2007/9 エミリア・ロマーニャ州とマルケ州の旅」カテゴリーアーカイブ

Prato(プラート) 2007/9/15

◆行く

2007年イタリアの旅、最終宿泊地のボローニャで2泊し、あとはミラノから帰国するだけ。

兄、弟との3人旅だったが、弟は昨日帰国し、最終日はふたり旅だ。

兄とボローニャでのんびりしても良かったが、見どころもほとんど訪れたので日帰りでプラートに行くことにした。

(普通なら距離的にはフィレンツェから行くべきところだが・・・)

 

とりあえず、8時すぎチェックアウト。ボローニャ駅に着いたのは8時20分ごろ。

プラート行きは遅れていたものの間に合わず次は9時20分発。チケットを買ってから一旦外に出るが、駅周辺には見るべきものは何もないので待合室で待つ。

 

次の電車も10分遅れ、そのまま遅れてプラート中央駅到着。

 

◆チェントロへ

「歩き方」の地図を頼りにチェントロを目指す。

駅前の噴水のある公園を抜け、橋を渡る。

大きな通り(Viale Vittorio Veneto)を進むとほどなくサン・マルコ広場。

ここをすぎるとモニュメントの右奥が皇帝の城(Castello dell’Imperatore)。

Prato カステッロ・デッリンペラトーレ

その隣がサンタ・マリア・デッレ・カルチェリ教会だ。

Prato サンタ・マリア・デッレ・カルチェリ教会

中に入ってみたがミサの最中だったので遠慮してすぐに出る。

この教会のすぐ近くにインフォメーションがあるはずなのであたりを見回すとすぐにわかり、地図をもらう。

 

この地図を見てドゥオモへ。

Prato ジュゼッペ・ガリバルディ通り

左折して進むとまさにドゥオモの右側に出た。

 

◆ドゥオモ

ドゥオモは白い大理石と緑の大理石でできている。

Prato ドゥオモ

ファサードのタンパンにはロッビアのテラコッタ。

Prato ドゥオモ ロッビアのテラコッタ

右角にはミケロッツオ作の《聖母の腰帯の説教壇》。

Prato ドゥオモ 聖母の腰帯の説教壇

説教壇の周りには踊る子供たちの彫刻で装飾されている。

 

中に入る。

後陣のステンドグラスやフレスコ画がとてもきれいだ。

主祭壇に近づこうとしたら後ろから声がかかる。有料(3ユーロ)だとのこと。

プラートゆかりのフィリッポ・リッピの筆になるフレスコ画が素晴らしい。

音声ガイドもあったが英語なので借りなかった。

主祭壇には大勢の年配の一群がガイドの説明に聞き入っているのでしばし待つ。

パンフレットの絵を見比べてみたので見どころを外さないですんだ。

 

パンフレットの1ヵ所の絵を指してどこにあるか尋ねたら、『入口の左、礼拝堂(パンフレットでは1番)』とのこと。

ここでもチケットをチェックされる。

礼拝堂祭壇にあるピサーノの《聖母子像》は、大きな台の上にあり、像そのものは小さい。

 

◆付属美術館

ドゥオモを出て左の入口が付属美術館(博物館)で、そこにはもとになったサント・ステファノ教会の一部が公開されている。

入ってすぐのところには讃美歌の楽譜、聖職者の法衣なども展示されている。

ドゥオモ正面右角の説教壇の周りにあったドナテッロ作《踊る子供たち》はレプリカで本物はここにあった。

よく見ると、7つのシーンで構成され総勢34人の子供たちがいる。

 

◆町歩き

市立美術館があると思ったPalzzo Comunaleに行ってみたが見つからない。

Prato コムーネ広場

たぶん場所を間違えたのだろう。広場には、結婚式の人たちがおおぜいいた。

 

この通りをさらに進むとサン・フランチェスコ教会

Prato サン・フランチェスコ教会

中は驚くほど質素で何の装飾もない。

 

広場をはさんだこの向かい側が、初めに見た皇帝の城とサンタ・マリア・デッレ・カルチェリ教会だった。

城を見ようかと花壇を上がりはじめたものの、ボローニャまで戻る電車までの時間があまりなさそうのでやめ、駅へ向かう。

 

◆戻る

駅には12時20分ごろ到着、12時41分の電車でボローニャへ戻る。

結局、プラートには2時間程度の滞在だったので次回はフィレンツェから往復してゆっくり観たいものだ。

 

Bologna (ボローニャ) 2007/9/13~15

Bologna (ボローニャ) 2007/9/13~15

◆ウルビーノからボローニャへ
『7時だよ』の弟の声で起こされる。今日は8時35分のプルマンに乗るから急がなければならない。何といっても本数が少ないのだ。
1階のリストランテで朝食。チーズ、サラミ、フルーツ、他、さすがに品揃えが豊富で4つ星を感じさせる。
8時10分チェックアウト。プリンターの操作に手間取っているようだ。ちょっと時間が気になったもののわずか10分足らずで城壁外のバス停に着く。

8時40分プルマン出発。今日もいい天気だ。陽射しが強い中、走る。9時45分、ペーザロ駅到着。何と行きより10分も短い。

駅の窓口でボローニャまでのチケット購入。約1時間待って10時54分発ヴェネツィア行きのICに乗る。6号車の指定席を取っていたが、5号車から乗ったため座席にようやくたどりつくと例によって先客がいる。指をさしてどいてもらった。

駅で買ったヘラルド・トリビューン紙で首相辞任の記事を読みながら話し合っていたこともあってあっという間にボローニャ到着(定刻の12時31分より少し遅れる)。

今までの駅に比べると相当人が多い。9年前に泊まったホテルが正面にあるが名前が変わっていて時の流れを感じた。2度目だから駅からホテルまでの方向までわかっていたのでインデペンツァ通りをまっすぐ南に進む。ホテルはすぐそこの8月8日広場にあるが、ほんのわずかの距離の間に兄がジプシーのお婆さんにポケットに手を突っ込まれるというアクシデント発生。やっぱり大都会だ。さいわい被害なし。

◆ボローニャ観光の前に・・・
13時ちょうどホテルチェックイン。スーツケースを置きすぐに出かける。

まず昼食だが、意見がなかなか合わずそのうちマッジョーレ広場に着いてしまう。さらに左右の店を見ながら奥の通りを進み、結局右手の広場のカフェでフォカッチャ、パニーニ、グラスワインで軽いランチを取る。天気がいいので気持ちいい。

Bologna カフェのパニーニ①

 

グラスワインが1杯6ユーロなのでボトルの方が良かったかもしれない、と思ったのも飲み足りなかっただけではなくさわやかな天気だったかもしれない。

食べ終えてから近くに夕食のリストランテ候補があったのでそこへ行ってみるとその向かいにボローニャ一のチョコレート屋Majaniを見つけたが休み。マッジョーレ広場へ戻る。

◆二度目の斜塔
マッジョーレ広場の南側に聳える大聖堂は15時までクローズ。ならば、と斜塔へ行くことにする。

斜塔は二つあり、高い方がアジネッリの塔、低い方がガリセンダの塔でこっちの方がかなり傾いている。登れるのはアジネッリの塔だ。私は9年前に登っているが同行者2名はもちろん初めて。

Bologna 二本の斜塔

 

階段を何段か上がったところで入場料(1名3ユーロ)を払い、いざスタート。約100メートルで約500段はしんどい。1回目は9年前だったので年を感じる。約10分で登った。

Bologna アシネッリの塔から見下ろしたガリゼンダの塔

去年のトリノのモーレ・アントネッリアーナに比べると天と地の違いだ。晴れていて景色も良く本当に気持ちがいい。他に高い建物がないので360度パノラマだ。

Bologna 塔から見たボローニャの街

 

◆マッジョーレ広場

Bologna 塔から見たマッジョーレ広場周辺

 

アジネッリの塔からマッジョーレ広場が眼下に見えたが降りて広場の大聖堂、サン・ペトロニオ教会に向かう。前回のボローニャでは時間がなく大聖堂は外から見るだけだった。それでも圧倒された。

ファサードはまるで2階建てみたいに上下の雰囲気、石の色が違うが装飾もさほどなく実に簡素な感じだ。ファサード前の階段は広くて大きい。

Bologna ネプチューンの噴水とサン・ペトロニオ聖堂

 

Bologna サン・ペトロニオ聖堂ファサード

大聖堂の中に入るとイタリアには珍しく写真撮影禁止だ。相当な広さだ。
外観から予想されるように3廊式だ。アーチ形の天井まで左右5本の太い赤茶色の柱で区切られている。
また、床は赤茶っぽい六角形でそれぞれの間はやや黄色ぽい茶色の石でうめつくされている。

この大聖堂は何の対抗心か、ローマのサン・ピエトロ大聖堂より大きくする計画だったらしいが頓挫し未完の部分があると聞いていたが、その部分はどうも左のようだ。

マッジョーレ広場はこの他、見所が多い。大聖堂を正面に右手に市庁舎(ここには第2次世界大戦時のレジスタンス運動の犠牲者名が刻まれた碑がある)、向かい側にはポデスタ館(1階はいわばボローニャ特産館みたいになっていてインフォメーションもある)がある。

