと。

料理は、①海の幸サラダ②野菜サラダ③海の幸リゾット④干しダラ、イカ、エビのグリル⑤ドルチェ⑥ぶどう、どれもすごいヴォリュームだ。

Padova (Dolo) Al Cristo 海の幸サラダ

Padova (Dolo) Al Cristo 干しダラなどのグリルPadova (Dolo) Al Cristo ドルチェ
(パン、水4本、赤ワイン込みで一人26ユーロ)

食後4人と別れダニエラにパドヴァまでのバス停の場所を教えてもらう。意外にバス停は近く、歩き始め通りを横断したところでパドヴァ行きのバスがきたので飛び乗る。待ち時間ゼロだ。ドライバーに言って切符を買う。

◆パドヴァで迷う

およそ30分で見慣れない場所が終点らしく下車。Fiera(見本市)会場の近くでサン・タントニオ聖堂に良く似た教会を通りすぎてすぐのところだ。いわばバスターミナルのようだ。ここで誰かに訊けばよかったのだがそうしなかったために気持ちの上では迷子になったようなもの。とりあえずバスが来た方向の反対側に進む。駅に行く42番のバスが通りすぎたのでそのあとを追う。
通りの名前がわからないままどんどん歩く。突然PORTELLOという地名、『あれっ?朝の船着場の地名だ』。なんだか狐につままれたような感じだったが、あとは朝来た道を戻るようにホテルに帰った。バスを降りてから30分以上かかった。いまだに降りた場所がどこかわからない。

◆カフェ・ペドロッキとラジョーネ宮
一休みして15時半に出かける。今度は植物園(世界最古の植物園、世界遺産)を目的地として途中カフェ・ペドロッキに寄ることにした。

カフェ・ペドロッキは1831年創業され学生や知識人が集う歴史的なカフェだ。2階に上がり入口から入ったすぐの部屋はいわば宴会場。その奥はテーブルにお皿がセッティングされている。

Padova カフェ・ペドロッキ 宴会場

Padova カフェ・ペドロッキ 宴会場の天井① 

元の場所に戻りさらに奥の部屋に行くと打合せスペースのようなカフェ。さらに進むとイタリア統一の博物館になっている。エマヌエレⅡ世、ガリバルディなどにまつわるものや当時の軍服などが展示されている。

カフェ・ペドロッキを出て次は開いていないかもしれないけどラジョーネ宮に行く。市はすでに片付けに入っていたが、ラジョーネ宮を見上げるとバルコニーに人がいる。

Padova ラジョーネ宮①

 

昨日は閉まっていた階段入口も開いている。
まず、階段を上がりながら天井をデジカメにおさめる。2階にあたるサロンに入る時係の人から『フラッシュはダメ』といわれる。

Padova ラジョーネ宮 サローネの天井

 

中は相当広い。その壁面は何百(何千?)ものフレスコ画。

Padova ラジョーネ宮 サローネ

Padova ラジョーネ宮 サローネのフレスコ画

奥には木製の大きな馬の像、これはサン・タントニオ広場のガッタメラータの複製とのことだ(ただし、馬だけ)。
かなり広くて明るいのでフラッシュなしでも何とか撮れる。

◆骨董市
ローマ通りを南に下る。路上で骨董市が開かれているようだ、と思ってさらに進みプラート・デッレ・ヴァッレには見渡す限り骨董屋さんで一杯だ。見れば興味も湧くだろうが旅行者にとっては荷物になるので横目で見るだけだ。

Padova ローマ通りアンティーク市②

 

プラート・デッレ・ヴァッレは楕円形をした大きな公園だ。ここの真ん中を突っ切って向こうの植物園とおぼしき方へ行ってみたがそこは大きな駐車場だった。元へ戻り北へ進むと、最初サン・タントニオ聖堂の裏側と思った教会がサンタ・ジュスティーナ教会で90度ほど方向を間違えていたようだ。
サンタ・ジュスティーナ教会は赤茶色のレンガ積みのロマネスク様式で中は3廊式で内陣は予想以上に広い。

Padova サンタ・ジュスティーナ教会

 

ようやく植物園(OrtoBotanico)の看板が出てきた。通りを渡り標識にしたがって進む。最後は狭い道に入るのがわかりにくかったが何とかたどり着く。
規模は子供の頃よく行った札幌の北大植物園の方が大きい。大きさよりも歴史(1545年パドヴァ大学薬学部付属の薬草園として作られたヨーロッパ最古の植物園)がポイントなのだろう。ゲーテが惹きつけられた棕櫚の木は屋根のある建物で守られていた。ゲーテが見た木を見ていることに感慨を覚える。

Padova 植物園入口

Padova 植物園 棕櫚②

Padova 植物園 睡蓮②

Padova 植物園の花②

◆サン・タントニオ聖堂からエレミターニ教会へ
このあとはサン・タントニオ聖堂へ。中に入るとミサの最中で信者が大勢いる。邪魔にならぬよう壁づたいに一周しながら聖アントニオの墓や礼拝堂を見学するにとどめた。

昨日と同じ参道を戻りホテルに向かうが市立博物館隣のエレミターニ教会に寄ることにした。何度も通っていたのに「近いからまたあとで」と後回しになっていたのだ。

Padova エレミターニ教会 ファサード

 

ロマネスク・ゴシック様式だ。南側横の入口から入る。がらんとした一廊式。右奥のオヴェターリ礼拝堂前には20人くらいのグループが熱心にガイドの話を聴いている。そこにマンテニャのフレスコ画があるからだ。空襲を受けかなり痛んでいるが修復作業中のようだ。主祭壇、内陣にもフレスコ画がある。

これにてパドヴァ2日目の観光終了としホテルへ戻る。

◆日曜夜は食事が大変
19時45分夕食に出かける。フロントで教えてもらった店は休み。サン・タントニオ聖堂からホテルへ戻る途中もいくつかチェックしたがそのうち1軒だけ開いていたピッツエリアに行く。
ちょっとだけ待たされ通路脇のテーブルに座らされる。結構混んでいるのでいい店かもしれない(他の店が休みのせいもあるかもしれない。スタッフの動作がきびきびしていて感じ良い。
満足して店を出たがホテルを通り越し市庁舎やカフェ・ペドロッキ、パドヴァ大学の夜景を見てからホテルに戻った。

まだ9月20日すぎというのに一日中セーターを着ていた寒い一日だった。木々の葉も色が変わっているのもあり人々の服装も秋というよりは初冬の装いだ。寒くて長い一日だった。

◆パドヴァ3日目
7時ちょっと前に起き外を見ると墨絵のような空に帯状の雲。昨日とはうってかわってあったかく今日は晴れそうだ。

見逃しているドゥオモ礼拝堂が10時からなのでそれを見てからパドヴァから移動する予定だ。
ゆっくりと朝食をとってから8時40分頃出かける。表に出ると昨日とは違って月曜の朝、活気を感じる。夕べ写真をとった大学正面をもう一度写しエルベ広場からドゥオモへ。

Padova ドゥオモと洗礼堂

ドゥオモはロマネスク様式でレンガ積みのシンプルなファサード。右にはよりそうように礼拝堂がある。
ドゥオモの中は3廊式で全体に白く塗られ華美な装飾はない。右翼廊は聖母マリア、左翼廊にはキリストか。

Padova ドゥオモ 主祭壇

Padova ドゥオモ 右翼廊祭壇

洗礼堂にはまだ入れないので適当に道なりに歩く。テアトロ・ヴェルディ、修復中の市庁舎の大時計、ラジョーネ宮1階の商店街(肉、チーズ、食料品、お菓子、惣菜、パスタ、魚屋。市があるのでさすが青果店はない。)など歩き回る。

Padova ラジョーネ宮1階のサラミ店

Padova ラジョーネ宮1階のチーズ店Padova ラジョーネ宮1階の干しダラの店

Padova ラジョーネ宮1階の惣菜屋

時間調整をした後洗礼堂に着いたのが10時すぎ。

Padova 洗礼堂

パドヴァ・カードを見せて中に入る。
天井にはキリスト、取り囲むように聖人が大勢。入口を背に右側の壁にはキリストの生涯が9つの画面で描かれている。《ユダの接吻》はスクロヴェーニ礼拝堂のジョットの絵と良く似ている。修復したせいなのかこちらの壁の絵は実に美しい。
反対側の壁には《最後の晩餐》など、正面の高いところには《受胎告知》があり、天井の絵を取りまくように旧約聖書の場面が描かれている。
ものすごく美しいが写真を撮ることができないのが残念だ。

これでパドヴァの観光終了だ。このあとはトレヴィーゾに移動だが天気もいいのでヴェネツィアにちょっと寄ることにした。

ホテルに戻って荷物をまとめ、チェックアウト。駅に向かって歩き始め、エレミターレ教会のあたりでトラムが来たが間に合いそうもなく次のトラムで駅へ行く。

11時頃パドヴァ駅に着いたが11時02分発の電車は無理だと判断し自販機で11時10分発の乗車券を買ってホームへ。ちょうど電車が入ったところで2階席に行く。
11時27分、昨日のドーロに着く。ヴェネツィア、サンタ・ルチア駅には定刻より少し遅れて到着。

◆ヴェネツィアでランチ・タイム
6年ぶり、4度目のヴェネツィア上陸。
駅で荷物を預け(預かり所が構内工事のため移転していたので見つけるのに苦労)身軽なのでヴァポレットには乗らず路地を歩く。
リアルト橋、懐かしいなぁ。相変わらずここから見る運河は素晴らしい景色だ。

venezia リアルト橋からの大運河

サン・マルコ広場から運河沿いのスキアヴォーニ海岸通りを進む。

Venezia スキアヴォーニ河岸

島の東にある公園を一周して通り抜け運河の方へ戻る途中のガリバルディ通りのオステリアでランチだ。
遠くにはサンタ・マリア・デッラ・サルーテ教会のドームが見える優雅なランチ。

Venezia Al Garanghelo

Venezia Al Garanghelo フリット

来た道を戻りサンタ・ルチア駅へ向かう。約4時間の滞在だったがヴェネツィアらしい景色を目の当たりにし大満足。当日の朝思い立ち訪れることができるのも個人旅行の醍醐味だ。

16時17分発の列車で次の目的地トレヴィーゾに向かう(16時50分トレヴィーゾ着)

◆食べる
●お店の名前 Trattoria “al Pero”, via S.Lucia,72

Padova al Pero
食べたもの 前菜 たこのカルパッチョ、ポテトとオリーブ添え、フンギのポレンタ、チーズ添え。
プリモ リコッタチーズのニョッキ、チンギアーレのラグー・タリアテッレ。

Padova al Pero リコッタチーズのニョッキ

Padova al Pero タリアテッレ チンギアーレのラグー①
ハウスワイン(0.5l)、水、コペルトで64ユーロ
●お店の名前 Zaramella, Largo Europa,10 (ホテル内)
食べたもの 本文の通り。
ワイン   Colli Euganei Rosso Riserva 2004, VIGNALE (メルロ60% カベルネ・ソーヴィニォン40% 19.5ユーロ)

Padova Zaramella Colli Euganei
水、コペルトで86.5ユーロ
●お店の名前 Ristorante&Pizzeria Al Cristo, via Giuseppe Mazzini, 9,30031, Dolo

Padova (Dolo) Al Cristo
ブレンタ川遊覧船のオプションのランチ
食べたもの 本文の通り。ワイン、水込みで一人26ユーロ。

●お店の名前 Pizzeria Pago Pago, via G.Galeet, 59
食べたもの 前菜 生ハムとメロン(10ユーロ)、まぐろのカルパッチョをバルサミコ酢で(8ユーロ)。

Padova Pago Pago マグロのカルパッチョ

 

Zaramellaと同じ料理だが、あちらは盛り付けがエレガント、こちらは実質的でまぐろは脂がのっている。くるみがパラパラ。
プリモ トマトソース、バルサミコソースのニョッキ(7ユーロ)、ニョッキがかなりしっかりしている。長いのをゆでてから切ったようだ。量が多く少し残す。
ピッツア シチリアーナ(6.5ユーロ)、サラミ、オリーブなど。ピッツェリアだけあって3ページもの種類があり、しかも安い!ナポリほどではないがやや厚め。

Padova Pago Pago ピッツア・シチアーナ
ハウスワイン(0.5l×2)、水、コペルト、とカフェ、グラッパ各1杯で51.6ユーロ。

◆泊まる
●ホテル Hotel Europa Largo Europa, 9(★★★★)
http://www.hoteleuropapadova.com
Twin 120ユーロ×2泊
改装してから間もないようだ。廊下の照明は人がいるとパッと明るくなる。
フロントの人の話によると内装を担当したのは日本人だとのこと。
Booking.comで予約

◆買う(見る)
●PADOVAカード 48時間利用可能 一人15ユーロ
大半の観光施設、トラムがフリーパス(一部追加支払いのところもある)
●ブレンタ川遊覧船
Tour B/3をインターネットで予約 http://www.battellidelbrenta.it 一人43.5ユーロ
このコースはパドヴァからドーロまでの午前半日コースで水、金、土、日運航、この日程にあわせてパドヴァ滞在を決めたようなもの。

Bologna (ボローニャ) 2007/9/13~15

Bologna (ボローニャ) 2007/9/13~15

◆ウルビーノからボローニャへ
『7時だよ』の弟の声で起こされる。今日は8時35分のプルマンに乗るから急がなければならない。何といっても本数が少ないのだ。
1階のリストランテで朝食。チーズ、サラミ、フルーツ、他、さすがに品揃えが豊富で4つ星を感じさせる。
8時10分チェックアウト。プリンターの操作に手間取っているようだ。ちょっと時間が気になったもののわずか10分足らずで城壁外のバス停に着く。

8時40分プルマン出発。今日もいい天気だ。陽射しが強い中、走る。9時45分、ペーザロ駅到着。何と行きより10分も短い。

駅の窓口でボローニャまでのチケット購入。約1時間待って10時54分発ヴェネツィア行きのICに乗る。6号車の指定席を取っていたが、5号車から乗ったため座席にようやくたどりつくと例によって先客がいる。指をさしてどいてもらった。

駅で買ったヘラルド・トリビューン紙で首相辞任の記事を読みながら話し合っていたこともあってあっという間にボローニャ到着(定刻の12時31分より少し遅れる)。

今までの駅に比べると相当人が多い。9年前に泊まったホテルが正面にあるが名前が変わっていて時の流れを感じた。2度目だから駅からホテルまでの方向までわかっていたのでインデペンツァ通りをまっすぐ南に進む。ホテルはすぐそこの8月8日広場にあるが、ほんのわずかの距離の間に兄がジプシーのお婆さんにポケットに手を突っ込まれるというアクシデント発生。やっぱり大都会だ。さいわい被害なし。

◆ボローニャ観光の前に・・・
13時ちょうどホテルチェックイン。スーツケースを置きすぐに出かける。

まず昼食だが、意見がなかなか合わずそのうちマッジョーレ広場に着いてしまう。さらに左右の店を見ながら奥の通りを進み、結局右手の広場のカフェでフォカッチャ、パニーニ、グラスワインで軽いランチを取る。天気がいいので気持ちいい。

