Barolo, Marchesi di Barolo (バローロ)2006年9月12日
◆ワインの王様《バローロ》のふるさとへ
今回のピエモンテの旅にワイナリー探訪という目的はあったものの、フォンタナ・フレッダ内のヴィラに泊り、ワイナリー見学を予約していただけだったのが、出発2週間ほど前になって、急に《マルケージ・ディ・バローロ》訪問の話が持ち上がった。
というのは、同行の弟がよく行く某イタリアン・リストランテで懇意のイタリア人シェフにピエモンテ行きを洩らしたところ、『友達がやっているワイナリーを紹介する』といってくれたからだ。その話を聞いて『それは有難い』とお願いし、こちらの日程を変えることなくアレンジしてもらった。
ピエモンテの旅、5日目、バルバレスコに近いアグリツーリズモからタクシーでバローロのワイナリーに向かう。
途中、小さな町の中を抜けて丘を登り、登りきったところあるカステッロ、グリンツァーネ・カヴール城で眺望を楽しむ。
◆Marchesi di Barolo
うまく時間調整を兼ねた観光をしたおかげでちょうど約束の11時にMarchesi di Baroloへ到着。
道路に面した入口、幅もそれほど広くない。
すぐ左に売店があり、弟が中に入って秘書の方を尋ねると若い女性が出てきて『彼女は今いないけど自分が対応することになっています』、『カフェ飲みますか?』(全部流暢な英語)。『はい』と答えると正面2階のテラス席に案内され、エスプレッソをご馳走になる。
そうこうしているうちに若い男性(日本人?)があらわれ、日本語で『すみません。遅れてしまって。案内をするCです。在日の韓国人です』と挨拶された。最初は本当に我が同胞かと思ったが、この挨拶を聞いて納得。彼がワイナリー工場を案内してくれることになった。東京育ちで三重県でぶどう作りを手伝い、その後自分でワインを造りたいという夢をもってイタリアに勉強にきているとのこと。アルバに住んでいてアルバの専門学校に学んで4年目だという。勉強しながらこのワイナリーでも修業をしているようだ。
◆醸造場とセラーを見る
まず、階段を下りて広場のぶどうをトラックから降ろしてから地下へ降ろす機械を見せてもらう(帰るころには丁度この作業を実際にやっていた)。
●ぶどうを実・たねと枝に分ける。
●35度まで発酵させる(それ以上温度が上がると糖がアルコールに変わらなくなる)。
●大きなステンレスタンクで1次発酵
●コンクリートタンクで熟成
●150年前から使われているクロアチア、スラボニア産の大樽で熟成させる(全部で2万本分の18,500リットル)。
●バリック樽
真ん中の栓を開け、減っていれば足す。
このバリック樽は使い捨てで1個600ユーロもするという。小さな樽なのでカーヴをつけるために焼くが、それが香りの元だということを知った。
●ボトル詰めを800m離れた場所で行うのでそこまでパイプで流す。
Baroloは木樽で2年以上熟成しなければならず、BaroloReservaは5年だそうだ。だから一番新しくても5年前のヴィンテージということになる。
このようなことを醸造場の中を行ったりきたりで説明してもらう。何せ、日本語でしかも3人に対しての説明だから本当にありがたい。
さらに奥に進むとワイン・セラーがある。ここにはヴィンテージ順にボトルが寝かされている。温度は醸造場よりも低くコントロールされているのが実感できた。
1番古いのは1859年もの。ほかの年代ものと一緒に小さな格子扉のケースに立てて保管されている。
それ以外は棚に年度ごとに置かれている。我々3人はそれぞれ生まれた年のボトルを手にして写真をとりあう。めったにできない経験だ。
バローロの歴史の中で素晴らしい年は10年あるという。1922年、1931年、1947年、1964年、1971年、1978年、1989年、1997年、1999年、2000年。張り出されているポスターに年度順に評価が書かれていてこれらの年は”OUTSTANDING VINTAGE” だ。
その中で年代ものの1つを手にして『これは売っているのですか?』と訊ねると、『パオロに頼めば買えるかもしれませんよ』とのこと。買えるとしても相当するのではないだろうか?恥をかくのでお願いはしなかった。
◆当主とのランチで楽しいひととき
ひととおりの見学を終え、売店に戻る。ランチには当主のパオロさんがお見えになるということで売店奥の大きなテーブルに案内された。
ちょうどその場所からガラス越しに地下の樽が見える。まもなくパオロさんがお見えになり英語で挨拶、スプマンテが出てくる。てっきりそのテーブルで食事かと思ったら『リストランテへ』と2階に案内される。
奥のテーブルにゆったりと4名が座る。パオロさんの右隣には弟、左隣には兄、正面には自分という位置関係。ガイド役のCさんは、今度はカメリエーレ役だ。我々にとっては観光だが、招待を受けたということでお互いビジネスランチのようなもので話題のキャッチボールをしなければならないがここはアレンジ役で英語に強い弟に任せることにした。あとはたまに合いの手を入れるくらい。それにしてもワインで世界を股にかけるビジネスマンのパオロさんは英語が流暢でつまるようなことはほとんどないし、イタリア語なまりも全くない。ということで片言のイタリア語を使わないですんだ。
さて、肝心のワインと料理。あまりに美味しかったのと話が弾んでいたこともあってあまり詳しく覚えていないが次のようなものだった。
前菜はいわば郷土料理、子牛の生肉を少しあぶったカルパッチョ(3切)、ツナのソース添え。
次も前菜、テリーヌのようなものだが材料不明。固くなくフワッとしている。これもソ
ース添え。
プリモはラヴィオリ、サルビアとバターのソース掛け。
チーズ3種、真ん中にこの地方のCogna(チーズにつけるジャム、ワインから作られている)。
デザートはパンナコッタとカカオのケーキ。
ワインは料理にあわせ、またグラスが空になるとカメリエーレ役のCさんがどんどんサーヴしてくれる。
Dolcetto d’Alba (MADONA di COMO) 2005
Barolo(CANNOBI) 2001 (CANNOBIというのはぶどう畑の名前でバローロの中でも最高級)
Moscato d’Asti (デザートワインとして)
楽しい食事を終えたところでパオロさんからお土産をいただく。私と兄にはバローロのグラッパ、弟は紹介者の友達ということでバローロ、しかも例のCANNOBIのマグナム・ボトル。山形の焼酎を差し上げただけなのが申し訳ないくらいだ。
パオロさんは『予定があるから』といって14時40分席を立つ。我々は下の売店に行き、店内を見ている間に食事中パオロさんにお願いした1999年のバローロが2本ずつ箱詰めされて用意された(これは購入、28ユーロ×2)。
旅行計画当初には思ってもいなかった老舗ワイナリー訪問、しかも当主との美味しいワインと食事。思い出に残るワイナリー訪問となった。