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Torino (トリノ) 2006/9/13~16

Torino (トリノ) 2006/9/13~16

◆ピエモンテ9日間の旅、いよいよ最終目的地へ

午前中、フォンタナ・フレッダのワイナリー・ツアー、そしてスロー・フード運動発祥の町ブラを訪れ、ランチを終え、トリノへ向かう。

ブラ駅では久しぶりに窓口で切符を買う。「50km以内」という乗車券。 列車は新しい。2階席に座るが、車内はがらがらだ。14時32分発の列車は定刻(15時15分)にトリノ・ポルタ・ヌォヴァ駅に到着。

ホテルは駅前の大きな通り(ヴィットリオ・エマヌエーレ2世通り)を渡ってすぐ、右。近いだけあって15時半には部屋に入る。17時まで休養。

◆サン・カルロ広場からカステッロ広場

ホテルを出て駅を背にして反対方向へ進み、サン・カルロ広場王宮を目指す。これがトリノの歴史的中心部だ。 ローマ通りをまっすぐ進むと一旦建物(サン・カルロ教会の裏)に突き当たったので、右へ曲がってからまた左に曲がる。ポルティコの中に入る。ポルティコの内側はいろいろなお店だ。終わったはずのトリノオリンピックのポスターがまだ貼られていたりする。

そうこうしているうちに大きな広場に出た。トリノの応接間といわれるサン・カルロ広場だ。本当に広い。真ん中には騎馬像がある。サヴォイア公国を復活に導いた英雄の雄姿が広い空間でしかも青空の下、実に絵になる。

Torino サン・カルロ広場

 

エマヌエレ・フィリベルト像

エマヌエレ・フィリベルト像

この広場をとりまく建物にはトリノ名物のカフェも建ち並ぶが滞在中に寄ることにして、とりあえずこのときはトリノの中心部を概観するにとどめる。 トリノのシンボルは雄牛、サン・カルロ広場の歩道地面に雄牛が描かれている。このあと、いろいろなところではりぼてのような雄牛像をみかけることになる。

Torino サン・カルロ広場 敷石の牛

 

サン・カルロ広場のさらに先に進むと王宮が端正な姿を現した。王宮の前はカステッロ広場。この広場の右側はレンガ造りの昔のカステッロ、マダマ宮殿だ。正面ファサードはあとで作られたものらしい。今は市立古美術博物館となっているようだが残念なことに「修復中」のため閉館していた。しかし、正面ファサードとそのてっぺんにとりまくように林立している聖人の人物像が豪華さを感じさせる。

Torino カステッロ広場と王宮

Torino マダマ宮殿正面

 

王宮の左手にはサン・ジョヴァンニ礼拝堂、さらに左後方にはあの「聖骸布」が納められているドゥオモ、というまさにトリノ歴史的中心地だ。

Torino ドゥオーモ①

 

◆幻の王宮見学

カステッロ広場を通り抜け、ゲートを通り17時半すぎ王宮に入ったが、入場券売場で「トリノ・カード」の存在に気が付きそれを買おうとしたところ「ここでは扱っていない。ちょっと離れたところの観光案内所で売っている。」とのこと。

一旦戻りカステッロ広場入口左側にある観光案内所でとりあえず訊いてみると、そこではなく少し歩いたところの公園のイベント会場内で扱っているとのこと。入場料やらトラムやバスもフリーパスになり、楽なのでわざわざそこまで行ってトリノ・カードを買った。

それから王宮へ戻って入ろうとしたら18時をちょっとすぎていて、「今日の入場は終わり」とのこと。トリノ・カードを買ったとき渡された利用ガイドブックを見ると開館時間なども書かれていたのでまだ間に合いそうな市立博物館(王宮の裏手にある)に行くことにした。

途中、ドゥオモの前を通ったのでちょっと入ってみる。このドゥオモが舞台になっている「聖骸布同盟」を半年ほど前に読んだばかりだったので興味があったが同行者の二人は『何のこっちゃ?』ということでとりあえずすぐに出てきた。 市立博物館に行ってみるとあまり興味を抱かせるような展示がなく、また照明が暗いので早々に出てきた。トリノ・カードというフリーパスを持っていなかったら絶対に見学しなかっただろう。

◆カフェで一休み

再びか、三たびかカステッロ広場へ戻り、夕食を予約した時間までホテルに戻るには時間が短いし、戻らないならば中途半端に時間があるということでポー通りに面した一角をぶらぶらする。

トリノ名物のチョコレート、ジャンドゥイオッティを売っているカフェ、バラッティ&ミラノを見つけた。買うと荷物になるので後回し。 歩き疲れ、のどがかわいていることもあってトラムが走る通りに面したカフェ・ムラッサーノで一休み。

生ビールを飲む。いわゆるアペリティーヴォで同時に出てきたつまみは豪華でちょっと感激だ(日本と違って《お通し代》など取らない)。マダマ宮殿の裏側、元のカステッロが良く見える。ビールを飲みながら三人でトリノの印象など語り合って暮れなずむ時間を過ごす。

Torino カフェ・ムラッサーノ つまみ

 

 

20時に夕食を予約していたので10分前に席を立ち、ポー通りを歩く。途中1ヵ所間違えたこともあって20時10分、魚料理の店マーレ・ノストルムに着く。

Torino MARE NOSTRUM お皿①

 

シチリア料理でお腹一杯。歩いてホテルに帰ったのが23時。 何とも長い一日だった。

◆念願の王宮見学 トリノ2日目。

朝起きると雨。一瞬、バローロのぶどうが気になった。 9時ごろホテルを出て王宮へ向かうが昨日の夕方と違って肌寒い。今回の旅行ではセーターなど持ってきていなかったので震える感じだ。地元の人たちは昨日から一転、秋から冬の装いだ。

さて、王宮に着いてみるとガイドツアーは10時開始といわれ入場券売場前の椅子に座って待つこと40分。

50代?の女性ガイドが現われガイドツアー、ようやくスタート。王宮だけあって見所の連続だ。 階段を上がり最初に入ったのは①《スイスの間》、戦いの絵がある。

ついで②《Corazzierの間》 床は木だ。3方にキリスト教にかかわる絵、今にも動き出しそうだ。左と正面は十字軍の戦い、右はサロメ。

③《Sala degli Staffier》 奥に一部タペストリー。この部屋がまっすぐポルタ・ヌオーヴァ駅へ向かっている。右のタペストリーがくすんだ感じ。壁の上部の絵も暗い。

④《Sala dei Paggi》 正面と左がタペストリー

⑤《sala di Trono》 玉座

⑥《Sala di udienze》 木の床が幾何学模様。ヴィットリオ・エマヌエーレ2世の肖像画がある。

⑦《Sala di Consiglio》会議室。 ここから右に曲がる。

⑧《Gabinetto Chinese》四隅に春、夏、秋、冬の彫刻がある。 反対側へ進む。

⑨《Carlo Albertoの寝室》寝室だけあって落ち着いた感じの部屋だ。

⑩《Sala della colazione》朝食の食堂、明るい。

⑪《Galleria del Daniel》壁が鏡、そこが肖像画で埋めつくされている。

⑫《Sala di pranzo》昼食の食堂、20人分の食器がテーブルにセッティングされている。 壁の装飾も豪華絢爛。床は象嵌細工みたいだ。

⑬《Sala del café》修復中。

⑭《Sala dell’Alcova》

⑮《Sala de Madalioni》豪華なのだろうがキンキラキンだ。

⑯《Sala da ballo》ダンスホール。壁の上の方には、手をつないで踊っている絵がある。

ガイドのおばさんは英語で説明してくれたが、説明後の「わかった?」ン?と毎度いうのが耳障りだった。

◆王宮兵器博物館

王宮を出てから隣の王宮兵器博物館へ入る。

隣と言っても同じ建物で、王宮⑧《Gabinetto Chinese》の先にあったところだというのが入ってみてわかった。

ここでは鉄砲、槍、盾、弓などいろいろな兵器が展示されているが、甲冑がすごい。馬用のものもある。戦いの日に「生きて帰れるか?」など思いつつこれを着て出陣したのだろうか?

◆エジプト博物館

王宮兵器博物館を出てから前日夕方ビールを飲んだカフェの近く、バラッティ&ミラノBarrati & Milano でお土産用にジャンドゥイオッティなど買い込んだあとそれを持ったままエジプト博物館に入った。トリノに来るまでエジプト博物館などというものあるとも知らず入ったのだがその展示内容に驚いた。

たまに日本でもこの種の展示が行われるが規模が違うし、しかも常設だ。

棺やら副葬品に加えて地下の石像が圧巻だ。大きな石像がペアでしかもいくつもある。また、一部当時の壁が再現されている。棺に納められたミイラは本物なのか?作り物にしてはよくできているし、本物にしては無造作に手が届くような感じで置かれている。本物だとしたら当人が埋葬された時に何千年後かに異国の地で展示されると思っただろうか?

◆カフェでのランチ

チョコレートの袋が荷物になるので一旦ホテルへ戻り身軽になってサン・カルロ広場へ行く。トリノといえばカフェ、カフェに行かずしてトリノを語ることはできない、と思い広場に面したカフェの一つ、カフェ・サンカルロでランチをとることにした。 14時少し前なので満席状態だったが、タイミング良く右奥の丸テーブルが空いた。

天井高くきらびやかな感じの店内、真ん中にセルフ・サービスの料理が並べられている。カメリエーレは、白のツメ襟、黒のズボンに黒のエプロンでりりしくて格好良い。

Torino カフェ・サンカルロ①

 

13.5ユーロのランチはいわば定食で真ん中のテーブルへ料理を取りに行く必要はない。 その内容は、

○ トマトのオレキエッティか仔牛のステーキ

○ ドルチェ(ジェラートかケーキ4種にジェラート添え)

○ カフェ

というもの。雰囲気も考えるとなかなか値打ちのあるランチだった。

Torino カフェ・サンカルロ オレキエッティ

Torino カフェ・サンカルロ ドルチェ

勘定をすませる時カメリエーレに夕食のリストランテ候補で具体的な場所、住所がわからなかったニュー・カヴァリョの場所を教えてもらう。広場をはさんでちょうど反対側だった。

◆モーレ・アントネッリアーナ

トリノを代表するヨーロッパで最も高い建物、モーレ・アントネッリアーナへ行く。少し遠そうなのでバスに乗る。バスはポー通りを行くが相棒が『曲がってから2つ目くらい』というので従ったら、これは全くの行き過ぎ、歩いて戻る。

モーレ・アントネッリアーナを前方に見て大きな通りに出る前にフンギづくしのメニューが出ている店の前を通る。残念なことに時期的にフンギのはしりなので金曜のみ(この日は木曜)の特別メニューのようだ。

Torino ポー通りからモーレ・アントネッリアーナ

 

大きな通りを渡ってようやくモーレ・アントネッリアーナへ。下から見上げると尖塔がかなり上にある。

まず、エレベーターで一番上まで。カゴの周りは何もないので結構恐い。尖塔の付け根のあたりが展望台、外へ出て一周するが折からの風と雨で半分は濡れてしまうし、アルプスなどは全く見えない。朝からのこの天気であればやむを得ない。

Torino モーレ・アントネッリアーナからの眺め①

 

この建物は映画博物館になっているが降りて博物館の中へ。映画の原理をあらわすさまざまな展示。映画の歴史がイタリアとハリウッドに分けて展示されている。懐かしの映画がブースごとに映写されている。

順路にしたがって展示を見終えたあとのホールには左右二つのスクリーンがあり古い映画が上映されている。ここには一人一人寝そべるような椅子があり座って、というより寝てしばし休息をとる。 建物のドーム部分の内側がホールを見下ろす広い螺旋階段になっていて壁に映画の1シーンがスチール写真として展示されている。

Torino 映画博物館 スクリーン②

Torino 映画博物館①

この博物館は、映画と言っても一昔前の映画全盛時代のもの、という感じでやや時代遅れという印象を受けた。もう少し若い世代の人が見にきてもピンとこないのではないだろうか。だから『博物館』かもしれない。

◆夕食のリストランテ探し

サン・カルロ広場を通ってホテルへ戻る途中、教えてもらったニュー・カヴァッリョの前を通ったので店の前に出ていたメニューを見て頭に入れる。 ホテルに戻ってから三人で作戦会議。弟と二人で探しに出かけるが近場の店は今一つ。ポルタ・ヌオヴァ駅を通り過ぎる形で○○教会の近くにあるミシュランに載っていたIjBrandeに行ってみた。ここも外にメニューが出ていたのでざっと見てから呼鈴を押して予約。

 

Torino Ij Brande看板

◆三人そろう最後の晩餐

予約時間にあわせて訪れる。中は外から見るのとは大違いでドアを入って左側の部屋が客席。5つのテーブルがあるが奥からも話し声が聞こえてくるのでさらに部屋があるようだ。天井はヴォールト状、白い壁でお洒落なインテリアだ。

Torino Ij Brande 店内

 

メニューをみると肉、魚、に分かれたコースがあったが、食べたいものを食べようということでアラカルトにする。ワインは弟がワイン・リストとにらめっこ。4日前にバルバレスコ村でそのワイナリーの入口があったGajaを選ぶ。

前菜の仔牛のカルパッチョは色はサーモン・ピンクでくどくなくとても美味しい。プリモのリゾットは注文の仕方が悪くシェアするつもりが3皿出てきたが美味しくてペロッとたいらげる。白身魚のグリルには赤いエビのソース的なものがかかっている。

