1999/9 「屋根のない美術館」と「海の都千年」」カテゴリーアーカイブ

Como(コモ) 1999/9/23


◆見る
 前日ラヴェンナのビザンチン文化を堪能した後ボローニャ経由でミラノに到着。ドゥオモ近くのホテルに泊まる。ミラノには2泊、2度目なので《最後の晩餐》鑑賞を予約していたほかは特にどうするということは決めていなかった。

 朝食後、ジェノヴァ日帰りにするかコモ日帰りにするか時刻表とにらめっこしたが、やはりジェノヴァ日帰りはきつすぎるなぁと思いコモに行くことにした。

しかし、どうみても9時台の列車には乗れない。11時10分発のCISが全席指定なので指定券をとるために早めに中央駅に着くようにしてホテルを出た。すぐ近くのドゥオモ、スカラ座を見たあと駅へ向かう。

 駅の切符売場に並ぶ。『コモまで往復。11時10分発に乗りたいが予約は必要ですか?』とメモを渡しながら尋ねると『予約は必要、その次の列車なら予約は要らない』とのこと。時間がもったいないので『予約したい』というと予約は別のところで窓口50番からだという。

そちらへ移動して予約番号をとると419番、まだ前に27人もいるがやむを得ない。時間は20分あったのでそのまま待つ。11時少し前に乗車券を買えたが『禁煙席』と伝えたのに逆になっていた。


 すでに列車はホームに入っていた。車内はやや紫煙が漂っているが30分あまりの旅なので我慢する。

コモ・サンジョヴァンニ駅に降り立つ。どこか寂しさを感じさせる静かな駅だ。駅を出たすぐのところに赤ん坊を抱いたジプシーがおもらいのためにすわりこんでいる。

駅からまっすぐ伸びた大きな通りを歩き、突き当たりの小さな広場をやや左の方に進むと少し大きな広場に出た。カヴール広場だ。ここまでくると湖が見える。ここはもうコモ湖観光のメインのところのようだ。

◆乗る
 コモ湖に来たからには遊覧船に乗らなければと、遊覧船の乗り場に行って時刻を確認すると広大な湖なので行き先も何ヵ所もあって、2時間コースのがすぐ出る(12時10分発)のがわかった。

でもちょうどお腹もすいてきて2時間ももちそうもないので昼食を取ってから13時30分の船に乗ることにした。

少し周りを歩きながら食べるところを探すが、結局乗り場へ戻り目の前のカフェで昼食をとる。晴れ渡った青空の下、気持ちの良い食事だった。

名だたる観光地のわりに良心的でコペルトもなくワイン込み18,000リラとリーズナブル。次の船まで時間があるので近くのジェラテリアでジェラートを買い、食べながら遊覧船乗り場で切符を買う(7,000リラ)。

今度のは所要時間1時間15分の一番短いコースだった。切符には“DA COMO A TORNA”となっていたのでここに戻ってくるか不安だったので乗船時に訊いたらここに戻ってくるとのこと。ひと安心。前の方に座る。

 船は北へ向かうので背中からの陽射しがきつい。広大なコモ湖の中ではほんのちょっと見るだけの遊覧コースだけれどアルプスの山々を望んだ景色は素晴らしい。

しかし食事をとったあとでもあり船の揺れに身をゆだねていると眠気にも襲われる。山が湖まで迫っていて斜面には別荘とおぼしき建物が多い。

途中5ヵ所の船着場に寄る。2つ目は《VILLA D’ESTE》、かつては英国皇太子妃の別荘だったというホテルのための乗り場だ。その建物は船着場の船上からは良く見えない。この近くにはかもめが随分いた。

次の《MOITRASIO》で針路を右へとったせいか揺れる、揺れる。しぶきがかかってきた。4つ目の《TORNO》は教会の広場のすぐ前だ。ここで向きを変えてまた左の方へ進む。

