Pompei(ポンペイ)2004/8/16


 

  ◆行く

ポンペイへの行き方には大きく分けて次の3種類がある。

1.ローマから日帰り観光のバスに乗る。

2.ナポリに泊まり、ナポリ中央駅から私鉄(チルクム・ヴェスヴィアーナ線)でヴィッラ・ディ・ミステリ駅で降り、すぐ前の入口から遺跡に入る。

3.ローマから国鉄の列車で日帰りする。ナポリ中央駅で乗換えポンペイ駅で降りる。

今回は同行者たっての願いで2度目のポンペイ遺跡探訪となった。前回の一人旅では2.の方法をとったが、私鉄のストで路線バスに乗る羽目となってしまった(詳しくは「トラブル」で)。前回の経験から日本語によるガイドが必要だなぁと思い、初めはローマから日帰り観光バスに乗るつもりだったが、見たいところを見れない、所要時間の割に遺跡内滞在時間が少ない、ということで2度目の個人での日帰り観光とした。

ローマを8:45のES(ユーロ・スター)で立ち、ナポリ中央駅で乗換え11:18ポンペイ着、帰りはポンペイ発18:40、ナポリ中央駅乗換えローマ・テルミニ着21:16のESを前日予約し、乗車券を購入しておいた。

行きのESはがらがら、我々が乗った8号車には他に1組しか乗っていなかったがポンペイへ向かう各駅停車は座れないくらい満員だった。この日は聖母被昇天の日の翌日、月曜でどうもお盆休みみたいなシーズンで帰省客が多いのではないかと勝手に想像する。

ナポリ中央駅で乗換えるとき行先もわからずホームに貼られている時刻表にもポンペイ着11:18の表示の列車がないので駅員に訊ねると、丁度21番線の前で“クワッ!(ここだよ)”。見ると10:50発POALA行き。念のためもう1人の駅員に確かめ乗り込んだのだが・・・・。

列車はずーっと海を見て走る。おかしいな、ポンペイはもっと内陸のほうなのに、列車を間違えたのかなぁ、と不安にかられる。どこで左はカーブするのだろう? 急に海から離れたかと思うとスピードを上げ、定刻より少し遅れて11:20すぎポンペイ駅到着。列車はあっていて良かった。ホッ!

駅からまっすぐの通りの正面に教会が見えた。マドンナ・デル・ロザリオ聖堂だ。突き当たりの通りがローマ通り。ローマからポンペイに来てメインストリートがローマ通り、か。

商店街を通り抜ける感じだが、遺跡に入る前に早めの昼食をとることにした。予定ではたっぷり観光するつもりだったが、中では食事をするところがないと思ったからだ(実際には中にカフェテリアがあった)。

腹ごしらえを終え、闘技場前の門から入場する。門の前では日本の観光地にくらべると少ないが帽子や飲物を売っている。この日はハイキング用のつばのある帽子を持ってきていたがバッグの中に入れたままでかぶっていなかったので『帽子必要だよぅ』と身振りですすめられたがニッコリ笑ってバッグから取り出しかぶる。冷たく冷やした水は1本1.5ユーロだったが1ユーロに値切る。2人だから向こうは2本だと思ってまけたらしいが1本だけ買う。してやったり。自分はまだフルに1本あったので兄の分だけ。

12時45分、入場料1人10ユーロを払い地図をもらって入場する。まず、目の前の円形闘技場を右にぐるっと回り込み円形闘技場の中へ。前回はマリーナ門から入ったのでここは初めて。

(一般的にはマリーナ門から入るようだ。ツアーでも時間的制約からマリーナ門から入りある程度のエリアを見学するようで、見ることのできる遺跡のうち半分くらいしか見ないのではないだろうか)

だから自分にとって2度目のポンペイでありながら約半分は初めて目にするものだった。

◆ 見る(見た順)

円形闘技場 外からみると古さを感じさせないスタジアム。中に入ってみるとさすがに今もイベントで使われているヴェローナやアルルのアレーナとは違い石段の観客席には草がぼうぼう生えている。使用目的はローマのコロッセオと同じだろう。