Bologna カフェのパニーニ①

 

グラスワインが1杯6ユーロなのでボトルの方が良かったかもしれない、と思ったのも飲み足りなかっただけではなくさわやかな天気だったかもしれない。

食べ終えてから近くに夕食のリストランテ候補があったのでそこへ行ってみるとその向かいにボローニャ一のチョコレート屋Majaniを見つけたが休み。マッジョーレ広場へ戻る。

◆二度目の斜塔
マッジョーレ広場の南側に聳える大聖堂は15時までクローズ。ならば、と斜塔へ行くことにする。

斜塔は二つあり、高い方がアジネッリの塔、低い方がガリセンダの塔でこっちの方がかなり傾いている。登れるのはアジネッリの塔だ。私は9年前に登っているが同行者2名はもちろん初めて。

Bologna 二本の斜塔

 

階段を何段か上がったところで入場料(1名3ユーロ)を払い、いざスタート。約100メートルで約500段はしんどい。1回目は9年前だったので年を感じる。約10分で登った。

Bologna アシネッリの塔から見下ろしたガリゼンダの塔

去年のトリノのモーレ・アントネッリアーナに比べると天と地の違いだ。晴れていて景色も良く本当に気持ちがいい。他に高い建物がないので360度パノラマだ。

Bologna 塔から見たボローニャの街

 

◆マッジョーレ広場

Bologna 塔から見たマッジョーレ広場周辺

 

アジネッリの塔からマッジョーレ広場が眼下に見えたが降りて広場の大聖堂、サン・ペトロニオ教会に向かう。前回のボローニャでは時間がなく大聖堂は外から見るだけだった。それでも圧倒された。

ファサードはまるで2階建てみたいに上下の雰囲気、石の色が違うが装飾もさほどなく実に簡素な感じだ。ファサード前の階段は広くて大きい。

Bologna ネプチューンの噴水とサン・ペトロニオ聖堂

 

Bologna サン・ペトロニオ聖堂ファサード

大聖堂の中に入るとイタリアには珍しく写真撮影禁止だ。相当な広さだ。
外観から予想されるように3廊式だ。アーチ形の天井まで左右5本の太い赤茶色の柱で区切られている。
また、床は赤茶っぽい六角形でそれぞれの間はやや黄色ぽい茶色の石でうめつくされている。

この大聖堂は何の対抗心か、ローマのサン・ピエトロ大聖堂より大きくする計画だったらしいが頓挫し未完の部分があると聞いていたが、その部分はどうも左のようだ。

マッジョーレ広場はこの他、見所が多い。大聖堂を正面に右手に市庁舎(ここには第2次世界大戦時のレジスタンス運動の犠牲者名が刻まれた碑がある)、向かい側にはポデスタ館(1階はいわばボローニャ特産館みたいになっていてインフォメーションもある)がある。

Bologna ポデスタ宮

広場入口ともいうべき場所(エンツォ広場)には有名なネプチューンの噴水(ブロンズ像)があり、他の観光客同様何枚も写真を撮ってしまった。

Bologna ネプチューンの噴水①

 

◆旧ボローニャ大学
ボローニャを有名にしているのは、世界最古の大学があったことだ。9年前に訪れた時、同行の長男と一生懸命探したがわからずあきらめた思い出がある。

リベンジとばかりに探し回るが遠くまで行き過ぎているうちにサン・ドメニコ教会まで行ってしまう。近くまで行ったら予定外でも見てしまうのが個人旅行の鉄則だ。
大聖堂を見たばかりなので実に小さく感じる。

あきらめて戻ろうとした時、大聖堂の東側の通りで兄が『ここに紋章があるから』と言って入ってみたらそこが目指していた旧ボローニャ大学だった。

Bologna 旧ボローニャ大学②

中庭を巡る廊下の天井、壁には至るところに当時の学生の出身地の紋章が掲げられている。Bologna 旧ボローニャ大学柱廊②階段を上がると右手には図書館、今も学生が出入りしている。古い建物でも現実に使うのがイタリアらしい。

『さすがに解剖教室は公開してないよね』と話しながら進むと一番奥の扉が開いていて、まさにそこだった。

Bologna 旧ボローニャ大学解剖教室

Bologna 旧ボローニャ大学解剖台

2006年のNHKイタリア語講座ではボローニャをいろいろ紹介していて、この教室も紹介されていたが、想像していたよりこじんまりしている。教室の真ん中には解剖台、それを取り囲むように四方から階段状の座席となっていて見下ろしやすい。天井を見上げると人体を示すもののような彫刻で覆われていて、解剖学のための部屋を実感した。

◆冷たいビールで一休み
念願の旧ボローニャ大学を見終えて16時半、ちょっとのども渇いたので恒例のビール。マッジョーレ広場一角のカフェで冷たいビールで一休み。つまみのポテト・チップ一盛り、オリーブ、ピーナッツ、ピスタチオの盛合せはアペリティーヴォなのでいつもの通りサービスだ。

Bologna マッジョーレ広場のカフェでビール

 

◆国立ボローニャ絵画館
一休みして疲れもとれた。まだホテルに戻るには早いからと国立ボローニャ絵画館(Pinacoteca Nationale di Bologna)に行くことにした。

地図を見ながら、サン・ジャコモ・マッジョーレ教会、テアトロ・コムーネ、今のボローニャ大学などをどんどん通り過ぎる。

絵画館に着いたのは17時35分。受付で時間のことを何かいわれる。『もう入館できない』ということではなく、よく聞くと『ルネサンスの展示は18時まで、18時からはバロック時代の展示観覧』だとのこと、ホッとする(入場料1名4ユーロ)
フレスコ画あり、下絵あり、祭壇画あり、十字架もある。かなり大きな絵が多い。カラッチ、レニとか知らない名前の展示室もある。奥の15室にはラファエロの作品、ラファエロの模写もある。『聖チェチーリアの法悦』という絵には気づかなかったのでまた戻る。
これを見終えると元の場所へ戻るとちょうど18時。次はバロック展示の方へ。

すべて見終えて絵画館をあとにする。割と大きな通り(イルネリオ通り)まっすぐ歩き、8月8日広場へ。

広場に面してホテルが見える。

◆3人で最後の夕食
ホテルで一休みし、8時15分頃夕食に出かける。前年の旅と同様に弟は一日繰り上げて帰国するので3人揃う最後の夕食だ。
目指すは昼間見つけたCesari、夜のマッジョーレ広場を通り抜ける。予約していなかったが問題なく入れた。

Bologna Cesari

 

外見は入口が派手(周りが赤い枠)でモダンだけど、中は素朴でクラッシク。カジュアルというほどではなく気取っているわけでもない。
壁にはかなり沢山のワインがある。壁の棚があたかもワインセラーのようだ。ヴィンテージものらしいのは格子の扉のある棚の中だ。まるで去年訪れたマルケージ・ディ・バローロのセラーみたいだ。

Bologna Cesari ワインの棚②

 

オーナーなのか、オーナー夫人なのか優雅なドレスの女性がメニューを持ってきてくれた。メニューの字が花文字で読みにくい。英語も併記されているが決めるまでに時間がかかる。前菜、プリモを各自一品づつ選び、セコンドは私と弟だけ。

Bologna Cesari トルテローニ

 

ワインはサン・ジョヴェーゼを頼む。
これではちきれるほどお腹一杯になり、食後にドルチェをすすめられた時一旦は断ったが3人で一皿といわれパンナコッタをシェアする。

食前酒のスプマンテ、食後のブルーベリーのグラッパはサービスのようだった。

充分満足してホテルに帰る。

◆天国へ続くポルティコ
ボローニャはポルティコの街。NHKのイタリア語講座でもマッテオが山の上の教会まで長いポルティコを登るレポートがあったが、それにトライすることにして8時45分ホテルを出る。
とりあえずは、夕べのリストランテへ行きその前を通りすぎ、途中からサラゴッツァ通りのポルティコを進むと旧市街の入口、サラゴッツァ門に出た。

Bologna サラゴッツァ門

 

この門をぬけてあとはひたすら道路左側のポルティコを登るだけだ。「登る」というのは、ここのポルティコは階段状になっていてまさに登る感じだったからだ。

Bologna 天国と地上を結ぶ道スタート

Bologna 天国と地上を結ぶ道②
スタジアムを右に見てからポルティコの幅が広くなるとともに斜度がきつくなる。途中、左側から日が差すところがあって暑くてかなわない。「これで終わりか」と思うとまだ先がある。門を出てから45分で到着。ついた時はホッとした。

Bologna マドンナ・ディ・サン・ルカ

そのままマドンナ・ディ・サン・ルカ聖堂の中に入る。内陣左の方に何かありそうだったが、ろうそくの台のリフトがある。

Bologna マドンナ・ディ・サン・ルカ内陣

 

この教会はグアルダの丘にあるということで眺望にも期待していったのだけど残念なことにボローニャの町の展望はほとんどきかない。

休む間もなく《天国と地上を結ぶ道》を地上へと戻ったが帰りもやっぱり45分かかった。

◆サン・フランチェスコ教会
サラゴッツァ門から旧市街に入り、前の日に見つけたチョコレートの店に行こうとしたが買うと荷物になるのでその前に、ということで途中で左に曲がりサン・フランチェスコ教会を訪れる。

正面入口は反対側に広場に面している。ファサードは赤レンガで装飾はあまりない。

Bologna サン・フランチェスコ教会ファサード

 

中に入った感じはとにかくガランとしている。3廊式で柱はファサードと同じく赤レンガで天井でアーチ状になっている。壁は白い。左手で何か音がしたと思ったら修理中だった。
◆ボローニャ駅での別れ
このあとチョコレートの店に行きお土産を買い、ホテルへ戻る。

一足先に帰国する弟が荷物をパッキングした後、ランチを取り駅まで送る。9年前の旅行でも長男をボローニャ駅で見送ったが今回は弟を見送ることになり、どうも自分にとってボローニャは《別れの町》になってしまったようだ。

◆最後のボローニャ観光
ホテルへ一休み後、最後のボローニャ観光に出かける。斜塔から何本かの道が分かれているがその一番南のサント・ステファノ通りにあるサント・ステファノ教会へ向かった。
ロマネスク様式というのかレンガ造りだ。

Bologna サン・ステファノ教会

付属の礼拝堂が右手にありそこからまた中庭に出たりと横に広い教会で歴史的経緯があるのかもしれない。(後で知ったが、7つの教会がつながっていて『7つの教会群』と呼ばれているとのこと。)

Bologna サン・ステファノ教会内陣②

ここから今度は斜塔から出ている北のザンビーニ通りにあるサン・ジャコモ・マッジョーレ教会に行く。

Bologna サン・ジャコモ・マッジョーレ教会

ここはキリスト教初期のころのような1廊式だ。身廊左右に8つの礼拝堂がある。中に入ったのが17時半頃でちょうど祈りの最中。礼拝堂の壁はフレスコ画、天井はドームが連なっているような感じだ。他の教会に比べ全体に明るい。フレスコ画とか天井の色のせいだろうか。

 

この教会の隣にモーツァルトが学んだマルティーニ音楽院があるとガイドブックに出ていて、「どこだろう?」と近くを探し回ったら、まさに隣。

Bologna マルティーニ音楽院入口

中に入っていくと中庭でギターを手にしている女子学生がいた。モーツァルトの時代から240年ほど経った今でも音楽を志す若者たちの学校だというころに驚いてしまう。

Bologna マルティーニ音楽院中庭

これにてボローニャ観光終了。恒例のビールへと進む。どこがいいか、といことになり少し戻るけどサント・ステファノ広場のカフェで乾杯。この広場は観光スポットではないので見たところ地元の人しかおらず落ち着いていい。

Bologna サン・ステファノ広場のカフェで一休み

 

ここでビールを飲んだにもかかわらず、ホテルへの帰り立ち寄ったエノテカでスプマンテで再度乾杯だ。店内を写そうとしていたら隣のジモティーが陽気にポーズをとってくれた。こういうふれあいも楽しい。

◆泊まる
ホテル Zanhotel Regina(★★★★), Via Indipendenza 51

Bologna レジーナ・ホテル
1泊Twin 122ユーロ、Single(Twin) 101ユーロ、Expediaで予約。 2泊した。
部屋の窓から8月8日広場がすぐそこに見える。
ボローニャ駅からもマッジョーレ広場にも近くロケーションが良い。
通りに面したエントランス手前はオープン・カフェ(最終日のランチをとる)。
http://www.zanhotel.it/ita/hotels/regina.html

◆食べる
●リストランテ
お店の名前 Cesari, Via de’ Carbonesi,8
ミシュラン フォーク2本の店

Home


食べたもの 前菜 サーモンのマリネ、野菜添え(ズッキーニなど)11ユーロBologna Cesari 前菜 サーモンのマリネ 

ブッファーラ・アッラ・カプレーゼ 10ユーロBologna Cesari 前菜 カプレーゼ
コッパ 7ユーロ
プリモ トルッテローネ 9.5ユーロ
トルッテリーニ・イン・ブロード 2ユーロ?Bologna Cesari トルテッリーニ・イン・ブロード
タリアテッレ・アッラ・ボロネーゼ 9.5ユーロ
セコンド フィレ肉のバルサミコソース 16.5ユーロBologna Cesari フィレ肉のバルサミコ・ソース
野菜とチーズのグリル 11ユーロBologna Cesari 野菜とチーズのグリル
デザート パンナコッタ 6ユーロ
ワイン Tauleto, SanGiovese 2001,Umbert Cesari 50ユーロ

Bologna Cesari TAULETO2001②
食前酒(スプマンテ)、食後酒(ブルーベリーのグラッパ)はサービス

Cesari-ブルーベリーのグラッパ

Cesari-ブルーベリーのグラッパ

カフェ、水を含め3人で151.5ユーロ、チップ10ユーロ

お店の名前 Club Petroniano, Via Dell’Orso, 9/B
食べたもの  前菜 生ハムとメロン ここのメロンは一番美味しかった。

Bologna Petroniano 生ハムとメロン
カルパッチョ ルッコラがかなりしっかりした歯ごたえ、計9ユーロ
プリモ フンギのリゾット
タリアテッレ・アッラ・ボロネーゼ
トルテッリーニ・アッラ・ボロネーゼ、計34ユーロ
デザート 各自食べたいものを注文しようとしたらオーナーのお爺さんが
“No! Zuppa Englese”といい、とりあってくれない。 計12ユーロBologna Petroniano ズッパ・イングレーゼ
ワイン SanGiovese 何と10ユーロ まぁまぁの味
カフェ、水を含め3人で80ユーロ、チップ4ユーロ

お店の名前 Cambusa da Gaspare, Via Mascarell 8

Bologna Cambusa②

 

食べたもの 前菜 海の幸サラダ レモン・ソースBologna Cambusa 海の幸サラダ
ムール貝(Cozze Mariano) 久しぶりの大量のムール貝だ 、計14ユーロ

Bologna Cambusa ムール貝
プリモ 魚介類のリゾット いいだしが出ている、
カニのリングイネ これもいいだしが出ている、計17ユーロ
セコンド 手長エビとエビのグリル 18ユーロ

