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Barolo, Marchesi di Barolo

Barolo, Marchesi di Barolo (バローロ)2006年9月12日

◆ワインの王様《バローロ》のふるさとへ

今回のピエモンテの旅にワイナリー探訪という目的はあったものの、フォンタナ・フレッダ内のヴィラに泊り、ワイナリー見学を予約していただけだったのが、出発2週間ほど前になって、急に《マルケージ・ディ・バローロ》訪問の話が持ち上がった。

というのは、同行の弟がよく行く某イタリアン・リストランテで懇意のイタリア人シェフにピエモンテ行きを洩らしたところ、『友達がやっているワイナリーを紹介する』といってくれたからだ。その話を聞いて『それは有難い』とお願いし、こちらの日程を変えることなくアレンジしてもらった。

 

ピエモンテの旅、5日目、バルバレスコに近いアグリツーリズモからタクシーでバローロのワイナリーに向かう。

途中、小さな町の中を抜けて丘を登り、登りきったところあるカステッロ、グリンツァーネ・カヴール城で眺望を楽しむ。

 

◆Marchesi di Barolo

うまく時間調整を兼ねた観光をしたおかげでちょうど約束の11時にMarchesi di Baroloへ到着。

道路に面した入口、幅もそれほど広くない。

すぐ左に売店があり、弟が中に入って秘書の方を尋ねると若い女性が出てきて『彼女は今いないけど自分が対応することになっています』、『カフェ飲みますか?』(全部流暢な英語)。『はい』と答えると正面2階のテラス席に案内され、エスプレッソをご馳走になる。

 

そうこうしているうちに若い男性(日本人?)があらわれ、日本語で『すみません。遅れてしまって。案内をするCです。在日の韓国人です』と挨拶された。最初は本当に我が同胞かと思ったが、この挨拶を聞いて納得。彼がワイナリー工場を案内してくれることになった。東京育ちで三重県でぶどう作りを手伝い、その後自分でワインを造りたいという夢をもってイタリアに勉強にきているとのこと。アルバに住んでいてアルバの専門学校に学んで4年目だという。勉強しながらこのワイナリーでも修業をしているようだ。

◆醸造場とセラーを見る

まず、階段を下りて広場のぶどうをトラックから降ろしてから地下へ降ろす機械を見せてもらう(帰るころには丁度この作業を実際にやっていた)。

Barolo マルケージ・ディ・バローロ ぶどう積み下ろし

 

●ぶどうを実・たねと枝に分ける。

●35度まで発酵させる(それ以上温度が上がると糖がアルコールに変わらなくなる)。

●大きなステンレスタンクで1次発酵

Barolo マルケージ・ディ・バローロ タンク③

 

●コンクリートタンクで熟成

●150年前から使われているクロアチア、スラボニア産の大樽で熟成させる(全部で2万本分の18,500リットル)。

Barolo マルケージ・ディ・バローロ 大樽①

 

●バリック樽

真ん中の栓を開け、減っていれば足す。

このバリック樽は使い捨てで1個600ユーロもするという。小さな樽なのでカーヴをつけるために焼くが、それが香りの元だということを知った。

Barolo マルケージ・ディ・バローロ バリック樽②

 

●ボトル詰めを800m離れた場所で行うのでそこまでパイプで流す。

Baroloは木樽で2年以上熟成しなければならず、BaroloReservaは5年だそうだ。だから一番新しくても5年前のヴィンテージということになる。

このようなことを醸造場の中を行ったりきたりで説明してもらう。何せ、日本語でしかも3人に対しての説明だから本当にありがたい。

さらに奥に進むとワイン・セラーがある。ここにはヴィンテージ順にボトルが寝かされている。温度は醸造場よりも低くコントロールされているのが実感できた。

1番古いのは1859年もの。ほかの年代ものと一緒に小さな格子扉のケースに立てて保管されている。

Barolo マルケージ・ディ・バローロ セラー 年代もの

Barolo マルケージ・ディ・バローロ セラー 1859年もの

それ以外は棚に年度ごとに置かれている。我々3人はそれぞれ生まれた年のボトルを手にして写真をとりあう。めったにできない経験だ。

Barolo マルケージ・ディ・バローロ セラー 保管棚①

 