Bologna ポデスタ宮

広場入口ともいうべき場所(エンツォ広場)には有名なネプチューンの噴水(ブロンズ像)があり、他の観光客同様何枚も写真を撮ってしまった。

Bologna ネプチューンの噴水①

 

◆旧ボローニャ大学
ボローニャを有名にしているのは、世界最古の大学があったことだ。9年前に訪れた時、同行の長男と一生懸命探したがわからずあきらめた思い出がある。

リベンジとばかりに探し回るが遠くまで行き過ぎているうちにサン・ドメニコ教会まで行ってしまう。近くまで行ったら予定外でも見てしまうのが個人旅行の鉄則だ。
大聖堂を見たばかりなので実に小さく感じる。

あきらめて戻ろうとした時、大聖堂の東側の通りで兄が『ここに紋章があるから』と言って入ってみたらそこが目指していた旧ボローニャ大学だった。

Bologna 旧ボローニャ大学②

中庭を巡る廊下の天井、壁には至るところに当時の学生の出身地の紋章が掲げられている。Bologna 旧ボローニャ大学柱廊②階段を上がると右手には図書館、今も学生が出入りしている。古い建物でも現実に使うのがイタリアらしい。

『さすがに解剖教室は公開してないよね』と話しながら進むと一番奥の扉が開いていて、まさにそこだった。

Bologna 旧ボローニャ大学解剖教室

Bologna 旧ボローニャ大学解剖台

2006年のNHKイタリア語講座ではボローニャをいろいろ紹介していて、この教室も紹介されていたが、想像していたよりこじんまりしている。教室の真ん中には解剖台、それを取り囲むように四方から階段状の座席となっていて見下ろしやすい。天井を見上げると人体を示すもののような彫刻で覆われていて、解剖学のための部屋を実感した。

◆冷たいビールで一休み
念願の旧ボローニャ大学を見終えて16時半、ちょっとのども渇いたので恒例のビール。マッジョーレ広場一角のカフェで冷たいビールで一休み。つまみのポテト・チップ一盛り、オリーブ、ピーナッツ、ピスタチオの盛合せはアペリティーヴォなのでいつもの通りサービスだ。

Bologna マッジョーレ広場のカフェでビール

 

◆国立ボローニャ絵画館
一休みして疲れもとれた。まだホテルに戻るには早いからと国立ボローニャ絵画館(Pinacoteca Nationale di Bologna)に行くことにした。

地図を見ながら、サン・ジャコモ・マッジョーレ教会、テアトロ・コムーネ、今のボローニャ大学などをどんどん通り過ぎる。

絵画館に着いたのは17時35分。受付で時間のことを何かいわれる。『もう入館できない』ということではなく、よく聞くと『ルネサンスの展示は18時まで、18時からはバロック時代の展示観覧』だとのこと、ホッとする(入場料1名4ユーロ)
フレスコ画あり、下絵あり、祭壇画あり、十字架もある。かなり大きな絵が多い。カラッチ、レニとか知らない名前の展示室もある。奥の15室にはラファエロの作品、ラファエロの模写もある。『聖チェチーリアの法悦』という絵には気づかなかったのでまた戻る。
これを見終えると元の場所へ戻るとちょうど18時。次はバロック展示の方へ。

すべて見終えて絵画館をあとにする。割と大きな通り(イルネリオ通り)まっすぐ歩き、8月8日広場へ。

広場に面してホテルが見える。

◆3人で最後の夕食
ホテルで一休みし、8時15分頃夕食に出かける。前年の旅と同様に弟は一日繰り上げて帰国するので3人揃う最後の夕食だ。
目指すは昼間見つけたCesari、夜のマッジョーレ広場を通り抜ける。予約していなかったが問題なく入れた。

Bologna Cesari

 

外見は入口が派手(周りが赤い枠)でモダンだけど、中は素朴でクラッシク。カジュアルというほどではなく気取っているわけでもない。
壁にはかなり沢山のワインがある。壁の棚があたかもワインセラーのようだ。ヴィンテージものらしいのは格子の扉のある棚の中だ。まるで去年訪れたマルケージ・ディ・バローロのセラーみたいだ。

Bologna Cesari ワインの棚②

 

オーナーなのか、オーナー夫人なのか優雅なドレスの女性がメニューを持ってきてくれた。メニューの字が花文字で読みにくい。英語も併記されているが決めるまでに時間がかかる。前菜、プリモを各自一品づつ選び、セコンドは私と弟だけ。

Bologna Cesari トルテローニ

 

ワインはサン・ジョヴェーゼを頼む。
これではちきれるほどお腹一杯になり、食後にドルチェをすすめられた時一旦は断ったが3人で一皿といわれパンナコッタをシェアする。

食前酒のスプマンテ、食後のブルーベリーのグラッパはサービスのようだった。

充分満足してホテルに帰る。

◆天国へ続くポルティコ
ボローニャはポルティコの街。NHKのイタリア語講座でもマッテオが山の上の教会まで長いポルティコを登るレポートがあったが、それにトライすることにして8時45分ホテルを出る。
とりあえずは、夕べのリストランテへ行きその前を通りすぎ、途中からサラゴッツァ通りのポルティコを進むと旧市街の入口、サラゴッツァ門に出た。

Bologna サラゴッツァ門

 

この門をぬけてあとはひたすら道路左側のポルティコを登るだけだ。「登る」というのは、ここのポルティコは階段状になっていてまさに登る感じだったからだ。

Bologna 天国と地上を結ぶ道スタート

Bologna 天国と地上を結ぶ道②
スタジアムを右に見てからポルティコの幅が広くなるとともに斜度がきつくなる。途中、左側から日が差すところがあって暑くてかなわない。「これで終わりか」と思うとまだ先がある。門を出てから45分で到着。ついた時はホッとした。

Bologna マドンナ・ディ・サン・ルカ

そのままマドンナ・ディ・サン・ルカ聖堂の中に入る。内陣左の方に何かありそうだったが、ろうそくの台のリフトがある。

Bologna マドンナ・ディ・サン・ルカ内陣

 

この教会はグアルダの丘にあるということで眺望にも期待していったのだけど残念なことにボローニャの町の展望はほとんどきかない。

休む間もなく《天国と地上を結ぶ道》を地上へと戻ったが帰りもやっぱり45分かかった。

◆サン・フランチェスコ教会
サラゴッツァ門から旧市街に入り、前の日に見つけたチョコレートの店に行こうとしたが買うと荷物になるのでその前に、ということで途中で左に曲がりサン・フランチェスコ教会を訪れる。

正面入口は反対側に広場に面している。ファサードは赤レンガで装飾はあまりない。

Bologna サン・フランチェスコ教会ファサード

 

中に入った感じはとにかくガランとしている。3廊式で柱はファサードと同じく赤レンガで天井でアーチ状になっている。壁は白い。左手で何か音がしたと思ったら修理中だった。
◆ボローニャ駅での別れ
このあとチョコレートの店に行きお土産を買い、ホテルへ戻る。

一足先に帰国する弟が荷物をパッキングした後、ランチを取り駅まで送る。9年前の旅行でも長男をボローニャ駅で見送ったが今回は弟を見送ることになり、どうも自分にとってボローニャは《別れの町》になってしまったようだ。

◆最後のボローニャ観光
ホテルへ一休み後、最後のボローニャ観光に出かける。斜塔から何本かの道が分かれているがその一番南のサント・ステファノ通りにあるサント・ステファノ教会へ向かった。
ロマネスク様式というのかレンガ造りだ。

Bologna サン・ステファノ教会

付属の礼拝堂が右手にありそこからまた中庭に出たりと横に広い教会で歴史的経緯があるのかもしれない。(後で知ったが、7つの教会がつながっていて『7つの教会群』と呼ばれているとのこと。)

Bologna サン・ステファノ教会内陣②

ここから今度は斜塔から出ている北のザンビーニ通りにあるサン・ジャコモ・マッジョーレ教会に行く。

Bologna サン・ジャコモ・マッジョーレ教会

ここはキリスト教初期のころのような1廊式だ。身廊左右に8つの礼拝堂がある。中に入ったのが17時半頃でちょうど祈りの最中。礼拝堂の壁はフレスコ画、天井はドームが連なっているような感じだ。他の教会に比べ全体に明るい。フレスコ画とか天井の色のせいだろうか。

 

この教会の隣にモーツァルトが学んだマルティーニ音楽院があるとガイドブックに出ていて、「どこだろう?」と近くを探し回ったら、まさに隣。

Bologna マルティーニ音楽院入口

中に入っていくと中庭でギターを手にしている女子学生がいた。モーツァルトの時代から240年ほど経った今でも音楽を志す若者たちの学校だというころに驚いてしまう。

Bologna マルティーニ音楽院中庭

これにてボローニャ観光終了。恒例のビールへと進む。どこがいいか、といことになり少し戻るけどサント・ステファノ広場のカフェで乾杯。この広場は観光スポットではないので見たところ地元の人しかおらず落ち着いていい。