Bologna Cambusa 手長エビのグリル
白身魚のグリル(2皿)、肉のグリル 計48ユーロ
ワイン SanGiovese  12ユーロ
水、カフェ、グラッパなど 2人で79ユーロ、チップ4ユーロ

 

◆買う

チョコレート 箱入りトルッテリーノ(多分30個以上)10.5ユーロ、FIATアソート 1.7ユーロ×6袋、板チョコ 1.5ユーロ×4枚、
お店 MAJANI , Via de’ Carbonesi , 5 (http://www.majani.it/)

パルミジャーノ・レッジャーノ 約1kg 17.16ユーロ
トルテッロ(パスタ)約500g 12.17ユーロ
お店 A.F.TAMBURINI, Via Caprarie, 1  (http://www.tamburini.com/)
この店はボローニャ特産のソーセージなどの肉製品、チーズ、パスタ、ワイン他をかなり多種類取り扱っている大きな食料品店。マッジョーレ広場から近い商店街にある。

レモンチェロ 12ユーロ
お店 Enoteca Italia, Via Marsala 2/b (http://www.enotecaitaliana.it/asp/index.asp)
インデペンツァ通りからちょっと入った規模の大きな酒屋、イタリア中のワインが陳列されていたのでレモンチェロはカプリのものだが「この店なら間違いなし」と思い、お店の人に棚を尋ね買う。
バンコでスプマンテを1杯飲んだ。

パスタ用からすみ(瓶入り)42g 4.97ユーロ
お店 Albrea(スーパー), Via Irneri, 24

Urbino (ウルビーノ) 2007/9/11~13

Urbino (ウルビーノ) 2007/9/11~13

◆ラファエロのふるさとまでの長いプルマンの旅
2007年のイタリア旅行、目玉というか主目的はラファエロの生まれた町、そしてフェデリコ公の理想都市、ウルビーノに行くことだった。
マルケ州の首都、アンコーナから列車に乗り約50分でペーザロ着。ここでプルマンに乗り換えることになる。駅を出てすぐ左手のバス乗場に行ってみるとついていないことに出たばかりだ。すぐ側のバールで切符を買い(1名片道5.3ユーロ)、次の発車時刻を訊いてみると16時15分とのこと、50分も待つことになる。相棒の二人を置いて市街地に行ってみたがチェントロまでは遠そうなのであきらめ戻る。

16時15分、2両編成のプルマン出発。すいていたので3人別々に座ったところ、ペーザロ市内でそのうち埋まってしまった。市民の足でもあるようで、次から次にバス停があり乗ってくる。要塞(ロッカ・コスタンツァ)を左折し大きな通り(ヴィットリア通り)を走る。時々交差する通りの右手には大きな白いパラソルに人だかりしているのを垣間見ることができた。きっとビーチなのだろう。

うとうとしているうちにプルマンは市街地を抜け郊外に入っていた。それでも結構乗り降りする。「歩き方」では所要時間50分となっていたが一体どのくらいかかるんだろう。まだまだ山上の都市は見えてこない。相当先なのか?1時間でもまだまだ。ようやく山上都市のふもと近くにきてからグルッと左へ回り込み、着いたのは17時30分。バスターミナル(メルカターレ広場)は広くて大きい。ウルビーノの町はこの上にある。

◆ホテルを探し回る
バスターミナルを出るとすぐ門(ポルタ・ディ・ヴァルボーナ)があった。これをくぐって城壁の中に入る。かなりの上り坂だ。7年前、モンテプルチアーノで同じようにスーツケースをしっかりと持って登ったことを思い出した。途中にぎやかな所(レプッブリカ広場)で右に曲がる。
さらに進んで行くと真っ白いドゥオモがドーンと視界に入ってきた。ところが、さっきまであったホテルの案内板がなくなったので、もう一度見るために二人をおいて広場まで戻る。広場にあった地図を見てもホテルの場所がよく分からない。近くのバールのお兄ちゃんに訊くと200メートルくらい先の左とのこと。何のことはない、待たせていた二人のすぐ先だった。

予約していたホテルはサン・ドメニコホテル。ドゥオモの向こうがドゥカーレ宮殿、そのまん前だった。

Urbino サン・ドメニコホテル

 

◆夕食前の散策

Urbino ドゥカーレ宮殿
ドゥカーレ宮殿前からさきほど来た通りを戻り、レプッブリカ広場をすぎラファエロ通りの急な坂道を登り切るともうそこは町の北端。城壁を出るとローマ広場だ。広場にはこの町ゆかりの人々の像があるが、広場中央には大きな《ラファエロの記念碑》がある。

UrbinoPiazzaRoma

広場は見晴台のようになっていて夕暮れの山々が見える。

Urbino ローマ広場からの眺望

 

来た道を駆け下りるように戻りってレプッブリカ広場の先を右折し、細い通り(ガリバルディ通り)を道なりに歩くとドゥカーレ宮殿の裏側に出た。すぐ下には見晴らしのいいバール(カフェ・デル・テアトロ)がある。眼下に広がる景色がきれいだ。結局ドゥカーレ宮殿からホテル前のリナシメント広場まで軽く一周してしまう。

散策中に何となく感じたのはウルビーノは小さな町だけあってリストランテ、トラットリアがそう多くないようだ。プルマンを降りてから登った通りのレプッブリカ広場近くのLA FORNARINAを予約してホテルに戻る。

◆LA FORNARINAでの夕食

Urbino LA FORNARINA
20時半で予約していたが山の上のことでもあり寒いのでセーターを羽織って出かける。
縄のれんのような入口はいただけないが店の中はL字型で奥の方にも部屋があり思ったよりも広い。レンガと淡い色の壁。ワインのディスプレイがおもしろい。壁の梁の部分にポケットがあるのかそこにボトルは大砲のように収まっている。

Urbino LA FORNARINA①

Urbino LA FORNARINA②
ラファエロの町だけあって店内にはいろいろな絵がかけられている。そういえば、この店の名前だってラファエロが描いた婦人の肖像画の名前だ。

カメリエーレが注文をとりに来た。声は低いが笑顔がいい。各自前菜とセコンドを頼む。ワインはハウスワインにした。というのは、ガイドブックに「ハウスワインが美味しい」と書いてあったからと、いつもはワイン選びにこだわる弟が注文したからだ。
ワインはそれなりの普通の味わい。セコンドとして3人中2人が頼んだフンギ・ポルチーニのグリルはとても量が多かった。チーズの盛り合わせも量が多い。

Urbino LA FORNARINA チーズ盛り合わせ

 

食後に、ドルチェ、グラッパ、エスプレッソで締め、22時すぎ店を出る。
外へ出ると一層冷え込んでいた。

◆朝食前にびっくり(9月12日)
7時起床し、テレビを見ていて安倍首相の辞職を知る。2年前のレッチェでは郵政解散での自民党大勝を知った、どうも旅行中にはいろいろなことが起こる。といってもたまたま偶然なのだが。ニュースを何回か見ても海外の報道では事実を伝えるのみで(しかも四六時中テレビを見ているわけでもないし)詳しいことはほとんど分からない(翌日、ボローニャに向かう途中、ペーザロ駅で新聞を買って読みある程度分かったが)。

朝食はついていなかったのと3人とも胃がもたれていたので、レプッブリカ広場のカフェでクロワッサンとカプチーノで軽く済ませる。

◆ドゥカーレ宮殿
一旦ホテルに戻り9時15分すぎ目の前のドゥカーレ宮殿へ。切符売場に人がいない。少し待つ。外にいたEnzoに良く似た男性が入場券のもぎりをする(入場料1名8ユーロ)。9時25分入場したが、本日51~53番目の入場者だ。

 

ドゥカーレ宮殿は国立マルケ美術館となっている。第1室の正面にはサン・ドメニコ教会ファサードにあったロッビアの作品《聖母と聖人達》がある。
展示されている美術品もさることながらフェデリコ公によって建てられたドゥカーレ宮殿そのものも見学の対象だ。天井といい、壁といい贅をこらした装飾でモンテフェルト家の紋章も飾られている。修復された寝台が展示されている。居室は何室もあり、ルネッサンス期の絵画が展示されている。フェデリコ公の居室の一つにはピエロ・デッラ・フランチェスカの作品が2点展示されている(《キリストの笞刑》、《セニガッリアの聖母》)。小書斎の壁一面、扉は寄木細工でできていて素晴らしい。
公妃の居室にはラファエロの《貴婦人の肖像》が展示されている。玉座の間には、タペストリーが飾られている。タペストリーで描くということは恐らくは絵を描くよりも何倍もの時間と費用がかかるだろう。大変なものだ。
途中「2つの塔」近くの部屋からは西の山々を遠く見ることもでき、また「2つの塔」を真横から見ることもできた。

Urbino ドゥカーレ宮殿 2つの塔

Urbino ドゥカーレ宮殿 横から見た2つの塔

一通り見学したあとは入口の左手前にある図書室や反対側の展示室(考古学博物館)を見る。ここには法王の肖像、聖職者の使う道具、絵などが多数展示されていた。

Urbino ドゥカーレ宮殿 中庭①

Urbino ドゥカーレ宮殿 中庭② 入場した時には目の中に入らなかった美しい中庭を見て約1時間半でドゥカーレ宮殿をあとにし、隣のドゥオモへと移る。

◆ドゥオモ
前の日、ホテル探しの最中にドォーンと飛び込んできた白亜のドゥオモ。中に入ると、白い太い5本の柱で区切られている3廊式の様式だ。ファサード外観同様全体に白いが薄いグリーンも使われていて明るい。床は白、グレー、濃いグレーの大理石で覆われている。

Urbino ドゥオモ ファサード

Urbino ドゥオモ内陣
主祭壇には『聖母と聖人達』が掲げられている。内部にはゆったりとした音楽が流れていた。

◆ラファエロの生家
ウルビーノに来て絶対に外せないスポット、それはラファエロの生家だ。町の中心からラファエロ通りを上って行くと左側にある。

Urbino ラッファエッロの生家
生家は建物としては当時のまま。中は一部展示室になっている。入場料1名3ユーロを払って中に入る。
まず、奥の右の部屋に行くと台所のようだ。暖炉というよりも多分調理用の炉だろう。奥の方にはテーブルがある。
2階に上がる。絵の展示が多い。本物もあるが、さきほど国立美術館で見てきたばかりの、すなわち複製画もある。若いころに描かれた《聖母子像》のフレスコ画はガラスで覆われている。フラッシュを点けないでデジカメにおさめた。ラファエロの肖像画も何点かある。そのうちの一点はセラミックのようだ。

Urbino ラッファエッロ 聖母子像
中庭には父親(ジョヴァンニ・サンティ)が絵具を調合した場所があり、まるで何日か前まで使われていたかのように道具もさりげなく置かれている。

◆赤ワインとリストランテ探し
ラファエロの生家を見終えて、通りをさらに上る。てっぺん近くの右手に1軒のエノテカがあるのは前の日に通って知っていたので、ちょっと立ち寄り赤ワインを1杯飲む。最高だ。1年前のピエモンテの旅で、オーナー自らテイスティングさせてくれたPIAZZOのワインが特別展示されていて縁を感じた。

Urbino エノテカ入口

 

一旦ローマ広場へ出てから城壁に沿って東に進み、サンタ・ルチア門からまた城内に入り、ブラマンテ通りを下り、あとはいわばジグザグに小径を進み、夕食に考えていたリストランテ、Vecchia Urbinoを探し、20時半で予約する。

ちょうどいい時間になってきたのでランチにする。ウルビーノの町はとてもこじんまりしていて、食べるお店がそう多くないと分かってきたので中心地に戻りサン・フランチェスコ教会(レプッブリカ広場の斜め前)隣の広場にあるカフェに入る。観光客がつい寄りたがるようなロケーションだけあって結構いい値段だ。しかも『これはどうだ?あれはどうだ?』といろいろと勧めてくる。前菜として生ハムとメロンをシェアしハウスワイン1リットルとプリモを一皿づつの日本人らしいランチにした。

Urbino サン・フランチェスコ広場のカフェ

Urbino サン・フランチェスコ広場のカフェ 生ハムとメロン
広場の教会側一角では、トリュフ入りオイルなど特産品や古本の露店が出ていて弟がオイルを買った。

◆ サン・ジョヴァンニ教会
前日夕食をとったリストレンテの裏側にあるサン・ジョヴァンニ教会へ行ってみたが閉まっている。またあとに来ることにしてドゥカーレ宮殿(とりわけ2つの塔)のヴュー・ポイントへ行きカメラに収める。

Urbino ドゥカーレ宮殿 遠くからの2つの塔

 

14時近く一旦ホテルへ戻り休む、というよりは眠ってしまう。

16時少し前に再び出かけ、先ほどのサン・ジョヴァンニ教会を訪れる(入場料1名2ユーロ)。左に入ると礼拝堂だ。壁全体がフレスコ画《聖ジョヴァンニの生涯》で埋め尽くされている。入場料を取るだけあってこれが「売り」のようだ。天井は木で組まれている。

Urbino サン・ジョヴァンニ教会礼拝堂クーポラ

Urbino サン・ジョヴァンニ教会礼拝堂フレスコ画①

イタリア人の観光客グループが大勢いてガイドが一生懸命説明していてかなり騒がしい。彼らが出たのを待ってから静かな中ゆっくりと見る。何となくパドヴァのスクロヴェーニ礼拝堂のミニ版のような感じがした。
隣のサン・ジュゼッペ教会は以前閉まったままだ。

◆夕方のそぞろ歩き
2日目の夕方ともなるとこのくらいの小さな町は大体分かった気になるが、それでも今までに入り込んだことのない道をブラブラする。そして、前日見つけていた見晴らしのいいバール、カフェ・デル・テアトロへ行く。17時すぎなのにサマー・タイムということもあって日が差して暑い。そこで冷えたスプマンテを飲む(1杯3ユーロ)。つまみとしてポテトチップとピーナッツがついてくる(これはイタリアらしくサービスで無料)。

兄はここでホテルに戻ったが、弟と2人でまたブラブラ歩く。ランチの時には空いていなかったサン・フランチェスコ教会が18時からのミサのため開いていた。
中はまるで昔の病院のような淡いグリーン、右の礼拝堂にはステンドグラス、絵は礼拝堂入口の上の絵と同じだ。聖フランチェスコが横たわっている彫刻が置かれている。

この教会はラファエロ通りに面しているがそのままラファエロ通りを上がる。これで何回目だろう。昼前に立ち寄った例のエノテカで「もう1杯ひっかけようか」と上がったが直前に弟の気恥ずかしさで気が変わりこっちもそう飲みたいわけではないのでそのまま通り過ぎ、ローマ広場へ行く。

2度目のローマ広場だけれど今度はウルビーノゆかりの人々の彫像が《ラファエロの記念碑》を取り囲むようにぐるっと建っているのを一回りして見る。
ラファエロ通りをゆっくりと下り、途中小径に入り食料品店など覗いたりして19時近くホテルに戻った。

Urbino フェデリコ公夫妻の絵皿

Urbino フェデリコ公夫妻の絵皿

◆ヴェッキア・ウルビーノでの夕食
約1時間休んで、20時15分夕食のため出かける。途中から案内板にしたがって右折すると突き当たりに意外にも小さな映画館があった。そこを左折してから方向が分からなくなったもののレプッブリカ広場から下る通りに出たのであとは昼間行ったように行けば良い。