 山々が青く湖の水も同じように青い。すぐスイスの国境だというのがうなづける自然の景色。時間の関係でベッラージオまでは行けないがもっと良く事前に調べておけばミラノを早く出てベッラージオへ行くこともできたかもしれないし、今度は1泊してもいいなぁと思った。

5つ目の《URIO》というところ(目の前にホテルがある)でしばらく停まり、そこから同じルートで戻る。

 船を下りてから今度は山の上から湖を眺望することにしてフニコラーレ乗り場へ向かう。

15時丁度発に乗る(往復7,200リラ)。乗客は10人ほど、中に二人の若い日本人女性が乗っていたが、二人は別々にイタリア語を勉強しに来ているらしくたどたどしくながらもイタリア語で会話していたのがほほえましい。

地上や湖面では暑かったがブルナーテ山の頂上駅では25度、標高1000メートル近くあるらしく涼しい。湖を上から見下ろすつもりで行ったが、湖よりもコモ市街地が中心でちょっと予想と違っていた。15時30分下山。

◆買う
 コモは絹の産地、ネクタイでも買おうかと思ってガイドブックに出ていた“BINDA”というシルク製品の店を探す。フニコラーレ駅のすぐ近くだと思って歩き始めるが500メートルくらい行っても見つからないのであきらめて戻ると何と駅のすぐそばにあった。お店というより邸宅という感じ。


 門のチャイムを押すと何かしゃべっているので『ポッソ エントラーレ?』というとドアのロックが外れ、中に入れた。ここはアウトレットの店らしく品物は段ボールに入れたままドーンと置いてある。ネクタイを2本選んで払おうとしたら2割引きだった。お店の人は気のいい人で何かと話しかけてくる。『ここ2日間が暑い』と教えてくれた。

◆ドゥオモを見る
 フニコラーレのブルナーテ山からそのクーポラがよく見えたドゥオモへ行ってみた。さすがに遠くからもよく見えただけあって中に入ってもクーポラの天井が異常に高く見える。後陣の右手にサンピエトロ寺院のような(大きさは違うが)洗礼台がある。天井は絵ではなく金の装飾、右にはパイプオルガンとタペストリーが掲げられている。聖堂内部はバラ窓のせいか明るい。

 ドゥオモなど市街地観光をしてからFSの駅に向かうが行きにチーズの店を通ったのを思い出し「ミラノで時間がないかもしれない」と思ってチーズを買って帰ることにして少し戻ってそのお店に寄る。

お店には愛想のよいご主人がいた。まずはじめにパルミジャーノ・レジャーノの小さいのを量ってもらい約1万リラ。それからゴルゴンゾーラを頼むと『辛い方か、それとも甘い方か?』と訊かれたので夕べのミラノのリストランテで食べたのが甘かったのを思い出し辛い方を注文。

さらに何かこの地方のものをと頼むと一つ出して何やらいろいろ説明してくれたがよく分からない。《1ポッソ プロヴァルロ?』というとすぐ一切れ薄く切ってくれたので試食。まあまあだったので注文、しめて24,000リラ。

これでミラノでチーズ探しをしなくてすむ。他においしそうな中味のどっしりしたパンもあってそれも欲しかったが荷物になるのであきらめる。

 それから駅に向かい、着くとちょっと前にICが出たばかり、次の電車を時刻表でみるとガリバルディ駅に着く各駅停車はあったが時間もかかるし、着いてから不便かなぁと思い約1時間後(17時56分)のICに乗ることにする。

駅で何もすることもないのでお土産用の小瓶のグラッパでも買おうと思い、来た道を戻りドゥオモ西側の旧市街に入り込んで2軒ほど尋ねたがおいていない。適当に切り上げ余裕を持って駅に戻り、コモ日帰りの旅を終えた。

