月別アーカイブ: 2016年10月

Firenze  Enoteca Pitti Gola e Cantina

Firenze  Enoteca Pitti Gola e Cantina

Firenze(フィレンツェ)2015/11/19, 2016/9/17

お店の名前 Enoteca Pitti Gola e Cantina, Piazza Pitti 16, Firenze

http://pittigolaecantina.com/

この店はワインバー。リストランテでもトラットリアでもオステリアでもないがまた行きたい店。

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2015年の旅でAntinoriの店で隣に座ったカナダ人から教えてもらい翌日夕方アペリテーヴォで訪問。

2016年の旅では、フィレンツェ初日に遅めのランチで訪れた。

◆食べたもの

イタリア初めての友人とのふたり旅だったが、何を注文するかが中々決まらず、最後に『エーィ!!』とばかりに注文したのは《グラス4杯つきランチ》。

食事は、前菜、プリモそれぞれ2種類から1つ、最後にドルチェかチーズ。

ワインは、泡、白、各1杯、赤2杯(種類)であわせて35ユーロ。

前菜は、牛肉のタルタル、プリモはイカ墨のリゾットをチョイス。いずれも美味い。

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ドルチェはやめて、チーズを選ぶ。ペコリーノとトスカーナ牝牛の乳で作った36ヵ月熟成のパルミジャーノなど。

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◆ワイン

4杯つきだから少量ずつだろうと思っていたら普通のグラスで普通の量。しかも、ソムリエが1杯ずつ、そのワインがどこでどのように作られたか、など事細かに説明してくれる。

1杯目 ピエモンテのスプマンテ、ぶどうはシャルドネ。甕を地中に埋めて熟成させたもの。

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2杯目 フリウリ・ヴェネツィア・ジューリアの白(ピノ・グリージョ)。

色は、黄色とロゼの中間くらいか。ぶどうの汁だけではなく皮も全部入れて熟成させるのでこの色になるのだそうだ。

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3杯目 Chianti Classico Riserva テーブルに持ってくる前にグラスを何度も回して空気にふれさせている。

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4杯目 最後は何とBrunello di Montalcino。3杯目まで飲んだところで若干の期待はしていたものの(希望的観測)まさかのブルネッロだった。

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『フィレンツェに行ったらまた行くぞ~』と思い、ローマ、ミラノからフィレンツェに戻ったこの旅の終盤にも訪問、アペリテーヴォを楽しんだ。

Certosa del Galluzzo (チェルトーザ・デル・ガルッツォ) 2016/9/27

Certosa del Galluzzo (チェルトーザ・デル・ガルッツォ) 2016/9/27

 

◆行く

2016年のイタリア旅行で訪れたのは、同行の友人がイタリア初めてだったため定番のローマ、フィレンツェ、ミラノ。その友人が帰国したあとしばらくフィレンツェにとどまったが思い立ってチェルトーザ修道院(Certosa del Galluzzoに行くことにした。

 

チェルトーザは初めてだ。『歩き方』を見ると、フィレンツェから市内バスで行けるらしい。

念のため泊まっていたホテルのレセプションで訊いてはみたもののNo.37のバスがS.M.N.駅の辺りから出ているらしいということしかわからない。

駅近くのS.M.N.広場の近くで運よくバスを見つけ乗り込み約30分、いくつかのバス停を過ぎ“Certosa”で降りる。

 

◆一時迷子状態に

学校帰りの中学生の後ろをついていったものの行き止まり状態。バスからもう一人降りた女性が同じようにとまどっている。どこに行くのか尋ねられ、ちょっと単語が怪しかったが『修道院へ』と答えるとどうも同じらしい。

近くに老人が座っていたので訊くと『下って左』とのこと。要はバス停の向こうだ。行ってみると一つ手前のバス停“Ponte Baily”に目指す修道院の門があった。

 

天気が良く、周囲の眺望もいい。修道院は右手の上の方に見える。

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ふたりで一緒に歩き始めてから『英語は話せますか?』と訊かれ、てっきりイタリア人が外国人に対しての感覚かなと思った。あまりしゃべれないので『イタリア語を少し』と答える。その後はイタリア語で会話。女性はオーストラリア人だった。イタリア語は何とペルージャで3年勉強したとのこと。『私もペルージャで5ヵ月勉強しました』と会話が弾む(といっても半分くらいしか分からなかったが)。