Bologna サン・ステファノ広場のカフェで一休み

 

ここでビールを飲んだにもかかわらず、ホテルへの帰り立ち寄ったエノテカでスプマンテで再度乾杯だ。店内を写そうとしていたら隣のジモティーが陽気にポーズをとってくれた。こういうふれあいも楽しい。

◆泊まる
ホテル Zanhotel Regina(★★★★), Via Indipendenza 51

Bologna レジーナ・ホテル
1泊Twin 122ユーロ、Single(Twin) 101ユーロ、Expediaで予約。 2泊した。
部屋の窓から8月8日広場がすぐそこに見える。
ボローニャ駅からもマッジョーレ広場にも近くロケーションが良い。
通りに面したエントランス手前はオープン・カフェ(最終日のランチをとる)。
http://www.zanhotel.it/ita/hotels/regina.html

◆食べる
●リストランテ
お店の名前 Cesari, Via de’ Carbonesi,8
ミシュラン フォーク2本の店

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食べたもの 前菜 サーモンのマリネ、野菜添え(ズッキーニなど)11ユーロBologna Cesari 前菜 サーモンのマリネ 

ブッファーラ・アッラ・カプレーゼ 10ユーロBologna Cesari 前菜 カプレーゼ
コッパ 7ユーロ
プリモ トルッテローネ 9.5ユーロ
トルッテリーニ・イン・ブロード 2ユーロ?Bologna Cesari トルテッリーニ・イン・ブロード
タリアテッレ・アッラ・ボロネーゼ 9.5ユーロ
セコンド フィレ肉のバルサミコソース 16.5ユーロBologna Cesari フィレ肉のバルサミコ・ソース
野菜とチーズのグリル 11ユーロBologna Cesari 野菜とチーズのグリル
デザート パンナコッタ 6ユーロ
ワイン Tauleto, SanGiovese 2001,Umbert Cesari 50ユーロ

Bologna Cesari TAULETO2001②
食前酒(スプマンテ)、食後酒(ブルーベリーのグラッパ)はサービス

Cesari-ブルーベリーのグラッパ

Cesari-ブルーベリーのグラッパ

カフェ、水を含め3人で151.5ユーロ、チップ10ユーロ

お店の名前 Club Petroniano, Via Dell’Orso, 9/B
食べたもの  前菜 生ハムとメロン ここのメロンは一番美味しかった。

Bologna Petroniano 生ハムとメロン
カルパッチョ ルッコラがかなりしっかりした歯ごたえ、計9ユーロ
プリモ フンギのリゾット
タリアテッレ・アッラ・ボロネーゼ
トルテッリーニ・アッラ・ボロネーゼ、計34ユーロ
デザート 各自食べたいものを注文しようとしたらオーナーのお爺さんが
“No! Zuppa Englese”といい、とりあってくれない。 計12ユーロBologna Petroniano ズッパ・イングレーゼ
ワイン SanGiovese 何と10ユーロ まぁまぁの味
カフェ、水を含め3人で80ユーロ、チップ4ユーロ

お店の名前 Cambusa da Gaspare, Via Mascarell 8

Bologna Cambusa②

 

食べたもの 前菜 海の幸サラダ レモン・ソースBologna Cambusa 海の幸サラダ
ムール貝(Cozze Mariano) 久しぶりの大量のムール貝だ 、計14ユーロ

Bologna Cambusa ムール貝
プリモ 魚介類のリゾット いいだしが出ている、
カニのリングイネ これもいいだしが出ている、計17ユーロ
セコンド 手長エビとエビのグリル 18ユーロ

Bologna Cambusa 手長エビのグリル
白身魚のグリル(2皿)、肉のグリル 計48ユーロ
ワイン SanGiovese  12ユーロ
水、カフェ、グラッパなど 2人で79ユーロ、チップ4ユーロ

 

◆買う

チョコレート 箱入りトルッテリーノ(多分30個以上)10.5ユーロ、FIATアソート 1.7ユーロ×6袋、板チョコ 1.5ユーロ×4枚、
お店 MAJANI , Via de’ Carbonesi , 5 (http://www.majani.it/)

パルミジャーノ・レッジャーノ 約1kg 17.16ユーロ
トルテッロ(パスタ)約500g 12.17ユーロ
お店 A.F.TAMBURINI, Via Caprarie, 1  (http://www.tamburini.com/)
この店はボローニャ特産のソーセージなどの肉製品、チーズ、パスタ、ワイン他をかなり多種類取り扱っている大きな食料品店。マッジョーレ広場から近い商店街にある。

レモンチェロ 12ユーロ
お店 Enoteca Italia, Via Marsala 2/b (http://www.enotecaitaliana.it/asp/index.asp)
インデペンツァ通りからちょっと入った規模の大きな酒屋、イタリア中のワインが陳列されていたのでレモンチェロはカプリのものだが「この店なら間違いなし」と思い、お店の人に棚を尋ね買う。
バンコでスプマンテを1杯飲んだ。

パスタ用からすみ(瓶入り)42g 4.97ユーロ
お店 Albrea(スーパー), Via Irneri, 24

Urbino (ウルビーノ) 2007/9/11~13

Urbino (ウルビーノ) 2007/9/11~13

◆ラファエロのふるさとまでの長いプルマンの旅
2007年のイタリア旅行、目玉というか主目的はラファエロの生まれた町、そしてフェデリコ公の理想都市、ウルビーノに行くことだった。
マルケ州の首都、アンコーナから列車に乗り約50分でペーザロ着。ここでプルマンに乗り換えることになる。駅を出てすぐ左手のバス乗場に行ってみるとついていないことに出たばかりだ。すぐ側のバールで切符を買い(1名片道5.3ユーロ)、次の発車時刻を訊いてみると16時15分とのこと、50分も待つことになる。相棒の二人を置いて市街地に行ってみたがチェントロまでは遠そうなのであきらめ戻る。

16時15分、2両編成のプルマン出発。すいていたので3人別々に座ったところ、ペーザロ市内でそのうち埋まってしまった。市民の足でもあるようで、次から次にバス停があり乗ってくる。要塞(ロッカ・コスタンツァ)を左折し大きな通り(ヴィットリア通り)を走る。時々交差する通りの右手には大きな白いパラソルに人だかりしているのを垣間見ることができた。きっとビーチなのだろう。

うとうとしているうちにプルマンは市街地を抜け郊外に入っていた。それでも結構乗り降りする。「歩き方」では所要時間50分となっていたが一体どのくらいかかるんだろう。まだまだ山上の都市は見えてこない。相当先なのか?1時間でもまだまだ。ようやく山上都市のふもと近くにきてからグルッと左へ回り込み、着いたのは17時30分。バスターミナル(メルカターレ広場)は広くて大きい。ウルビーノの町はこの上にある。

◆ホテルを探し回る
バスターミナルを出るとすぐ門(ポルタ・ディ・ヴァルボーナ)があった。これをくぐって城壁の中に入る。かなりの上り坂だ。7年前、モンテプルチアーノで同じようにスーツケースをしっかりと持って登ったことを思い出した。途中にぎやかな所(レプッブリカ広場)で右に曲がる。
さらに進んで行くと真っ白いドゥオモがドーンと視界に入ってきた。ところが、さっきまであったホテルの案内板がなくなったので、もう一度見るために二人をおいて広場まで戻る。広場にあった地図を見てもホテルの場所がよく分からない。近くのバールのお兄ちゃんに訊くと200メートルくらい先の左とのこと。何のことはない、待たせていた二人のすぐ先だった。

予約していたホテルはサン・ドメニコホテル。ドゥオモの向こうがドゥカーレ宮殿、そのまん前だった。

Urbino サン・ドメニコホテル

 

◆夕食前の散策

Urbino ドゥカーレ宮殿
ドゥカーレ宮殿前からさきほど来た通りを戻り、レプッブリカ広場をすぎラファエロ通りの急な坂道を登り切るともうそこは町の北端。城壁を出るとローマ広場だ。広場にはこの町ゆかりの人々の像があるが、広場中央には大きな《ラファエロの記念碑》がある。

UrbinoPiazzaRoma

広場は見晴台のようになっていて夕暮れの山々が見える。

Urbino ローマ広場からの眺望

 

来た道を駆け下りるように戻りってレプッブリカ広場の先を右折し、細い通り(ガリバルディ通り)を道なりに歩くとドゥカーレ宮殿の裏側に出た。すぐ下には見晴らしのいいバール(カフェ・デル・テアトロ)がある。眼下に広がる景色がきれいだ。結局ドゥカーレ宮殿からホテル前のリナシメント広場まで軽く一周してしまう。

散策中に何となく感じたのはウルビーノは小さな町だけあってリストランテ、トラットリアがそう多くないようだ。プルマンを降りてから登った通りのレプッブリカ広場近くのLA FORNARINAを予約してホテルに戻る。