Ravenna(ラヴェンナ) 1999/9/21~9/22

Ravenna(ラヴェンナ) 1999/9/21~9/22
◆フェラーラ再び
 パドヴァからフェラーラ経由ラヴェンナに向かう。パドヴァ発15時46分、フェラーラ着16時36分。1年半前のイタリア旅行ではボローニャからフィレンツェへ移動する日、その前に半日フェラーラかラヴェンナへ行こうと思い、列車に乗ってから途中でフェラーラに決めて降りた。まさかまた来るとは思わなかった。乗り換えまでに少し時間があったので、見覚えのある駅前(割りと車の通る道路の向かいにバールと薬局などがあるだけ)に出
てみた。17時15分発のラヴェンナ行きに乗る。車内はがらがらだが、この日は暑くまたサマータイムのせいもあってこの時間でも蒸し暑い。フェラーラを出てすぐ左側にポプラ並木(片側だけだから並木とはいわないが)が何カ所もあり懐かしさを覚える。気候的には北海道に似ているのだろうか?
18時26分、定刻通りラヴェンナへ到着。

◆ホテルを探す
 パドヴァ、フェラーラ同様駅は街の中心から離れている。ホテルを予約していないので探す必要があったが、インターネットで調べておいた Centrale Byron というホテルがガイドブックの地図にも載っていたのでそこをとりあえず目指す。駅からまっすぐ歩き市庁舎の方へ向かう。地図にしたがって比較的大きな道路を渡り市庁舎らしき建物の駐車場に入り、ぐるっと周り込み裏手に出たもののどうもよくわからない。そのうち広場(ピアッツァ・ガリバルディ)に出た。この広場の一角に銀行があり両替機が目に入り、手持ちのリラが少なかったのに気づきチェックインの前に両替をしておいた方がいいと思って試してみたが何回やっても先に進まないのであきらめ(クレジットカードはこの4日前フィレンツェで財布をすられなくなっていた。詳しくは「旅のトラブル」にて)ホテル探しを続ける。そのまま行くともう少し大きな広場があった。ポポロ広場(ピアッツア・デル・ポポロ)だ。この広場を通り抜けたところの右手にCentrale Byron の看板、発見!

 入ってみると小さなフロントがあり、年配の女性がいる。バスつきのシングルを頼むと、あるというので「部屋を見たい」というと鍵を渡してくれた。「問題なければその部屋」とのことなので、スーツケースを持ちながら数段階段を上ってからエレベーターに乗る。

 11号室はすぐ見つかった。中に入ると95,000リラ(約5,700円)の割りにはまぁまぁ。
 「この部屋でいいや」と思いつつ念のためバスルームを見たら、どこにもシャワーも浴槽もない(ように見えた)。暑い一日を長袖のシャツで右往左往したのでどうしてもシャワーかお風呂には入りたかったのでこの部屋をあきらめ、スーツケースをまた持ってフロントに戻り、その旨伝えたところ、「シャワーとお風呂はある」という。もう一度鍵を借りて11号室に入ったところ、トイレの壁だと思い込んでいたところは何と浴槽を仕切るカーテンだった。歩き疲れて目がおかしくなっていたのか。今度はスーツケースを置きフロントへ戻ってチェックインする。現金がないのでデポジットを払えといわれたらどうしようと思ったがデポジット不要でホッとした(前払いしてしまうと食事代もなくなってしまうほどしか残っていなかった)。

◆小さなリストランテ
 まずシャワーを浴び着替えてから夕食に出かける。フロントの女性にどこかリストランテがないか尋ねいくつか教えてもらい地図に書き込んでもらった。「休みかもしれない」といわれたけれどホテルの裏だったのでそこへ行ってみたもののやっぱり休み。
もう1軒は、これもすぐ近くにあり、すぐに見つかる。外に3つほどのテーブルが出ている小さなリストランテだ。少し混んでいそうだったがとりあえず入ってみると本当に地元の人たちが食事を楽しみに来ているという感じのところ。お店の人に待つようにいわれドアのところで随分(30分以上?)待つ。