ホテルからも近かったしわざわざ探しに来ただけの甲斐がある良い店で三人そろう最後の晩餐にふさわしかった。

◆サヴォイア家ゆかりの郊外へ

一夜明けたが今日も少し雨が降っていて肌寒い。一日早く帰る弟をホテル前で見送り残った我々二人は遠出してサヴォイア家ゆかりの郊外へ繰り出すことにした。振返ってみるとこの日は一日中バスやトラムを待っていた。

まず、スペルガの丘に向かうことにして、フロントでバス路線とバス停を教えてもらった。ホテルのすぐ側だと聞いていたのにみつからない。近くの花屋さんで訊いてみたが、今度はもっと先とのこと。しかし、そこにもない。

結局アカデミア・アルベルティナ通りのカルロ・エマヌエーレ2世広場の先に61番のバス停をみつけたが次々と来るバスは違う。かなり待つ。結局ホテルを出てから30分、ようやくバスに乗り込む。

バスはポー川を渡って左側に川を見ながらずんずん進む。ホテルのフロント氏には61番の終点と言われその気でいたが、途中地図を広げると終点の地名ではない。停留所と路線図を見比べながら運転手に伝えると降りるべきところ(サッシ・スペルガ)で教えてくれた。フロント氏はなんといういい加減な教え方だろうと思うがこれがイタリアだと思い直す。

◆スペルガの丘の聖堂

さて、今度は標高670メートルの丘に登るには登山電車に乗り換えなければならない。バスから降り、道路を横断してちょっと先、右手の小さな駅に行ってみると・・・・・。

駅員いわく『雨のため、動かない。振替えのバスは11時発』。 相当時間があるので近くのバールでカプチーノをすすり時間をつぶす。まぁ、相棒がいるからまだましだ。

10時50分、振替えのバス停に行ってみるとすでに停車していたので乗り込む。バスはつづら折りの道路を上って行く。このバスでも路線図とバス停をチェックし、近づいたころに運転手に伝える。他に乗っていた老夫婦も一緒に降り、帰りのバスのこと(12時20分にバスが来ていなければ電車開通だと)を教えてくれる。 降りてみるとかなりガスっていた。ガイドブックでは『スペルガの聖堂。青空の下、その姿が印象的』となっていたが全くの正反対だ。スペルガ聖堂の全容が見えない。

Torino スペルガ聖堂②

 

かの老夫婦のあとを追うように正面階段を上がって聖堂の中に入る。 聖堂の中はがらんとしてだだっ広い。外から霧の中、見たクーポラは物凄く大きかったが中から見上げる天蓋も本当に大きい。この聖堂を建立したヴィットリオ・アメーディオ2世の名前が天蓋の上部に書かれている。

Torino スペルガ聖堂 クーポラ①

この大きさに圧倒され聖堂をあとにしてバス停に戻ったが例の夫婦はいない。そのうち、聖堂の方から歩いてきた。その時、地下に王家の墓所があったのに見忘れたことに気づいたがあとの祭り、バスが出るのであきらめる。大失敗だ。

帰りのバスはつづら折りの道を下るがもう少しで終点という最後のカーブで上がってきた乗用車と接触。乗用車を運転していた男が降りてきてバスの運転手とやりあっていたがそのうち大したキズでなかったのか自車に戻りバスも動き出す。ほどなく登山電車の駅に着く。

◆63番のバスから41番に乗換え

帰りのバスを途中で降り、昨日訪れたモーレ・アントネッリアーナ近くでランチ。それから歩いてカステッロを目指す。今度は63番のバスでトリノ市内を反対方向へ向かう。途中、インペリアというバス停でストィピニージ宮殿へ行く41番に乗り換える。 トリノ観光に必要なトリノ・カードを持っていたのでバスやトラムに乗るのも楽だ。どこでどう乗ろうが関係ないし、料金を払う手間も一切ない。

◆ストィピニージ宮殿

ウニオーネ通りをまっすぐ進んで行くとバスの正面に大きな建物が見えてきたので降りる場所がまもなくだということがわかる。 バスを降り近づいてみると門からの距離が相当ある。壮大な宮殿だ。屋根の上にはそれこそ大きな牡鹿(レプリカ)が立っている。この宮殿はヴィットリオ・アメーディオ2世が狩のために建てたものだそうだ。

Torino ストゥピニージ宮殿①

Torino ストゥピニージ宮殿⑥牡鹿

 

門をぬけ見学窓口に着いたのが14時20分。ところが次のガイド・ツアーは15時15分だといわれたが他に待っていたドイツ人?男性二人と『その前のガイド・ツアーが出ていない』と主張したら14時30分、4名でスタート。

イタリア語はわからないと言ったらガイドなし、案内板を指さすだけでまったくやる気がない。45分の予定がわずか20分で終わってしまう。

この建物は中央から両翼に伸びている。また中央奥には王の建物、王妃の建物がそれぞれつながっていてかなりの広さだ。 中央ホールには4本の柱。この柱の装飾がすごい。壁には落着いた色のタペストリーがかけられている。

寝室隣の部屋(英語ではDressingRoomとなっていた)のフレスコ画には登場人物の一人として中国人が描かれている。建物をつなぐ廊下はギャラリーとなっていて歴史をしのばせるものが展示されている。本物の牡鹿が左翼の部屋に置かれていた。

◆帰りのトラブルとコミュニケーション

さて、宮殿を見終わったあとはホテルに戻り荷物を受け取って次のホテルに移動だ。とにかく41番のバスに乗ればいい。というのは乗ってきたバスは宮殿前でUターンして行ったからだ。ということでかなり待ったが41番のバスに乗る。とこがちょっと行ったところで左折、きっとまたこのバス通りに戻るだろうと考えていたらトンデモない。

そのうち、運転手が『どこに行きたいんだ?』と訊いてきたので『チェントロ!』と答えると『降りて乗り換えた方がいい』と団地の中の小公園みたいところで降ろされた。そのとき青年が途中まで一緒に行ってくれることになった。

次のバスを待っている間、片言の英語、片言のイタリア語でいろいろ話をする。

『日本からミラノまで12時間』というと、びっくりして『とてもそんな長い時間は乗れない』と答えてくる。 次の何番かのバスに一緒に乗ったが彼が降りるとき、『降りよう』と合図され、トラムに乗り換えるよう教えてくれ、トラムの乗り場近くまで連れて行ってくれた。名前も訊かなかったがグラッツェ!

彼と別れてトラムを待つがなかなかこない。3台続けて回送車(FuoriServizio)、16時14分ようやく乗る。16時43分、ポルタ・ヌオヴァ駅到着。

今朝チェックアウトしたホテルでスーツケースを受け取りタクシーを呼んでもらって最後の1泊のリンゴット・ホテルへ。

◆スタイリシュなホテル、Le Meridien Lingotto

タクシーはニッツア通りを行くが段々と街から遠ざかって行く。

それもそのはず、目指すホテルは元フィアットの工場を改装したものだ。右手にらしき姿をあらわした細長い建物の一番先まで行ったところで右折、駐車場をぬけたところで降ろされる。

中に入ると左手奥にフロントがある。天井は高くロビーは広々としている。インテリアは超モダン。このホテルは場所柄便利は悪いが「このホテルに泊まること」こそ目的だったのだ。

Torino リンゴット・ホテル ロビー

Torino リンゴット・ホテル 廊下

部屋の内装も超モダンだ。中庭をはさんで向こう側はショッピング・センターで大勢の人が歩いているのが大きなガラス窓から良く見える。

Torino リンゴット・ホテル 315号室

 

リンゴット・ホテルから見たショッピングセンター

リンゴット・ホテルから見たショッピングセンター

一休みしてから一旦1階に降り、中庭の方から入り直し、ショッピング・センターのフロアに行ってみた。イタリアには珍しいショッピング・センターだが、日本のホテルのアーケード街というよりは本当に寄せ集めの店で構成されるショッピング・センターという感じでわれわれ外国人観光客には物足りなかった。

かつて車をこの建物内から出すためのコースなのか、そのまま残っていてゆるやかなスロープの通路になっている。

◆トリノ最後の日、午前はチェントロへ

ホテルのロケーションは不便ではあったが、それをものともせずバスでジェノヴァ通りから1番のバスでポルタ・ヌオヴァへ。そこから先は歩いてサバウダ美術館に行く。この美術館はエジプト博物館と同じ建物だ。すぐ近くには茶色ぽいレンガのどっしりとした建物のリソルジメント宮殿がある。トリノは見所の多い街だ。

美術館はサヴォイア家の収蔵絵画が展示されている。

ルネサンス期の宗教画、ルーベンスの作品(ろうそくの灯りが印象的)、肖像画など数多いが、あるはずのマンテニャ、ティントレットの絵を見つけることができなかった。

次は、王宮そばのサン・ロレンツォ礼拝堂へ。 入ると正面にマリアか何かの像。中は外観からは想像のつかない装飾の素晴らしさに圧倒される。全体に丸いが四隅にはキリスト磔刑、聖母被昇天などの絵がかけられている。

Torino サン・ロレンツォ礼拝堂 クーポラ

Torino サン・ロレンツォ礼拝堂 聖母被昇天

次いで二度目のドゥオモへ行く。 かの『聖骸布』コピーの前ではガイドなのか先生なのか学生らしい男たち5~6名に一生懸命説明中だ。

中で記念品を売っているおばさんに[礼拝堂の写真を撮ってもいいですか?』と訊くと『どうぞ』。なかなか説明が終わらず写真が撮れないので左手奥の礼拝堂で行く。

聖骸布はこの中の箱に納められているという。また教会のおばさんに『写真を撮っていいですか?』と訊ねると『Si! イタリア語をしゃべれるんですね』。『ちょっとだけです』と答えると、あとは『どこから来たの?』、『カトリック?』と次々と小声で質問される。こういうコミュニケーションもいいものだ。

再度さっきの場所に戻ると先生が気づいたのかよけてくれたので数枚写真を撮る。聖骸布は十字架から降ろされたキリストを包んだ布のことだが、コピーにも大柄な男が写っている。特に顔がくっきりと見える。

これで予定の市街観光は終わり。前の日にチョコレートを買った、バラッティ&ミラノへ行き、歴史のある店内でカプチーノを飲む。美味しいカプチーノだ。

Torino バラッティ&ミラノ テーブル席

Torino バラッティ&ミラノのカプチーノ

ポルタ・ヌオヴァ駅まで歩き、リンゴット・ホテル近くへ行くバスの停留所を探すが見つからず多少あせったがちょうど1番のバスが見えたのでバス停まで走る。

◆自動車博物館

11時20分頃ホテルに戻り大急ぎで荷物を整理し、30分後にはチェックアウト。荷物を預けて最後の観光、自動車博物館に行く。市内からだとわざわざ、という場所になるがそこはフィアット工場だったホテルからは歩いていける。

1900年初めの馬車から車になったようなものとか古い車、F1などレーシングカー、最近といっても1950年代から現代のフィアットなどかなりの台数がゆったりと広い建物に展示されている。車好きにはたまらないところだと思う。

CARROZZA DI BORDINO 1854年

CARROZZA DI BORDINO 1854年

FIAT 12 16HP 1902年

FIAT 12 16HP 1902年

FIAT 520 1928年

FIAT 520 1928年

FIAT 1941年

FIAT 1941年

 

外を見ると雨。傘は1本だけ。そのうち雷が鳴り出す。しばらく待っていたが小降りになったのを見計らって13時すぎ博物館をあとにする。

◆ 最後のランチ

さぁ、あとは最後の昼食だがあまりお店がないのは昨晩で経験済み。1本の傘で濡れないように夕べの店に向かう途中リストランテ発見!