 

バローロの歴史の中で素晴らしい年は10年あるという。1922年、1931年、1947年、1964年、1971年、1978年、1989年、1997年、1999、2000年。張り出されているポスターに年度順に評価が書かれていてこれらの年は”OUTSTANDING VINTAGE” だ。

その中で年代ものの1つを手にして『これは売っているのですか?』と訊ねると、『パオロに頼めば買えるかもしれませんよ』とのこと。買えるとしても相当するのではないだろうか?恥をかくのでお願いはしなかった。

◆当主とのランチで楽しいひととき

ひととおりの見学を終え、売店に戻る。ランチには当主のパオロさんがお見えになるということで売店奥の大きなテーブルに案内された。

ちょうどその場所からガラス越しに地下の樽が見える。まもなくパオロさんがお見えになり英語で挨拶、スプマンテが出てくる。てっきりそのテーブルで食事かと思ったら『リストランテへ』と2階に案内される。

奥のテーブルにゆったりと4名が座る。パオロさんの右隣には弟、左隣には兄、正面には自分という位置関係。ガイド役のCさんは、今度はカメリエーレ役だ。我々にとっては観光だが、招待を受けたということでお互いビジネスランチのようなもので話題のキャッチボールをしなければならないがここはアレンジ役で英語に強い弟に任せることにした。あとはたまに合いの手を入れるくらい。それにしてもワインで世界を股にかけるビジネスマンのパオロさんは英語が流暢でつまるようなことはほとんどないし、イタリア語なまりも全くない。ということで片言のイタリア語を使わないですんだ。

さて、肝心のワインと料理。あまりに美味しかったのと話が弾んでいたこともあってあまり詳しく覚えていないが次のようなものだった。

前菜はいわば郷土料理、子牛の生肉を少しあぶったカルパッチョ(3切)、ツナのソース添え。

次も前菜、テリーヌのようなものだが材料不明。固くなくフワッとしている。これもソ

ース添え。

プリモはラヴィオリ、サルビアとバターのソース掛け。

チーズ3種、真ん中にこの地方のCogna(チーズにつけるジャム、ワインから作られている)。

デザートはパンナコッタとカカオのケーキ。

ワインは料理にあわせ、またグラスが空になるとカメリエーレ役のCさんがどんどんサーヴしてくれる。

Dolcetto d’Alba (MADONA di COMO) 2005

Barolo マルケージ・ディ・バローロ 前菜に Dolcetto d'Alba 2005

 

Barolo(CANNOBI) 2001 (CANNOBIというのはぶどう畑の名前でバローロの中でも最高級)

Barolo マルケージ・ディ・バローロ CANNOBI 2001

 

Moscato d’Asti (デザートワインとして)

楽しい食事を終えたところでパオロさんからお土産をいただく。私と兄にはバローロのグラッパ、弟は紹介者の友達ということでバローロ、しかも例のCANNOBIのマグナム・ボトル。山形の焼酎を差し上げただけなのが申し訳ないくらいだ。

パオロさんは『予定があるから』といって14時40分席を立つ。我々は下の売店に行き、店内を見ている間に食事中パオロさんにお願いした1999のバローロが2本ずつ箱詰めされて用意された(これは購入、28ユーロ×2)。

旅行計画当初には思ってもいなかった老舗ワイナリー訪問、しかも当主との美味しいワインと食事。思い出に残るワイナリー訪問となった。

 

 

Barbaresco, Piazzo(バルバレスコ)

Barbaresco, Piazzo(バルバレスコ) 2006年9月11日

 

2006年、兄弟3人でイタリアワインの銘醸地、ピエモンテへ旅した。

その4日目、バルバレスコ村を訪れ、ワイン畑の中にあるアグリツーリズモ” Cascina Brac”に宿をとる。

Barbaresco Cascina Barac

 