それにしても9月中旬だというのに寒い。山上の都市だ。昼もセーターを常に持ち、夕方からは昨日も今日もきちんと着ている。息が白くならないのが不思議なくらい寒い。

リストランテへ入るとおばさんが案内してくれ、そこにカメリエーレが出てきて入口近くの6人掛けのテーブルを示される。

メニューを渡されどうするか考えたが、折角だからお試しコース(Degustazione Tipica)があったので伝統的郷土料理かと思って注文した。残念なことにコースにはVinoConsigliatoとしていわばハウスワインが付いてくる。ワインに関しては二晩続けての失敗だ。

お腹が本調子でなかったのか、疲れていたせいなのか、料理は期待したほどでなく自分にとってはあまり口にあわなかった。

ミシュラン2本フォークの店(ウルビーノでは最高ランク)ということで選んだが、エントランスは見たところ優雅なリストランテをイメージさせたものの家族経営の何ということはない田舎の垢抜けない店だった。

◆泊まる
ホテル Albergo San Domenico, P.le Rinascimento, 3 ★★★★S

1泊Triple 170.6ユーロ 朝食1名11ユーロ

Urbino サン・ドメニコホテル玄関
ウルビーノの最高級ホテル、ロケーションも最高。Venere.comで予約。
Tripleのベッド2つはかなり大きい。もう1つのベッドが普通サイズ。
朝食はさすがに最高級ホテルだけあってチーズ、サラミ、フルーツ他いずれも品揃えが豊富。
◆食べる
● リストランテ
お店の名前 LA FORNARINA, via Mazzini 14
食べたもの 前菜 生ハムとメロン、ポルチーニのサラダ(ルッコラとパルミジャーノ)、前菜盛り合わせ(生ハムとメロン、チーズの焼物、ブルスケッタ、チーズと野菜のサラダ) 各一皿

Urbino LA FORNARINA カルパッチョ

Urbino LA FORNARINA 前菜盛り合わせ
セコンド カルパッチョ一皿、ポルチーニのグリル二皿(一皿に9個と、とても量が多い) Urbino LA FORNARINA ポルチーニのグリル
コントルノ トマトの香草焼き、表面にパン粉他を載せカリッと焼いたもの(4切れ)一皿Urbino LA FORNARINA トマトの香草パン粉焼き
チーズの盛り合わせ
ドルチェはチョコレートケーキ、レモンタルト
食後に2人はエスプレッソ、1人はグラッパでしめる。
コペルト、ワイン、水込みで111ユーロ。
お店の名前 Vecchia Urbino, via dei Vasari, 3/5
食べたもの Degustazione Tipica (以下はコースメニューの内容)
Guanciale Aglio, Olio e Salvia
Vincisgrassi
Olivette alla Pesarese
Melanzane al Rosmarino
Ricotta Tiepida al Miele di Bosco
Aqua Minerale
Caffe
Vino Consigliato
Colli Pesaresi Sangiovese
前菜のグアンチァーレ(豚のほほ肉のベーコン)をサルビアで味付けた炒め物はちょっと塩辛い。
プリモはラザーニャの一種、物凄い量で半分しか食べられない。オーナーが登場しパルミジャーノをすりおろし、雪のようにかけてくれた。

Urbino Vecchia Urbino ベーコンの前菜

Urbino Vecchia Urbino ヴィンチスグラッシ①

セコンドは豚肉で内臓を巻き、煮たものが4つ。これも2つ半でギブアップ。名前からしてペーザロ風ということか。
コントルノは茄子の炒め物、これまた半分残す。
ドルチェはふわふわの豆腐のようなリコッタチーズにあたたかい蜂蜜のソースがかかっていて奇妙な味(このドルチェは元々シチリアが発祥らしい)。

Urbino Vecchia Urbino リコッタチーズのデザート
ワイン込みで一人38ユーロ。
(メニューをこれほど詳しく紹介できたのは、テーブルにそのまま置いてあった1枚のメニューをデジカメで撮っていたところカメリエーレが気をきかせて1枚新しいのを持ってきてくれたからだ)

Urbino Vecchia Urbino コース・メニュー

 

Ancona (アンコーナ) 2007/9/10~11

Ancona (アンコーナ) 2007/9/10~11

◆いざ、アドリア海へ
モデナ発14時05分、ボローニャでESに乗り換える。プラットホームの番号がなかなか表示されないが14時56分発車。指定席は7号車、ほぼ満席だ。
次なる目的地はアンコーナ、アドリア海に面したマルケ州の州都で港町だ。

約1時間でリミニ到着。車窓からはヨット・ハーバーなどが見え、海岸近くを走っていることを実感する。リミニの空は秋の気配で高い雲があるが澄んだ青さだ。その中を飛行機が飛んでいくのが見える。
リミニ駅から10分くらいか、間近に海が見えた。アドリア海だ。リゾート地らしくそのあたりにはホテルがいくつもある。
それをすぎると山の方に進む。なだらかな丘陵地帯、短いトンネルに入る。葡萄畑とオリーブの木、とイタリアの地方らしい景色だ。進行方向右側の山の方にはいつの間にかムクムクと入道雲が出ていて今度は夏の空だ。

16時10分すぎ、ペーザロ通過、間もなく海岸のすぐそばを走る。
ヨット、ビーチにはパラソルといすが沢山見える。日本のビーチと違って、パラソルの並べ方が整然としていて色も場所ごとに統一されていてこんなことでもイタリアのデザイン力を感じる。特に動く車窓から見ると美しい。
2年前の南イタリア、ガッリポーリと同じ時期の月曜のため、ガッリポーリ同様ビーチにはあまり人はいないが全くいないというわけではない。

4~5分で海岸を離れ市街に入るがまたすぐに海岸へ、そしてまた市街に入る。APIの石油(ガス?)タンクが見え、続いてコンビナート的な工場。それをすぎるとまたビーチ、と思ったら間もなく16時41分アンコーナ到着。

予約していたホテルは駅から遠いのでタクシーに乗り込み市街地を眺めながらホテルまで連れていってもらう。市内はゴミが多くあまりきれいではないと感じた。

◆土地勘をつける
ホテルには17時すぎチェックイン。アンコーナは港町だけあって坂の町でホテルからもはるか下の海へガァーと下がっていき、行動にも制約がありそうだ。
一休みして、恒例の夕食のリストランテ探しを兼ね3人で探索に出かける。初めての町でこうやって出かける時が一番ワクワクする。

インターネットでチェックし、プリントアウトしておいたアンコーナのリストランテ地図を持って行ったが、そのうちの1軒はホテルのすぐ近く。簡単に見つかったがわざわざ遠くから来て訪れるほどの店構えではないので候補から外す。カヴール広場を抜け、マッツィーニ通りからガリバルディ通りを進み、結局、海の方まで降りてしまった。ガリバルディ通りは歩行者天国、さしずめアンコーナの銀座といったところか。

Ancona ガリバルディ通り

 

探していたリストランテのあるプレビシート広場がホテルでもらった地図(このCityMapはきわめて見にくい)には載っていない(あとで分かったがピアッツア・デル・パパに改称されていた)。
帰りはガリバルディ通りの一本隣のスタミラ通りで戻る。この通りは少し近代的で幅も広い。

土地勘も少しついたのでホテルに戻り地図をもう一度チェックして作戦会議。プレビシート広場がパパの広場だろうと見当をつけ、広場に面しているはずのリストランテLaMorettaに行くことに決めた。

◆ ボリュームたっぷりの郷土料理
ホテル横のサン・ドメニコ通りを下るとそのうちサン・ドメニコ教会の横に出た。この教会のファサード前の巨大な階段部分に大きなローマ教皇(パパ)の座像があった。多分、前教皇ヨハネ・パウロⅡ世の偉業をたたえたものだろう、それで広場の名前も変えたのではないかと想像する。

教会の前には、縦長の広場が広がっている。教会を背にして左側に大きなパラソルを張り出しているリストランテが2軒あり、手前の方が目指す店のようだ。
予約していないことを伝えると、パラソルの下のテラスで一番内側の席に案内される。

Ancona LA MORETTA

 

メニューを見ると、魚、肉、Terra、Brodettoの4種類のコースがあったが、ここは迷わず郷土料理のBrodettoのコース(28ユーロ)を注文する。プリモ、セコンドとデザートしか載っていなかったのでそれだけでは足りないかなと思いアラカルトの前菜からエビの一品を頼むとカメリエーレが何やら言ってくる。『前菜が何たらかんたら・・・』。まず、それが出てきた。なんとエビ一尾、その下に白いタコのカルパッチョ。『一尾だからシェアするのはムズかしいよ』ときっと教えてくれていたのだろうか。

Ancona LA MORETTA 前菜のエビ

 

コースの前菜は大きな丸い入れ物(中がいくつかに仕切られている)にツブ貝、ムール貝やら何種類もの魚介類。種類も多いが量もかなりのものだ。

Ancona LA MORETTA 前菜盛り合わせ

 

プリモは手長エビのリングイネ。これまた見事なボリュームだ。ソースに手長エビのエキスが移り美味い。
メインは待望のBrodetto、分かりやすく言えばブイヤベースだ。てっきり、鍋で出てくると予想していたが、大きな横長のお皿にタップリ。エビ、魚が3種類、エキスが出て本当に美味い。

Ancona LA MORETTA Brodotto

 

あまりにも食べるものが多く、3人で1本のワインを飲みきることができない。
海の幸の美味しさを堪能したアンコーナのチェーナだった。

グアスコの丘
ホテルのテラスで朝食、ホテル自体は大したことはないがここでの朝食は晴れていて気持ちがいい。

朝食後、観光へ飛び出す。昨日と同じく、マッツィーニ通りへ出た。通りの朝市は衣料品中心で興味をひかないが、間もなく右手に常設の市場があり、覗くとさすがに海の町だけあって魚が目立つ。舌平目、小さな魚、エビ、シャコなどが多い。その他、野菜、チーズ、肉、食料品などの店がある。

Ancona メルカートの魚屋

 

そのうち昨日の夕食の広場(プレビシ-ト広場)に出た。観光ポイントとしては北の丘(グアスコの丘)、はるか上に見えるサン・チリアコ聖堂を目指すことにした。もちろん《歩き》だ。プレビシ-ト広場を過ぎてから右へ曲がりピッツェコッリ通りを進む。この通りはそれほど広くない。ゆるやかに登っている。

Ancona グアスコの丘(サン・チリアコ聖堂)
間もなく右手にサン・フランチェスコ・デッレ・スカーレ教会が現われる。この教会はファサード前の階段がものすごく大きい(そのために“スカーレ”と呼ばれているのではないだろうか)。帰りに寄ることにしてそのまま進み国立マルケ博物館を過ぎたところの広場から石段を上がる。

ようやくサン・チリアコ聖堂の前の広場に出た。ここからは港や海岸線がよく見える。中に入ると左翼の主祭壇で葬儀か法事をやっていた。
ギリシャ十字のロマネスク様式である聖堂の外観は白っぽいピンクというかクリーム色の大理石だが中は対照的に灰色のレンガのようだ。天井は寄木細工の格子天井だ。

Ancona サン・チリアコ聖堂①Ancona サン・チリアコ聖堂ファサード

また広場に出て海を眺めるが風が強い。近くにローマ円形劇場の遺跡があるというので降りがてら行ってみたが途中で迷ってしまった。看板がなければわからない。

Ancona ローマ円形劇場

 

トラヤヌス皇帝の凱旋門
次にさきほどの広場の真下、港の北端にあるトラヤヌス皇帝の凱旋門に行くことにした。真下といっても降りられるわけではない。来た道をちょっと戻り、適当なところで階段を見つけ、一段下の通りに出る。これを何回か繰り返したら何とか凱旋門に通じる道路に出た。貨物の引込み線があったり、トラックがバンバン通る結構広い産業用道路に凱旋門がある。二千年近くも経っている割には良く残っていて感心した。もっと先にはクレメンス12世の凱旋門があるがこれはパス。

Ancona トラヤヌス皇帝の凱旋門②

Ancona トラヤヌス皇帝の凱旋門③

◆ヴェネツィアン・ゴシックを見る
港に下りてしまったものの行きに通り過ぎたサン・フランチェスコ・デッレ・スカーレ教会に戻る。さっき通り過ぎてから何と1時間10分しか経っていない。
この教会は大きくて広い階段の上にのっかっているように見える。ファサードは上三分の一が茶色ぽい石造りで質素に見えるが、下の方は白く、そしてあでやかな浮き彫りで豪華に飾られている。
中もファサードの下の部分にあわせたような白さと柱廊の力強さが印象的だ。

Ancona サン・フランチェスコ・デッレ・スカーレ教会ファサード②

Ancona サン・フランチェスコ・デッレ・スカーレ教会内陣

この教会のあとは同じ通りにある市立絵画館に行ってみた。中に入ると、切符売場にはおばさんが二人。そのおばさんが『パオロ!』と呼ぶと男が出てきて入場券を売ってくれた(一人4.5ユーロ)。彼が先導してくれ2階へ上がる。
この絵画館にはヴェネツィア派のティツアーノの《聖母と聖人達》が展示されていた。
さらに上の階には18世紀以降の近代絵画があるのでどうかと訊かれたが遠慮して絵画館をあとにする。

ピッツェコッリ通りを小さな路地で右折すると突き当たりにロッジア・ディ・メルカンティのファサードが正面に見える。この彫刻もさきほどのサン・フランチェスコ・デッレ・スカーレ教会と同じくヴェネツィアン・ゴシックで素晴らしい。ただ、このロッジアが面している通りは狭いので全景をカメラに収めるのは難しい。

Ancona ロッジア・ディ・メルカンティ②

 

◆サン・ドメニコ教会
いつものように一旦ホテルに戻り、チェック・アウト、スーツケースを預け最後の観光へと飛び出した。また同じ道をまっすぐ下りサン・ドメニコ教会へ。

Ancona サン・ドメニコ教会

 

中に入ると教会の番人とおぼしきおじいさんが現われ、《受胎告知》の絵(グエルチーノ作)のライトをつけてくれた。

Ancona サン・ドメニコ教会 受胎告知

それから主祭壇にあるティツアーノの《磔刑図》の説明をしてくれ、さらにいろいろと説明してくれた。曰く、『ナポレオンが持ち去った』、『ピエタは爆撃にあい、20世紀末に作り直した』などなど(正確に理解できたか疑問ではあるが)。

Ancona サン・ドメニコ教会 十字架上のキリスト②

◆最後の観光
まだ昼食まで時間がありそうなので今度はポルタ・ピア(ピア門)の先にある五角形の要塞(モーレ・ヴァンヴィテッリ)に行ってみる。この要塞は港の一番手前に位置しているという感じで、そこまでは大きな道路を進む。ポルタ・ピアを通り抜け、要塞に近づいてみたが残念ながら何か工事中で中には入れなかった。
要塞の手前のポルタ・ピアは意外にどっしりとしていた。

Ancona ピア門

 