4人用のテーブルにゆったりと座り、ピエモンテ郷土料理を味わい今回の旅行最後の食事とした。夕食に訪れればなお良かったと思わせるリストランテだった。

◆いざ、帰国

ホテルに戻りタクシーを頼んでミラノ・マルペンサ行きのバス・ターミナルへ。ターミナルと思い込んだだけで実際は原っぱみたいな事務所兼切符売場兼待合室の建物がありその前の道路に乗場があるだけでタクシーに連れて来てもらわなければそれとはわからないだろう。

15時ちょうどのバスでマルペンサに向かう。途中右手にスペルガの丘がかすかに見えた。2時間で到着。あとは飛行機に乗るだけだ。

◆泊まる

ホテル Starhotels Majestic(★★★★), C.so Vittorio Emanuele Ⅱ, 54

1泊Twin 135ユーロ、Single(Twin) 130ユーロ、Venere.comで予約。 2泊した。

ロビー、レストランもゆったりしていて、部屋も広くてきれいで良いホテル。 ポルタ・ヌオヴァ駅から近い。

ホテル Le Meridien Lingotto(★★★★),Via Nizza, 262 (www.lingotto.lemeridien.com)

Twin 125ユーロ、Venere.comで予約

FIATTの工場跡がホテルとショッピング・センターに改築されたホテル、話のタネに泊まってみた。ロビー、部屋ともにモダン。部屋からは中庭をはさんでショッピング・センターが見える。エレベーターを降り、部屋に向かう廊下は、さすが工場の跡を彷彿とさせるイタリアのホテルでは珍しい長い廊下。

ロビー、廊下でもあまり人を見かけず無機質な印象。 朝食は天井の高い1階ロビーの反対側で細長いスペース。赤っぽいハム、オレンジジュース、果物が(ブルーベリーや木いちご)おいしかった。

確かに話のタネにはなるが、いかんせんロケーション、足の便が悪い。夕食をとる店を探すのに苦労した。

◆ 食べる

●リストランテ

お店の名前 Mare Nostrum, Via M.Pescatore,16

食べたもの 前菜 クロスティーニというか、パンにペーストをのせたもの、2つ×3皿。 細長い貝、魚などのから揚げ、まぐろのタルタル

Torino MARE NOSTRUM クロスティーニ

Torino MARE NOSTRUM 鮪のタルタル

プリモ トマト・ソースのリガト-ニ、小さな丸い形のパスタ

セコンド 牛肉の串焼き、小魚類のフリット、白身魚とポテトの包み揚げ

Torino MARE NOSTRUM 小魚などのから揚げ

 

ワイン シチリアのワイン、白、赤各1本

20時予約で少し遅れたが、まだ早いのか客はあまりいなかったがそのうち満席となる。

オーナーがテーブルの横にしゃがみこみ、生パスタ5種類を見せながらプリモの説明をしてくれた。食材、ワインはシチリアのもののようだ。

メニューを見せられたわけでもなく「お任せ」のような感じ。 大衆的な店のようで安いのかと思ったが勘定書きをみてちょっとだけびっくり。前菜だけで一人20ユーロ、全部で180ユーロ、日本円換算で一人9,000円。

お店の名前 Café San Carlo, Piazza San Carlo, 156

ランチで訪問、本文のとおり

お店の名前 Ij Brande, Via Massena, 5

ミシュラン フォーク1本の店

食べたもの 前菜 仔牛のカルパッチョ(2皿)、何種類かの魚のカルパッチョ、計37ユーロ

Torino Ij Brande 仔牛のカルパッチョ

Torino Ij Brande 魚のカルパッチョ

プリモ ゴルゴンゾーラのリゾット(3皿)10ユーロ×3

Torino Ij Brande リゾット

 

セコンド 白身魚のグリル(2皿)、肉のグリル 計48ユーロ

Torino Ij Brande 白身魚のグリル

Torino Ij Brande 肉のグリル

ワイン GAJA 25ユーロ

BARBARESCO Serra Boella, vendmia 2001, Paitin di Pasquero-Elia, 35ユーロ

Torino Ij Brande GAJA Torino Ij Brande BARBARESCO

水、カフェ、グラッパなど 3人で190ユーロ

お店の名前 Cibovagando, Via San Ottivio, 34 (www.cibovagando.it)

カジュアルなリストランテ、テーブルや椅子、メニュー体裁からみて大衆的。

金曜はフンギということで行ってみたが、残念なことに夜のみでいくつかあるランチはセット・メニューからチョイス(9ユーロ×2)。セコンドとして取ったサラダの量がとてつもなく多い。

水、コーヒーを含め2人で21ユーロ。

お店の名前 Ristorante Pizzeria Entremetier, Via Nizza,216 (www.ristorantemina.it)

トリノ最後の夜、Le Meridien Lingottoの近くで夕食用の店を探したがほとんどなくやむなく入った店。

お店のサービスの人はベトナム人などアジア系の人がほとんど。お客は店の周りの地元の人たちがわいわい。狭い店内にはテレビが置かれ何か写っている、というツーリストにとっては場違いな店。

フンギのピッツァ(4ユーロ)、パルマのプロシュット(5.8ユーロ)、海の幸サラダ(8.2ユーロ)、魚介類のリゾット(7.5ユーロ)、スカンピのグリル(11ユーロ)、 その他チーズ、ワイン(Dolcetto 10ユーロ)、水、コーヒー、食後酒(2.1ユーロ×2)で2人で59ユーロ。

お店の名前 Ristorante Mina, Via Ellero, 36

トリノ最終日のランチ、自動車博物館の帰りに前日夜の店に行くしかないかとあきらめていた時に見つけた少しエレガントなリストランテ。感じの良いマダムのサービス。壁には若い頃の美人のマダムが描かれた絵がかけられていた。

ピエモンテ名物、いわば生肉のたたきCarne Crudo(6ユーロ)をシェア。メインはプリモから、ゴルゴンゾーラのタリアテッレ(8.5ユーロ)、フンギのリゾット(9ユーロ)を各一皿。水、ワイン、コーヒーなど2人で39.5ユーロ。

◆買う

トリノ・カード 72時間券 36ユーロ 各種施設入場、バス、トラム乗車がフリーパスなので、旅行者にとっては強い味方。

ジャンドゥイオッティ 1袋(多分20粒)10.5ユーロ×3袋、板チョコ 2.5ユーロ×2枚、 クレミーノ・クラシコ 1袋7ユーロ

いずれもバラッティ&ミラノにて。 ジャンドゥイオッティは味にうるさい次男から『今までのお土産でいっちばん良かった』と絶賛された一品。

お店 Baratti & Milano , Piazza Castello,127

パルミジャーノ・レッジャーノ 約1.8kg リンゴット・ホテル近くの公園での移動販売車で買う。1キロ12.9ユーロとめちゃ安。

◆読む

本の名前 『聖骸布血盟(上、下)』 フリア・ナバロ著、白川貴子訳 ランダムハウス講談社文庫 各760円 聖骸布が保管されているトリノのドゥオモが舞台。物語は奇跡をおこすキリストの時代から始まり、十字架から降ろされたキリストを包んだ亜麻布をめぐる二千年にわたる攻防の終幕は現代。『ダ・ヴィンチ・コード』ほどのややこしさはなくラストまで一気に読ませる面白い小説。これを読んでいたからこそ、ドゥオモでの聖骸布(コピー)を見たかった。

Bra (ブラ) 2006/9/13

Bra (ブラ) 2006/9/13

◆スローフード運動の町
ブラはスローフード運動発祥の町で、その協会本部がこの町にある。スローフード運動については島村菜津さんの著書『スローフードな人生』に詳しい。

Bra スローフード協会本部

 

前に一度読んだことがあり、「ブラ」という地名を覚えていたが、今回のピエモンテの旅で、アルバからトリノへ向かう途上にその町があることに気づいた。「途上」というよりは、アルバの隣、といった方が正しいかもしれない。
日程的に泊まることはできないが、ランチならばとることができるかも知れないと思い、前泊のフォンタナ・フレッダでのランチの予約を出発10日ほど前にキャンセルし、ブラに寄ることにした。

“ブラ”の発音・アクセントは「ぶらぶら歩く」の“ぶら”ではなくて「ぶらっと歩く」の“ぶらっ”で、「」にアクセントがあるようだ。このことはアルバ近郊のアグリツーリズモに泊まった際、オーナーから旅行の予定を訊かれ、“ブラ”と答えたら“ブッ”と直されて気がついた。

◆行く
前泊地は、アルバから南に20キロほど離れたところにあるワイナリー、フォンタナ・フレッダ。ここからブラに向かうにはタクシーでアルバに戻りFS(鉄道)で行くか、直接タクシーで行くか、決めかねていたが、前日タクシーでフォンタナ・フレッダに着いたときにドライバーのブルーノさんと交渉成立。40ユーロでブラまで行ってもらうことになった。

約束の時間11時きっかりに、ブルーノさんのプジョー607が颯爽と現れた。今日で3日目となる。
『ブラのどこまでか』と訊かれたので、『“BOCCONDIVINO”というリストランテに行きたい』というと、さすがに有名店らしくすぐ了解してくれた。

ブラまでは約20分。ブルーノさんの話では『今日は市が開かれている』とのこと。その「市」を過ぎたところで降ろされる。『この通りを行ったら左にあるよ。駅はその先、右の方向だよ』と教えてくれる。荷物もあることだし、お店の前まで乗せていってくれればいいのにと思ったが、一方通行なのかなぁと思い代金を払って別れる。
(20分で40ユーロは高いかもしれないが、車がアルバから来てまたアルバまで戻ることを考えるとそうでもないだろう。それでも50ユーロというのを10ユーロまけさせたのだ。)

◆見る
まだランチには早すぎるので、観光をすることにしたが荷物が邪魔だ。そこで“BOCCONDIVINO”に行き、予約かたがた荷物を預かってもらうことにした。

Bra BOCCONDIVINO
“ボン・ジョルノ!”と大きな声でいうと厨房準備室みたいなところから『こんにちは』と若い男性が出てくる。なまりのない日本語、もしかして我が同胞かと思い『日本の方ですか?』と尋ねると『そうです』との答え。あとは話が早い、とばかりにお願いしたところ快く預かってくれた。同時にテーブルの予約を13時にして町歩きに出かける。

といってもまともな地図もガイドブックもない(インターネットでプリントアウトしたGoogleの地図だけ)。インフォメーションに行けば市内地図がもらえるだろうと思ったがそのインフォメーションがどこにあるかわからない。だいたいはその町のドゥオモといわれるような教会の近くにあるはずだと考えて大きな教会を探すことにした。

とりあえずリストランテの前の通りをまっすぐ行く。すぐにヴィットリオ・エマヌエーレⅡ世通りにぶつかる。名前からしてここがメイン・ストリートだろうと考え、左に行ってみるが教会はない。ならば、とばかりに逆に進む。次の左のT字路を見やると教会がある。「ああ、あそこだ」と左折して向かったが近くまで行ってみるとそれほど大きくないバロック様式の教会だった(サン・ロッコ教会)。
あとはやみくもに歩き回り、遠くに教会の塔が見えたので行ってみる。建物の前に歴史的建造物だからなのか看板があり、サン・ジョヴァンニ・バティスタ教区教会だということがわかった。建物の様式はよくわからないがロマネスク様式かもしれない。王冠を細長くしたようなクーポラとその向こうに鐘楼なのか時計の塔が見えた。

Bra サン・ジョヴァンニ・バティスタ教区教会
しかし広場に面しているわけでもなくインフォメーションも見つからないので、もう市内地図はあきらめ、時間の許す限り適当に歩くことにした。

次に見つけた教会はランバウディ通りに面したサンタンドレア教区教会、これはバロック様式だ。

Bra サンタンドレア教区教会

 

その先、ガリバルディ通りを渡った向こう側は一段高くなっているが右手の方に大きな教会、サン・トリニタ教会がある。

Bra サン・トリニタ教会
サン・トリニタ教会を見やりながら進むうちに、ここまで来て自分たちが一体どこにいるかわからなくなり、向こうから歩いてきた年輩の男性にGoogleの地図を見せながら「ここはどこですか(Dove siamo?)」と尋ねると指をさして教えてくれたのが9月20日広場。「ということはタクシーを降りた場所に近いな」と思って広場から見下ろすとちょっと先に降りた場所が見えた。結局ぐるっと一回りしたことになる。

Bra 9月20日広場

 

広場から階段で降りると、そこには「市」に出ている肉や魚やチーズなどの食料品を扱うお店があったがそろそろ店じまいのようだ。
まだお昼を予約した時間には間があるので、トリノまでの列車の時刻を調べがてら駅まで行ってみることにした。
時刻表を見るとトリノまで近いわりには、列車の本数が少ない。適当な列車としては14時32分しかない(ということは食事の時間としては1時間しかない)。

◆スローフードの町でファストフード?
駅から戻り、リストランテへ着くとちょうど13時。さきほど荷物を置かせてもらった厨房準備室の右に階段があり2階へ。2階はL字型になっていて2部屋に分かれている感じだ。階段から上がるとLの字の角に当たるが、まっすぐ進みLの字のいわば下の方の部屋へ案内される。テーブルはもうほとんど満席に近い。さすがに地元の有名店だけある。見た感じ普段着の人たちばかりで地元の人ばかりのようだ。

Bra BOCCONDIVINO 2階席から

 

ここでは、生肉のミンチがソーセージになっているものが名物(サルシッチャ・ディ・ブラというらしい)なのでそれが入っている前菜(carne cruda e lardo)を注文する。もう一皿の前菜は魚っぽいのを選ぶ。

Bra Carne Crude と Lard

 

それに野菜を取りたがっていた同行者のためにグリーンサラダを頼み、3人でシェアする。carne cruda e lardoにはソーセージのほか生肉ミンチそのものとスライスされたラードが盛り付けられている。脂ものはあまり好きではないけれど、このラードを少し食べてみたが燻製のようでなかなかいい味わいだった。もう1品の前菜は全く趣が違う味付けだったがこれはこれでワインが進む。

プリモはシェアせずめいめい好きなものを頼んだが弟はタヤリン、私と兄は同じ三角の形をしたパスタにしたが名前を思い出せない。
食べ終わった頃を見計らって食後の飲み物の注文を取りにきたが、残念ながら「もう時間がない」ということでお勘定をしてもらう。
もっと早い時間を予約すべきだった。というわけでスローフードの町でファストフード!といことになってしまった。

最初に出会った日本人スタッフ(5年間修行中)に再び1階の荷物を置いてある厨房準備室に案内してもらいお礼と『頑張って下さいね』と言い、店をあとにしてブラ駅へ向かう。

◆食べる
お店の名前 Osteria del BOCCONDIVINO, via Mendicita’ Istruita, 14
www.boccondivinoslow.it
スローフード協会本部と同じ建物にある。筋金入りのスローフード運動の店なのか看板にシンボルマークのカタツムリが描かれている。

島村さんの『スローフードな人生』、山岸みすずさん・井川直子さんの『麗しの郷ピエモンテ』でも紹介されている。
トリノからも列車で40分ほどと近いのでもう1回行こうと思ったほど。
食べたもの 前菜2品(carne cruda e lardo、いわしの切込みみたいなもののトマトソース 7ユーロ×2)
プリモ3皿(Tajarin al sugo di salsiccia 7ユーロ、もう1品×2、5ユーロ×2)