 

偶然にも、その宿のオーナー夫人の実家が”Piazzo”というワイナリーだった。しかもすぐ隣だ。

オーナーの計らいでテイスティングに誘われる。

 

 

部屋で一休み後、アグリツーリズモから出てぶどう畑を下りるような形でワインセラーの方へ行く。

Barbaresco Piazzoのぶどう畑②

 

 

Barbaresco Piazzoのぶどう畑①

向こうからジーンズをはいた実直そうな男性が待っていたかのようにやってきて『フランコです』と手をのばしてくる。こちらも名乗り握手をした。

彼がワイナリーの当主だ(宿のオーナーの義兄)。

 

そのまま彼について行き右手の建物に入り、テイスティング開始。

Barbaresco Piazzoのテイスティング・ルーム

 

Barbaresco Piazzoのテイスティング・ルーム②

まず、シャルドネ。フランコ本人が注いでくれる。

Barbaresco Piazzo シャルドネ

 

 

説明はすべて英語。この地方の人、とりわけワイン・ビジネスに携わる方々は商売上英語を普通に操れることが必須のようだ。こちらは必死についていく感じだ。

日本でもデパートなどでテイスティングさせてくれることがあるが小さなグラスでほんのちょっとだが、ここでは普通のワイングラスにそこそこの量だ。

シャルドネ(Chardonnay)のあとは

Barbaresco Piazzo バルバレスコほか

 

Dolcetto D’Alba, SCALETTA

Barbera D’Alba, MUGIOT

Barbaresco, Riserva 2001

Barbaresco Piazzo バローロ

 

Barolo

と次々にテイスティングし続ける。

Barbaresco Piazzo テイスティング

自家製だというサラミまでつまみとして出してくれ、テイスティングなのか飲み会なのか・・・・あっという間に1時間経ってしまう。

テイスティングはまったくのただ、申し訳ないこともあってBaroloを1本ずつ購入(18.5ユーロ)。

 

世界各国に輸出していて、日本ではかつては成城石井が取り扱っていたそうだ。最初のころはコンテナ1本分、今は年間2000本だという(生産能力は50万本だから日本向けは微々たるもの)。

兄が帰国してから家族で飲んだ際、姪が『このラベルのものを成城石井で買ったことがある』と言っていたとのことだった。

 

フランコの話では、Barbarescoの畑の広さはBaroloの1/3 、だから知名度が低い、Barbarescoは自分のところでは7,500本、ラベル枚数で制限されているそうだ。

ビジネスとしてはなかなか楽ではない印象を受けた。

 

http://www.piazzo.it

Venezia(ヴェネツィア)2015/11/15~17

 

Venezia(ヴェネツィア)2015/11/15~17

◆行く

イタリアへの旅も2度のペルージャ滞在を含めると18回目、かなり多くの町に行っている。訪れていないのはサルデーニャ島とか北イタリアの山の方とか行きにくいところしか残っていない。

11月ともなればましてなおさらだ。

ということでいろいろ考えてヴェネツィアに行くことにした。前回(2008年)はパドヴァからトリエステに移動する最中にちょっと寄り道しただけだが、それも入れると5回目になる。

 

前泊地のペルージャを9時53分発のフィレンツェ行きに乗る。2度のペルージャ滞在時にはよくフィレンツェに出かけたものだが、距離の割に遠い。時間がかかる。

フィレンツェ・サンタ・マリア・ノヴェッラ駅では接続にハラハラする場面もあったが予定通り12時15分発のESに乗り換えることができた。

指定席のボックスには1人中東系の女性がいただけだが彼女は次のボローニャで下車。あとはずっと一人。パドヴァまでは定時だったがその後遅れ、6分遅れて14時26分ヴェネツィア・サンタ・ルチア駅到着。

 