◆LA FORNARINAでの夕食

Urbino LA FORNARINA
20時半で予約していたが山の上のことでもあり寒いのでセーターを羽織って出かける。
縄のれんのような入口はいただけないが店の中はL字型で奥の方にも部屋があり思ったよりも広い。レンガと淡い色の壁。ワインのディスプレイがおもしろい。壁の梁の部分にポケットがあるのかそこにボトルは大砲のように収まっている。

Urbino LA FORNARINA①

Urbino LA FORNARINA②
ラファエロの町だけあって店内にはいろいろな絵がかけられている。そういえば、この店の名前だってラファエロが描いた婦人の肖像画の名前だ。

カメリエーレが注文をとりに来た。声は低いが笑顔がいい。各自前菜とセコンドを頼む。ワインはハウスワインにした。というのは、ガイドブックに「ハウスワインが美味しい」と書いてあったからと、いつもはワイン選びにこだわる弟が注文したからだ。
ワインはそれなりの普通の味わい。セコンドとして3人中2人が頼んだフンギ・ポルチーニのグリルはとても量が多かった。チーズの盛り合わせも量が多い。

Urbino LA FORNARINA チーズ盛り合わせ

 

食後に、ドルチェ、グラッパ、エスプレッソで締め、22時すぎ店を出る。
外へ出ると一層冷え込んでいた。

◆朝食前にびっくり(9月12日)
7時起床し、テレビを見ていて安倍首相の辞職を知る。2年前のレッチェでは郵政解散での自民党大勝を知った、どうも旅行中にはいろいろなことが起こる。といってもたまたま偶然なのだが。ニュースを何回か見ても海外の報道では事実を伝えるのみで(しかも四六時中テレビを見ているわけでもないし)詳しいことはほとんど分からない(翌日、ボローニャに向かう途中、ペーザロ駅で新聞を買って読みある程度分かったが)。

朝食はついていなかったのと3人とも胃がもたれていたので、レプッブリカ広場のカフェでクロワッサンとカプチーノで軽く済ませる。

◆ドゥカーレ宮殿
一旦ホテルに戻り9時15分すぎ目の前のドゥカーレ宮殿へ。切符売場に人がいない。少し待つ。外にいたEnzoに良く似た男性が入場券のもぎりをする(入場料1名8ユーロ)。9時25分入場したが、本日51~53番目の入場者だ。

 

ドゥカーレ宮殿は国立マルケ美術館となっている。第1室の正面にはサン・ドメニコ教会ファサードにあったロッビアの作品《聖母と聖人達》がある。
展示されている美術品もさることながらフェデリコ公によって建てられたドゥカーレ宮殿そのものも見学の対象だ。天井といい、壁といい贅をこらした装飾でモンテフェルト家の紋章も飾られている。修復された寝台が展示されている。居室は何室もあり、ルネッサンス期の絵画が展示されている。フェデリコ公の居室の一つにはピエロ・デッラ・フランチェスカの作品が2点展示されている(《キリストの笞刑》、《セニガッリアの聖母》)。小書斎の壁一面、扉は寄木細工でできていて素晴らしい。
公妃の居室にはラファエロの《貴婦人の肖像》が展示されている。玉座の間には、タペストリーが飾られている。タペストリーで描くということは恐らくは絵を描くよりも何倍もの時間と費用がかかるだろう。大変なものだ。
途中「2つの塔」近くの部屋からは西の山々を遠く見ることもでき、また「2つの塔」を真横から見ることもできた。

Urbino ドゥカーレ宮殿 2つの塔

Urbino ドゥカーレ宮殿 横から見た2つの塔

一通り見学したあとは入口の左手前にある図書室や反対側の展示室(考古学博物館)を見る。ここには法王の肖像、聖職者の使う道具、絵などが多数展示されていた。

Urbino ドゥカーレ宮殿 中庭①

Urbino ドゥカーレ宮殿 中庭② 入場した時には目の中に入らなかった美しい中庭を見て約1時間半でドゥカーレ宮殿をあとにし、隣のドゥオモへと移る。

◆ドゥオモ
前の日、ホテル探しの最中にドォーンと飛び込んできた白亜のドゥオモ。中に入ると、白い太い5本の柱で区切られている3廊式の様式だ。ファサード外観同様全体に白いが薄いグリーンも使われていて明るい。床は白、グレー、濃いグレーの大理石で覆われている。

Urbino ドゥオモ ファサード

Urbino ドゥオモ内陣
主祭壇には『聖母と聖人達』が掲げられている。内部にはゆったりとした音楽が流れていた。

◆ラファエロの生家
ウルビーノに来て絶対に外せないスポット、それはラファエロの生家だ。町の中心からラファエロ通りを上って行くと左側にある。

Urbino ラッファエッロの生家
生家は建物としては当時のまま。中は一部展示室になっている。入場料1名3ユーロを払って中に入る。
まず、奥の右の部屋に行くと台所のようだ。暖炉というよりも多分調理用の炉だろう。奥の方にはテーブルがある。
2階に上がる。絵の展示が多い。本物もあるが、さきほど国立美術館で見てきたばかりの、すなわち複製画もある。若いころに描かれた《聖母子像》のフレスコ画はガラスで覆われている。フラッシュを点けないでデジカメにおさめた。ラファエロの肖像画も何点かある。そのうちの一点はセラミックのようだ。

Urbino ラッファエッロ 聖母子像
中庭には父親(ジョヴァンニ・サンティ)が絵具を調合した場所があり、まるで何日か前まで使われていたかのように道具もさりげなく置かれている。

◆赤ワインとリストランテ探し
ラファエロの生家を見終えて、通りをさらに上る。てっぺん近くの右手に1軒のエノテカがあるのは前の日に通って知っていたので、ちょっと立ち寄り赤ワインを1杯飲む。最高だ。1年前のピエモンテの旅で、オーナー自らテイスティングさせてくれたPIAZZOのワインが特別展示されていて縁を感じた。

Urbino エノテカ入口

 

一旦ローマ広場へ出てから城壁に沿って東に進み、サンタ・ルチア門からまた城内に入り、ブラマンテ通りを下り、あとはいわばジグザグに小径を進み、夕食に考えていたリストランテ、Vecchia Urbinoを探し、20時半で予約する。

ちょうどいい時間になってきたのでランチにする。ウルビーノの町はとてもこじんまりしていて、食べるお店がそう多くないと分かってきたので中心地に戻りサン・フランチェスコ教会(レプッブリカ広場の斜め前)隣の広場にあるカフェに入る。観光客がつい寄りたがるようなロケーションだけあって結構いい値段だ。しかも『これはどうだ?あれはどうだ?』といろいろと勧めてくる。前菜として生ハムとメロンをシェアしハウスワイン1リットルとプリモを一皿づつの日本人らしいランチにした。

Urbino サン・フランチェスコ広場のカフェ

Urbino サン・フランチェスコ広場のカフェ 生ハムとメロン
広場の教会側一角では、トリュフ入りオイルなど特産品や古本の露店が出ていて弟がオイルを買った。

◆ サン・ジョヴァンニ教会
前日夕食をとったリストレンテの裏側にあるサン・ジョヴァンニ教会へ行ってみたが閉まっている。またあとに来ることにしてドゥカーレ宮殿(とりわけ2つの塔)のヴュー・ポイントへ行きカメラに収める。

Urbino ドゥカーレ宮殿 遠くからの2つの塔

 

14時近く一旦ホテルへ戻り休む、というよりは眠ってしまう。

16時少し前に再び出かけ、先ほどのサン・ジョヴァンニ教会を訪れる(入場料1名2ユーロ)。左に入ると礼拝堂だ。壁全体がフレスコ画《聖ジョヴァンニの生涯》で埋め尽くされている。入場料を取るだけあってこれが「売り」のようだ。天井は木で組まれている。

Urbino サン・ジョヴァンニ教会礼拝堂クーポラ

Urbino サン・ジョヴァンニ教会礼拝堂フレスコ画①

イタリア人の観光客グループが大勢いてガイドが一生懸命説明していてかなり騒がしい。彼らが出たのを待ってから静かな中ゆっくりと見る。何となくパドヴァのスクロヴェーニ礼拝堂のミニ版のような感じがした。
隣のサン・ジュゼッペ教会は以前閉まったままだ。

◆夕方のそぞろ歩き
2日目の夕方ともなるとこのくらいの小さな町は大体分かった気になるが、それでも今までに入り込んだことのない道をブラブラする。そして、前日見つけていた見晴らしのいいバール、カフェ・デル・テアトロへ行く。17時すぎなのにサマー・タイムということもあって日が差して暑い。そこで冷えたスプマンテを飲む(1杯3ユーロ)。つまみとしてポテトチップとピーナッツがついてくる(これはイタリアらしくサービスで無料)。

兄はここでホテルに戻ったが、弟と2人でまたブラブラ歩く。ランチの時には空いていなかったサン・フランチェスコ教会が18時からのミサのため開いていた。
中はまるで昔の病院のような淡いグリーン、右の礼拝堂にはステンドグラス、絵は礼拝堂入口の上の絵と同じだ。聖フランチェスコが横たわっている彫刻が置かれている。