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◆修道院に到着したが

ゆったりとした道を上り、13時修道院に到着。建物入口近くの壁に出がけにネットで見たのと同じ拝観時刻表が掲示されている。

よく読むとその時間帯は閉まっていて次に開くのは15時の館内ガイドツアーのようだ。

山の上とあってまわりに時間をつぶすようなところは何もない。

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◆チェントロでランチ

『私はチェントロに行ってランチをしますが』と言って彼女と別れ、さっき上ってきた道を下り、バス停に出て大きな道路を歩く。

地図なんか持ってもいないが、イタリア特有のリストランテやホテルを示す看板があったので勘を頼りに進むと市街地に出た。

バス停をいくつか通りすぎたが、なんと行きのバスで見覚えのある名前だった。

 

それほど大きな町ではないので食べる処は多くはない。おまけに開いているところは少ない。

結局、チェントロの端らしいところまで行って戻り、途中見つけたpasticceria(お菓子屋)に入る。

 

店の前にランチの看板が出ていて、しかも手書きでセットメニューが書かれている。

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ワインを1杯飲みながら空腹を満たして店をあとにしたが、途中の公園で少し時間調整をしてから15分前に修道院に戻る。

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◆館内ガイドツアー

15時のガイドツアーを待っている人はほかにも数人いる。

そのうち、売店も開く。売っているものは修道院で作ったものらしい。僧服をまとった人がその売店に入ったがガイドツアーのガイドさんではなさそう。

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1510分頃年老いた風貌のガイド僧(TVなどでよく見る脇役俳優―渡辺哲さんーそっくり)が現れツアー開始。

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参加者は10数名。ガイド僧からまず階段を上るように指示される。

皆が上りきったところでガイド僧がゆっくり、ゆっくりと上る。ようやく皆のところに来たらやおら大きな息をする。演技なのか、本当なのか。

 

そこから中に入ると美術館(Pinacoteca)だった。

左の壁には確か5枚のフレスコ画があり、キリストの受難が描かれている。ポントルモ作のこのフレスコ画は大回廊にあったのを移したものらしい。

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右側には、ギルランダイオ作の『聖母子』がある。

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当然ながらガイド僧の説明はすべてイタリア語。割とゆっくり、しかも大きな声なのでまぁ何となくわかる。

 

その後いくつかの部屋を進みいったん外に出るとそこは何の変哲もない中庭(小キオストロ)。

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中庭に面したサン・ロレンツォ教会(礼拝堂)へと導かれる。天井も祭壇奥の後陣もフレスコ画(?)で覆われている。

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礼拝堂を出て移動するが、壁にはロッビアのものと一目でわかる作品もある。

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大きな中庭(大キオストロ)に案内されたが、ここは小キオストロとは全く違っていて植栽、彫刻などできれいに整備されている。

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その回廊を取り囲むようにかつての修道士の1DKのような住まいがある。

以前訪れたパヴィアの修道院では修道士の住まいを見ることはできなかったたが、ここでは中に入ることができた。

部屋の一角にはベッドルーム。食事をとるテーブルは壁に収められていてそれを下すと簡素なテーブルになる。ガイド僧が実演して見せてくれた。

かつての修道士の暮らしを垣間見ることができた。

 

これにて約40分のガイドツアー終了。このツアーは無料だが最後にガイド僧に若干の喜捨をした。

元の場所に戻ると次の回の人たちが待っていた。

 

◆帰りもふたり

売店でお土産を買い、オーストラリア人の女性と別れ、バスに乗るためまた市街地へ。

バス停で待っているうちに彼女がやってきて一緒にバスに乗り込む。

バスの車内でも会話。3年もペルージャで勉強していた彼女は、訛りはあるものの普通にイタリア語で喋るのでよく分からないところもある。

フィレンツェのどこかのヴィッラにボッティチェリの絵を見に行くと言い、バスを乗り換えるとき『じゃまたフィレンツェで!』と言って降りていった。

16時半すぎS.M.N.駅到着、チェルトーザへの半日小旅行を終えた。

 

◆フィレンツェで再び

翌日午前サンタクローチェ教会近くを歩いている時、例の彼女を見かけたので“Buongiorno!”と声をかける。

お互いびっくりだ。彼女は1011日までフィレンツェにいるとのことだった。

あまり時間がなかったのでメールアドレスの交換をして別れた。

 

 