◆ホテルまでの道のり

駅を出るとすぐ大運河があり、そこにヴァポレット(水上バス)乗り場がある。今までならばそれに乗るところだが、以前に比べると料金がものすごく高くなっていたのと予約していたホテルがいわば島の内側のためヴァポレットの停留所から距離があるのでヴェネツィアに着く前から歩こうと決めていた。

 

まず大運河にかかる橋を渡る。スーツケースがあるものの今回は小さめでしかも軽いのでそれほど苦にはならない。

とりあえずヴェネツィア特有の矢印看板を確認してリアルト目指して歩く。

 

リアルトまでの途中、2回ほど『これでいいのか?』とわけがわからなくなる。

とりわけ2回目はサン・ジャコモ・テットリオ教会の広場をすぎてから例の看板が《Al vapoletto》となっていて不安になり、戻って近くのお菓子屋さんの店員に篠さんの本(書名は『ヴェネツィア カフェ&バーカロでめぐる、14の迷宮路地散歩』、以下『篠さんガイド本』という)を見せて教えてもらう。

 

また、リアルトに近づいてからは魚市場に出てしまった。

ここは以前来たことがあるのでリアルト橋はそう遠くはない。

橋に近づいてみると日曜のせいなのか、世界の観光地のせいなのかものすごい人出だ。

人ごみの中、リアルト橋を渡るのはスーツケースを持ち上げているので大変。

 

橋を下りてから右に曲がるが、川岸ではなく普通の路地に入ってしまいあとは適当にいくしかない。

小さな広場(サン・ルカ広場)に出たら目の前にH&M、もう大丈夫、ホテルはその裏側だ。

15時10分、ホテルにチェックイン、サンタ・ルチア駅から40分近くかかったがある意味楽しかった。

 

◆バーカロ訪問1軒目は

車中、ローマで会った友人からもらったドライフルーツで小腹を満たしていたもののお腹もすいている。

レセプションで近くの店を教えてもらったが日曜だからなのか、中途半端な時間だからなのか休み閉まっている。

以前(1998年初めてヴェネツィアを息子と訪れたとき、そしてその翌年家族みんなで訪れたとき)行ったことのある”Al Volt”も割と近くて通りがかったがここは準備中。

その前の通りを進むと川岸に出たのでリアルト橋に向かう。

 

橋の向こうに何軒かのバーカロがあるのはわかっていたので行ってみるとアーケード街の店は休み。

反対側の篠さんガイド本に載っていたサン・ジャコモ・ディ・リアルト教会前の広場の店は開いているものの店の前からものすごく混んでいて気後れし、隣の店《Ancora》に入る。

プロセッコとつまみに生ハムのブルスケッタ、ポルペッティで遅いランチ代わりとする。

 

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◆定番のサン・マルコ広場へ

リアルト橋とはまったく反対の方向だけれど定番のサン・マルコ広場に行ってみることにした。

そのまま向かうのではなく、ホテルからの道を確認しようとまず一旦ホテル近くに戻り、サン・マルコ広場に向かう。

途中、BSの番組で見たゴンドラ溜りに出た。何艘かのゴンドラが出番を待っているのがちょっと絵になる。

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そこからすぐ、サン・マルコ広場の西側に出た。

 

路地から突然抜け出たようにサン・マルコ広場に入ったのでその大きさと美しさを感じる。

かなり向こうに鐘楼がすくっと立ち景色がいい。

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日曜の夕暮れ時とあってそれほどの人出ではないが観光客の多くは中国人のようだ。

 

鐘楼を右に曲がり、小広場へ。

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あとは、海沿い(スキアヴォーニ河岸)を初めて訪れたころを懐かしみながらズンズン歩く。

そろそろ暗くなってきた。

かなり行ったところで左折し、町の中に入る。

あたりには何軒かのリストランテ、トラットリアがあり偶然どのガイドブックにも出ている有名店もあったが一人で入るにはちょっと高そう。

 

ふたたび海側に戻りもと来た道でホテルに帰った。

 