この教会はラファエロ通りに面しているがそのままラファエロ通りを上がる。これで何回目だろう。昼前に立ち寄った例のエノテカで「もう1杯ひっかけようか」と上がったが直前に弟の気恥ずかしさで気が変わりこっちもそう飲みたいわけではないのでそのまま通り過ぎ、ローマ広場へ行く。

2度目のローマ広場だけれど今度はウルビーノゆかりの人々の彫像が《ラファエロの記念碑》を取り囲むようにぐるっと建っているのを一回りして見る。
ラファエロ通りをゆっくりと下り、途中小径に入り食料品店など覗いたりして19時近くホテルに戻った。

Urbino フェデリコ公夫妻の絵皿

Urbino フェデリコ公夫妻の絵皿

◆ヴェッキア・ウルビーノでの夕食
約1時間休んで、20時15分夕食のため出かける。途中から案内板にしたがって右折すると突き当たりに意外にも小さな映画館があった。そこを左折してから方向が分からなくなったもののレプッブリカ広場から下る通りに出たのであとは昼間行ったように行けば良い。

それにしても9月中旬だというのに寒い。山上の都市だ。昼もセーターを常に持ち、夕方からは昨日も今日もきちんと着ている。息が白くならないのが不思議なくらい寒い。

リストランテへ入るとおばさんが案内してくれ、そこにカメリエーレが出てきて入口近くの6人掛けのテーブルを示される。

メニューを渡されどうするか考えたが、折角だからお試しコース(Degustazione Tipica)があったので伝統的郷土料理かと思って注文した。残念なことにコースにはVinoConsigliatoとしていわばハウスワインが付いてくる。ワインに関しては二晩続けての失敗だ。

お腹が本調子でなかったのか、疲れていたせいなのか、料理は期待したほどでなく自分にとってはあまり口にあわなかった。

ミシュラン2本フォークの店(ウルビーノでは最高ランク)ということで選んだが、エントランスは見たところ優雅なリストランテをイメージさせたものの家族経営の何ということはない田舎の垢抜けない店だった。

◆泊まる
ホテル Albergo San Domenico, P.le Rinascimento, 3 ★★★★S

1泊Triple 170.6ユーロ 朝食1名11ユーロ

Urbino サン・ドメニコホテル玄関
ウルビーノの最高級ホテル、ロケーションも最高。Venere.comで予約。
Tripleのベッド2つはかなり大きい。もう1つのベッドが普通サイズ。
朝食はさすがに最高級ホテルだけあってチーズ、サラミ、フルーツ他いずれも品揃えが豊富。
◆食べる
● リストランテ
お店の名前 LA FORNARINA, via Mazzini 14
食べたもの 前菜 生ハムとメロン、ポルチーニのサラダ(ルッコラとパルミジャーノ)、前菜盛り合わせ(生ハムとメロン、チーズの焼物、ブルスケッタ、チーズと野菜のサラダ) 各一皿

Urbino LA FORNARINA カルパッチョ

Urbino LA FORNARINA 前菜盛り合わせ
セコンド カルパッチョ一皿、ポルチーニのグリル二皿(一皿に9個と、とても量が多い) Urbino LA FORNARINA ポルチーニのグリル
コントルノ トマトの香草焼き、表面にパン粉他を載せカリッと焼いたもの(4切れ)一皿Urbino LA FORNARINA トマトの香草パン粉焼き
チーズの盛り合わせ
ドルチェはチョコレートケーキ、レモンタルト
食後に2人はエスプレッソ、1人はグラッパでしめる。
コペルト、ワイン、水込みで111ユーロ。
お店の名前 Vecchia Urbino, via dei Vasari, 3/5
食べたもの Degustazione Tipica (以下はコースメニューの内容)
Guanciale Aglio, Olio e Salvia
Vincisgrassi
Olivette alla Pesarese
Melanzane al Rosmarino
Ricotta Tiepida al Miele di Bosco
Aqua Minerale
Caffe
Vino Consigliato
Colli Pesaresi Sangiovese
前菜のグアンチァーレ(豚のほほ肉のベーコン)をサルビアで味付けた炒め物はちょっと塩辛い。
プリモはラザーニャの一種、物凄い量で半分しか食べられない。オーナーが登場しパルミジャーノをすりおろし、雪のようにかけてくれた。

Urbino Vecchia Urbino ベーコンの前菜

Urbino Vecchia Urbino ヴィンチスグラッシ①

セコンドは豚肉で内臓を巻き、煮たものが4つ。これも2つ半でギブアップ。名前からしてペーザロ風ということか。
コントルノは茄子の炒め物、これまた半分残す。
ドルチェはふわふわの豆腐のようなリコッタチーズにあたたかい蜂蜜のソースがかかっていて奇妙な味(このドルチェは元々シチリアが発祥らしい)。

Urbino Vecchia Urbino リコッタチーズのデザート
ワイン込みで一人38ユーロ。
(メニューをこれほど詳しく紹介できたのは、テーブルにそのまま置いてあった1枚のメニューをデジカメで撮っていたところカメリエーレが気をきかせて1枚新しいのを持ってきてくれたからだ)

Urbino Vecchia Urbino コース・メニュー

 

Ancona (アンコーナ) 2007/9/10~11

Ancona (アンコーナ) 2007/9/10~11

◆いざ、アドリア海へ
モデナ発14時05分、ボローニャでESに乗り換える。プラットホームの番号がなかなか表示されないが14時56分発車。指定席は7号車、ほぼ満席だ。
次なる目的地はアンコーナ、アドリア海に面したマルケ州の州都で港町だ。

約1時間でリミニ到着。車窓からはヨット・ハーバーなどが見え、海岸近くを走っていることを実感する。リミニの空は秋の気配で高い雲があるが澄んだ青さだ。その中を飛行機が飛んでいくのが見える。
リミニ駅から10分くらいか、間近に海が見えた。アドリア海だ。リゾート地らしくそのあたりにはホテルがいくつもある。
それをすぎると山の方に進む。なだらかな丘陵地帯、短いトンネルに入る。葡萄畑とオリーブの木、とイタリアの地方らしい景色だ。進行方向右側の山の方にはいつの間にかムクムクと入道雲が出ていて今度は夏の空だ。

16時10分すぎ、ペーザロ通過、間もなく海岸のすぐそばを走る。
ヨット、ビーチにはパラソルといすが沢山見える。日本のビーチと違って、パラソルの並べ方が整然としていて色も場所ごとに統一されていてこんなことでもイタリアのデザイン力を感じる。特に動く車窓から見ると美しい。
2年前の南イタリア、ガッリポーリと同じ時期の月曜のため、ガッリポーリ同様ビーチにはあまり人はいないが全くいないというわけではない。

4~5分で海岸を離れ市街に入るがまたすぐに海岸へ、そしてまた市街に入る。APIの石油(ガス?)タンクが見え、続いてコンビナート的な工場。それをすぎるとまたビーチ、と思ったら間もなく16時41分アンコーナ到着。

予約していたホテルは駅から遠いのでタクシーに乗り込み市街地を眺めながらホテルまで連れていってもらう。市内はゴミが多くあまりきれいではないと感じた。

◆土地勘をつける
ホテルには17時すぎチェックイン。アンコーナは港町だけあって坂の町でホテルからもはるか下の海へガァーと下がっていき、行動にも制約がありそうだ。
一休みして、恒例の夕食のリストランテ探しを兼ね3人で探索に出かける。初めての町でこうやって出かける時が一番ワクワクする。

インターネットでチェックし、プリントアウトしておいたアンコーナのリストランテ地図を持って行ったが、そのうちの1軒はホテルのすぐ近く。簡単に見つかったがわざわざ遠くから来て訪れるほどの店構えではないので候補から外す。カヴール広場を抜け、マッツィーニ通りからガリバルディ通りを進み、結局、海の方まで降りてしまった。ガリバルディ通りは歩行者天国、さしずめアンコーナの銀座といったところか。

Ancona ガリバルディ通り

 

探していたリストランテのあるプレビシート広場がホテルでもらった地図(このCityMapはきわめて見にくい)には載っていない(あとで分かったがピアッツア・デル・パパに改称されていた)。
帰りはガリバルディ通りの一本隣のスタミラ通りで戻る。この通りは少し近代的で幅も広い。

土地勘も少しついたのでホテルに戻り地図をもう一度チェックして作戦会議。プレビシート広場がパパの広場だろうと見当をつけ、広場に面しているはずのリストランテLaMorettaに行くことに決めた。

◆ ボリュームたっぷりの郷土料理
ホテル横のサン・ドメニコ通りを下るとそのうちサン・ドメニコ教会の横に出た。この教会のファサード前の巨大な階段部分に大きなローマ教皇(パパ)の座像があった。多分、前教皇ヨハネ・パウロⅡ世の偉業をたたえたものだろう、それで広場の名前も変えたのではないかと想像する。

教会の前には、縦長の広場が広がっている。教会を背にして左側に大きなパラソルを張り出しているリストランテが2軒あり、手前の方が目指す店のようだ。
予約していないことを伝えると、パラソルの下のテラスで一番内側の席に案内される。

Ancona LA MORETTA

 