 ようやく席に着くことができた。ワインリストを見ると結構いろいろあるが一人でフルボトルは厳しいのでハーフでは種類は限定される。セコンドは魚にすることにしてカメリエーレに訊くと「これは美味いよ」とメニューの一番上のを教えてくれた。どうも食べた感じは「鰊のフライ」だったようでそれほど美味しいとは思わなかった(あとで単語を調べたらbranzino はスズキ)。
狭い店だけれど2階席もあって、またテーブルの間隔もキツキツなので相当のお客が入っているようだ。そのうち、日本人3人(若夫婦とお爺ちゃん、翌日サン・ヴィターレ教会で出会う)が隣のテーブルに座った。

 勘定をすませチップを5,000リラ払うと手元には10,000リラちょっとしかない。

◆ワインバーで
 帰り道、といってもホテルまではすぐそこだけれど、出掛けに見つけておいたホテル前のワインバーに寄ることにした。カウンターに座りキャンティ・クラシコを頼む。一人でちびちびやる。ピーナッツを甘辛くコーティングしたつまみが皿一杯でる。カウンターの中のバリスタは隣の常連客と話をし続け、こっちには何も話しかけてこない。話しかける勇気も今一ないのでひたすらちびちびやる。所持金が心配なので2杯目は無理、20分くらいで引き揚げることにし、勘定してもらうとワイン1杯分、5,000リラだったのでチップを500リラ渡す。その時「このピーナッツどこで売っているの?」と尋ねたら「近くのクープ(CO-OP、生協スーパー)だよ」。てっきり地元の名物かと思っていたのでちょっとがっかりしたのを思い出す。

 この日はヴェネツィアで家族と別れ、パドヴァでスクロヴェーニ礼拝堂に寄り、そしてホテル探し、と長い一日だった。イタリア数十泊しているが、当日のホテル探しはこの日と翌年夏のシエナの2回だけ。シエナの時は昼間でしかも同行者ありだったのでまだましだった。一人旅の夕方、カードなし、現地通貨わずかという悪条件でのホテル探しはコリゴリだ。

◆待望のビザンチン美術
 翌朝、待望のラヴェンナのビザンチン美術を見に出かける。地図がわかりにくく随分遠回りしてしまう。ホテルからは至近距離だったのに。ラヴェンナの朝は落ち着いているし、また、朝日がまぶしい。

 まず最初にサン・ヴィターレ教会に行った。入場券は何種類かあったが、市内6ヵ所共通入場券にする(9,000リラ)。この教会八角形の建物で、回廊は2階建て、灰色の大理石の柱は波のような模様で装飾されている。クーポラ内部も高さがあるので凄い大きさを感じる。うっかりくしゃみをしてしまったら大きく反響した。クーポラ内部の「ユスティニアヌス帝と廷臣たち」と「テオドーラ皇妃と女官たち」のモザイク画。素晴らしい!全体に緑の色調でペルシャじゅうたんのようだ。この日見たラヴェンナのモザイク画の中では一番凄かった。淡い茶色の外観からはとても想像できない。

 次いでガッラ・プラチディアの廟へ行く。ここは5世紀半ばに建てられた皇帝の妹一族の霊廟とのこと。入口は小さく内部もそれほど大きくないが濃いブルーと金色の色調のモザイクで荘厳な感じだ。窓には薄い大理石のようなものがはめこまれそこから明るさをとりこんでいる。この瞬間ここには自分を含め日本人ばかり5人だけ。モザイク画の中には鹿や小鳥、天井には水鳥の顔がライオン、牛、コンドルや人。絵としてもおもしろい。

 ガッラ・プラチディアの廟をあとにしてホテル方向に戻りさらに先のネオニアーノ洗礼堂、大司教博物館、ダンテの墓へ行ってみた。ラヴェンナという町はそれほど大きくない。洗礼堂の天井には12人の使徒が真中のキリストを取り囲んでいる。キリストはヨルダン川で洗礼を受けているという構図。ここも深い青と金色のモザイクだ。アーチの上の壁部分に唐草模様が描かれていたのが印象的だった。