Bra Primo Tajarin

Bra Primo
グリーンサラダ(3ユーロ)
ワイン   Dolcetto D’Alba Munfria 2005 , Pelissero (9.5ユーロ)

Bra Dolcetto D'Alba
http://www.pelissero.com/it
水、コペルト込み3人で49ユーロ

Barolo (バローロ) 2006/9/12~13

Barolo (バローロ) 2006/9/12~13

◆ワインの王様《バローロ》のふるさとへ

バルバレスコに近いアグリツーリズモ、Casina Barac で朝食の後、前日頼んだタクシーを待つ。

今日の予定としては、バローロ村のワイナリーの一つ、マルケージ・ディ・バローロを訪問し、ワイナリーの見学、当主パオロさんとの昼食、バローロ村のエノテカ・レジョナーレに立ち寄り、宿泊のこれまた《バローロ》の名門、フォンタナ・フレッダのホテルまでという行程だ。

だから一回一回タクシーを手配する訳にもいかない。 9時半きっかりにタクシーがやってきた。Casina Baracのオーナー、アルビーノさんに『半日ハイヤーにすると幾ら位かかるだろう?』と訊ねているところに、運悪く?ドライバーがやってきて、話に加わり1時間15ユーロとのこと。

◆マルケージ・ディ・バローロ訪問

今回のピエモンテの旅にワイナリー探訪という目的はあったものの、フォンタナ・フレッダ内のヴィラに泊り、ワイナリー見学を予約していただけだったのが、出発2週間ほど前になって、急にマルケージ・ディ・バローロ訪問の話が持ち上がった。

というのは、同行の弟がよく行く某イタリアン・リストランテで懇意のイタリア人シェフにピエモンテ行きを洩らしたところ、『友達がやっているワイナリーを紹介する』といってくれたからだ。 その話を聞いて「それは有難い」とお願いし、こちらの日程を変えることなくアレンジしてもらった。

初めは、アルバの駅で迎えてくれるというような話もあったが、いずれにしてもタクシーを使うため、また心苦しいこともあってアルバから秘書の方へ電話をし、11時にお邪魔することにしていた。

◆グリンツァーネ・カヴール城の大展望

バローロまで30分くらいしかからないようだったので、まずフォンタナ・フレッダのヴィラに荷物を預けてから行くことにした。9時半すぎに出て10時にはフォンタナ・フレッダに到着。ここは位置的にはバローロ村の東。広々としたワイナリーで、さすがイタリア統一初代国王ヴィットリオ・エマヌエーレ2世の狩猟区だったところだけある。 Barolo フォンタナ・フレッダ 案内板 Barolo フォンタナ・フレッダ 建物

まだバローロに行くには早すぎるということでどこに寄るかはブルーノさんに任せた。

車は一旦アルバ方向へ戻り、小さな町(Diano d’Alba)の中を抜けて丘を登り始める。登りきったところが丘のてっぺん。眺望のいいカステッロだ。

このカステッロがグリンツァーネ・カヴール城であることをあとで知る。 360度の大パノラマ、見渡す限りのぶどう畑。晴れていることもあって素晴らしい景色だ。 Barolo グリンツァーネ・カヴール城からの眺望② Barolo グリンツァーネ・カヴール城からの眺望③

『あの山の上の町がLa Morra、足元のあそこがさっきのフォンタナ・フレッダ、その先がバローロ村』、ぐるっと向きを変えて『あの方向がアルバ』といろいろ教えてくれる。

このグリンツァーネ・カヴール城は今ワイン展示館になっていてブルーノさんが先に立って中に案内してくれる。ワインを造るために昔使われていた道具が展示されている。 Barolo グリンツァーネ・カヴール城②  Barolo グリンツァーネ・カヴール城 ワイン展示館④   Barolo グリンツァーネ・カヴール城 ワイン展示館⑤

コルク打栓機やら何やらいろいろなものがある。ぶどうを絞るものなのかかなり大きな器具もある。展示館というよりは博物館といった方が正しいかもしれない。

奥の方にはエノテカやみやげ物の売店が併設されている。ここでトリノの名物チョコレート、ジャンドゥイオッティを見つけ、買おうか迷ったが荷物になるので予定通りトリノで買うことにして展示館をあとにする。 Barolo グリンツァーネ・カヴール城 ワイン展示館⑦

Barolo グリンツァーネ・カヴール城 ワイン展示館⑥

◆ Marchesi di Barolo

うまく時間調整を兼ねた観光をしたおかげでちょうど11時にMarchesi di Baroloへ到着。

『2時に迎えにきて欲しい』というと、『食事をするならば、そのあと村の観光を含めて3時だ、イタリアでは食事に時間をかけるのだから』と返された(結局食事だけで3時になってしまったからブルーノさんの見通しに脱帽!)。

フォンタナ・フレッダとは対照的で道路に面した入口、幅もそれほど広くない。すぐ左に売店があり、弟が中に入って秘書の方を尋ねると若い女性が出てきて「彼女は今いないけど自分が対応することになっています」、「コーヒー飲みますか?」(全部流暢な英語)。「はい」と答えると正面2階のテラス席に案内され、エスプレッソをご馳走になる。

そうこうしているうちに若い男性(日本人?)があらわれ、日本語で『すみません。遅れてしまって。案内をするCです。在日の韓国人です』と挨拶された。最初は本当に我が同胞かと思ったが、この挨拶を聞いて納得。

彼がワイナリー工場を案内してくれることになった。彼は、東京育ちで三重県でぶどう作りを手伝い、その後自分でワインを造りたいという希望をもってイタリアに勉強にきているとのこと。アルバに住んでいてアルバの専門学校に学んで4年目だという。勉強しながらこのワイナリーでも修業をしているようだ。

◆醸造場とセラーを見る

まず、階段を下りて広場のぶどうをトラックから降ろしてから地下へ降ろす機械を見せてもらう(帰るころには丁度この作業を実際にやっていた)。

Barolo マルケージ・ディ・バローロ ぶどう積み下ろし

● ぶどうを実・たねと枝に分ける。

● 35度まで発酵させる(それ以上温度が上がると糖がアルコールに変わらなくなる)。

● 大きなステンレスタンクで1次発酵

● コンクリートタンクで熟成

Barolo マルケージ・ディ・バローロ タンク③

Barolo マルケージ・ディ・バローロ タンク④  ● 150年前から使われているクロアチア、スラボニア産の大樽で熟成させる(全部で2万本分の18,500リットル)。

Barolo マルケージ・ディ・バローロ 大樽① Barolo マルケージ・ディ・バローロ 大樽に紋章

● バリック樽 真ん中の栓を開け、減っていれば足す。 このバリック樽は使い捨てで1個600ユーロもするという。小さな樽なのでカーヴをつけるために焼くが、それが香りの元だということを知った。

Barolo マルケージ・ディ・バローロ バリック樽②

● ボトル詰めを800m離れた場所で行うのでそこまでパイプで流す。

Baroloは木樽で2年以上熟成しなければならず、BaroloRiservaは5年だそうだ。だから一番新しくても5年前のヴィンテージということになる。 このようなことを醸造場の中を行ったりきたりで説明してもらう。何せ、日本語でしかも3人に対しての説明だから本当にありがたい。

さらに奥に進むとワイン・セラーがある。ここにはヴィンテージ順にボトルが寝かされている。温度は醸造場よりも低くコントロールされているのが実感された。 1番古いのは1859年もの。ほかの年代ものと一緒に小さな格子扉のケースに立てて保管されている。

Barolo マルケージ・ディ・バローロ セラー 年代もの

Barolo マルケージ・ディ・バローロ セラー 1859年もの

それ以外は棚に年度ごとに置かれている。我々3人はそれぞれ生まれた年のボトルを手にして写真をとりあう。めったにできない経験だ。

バローロの歴史の中で素晴らしい年は10年あるという。1922年、1931年、1947年、1964年、1971年、1978年、1989年、1997年、1999年、2000年。張り出されているポスターに年度順に評価が書かれていてこれらの年は”OUTSTANDING VINTAGE” だ。 Barolo マルケージ・ディ・バローロ ヴィンテージ表②

その中で年代ものの1つを手にして『これは売っているんですか?』と訊ねると、『パオロに頼めば買えるかもしれませんよ』とのこと。買えるとしても相当するのではないだろうか?恥をかくのでお願いはしなかった。

◆当主とのランチで楽しいひととき

ひととおりの見学を終え、売店に戻る。ランチには当主のパオロさんがお見えになるということで売店奥の大きなテーブルに案内された。ちょうどその場所からガラス越しに地下の樽が見える。

まもなくパオロさんがお見えになり英語で挨拶、スプマンテが出てくる。てっきりそのテーブルで食事かと思ったら『リストランテへ』と2階に案内される。

奥のテーブルにゆったりと4名が座る。パオロさんの右隣には弟、左隣には兄、正面には自分という位置関係。ガイド役のCさんは、今度はカメリエーレ役だ。

我々にとっては観光だが、招待を受けたということでお互いビジネスランチのようなもので話題のキャッチボールをしなければならないがここはアレンジ役で英語に強い弟に任せることにした。あとはたまに合いの手を入れるくらい。それにしてもワインで世界を股にかけるビジネスマンのパオロさんは英語が流暢でつまるようなことはほとんどないし、イタリア語なまりも全くない。ということで片言のイタリア語を使わないですんだ。

さて、肝心のワインと料理。あまりに美味しかったのと話が弾んでいたこともあってあまり詳しく覚えていないが次のようなものだった。

前菜はいわば郷土料理、子牛の生肉を少しあぶったカルパッチョ(3切)、ツナのソース添え。

Barolo マルケージ・ディ・バローロ 前菜① 次も前菜、テリーヌのようなものだが材料不明。固くなくフワッとしている。これもソ ース添え。Barolo マルケージ・ディ・バローロ 前菜テリーヌ② プリモはラヴィオリ、サルビアとバターのソース掛け。

Barolo マルケージ・ディ・バローロ ラヴィオリ チーズ3種、真ん中にこの地方のCogna(チーズにつけるジャム、ワインから作られている)。 デザートはパンナコッタとカカオのケーキ。

ワインは料理にあわせ、またグラスが空になるとカメリエーレ役のCさんがどんどんサーヴしてくれる。

Dolcetto d’Alba (MADONA di COMO) 2005 Barolo(CANNOBI) 2001 (CANNOBIというのはぶどう畑の名前でバローロの中でも最高級) Moscato d’Asti (デザートワインとしてBarolo マルケージ・ディ・バローロ 前菜に Dolcetto d'Alba 2005

Barolo マルケージ・ディ・バローロ CANNOBI 2001 意外だったのは食後のカフェをパオロさんは飲まなかったことだ。

楽しい食事を終えたところでパオロさんからお土産をいただく。私と兄にはバローロのグラッパ、弟は紹介者の友達ということでバローロ、しかも例のCANNOBIのマグナム・ボトル。山形の焼酎を差し上げただけのが申し訳ないくらいだ。

パオロさんは「予定があるから」といって14時40分席を立つ。我々は下の売店に行き、店内を見ている間に食事中パオロさんにお願いした1999年のバローロが2本づつ箱詰めされて用意された(これは購入)。

◆バローロ城へ、そしてラ・モッラへ

15時ちょうどに駐車場でブルーノさんと落ち合いバローロ城へ。このお城もエノテカ・レジョナーレとなっている。本来、車は入れないようだがブルーノさんが一言言って入口近くまで連れていってくれた。展示室やらテイスティングの場所もあったがエノテカを見るだけにとどめる。

あとは本日の宿、朝立ち寄ったフォンタナ・フレッダへ行くだけだがブルーノさんが気をきかし、午前中のグリンツァーネ・カヴール城から見えたLa Morraに連れて行ってくれた。

今度はここから、バローロ、フォンタナ・フレッダ、アルバを見渡す。天気がいいこととブルーノさんに感謝、感謝。ここにもエノテカ・レジョナーレがあるが休み。すぐそばにサン・マルティーノ教会がある。

Barolo ラ・モッラからの眺望②

Barolo ラ・モッラからの眺望④

Barolo ラ・モッラ サン・マルティノ教会①

Barolo ラ・モッラ鐘楼 ◆ヴィラ・コンテッサ・ローザ

ここからはフォンタナ・フレッダまですぐだ。16時にヴィラ・コンテッサ・ローザ前に到着。ブルーノさんはメモと鉛筆を取り出し、朝からの動きを書き出して一つづつ足していくと95ユーロ。1時間15ユーロとの関係は?と思うが言い値で払う。

続いて『明日は何時にどこへ?』と訊かれ、『ブラへ直行する』と答え、交渉して40ユーロに決めた。これだって簡単ではない。『タクシーはアルバからくる、アルバに戻り列車に乗れば一人10ユーロはかかる。だから・・・・』と攻めてくるのを『アルバからブラまでの運賃はそんなにかからない云々』と対抗、上記に落ち着いたものだ。

このヴィラはホテルというより、ゲストハウスと称するだけあって、建物の端に入口があるものの小さな机があるだけでフロントもなく朝と同じくひと気もない。部屋へどうやって入ったらいいかわからずうろうろしていたら、すでにチェックインしていたらしいカップルが『部屋のドアに鍵が差し込んである』と教えてくれた。入口わきの2部屋だった。