◆リストランテ探しに一苦労

ホテルの部屋でいつものように夕食の店をどこにするか、トリップアドバイザーも見ながら考え、18時半過ぎ出かける。

目指したのは、ホテルからはかなり離れているがBS番組で紹介されていた店とその近くの店の2軒、

リアルト橋を渡らずに進み、サンティ・アポストリ教会の近くだ。

教会はすぐわかったが、その裏というので行ってみるもののまったくわからない。

あきらめて教会近くの店を見たりしているうちに、「通り」の名前を見つけたのでその近くへ行ってみると、第1候補の店、発見。

入って『1人』と伝えると席に案内される。その時、日本語で『お元気ですか?』。

それからも別のカメリエーレも片言の日本語を話す。

番組では《地元で人気の店》と紹介されていたが、結構日本人も来ている店だということ、観光客中心の店だということがわかった。

 

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ヴェネツィア名物料理を食べ(詳しくは◆食べる、にて)、超満腹になり、21時頃店を出てホテルに戻る。

 

◆朝の観光は《かたつむり》から

ヴェネツィア訪問も5回目、ともなると一般的な観光はする必要がない。

たまたまホテルの近くに《かたつむり》といわれる面白い建物があるというのでそこに行ってみることにした。

本当の名前は、《コンタリーニ・デル・ボーヴォロ階段、Scala Contarinidel Bovoro》、ボーヴォロというのはヴェネツィア方言で《かたつむり》のことらしい。

昨晩のリストランテ探しと同様に住所、とりわけ番地を頼りに探す。

すぐ近くとたかをくくっていたがなかなかたどりつけない。

地図をみて、マンニ広場からの方が行きやすいかと思って行ってみたら建物の正面に出たので裏に回ってようやく発見。

さっき、このすぐ近くまで来ていた。

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《かたつむり》と表されるらせん状の階段が見えるが、外から見るだけで中に入ることはできない。

◆次はアカデミア美術館

サン・マルコ広場へ出るつもりがフェニーチェ劇場へ出てしまう。そこからぶらぶら歩き、サン・ステファノ広場に出る。

その先にはアカデミア橋。木造でゆったりとした橋は初めて来た時と印象はかわらない。

橋の上からの大運河の眺めが素晴らしい。まったく絵になる。さすが水の都、ヴェネツィアだ。

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アカデミア美術館は、17年ぶり。入場料は何と15ユーロ、それに音声ガイドを借りる(6ユーロ)。

入ってみてもほとんど記憶がない。

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展示されている作品が多いので音声ガイドのある作品のみ鑑賞。

ベッリーニの《サン・マルコ広場の祝祭行列》が、当時のサン・マルコ広場を忠実に再現しているのがいい。

隣の21室はカルパッチョの展示だ。この赤の使い方から例の料理の名前になった理由がよくわかる。

《聖母マリアの神殿奉献》ティツアーノ作

《聖母マリアの神殿奉献》ティツアーノ作

約2時間かけて鑑賞した。

 

◆すぐ近くのサルーテ教会

美術館の次は、サンタ・マリア・デッラ・サルーテ教会へ。

大運河の景色がいい。

この教会は大運河の反対側から見るとそのクーポラが大きくて特徴がある。

 

内部は八角形でガランとしている。

ティントレットの大作があるはずだが二回りほどしたが、どこにあるのかわからない。

これにてアカデミア界隈の観光はお終い。

 

◆パニーニでランチ

篠さんガイド本には沢山のバーカロ、バール、カフェが紹介されている。

2泊3日という短い日程の中で何軒訪問できるだろうか?