アンコーナの観光はこれにて終了。マッツィーニ通りの一番下にあるCreameriaRosaのカフェテラスで昼食、晴れていてさわやかで気持ちがいい。

◆ペーザロ経由ウルビーノへ
ホテルに戻りスーツケースを受け取り、タクシーでさきほど歩いた要塞そばを通り過ぎてアンコーナ駅へ。
13時43分発の電車が遅れていたので間に合いそうだったが自販機で切符を買うのに手間取り、ホームに出たとき電車は行ってしまう。結局予定していた次の14時21分発の電車に乗り、ペーザロへ向かう。

◆泊まる
ホテル Hotel City, via Matteotti, 112 ★★★
1泊Twin 96ユーロ、Single 60ユーロ
ミシュランに載っていたのでメールで予約。正直言ってあまりいいホテルではない。

◆食べる
●リストランテ
お店の名前 LA MORETTA, Piazza del Prescibito (del Papa) 52
食べたもの 本文記載の通り。

 

Ancona LA MORETTA 手長エビのリングイネAncona LA MORETTA ジェラート

ワインは赤というと何も訊かずさすがに地元のRosso Coneroが出てくる。

Ancona LA MORETTA Rosso Conero

 

カフェ、水、コペルト込みで3人で130ユーロ。

お店の名前 CreameriaRosa, (住所不明)
食べたもの 手長エビのリゾット(8.5ユーロ)、ラザーニャ(6.5ユーロ)、海の幸サラダ(8.5ユーロ)

Ancona CreameriaRosa 手長エビのリゾット②

Ancona CreameriaRosa ラザーニャAncona CreameriaRosa 海の幸サラダ

ハウスワイン1リットル(6.5ユーロ)、水、コペルト込み3人で35ユーロ。

Modena (モデナ) 2007/9/9~10

◆2007年イタリアの旅、初日
モデナはバルサミコで有名な町。そして三大テノール歌手の一人パヴァロッティの生まれた町だ。最初のプランでは7泊9日の今回の旅、最終日に泊まる予定だったが、泊まろうとしたホテルの予約が取れなかったので、旅の順路を逆にして最初の訪問地に変えた。
ちょうど数日前に三大テノール歌手の一人、パヴァロッティが亡くなり、モデナに着いた前の日にドゥオモで葬儀が行われている。

前日にミラノ、マルペンサ空港に到着。昨年にならい、見本市等でホテル代の高いミラノを避け、ノヴァーラの同じホテルに泊まり、翌朝ミラノ乗換えモデナに向かう(ノヴァーラはミラノから意外に近い、40分ほどでミラノ中央駅に着くことを考えるとミラノ市内ではなくノヴァーラに泊まるのは我ながらいい考えだと思う)。
ホテルを出ると1年前と同様ヒンヤリと冷たい空気。空は青く晴れている。去年のノヴァーラ駅は修復工事中で全体像が見えなかったがなかなかいい建物だ。

Novara 駅

8時16分発のトリエステ行きICに乗ると8時50分にはミラノ到着。11番線の9時10分発のICに乗り換える。
快晴の下、列車は走る。ポー川か?鉄橋の上で急停車。そのとき眼下の川ではボートの練習をしているのに気づいた。フォアと二人用、若いころにたまに遊びでやったので懐かしい。

数年前に降りたパルマを通過。定刻の10時51分、モデナに到着。例によってスーツケースを引っ張って地図をみながらホテルに向かう。

◆ホテルまで道に迷う
ホテルは旧市街、15分くらいで着くはずがどこでどう間違えたか場所がわからなくなる(右側に公園があったが、ホテルに向かおうとしたルートにはそんな公園はなかった)。向こうから来た年輩の女性に尋ねたら『自分もよそ者だ』、次に愛犬と散歩中の中年男性に尋ねると『次の信号を右折して左折』と教えてくれた。
教えられた通り進むとローマ広場(車が沢山駐車)と左右に広がったドゥカーレ宮殿の前に出た。

Modena ドゥカーレ宮殿①

 

そこからエミリア通りを歩き、少し行き過ぎたところでようやく看板を見つけ、11時25分ホテル・リベルタ到着、チェックイン。

◆世界遺産のグランデ広場
荷物を部屋に置き、身軽になってモデナ観光スタート。先ほどのエミリア通りを渡ると何とそこは世界遺産のグランデ広場。日曜とあって広場には大勢の人がいる。

右手にドゥオモの裏側そして左手には市庁舎(てっぺんには風見の塔、ラ・ギルランディーナの塔)が広場に面していて全体が世界遺産として登録されているようだ。《グランデ》というだけあってかなり広い。絵になる場所ですぐに写真を何枚か撮る。

Modena ドゥオモ②

Modena ドゥオモとラ・ギルランディーナ

ドゥオモに入ってみたがそこは後陣そばの左の入口だったようだ。内部の見学は後回しにして東の入口(正面)から出る。正面ファサードは修復工事中で特徴あるバラ窓を見ることはできない。

Modena ドゥオモ⑤

Modena ドゥオモ鐘楼

◆さっそく町歩き
ドゥオモを出てエステ家総合博物館に行こうとしたが13時終了なので場所の確認にとどめることにしてエミリア通りを左に進む。まるで歩行者天国のように車が少ない。朝のノヴァーラと同じく快晴だが暑い。

総合博物館の場所を確かめたあと町歩きを兼ね夕食に考えていたミシュラン一つ星のリストランテFINIを探し、見つかったので20時30分で予約。

Modena FINI 入口

 

グランデ広場を目指して歩く。
そうこうしているうちにモデナという町がほどよい大きさの町であることがわかった。

適当にお腹もすいてきたのでホテル近くにいくつか店があったのを思い出しそのうちの1軒でお昼にする。マッツーニ広場に面した屋外テーブルのため気持ちがいい。

◆市庁舎の歴史室
ホテルへ戻り一休み。すこしまどろんだようだ。元気になり再び観光へ。
まず、市庁舎の階段を上がり歴史室に入る。入口で入場チェックをしているガードマンに入場料(1名1ユーロ)を払う。入ってすぐ名簿にサインした。
いくつかの部屋を見学する。

炎の間(暖炉があるからこの名前なのだろう)にはモデナの戦いの絵が描かれている。左の部屋の天井画はまるでシスティーナ礼拝堂のミニ版みたいですごい。

Modena 市庁舎歴史室 戦いの絵

Modena 市庁舎歴史室 天井

最後の部屋に行く途中のテーブルに新聞が置いてある。1面は前日行われたパヴァロッティの葬儀の記事と写真だ。やはりモデナの人々にとっては『巨星墜つ』ということなのだろう。

続いてラ・ギルランディーナの塔に登ろうとしたが入口がわからずあきらめエステ家総合博物館へ向かう。

Modena ラ・ギルランディーナ

 

◆エステ家美術館
エステ家総合博物館の端のドアに入ると中は一廊式の教会(サン・タゴスティーノ教会)だった。写真をとるが少し暗い。

Modena エステ家美術館

Modena サンタゴスティーノ教会③
次いで隣の総合博物館に入るとすぐのところにパヴァロッティ逝去に対する市の弔意文が掲示されていた。

Modena パヴァロッティ氏の追悼文
ガレリアと市立美術館があるが当然それはセットだと思い込み、係の人に『ガレリア!』と勢いよく訊かれ『そうだ』と答えたので1名4ユーロ、計12ユーロでガレリア(エステ家美術館)だけ。
エレベーターで5階に上がる。入口の係のおじさんに何か言われ何度か聞き直すと『ショルダーバッグをロッカーに預けるように』とのことで結構厳しい。

 

まずは、彫刻や焼物の収集品が展示されている通路みたいな展示室に入る。

Modena 総合博物館のガレリア

 

マテーラ国立ドメニコ・リドーラ博物館で目にしたような赤茶色い壷があった。正面には大理石の彫像があり、ここを右に曲がって進むと教会の祭壇画だ。続いてキリストやキリスト教を題材にした絵が展示されている。そのうちの1枚に「サンドロ・ボッティチェッリの・・・・」と書かれたプレートがあったので指さしたところ近すぎたのかセンサーが働き、いきなり警報が鳴り出しびっくり。

ティントレット、ベラスケス、コレッジョやエル・グレコの作品なども多い。所狭しと展示されているのでフィレンツェのピッティ宮殿の絵画展示を思い出してしまった。
(バルサミコのラベルでよく目にするフランチェスコ1世の肖像画も展示されていた。これはベラスケスの作品)

◆教会探訪
モデナには教会が多い。ホテルでもらった観光案内のパンフレットには12の教会が紹介されていて地図上に場所が表示されている。

ガレリアを見終えて総合博物館を出てパンフレットの地図を見ながらすぐ近くのサン・バルナバ教会に行く。中に入らず通りからファサードを見るにとどめる。

Modena サン・バルナバ教会

 

次いでルッジェラ通りからセルヴィ通りへ道なりに進みサン・バルトロメオ教会に行ったが入口前に車が止まっていたこともあって外から見る限り教会とはわからない。建物はバロック様式だ。中に入ると全体に灰色、右側にピエタの彫刻がある。

 

それから町の南のはずれにあるサン・ピエトロ教会。ルネッサンス様式とのことだが、淡いレンガ色のファサードは非常にシンプルな印象を与える。バラ窓ではないが大きな丸い窓も印象的だ。中に入ってみたが日曜とあってミサの最中で申し訳ないのですぐに出る。

Modena サン・ピエトロ教会①

 

◆カフェでビール
大回りしてドゥカーレ宮殿前のローマ広場へ出る。通りの温度計によると気温は28度。のども渇き、歩き疲れたので恒例のカフェでビール。ワインの国、イタリアでもこういう時は冷えたビールがいい。

適当なところがなかったのでグランデ広場へ。カフェは2ヵ所あったが陽射しがきついので日の当たらない方を選び一息入れる。グラスの大きいことに驚く。
19時に一旦ホテルに戻り、夕食に備え身体を休める。

◆ミシュラン一つ星のチェーナ
20時30分に予約しているので15分前に出かける。またまた、グランデ広場を抜け、カナル・キアロ通りを進む。リストランテに曲がる角は食料品店《FINI》だ。ここのショウ・ウィンドウは、冷蔵庫になっていて、切りかけのチーズ(2種)、生ハムやサラミなどがそのまま見えておもしろい。

リストランテに入るとスムーズに案内される。入ってすぐの部屋の一番奥、馬蹄形のテーブル、いすだ。インテリアはシックだ。さすがミシュランの星(何となくヴェローナの二つ星、IL DESCOに似ている)。

メニューを渡され一生懸命見ている時、食前酒をすすめられた。『イタリアのスプマンテかフランスのシャンパーニュか』と言われたのでスプマンテにする。スプマンテがいいのかグラスがいいのか、細かい泡がグラスの真ん中から立ち上がる。

まず、アミューズとして何か揚げたもの3種類が人数分出され、手でつまむ。一つは餃子のような形でチーズとバジル・ソースで美味しい。

Modena FINI アミューズ

 

コースは80ユーロだったがまだ3人とも胃腸が本調子でないのでアラカルトで頼むことにし、前菜とセコンドをそれぞれ頼み、デザート、食後酒(グラッパ)、プティフールでお腹いっぱいで、食後のカフェ、水もお断りしたほど。

Modena FINI グラッパ
大いに満足して22時半すぎ店を出てホテルに戻る。

◆メルカートへ
翌朝、8時半前にメルカートへ。グランデ広場の左奥の路地を進むと左側にみつかった。立派な鉄製の門がありその中の建物がメルカートだ。ここは常設の市場で色とりどりの果物、野菜、チーズ、肉、生ハム、そして魚、と何でもある。

Modena メルカート①

Modena メルカートの魚屋さん

まだ、旅行は始まったばかりなので他の町で買えるものは見るだけにとどめ、モデナ特産のバルサミコを買うつもりだった。

ちょうど中央の売場一角にバルサミコを見つけ、試食。40年ものを自宅用に、20年ものをお土産用に買う。ショウ・ケースの下の方に、からすみ発見。値段を聞いたら1本、日本円で1000円くらいとのこと、荷物にもならないので買う。

Modena メルカートのバルサミコの店

Modena バルサミコ(40年熟成)

◆ドゥオモ見学
前日はさらっと中をみただけなので改めて中に入る。内部はレンガの壁、3廊式。柱はレンガの太い柱と大理石の柱が交互で、太い柱は天井のヴォールトを支えているデザインだ。

祭壇前には、キリストが十字架を背負わされ刑場へ向かう彫刻。説教壇の彫刻もすごい!さすがに司教座大聖堂だけあって全体に重厚な感じだ。

Modena ドゥオモ内部

Modena ドゥオモ説教壇

モデナは小さな町なので、いろいろと歩き回ることができる。今度は方向をがらっと変え、ドゥカーレ宮殿(ここは入ることができない)近くのサン・ドメニコ教会へ。兄がデジカメのバッテリーを替えにホテルまで戻ったのでその間じっくりと見てからホテルすぐ近くの小公園で待つ。

Modena サン・ドメニコ教会

Modena サン・ドメニコ教会主祭壇

◆一仕事したあとのランチ
11時半近くになり、メルカート前にあるトラットリアで食事をとるつもりで2階に上がり店の中を覗くと一生懸命仕込みの作業中だ。
『何時からですか?』と尋ねると正午とのこと。まだ30分もある。

ブラブラするよりも駅へアンコーナまでの切符を買いに行こう、と話がまとまり早足で往復し、お店に戻るとちょうど12時。本日の客、第一号となる。

奥の窓側のテーブルに案内されると、さっそくマンマが『プリモ・ピアットは~~~』と口上。モデナの郷土料理を注文し、夕べに続きモデナのグルメ三昧。
荷物をホテルに戻ることを考えると遅くとも13時25分には店を出なければ、と思っていたが、第一号の客だったためかスムーズにお皿が出てきてデザートを食べても13時10分には勘定を終える(イタリアにはめずらしくレジで勘定)。

◆アンコーナへ
ホテルへ戻り、スーツケースを受け取り、13時30分、駅へ。駅に着くと切符売場は並んでいたのでランチ前に一仕事したのは正解。
14時05分の列車でアンコーナに向かい、モデナをあとにする。
モデナは観光も、食事も、町歩きにもいい町だった。メルカートも良かったのでいろいろ買い込むためにも今度は最終日に泊まりたい町だ。

◆買う
お店の名前 Famiglia Bertani, mercato coperto via Albinelli,13
バルサミコ40年もの100ml 58.4ユーロ
バルサミコ20年もの40ml 9.4ユーロ
からすみ 6.2ユーロ
メルカートの中の店、バルサミコを選ぶに際し何回も試食させてくれた。

◆泊まる
ホテル Hotel Liberta, via Blasia,10 1泊Twin 101ユーロ、Single(Twin) 80ユーロ
Best Westernのホテル、Best Westernのサイトにて予約したがうまく予約が入っていなかった。プリントアウトして提示した予約記録は日本語のためフロントの小父さんにわからせるのに一苦労。
見つけるのに苦労したがわかってみると簡単。ロケーションもいい。
朝食の場所は狭いスペースを鏡で広く見せている。