しばらくベッドに横になりまどろむ。19時前に相棒と二人であたりを散歩。

Barolo フォンタナ・フレッダ 夕暮れのぶどう畑

ついでに予約していた翌日のテイスティング・ツアーの終了時刻を確認しに行く。タクシーが迎えにくる時間には十分間に合う。

さて、夕食。これはヴィラ内のリストランテをメールで予約していた。時間は20時、場所は隣の建物だ。ランチでお腹一杯だったので一向に満腹感がおさまらない。

Barolo フォンタナ・フレッダ リストランテ入口②

時間になったので隣の棟に移動、階段を上がったゆったりとした部屋に我々だけのテーブルがセッティングされている。天井からはシャンデリア。昔日の愛妾の部屋か?と、ふと思ったのはこのヴィラがヴィットリオ・エマヌエーレ2世が側室とした女性のためのものだったのでは・・・

Barolo フォンタナ・フレッダ リストランテ

Barolo フォンタナ・フレッダ リストランテ シャンデリア②

料理はメールのやり取りでトップワイン5種類つきのお任せにしていたが、郷土料理ということなのか、Marchesi di Baroloでご馳走になったお昼とほとんど同じだ。

しかも、まだまだお腹がすいていない状態で、食欲もなく折角のワインもなかなか進まない。完食できたお皿は一つもなくセコンドなどはサーヴされる前に断ってしまうほど。お店の人には申し訳ないことをした。

◆朝の散歩

朝食後、園内を散歩する。バルバレスコのPIAZZOとは比べ物にならないとんでもない規模の大きなぶどう畑のようだ。すでに小型トラックに積まれたぶどうが売店手前の集荷場に何台もやってくる。

道路をはさんだ反対側、すなわちヴィラの並びにはピンク色の小さな教会があり、その手前、門に近い方には季節労働者のためのものなのか宿泊棟が何棟か建っている。

Barolo フォンタナ・フレッダ 教会

Barolo フォンタナ・フレッダ ぶどう畑

ぶどう畑もすぐ側まできている。 フォンタナ・フレッダの語源となった池は逆にちょっと奥の方だ。くるみの木が多い。もう泉は出ていないようだが名残の祠がある。

Barolo フォンタナ・フレッダ 祠

Barolo フォンタナ・フレッダ くるみの木

 

◆ワイナリー・ツアー

昨日、Marchesi di Baroloでじっくりと見学、説明を受けていたので本来ここでは必要ないはずだけれど、Marchesi di Barolo訪問が決まる前に予約していたため予定通り参加(3種類のワイン・テイスティング込みで一人8ユーロ)。

ツアーは10時からだが、9時45分集合なのでその前にチェックアウトをしておこう。フロントには相変わらず誰もいない。2階の食事を準備していた場所で訊くと、外の事務所だという。9時半に事務所に行くとワイン・ショップだという。とりあえず荷物を預かってもらい、ワイン・ショップへ。

ワイン・ショップで待っていると昨日部屋の鍵のありかを教えてくれたカップルが一緒。昨晩、食事の際に何かと説明してくれた若い男性がツアー・ガイドだ。彼はフォンタナ・フレッダの由来から、とうとうとしゃべる。もちろん、Marchesi di Baroloとは違って英語だ。中々ワイナリーの中に入れない。

年間生産量は6万本、そのうち4万本がスパークリング、残り2万本がワイン、その80%が赤、20%が白。大きな木の樽の産地はMarchesi di Baroloと同じくスラボニア産、小さなバリック樽はフランス産のオーク、これは3年使うという。毎年新しい樽を使うよりはコストがセーブされるということなのだろう。

Barolo フォンタナ・フレッダ 熟成中の樽

Barolo フォンタナ・フレッダ バリック樽②

これ以外にも、というよりこれをはるかに超える説明を受け、見学を終え、細い地下道をくぐり抜けるとワイン・ショップの下に出る。そのまま上がり、ワイン・ショップのバールで試飲。セラーの中で樽から取り出したワインを味見するようなことをイメージしていたのでちょっとがっかり。テイスティングは3種類だ。

● シャルドネ

● Diano d’Alaba, LA LEPRE

● Barbaresco, COSTE RUBIN

赤は 、あとのほうがどっしりとしていてまろやかで美味しいように感じた。 Barolo フォンタナ・フレッダ テイスティング① Barolo フォンタナ・フレッダ テイスティング② Barolo フォンタナ・フレッダ テイスティング③Barolo フォンタナ・フレッダ テイスティングのあと テイスティングは10時50分終了、事務所で荷物を受け取るとまもなくブルーノさんのタクシーが約束の11時きっかりに現われ、一路スローフード運動の町、Braへ向かう。

◆泊まる&食べる ホテル Villa Contessa Rosa, Via Alba15, Serralunga d’Alba, http://www.villacontessarosa.com/ Fontana Freddahttp://www.fontanafredda.it/内のゲスト・ハウス

Barolo フォンタナ・フレッダ ヴィラ・コンテッサ・ローザ Twin 100ユーロ、Single 80ユーロ、ネット上の旅行記で知りHPからメールで問い合わせて予約。

ホテル内リストランテ お任せコース、料理5品とそれに合わせた5種類のワイン。一人50ユーロ。メールで予約していた。

パルミジャーノとサラミ盛合せ

アンティパスト 牛肉のカルパッチョ、ツナ・ソース添え さらに フワッしたテリーヌ

Barolo フォンタナ・フレッダ テリーヌ

プリモ ラヴィオリ

セコンド 兎の煮込み

Barolo フォンタナ・フレッダ 兎の煮込み デザート ティラミス、桃スライス添え

Barolo フォンタナ・フレッダ ティラミス

カフェ

ワインは、食前酒、白、赤(Nobbiolo、Barolo)、デザートワインの5種類

◆買う Barolo, Marchesi di Barolo, 1999  2本、28ユーロ×2

Barbaresco (バルバレスコ) 2006/9/11~12

Barbaresco (バルバレスコ) 2006/9/11~12

◆いざ、ワインのぶどう畑へ

アルバのホテルでチェックアウトとともにタクシーを頼んだ。アルバにはタクシーが十数台しかないと聞いていたが10分足らずでプジョー607が迎えに来てくれた。

Barbaresco ブルーノさんのプジョー607

ホテル前の道路(トリノ通り)を左に向かう。

そのうち左折してくねくねとぶどう畑を進む。ドライバーのブルーノさんはそう話す方ではないが、ところどころポイントだけは説明してくれる。いわく『あと10日で摘みはじめる。ここはGajaの畑だよ。これはネッビオーロ、あれはマスカットだよ。』などなど。 20分ほどでバルバレスコ村に着き、プジョーはかの有名なGajaの前に止まった。

Barbaresco GAJA

 

道路の両サイドに建物はあるが、その裏側はなだらかな起伏のもうすべてぶどう畑だ。

Barbaresco ぶどう畑①

 

◆エノテカ・レジョナーレ

ここバルバレスコ村では《バローロ》の弟分といわれる《バルバレスコ》が作られている。

我々の目的はエノテカ・レジョナーレ(その土地のワインが展示即売されている州立の施設で当然試飲もできる)で試飲することだった。

エノテカ・レジョナーレはかつて教会だった建物だとガイドブックに書かれていたので上の教会をエノテカ・レジョナーレと思い込んで登る。これが本物の教会(サン・ドナート教会)だったので、右手の試飲をさせる店がそうなのかなぁと入ってみたがどうも違うようだ。お店の人に尋ねたら『下におりたところの教会の建物ですよ』。全くの逆方向だった。

エノテカ・レジョナーレに入って左側の一角が試飲コーナー。一杯1.5ユーロ。

6種類のバルバレスコがカウンターに出ている。そこから選ぶことになるのだが試飲代は同じでももとの値段は当然違うはず、何とか高いのを注文したいものだと思って選ぶ。美味しかったが飲み終えてから陳列棚を見ると大半が17.5~20ユーロ、1種類だけ37.5ユーロの良いバルバレスコ。私と弟はいわば普通レベルだったが、兄は運良くこの高級ワインを飲んだことになる。

Barbaresco エノテカ・レジョナーレ

Barbaresco エノテカ・゙レジョナーレ陳列

 

◆アグリツーリズモ

目的を果たし、ぶどう畑の中を予約しているアグリツーリズモへ向かってもらう。レンタカーを借りないでよかった。こんなところ道がまったくわからないから。

20分足らずでぶどう畑のど真ん中にある本日の宿Casina Barac に到着。ブルーノさんからは40ユーロ(約6,000円)請求された。「まっ、ちょっと高いけどしようがないな」と思い払う。『また、連絡してくれ』ということで名刺を渡される。

そうこうしているうちにホテル・オーナーが出てきて、『明日は?』、『明後日は?』という話になり明日9時半に迎えに来てもらうことになった。

Barbaresco Cascina Barac

 

さて、アグリツーリズモ、日本でいえば農家の民宿みたいなものだろうが建物はそう大きくないもののロッジ風で立派だ。オーナーのアルビーノ氏に案内されロビーの応接ソファーに座らされ、いろいろと英語で質問される。

それが終わったら、『赤がいいか、それとも白がいいか?』と尋ねてきたので『赤がいい』と答えると、我々と自分用に大きなワイングラスを用意し、注いでくれた。こんなチェックインなら大歓迎だ。

飲みながらまた質問、『仕事は何だ?』、『明日以降はどこへ行く?』。『バローロ、そしてブラ、トリノ』というと、『“ブラ”ではない、“ブラァ”』とアクセントを直される。ゲストなんだか生徒なんだか分からない。

そして意表を突かれた極めて重大な質問、『今日の夕飯はどこで食べる?』。『もちろん、ここで(メールで1泊2食と予約していた)』。『今日はうちではないよ。アルバ市内へ行く?』。 「アルバ市内へ食べに行くくらいならわざわざこんなぶどう畑には泊まらないよ」と思いつつ、『この近くには?』と訊くと『2軒あるけど、歩いて行けるところは家庭料理、もう1軒の方がエレガント、車で送り迎えするけど』。後者を頼みさっそく電話してもらったが残念ながら満席とののこと。

次の選択肢はバルバレスコ村のAntineだという。「エッ?さっきまでいたあそこまで戻る?」と一瞬思ったが、実はアルバからでも行きたかったミシュラン1つ星のリストランテ、うなづく。ここは予約できた。

部屋の鍵をもらう前にもう一つ、予期せぬ質問、『ワイナリーをやっている。テイスティングできるがどう?』。これは有難いお言葉、この宿ではほかに夕食までやることもないし渡りに舟とばかりにお願いした。

◆テイスティング

部屋に入り、一休みしてから建物から出てぶどう畑を下りるような形でワインセラーの方へ行く。

向こうからジーンズをはいた実直そうな男性が待っていたかのようにやってきて『フランコです』と手をのばしてくる。こちらも名乗り握手をした。彼がワイナリーの当主だ。

そのまま彼について行き右手の建物に入り、テイスティング開始。 まず、シャルドネ。フランコ本人が注いでくれる。 説明はすべて英語。この地方の人、とりわけワイン・ビジネスに携わる方々は商売上英語を普通に操れることが必須のようだ。

こちらは必死についていく感じだ。 日本でもデパートなどでテイスティングさせることがあるがちいちゃな容器でほんのちょっとだが、ここでは普通のワイングラスにそこそこの量だ。

シャルドネ(Chardonnay)のあとは

Dolcetto D’Alba, SCALETTA

Barbera D’Alba, MUGIOT

Barbaresco, Riserva 2001

Barolo と次々にテイスティングし続ける。

Barbaresco Piazzoのテイスティング・ルーム

Barbaresco Piazzo テイスティング

 

Barbaresco Piazzo シャルドネ

Barbaresco Piazzo バローロ

Barbaresco Piazzo バルバレスコほか

自家製だというサラミまでつまみとして出してくれ、テイスティングなのか飲み会なのか・・・・あっという間に1時間経ってしまう。

世界各国に輸出していて、日本ではかつては成城石井が取り扱っていたそうだ。最初のころはコンテナ1本分、今は年間2000本だという(生産能力は50万本だから日本向けは微々たるもの)。

ここで3人とも1本づつ買ったのだが、兄が帰国してから家族で飲んだ際、姪が『このラベルのものを成城石井で買ったことがある』と言っていたとのことだった。 フランコの話では、Barbarescoの畑の広さはBaroloの1/3 、だから知名度が低い、Barbarescoは自分のところでは7,500本、ラベル枚数で制限されているそうだ。

Barbaresco Piazzoのぶどう畑②

Barbaresco Piazzo ぶどう畑⑤

Barbaresco Piazzoのぶどう畑①

Barbaresco Piazzo ぶどう畑⑦花

 

ビジネスとしてはなかなか楽ではない印象を受けた。

◆ミシュラン1つ星でチェーナ

19時半にアルビーノがバルバレスコ村まで車で送ってくれることになっていたので外の庭の椅子でぶどう畑を眺めながら待つ。少し肌寒くなってきたので重ね着をするために部屋に戻ったりする。そのうち、ようやく夕暮れ。彼がなかなか現われない。20時半ごろ、奥さんと一緒に戻ってきた。『すまない、すまない』と言ってたようだが、そのままバルバレスコ村まで送ってくれた。

もうあたりは暗いがぶどう畑の丘陵地帯を登って行く。道は幾重にもカーブしている。トレイーゾを通り過ぎ昼過ぎにいたバルバレスコ村に着いた。 「帰りはどうするのだろう?迎えに来てくれるのだろうか。」など考えていたがAntineの前で止まったとき、アルビーノから『帰りはタクシーを呼ぶように』と軽く言われる。