その中に《ヴェネツィアで一番美味しいパニーニの店》というのがあったのでそこに行くことにした。

場所は昨晩のリストランテとリアルト橋の間くらいだ。

 

店の前に着くとちょうど老夫婦が入るところ、続いて入る。店内には2、3組の先客がいる。

最初はちょっと居心地がつかめない。

バッカラと野菜のパニーノを確認してからハウスワインの白を注文。

そのうち奥の数人が帰り、隣の男性(ワインの営業マン)、ほぼ同時に入った英語をしゃべる老夫婦(たまに来るようでお土産持参)、あとからオーナーの友だち(結構楽しい人)が来る。

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和やかな空気になってきたので『この本を見て来た』と篠さんの本をオーナーに見せたら『彼は金曜(3日前)にここに来ていた、東京で写真の展覧会があるというので日本へ帰ったよ』と。

それから少し距離が縮まったような感じで楽しいランチとなった。

 

◆《聖母被昇天》

腹ごしらえのあとは、サンタ・マリア・グロリオーザ・ディ・フラーリ教会だ。

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ここの《聖母被昇天》(ティツィアーノ作)を見るためだ。

問題は、どのように間違いなくたどり着くかということだが、ここでも篠さんガイド本が役立った。

地図が詳しいからだ。おかげで迷うことなく着いた。

 

この教会は恐らく3回目か4回目だが、今回初めて拝観料が必要だった(3ユーロ)。

《聖母被昇天》は何度見ても素晴らしい。

構図といい、色彩といい素晴らしく、500年近くも前の作品とは思えない。

 

フラーリ教会を出たあとはホテルへ戻って一休み。

 

◆バーカロ巡り

16時過ぎバーカロを巡るつもりでホテルを出る。

目指すは《Cantina do Mori》、有名店で以前にも行ったことがある。

入ってみると大勢の客がいてそのほとんど観光客っぽい。

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混雑する中を何とか注文してさっと引き上げる。

 

近くにはほかにもバーカロはあるが休みだったり準備中だったりで次を探して歩き回る。

そのうちに1軒のAntica Trattoriaの看板を見つける。

外の《本日のメニュー》に惹かれたのと、普通はたどり着けないだろうと夕食はこの店にしようと決めた。

 

バーカロはあきらめたものの帰りの途中でそれらしき店があったので入る。

つまみ(チケッティ)が目に入らなかったので本日2個目のパニーノをつまみにまたプロセッコを飲む。

 

◆2日目のチェーナ

ホテルに戻り、さっきの店をトリップアドバイザーでチェックすると、意外や意外、多くの日本語の評価がある。

 

とはいえ、それでもなお自分の中では”Antica Trattoria”という言葉が頭を離れず、18時50分過ぎ店へ向かう。

コートを預けているうちに、同時に別の方から若い日本人女性2人。

そして案内されたテーブル隣には学生のような若い日本人男性4人が食事中。あらら・・・。

《隠れ家的》と思ったのはまったくの勘違いだったようだ。

そして、《本日のメニュー》も実は前日のものだった。

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とはいえ、それなりにヴェネツィア料理を味わった。

 

◆朝のメルカートへ

2泊3日の最終日の朝、目覚めたのが早く朝食まで時間があったので7時ころリアルト橋たもとのメルカートに行ってみることにした。

日中あれだけ混雑しているリアルト橋には人影はまばら、下手すると誰もいない瞬間もある。

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メルカートの魚市場も野菜の店もようやく準備が始まったところ。ヴェネツィアの朝は意外に遅いようだ。

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一通り見て、きびすを返してサン・マルコ広場と海に行ってみる。

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今日は気温が低くサン・ジョルジョ・マッジョーレ島も少しかすんでいる。

 

◆朝から1杯

朝食後、再びサン・マルコ広場へ。

サン・マルコ寺院は9時半かららしく待つのもいやなのでスキアヴォーニ河岸を進み、おととい入った路地に行く。

篠さんガイド本で《観光の中心からはずれた小粋な店》と紹介されている店を探す。

ようやく見つかり、トイレにも行きたくなったので入ってその旨告げると『トイレはない、そこにそうかいてあるだろ』とつれない。

やむを得ず近くでバールを探し、トイレを借りてからカフェを1杯、こういう点イタリアは実に面倒だ。

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つれなくされたものの『あとで来るから』といった手前、先ほどの店に戻る。

