Ravenna(ラヴェンナ) 1999/9/21~9/22


Ravenna(ラヴェンナ) 1999/9/21~9/22
◆フェラーラ再び
 パドヴァからフェラーラ経由ラヴェンナに向かう。パドヴァ発15時46分、フェラーラ着16時36分。1年半前のイタリア旅行ではボローニャからフィレンツェへ移動する日、その前に半日フェラーラかラヴェンナへ行こうと思い、列車に乗ってから途中でフェラーラに決めて降りた。まさかまた来るとは思わなかった。乗り換えまでに少し時間があったので、見覚えのある駅前(割りと車の通る道路の向かいにバールと薬局などがあるだけ)に出
てみた。17時15分発のラヴェンナ行きに乗る。車内はがらがらだが、この日は暑くまたサマータイムのせいもあってこの時間でも蒸し暑い。フェラーラを出てすぐ左側にポプラ並木(片側だけだから並木とはいわないが)が何カ所もあり懐かしさを覚える。気候的には北海道に似ているのだろうか?
18時26分、定刻通りラヴェンナへ到着。

◆ホテルを探す
 パドヴァ、フェラーラ同様駅は街の中心から離れている。ホテルを予約していないので探す必要があったが、インターネットで調べておいた Centrale Byron というホテルがガイドブックの地図にも載っていたのでそこをとりあえず目指す。駅からまっすぐ歩き市庁舎の方へ向かう。地図にしたがって比較的大きな道路を渡り市庁舎らしき建物の駐車場に入り、ぐるっと周り込み裏手に出たもののどうもよくわからない。そのうち広場(ピアッツァ・ガリバルディ)に出た。この広場の一角に銀行があり両替機が目に入り、手持ちのリラが少なかったのに気づきチェックインの前に両替をしておいた方がいいと思って試してみたが何回やっても先に進まないのであきらめ(クレジットカードはこの4日前フィレンツェで財布をすられなくなっていた。詳しくは「旅のトラブル」にて)ホテル探しを続ける。そのまま行くともう少し大きな広場があった。ポポロ広場(ピアッツア・デル・ポポロ)だ。この広場を通り抜けたところの右手にCentrale Byron の看板、発見!

 入ってみると小さなフロントがあり、年配の女性がいる。バスつきのシングルを頼むと、あるというので「部屋を見たい」というと鍵を渡してくれた。「問題なければその部屋」とのことなので、スーツケースを持ちながら数段階段を上ってからエレベーターに乗る。

 11号室はすぐ見つかった。中に入ると95,000リラ(約5,700円)の割りにはまぁまぁ。
 「この部屋でいいや」と思いつつ念のためバスルームを見たら、どこにもシャワーも浴槽もない(ように見えた)。暑い一日を長袖のシャツで右往左往したのでどうしてもシャワーかお風呂には入りたかったのでこの部屋をあきらめ、スーツケースをまた持ってフロントに戻り、その旨伝えたところ、「シャワーとお風呂はある」という。もう一度鍵を借りて11号室に入ったところ、トイレの壁だと思い込んでいたところは何と浴槽を仕切るカーテンだった。歩き疲れて目がおかしくなっていたのか。今度はスーツケースを置きフロントへ戻ってチェックインする。現金がないのでデポジットを払えといわれたらどうしようと思ったがデポジット不要でホッとした(前払いしてしまうと食事代もなくなってしまうほどしか残っていなかった)。

◆小さなリストランテ
 まずシャワーを浴び着替えてから夕食に出かける。フロントの女性にどこかリストランテがないか尋ねいくつか教えてもらい地図に書き込んでもらった。「休みかもしれない」といわれたけれどホテルの裏だったのでそこへ行ってみたもののやっぱり休み。
もう1軒は、これもすぐ近くにあり、すぐに見つかる。外に3つほどのテーブルが出ている小さなリストランテだ。少し混んでいそうだったがとりあえず入ってみると本当に地元の人たちが食事を楽しみに来ているという感じのところ。お店の人に待つようにいわれドアのところで随分(30分以上?)待つ。