 ラヴェンナを訪れる前の年ヴェローナのシニョーリ広場でダンテの像を見てフィレンツェで生まれたダンテがヴェローナへ亡命?したのは知っていたがその後ラヴェンナで活躍、亡くなったことは知らなかったのでお墓があるのにちょっと驚いた。

 ダンテの墓からサンタポッリナーレ・ヌオーヴォ教会まではそう遠くない。この教会は市内で一番広いローマ通りを渡った向こう側、駅の近くにある。この教会は細長い三廊式で奥行きのある長い壁に祭壇に向かって左には聖女の行列、右には殉教者の行列が描かれている。もちろんモザイク画だ。祭壇の方は淡いブルーであるのに対して壁のモザイク画はうぐいす色と金色できれいだ。

◆サンタポッリナーレ・クラッセ教会
 市内の観光はそのくらいにして昼食をすませ、それから市内バスでサンタポッリナーレ・クラッセ教会へ行く。駅前にバス乗り場があるが、近くを通りがかったバスの乗務員に乗り場、切符売場を訊いて教えてもらった建物へ切符を買いに行く。階段を上がって2階に行くとポリスの詰所みたいなところ。間違ったようだ。ようやく切符売場にたどり着くと係りの人に「今日はただ」と言われる。毎週1日、観光客向けサービスのようなことを言っていたが本当のところはよく分からない。
すぐ4番のバスが来た(13:54→14:10頃)。

 15分もバスに乗るとそこはまったくの郊外、まわりは何もないが観光客は多い(観光バスで来ているようだ)。さすがにヌオーヴォ教会によく似ているが中のモザイクの色調が違う。回廊は淡いクリーム色とブルー。内陣はモスグリーンを背景に十字架を真中にして左右に羊が5匹づつ描かれている。梁がむき出しになった天井は木のように見える。
帰りもただのバスに乗り駅へ向かった(14:40頃→14:52)。


 ラヴェンナの駅で自宅に電話してみる。日本時間で22時頃だったので前の日ヴェネツィアで別れた家族が無事帰っているか確かめたかったからだ。ところがまだ帰っていなくてカプリ観光中の長男の声で留守電メーッセージが聞こえたのには笑ってしまった。

 ラヴェンナからは最後の宿泊地ミラノに向かうが、当時はまだ切符の自販機がなく窓口で買ったのだがそれほど並んでいるわけではないのに一人にえらく時間がかかっていたため発車時刻が迫ってきてやきもきする(予定通りの列車に乗れてもミラノのホテルに着くのは21時近くになってしまうので)。何とかギリギリ間に合い、15時49分のボローニャ行きに乗り、ボローニャで約1時間待って18時16分発のESで20時丁度にミラノに着いた。

◆食べる
●リストランテ
<お店の名前>
La Gardela, Via Ponte Marino,3 Ravenna
<食べたもの>
前菜(8,000リラ)、プリモ(8,000リラ)、スズキのフライ(20,000リラ)、付け合せ(5,000リラ)、コーヒー(2,000リラ)
・・・58,000リラ(チップ、ワイン込み)
<ワイン>
Sangiovese di Romagna ハーフボトル 6,000リラ

◆飲む
<お店の名前>
la cucina del Capello, Via ? Novembre 41, Ravenna
<飲んだもの>
Chanti Classico BORAOSALCINETO 5,000リラ

◆泊まる
■Hotel Centrale Byron, Via ? Novembre 14, Ravenna Single 95,000リラ、朝食 7,000リラ 本文の通り現地調達