《小粋な店》というよりは普通のバールの感じだ。常連客が3人ほどいた。

店主は一生懸命テイクアウト用のパニーニを作っている。

白ワインを1杯飲んで店を出る。

 

 

このあとは篠さんガイド本のコースに沿ってサン・マルコ寺院へ。

途中、小運河沿いに良さげなトラットリアを見つける。

サン・マルコ寺院の裏側に出たので回り込んで入る。

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拝観するのは4回目、2002年以来だ。

比較的すいていたが、無料で拝観できるのは1階のみだ。

とはいえ、クーポラは高く、モザイクがすごい。柱のアーチなどもモザイクだ。

 

◆買い物のあとは最後のランチ

いったんホテルに戻り、チェックアウト。スーツケースを預けて最後の仕事(?)。

早朝見に行ったメルカートへ再度行き胡椒を買う。

これからさらに北に行くことを考え、リアルト橋の店で自分用にマフラーを購入。

 

それから急ぎ足でさっき通りがかりに見つけた運河沿いのトラットリアへ向かう。

実は名前をうろ覚えのままホテルへ戻ったときに”San Giorgio”だと思ってトリップアドバイザーでチェックしたところ評価が高かった。

行ってみると”Ai Grecia di Giorgio”と全く別の店。

時間も限られているので”San Giorgio”を今さら探すわけにもいかず運河沿いの席に座る。

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2種類の定食からヴェネツイアらしい方を選び最後のランチとした。

 

◆次の目的地Asoloへ

ちょっと急いで食べた感じがするが、ホテルに戻りスーツケースを受け取り着いたときとほぼ逆ルートでサンタ・ルチア駅に向かった。

14時31分発のTreviso行きで初めての町Asoloへ向かう。

この時点でAsoloにたどり着くのにあんなに苦労するとは全く予想もしていない。

 

 

◆泊まる

ホテル Hotel Al Codega ★★★★ Corte Del Forno Vecchio – San Marco 4435, Venezia、

TwinのSingle use 1泊80ユーロ、ほかに市税1泊4.5ユーロ Booking.comで予約

リアルト橋とサン・マルコ広場の中間に位置し、入口はわかりにくいもののわかってしまうとロケーションの良さを感じる。

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レセプション、部屋も良く朝食の内容もヴェネツィアらしさを感じた居心地のいいホテル。

部屋は広くてきれいで家具や設備もいい。テレビ画面は鏡の中だ。

機会あれば次回もここに泊まりたい。

 

◆食べる

お店の名前 A la Vecia Cavana, Rio Tera‵S.S. Apostoli 4624, Venezia

BS番組で『地元で人気の店』として紹介された店。あとで篠さんガイド本でも紹介されているのに気づいた。

トリップアドバイザーで調べた住所と地図を頼りに探したが、通りを間違えたらしく見つけるのにかなり苦労する。

中の雰囲気は良く、ピアノ演奏もありそれなりの店ではあるが、カメリエーレの押しつけがましさ、慣れなれしさがあり、あまり印象はよくなかった。

食べたもの 前菜はヴェネツィア名物、いわしのマリネ(10ユーロ)。

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プリモも名物、イカ墨のスパゲッティ(15ユーロ)。

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メインは鯛(orata)のグリル(22ユーロ)。

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ウエルカム・ドリンクはオレンジ・ジュースっぽい。

ワインはカベルネのハーフボトル(15ユーロ)。

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コペルト(3.5ユーロ)、水(3ユーロ)で合計68.5ユーロ。

注文するときのカメリエーレはかなり押しつけがましい(というより、こちらに考える時間を与えようとしない感じ)。

イカ墨パスタの段階でお腹がかなりいっぱい、鯛のグリルは何とか食べたが付け合わせのポテトはとても食べられない。

『グリルもいいが、鯛ならば和食で料理する方が美味しいな』と思いつつ食べる。

周りのテーブルには、食後のチーズ、ケーキなどワゴンで勧めにきていたが、『お腹いっぱいなので』と断る。

 