◆食べる
● リストランテ
お店の名前 Uva d’oro, Piazza Mazzini,38 (ピッツエリア)
食べたもの 生ハムとメロン(7ユーロ)、フンギのピッツア(5ユーロ)、トルテッローニ(モデナの伝統的なのを注文。大きめの水ぎょうざ、パンチェッタの細切りが入ったソースが美味しい、7ユーロ)。

Modena Uva d'oro 生ハム&メロン

Modena Uva d'oro トルテッローニ
水、ワイン(地元のランブルスコ、12ユーロ)、エスプレッソで3人で合計43ユーロ。

お店の名前 Trattoria ALDINA, via Albinelli, 40
メルカートのすぐ前の建物の2階、池田匡克さんの『イタリアの市場を歩く』に紹介されていた店。
食べたもの プリモとしてタリアテッレ・コン・ラグー、トルテッリ・イン・ブロード、トルテッロ各1品、セコンドはボッリート・ミスト(生っぽいソーセージのようなザンポーネ、ゆでた牛タン、牛すね、鶏の4種類。野菜ソースとオリーブオイルをかける)、スカッロピーナ各一皿をシェア。

Modena ALDINA タリアテッレ・コン・ラグー

Modena ALDINA ボッリート・ミスト
『イタリアの市場を食べ歩く』に書かれていたように、メニューがなく、マンマが言うのを聞き逃さず注文する方式で、モデナのページのコピーが役立った。

トルテッロはうまい!トルテッリ・イン・ブロードはスープの味がうすいためパンチが今一つ。タリアテッレのラグーは我が家の味と良く似ている。チーズをかけると一層うまみを増す。スカッロピーナは仔牛の薄切りにバルサミコの酸味でこれまたうまい。パンもおいしいのでこのソースをすくうように食べる。
ワインはまたもランブルスコ、昼だというのにすいすい入り3人で2本飲む。
ドルチェは2人、ズッパ・イングレーゼとティラミス。これはかなり甘い。

 

Modena ALDINA ズッパ・イングレーゼ Modena ALDINA ティラミス
水、カフェ込みで3人で合計58.4ユーロ。
気軽にモデナの味を楽しめた、もう一度行きたい店だ。

お店の名前 Ristorante FINI,Piazzetta San Francesco-Rua Frati,54
食べたもの アミューズとして揚げもの3種類(サービス)

前菜はそれぞれ、カンノーリ(中はゼラチン状のゴルゴンゾーラ味、15ユーロ)、生ハム(14ユーロ)、フンギのパンケーキ(ミンチ状で野菜ソースで食べる、18ユーロ)、プリモは3人ともパス。セコンドの前にフンギのポタージュ(ふたがきのこ、サービス)

Modena FINI 前菜(ゴルゴンゾーラ味のカンノーリ)

Modena FINI 前菜(フンギのパンケーキ)

セコンドはそれぞれ、まぐろづくし(まるで懐石料理のよう、36ユーロ)、豚フィレをパンチェッタで巻いたグリルのバルサミコソース添え(30ユーロ)、フンギのフリットとフンギのソティーに金目鯛(34ユーロ)

Modena FINI セコンド(まぐろづくし)

Modena FINI セコンド(フンギと金目鯛のソテー)

デザートとしてパルミジャーノ一皿(洋なし、いちご、キュゥイ添え、16ユーロ)。いちごの中に入っていたバルサミコをそれぞれパルミジャーノにかけているとカメリエーレが『バルサミコいるか?』と訊いてくれたのでお願いしパルミジャーノにかけてもらう。

Modena FINI デザート

 

お腹いっぱいなのでドルチェをパスし、食後酒としてグラッパ。いろいろなものがあり、ベルタのBarolo(ネッビオーロ)、Moscata D’Albaを各1杯(量が多い、各8ユーロ)。
食前酒はスプマンテ(1杯9ユーロ×3)。
ワインはエミリア・ロマーニャ州のSan Giovese,2003(どっしりしている、31ユーロ)

Modena FINI SanGiovese

Modena FINI プティフール
プティフール(サービス、2種類×6個)
3人で合計239ユーロ
ミシュラン一つ星のリストランテに大いに満足。
このリストランテの同じ建物にはホテルがあり、通りから高級食料品店、高級リストランテ、高級ホテルすべて《FINI》だ。

◆読む
本の名前 『イタリアの市場を食べ歩く』 池田匡克、池田愛美著
東京書籍 1900円
モデナを始め、フィレンツェ、ジェノヴァ、トリエステ、などイタリア各地の市場とその周辺の食堂などを取材したまさに《食べ歩き》の1冊。読むよりも実際に現地に持ち込むのがベター。今回はモデナのページのみコピーしていったが、ボローニャのコピーも持っていけば良かった。

本の名前 旅名人ブックス『ボローニャ/パルマ/ポー川流域』時田慎也著
日経BP社 1600円
今回の旅のために購入。ボローニャとモデナの項を参考にした。
次回以降も参考になるだろう。

Torino (トリノ) 2006/9/13~16

Torino (トリノ) 2006/9/13~16

◆ピエモンテ9日間の旅、いよいよ最終目的地へ

午前中、フォンタナ・フレッダのワイナリー・ツアー、そしてスロー・フード運動発祥の町ブラを訪れ、ランチを終え、トリノへ向かう。

ブラ駅では久しぶりに窓口で切符を買う。「50km以内」という乗車券。 列車は新しい。2階席に座るが、車内はがらがらだ。14時32分発の列車は定刻(15時15分)にトリノ・ポルタ・ヌォヴァ駅に到着。

ホテルは駅前の大きな通り(ヴィットリオ・エマヌエーレ2世通り)を渡ってすぐ、右。近いだけあって15時半には部屋に入る。17時まで休養。

◆サン・カルロ広場からカステッロ広場

ホテルを出て駅を背にして反対方向へ進み、サン・カルロ広場王宮を目指す。これがトリノの歴史的中心部だ。 ローマ通りをまっすぐ進むと一旦建物(サン・カルロ教会の裏)に突き当たったので、右へ曲がってからまた左に曲がる。ポルティコの中に入る。ポルティコの内側はいろいろなお店だ。終わったはずのトリノオリンピックのポスターがまだ貼られていたりする。

そうこうしているうちに大きな広場に出た。トリノの応接間といわれるサン・カルロ広場だ。本当に広い。真ん中には騎馬像がある。サヴォイア公国を復活に導いた英雄の雄姿が広い空間でしかも青空の下、実に絵になる。

Torino サン・カルロ広場

 

エマヌエレ・フィリベルト像

エマヌエレ・フィリベルト像

この広場をとりまく建物にはトリノ名物のカフェも建ち並ぶが滞在中に寄ることにして、とりあえずこのときはトリノの中心部を概観するにとどめる。 トリノのシンボルは雄牛、サン・カルロ広場の歩道地面に雄牛が描かれている。このあと、いろいろなところではりぼてのような雄牛像をみかけることになる。

Torino サン・カルロ広場 敷石の牛

 

サン・カルロ広場のさらに先に進むと王宮が端正な姿を現した。王宮の前はカステッロ広場。この広場の右側はレンガ造りの昔のカステッロ、マダマ宮殿だ。正面ファサードはあとで作られたものらしい。今は市立古美術博物館となっているようだが残念なことに「修復中」のため閉館していた。しかし、正面ファサードとそのてっぺんにとりまくように林立している聖人の人物像が豪華さを感じさせる。

Torino カステッロ広場と王宮

Torino マダマ宮殿正面

 

王宮の左手にはサン・ジョヴァンニ礼拝堂、さらに左後方にはあの「聖骸布」が納められているドゥオモ、というまさにトリノ歴史的中心地だ。

Torino ドゥオーモ①

 

◆幻の王宮見学

カステッロ広場を通り抜け、ゲートを通り17時半すぎ王宮に入ったが、入場券売場で「トリノ・カード」の存在に気が付きそれを買おうとしたところ「ここでは扱っていない。ちょっと離れたところの観光案内所で売っている。」とのこと。

一旦戻りカステッロ広場入口左側にある観光案内所でとりあえず訊いてみると、そこではなく少し歩いたところの公園のイベント会場内で扱っているとのこと。入場料やらトラムやバスもフリーパスになり、楽なのでわざわざそこまで行ってトリノ・カードを買った。

それから王宮へ戻って入ろうとしたら18時をちょっとすぎていて、「今日の入場は終わり」とのこと。トリノ・カードを買ったとき渡された利用ガイドブックを見ると開館時間なども書かれていたのでまだ間に合いそうな市立博物館(王宮の裏手にある)に行くことにした。

途中、ドゥオモの前を通ったのでちょっと入ってみる。このドゥオモが舞台になっている「聖骸布同盟」を半年ほど前に読んだばかりだったので興味があったが同行者の二人は『何のこっちゃ?』ということでとりあえずすぐに出てきた。 市立博物館に行ってみるとあまり興味を抱かせるような展示がなく、また照明が暗いので早々に出てきた。トリノ・カードというフリーパスを持っていなかったら絶対に見学しなかっただろう。

◆カフェで一休み

再びか、三たびかカステッロ広場へ戻り、夕食を予約した時間までホテルに戻るには時間が短いし、戻らないならば中途半端に時間があるということでポー通りに面した一角をぶらぶらする。

トリノ名物のチョコレート、ジャンドゥイオッティを売っているカフェ、バラッティ&ミラノを見つけた。買うと荷物になるので後回し。 歩き疲れ、のどがかわいていることもあってトラムが走る通りに面したカフェ・ムラッサーノで一休み。

生ビールを飲む。いわゆるアペリティーヴォで同時に出てきたつまみは豪華でちょっと感激だ(日本と違って《お通し代》など取らない)。マダマ宮殿の裏側、元のカステッロが良く見える。ビールを飲みながら三人でトリノの印象など語り合って暮れなずむ時間を過ごす。

Torino カフェ・ムラッサーノ つまみ

 

 

20時に夕食を予約していたので10分前に席を立ち、ポー通りを歩く。途中1ヵ所間違えたこともあって20時10分、魚料理の店マーレ・ノストルムに着く。

Torino MARE NOSTRUM お皿①

 

シチリア料理でお腹一杯。歩いてホテルに帰ったのが23時。 何とも長い一日だった。

◆念願の王宮見学 トリノ2日目。

朝起きると雨。一瞬、バローロのぶどうが気になった。 9時ごろホテルを出て王宮へ向かうが昨日の夕方と違って肌寒い。今回の旅行ではセーターなど持ってきていなかったので震える感じだ。地元の人たちは昨日から一転、秋から冬の装いだ。

さて、王宮に着いてみるとガイドツアーは10時開始といわれ入場券売場前の椅子に座って待つこと40分。

50代?の女性ガイドが現われガイドツアー、ようやくスタート。王宮だけあって見所の連続だ。 階段を上がり最初に入ったのは①《スイスの間》、戦いの絵がある。

ついで②《Corazzierの間》 床は木だ。3方にキリスト教にかかわる絵、今にも動き出しそうだ。左と正面は十字軍の戦い、右はサロメ。

③《Sala degli Staffier》 奥に一部タペストリー。この部屋がまっすぐポルタ・ヌオーヴァ駅へ向かっている。右のタペストリーがくすんだ感じ。壁の上部の絵も暗い。

④《Sala dei Paggi》 正面と左がタペストリー

⑤《sala di Trono》 玉座

⑥《Sala di udienze》 木の床が幾何学模様。ヴィットリオ・エマヌエーレ2世の肖像画がある。

⑦《Sala di Consiglio》会議室。 ここから右に曲がる。

⑧《Gabinetto Chinese》四隅に春、夏、秋、冬の彫刻がある。 反対側へ進む。

⑨《Carlo Albertoの寝室》寝室だけあって落ち着いた感じの部屋だ。

⑩《Sala della colazione》朝食の食堂、明るい。

⑪《Galleria del Daniel》壁が鏡、そこが肖像画で埋めつくされている。

⑫《Sala di pranzo》昼食の食堂、20人分の食器がテーブルにセッティングされている。 壁の装飾も豪華絢爛。床は象嵌細工みたいだ。

⑬《Sala del café》修復中。

⑭《Sala dell’Alcova》

⑮《Sala de Madalioni》豪華なのだろうがキンキラキンだ。

⑯《Sala da ballo》ダンスホール。壁の上の方には、手をつないで踊っている絵がある。

ガイドのおばさんは英語で説明してくれたが、説明後の「わかった?」ン?と毎度いうのが耳障りだった。

◆王宮兵器博物館

王宮を出てから隣の王宮兵器博物館へ入る。

隣と言っても同じ建物で、王宮⑧《Gabinetto Chinese》の先にあったところだというのが入ってみてわかった。

ここでは鉄砲、槍、盾、弓などいろいろな兵器が展示されているが、甲冑がすごい。馬用のものもある。戦いの日に「生きて帰れるか?」など思いつつこれを着て出陣したのだろうか?

◆エジプト博物館

王宮兵器博物館を出てから前日夕方ビールを飲んだカフェの近く、バラッティ&ミラノBarrati & Milano でお土産用にジャンドゥイオッティなど買い込んだあとそれを持ったままエジプト博物館に入った。トリノに来るまでエジプト博物館などというものあるとも知らず入ったのだがその展示内容に驚いた。

たまに日本でもこの種の展示が行われるが規模が違うし、しかも常設だ。

棺やら副葬品に加えて地下の石像が圧巻だ。大きな石像がペアでしかもいくつもある。また、一部当時の壁が再現されている。棺に納められたミイラは本物なのか?作り物にしてはよくできているし、本物にしては無造作に手が届くような感じで置かれている。本物だとしたら当人が埋葬された時に何千年後かに異国の地で展示されると思っただろうか?