 ようやく席に着くことができた。ワインリストを見ると結構いろいろあるが一人でフルボトルは厳しいのでハーフでは種類は限定される。セコンドは魚にすることにしてカメリエーレに訊くと「これは美味いよ」とメニューの一番上のを教えてくれた。どうも食べた感じは「鰊のフライ」だったようでそれほど美味しいとは思わなかった(あとで単語を調べたらbranzino はスズキ)。
狭い店だけれど2階席もあって、またテーブルの間隔もキツキツなので相当のお客が入っているようだ。そのうち、日本人3人(若夫婦とお爺ちゃん、翌日サン・ヴィターレ教会で出会う)が隣のテーブルに座った。

 勘定をすませチップを5,000リラ払うと手元には10,000リラちょっとしかない。

◆ワインバーで
 帰り道、といってもホテルまではすぐそこだけれど、出掛けに見つけておいたホテル前のワインバーに寄ることにした。カウンターに座りキャンティ・クラシコを頼む。一人でちびちびやる。ピーナッツを甘辛くコーティングしたつまみが皿一杯でる。カウンターの中のバリスタは隣の常連客と話をし続け、こっちには何も話しかけてこない。話しかける勇気も今一ないのでひたすらちびちびやる。所持金が心配なので2杯目は無理、20分くらいで引き揚げることにし、勘定してもらうとワイン1杯分、5,000リラだったのでチップを500リラ渡す。その時「このピーナッツどこで売っているの?」と尋ねたら「近くのクープ(CO-OP、生協スーパー)だよ」。てっきり地元の名物かと思っていたのでちょっとがっかりしたのを思い出す。

 この日はヴェネツィアで家族と別れ、パドヴァでスクロヴェーニ礼拝堂に寄り、そしてホテル探し、と長い一日だった。イタリア数十泊しているが、当日のホテル探しはこの日と翌年夏のシエナの2回だけ。シエナの時は昼間でしかも同行者ありだったのでまだましだった。一人旅の夕方、カードなし、現地通貨わずかという悪条件でのホテル探しはコリゴリだ。

◆待望のビザンチン美術
 翌朝、待望のラヴェンナのビザンチン美術を見に出かける。地図がわかりにくく随分遠回りしてしまう。ホテルからは至近距離だったのに。ラヴェンナの朝は落ち着いているし、また、朝日がまぶしい。

 まず最初にサン・ヴィターレ教会に行った。入場券は何種類かあったが、市内6ヵ所共通入場券にする(9,000リラ)。この教会八角形の建物で、回廊は2階建て、灰色の大理石の柱は波のような模様で装飾されている。クーポラ内部も高さがあるので凄い大きさを感じる。うっかりくしゃみをしてしまったら大きく反響した。クーポラ内部の「ユスティニアヌス帝と廷臣たち」と「テオドーラ皇妃と女官たち」のモザイク画。素晴らしい!全体に緑の色調でペルシャじゅうたんのようだ。この日見たラヴェンナのモザイク画の中では一番凄かった。淡い茶色の外観からはとても想像できない。

 次いでガッラ・プラチディアの廟へ行く。ここは5世紀半ばに建てられた皇帝の妹一族の霊廟とのこと。入口は小さく内部もそれほど大きくないが濃いブルーと金色の色調のモザイクで荘厳な感じだ。窓には薄い大理石のようなものがはめこまれそこから明るさをとりこんでいる。この瞬間ここには自分を含め日本人ばかり5人だけ。モザイク画の中には鹿や小鳥、天井には水鳥の顔がライオン、牛、コンドルや人。絵としてもおもしろい。