我々が着いたことを気づいたのだろう、リストランテの女性が出迎えてくれた、さすが一つ星は違う。ゆったりとした階段を上がり、2階に上がってすぐのテーブルへ案内された。どういう席の配置になっているのかあまり他のテーブルは目に入らない。

メニューを渡され、2種類のコースから選ぶことにしたが昨日ヴォリュームが多かったので4品からなるピッコロ・コースにする(この判断は正解だった)。 食事に入る前に食前酒をすすめられる。ついでアミューズ、これはひよこ豆にトリッパのスープ、オリーブオイルの味がいい。

Barbaresco Antine ひよこ豆のスープ

アンティパストはハムのような肉をミルフィーユのように重ねたものとマッシュポテト。これをバジルのソースにつけて味わう。

Barbaresco Antine 前菜

 

 

プリモはリゾット、真ん中に卵の黄身。米は芯があるというほどではないがほどよい固さでしっかりしている。

Barbaresco Antine リゾット②

セコンドは兎の煮込み(前の晩の馬肉と同じような味)、ローズマリー、月桂樹の葉がポレンタに添えられている。ここでお腹が一杯、しかも時差ぼけで眠く、途中でギブアップ。

Barbaresco Antine 兎の煮込み

しかし、これでは終わらない。口直しのジェラート。アーモンドの実を粉にして固めた台にジェラートだ。ついで本物のドルチェ、いろいろな木いちごに生クリーム、中にまたジェラートだ。

Barbaresco Antine ドルチェ②

ここでタクシーを頼む。最後はエスプレッソで締めるがこの時小さなクッキーとチョコレートの盛合せが出て来た。

ちょうどエスプレッソを飲み終わり、お勘定をすませた時にタクシーが来た。もと来た道を、真っ暗な中をくねくねと走り約15分で帰還。ドライバーは太った恐そうな第一印象だったがCascinaBaracのゲートを開けてあげた際は「ありがとう、おやすみ」と言ってアルバの町へ帰っていった。

 

◆泊まる

ホテル Cascina Brac, Frazione San Rocco Seno d’Elivio, 40

http://www.barac,it

ワイナリー ピアッツォ社のオーナーの娘(多分次女)夫婦が経営、我々を迎えてくれたアルビーノはこのご主人。ワイナリーの方も娘(多分長女)夫婦が経営、社長のフランコ氏はアルビーノの義兄にあたる。 Twin 95ユーロ、Single 75ユーロ、ガイドブック(『麗しの郷ピエモンテ』)に掲載されていたので本文記載の通りインターネットで予約。

Barbaresco Cascina Barac 室内①

Barbaresco Cascina Barac 部屋の名前(扉)

我々が泊まった部屋の名前は“Vigna Giaia”でピアッツォ社のバルバレスコの畑の名前から取っているようだ。 朝食はやや肌寒い外のテーブルでぶどう畑を眺めながら。チーズ、サラミ、生ハムが美味しかった。

◆食べる

●お店の名前 Antine,via Torino 34/a,Barbaresco 食べたもの 本文の通り。ピッコロコースは1人35ユーロ(もう1種類は45ユーロ)。 ワイン   Barbaresco, CARLO GIACOSA, Narin 2003 (28ユーロ)

Barbaresco Antine バルバレスコ②

食前酒(3ユーロ)、水、エスプレッソ、チップ込み3人で161ユーロ。ミシュラン一つ星でも高くない、むしろ安い。 ワイナリーGAJAのすぐ隣だったような気がする。

 

◆買う ワイン Baroro. Piazzo 18.5ユーロ  http://www.piazzo.it

Alba (アルバ) 2006/9/10~11

 

Alba (アルバ) 2006/9/10~11

◆ 行く
数年前のNHKテレビのイタリア語会話でアレッサンドロという青年が高校を卒業して北イタリアを自転車で旅するというのがあった。その主人公が旅立つ町(故郷)ということで初めてアルバの地名を知った。
アルバはピエモンテのワイナリー巡りをするには要の町。計画段階では2~3泊するつもりだったが、ワイナリー巡りをするなら市内だけではなくワイナリーのまっただ中にも泊まらなければ、と思い結局1泊だけになってしまった。

アスティでの半日観光を終え17時15分の電車に乗る。新型車両だが、エアコンが効きすぎ寒いのでジャケットを着る。
進行方向右手はなだらかな丘陵地帯。ぶどう畑が圧倒的に多い。天気がいいのでぶどう以外の木々の緑が目にしみる。
ネイツァの駅をすぎてすぐトンネルに入る。トンネルを出ると今度は左右一面ぶどう畑だ。
丘陵地帯のいわば谷間を列車が進む。また、トンネル。次々にトンネルを出たり入ったりでアルバに近づく。
定刻より少し早めに到着。

駅を出るとタクシーが2台止まっていたがホテルはそう遠くなさそうなのでスーツケースを引っ張って歩く。サマータイムの18時、しかも晴天とあってまるで昼間のようだ。
駅に面した広い道路の歩道を進みもっと広いトリノ通りを左折、ほどなく予約していたホテルに着いた。

◆ リストランテを探す
まだまだ明るいのでとりあえず町の雰囲気をつかむためと例によってリストランテ探しに飛び出す。

ホテルを出て先ほど来た道を戻る。駅からの通りの方には曲がらず信号を渡って直進する。それがカブール通りでそこからは旧市街。まっすぐの方向に二つの塔が聳えている。
カブール通りに面したお店は日曜の夕方だけあってほとんどが閉まっている。それでもウィンドウ越しに洒落た陳列を楽しむ。1軒あいている食料品店があって入ろうとしたところちょうど閉めるところだった。
とはいっても通りには散策をする人々が行き交っている。

Alba カヴール通り

 

Alba カブール通りのお店

ドゥオモ(サン・ロレンツォ大聖堂)の前まで行く。赤っぽいレンガでどっしりとした感じがそばで見るとさらに強まる。ドゥオモの前のリソルジメント広場は広い。

Alba ドゥオモ
この広場の手前、ドゥオモに向かって右にメインストリートのヴィットリオ・エマヌエレ通りがあったがあまりの狭さに驚いた。しかし、あとで分かったがこの通りは何らかの意図があったのか段々と広くなっていき、サヴォナ広場へと続く。

Alba サヴォナ広場の噴水
このヴィットリオ・エマヌエレ通りの両サイドにはいろいろなお店があり、洗練された印象を受けた。

さて、肝心のリストランテ探し。実はこの日は日曜日、アルバのリストランテは日曜~月曜昼定休のところが多い、というのをガイドブックなどで知っていたので真剣に探す必要があったのだ。
まずインターネットの個人サイトで見つけた店を探すことにする。カブール通りを戻り、Casa dei Caféの横を入った広場のバロック様式教会そばのオステリアだ。この教会がサン・ジョヴァンニ洗礼教会、全体にピンクっぽくて可愛いらしい。ファサードには聖母子が描かれている。目指すOsteria dei Sognatoriはすぐわかった。

Alba サン・ジョヴァンニ教会
次に、ペルフィナーチェ通りのOsteria Vento di Langeを目指したが途中の小さな十字路に別の店を1軒発見、候補の一つに加えることにした。というのは外に出ていたメニューのフンギ・ポルチーニのフリット(20ユーロ)に惹かれたからだ。
Osteria Vento di Langeを見つけたあといつの間にかさきほどのヴィットリオ・エマヌエレ通りに出てしまった。そのまま、サヴォナ広場まで行く。
このあたりは結構にぎわっている。通りにカフェのテーブルが出ていて、多くの人がワインを楽しんでいる。さすが、アルバだ。上の部分が広い2段になったグラスでピンクの泡状の飲み物を飲んでいる人が多い。
さて、サヴォナ広場近くにはアルバ一と言われるリストランテEnoclubがある。ここが一番のお目当てだったのだが、出掛けにホテルから電話を入れてもらったが『誰も出ない』ということで予定通り定休か、あきらめきれずに見にきたがやっぱり定休の雰囲気ということで3人の意見が一致。結局最初に見つけたオステリアに決め、帰りがけに寄って20時半で予約をした。

◆ 買う
ヴィットリオ・エマヌエレ通りを戻る途中、ガイドブックに出ていたトリュフの専門店( Tartufi Ponzio)があいていたので立ち寄る。ここ、アルバはトリュフの町。生の白トリュフはまだ時期的に早いがここでしか手に入らないもの、を買うことにした。ご主人に「白トリュフ入りオリーブオイル」をすすめられ、我が家には200ml、長男の家には100mlのものを買う。
旅の楽しみは「買い物」という人が多いが、買い物を楽しんだというよりはとりあえずお土産を一つ確保したという感じの買い物だ。

◆チェーナ
一旦ホテルに戻りシャワーを浴び、着替えてあわただしく出かける。ホテルはガイドブックでは郊外となっていたが旧市街とは目と鼻の先にあり予約した店までもそんなに時間はかからない。

Osteria dei Sognatoriに入ると、奥行きはないものの左の方に広くそちらに案内される。庶民的な感じで、周りを見ても地元の人ばかりのようだ。座った席は一番奥の方だが、その先には引き戸の裏口のような出入り口がある。

Alba Osteria dei Sognatori
四角いテーブルなので一人はその出入り口に背を向けた形で座る。
カメリエーラ(予約をお願いした女性)が注文を取りにくる。まず飲み物を聞かれ、“Vino”というと、“White or Red ?”と返ってきたので“Red”と答えると、次に『ハウスワインかそれとも・・・』と聞いてきたので『ハウスワインではない方』と返す。彼女が銘柄をいくつかあげてきたので『バルバレスコ』と答える。次に水だ。“gas or non gas ?”に対し “gas”。料理については『コースは1種類だけどその内容は・・・・とか何とか』。これはさすがに聞き取れなかったがまぁ出てくるものを食べるだけ、ということで本当にお任せという感じだ(この店は元々メニューがないらしい)。

前菜は4種類。①コッパとパンチェッタ盛合せ、あげパン添え。②ポテトサラダ。③バジル?の入った卵焼きとサラダ。④いわしの塩漬け、トマトソース。

Alba Osteria dei Sognatori コッパ・パンチェッタAlba Osteria dei Sognatori ポテトサラダAlba Osteria dei Sognatori バジル入り卵焼きAlba Osteria dei Sognatori いわし塩漬け
プリモは2種類。①ラザーニャ。②アニョロッティ。実は3種類といわれそれを1つづつ頼みシェアするはずだったのに実際には一人前(日本人の)づつ出てきたので、セコンドまで進むためにギブアップしたのだ。

Alba Osteria dei Sognatori ラザーニャAlba Osteria dei Sognatori アニョロッティ

セコンドは馬肉と兎の肉、3人ともこれも少しづつ残す。我々にとっては珍しい肉だけれど、このあとの旅で何回も出てくることになるとは思わなかった。

Alba Osteria dei Sognatori 馬肉と兎肉
途中ワインが進み2本目を他の銘柄で頼んだが忘れていたらしく催促したらまた同じのが出てきた。
ドルチェはカラメル、ケーキ、チョコレート、ピーチ、それに小さなコップに入ったカフェ。
最後に食後酒。だからイタリアでの食事は楽しみだ。モスカートのグラッパともう1種類(ラベルに”Borgogno”と書いてあった)。『勝手に飲め』、とばかりに二つのボトルを置いていく。

Alba Osteria dei Sognatori 食後酒
満腹になって満足し、23時ちょい前にホテルに戻る。

◆ 見る&買う
朝食を終え、8時半すぎに旧市街へ。月曜朝のカブール通り、ヴィットリオ・エマヌエレ通りは当然人通りが少ない。いざ、いろいろ見始めようとしたら兄が郵便局で留守宅に絵葉書を出したいというのでとりあえず別行動とし、ヴィットリオ・エマヌエレ通りの一角で待つことにした。その間に割と大きな食料品店があったので『ボン・ジョルノ!』と入り、買おうと思っていたベルタ社のグラッパを置いているか訊いたがないとのこと、また通りに戻りすぐ近くのサン・ダミアーノ教会を覗いてみる。ちょうどミサの最中だったのですぐまた表に出て二人を待つ。

今度は”enobibreria”という店に気づく。本屋にワインが置いてあるのか、酒屋が本も売っているのかわからないがそういう感じのお店のようだ。残念なことに月曜午前とあって閉まっていた。

3人揃ったところが昨日のトリュフの店の近く。二人が昨日買ったものと同じものを買いたいということで店も開いていたので入る。今日は息子さんがいる。昨日はトリノにサッカーを見に行っていなかったのだという。『オーグーロはいいプレーヤーだ!』しきりに誉めていた。
ここでは、白トリュフのクリーム、黒トリュフのクリームを買う。彼がパスタソースの作り方を教えてくれた。他に伝統的なアルバのお菓子と探していたベルタのグラッパを買って店を出る。

このあとエノテカを見つけたのでちょっと入ってみた。間口は狭いが両方の壁にはワインがズラーッと陳列されている。何とこの店ではさっき買ったグラッパが3ユーロ近くも安い。奥の方にはジャムやらお菓子やらいろいろな食料品があった。その中にちょうど探していたチーズに添えるコーニャ(Cogna)があったので買う。

 