◆食べる

●お店の名前 Pasticceria Morandi Via Senese 134R,Firenze

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お菓子屋だが、この時間帯に開いている店が少なく、店の前に手書きのランチメニューがあったので入る。

メニューをよく見てから入れば良かったが、カメリエーラが注文を取る際は口頭のみ。

 

食べたもの 9ユーロの定食。プリモはペンネ、セコンドはカプレーゼ、これに500mlの水が付く。

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白ワイン(3ユーロ)、カフェ(1ユーロ)で計13ユーロとまずまず。

◆買う

売店では修道院で作られているものが売られているがその中から荷物にならないものを選ぶ。

ラベンダーの小袋、4ユーロ×4個。薬草酒の小瓶、2.5ユーロ×4本。

 

カブレーノからスラレーノへ改名?

 

15日間のイタリアへの旅から帰ってきた。

今までは、初めてのイタリアが3週間、ペルージャ短期滞在2回を除くと長くてもせいぜい10日間くらいだった。

だからやっぱり長かった。しかし今までのようにちょこまこ動かずに、前半はイタリア初めての友人をフィレンツェ、ローマ、ミラノを案内、後半はほとんど予定もなくフィレンツェでチョイ住みしていたのでそれほど長旅とは感じない。

 

初めての町を訪れることはなかったのでワクワク感もなかったのだが。

 

そんな中で、ガックリ感があった。

というのは、7日目ミラノですられたからだ。

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ドゥオモ周辺で観光らしきことをしたあとホテルに戻るため地下鉄に乗ったとき、路線を間違え(それがものすごく混んでいたのだが)、『さすが通勤ラッシュだね~』などといい、間違いに気づき2駅目で戻り、乗り直してホテル近くの駅で下車、改札口でチケットを入れようとして財布のないことに気づく。

『あ、やられた~』

 

財布には現金少々とメインのカード1枚、あとは地下鉄のチケット程度。

被害は大したことはないが、「カードをすぐに止めなければ」とホテルに急いで戻る。

携帯から電話してもつながらない。電話番号確認のためタブレットで検索したがあっている。よく見るとイタリア国内のフリーダイヤルだ。

そこで部屋の電話から外線“0”を押してからダイヤル。

盗難発生後30分程度で止めることができた。

 

次は、警察への盗難届。ホテルのレセプションで事情を話し、警察の場所を教えてもらう。

中央駅の向こう側、地図を観ながら近くまで行き、近くの人に教えてもらって警察に行くと『盗難届はここではない。地下鉄で2駅近くのFatebenefratelli通りにある。』

『何時まで開いていますか?』

24時間OK

 

もう時間は20時近く、それからまた警察へ行くと夕食も遅くなるので翌朝行くことにした。

 

さて、翌日。警察の場所をネットでチェック。ホテルからだと地下鉄で1駅なので歩いていく。

同じブロックに警察は2ヵ所あり、近い方は《移民》関係らしいが念のため寄ってみたが盗難届の方はもう少し先で右折2回すればいいと親切に教えてくれた。

 

その警察に行くと入り口で『何か用か?』みたいにいわれたので『昨日、財布を盗まれました』と答えると、『右側だけどその前にセキュリティチェックを』と左側で荷物と身体の検査を受ける。

 

そのうえで右側に入り、だれもいないので隣の部屋を覗くと婦警がいたので『財布を盗まれたのですが・・・』というと、『パスポートは?』、『大丈夫です』、『じゃあ、パスポートを出して』という。

パスポートはコピーするようだ。

盗難届はいろいろな言語版があり、日本語版とボールペンを渡され、その場で書くように指示される。

 

途中で『まだ?簡単でいいのよ』と催促される。

 

実は、今から17年前フィレンツェでスリにあった時は盗難届を出すのに待たされた挙句に細かく訊かれかなり時間がかかったが、時の流れか、ミラノほどの大都会になると件数が多いからなのか、いたって簡単だった。

記入後、警察のスタンプを押したものを4通用意し、すべてにサインを求められ、そのうちの1通を渡され終了。

 

これにて1件落着、あとは保険請求だけ、と気が楽になった。

落ち着いて2日後、家族にメールすると返ってきたのはカブレーノ名付け親の長男から『これで2度目だから、イタリアカブレの《カブレーノ》から《スラレーノ》に改名すべし』と。

近々、この旅行記も《スラレーノ親父のイタリア旅行記》に変更するかもしれない。