メニューを見ると、魚、肉、Terra、Brodettoの4種類のコースがあったが、ここは迷わず郷土料理のBrodettoのコース(28ユーロ)を注文する。プリモ、セコンドとデザートしか載っていなかったのでそれだけでは足りないかなと思いアラカルトの前菜からエビの一品を頼むとカメリエーレが何やら言ってくる。『前菜が何たらかんたら・・・』。まず、それが出てきた。なんとエビ一尾、その下に白いタコのカルパッチョ。『一尾だからシェアするのはムズかしいよ』ときっと教えてくれていたのだろうか。

Ancona LA MORETTA 前菜のエビ

 

コースの前菜は大きな丸い入れ物(中がいくつかに仕切られている)にツブ貝、ムール貝やら何種類もの魚介類。種類も多いが量もかなりのものだ。

Ancona LA MORETTA 前菜盛り合わせ

 

プリモは手長エビのリングイネ。これまた見事なボリュームだ。ソースに手長エビのエキスが移り美味い。
メインは待望のBrodetto、分かりやすく言えばブイヤベースだ。てっきり、鍋で出てくると予想していたが、大きな横長のお皿にタップリ。エビ、魚が3種類、エキスが出て本当に美味い。

Ancona LA MORETTA Brodotto

 

あまりにも食べるものが多く、3人で1本のワインを飲みきることができない。
海の幸の美味しさを堪能したアンコーナのチェーナだった。

グアスコの丘
ホテルのテラスで朝食、ホテル自体は大したことはないがここでの朝食は晴れていて気持ちがいい。

朝食後、観光へ飛び出す。昨日と同じく、マッツィーニ通りへ出た。通りの朝市は衣料品中心で興味をひかないが、間もなく右手に常設の市場があり、覗くとさすがに海の町だけあって魚が目立つ。舌平目、小さな魚、エビ、シャコなどが多い。その他、野菜、チーズ、肉、食料品などの店がある。

Ancona メルカートの魚屋

 

そのうち昨日の夕食の広場(プレビシ-ト広場)に出た。観光ポイントとしては北の丘(グアスコの丘)、はるか上に見えるサン・チリアコ聖堂を目指すことにした。もちろん《歩き》だ。プレビシ-ト広場を過ぎてから右へ曲がりピッツェコッリ通りを進む。この通りはそれほど広くない。ゆるやかに登っている。

Ancona グアスコの丘(サン・チリアコ聖堂)
間もなく右手にサン・フランチェスコ・デッレ・スカーレ教会が現われる。この教会はファサード前の階段がものすごく大きい(そのために“スカーレ”と呼ばれているのではないだろうか)。帰りに寄ることにしてそのまま進み国立マルケ博物館を過ぎたところの広場から石段を上がる。

ようやくサン・チリアコ聖堂の前の広場に出た。ここからは港や海岸線がよく見える。中に入ると左翼の主祭壇で葬儀か法事をやっていた。
ギリシャ十字のロマネスク様式である聖堂の外観は白っぽいピンクというかクリーム色の大理石だが中は対照的に灰色のレンガのようだ。天井は寄木細工の格子天井だ。

Ancona サン・チリアコ聖堂①Ancona サン・チリアコ聖堂ファサード

また広場に出て海を眺めるが風が強い。近くにローマ円形劇場の遺跡があるというので降りがてら行ってみたが途中で迷ってしまった。看板がなければわからない。

Ancona ローマ円形劇場

 

トラヤヌス皇帝の凱旋門
次にさきほどの広場の真下、港の北端にあるトラヤヌス皇帝の凱旋門に行くことにした。真下といっても降りられるわけではない。来た道をちょっと戻り、適当なところで階段を見つけ、一段下の通りに出る。これを何回か繰り返したら何とか凱旋門に通じる道路に出た。貨物の引込み線があったり、トラックがバンバン通る結構広い産業用道路に凱旋門がある。二千年近くも経っている割には良く残っていて感心した。もっと先にはクレメンス12世の凱旋門があるがこれはパス。

Ancona トラヤヌス皇帝の凱旋門②

Ancona トラヤヌス皇帝の凱旋門③

◆ヴェネツィアン・ゴシックを見る
港に下りてしまったものの行きに通り過ぎたサン・フランチェスコ・デッレ・スカーレ教会に戻る。さっき通り過ぎてから何と1時間10分しか経っていない。
この教会は大きくて広い階段の上にのっかっているように見える。ファサードは上三分の一が茶色ぽい石造りで質素に見えるが、下の方は白く、そしてあでやかな浮き彫りで豪華に飾られている。
中もファサードの下の部分にあわせたような白さと柱廊の力強さが印象的だ。

Ancona サン・フランチェスコ・デッレ・スカーレ教会ファサード②

Ancona サン・フランチェスコ・デッレ・スカーレ教会内陣

この教会のあとは同じ通りにある市立絵画館に行ってみた。中に入ると、切符売場にはおばさんが二人。そのおばさんが『パオロ!』と呼ぶと男が出てきて入場券を売ってくれた(一人4.5ユーロ)。彼が先導してくれ2階へ上がる。
この絵画館にはヴェネツィア派のティツアーノの《聖母と聖人達》が展示されていた。
さらに上の階には18世紀以降の近代絵画があるのでどうかと訊かれたが遠慮して絵画館をあとにする。

ピッツェコッリ通りを小さな路地で右折すると突き当たりにロッジア・ディ・メルカンティのファサードが正面に見える。この彫刻もさきほどのサン・フランチェスコ・デッレ・スカーレ教会と同じくヴェネツィアン・ゴシックで素晴らしい。ただ、このロッジアが面している通りは狭いので全景をカメラに収めるのは難しい。

Ancona ロッジア・ディ・メルカンティ②

 

◆サン・ドメニコ教会
いつものように一旦ホテルに戻り、チェック・アウト、スーツケースを預け最後の観光へと飛び出した。また同じ道をまっすぐ下りサン・ドメニコ教会へ。

Ancona サン・ドメニコ教会

 

中に入ると教会の番人とおぼしきおじいさんが現われ、《受胎告知》の絵(グエルチーノ作)のライトをつけてくれた。

Ancona サン・ドメニコ教会 受胎告知

それから主祭壇にあるティツアーノの《磔刑図》の説明をしてくれ、さらにいろいろと説明してくれた。曰く、『ナポレオンが持ち去った』、『ピエタは爆撃にあい、20世紀末に作り直した』などなど(正確に理解できたか疑問ではあるが)。

Ancona サン・ドメニコ教会 十字架上のキリスト②

◆最後の観光
まだ昼食まで時間がありそうなので今度はポルタ・ピア(ピア門)の先にある五角形の要塞(モーレ・ヴァンヴィテッリ)に行ってみる。この要塞は港の一番手前に位置しているという感じで、そこまでは大きな道路を進む。ポルタ・ピアを通り抜け、要塞に近づいてみたが残念ながら何か工事中で中には入れなかった。
要塞の手前のポルタ・ピアは意外にどっしりとしていた。

Ancona ピア門

 

アンコーナの観光はこれにて終了。マッツィーニ通りの一番下にあるCreameriaRosaのカフェテラスで昼食、晴れていてさわやかで気持ちがいい。

◆ペーザロ経由ウルビーノへ
ホテルに戻りスーツケースを受け取り、タクシーでさきほど歩いた要塞そばを通り過ぎてアンコーナ駅へ。
13時43分発の電車が遅れていたので間に合いそうだったが自販機で切符を買うのに手間取り、ホームに出たとき電車は行ってしまう。結局予定していた次の14時21分発の電車に乗り、ペーザロへ向かう。

◆泊まる
ホテル Hotel City, via Matteotti, 112 ★★★
1泊Twin 96ユーロ、Single 60ユーロ
ミシュランに載っていたのでメールで予約。正直言ってあまりいいホテルではない。

◆食べる
●リストランテ
お店の名前 LA MORETTA, Piazza del Prescibito (del Papa) 52
食べたもの 本文記載の通り。

 

Ancona LA MORETTA 手長エビのリングイネAncona LA MORETTA ジェラート

ワインは赤というと何も訊かずさすがに地元のRosso Coneroが出てくる。

Ancona LA MORETTA Rosso Conero

 

カフェ、水、コペルト込みで3人で130ユーロ。

お店の名前 CreameriaRosa, (住所不明)
食べたもの 手長エビのリゾット(8.5ユーロ)、ラザーニャ(6.5ユーロ)、海の幸サラダ(8.5ユーロ)

Ancona CreameriaRosa 手長エビのリゾット②

Ancona CreameriaRosa ラザーニャAncona CreameriaRosa 海の幸サラダ

ハウスワイン1リットル(6.5ユーロ)、水、コペルト込み3人で35ユーロ。

Modena (モデナ) 2007/9/9~10

◆2007年イタリアの旅、初日
モデナはバルサミコで有名な町。そして三大テノール歌手の一人パヴァロッティの生まれた町だ。最初のプランでは7泊9日の今回の旅、最終日に泊まる予定だったが、泊まろうとしたホテルの予約が取れなかったので、旅の順路を逆にして最初の訪問地に変えた。
ちょうど数日前に三大テノール歌手の一人、パヴァロッティが亡くなり、モデナに着いた前の日にドゥオモで葬儀が行われている。