お店の名前 Antica Trattoria Poste Vecie, San Polo 1608, Venezia

隠れ家的でなかなかたどり着かないだろうと思ったが魚市場に面した表の入口があり全然隠れ家ではなかった。

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上の昨日の店に比べると、カメリエーレが黒服ということで高級感がある。

建物内部はかなり古そうで歴史がありそう。

 

食べたもの 外に出ていた《本日のメニュー》は昨日のものだったらしく、惹かれた《リアルト市場の魚の前菜》はなかった。

前菜はシーフード盛り合わせ(むきエビ、サーモン、イワシの酢漬け、タコ、セロリ、ルッコラなど、16ユーロ)。

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プリモはスカンピのリゾット、最初は2人前からといわれ断られ、別のものを頼んだがあとからフランス人夫妻が頼むのでOKとなり変更した(15ユーロ)。

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ワインはハーフボトルもあったが、昼から何杯も飲んでいるのでグラスで白、赤1杯ずつ(6ユーロx2)。

ドルチェとしてレモンのジェラートにウオッカ、プロセッコを注いだもの(6ユーロ)。

コペルト(3ユーロ)、水(4ユーロ)で合計56ユーロ。

プリモを変更したにもかかわらず案の定勘定書は間違っていたので指摘して直してもらう。

 

お店の名前 Trattoria “Ai Grecia” di Travoglioni Giorgio,Fond.taS.Lorenzo, Castello,4988-89, Venezia

本文の通り、小運河沿いを歩いていて見つけた店。運河沿いで食べるのはヴェネツィア ならでは。

食べたもの 定食が17ユーロと21ユーロの2種類あり、どちらもプリモ、セコンドを何種類かの中から選ぶプリフィクス・スタイル。

17ユーロの方はプリモもセコンドもありきたりだったので21ユーロのヴェネツィア定食にした。

プリモはスパゲッティ・ヴォンゴレ、セコンドは魚介類のフリット、付け合わせは野菜盛り合わせを選ぶ。

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いずれも美味しかった。

ワインはグラスワインがなかったので、いろいろやりとりしてValpocicellaのハーフボトルを半分にしてもらう(4ユーロ)。

(ふだんならハーフボトルはゆうに飲めるがこの日はあまり時間がなかったので)

合計25ユーロ。

 

◆飲む(バーカロ、バールなど)

お店の名前 Ancora、San Polo,120, Venezia

飲んだもの・つまんだもの プロセッコ(4ユーロ)、ブルスケッタ(1ユーロ)、ポルペッタ(2ユーロ)

お店の名前 Osteria Enoteca I Rusteghi, San Marco 5513, Venezia

飲んだもの・つまんだもの ハウスワイン白(5ユーロ)、バッカラと野菜のパニーノ(4ユーロ)

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お店の名前 Cantina do Mori, Calle dei Do Mori, San Polo 429, Venezia

飲んだもの・つまんだもの プロセッコ、マグロのポルペッタ、チーズで6.6ユーロ

 

お店の名前 Barcollo, San Polo 219, Venezia

飲んだもの・つまんだもの プロセッコ、生ハムのパニーノで4ユーロ

 

お店の名前 Cantina Antica Vigna, Castello 3818, Venezia

飲んだもの 白ワイン(4ユーロ)

 

◆買う

お土産として、ジャンドゥイオッティ、Majaniのチョコ、Tシャツ、胡椒など。

寒さ対策として自分用にマフラー。

 

◆読む

本の名前 『ヴェネツィア カフェ&バーカロでめぐる、14の迷宮路地散歩』 篠利幸著 ダイヤモンド社 1600円+税

今回の旅の目的をバーカロめぐりと決め、そのガイド本として出発直前に購入。

目的にピタッとはまっているのでとても役立った、また各エリアの地図が精緻で迷わずたどり着くことができた。