 ガッラ・プラチディアの廟をあとにしてホテル方向に戻りさらに先のネオニアーノ洗礼堂、大司教博物館、ダンテの墓へ行ってみた。ラヴェンナという町はそれほど大きくない。洗礼堂の天井には12人の使徒が真中のキリストを取り囲んでいる。キリストはヨルダン川で洗礼を受けているという構図。ここも深い青と金色のモザイクだ。アーチの上の壁部分に唐草模様が描かれていたのが印象的だった。

 ラヴェンナを訪れる前の年ヴェローナのシニョーリ広場でダンテの像を見てフィレンツェで生まれたダンテがヴェローナへ亡命?したのは知っていたがその後ラヴェンナで活躍、亡くなったことは知らなかったのでお墓があるのにちょっと驚いた。

 ダンテの墓からサンタポッリナーレ・ヌオーヴォ教会まではそう遠くない。この教会は市内で一番広いローマ通りを渡った向こう側、駅の近くにある。この教会は細長い三廊式で奥行きのある長い壁に祭壇に向かって左には聖女の行列、右には殉教者の行列が描かれている。もちろんモザイク画だ。祭壇の方は淡いブルーであるのに対して壁のモザイク画はうぐいす色と金色できれいだ。

◆サンタポッリナーレ・クラッセ教会
 市内の観光はそのくらいにして昼食をすませ、それから市内バスでサンタポッリナーレ・クラッセ教会へ行く。駅前にバス乗り場があるが、近くを通りがかったバスの乗務員に乗り場、切符売場を訊いて教えてもらった建物へ切符を買いに行く。階段を上がって2階に行くとポリスの詰所みたいなところ。間違ったようだ。ようやく切符売場にたどり着くと係りの人に「今日はただ」と言われる。毎週1日、観光客向けサービスのようなことを言っていたが本当のところはよく分からない。
すぐ4番のバスが来た(13:54→14:10頃)。

 15分もバスに乗るとそこはまったくの郊外、まわりは何もないが観光客は多い(観光バスで来ているようだ)。さすがにヌオーヴォ教会によく似ているが中のモザイクの色調が違う。回廊は淡いクリーム色とブルー。内陣はモスグリーンを背景に十字架を真中にして左右に羊が5匹づつ描かれている。梁がむき出しになった天井は木のように見える。
帰りもただのバスに乗り駅へ向かった(14:40頃→14:52)。


 ラヴェンナの駅で自宅に電話してみる。日本時間で22時頃だったので前の日ヴェネツィアで別れた家族が無事帰っているか確かめたかったからだ。ところがまだ帰っていなくてカプリ観光中の長男の声で留守電メーッセージが聞こえたのには笑ってしまった。

 ラヴェンナからは最後の宿泊地ミラノに向かうが、当時はまだ切符の自販機がなく窓口で買ったのだがそれほど並んでいるわけではないのに一人にえらく時間がかかっていたため発車時刻が迫ってきてやきもきする(予定通りの列車に乗れてもミラノのホテルに着くのは21時近くになってしまうので)。何とかギリギリ間に合い、15時49分のボローニャ行きに乗り、ボローニャで約1時間待って18時16分発のESで20時丁度にミラノに着いた。

◆食べる
●リストランテ
<お店の名前>
La Gardela, Via Ponte Marino,3 Ravenna
<食べたもの>
前菜(8,000リラ)、プリモ(8,000リラ)、スズキのフライ(20,000リラ)、付け合せ(5,000リラ)、コーヒー(2,000リラ)
・・・58,000リラ(チップ、ワイン込み)
<ワイン>
Sangiovese di Romagna ハーフボトル 6,000リラ

◆飲む
<お店の名前>
la cucina del Capello, Via ? Novembre 41, Ravenna
<飲んだもの>
Chanti Classico BORAOSALCINETO 5,000リラ

◆泊まる
■Hotel Centrale Byron, Via ? Novembre 14, Ravenna Single 95,000リラ、朝食 7,000リラ 本文の通り現地調達