前日にミラノ、マルペンサ空港に到着。昨年にならい、見本市等でホテル代の高いミラノを避け、ノヴァーラの同じホテルに泊まり、翌朝ミラノ乗換えモデナに向かう(ノヴァーラはミラノから意外に近い、40分ほどでミラノ中央駅に着くことを考えるとミラノ市内ではなくノヴァーラに泊まるのは我ながらいい考えだと思う)。
ホテルを出ると1年前と同様ヒンヤリと冷たい空気。空は青く晴れている。去年のノヴァーラ駅は修復工事中で全体像が見えなかったがなかなかいい建物だ。

Novara 駅

8時16分発のトリエステ行きICに乗ると8時50分にはミラノ到着。11番線の9時10分発のICに乗り換える。
快晴の下、列車は走る。ポー川か?鉄橋の上で急停車。そのとき眼下の川ではボートの練習をしているのに気づいた。フォアと二人用、若いころにたまに遊びでやったので懐かしい。

数年前に降りたパルマを通過。定刻の10時51分、モデナに到着。例によってスーツケースを引っ張って地図をみながらホテルに向かう。

◆ホテルまで道に迷う
ホテルは旧市街、15分くらいで着くはずがどこでどう間違えたか場所がわからなくなる(右側に公園があったが、ホテルに向かおうとしたルートにはそんな公園はなかった)。向こうから来た年輩の女性に尋ねたら『自分もよそ者だ』、次に愛犬と散歩中の中年男性に尋ねると『次の信号を右折して左折』と教えてくれた。
教えられた通り進むとローマ広場(車が沢山駐車)と左右に広がったドゥカーレ宮殿の前に出た。

Modena ドゥカーレ宮殿①

 

そこからエミリア通りを歩き、少し行き過ぎたところでようやく看板を見つけ、11時25分ホテル・リベルタ到着、チェックイン。

◆世界遺産のグランデ広場
荷物を部屋に置き、身軽になってモデナ観光スタート。先ほどのエミリア通りを渡ると何とそこは世界遺産のグランデ広場。日曜とあって広場には大勢の人がいる。

右手にドゥオモの裏側そして左手には市庁舎(てっぺんには風見の塔、ラ・ギルランディーナの塔)が広場に面していて全体が世界遺産として登録されているようだ。《グランデ》というだけあってかなり広い。絵になる場所ですぐに写真を何枚か撮る。

Modena ドゥオモ②

Modena ドゥオモとラ・ギルランディーナ

ドゥオモに入ってみたがそこは後陣そばの左の入口だったようだ。内部の見学は後回しにして東の入口(正面)から出る。正面ファサードは修復工事中で特徴あるバラ窓を見ることはできない。

Modena ドゥオモ⑤

Modena ドゥオモ鐘楼

◆さっそく町歩き
ドゥオモを出てエステ家総合博物館に行こうとしたが13時終了なので場所の確認にとどめることにしてエミリア通りを左に進む。まるで歩行者天国のように車が少ない。朝のノヴァーラと同じく快晴だが暑い。

総合博物館の場所を確かめたあと町歩きを兼ね夕食に考えていたミシュラン一つ星のリストランテFINIを探し、見つかったので20時30分で予約。

Modena FINI 入口

 

グランデ広場を目指して歩く。
そうこうしているうちにモデナという町がほどよい大きさの町であることがわかった。

適当にお腹もすいてきたのでホテル近くにいくつか店があったのを思い出しそのうちの1軒でお昼にする。マッツーニ広場に面した屋外テーブルのため気持ちがいい。

◆市庁舎の歴史室
ホテルへ戻り一休み。すこしまどろんだようだ。元気になり再び観光へ。
まず、市庁舎の階段を上がり歴史室に入る。入口で入場チェックをしているガードマンに入場料(1名1ユーロ)を払う。入ってすぐ名簿にサインした。
いくつかの部屋を見学する。

炎の間(暖炉があるからこの名前なのだろう)にはモデナの戦いの絵が描かれている。左の部屋の天井画はまるでシスティーナ礼拝堂のミニ版みたいですごい。

Modena 市庁舎歴史室 戦いの絵

Modena 市庁舎歴史室 天井

最後の部屋に行く途中のテーブルに新聞が置いてある。1面は前日行われたパヴァロッティの葬儀の記事と写真だ。やはりモデナの人々にとっては『巨星墜つ』ということなのだろう。

続いてラ・ギルランディーナの塔に登ろうとしたが入口がわからずあきらめエステ家総合博物館へ向かう。

Modena ラ・ギルランディーナ

 

◆エステ家美術館
エステ家総合博物館の端のドアに入ると中は一廊式の教会(サン・タゴスティーノ教会)だった。写真をとるが少し暗い。

Modena エステ家美術館

Modena サンタゴスティーノ教会③
次いで隣の総合博物館に入るとすぐのところにパヴァロッティ逝去に対する市の弔意文が掲示されていた。

Modena パヴァロッティ氏の追悼文
ガレリアと市立美術館があるが当然それはセットだと思い込み、係の人に『ガレリア!』と勢いよく訊かれ『そうだ』と答えたので1名4ユーロ、計12ユーロでガレリア(エステ家美術館)だけ。
エレベーターで5階に上がる。入口の係のおじさんに何か言われ何度か聞き直すと『ショルダーバッグをロッカーに預けるように』とのことで結構厳しい。

 

まずは、彫刻や焼物の収集品が展示されている通路みたいな展示室に入る。

Modena 総合博物館のガレリア

 

マテーラ国立ドメニコ・リドーラ博物館で目にしたような赤茶色い壷があった。正面には大理石の彫像があり、ここを右に曲がって進むと教会の祭壇画だ。続いてキリストやキリスト教を題材にした絵が展示されている。そのうちの1枚に「サンドロ・ボッティチェッリの・・・・」と書かれたプレートがあったので指さしたところ近すぎたのかセンサーが働き、いきなり警報が鳴り出しびっくり。

ティントレット、ベラスケス、コレッジョやエル・グレコの作品なども多い。所狭しと展示されているのでフィレンツェのピッティ宮殿の絵画展示を思い出してしまった。
(バルサミコのラベルでよく目にするフランチェスコ1世の肖像画も展示されていた。これはベラスケスの作品)

◆教会探訪
モデナには教会が多い。ホテルでもらった観光案内のパンフレットには12の教会が紹介されていて地図上に場所が表示されている。

ガレリアを見終えて総合博物館を出てパンフレットの地図を見ながらすぐ近くのサン・バルナバ教会に行く。中に入らず通りからファサードを見るにとどめる。

Modena サン・バルナバ教会

 

次いでルッジェラ通りからセルヴィ通りへ道なりに進みサン・バルトロメオ教会に行ったが入口前に車が止まっていたこともあって外から見る限り教会とはわからない。建物はバロック様式だ。中に入ると全体に灰色、右側にピエタの彫刻がある。

 

それから町の南のはずれにあるサン・ピエトロ教会。ルネッサンス様式とのことだが、淡いレンガ色のファサードは非常にシンプルな印象を与える。バラ窓ではないが大きな丸い窓も印象的だ。中に入ってみたが日曜とあってミサの最中で申し訳ないのですぐに出る。

Modena サン・ピエトロ教会①

 

◆カフェでビール
大回りしてドゥカーレ宮殿前のローマ広場へ出る。通りの温度計によると気温は28度。のども渇き、歩き疲れたので恒例のカフェでビール。ワインの国、イタリアでもこういう時は冷えたビールがいい。

適当なところがなかったのでグランデ広場へ。カフェは2ヵ所あったが陽射しがきついので日の当たらない方を選び一息入れる。グラスの大きいことに驚く。
19時に一旦ホテルに戻り、夕食に備え身体を休める。

◆ミシュラン一つ星のチェーナ
20時30分に予約しているので15分前に出かける。またまた、グランデ広場を抜け、カナル・キアロ通りを進む。リストランテに曲がる角は食料品店《FINI》だ。ここのショウ・ウィンドウは、冷蔵庫になっていて、切りかけのチーズ(2種)、生ハムやサラミなどがそのまま見えておもしろい。

リストランテに入るとスムーズに案内される。入ってすぐの部屋の一番奥、馬蹄形のテーブル、いすだ。インテリアはシックだ。さすがミシュランの星(何となくヴェローナの二つ星、IL DESCOに似ている)。

メニューを渡され一生懸命見ている時、食前酒をすすめられた。『イタリアのスプマンテかフランスのシャンパーニュか』と言われたのでスプマンテにする。スプマンテがいいのかグラスがいいのか、細かい泡がグラスの真ん中から立ち上がる。

まず、アミューズとして何か揚げたもの3種類が人数分出され、手でつまむ。一つは餃子のような形でチーズとバジル・ソースで美味しい。

Modena FINI アミューズ

 