Pompei‐闘技場① Pompei‐闘技場②

大体育場 回廊で囲われた芝生の大きなグランドといった感じだ。

Pompei‐大体育場① Pompei‐大体育場②

ロレイゥス・ティプルティヌスの家 ローマ人貴族が所有していたということで、かなりの大きさの家。両側に画を擁した噴水がある。

Pompei‐ロレイウス・ティブルティヌスの家の噴水

ヴェヌス(ヴィーナス)の家

庭の奥の壁にはヴィーナスやマルスのフレスコ画が残っている。 トレビウス・バレンスの家 アッセリーナの居酒屋 アッポンダンツァ通りの居酒屋、カウンターみたいなものは飲み物を混ぜる台だそうだ。

Pompei‐居酒屋 Pompei‐アッセリーナの酒場①

オルコニウス・ルフォスの家

Pompei_オルコニウス・ルフォスの家① Pompei_オルコニウス・ルフォスの家②

チェイユス・セコンドスの家

Pomoei-チェイユス・セコンドスの家アトリウム

ポンペイの家の中では小さな部類だそうだ。中にはアトリウムがあり、庭の奥の壁には大きな狩りの画がある。

ここを見た後、大劇場に行く途中、やや下りの車道(昔の車道、馬車の道)を歩いていた兄が敷石に躓きころんで頭から倒れてしまう。それをスローモーションの映像のように見てしまった。幸い、眼鏡のつるが曲がってしまうだけで、怪我はなかった。

劇場

紀元前3世紀に建設され、演劇が上演されていた。ここと隣の小劇場は今年も夏のイベントがあるようでポスターが貼られている。

Pompei‐大劇場②Pompei‐大劇場①

小劇場

大劇場よりは後になって作られた(紀元前1世紀)。音楽堂として使われていたようだ。

Pompei‐小劇場テラモン彫像   下4段の長老席を区切る欄干を支えるテラモン彫像が残っている。

スタビアーノ浴場

体育場、プール、浴場が一つの施設となっている。 脱衣場には大噴火の犠牲者の石膏像が展示されていて物凄く生々しさを感じる。 Pompei_スタビアーノ浴場犠牲者

クマの家

モザイクで飾られた綺麗な噴水がある。

ストルト路地のパン屋

かまど、ひきうすが残っている。

Pompei‐パン屋のかまど Pompei‐パン屋の路地①

バジリカ

ポンペイで一番古い公共建築物だそうだ。もちろん屋根はないが柱の下の部分が残っていて建物全体の大きさがわかる。遺跡の中で一番広い建物ではないだろうか。

Pompei‐バジリカ② Pompei‐バジリカ①

このあたりはマ リーナ門に近いエリア。このあたりで今回唯一の日本人ツアーの一行と出会う。

フォロ

ポンペイの中心となっていた広場。マリーナ門から入るとバジリカの先の広場ということのなる。ここから見るヴェスヴィオを望む景色は素晴らしい。

Pompei‐フォロ Pompei‐フォロからヴェスヴィオ

アポロ神殿

カフェテリアで一休みしたあとフォロを経て戻りアポロ神殿を見る。   フォロの柱廊に隣接している。バジリカの北側、マリーナ門から道に面した方から入って右側(フォロに近い方)にブロンズのアポロ像(コピー)があるが、柱廊に溶け込んでいてあやうく見落としてしまいそうになった。

フォロ浴場

フォロの北側にある。前回ここでは大勢の団体客がいて混雑していたが今回は時間も15時すぎのためか混んでいなかったのでゆっくり見ることができた。温浴室の壁には壁を支える柱が人の形をしていてアグリジェントのテラモーネ像を思い浮かべる。

Pompei‐フォロ浴場 温浴室①   Pompei‐フォロ浴場 温浴室②

悲劇詩人の家

フォロ浴場前、ノラ通りに面している。入口床には『猛犬注意!』のモザイク画、アトリウムには水槽と大理石の祭壇がある。

dc122501   Pompei_悲劇詩人の家①Pompei_悲劇詩人の家②

ファヌゥスの家

家の形はほとんどなく広い庭園のような印象だ。

玄関近くのアトリウムにはやはり水槽があり小さなファヌゥスのブロンズ像(コピー)が軽やかに踊っている。ここには大勢の観光客がいて写真をとるのも一苦労。随分と奥行のある大きな家だったようだ。