Alba エノテカ①Alba エノテカ②

ヴィットリオ・エマヌエレ通りのこのあたりには教会がいくつかある。まず、さっき一人でちょっとだけ覗いたサン・ダミアーノ教会にさも初めてという顔をして入る。この教会はバロック様式、内部は落ち着いた感じ、というよりくすんだ感じだ。

Alba サン・ダミアーノ教会
斜め向かい側にはレンガの壁のマリア・マッダレナ教会、中はほぼ円形で外観には似つかわしくないきれいな絵が天井一杯に描かれている。

Alba マリア・マッダレナ教会

Alba マリア・マッダレナ教会 天井画

この教会の裏手にはサン・ドメニコ教会がある。同じくレンガの壁だが、さっきの教会よりは木目細かな壁の色合いだ。平日は団体予約以外は中に入れないようだ。

さらにズンズン行くと昨日見たドゥオモ(サン・ロレンツォ大聖堂)の横に出た。残念ながら修復中でここにも入ることはできない。ALBAという町の名前はこの町を守る四つの象徴の頭文字だそうだ。ドゥオモのファサードの柱部分に向かって左から、天使(A)、ライオン(L)、雄牛(B)、鷲(A)が彫刻されている。正面から左に回りこむと鐘楼が青空に映えてきれいだ。

Alba ドゥオモ 天使

Alba ドゥオモ ライオン

Alba ドゥオモ 雄牛

Alba ドゥオモ 鷲

 

Alba ドゥオモ 鐘楼②

ランチをとる店を探しがてら今度はサヴォナ広場の方へ行きサン・パオロ大聖堂(Tempio di San Paolo)の前に出た。ここにも入れなかったがファサードの両翼が広くて実に堂々としている。

Alba サン・パオロ大聖堂

 

前の広場、サン・パオロは駐車場と化していてちょうど下校時の子供たちを親が迎えにきているようだった。

◆ ランチをとる
狭い旧市街をさまよいながら店を探していたが月曜とあってやっている店は多くはない。一つ目をつけていたピッツエリア、12時すぎに通っても外のテーブル席にはお客が一人もいないのでパス。ドゥオモ近くのカフェには逆に一杯で席がない。難しいものだ。

カブール通りから中に入ってみると1ヵ所外にテーブル席のある店(Trattoria Italiana Aldente)を見つけた。サン・ジョヴァンニ洗礼教会近くの広場の一角だ。ジローラモ似のカメリエーレがテーブルに案内してくれる。テーブルクロスと同じ柄のナプキンが蝶ネクタイのような形でテーブルセッティングされていてお洒落だ。
Alba Trattoria Aldente Alba Trattoria Aldente メニュー

手書きで黒板に書かれたメニューを席の近くへ持ってきて注文をとるスタイル。
前菜を1品シェアし、私と兄はプリモを、弟は野菜サラダにし、ワインはDolcetto、最後にコーヒーで締める。空気がおいしいこともあったのか爽やかな気分で十分満足した。

◆ バルバレスコへ向かう
ホテルに戻りチェック・アウトし、バルバレスコ経由サン・ロッコのアグリツーリズモまでのタクシーを頼む。
計画段階ではレンタカーにしようかとも迷ったが、ものの本によるとワイナリー巡りには道が曲がりくねっていてよくわからないとあったので運転に神経を使うよりは多少費用がかかってもタクシーにすることにした。
ほどなくプジョー607のタクシーが迎えにきてくれ、バルバレスコへ向かう。
このプジョーには結局3日間お世話になった。

◆ 食べる
お店の名前 Osteria dei Sognatori, via Macrino 8, Alba
食べたもの 本文の通り
お任せで1人20ユーロ(あの料理、品数で!激安)
ワイン   Barbaresco, CASTELLENGO CA’ DU LUIN, 2003 (30ユーロ)2本

Alba Barbaresco

料理の値段の割にいい値段、翌日バルバレスコ村のエノテカでは17.5ユーロだったのでちょっと高すぎ。
水、ワイン、食後酒込み3人で120ユーロ

お店の名前 Trattoria Italiana Aldente, via Perinace 1/A, Alba
www.trattoriaaldente.com
食べたもの Vimballo di Carne Cruda (7.5ユーロ)、エビとズッキーニのスパゲッティ(7.5ユーロ)、Gnocchi ap Castelmagno(7.5ユーロ)、季節の野菜サラダ(3.5ユーロ)

Alba Trattoria Aldente エビのパスタ Alba Trattoria Aldente ニョッキ Alba Trattoria Aldente 季節野菜サラダ
ワイン   Dolcetto di Dogliani 2004,La Bruna, Bruno Andoriano (10ユーロ)

Alba Dolcetto

水、カフェ、コペルト込み3人で45ユーロ
勘定するときワインが13ユーロで打たれていたが間違いではないかというとすぐ直してくれた。
◆ 泊まる
ホテル   I CASTELLI, C.so Torino 14, Alba (★★★★) www.hotel-icastelli.com Twin 110ユーロ、Single 90ユーロ

Alba ホテル フロント

 

ガイドブックでは郊外となっていたが旧市街の外というだけ。イタリアでは珍しい近代的ホテル、ホテル内には地元のワインがショーケースで何箇所も展示されている。

Alba ホテル内ワイン展示③Alba ホテル内ワイン展示④

インターネットで直接予約。カード番号を知らせる必要がありFAXしたところご丁寧にメールで再確認してきてハラハラした。
チェックアウト時に記念品としてワインストッパーを貰う。結構重宝している。

◆ 買ったもの 白トリュフ入りオリーブオイル(200ml 24ユーロ,100ml 12,5ユーロ)
白トリュフクリーム(41ユーロ)、黒トリュフクリーム(11.5ユーロ)
お菓子(ヌガーみたいなもの、4.5ユーロ×2)
ベルタのグラッパ(22.6ユーロ)
www.tartufiponzio.com

コーニャ(6.2ユーロ)

◆ 読む
本の名前   旅名人ブックス『トリノ/北西イタリア サヴォア地方』谷克二、邸景一著
日経BP社 1500円
トリノ情報もさることながらアルバやバルバレスコ、バローロのワイナリー巡りの感じをつかむのに大いに役立った。とりわけ、ワイナリー巡りにレンタカーが難しいことを。

Asti (アスティ) 2006/9/10

Asti (アスティ) 2006/9/10

◆行く
アスティはスプマンテで有名な町。是非ここで1泊して美味しいスプマンテを飲もうとピエモンテの旅2泊目として考えていた。次の目的地アルバで市内、郊外のアグリツーリズモ、ワイナリーの中のヴィラに泊まるという計画の中で、夏休みの短い悲しさ、アスティでの宿泊をあきらめ、前泊地のノヴァーラからアルバへの途中半日だけ寄ることにした。

ノヴァーラから9時7分のアレッサンドリア行きFSに乗る。車窓からは田んぼが見える。このあたりはイタリアでも有数のお米の産地らしい。我々日本人には見慣れた水田だが、建物が違ったりして風景はやっぱり外国だ。

Asti NovaraからAstiへ 田んぼ

 

10時19分にアレッサンドリアに着く。ここで乗換える。10時58分、次の駅がアスティ到着。
スーツケースを預けようと思ったが案の定荷物預り所がない。

◆収穫祭のパレード
スーツケースを引っ張って駅の外に出る。ノヴァーラの朝は寒いくらいだったがアスティは抜けるような青空で暑いくらいだ。

駅前の広場(マルコーニ広場)のすぐ先の道路向こうにものすごい人だかり。スーツケースを持ったまま近づくと何やらお祭りのパレードのようだ。

あとでこれが“Festival delle Sagre Astigiane”(「アスティ人の収穫祭」とでもいうのだろうか)ということがパンフレットで知ったが、初めは直感的に「農業まつり」なのかなぁと思った。
最初に見えたのはトラクターだ。そのトラクターには少し時代がかった服装の農民が乗り、後ろの台車(ここには高さ5メートルほどの木が生えているように積まれている)を引っ張っている。最初はこれだけかと思っていたが何台もあるようだ。

Asti 収穫祭 パレード②

Asti 収穫祭 パレード④ Asti 収穫祭 パレード⑥

 

駅前広場にあった地図でインフォメーションの場所を確認していたが、とにかく邪魔な荷物をそこで預かってもらうしかない我々としてはこのパレード見物を適当に切り上げ、先を急ぐ。
前方右手にかなり大きな公園(カンポ・デル・パリオ広場)が見えるが道路に面したところにはいろいろな露店が並んでいてそこもものすごい人出だ。荷物を持って前進するのが大変なので一段下がったグラウンドのような広場に下り突っ切って広場の北側、ルイージ・エイナウディ通りへ出る。
と、そこにもパレードが・・・。
今度は台車にはケージごと鶏が登場する。中には小学生くらいの子供が乗っていたりしている。とにかく延々と続いている。少し途切れたところで通りを横切り、目の前の建物の裏側にあるはずのインフォメーションを探す。そのインフォメーションの入口手前には何と観覧席が設けられている。ここは三角形のヴィットリオ・アルフィエーリ広場の一角で、あとでわかったがこの広場がパレードの最終場所だった(臨時に設営された観覧席は有料のようだ)。

インフォメーションに入ると何人も係の人を待っているようだったので、置いてあるパンフレットなどを眺めて待つ。そのうち声を掛けられたので『15時ころまで荷物を預かって欲しいのですが』というと快く応じてくれた。

◆見る
身軽になってアスティ観光スタート。インフォメーションでもらった地図を眺め、自分たちがいる場所がヴィットリオ・アルフィエーリ広場を三角形の底辺だとすれば三角形の頂点の先にあるトロヤーナの塔が近そうだ。

収穫祭で人出が溢れんばかりにすごいがパレードを見ながらその中を進みヴィトリオ・アルフィエーリ通り(かなり大きな通りだ)を渡る。地図にしたがい左斜めの通りに入るとすぐに塔が見えた。

Asti TorreTroyana②

 

塔は小さな広場(メディチ広場)に面していてすっと聳えている。
さて、入ろうとしたが入口がわからず行ったり来たりするがどうやら塔の後ろの方に階段で下に降りるしかなさそうだ。一人椅子を出して座っている若い男性がいたがどうもそのあたりしか考えられない。降りて行くとその椅子の後ろが入口だった。
中に入ると男性二人が切符売場(というほどではないが)にいる。入場料(1人2ユーロ)を払い、パンフレットを貰って階段を上がる。四角い内部の壁にとりつくような木造の階段だ。結構きつい。
パンフレットによれば、13世紀後半に造られ、高さは一番上の階まで36.3m、てっぺんの越し屋根まで44mもある。しんどい訳だ。最上階からは360度のパノラマ、アスティの市街が良く見えた。写真を撮るが金網が邪魔でうまいアングルで撮れない。

Asti TorreTroyana内部

Asti TorreTroyanaの眺望
疲れた顔の記念写真を撮ってさっき上ってきた階段を戻る。

トロヤーナの塔の次はカテドラーレに向かう。両側から建物が迫ってくるようなカテドラーレ通りに入ると正面に鐘楼が見えてくる。

Asti カテドラーレ①

 

鐘楼にぶつかり左に折れるとその先がちょっと広いカテドラーレ広場だ。広場から見えるカテドラーレは右に鐘楼を従えかなり間口の広い建物だ。ピエモンテ・ゴシック様式というこの建物のファサードは入口扉の部分だけ装飾があり、それ以外の正面外壁は装飾も何もなくシンプルだ。

Asti カテドラーレ③

Asti カテドラーレ⑤
ファサードの扉の上には《受胎告知》の場面が左に大天使ミカエル、右に聖母マリアが描かれている。

Asti カテドラーレ⑥
中に入ったのはちょうど正午、ミサが始まったところのようだ。
ざっと見渡すと3廊式で両側に5本の柱、一つ一つがまたいくつかの柱がくっついたような形だ。バラ窓に陽があたって綺麗だ。ミサの最中なのでそれ以上の見学を遠慮して外に出る。

カテドラーレ広場からまっすぐ南に向かうとカイロニ広場に出た。この広場に面している通りがさっきのメインストリート、ヴィトリオ・アルフィエーリ通りのようだ。右へ曲がりこの通りを西に進むと左側にトッレ・ロッサ(赤の塔)が見えた。トロヤーナの塔は四角いがこの塔は何角形なのか、なんとなく丸いように見える。塔は3段に分かれているが下の2段は赤いレンガ、一番上が白い壁の中に赤いレンガがはめ込まれているようだ。どっちのせいで「赤」というのかは分からない。隣の建物はサンタ・カテリーナ教会だ。

Asti トッレ・ロッシ(赤の塔)

 

来た道をUターンし戻るが、途中さきほどのカイロニ広場をすぎたあたりにぶどうとカラフェが描かれたゲートが目に入ってきた。しかもワイングラスの入った袋を首からぶら下げている人たちを見かける。何かワインのイベントかなぁ、と思いゲートと同じ看板のある門に入ってみた。門から中庭にかけて真っ赤な絨毯が敷かれていてそのまま建物に吸い込まれるようにして中に入る。長い大きなカウンターの手前にレジがあった。どうやらそこでお金を払ってワイングラスを受け取り、いろいろなワインを試飲できるようだ。カウンターの先にはつまみや簡単なパスタなども用意されている。ここで試飲したかったが昼食でアスティ・スプマンテを美味しく飲むためにじっと我慢して中を一回りして出る。あとでこれは”Salone Nazionale di Vini Selezionati”(「全国優秀ワイン展示会」とでもいうのだろうか)というものだと知った。