コースは80ユーロだったがまだ3人とも胃腸が本調子でないのでアラカルトで頼むことにし、前菜とセコンドをそれぞれ頼み、デザート、食後酒(グラッパ)、プティフールでお腹いっぱいで、食後のカフェ、水もお断りしたほど。

Modena FINI グラッパ
大いに満足して22時半すぎ店を出てホテルに戻る。

◆メルカートへ
翌朝、8時半前にメルカートへ。グランデ広場の左奥の路地を進むと左側にみつかった。立派な鉄製の門がありその中の建物がメルカートだ。ここは常設の市場で色とりどりの果物、野菜、チーズ、肉、生ハム、そして魚、と何でもある。

Modena メルカート①

Modena メルカートの魚屋さん

まだ、旅行は始まったばかりなので他の町で買えるものは見るだけにとどめ、モデナ特産のバルサミコを買うつもりだった。

ちょうど中央の売場一角にバルサミコを見つけ、試食。40年ものを自宅用に、20年ものをお土産用に買う。ショウ・ケースの下の方に、からすみ発見。値段を聞いたら1本、日本円で1000円くらいとのこと、荷物にもならないので買う。

Modena メルカートのバルサミコの店

Modena バルサミコ(40年熟成)

◆ドゥオモ見学
前日はさらっと中をみただけなので改めて中に入る。内部はレンガの壁、3廊式。柱はレンガの太い柱と大理石の柱が交互で、太い柱は天井のヴォールトを支えているデザインだ。

祭壇前には、キリストが十字架を背負わされ刑場へ向かう彫刻。説教壇の彫刻もすごい!さすがに司教座大聖堂だけあって全体に重厚な感じだ。

Modena ドゥオモ内部

Modena ドゥオモ説教壇

モデナは小さな町なので、いろいろと歩き回ることができる。今度は方向をがらっと変え、ドゥカーレ宮殿(ここは入ることができない)近くのサン・ドメニコ教会へ。兄がデジカメのバッテリーを替えにホテルまで戻ったのでその間じっくりと見てからホテルすぐ近くの小公園で待つ。

Modena サン・ドメニコ教会

Modena サン・ドメニコ教会主祭壇

◆一仕事したあとのランチ
11時半近くになり、メルカート前にあるトラットリアで食事をとるつもりで2階に上がり店の中を覗くと一生懸命仕込みの作業中だ。
『何時からですか?』と尋ねると正午とのこと。まだ30分もある。

ブラブラするよりも駅へアンコーナまでの切符を買いに行こう、と話がまとまり早足で往復し、お店に戻るとちょうど12時。本日の客、第一号となる。

奥の窓側のテーブルに案内されると、さっそくマンマが『プリモ・ピアットは~~~』と口上。モデナの郷土料理を注文し、夕べに続きモデナのグルメ三昧。
荷物をホテルに戻ることを考えると遅くとも13時25分には店を出なければ、と思っていたが、第一号の客だったためかスムーズにお皿が出てきてデザートを食べても13時10分には勘定を終える(イタリアにはめずらしくレジで勘定)。

◆アンコーナへ
ホテルへ戻り、スーツケースを受け取り、13時30分、駅へ。駅に着くと切符売場は並んでいたのでランチ前に一仕事したのは正解。
14時05分の列車でアンコーナに向かい、モデナをあとにする。
モデナは観光も、食事も、町歩きにもいい町だった。メルカートも良かったのでいろいろ買い込むためにも今度は最終日に泊まりたい町だ。

◆買う
お店の名前 Famiglia Bertani, mercato coperto via Albinelli,13
バルサミコ40年もの100ml 58.4ユーロ
バルサミコ20年もの40ml 9.4ユーロ
からすみ 6.2ユーロ
メルカートの中の店、バルサミコを選ぶに際し何回も試食させてくれた。

◆泊まる
ホテル Hotel Liberta, via Blasia,10 1泊Twin 101ユーロ、Single(Twin) 80ユーロ
Best Westernのホテル、Best Westernのサイトにて予約したがうまく予約が入っていなかった。プリントアウトして提示した予約記録は日本語のためフロントの小父さんにわからせるのに一苦労。
見つけるのに苦労したがわかってみると簡単。ロケーションもいい。
朝食の場所は狭いスペースを鏡で広く見せている。

◆食べる
● リストランテ
お店の名前 Uva d’oro, Piazza Mazzini,38 (ピッツエリア)
食べたもの 生ハムとメロン(7ユーロ)、フンギのピッツア(5ユーロ)、トルテッローニ(モデナの伝統的なのを注文。大きめの水ぎょうざ、パンチェッタの細切りが入ったソースが美味しい、7ユーロ)。

Modena Uva d'oro 生ハム&メロン

Modena Uva d'oro トルテッローニ
水、ワイン(地元のランブルスコ、12ユーロ)、エスプレッソで3人で合計43ユーロ。

お店の名前 Trattoria ALDINA, via Albinelli, 40
メルカートのすぐ前の建物の2階、池田匡克さんの『イタリアの市場を歩く』に紹介されていた店。
食べたもの プリモとしてタリアテッレ・コン・ラグー、トルテッリ・イン・ブロード、トルテッロ各1品、セコンドはボッリート・ミスト(生っぽいソーセージのようなザンポーネ、ゆでた牛タン、牛すね、鶏の4種類。野菜ソースとオリーブオイルをかける)、スカッロピーナ各一皿をシェア。

Modena ALDINA タリアテッレ・コン・ラグー

Modena ALDINA ボッリート・ミスト
『イタリアの市場を食べ歩く』に書かれていたように、メニューがなく、マンマが言うのを聞き逃さず注文する方式で、モデナのページのコピーが役立った。

トルテッロはうまい!トルテッリ・イン・ブロードはスープの味がうすいためパンチが今一つ。タリアテッレのラグーは我が家の味と良く似ている。チーズをかけると一層うまみを増す。スカッロピーナは仔牛の薄切りにバルサミコの酸味でこれまたうまい。パンもおいしいのでこのソースをすくうように食べる。
ワインはまたもランブルスコ、昼だというのにすいすい入り3人で2本飲む。
ドルチェは2人、ズッパ・イングレーゼとティラミス。これはかなり甘い。

 

Modena ALDINA ズッパ・イングレーゼ Modena ALDINA ティラミス
水、カフェ込みで3人で合計58.4ユーロ。
気軽にモデナの味を楽しめた、もう一度行きたい店だ。

お店の名前 Ristorante FINI,Piazzetta San Francesco-Rua Frati,54
食べたもの アミューズとして揚げもの3種類(サービス)

前菜はそれぞれ、カンノーリ(中はゼラチン状のゴルゴンゾーラ味、15ユーロ)、生ハム(14ユーロ)、フンギのパンケーキ(ミンチ状で野菜ソースで食べる、18ユーロ)、プリモは3人ともパス。セコンドの前にフンギのポタージュ(ふたがきのこ、サービス)

Modena FINI 前菜(ゴルゴンゾーラ味のカンノーリ)

Modena FINI 前菜(フンギのパンケーキ)

セコンドはそれぞれ、まぐろづくし(まるで懐石料理のよう、36ユーロ)、豚フィレをパンチェッタで巻いたグリルのバルサミコソース添え(30ユーロ)、フンギのフリットとフンギのソティーに金目鯛(34ユーロ)

Modena FINI セコンド(まぐろづくし)

Modena FINI セコンド(フンギと金目鯛のソテー)

デザートとしてパルミジャーノ一皿(洋なし、いちご、キュゥイ添え、16ユーロ)。いちごの中に入っていたバルサミコをそれぞれパルミジャーノにかけているとカメリエーレが『バルサミコいるか?』と訊いてくれたのでお願いしパルミジャーノにかけてもらう。

Modena FINI デザート

 

お腹いっぱいなのでドルチェをパスし、食後酒としてグラッパ。いろいろなものがあり、ベルタのBarolo(ネッビオーロ)、Moscata D’Albaを各1杯(量が多い、各8ユーロ)。
食前酒はスプマンテ(1杯9ユーロ×3)。
ワインはエミリア・ロマーニャ州のSan Giovese,2003(どっしりしている、31ユーロ)

Modena FINI SanGiovese

Modena FINI プティフール
プティフール(サービス、2種類×6個)
3人で合計239ユーロ
ミシュラン一つ星のリストランテに大いに満足。
このリストランテの同じ建物にはホテルがあり、通りから高級食料品店、高級リストランテ、高級ホテルすべて《FINI》だ。

◆読む
本の名前 『イタリアの市場を食べ歩く』 池田匡克、池田愛美著
東京書籍 1900円
モデナを始め、フィレンツェ、ジェノヴァ、トリエステ、などイタリア各地の市場とその周辺の食堂などを取材したまさに《食べ歩き》の1冊。読むよりも実際に現地に持ち込むのがベター。今回はモデナのページのみコピーしていったが、ボローニャのコピーも持っていけば良かった。

本の名前 旅名人ブックス『ボローニャ/パルマ/ポー川流域』時田慎也著
日経BP社 1600円
今回の旅のために購入。ボローニャとモデナの項を参考にした。
次回以降も参考になるだろう。