Pompei‐ファウヌスの家③ Pompei‐ファウヌスの家④

外科医の家

エルコラーノ門方向。このエリアは今回初めて足を踏み入れる。秘儀荘へ行くためだ。

この家から外科の医療器具が発見されたということだがすでにあの時代(紀元1世紀)に外科技術のあったことには驚きだ。

マミアの墓とイスタチディ家の霊殿

秘儀荘に向かう墓地通り、エルコラーノ門を出てすぐ左手の少し上がった所にある。

Pompei‐マミアの墓とイスタチディ家の霊殿

小礼拝堂風の墓

Pompei‐小礼拝堂風墓

秘儀荘

いきなり建物の中に入ってしまったが、地図を見ていた感覚からは秘儀荘はまだ先にあるものと思い込み手前のディオメデスの邸宅かなぁと思って建物の中をいくつもの部屋を見ているうちに秘儀荘であることに気づいた。ガイドのいない個人旅行ではたまにはこういうことがある。

建物自体は屋根も壁も床もかなり残っている。 待望のディオニュソスの儀式の壁画にたどりつく。L字型の壁にいくつもの《教理伝授》の場面が描かれている。照明がないせいか全体に暗くて写真で見るような《ポンペイの赤》ではなかった。しかし、絵巻物のような画だ。

Pompei‐秘儀荘② Pompei‐秘儀荘④Pompei‐秘儀荘⑥Pompei‐秘儀荘⑨

デジカメで写真を撮っていたため順路、時間がわかったものでさらにこれ以上見ているがここでは省略。

ポンペイがヴェスヴィオの噴火によりその姿を消したのは西暦79年とのことだが2000年近くも前にこのように整然とした町があり、現代と同じような、あるいはそれ以上の生活が営まれていたということは驚きだ。

当時の日本といえばまだ弥生時代で、ポンペイの遺跡からは当時のローマ人の文明の凄さがわかる。2000年の時を経ていながら、家屋の所有者が当時どんな家族構成だったか、経済状況はどうだったか研究によりわかってきているらしいが、当時の人が自分の生活を暴かれるなどを想像しただろうか?

 

8月の半ば、炎天下でたまに浴場など屋根のある遺跡に入らない限り陽射しがジリジリと照りつけてくる。トイレにも行きたくなりフォロからマリーナ門へ降りてみるが場外にトイレがあるものの中にはない。再びフォロの方へ行くとその先にいわばレストハウスがあるのに気づき、中に入ると2階にトイレがあった。かなり暑かったのでカフェテリアのスイカは美味しそう。2切れ買って(1切れ2.8ユーロ)席を探すがかなり満席。狭いテーブルの間を通りぬけ奥のテーブルで冷えたスイカを食べる。『うぁぁ!美味しい』。生き返った感じだ。ここでは軽食も取れるようだ。これは貴重な情報だと思う。

17時ころ遺跡を後にする。帰りは18:40の列車に乗り、ナポリ発19:30のESに乗り換える予定でESの指定席を予約していたのがポンペイの遺跡を見終わった以上ローマに早く戻りたかったので、その前の電車(17:39)に間に合うことがわかりポンペイ駅へ向かう。 ポンペイ駅には自動販売機がなく窓口に並んでいる。なかなか進まないのでイライラしたが、何とか間に合う。ESからICに変わるので少し安くなるが、乗車券をカードで買っていたので差額を返せない、というようなことを言っていたが、とにかく早い電車に乗れればいいと乗換えの時刻を確認してホームに急いで向かう。

ローマ・テルミニ駅に着く直前、到着ホームが空かなかったらしく15分遅れて20時50分ホームに入り、ポンペイ日帰り旅行を終えた。

◆ 食べる

お店の名前 Vecchia  America, via Roma 111, Pompei

奥へ奥へとすすめられ、中庭のテーブル席。時間が早いせいか一番のり。その後数組の客がくる。気取らない家庭経営の店。

食べたもの 前菜 海の幸(9ユーロ)、プリモ ボンゴレのスパゲッティ(8.5ユーロ)、ピッツア・ナポレターナ(4ユーロ)、コーヒー(1ユーロx2)、コペルト(1ユーロx2)、水(2ユーロ)

Pompei‐海の幸盛合せ

サービス料10%  2人で39ユーロ(ワイン込み)   ワイン   SORRENTINO,  白のテーブルワイン (8ユーロ)