Asti ワイン展示会のゲート

Asti 全国優秀ワイン展示会

◆期待はずれのランチ
さて、待望のランチだ!ということでメインストリートやその裏の路地で店を探すが、ない!ない!日曜だからなのか、お祭りだから休んでいるのか見つからない。
先ほどのトロヤーナの塔へ行く途中、パレードを見ながら歩いていたときにテーブルが外に出ていた場所を思い出し行ってみた。お店の人が何とかテーブルを用意してくれたが居心地の悪い場所で、しかもメニューにはピッツアと定食しかなく、また注文も取りにこないので止めることにして別の店を探すことにした。

段々と駅の方に近づいたところで1軒の店を見つける。混雑していたがちょうど外のテーブルがあいたのでやむなく妥協して座る。もうお腹がすいてどうにもならないからだ。
しかし、ここもなかなか大変な店でテーブルを片付けにこないし注文をとりにもこないが、ひたすら我慢。多分年に数回あるかないかの人出でお店の方もてんてこまいなのだろう。
こ洒落たリストランテでキーンと冷えたスプマンテを!と期待していたこの町だったがランチの面では日にちが悪かったようだ。
ここではアスティ・スプマンテ1本と各自1品で空腹を満たす。

◆イタリア最大の野外レストラン
遅いながらも何とか空腹を満たし、インフォメーションにスーツケースを取りに行きがてら、行きに急いで通ったカンポ・デル・パリオ広場をゆっくりと見ることにした。

行きは公園の西側を通ったが、そのときは土産物屋、はちみつなど農産物、などしか気がつかなかったけれど、公園の中には沢山の店(スタンド)が出ている。ワインの店が多い。ここでもさっきのワイン展示会と同じように袋入りワイングラスを売っていて、それを買い、好きな店で試飲をするようだ。また、伝統食を食べさせる店も多く、なが~いテーブルがいくつも出ている。

Asti カンポ・デル・パリオ広場①

Asti カンポ・デル・パリオ広場②
ちょうどお昼を食べたばかりなので手が出ずに残念だったが、ある店で瓶詰めのバニェット・ピエモンテーゼというサルサとクッキーを買う。

イベントの一つとして“おじさんバンド”が陽気に歌っている。年を感じさせないいい声だ。

Asti カンポ・デル・パリオ広場③

 

このフェスティバルはインフォメーションでもらったパンフレットによるとこの日11時半から23時までの一日限りのもので47もの飲食の店が出ているという。
この広場ではシエナと同じようにパリオ(地区対抗の競馬)が行われる。それが次の日曜日でそのための先行行事として行われているようだ。
同じくインフォメーションで入手した『ピエモンテ州への誘い』という英文ガイドブックではイタリア最大の野外レストランと紹介されていた(詳しくは最後に)。

◆間引き?されたアルバ行きの電車
広場の中も大体見たので、インフォメーションでスーツケースを受け取り、16時10分の電車に乗るため駅へ行く。ところがあるはずの電車がない。お祭りのためなのか、間引きされたようだ。1時間以上時間があるが荷物もあるので仕方なくホームで次の電車(17時15分)を待つ。とはいうものの、途中相棒たちに託していったんパリオ広場に行ってフェスティバルの余韻を楽しんだ。

◆食べる
お店の名前 TRATTORIA-PIZZERIA tartufo d’oro, via Cavour,95
食べたもの フンギと黒トリュフのアニョロッティ(8ユーロ)
フンギのタリアテッレ(8ユーロ)

Asti フンギと黒トリュフのアニョロッティ

Asti フンギのタリアテッレ
野菜サラダ(8ユーロ)めちゃくちゃ量が多い

Asti 野菜サラダ
一人1品
ワイン   アスティ・スプマンテ Caveli Gancia (10ユーロ)

Asti スプマンテ Caveli Gancia

 
これだけは注文してすぐ出てきた。食事前に空になったが、昼でもありこれでやめておく。
コペルト、水込みで41.5ユーロ

◆買う
買ったもの Bagnetto verde piemontese (Nizza Monferrato産、瓶詰め、130g、2.9ユーロ)
ゆでた野菜などにつけるサルサ(ソース)の一種
立ち止まって一瞬見たら、お店のおばさんに味見をすすめられ、まぁ小さい瓶だし、値段も安いし、ということで買う。
材料はパセリ、ピーマン、トマト、オリーブオイル、アンチョビ、にんにく、セロリ、唐辛子、酢。微妙な味。

クッキー(一袋、1ユーロ)
上のサルサを買ったあと同じおばさんからすすめられる。素朴な味わい。

◆英文ガイドブック『ピエモンテ州への誘い』での紹介

アスティは、D.O.C.ワインの生産が非常に多いことが世界中に知られており、多くの旅行客が行事の多い「アスティの9月」を目掛けて訪れる。9月の第3日曜日に開催される「アスティのパリオ」は、中世の衣装を身にまとった人々の行進とアルフィエーリ広場での競馬はこの9月の数々の行事のハイライトであり、また、伝統食と美食の数々を味わえる行事が同時に行われるのは見逃せないものだ。トップレベルのイタリアのワイン生産者を集めた”Douja D’Or”ワインの展示と典型的な地元産の食品の展示即売は「パリオ」開催前の10日間に“Festival delle Sagre”の一環として行われる。
(中略)
この行事は、各地区組合が出店している伝統食を参加者全員が食べ尽くすことで終わる、イタリア最大の野外レストランと言えよう。

Novara (ノヴァーラ) 2006/9/9

Novara (ノヴァーラ) 2006/9/9

◆行く
今回の7泊ピエモンテの旅はノヴァーラから始めることにした。といっても泊まるだけだ。
普通ならミラノに1泊してピエモンテに向かうのだろうが、この時期のミラノは見本市でホテルがやたらに高い。また、ピエモンテではアスティアルバを訪れたかったのでその手前にあるノヴァーラに泊まろうと考えた。
成田からJL417便にてミラノ、マルペンサ空港に到着。パスポート・コントロールを終え到着ロビーに進むと1日早くミラノ入りしていた弟に迎えられる。

ノヴァーラまではバスで行ける(これはあらかじめネットで調べておいた)。20時ちょうど発なので1時間ほど時間があったがロビーの椅子に座り今回メンバー3人で情報交換などしながら時間をつぶす。

乗客はわずか7名。我々が乗らなければたったの4名ということだ。それだけマイナーな行先ということかもしれない。
発車するころには明るかった空もだんだん暗くなり始める。それでもマルペンサを出てしばらくは車窓から夕暮れの景色が見える。ポー川なのかその支流なのか、川の流れを右に見たり左に見たり、自然の中を進む。そうこうしているうちに少し広い道路に出て、そのうち町の中に入った。

本の中の写真で見ていたサン・ガウデンツィオ教会が遠くにライトアップされているのが現れるとほどなくノヴァーラ駅前に着いた。

 

我々以外は皆降りる。運転手にどうするか聞かれたが、予約していたホテルは終点のバス・ターミナルの方が近いので「次で降ります」といい、発車してもらう。ほんの少し行ったところの交差点でバスの中からホテルのネオンサイン発見。バス・ターミナルというのが恥ずかしいほどの停留所からはすぐだった。(マルペンサ空港からわずか40分、1人6.5ユーロ)
20時50分にはホテルにチェックインできた。

◆食べる
我々成田からの直行組2名は機内食が2回出たこともあってそれほどの空腹感はないけれど、ミラノ合流者1名は昼食から時間が相当経っているというのでホテル近くで軽く飲み、食べることにして、フロントの女性に近くの店を教えてもらう。

ホテル前の通り(カヴァロッティ通り)をまっすぐ行くと右側にピッツエリアがあるという。
土曜の夜だというのに人通りが少ないがそのお店の前には数人が待っているようだ。彼らが店の中に入ったあと続いて入ると席に案内してくれた。店内のテーブルはほとんど埋まっていて、なかなか流行っている店のようだ。
カメリエーラ、というよりは高校生アルバイト?の女の子が注文を取りにくるが、ワインのところでパタッ!と止まってしまう。ワインが何種類かメニューに載っていたので、『この地方のワインはどれ?』と訊くと『ぜーんぶ』と答えてくる。中にはキャンティもある。『一番上のこれは?』と訊くと『分かる人を連れてくるから待って』。それはナポリ近郊のものだった。結局ノヴァーラの地ワインというのはなく、今回の旅の目的地アスティ近くのワインを選ぶ。

前菜3皿、ポルチーニのリゾット、ピッツアを食べ、ワインを2本飲む。前菜もリゾットもピッツアもものすごい量で『ああ、イタリアにまた来たんだ!』と実感した。

Novara ハム・サラミ盛合せ

Novara フンギポルチーニのリゾット
「軽く」のつもりが2時間かけて「しっかり」飲んだので腹ごなしも兼ねて夜のノヴァーラを散策することにした。

◆見る
ピッツエリアを出てホテルとは反対側、つまりそのまま進むと比較的にぎやかな通り、カヴール通りにぶつかったので右折して進む。これがノヴァーラのメイン・ストリートのようだ。流石に土曜の夜だけあって小さい町ながらもそぞろ歩きの人たちは多い。途中の路地を左に入ったところサン・ガウデンツィオ教会のクーポラが路地に面した建物の屋根の向こうに顔を出している。

元のカヴール通りに戻りさらに行くと広場の銅像が見えたが、おそらくその先は駅だろうということで引き返してホテルに帰る。空気がひんやりとしていて肌寒い。

◆朝のノヴァーラ
ノヴァーラは旅行スケジュールでは単に泊まるだけ。アスティ経由でアルバまで行く。距離的には近いけど鉄道では本数が少なく、また結構時間がかかる。というわけで9時07分のFSに乗ることにしていた。
朝食後、1時間あまりの時間を利用して朝のノヴァーラを散歩する。晴れてはいるが気温が低く19度しかなく半袖では寒いくらいだ。まずはサン・ガウデンツィオ教会を目指すが(昨晩は裏から見ていた)、ホテルのロビーにあった簡単な地図を頼りに、「正面に行けるのでは?」とあたりをつけた通りはどうも違ったようだ。それならばと、何とかの館(地図を捨てたので名称不明)を経てレップブリカ広場に向かう。この広場の真ん中には銅像(ヴィットリオ・エマヌエーレ2世?)が立っている。その向こう側にはヴィスコンティ・スフォルツァ城と呼ばれるカステッロがあった。

Novara レップブリカ広場とカステッロ

 

広場の周囲にはどの町にもあるようにリストランテやバールがあり、『夕べここにくればもっと良かったかなぁ』と一瞬思う。広場のすぐ近くにドゥオモがあるのに気づいたが時間が早いため中に入ることはできない。

Novara ドゥオモ鐘楼
時間があまりなくなってきたのでサン・ガウデンツィオ教会に急いだが、遠くからはよく見えるものの近くに行くとわからなくなる。背後から回りこむようにしてようやくたどりついた。外壁の赤茶けたレンガの壁が古さを感じさせる。正面から写真を撮ろうとしたがクーポラが高すぎてなかなかうまくファインダーに収まらなかった。

Novara サン・ガウデンツィオ教会①

Novara サン・ガウデンツィオ教会③

ノヴァーラはピエモンテ州で2番目の都会のようだがこじんまりとして落ち着いた感じを受けた(といっても、日曜の朝だったからかもしれないが)。

◆食べる
お店の名前 Ristorante Pizzeria Albergo Centro, L.go Cavvalli 2 Ang.Corso, Cavalotti 9/D

Novara ピッツエリア チェントロ
食べたもの 生ハム(7ユーロ)、ハム・サラミの盛合せ(6.5ユーロ、これは前者とかぶってしまったオーダーミス)、夏の焼き野菜とモッツアレラ(サラダとして注文したもの、5.5ユーロ)、ポルチーニのリゾット(8ユーロ、少し塩気があるが美味い)、Centro風ピッツア(9.5ユーロ、ピッツアだけでメニュー2ページ、そのトップにあった自慢の品か?ムール貝、フンギ、イカなどがそれぞれ分かれてトッピングされていて真ん中に卵)。

Novara Centro風ピッツア
ワイン   Barbera D’Asti 2002(13ユーロ)
Dolcetto D’Alba, Le Terre 2004 (13ユーロ)
コペルト、水あわせて3人で70.5ユーロ

◆泊まる
ホテル Hotel Europa ★★★ Twin 100ユーロ、Single 80ユーロ
部屋に入ると2部屋ともエアコンが入らない。フロントに言いに行くと、元のスイッチを入れ忘れていたようだ。室内は少し狭い、Twinの方はバスのお湯が出ない。朝食はテーブル・セッテイング、食事の内容もまあまあ。
インターネット(Expedia)で予約。室内に貼ってあった料金とまったく同じ。他のホテル予約サイトでこの町のホテルがみつからなかったのでやむを得ない。

◆読む
本の名前 『麗しの郷ピエモンテ 北イタリア 未知なる王国へ』山岸みすず、井川直子著
昭文社 1890円
2005年7月発刊の数少ないピエモンテ紹介の本、プランニング初期の段階で図書館で発見、2回ほど借りてからAmazonにて購入。ピエモンテの詳しい地図や美味しいリストランテ、心地よいホテルなどが紹介されている。今回の旅では随分お世話になった。
ノヴァーラはこの本でミラノからアスティ、アルバへの途中にあることを知る。サン・ガウデンツィオ教会のクーポラの写真が印象的だ。