◆カフェでのランチ

チョコレートの袋が荷物になるので一旦ホテルへ戻り身軽になってサン・カルロ広場へ行く。トリノといえばカフェ、カフェに行かずしてトリノを語ることはできない、と思い広場に面したカフェの一つ、カフェ・サンカルロでランチをとることにした。 14時少し前なので満席状態だったが、タイミング良く右奥の丸テーブルが空いた。

天井高くきらびやかな感じの店内、真ん中にセルフ・サービスの料理が並べられている。カメリエーレは、白のツメ襟、黒のズボンに黒のエプロンでりりしくて格好良い。

Torino カフェ・サンカルロ①

 

13.5ユーロのランチはいわば定食で真ん中のテーブルへ料理を取りに行く必要はない。 その内容は、

○ トマトのオレキエッティか仔牛のステーキ

○ ドルチェ(ジェラートかケーキ4種にジェラート添え)

○ カフェ

というもの。雰囲気も考えるとなかなか値打ちのあるランチだった。

Torino カフェ・サンカルロ オレキエッティ

Torino カフェ・サンカルロ ドルチェ

勘定をすませる時カメリエーレに夕食のリストランテ候補で具体的な場所、住所がわからなかったニュー・カヴァリョの場所を教えてもらう。広場をはさんでちょうど反対側だった。

◆モーレ・アントネッリアーナ

トリノを代表するヨーロッパで最も高い建物、モーレ・アントネッリアーナへ行く。少し遠そうなのでバスに乗る。バスはポー通りを行くが相棒が『曲がってから2つ目くらい』というので従ったら、これは全くの行き過ぎ、歩いて戻る。

モーレ・アントネッリアーナを前方に見て大きな通りに出る前にフンギづくしのメニューが出ている店の前を通る。残念なことに時期的にフンギのはしりなので金曜のみ(この日は木曜)の特別メニューのようだ。

Torino ポー通りからモーレ・アントネッリアーナ

 

大きな通りを渡ってようやくモーレ・アントネッリアーナへ。下から見上げると尖塔がかなり上にある。

まず、エレベーターで一番上まで。カゴの周りは何もないので結構恐い。尖塔の付け根のあたりが展望台、外へ出て一周するが折からの風と雨で半分は濡れてしまうし、アルプスなどは全く見えない。朝からのこの天気であればやむを得ない。

Torino モーレ・アントネッリアーナからの眺め①

 

この建物は映画博物館になっているが降りて博物館の中へ。映画の原理をあらわすさまざまな展示。映画の歴史がイタリアとハリウッドに分けて展示されている。懐かしの映画がブースごとに映写されている。

順路にしたがって展示を見終えたあとのホールには左右二つのスクリーンがあり古い映画が上映されている。ここには一人一人寝そべるような椅子があり座って、というより寝てしばし休息をとる。 建物のドーム部分の内側がホールを見下ろす広い螺旋階段になっていて壁に映画の1シーンがスチール写真として展示されている。

Torino 映画博物館 スクリーン②

Torino 映画博物館①

この博物館は、映画と言っても一昔前の映画全盛時代のもの、という感じでやや時代遅れという印象を受けた。もう少し若い世代の人が見にきてもピンとこないのではないだろうか。だから『博物館』かもしれない。

◆夕食のリストランテ探し

サン・カルロ広場を通ってホテルへ戻る途中、教えてもらったニュー・カヴァッリョの前を通ったので店の前に出ていたメニューを見て頭に入れる。 ホテルに戻ってから三人で作戦会議。弟と二人で探しに出かけるが近場の店は今一つ。ポルタ・ヌオヴァ駅を通り過ぎる形で○○教会の近くにあるミシュランに載っていたIjBrandeに行ってみた。ここも外にメニューが出ていたのでざっと見てから呼鈴を押して予約。

 

Torino Ij Brande看板

◆三人そろう最後の晩餐

予約時間にあわせて訪れる。中は外から見るのとは大違いでドアを入って左側の部屋が客席。5つのテーブルがあるが奥からも話し声が聞こえてくるのでさらに部屋があるようだ。天井はヴォールト状、白い壁でお洒落なインテリアだ。

Torino Ij Brande 店内

 

メニューをみると肉、魚、に分かれたコースがあったが、食べたいものを食べようということでアラカルトにする。ワインは弟がワイン・リストとにらめっこ。4日前にバルバレスコ村でそのワイナリーの入口があったGajaを選ぶ。

前菜の仔牛のカルパッチョは色はサーモン・ピンクでくどくなくとても美味しい。プリモのリゾットは注文の仕方が悪くシェアするつもりが3皿出てきたが美味しくてペロッとたいらげる。白身魚のグリルには赤いエビのソース的なものがかかっている。

ホテルからも近かったしわざわざ探しに来ただけの甲斐がある良い店で三人そろう最後の晩餐にふさわしかった。

◆サヴォイア家ゆかりの郊外へ

一夜明けたが今日も少し雨が降っていて肌寒い。一日早く帰る弟をホテル前で見送り残った我々二人は遠出してサヴォイア家ゆかりの郊外へ繰り出すことにした。振返ってみるとこの日は一日中バスやトラムを待っていた。

まず、スペルガの丘に向かうことにして、フロントでバス路線とバス停を教えてもらった。ホテルのすぐ側だと聞いていたのにみつからない。近くの花屋さんで訊いてみたが、今度はもっと先とのこと。しかし、そこにもない。

結局アカデミア・アルベルティナ通りのカルロ・エマヌエーレ2世広場の先に61番のバス停をみつけたが次々と来るバスは違う。かなり待つ。結局ホテルを出てから30分、ようやくバスに乗り込む。

バスはポー川を渡って左側に川を見ながらずんずん進む。ホテルのフロント氏には61番の終点と言われその気でいたが、途中地図を広げると終点の地名ではない。停留所と路線図を見比べながら運転手に伝えると降りるべきところ(サッシ・スペルガ)で教えてくれた。フロント氏はなんといういい加減な教え方だろうと思うがこれがイタリアだと思い直す。

◆スペルガの丘の聖堂

さて、今度は標高670メートルの丘に登るには登山電車に乗り換えなければならない。バスから降り、道路を横断してちょっと先、右手の小さな駅に行ってみると・・・・・。

駅員いわく『雨のため、動かない。振替えのバスは11時発』。 相当時間があるので近くのバールでカプチーノをすすり時間をつぶす。まぁ、相棒がいるからまだましだ。

10時50分、振替えのバス停に行ってみるとすでに停車していたので乗り込む。バスはつづら折りの道路を上って行く。このバスでも路線図とバス停をチェックし、近づいたころに運転手に伝える。他に乗っていた老夫婦も一緒に降り、帰りのバスのこと(12時20分にバスが来ていなければ電車開通だと)を教えてくれる。 降りてみるとかなりガスっていた。ガイドブックでは『スペルガの聖堂。青空の下、その姿が印象的』となっていたが全くの正反対だ。スペルガ聖堂の全容が見えない。

Torino スペルガ聖堂②

 

かの老夫婦のあとを追うように正面階段を上がって聖堂の中に入る。 聖堂の中はがらんとしてだだっ広い。外から霧の中、見たクーポラは物凄く大きかったが中から見上げる天蓋も本当に大きい。この聖堂を建立したヴィットリオ・アメーディオ2世の名前が天蓋の上部に書かれている。

Torino スペルガ聖堂 クーポラ①

この大きさに圧倒され聖堂をあとにしてバス停に戻ったが例の夫婦はいない。そのうち、聖堂の方から歩いてきた。その時、地下に王家の墓所があったのに見忘れたことに気づいたがあとの祭り、バスが出るのであきらめる。大失敗だ。

帰りのバスはつづら折りの道を下るがもう少しで終点という最後のカーブで上がってきた乗用車と接触。乗用車を運転していた男が降りてきてバスの運転手とやりあっていたがそのうち大したキズでなかったのか自車に戻りバスも動き出す。ほどなく登山電車の駅に着く。

◆63番のバスから41番に乗換え

帰りのバスを途中で降り、昨日訪れたモーレ・アントネッリアーナ近くでランチ。それから歩いてカステッロを目指す。今度は63番のバスでトリノ市内を反対方向へ向かう。途中、インペリアというバス停でストィピニージ宮殿へ行く41番に乗り換える。 トリノ観光に必要なトリノ・カードを持っていたのでバスやトラムに乗るのも楽だ。どこでどう乗ろうが関係ないし、料金を払う手間も一切ない。

◆ストィピニージ宮殿

ウニオーネ通りをまっすぐ進んで行くとバスの正面に大きな建物が見えてきたので降りる場所がまもなくだということがわかる。 バスを降り近づいてみると門からの距離が相当ある。壮大な宮殿だ。屋根の上にはそれこそ大きな牡鹿(レプリカ)が立っている。この宮殿はヴィットリオ・アメーディオ2世が狩のために建てたものだそうだ。

Torino ストゥピニージ宮殿①

Torino ストゥピニージ宮殿⑥牡鹿

 

門をぬけ見学窓口に着いたのが14時20分。ところが次のガイド・ツアーは15時15分だといわれたが他に待っていたドイツ人?男性二人と『その前のガイド・ツアーが出ていない』と主張したら14時30分、4名でスタート。

イタリア語はわからないと言ったらガイドなし、案内板を指さすだけでまったくやる気がない。45分の予定がわずか20分で終わってしまう。

この建物は中央から両翼に伸びている。また中央奥には王の建物、王妃の建物がそれぞれつながっていてかなりの広さだ。 中央ホールには4本の柱。この柱の装飾がすごい。壁には落着いた色のタペストリーがかけられている。

寝室隣の部屋(英語ではDressingRoomとなっていた)のフレスコ画には登場人物の一人として中国人が描かれている。建物をつなぐ廊下はギャラリーとなっていて歴史をしのばせるものが展示されている。本物の牡鹿が左翼の部屋に置かれていた。

◆帰りのトラブルとコミュニケーション

さて、宮殿を見終わったあとはホテルに戻り荷物を受け取って次のホテルに移動だ。とにかく41番のバスに乗ればいい。というのは乗ってきたバスは宮殿前でUターンして行ったからだ。ということでかなり待ったが41番のバスに乗る。とこがちょっと行ったところで左折、きっとまたこのバス通りに戻るだろうと考えていたらトンデモない。

そのうち、運転手が『どこに行きたいんだ?』と訊いてきたので『チェントロ!』と答えると『降りて乗り換えた方がいい』と団地の中の小公園みたいところで降ろされた。そのとき青年が途中まで一緒に行ってくれることになった。

次のバスを待っている間、片言の英語、片言のイタリア語でいろいろ話をする。

『日本からミラノまで12時間』というと、びっくりして『とてもそんな長い時間は乗れない』と答えてくる。 次の何番かのバスに一緒に乗ったが彼が降りるとき、『降りよう』と合図され、トラムに乗り換えるよう教えてくれ、トラムの乗り場近くまで連れて行ってくれた。名前も訊かなかったがグラッツェ!

彼と別れてトラムを待つがなかなかこない。3台続けて回送車(FuoriServizio)、16時14分ようやく乗る。16時43分、ポルタ・ヌオヴァ駅到着。

今朝チェックアウトしたホテルでスーツケースを受け取りタクシーを呼んでもらって最後の1泊のリンゴット・ホテルへ。

◆スタイリシュなホテル、Le Meridien Lingotto

タクシーはニッツア通りを行くが段々と街から遠ざかって行く。

それもそのはず、目指すホテルは元フィアットの工場を改装したものだ。右手にらしき姿をあらわした細長い建物の一番先まで行ったところで右折、駐車場をぬけたところで降ろされる。

中に入ると左手奥にフロントがある。天井は高くロビーは広々としている。インテリアは超モダン。このホテルは場所柄便利は悪いが「このホテルに泊まること」こそ目的だったのだ。

Torino リンゴット・ホテル ロビー

Torino リンゴット・ホテル 廊下

部屋の内装も超モダンだ。中庭をはさんで向こう側はショッピング・センターで大勢の人が歩いているのが大きなガラス窓から良く見える。

Torino リンゴット・ホテル 315号室

 

リンゴット・ホテルから見たショッピングセンター

リンゴット・ホテルから見たショッピングセンター

一休みしてから一旦1階に降り、中庭の方から入り直し、ショッピング・センターのフロアに行ってみた。イタリアには珍しいショッピング・センターだが、日本のホテルのアーケード街というよりは本当に寄せ集めの店で構成されるショッピング・センターという感じでわれわれ外国人観光客には物足りなかった。

かつて車をこの建物内から出すためのコースなのか、そのまま残っていてゆるやかなスロープの通路になっている。

◆トリノ最後の日、午前はチェントロへ

ホテルのロケーションは不便ではあったが、それをものともせずバスでジェノヴァ通りから1番のバスでポルタ・ヌオヴァへ。そこから先は歩いてサバウダ美術館に行く。この美術館はエジプト博物館と同じ建物だ。すぐ近くには茶色ぽいレンガのどっしりとした建物のリソルジメント宮殿がある。トリノは見所の多い街だ。

美術館はサヴォイア家の収蔵絵画が展示されている。

ルネサンス期の宗教画、ルーベンスの作品(ろうそくの灯りが印象的)、肖像画など数多いが、あるはずのマンテニャ、ティントレットの絵を見つけることができなかった。

次は、王宮そばのサン・ロレンツォ礼拝堂へ。 入ると正面にマリアか何かの像。中は外観からは想像のつかない装飾の素晴らしさに圧倒される。全体に丸いが四隅にはキリスト磔刑、聖母被昇天などの絵がかけられている。

Torino サン・ロレンツォ礼拝堂 クーポラ

Torino サン・ロレンツォ礼拝堂 聖母被昇天

次いで二度目のドゥオモへ行く。 かの『聖骸布』コピーの前ではガイドなのか先生なのか学生らしい男たち5~6名に一生懸命説明中だ。

中で記念品を売っているおばさんに[礼拝堂の写真を撮ってもいいですか?』と訊くと『どうぞ』。なかなか説明が終わらず写真が撮れないので左手奥の礼拝堂で行く。

聖骸布はこの中の箱に納められているという。また教会のおばさんに『写真を撮っていいですか?』と訊ねると『Si! イタリア語をしゃべれるんですね』。『ちょっとだけです』と答えると、あとは『どこから来たの?』、『カトリック?』と次々と小声で質問される。こういうコミュニケーションもいいものだ。

再度さっきの場所に戻ると先生が気づいたのかよけてくれたので数枚写真を撮る。聖骸布は十字架から降ろされたキリストを包んだ布のことだが、コピーにも大柄な男が写っている。特に顔がくっきりと見える。

これで予定の市街観光は終わり。前の日にチョコレートを買った、バラッティ&ミラノへ行き、歴史のある店内でカプチーノを飲む。美味しいカプチーノだ。

Torino バラッティ&ミラノ テーブル席

Torino バラッティ&ミラノのカプチーノ

ポルタ・ヌオヴァ駅まで歩き、リンゴット・ホテル近くへ行くバスの停留所を探すが見つからず多少あせったがちょうど1番のバスが見えたのでバス停まで走る。

◆自動車博物館

11時20分頃ホテルに戻り大急ぎで荷物を整理し、30分後にはチェックアウト。荷物を預けて最後の観光、自動車博物館に行く。市内からだとわざわざ、という場所になるがそこはフィアット工場だったホテルからは歩いていける。

1900年初めの馬車から車になったようなものとか古い車、F1などレーシングカー、最近といっても1950年代から現代のフィアットなどかなりの台数がゆったりと広い建物に展示されている。車好きにはたまらないところだと思う。

CARROZZA DI BORDINO 1854年

CARROZZA DI BORDINO 1854年

FIAT 12 16HP 1902年

FIAT 12 16HP 1902年

FIAT 520 1928年

FIAT 520 1928年

FIAT 1941年

FIAT 1941年

 

外を見ると雨。傘は1本だけ。そのうち雷が鳴り出す。しばらく待っていたが小降りになったのを見計らって13時すぎ博物館をあとにする。

◆ 最後のランチ

さぁ、あとは最後の昼食だがあまりお店がないのは昨晩で経験済み。1本の傘で濡れないように夕べの店に向かう途中リストランテ発見!