Padova(パドヴァ) 1999/9/21

Padova(パドヴァ) 1999/09/21


一人旅の始まり
 家族総勢6人のフィレンツェ・ヴェネツィアの旅もこの日の午前で終わり。

新婚の長男夫婦はナポリ、カプリの旅へ向かう。妻と次男、長女は皆予定があって、ヴェネツィアからパリ経由で帰国。2組をそれぞれ朝と昼、サンタ・ルチア駅近くのローマ広場のバス・ターミナルへ送りに行く。私はこれから、パドヴァラヴェンナミラノへの一人旅だ。

妻たちのバスを見送り、ヴァポレットでサンタ・ルチア駅へ行き窓口でパドヴァまでの切符を買う。近い割に高いなぁと思ったがお釣りが少ないことに気づいたものの後のまつり。10,000リラごまかされてしまった。前年の初めてのイタリア旅行でヴェローナの駅員氏にやられたのに次いで2回目だ(詳しくは「旅のトラブル」にて)。

 13時10分発。動き始めてからすぐに検札があり、車掌から乗っている車両がパドヴァでは降りられないと教えられ、1つ前の車両に移る。座席は結構混んでいる。ドアのすぐ近くの4人掛け座席が1つ空いていたのでそこに座った(ドアの近くなので反対側は3人掛けになっていて、イタリアの列車は良く考えられているなと感心した)。パドヴァに行くという先入観からなのか、向かいの人は何となく大学の先生みたいな雰囲気。
パドヴァには13時44分に着く。

◆滞在時間は2時間
 パドヴァにも1泊したいところだが、日程上厳しくまたラヴェンナではホテル探しもあるのでどうしても19時までには着きたい、ということで滞在時間はわずか2時間。それでも寄りたかったのは、目的はただ一つ、スクロヴェーニ礼拝堂のジオットのフレスコ画を見ることだ。


駅でスーツケースを預け、駅からまっすぐ南へのびる道を進む。陽射しが強く長袖のシャツは暑い。途中のバールでスクロヴェーニ礼拝堂の場所を尋ねる。駅で市内地図を手に入れたがこれが実にわかりにくい。そのうち左手に礼拝堂らしき建物を見つけるがフェンスで囲まれているので入口を探すとさらに先に市立博物館の入口があった。中に入ると記念品などを売っていて、そこで入場券(10,000リラ)を買いショルダーバッグを預けて念願の礼拝堂へ向かう。
中にはドイツ人とおぼしき年配の団体観光客が大勢いた。

 ジオットのフレスコ画は礼拝堂壁面に絵巻物のようにいくつもの場面が描かれている(後で数えたら38もあった)。この場面の展開は祭壇に向かって右手の上の段の奥(祭壇の方)から入口の方へ、そして2段目、3段目へと続いて行くのではないだろうか。入口の上は《最後の審判》だ。

キリストを捕らえるための合図としてユダがキリストに接吻する場面の《キリストの逮捕》は右手下段中央にある。視線が集中している臨場感ある構図だ。右手奥には車座になった《最後の晩餐》。磔刑になったゴルゴダの丘へ十字架を背負って行くシーンは左手の入口近くの下段にある。その段の中央には《ピエタ》そして《復活》、《昇天》へと祭壇方向へと続く。なかなかの絵巻物だ。

無理して来た甲斐があった。
祭壇にあるピサーノの聖母像はまるで観音様のような表情をしている。
(現在は入場は予約制になっているようだ)

 礼拝堂を出てから市立博物館に入る。1階は古代ローマ時代の遺物などの考古学館があるが時間がないので通り抜けて2階の絵画館へ行く。とにかく沢山の絵画があり、ヴェネツィア派が中心のようだが作者不詳というのも多いみたいだ。ゆっくり見ているとラヴェンナに行けなくなるので、本当に駆け足で見てしまった。

 見終わってから駅へ戻る。お昼を食べていなかったので駅のバールでパニーニを買い、15時46分の列車に乗ってフェラーラ経由ラヴェンナへ向かう。