4人用のテーブルにゆったりと座り、ピエモンテ郷土料理を味わい今回の旅行最後の食事とした。夕食に訪れればなお良かったと思わせるリストランテだった。

◆いざ、帰国

ホテルに戻りタクシーを頼んでミラノ・マルペンサ行きのバス・ターミナルへ。ターミナルと思い込んだだけで実際は原っぱみたいな事務所兼切符売場兼待合室の建物がありその前の道路に乗場があるだけでタクシーに連れて来てもらわなければそれとはわからないだろう。

15時ちょうどのバスでマルペンサに向かう。途中右手にスペルガの丘がかすかに見えた。2時間で到着。あとは飛行機に乗るだけだ。

◆泊まる

ホテル Starhotels Majestic(★★★★), C.so Vittorio Emanuele Ⅱ, 54

1泊Twin 135ユーロ、Single(Twin) 130ユーロ、Venere.comで予約。 2泊した。

ロビー、レストランもゆったりしていて、部屋も広くてきれいで良いホテル。 ポルタ・ヌオヴァ駅から近い。

ホテル Le Meridien Lingotto(★★★★),Via Nizza, 262 (www.lingotto.lemeridien.com)

Twin 125ユーロ、Venere.comで予約

FIATTの工場跡がホテルとショッピング・センターに改築されたホテル、話のタネに泊まってみた。ロビー、部屋ともにモダン。部屋からは中庭をはさんでショッピング・センターが見える。エレベーターを降り、部屋に向かう廊下は、さすが工場の跡を彷彿とさせるイタリアのホテルでは珍しい長い廊下。

ロビー、廊下でもあまり人を見かけず無機質な印象。 朝食は天井の高い1階ロビーの反対側で細長いスペース。赤っぽいハム、オレンジジュース、果物が(ブルーベリーや木いちご)おいしかった。

確かに話のタネにはなるが、いかんせんロケーション、足の便が悪い。夕食をとる店を探すのに苦労した。

◆ 食べる

●リストランテ

お店の名前 Mare Nostrum, Via M.Pescatore,16

食べたもの 前菜 クロスティーニというか、パンにペーストをのせたもの、2つ×3皿。 細長い貝、魚などのから揚げ、まぐろのタルタル

Torino MARE NOSTRUM クロスティーニ

Torino MARE NOSTRUM 鮪のタルタル

プリモ トマト・ソースのリガト-ニ、小さな丸い形のパスタ

セコンド 牛肉の串焼き、小魚類のフリット、白身魚とポテトの包み揚げ

Torino MARE NOSTRUM 小魚などのから揚げ

 

ワイン シチリアのワイン、白、赤各1本

20時予約で少し遅れたが、まだ早いのか客はあまりいなかったがそのうち満席となる。

オーナーがテーブルの横にしゃがみこみ、生パスタ5種類を見せながらプリモの説明をしてくれた。食材、ワインはシチリアのもののようだ。

メニューを見せられたわけでもなく「お任せ」のような感じ。 大衆的な店のようで安いのかと思ったが勘定書きをみてちょっとだけびっくり。前菜だけで一人20ユーロ、全部で180ユーロ、日本円換算で一人9,000円。

お店の名前 Café San Carlo, Piazza San Carlo, 156

ランチで訪問、本文のとおり

お店の名前 Ij Brande, Via Massena, 5

ミシュラン フォーク1本の店

食べたもの 前菜 仔牛のカルパッチョ(2皿)、何種類かの魚のカルパッチョ、計37ユーロ

Torino Ij Brande 仔牛のカルパッチョ

Torino Ij Brande 魚のカルパッチョ

プリモ ゴルゴンゾーラのリゾット(3皿)10ユーロ×3

Torino Ij Brande リゾット

 

セコンド 白身魚のグリル(2皿)、肉のグリル 計48ユーロ

Torino Ij Brande 白身魚のグリル

Torino Ij Brande 肉のグリル

ワイン GAJA 25ユーロ

BARBARESCO Serra Boella, vendmia 2001, Paitin di Pasquero-Elia, 35ユーロ

Torino Ij Brande GAJA Torino Ij Brande BARBARESCO

水、カフェ、グラッパなど 3人で190ユーロ

お店の名前 Cibovagando, Via San Ottivio, 34 (www.cibovagando.it)

カジュアルなリストランテ、テーブルや椅子、メニュー体裁からみて大衆的。

金曜はフンギということで行ってみたが、残念なことに夜のみでいくつかあるランチはセット・メニューからチョイス(9ユーロ×2)。セコンドとして取ったサラダの量がとてつもなく多い。

水、コーヒーを含め2人で21ユーロ。

お店の名前 Ristorante Pizzeria Entremetier, Via Nizza,216 (www.ristorantemina.it)

トリノ最後の夜、Le Meridien Lingottoの近くで夕食用の店を探したがほとんどなくやむなく入った店。

お店のサービスの人はベトナム人などアジア系の人がほとんど。お客は店の周りの地元の人たちがわいわい。狭い店内にはテレビが置かれ何か写っている、というツーリストにとっては場違いな店。

フンギのピッツァ(4ユーロ)、パルマのプロシュット(5.8ユーロ)、海の幸サラダ(8.2ユーロ)、魚介類のリゾット(7.5ユーロ)、スカンピのグリル(11ユーロ)、 その他チーズ、ワイン(Dolcetto 10ユーロ)、水、コーヒー、食後酒(2.1ユーロ×2)で2人で59ユーロ。

お店の名前 Ristorante Mina, Via Ellero, 36

トリノ最終日のランチ、自動車博物館の帰りに前日夜の店に行くしかないかとあきらめていた時に見つけた少しエレガントなリストランテ。感じの良いマダムのサービス。壁には若い頃の美人のマダムが描かれた絵がかけられていた。

ピエモンテ名物、いわば生肉のたたきCarne Crudo(6ユーロ)をシェア。メインはプリモから、ゴルゴンゾーラのタリアテッレ(8.5ユーロ)、フンギのリゾット(9ユーロ)を各一皿。水、ワイン、コーヒーなど2人で39.5ユーロ。

◆買う

トリノ・カード 72時間券 36ユーロ 各種施設入場、バス、トラム乗車がフリーパスなので、旅行者にとっては強い味方。

ジャンドゥイオッティ 1袋(多分20粒)10.5ユーロ×3袋、板チョコ 2.5ユーロ×2枚、 クレミーノ・クラシコ 1袋7ユーロ

いずれもバラッティ&ミラノにて。 ジャンドゥイオッティは味にうるさい次男から『今までのお土産でいっちばん良かった』と絶賛された一品。

お店 Baratti & Milano , Piazza Castello,127

パルミジャーノ・レッジャーノ 約1.8kg リンゴット・ホテル近くの公園での移動販売車で買う。1キロ12.9ユーロとめちゃ安。

◆読む

本の名前 『聖骸布血盟(上、下)』 フリア・ナバロ著、白川貴子訳 ランダムハウス講談社文庫 各760円 聖骸布が保管されているトリノのドゥオモが舞台。物語は奇跡をおこすキリストの時代から始まり、十字架から降ろされたキリストを包んだ亜麻布をめぐる二千年にわたる攻防の終幕は現代。『ダ・ヴィンチ・コード』ほどのややこしさはなくラストまで一気に読ませる面白い小説。これを読んでいたからこそ、ドゥオモでの聖骸布(コピー)を見たかった。

Bra (ブラ) 2006/9/13

Bra (ブラ) 2006/9/13

◆スローフード運動の町
ブラはスローフード運動発祥の町で、その協会本部がこの町にある。スローフード運動については島村菜津さんの著書『スローフードな人生』に詳しい。

Bra スローフード協会本部

 

前に一度読んだことがあり、「ブラ」という地名を覚えていたが、今回のピエモンテの旅で、アルバからトリノへ向かう途上にその町があることに気づいた。「途上」というよりは、アルバの隣、といった方が正しいかもしれない。
日程的に泊まることはできないが、ランチならばとることができるかも知れないと思い、前泊のフォンタナ・フレッダでのランチの予約を出発10日ほど前にキャンセルし、ブラに寄ることにした。

“ブラ”の発音・アクセントは「ぶらぶら歩く」の“ぶら”ではなくて「ぶらっと歩く」の“ぶらっ”で、「」にアクセントがあるようだ。このことはアルバ近郊のアグリツーリズモに泊まった際、オーナーから旅行の予定を訊かれ、“ブラ”と答えたら“ブッ”と直されて気がついた。

◆行く
前泊地は、アルバから南に20キロほど離れたところにあるワイナリー、フォンタナ・フレッダ。ここからブラに向かうにはタクシーでアルバに戻りFS(鉄道)で行くか、直接タクシーで行くか、決めかねていたが、前日タクシーでフォンタナ・フレッダに着いたときにドライバーのブルーノさんと交渉成立。40ユーロでブラまで行ってもらうことになった。

約束の時間11時きっかりに、ブルーノさんのプジョー607が颯爽と現れた。今日で3日目となる。
『ブラのどこまでか』と訊かれたので、『“BOCCONDIVINO”というリストランテに行きたい』というと、さすがに有名店らしくすぐ了解してくれた。

ブラまでは約20分。ブルーノさんの話では『今日は市が開かれている』とのこと。その「市」を過ぎたところで降ろされる。『この通りを行ったら左にあるよ。駅はその先、右の方向だよ』と教えてくれる。荷物もあることだし、お店の前まで乗せていってくれればいいのにと思ったが、一方通行なのかなぁと思い代金を払って別れる。
(20分で40ユーロは高いかもしれないが、車がアルバから来てまたアルバまで戻ることを考えるとそうでもないだろう。それでも50ユーロというのを10ユーロまけさせたのだ。)

◆見る
まだランチには早すぎるので、観光をすることにしたが荷物が邪魔だ。そこで“BOCCONDIVINO”に行き、予約かたがた荷物を預かってもらうことにした。

Bra BOCCONDIVINO
“ボン・ジョルノ!”と大きな声でいうと厨房準備室みたいなところから『こんにちは』と若い男性が出てくる。なまりのない日本語、もしかして我が同胞かと思い『日本の方ですか?』と尋ねると『そうです』との答え。あとは話が早い、とばかりにお願いしたところ快く預かってくれた。同時にテーブルの予約を13時にして町歩きに出かける。

といってもまともな地図もガイドブックもない(インターネットでプリントアウトしたGoogleの地図だけ)。インフォメーションに行けば市内地図がもらえるだろうと思ったがそのインフォメーションがどこにあるかわからない。だいたいはその町のドゥオモといわれるような教会の近くにあるはずだと考えて大きな教会を探すことにした。

とりあえずリストランテの前の通りをまっすぐ行く。すぐにヴィットリオ・エマヌエーレⅡ世通りにぶつかる。名前からしてここがメイン・ストリートだろうと考え、左に行ってみるが教会はない。ならば、とばかりに逆に進む。次の左のT字路を見やると教会がある。「ああ、あそこだ」と左折して向かったが近くまで行ってみるとそれほど大きくないバロック様式の教会だった(サン・ロッコ教会)。
あとはやみくもに歩き回り、遠くに教会の塔が見えたので行ってみる。建物の前に歴史的建造物だからなのか看板があり、サン・ジョヴァンニ・バティスタ教区教会だということがわかった。建物の様式はよくわからないがロマネスク様式かもしれない。王冠を細長くしたようなクーポラとその向こうに鐘楼なのか時計の塔が見えた。

Bra サン・ジョヴァンニ・バティスタ教区教会
しかし広場に面しているわけでもなくインフォメーションも見つからないので、もう市内地図はあきらめ、時間の許す限り適当に歩くことにした。

次に見つけた教会はランバウディ通りに面したサンタンドレア教区教会、これはバロック様式だ。

Bra サンタンドレア教区教会

 

その先、ガリバルディ通りを渡った向こう側は一段高くなっているが右手の方に大きな教会、サン・トリニタ教会がある。

Bra サン・トリニタ教会
サン・トリニタ教会を見やりながら進むうちに、ここまで来て自分たちが一体どこにいるかわからなくなり、向こうから歩いてきた年輩の男性にGoogleの地図を見せながら「ここはどこですか(Dove siamo?)」と尋ねると指をさして教えてくれたのが9月20日広場。「ということはタクシーを降りた場所に近いな」と思って広場から見下ろすとちょっと先に降りた場所が見えた。結局ぐるっと一回りしたことになる。

Bra 9月20日広場

 

広場から階段で降りると、そこには「市」に出ている肉や魚やチーズなどの食料品を扱うお店があったがそろそろ店じまいのようだ。
まだお昼を予約した時間には間があるので、トリノまでの列車の時刻を調べがてら駅まで行ってみることにした。
時刻表を見るとトリノまで近いわりには、列車の本数が少ない。適当な列車としては14時32分しかない(ということは食事の時間としては1時間しかない)。

◆スローフードの町でファストフード?
駅から戻り、リストランテへ着くとちょうど13時。さきほど荷物を置かせてもらった厨房準備室の右に階段があり2階へ。2階はL字型になっていて2部屋に分かれている感じだ。階段から上がるとLの字の角に当たるが、まっすぐ進みLの字のいわば下の方の部屋へ案内される。テーブルはもうほとんど満席に近い。さすがに地元の有名店だけある。見た感じ普段着の人たちばかりで地元の人ばかりのようだ。

Bra BOCCONDIVINO 2階席から

 

ここでは、生肉のミンチがソーセージになっているものが名物(サルシッチャ・ディ・ブラというらしい)なのでそれが入っている前菜(carne cruda e lardo)を注文する。もう一皿の前菜は魚っぽいのを選ぶ。

Bra Carne Crude と Lard

 

それに野菜を取りたがっていた同行者のためにグリーンサラダを頼み、3人でシェアする。carne cruda e lardoにはソーセージのほか生肉ミンチそのものとスライスされたラードが盛り付けられている。脂ものはあまり好きではないけれど、このラードを少し食べてみたが燻製のようでなかなかいい味わいだった。もう1品の前菜は全く趣が違う味付けだったがこれはこれでワインが進む。

プリモはシェアせずめいめい好きなものを頼んだが弟はタヤリン、私と兄は同じ三角の形をしたパスタにしたが名前を思い出せない。
食べ終わった頃を見計らって食後の飲み物の注文を取りにきたが、残念ながら「もう時間がない」ということでお勘定をしてもらう。
もっと早い時間を予約すべきだった。というわけでスローフードの町でファストフード!といことになってしまった。

最初に出会った日本人スタッフ(5年間修行中)に再び1階の荷物を置いてある厨房準備室に案内してもらいお礼と『頑張って下さいね』と言い、店をあとにしてブラ駅へ向かう。

◆食べる
お店の名前 Osteria del BOCCONDIVINO, via Mendicita’ Istruita, 14
www.boccondivinoslow.it
スローフード協会本部と同じ建物にある。筋金入りのスローフード運動の店なのか看板にシンボルマークのカタツムリが描かれている。

島村さんの『スローフードな人生』、山岸みすずさん・井川直子さんの『麗しの郷ピエモンテ』でも紹介されている。
トリノからも列車で40分ほどと近いのでもう1回行こうと思ったほど。
食べたもの 前菜2品(carne cruda e lardo、いわしの切込みみたいなもののトマトソース 7ユーロ×2)
プリモ3皿(Tajarin al sugo di salsiccia 7ユーロ、もう1品×2、5ユーロ×2)

Bra Primo Tajarin

Bra Primo
グリーンサラダ(3ユーロ)
ワイン   Dolcetto D’Alba Munfria 2005 , Pelissero (9.5ユーロ)

Bra Dolcetto D'Alba
http://www.pelissero.com/it
水、コペルト込み3人で49ユーロ