投稿者「cabreno」のアーカイブ

Venezia Hotel Al Codega(★★★★)

Venezia Hotel Al Codega(★★★★) Corte Del Forno Vecchio – San Marco 4435, Venezia、

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◆宿泊日 2015/11/15~17(2泊)

Booking.comで予約、TwinのSingle use 1泊80ユーロ、ほかに市税1泊4.5ユーロ。

リアルト橋とサン・マルコ広場の中間に位置し、入口はわかりにくいもののわかってしまうとロケーションの良さを感じる。

レセプション、部屋も良く朝食の内容もヴェネツィアらしさを感じた居心地のいいホテル。

部屋は広くてきれいで家具や設備もいい。テレビ画面は鏡の中だ。

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Gubbio Relais Ducale Hotel(★★★★)

Gubbio Relais Ducale Hotel(★★★★), Via Galeotti,19 –Via,Ducale,2,Gubbio

◆宿泊日 2010/8/27

Booking.comで予約、Single 72ユーロ。

ペルージャ短期留学中、週末を利用した1泊旅行。

ペルージャからのバスを降り立ち、見上げるとコンソリ宮がはるか上だ。 ホテルはさらにその上にあって、結構登りがきつい。 一見ロケーションは悪そうだが、まったくそうではない。

チェックイン後、ホテルから下の通りに進み、建物のトンネルをくぐって出てみると、アッと驚いた。そこはグランデ広場。

左にプレトリオ宮(市庁舎)、対峙するように広場をはさんでコンソリ宮

Gubbio 執政官宮殿

 

しかもここから見える南に広がるゆったりとした緑の山並みの美しさ。

Gubbio グランデ広場から旧市街とウンブリアの山々を望む

 

翌朝、朝食後、食堂の奥へ行くとバールが併設されていてそのバールは何とグランデ広場に面している。そういえばチェックインのときホテル出入り口は3カ所あるといわれた。その一つだった。

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Taormina  San Domenico Palace Hotel(★★★★★)

Taormina  San Domenico Palace Hotel(★★★★★)

◆宿泊日 2001/7/21

 

このホテルは、映画《グラン・ブルー》の舞台にもなった元修道院のホテル。タオルミーナというリゾートにふさわしい五つ星ホテル。

 

メールで直接予約(このころはネット予約サイトが一般的ではなかった)。Twin 51万リラ(朝食つき)。

宿泊日は7月第3週土曜日だったがホテルHPでこの日がいわばシーズンオフ最終日であることを確認して予約。日程上無理だったができれば2泊はしたかった・・・・・。

絶対に勧めたいホテル。

 

泊まった部屋は380室。残念ながら新館のようでレセプションから階段を下りエレベーターを使って部屋を行き来する。地形を利用して建てられているようだ。部屋の天井が高く、また照明がいい。バスローブがいかにも5つ星といういいものを用意している。

SanDomenicoPalace室内

 

玄関に入りすぐ奥が映画にも出てきたガラスの回廊。陽射しが強くとも中はエアコンがきっちりと効いている。どこにもエアコンが見あたらなかったが、アンティーク家具のような黒い箱に納まっていて、昔の僧院を思わせる。司教の椅子、彫刻、絵が展示されている中にさりげなく商品も展示されている。

 

SanDomenicoPalace3

中庭は、手入れされていて南国の花が咲き乱れている。ここからみるエトナ山は絶景。

SnDomenicoPalaceHotelの庭

 

エトナ山

 

プールはこの中庭を下ったところにあるが、ひっそりとしていた。

 

旅好きの後輩に話したら彼は即実行、冬場だったためチェックイン時に海の見える部屋を頼んだらそうしてもらえたとのこと。

庭に面した朝食も内容、雰囲気といい抜群。スプマンテも供されていた。朝にスプマンテが出ているのは高級なホテルの証と聞いたことがある。

ホテル内リストランテも良さそうだ。

 

ホテルから当日の天候(晴れときどき曇り)、気温(22度~29度)が記された名刺大のカードを渡され記念にとっている。

従業員はリゾートらしく白のポロシャツ着用。

広尾の巨匠の店でペルージャつながりのランチ

広尾の巨匠の店でペルージャつながりのランチ

ペルージャに短期留学するきっかけとなったヴァイオリニストのAさんが一時帰国、滞在中お世話になったピアニストのYさんは数年前に戻ってきていて、3人でご飯を食べようということになった。
今回はAさんのボーイフレンド(婚約者?)のF君も一緒らしい。

彼と会うのは3年ぶりくらいか。初めて会ったのはペルージャ滞在2日目、チェントロのミニ・スーパーでAさんとばったり会った時紹介された。

前の日になっても幹事役のYさんから何の連絡もないので二人にLINEしたところ、Aさんから連絡があり『時間もないので独断で広尾のイタリアンに決めた』との返信があった。

その店のオーナーシェフがペルージャで修業の最後の頃、Aさんが留学していたというつながりらしい。

行ってみると一番乗り。シェフが挨拶かたがたテーブルまできてそのあたりを話してくれた。

間もなく全員揃い、まずは、プロセッコで乾杯。
料理はメイン込みのプリフィックス・コースに決めたところでシェフがその説明にくる。せっかくだからとF君に向かってすべてイタリア語でくわしく料理内容を説明。
その結果パスタはお任せで2種類をシェア、

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あとはめいめい好きなものを選ぶことになった。
前菜は《大分産の真鯛のカルパッチョ、フランスのタンポポのせ》、

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メインは《子羊のロースト》、

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ドルチェは《ティラミス》をチョイス。

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基本、とびかう言葉はイタリア語。半分くらいは分かるが、自分の思っていることを口に出すには時間がかかりすぎ、話題も進んでしまうので、途中からは普通に日本語でしゃべるとAさんがF君に通訳してくれるのに頼り放しだ。
あとは、美味しい料理をいただきながらワインを飲む。ワインを注文するときだけ、F君と相談した。
気が付いたら3時間も経っていた。楽しいことは時間が過ぎるのが早い。
最後にみんなで写真を撮ってお開きとなる。

F君とは“Ci vediamo a Perugia!!”と挨拶して別れた。
もうAさんもF君もペルージャに帰ったはずだ。

 

*巨匠というのは2週間前のTBS『新チューボーですよ!』《ボンゴレロッソ》で街の巨匠として紹介されていたシェフだからだ。

人生最後(?)のパスポート更新

人生最後(?)のパスポート更新

数十年来の友人から『イタリアに行ったことがないので連れて行って欲しい』といわれ、この秋にでも一緒に行こうかと考えた。
9月後半には飛び石連休があり、長く休みやすいので後半10日間ほどを予定し、お互い仕事などの調整をすることにした。

今年はパスポートの更新年、有効期限は12月下旬だが、イタリアの場合出国時に残存期間90日以上必要らしく、今のパスポートでは旅行予定時期を早めないとダメだ。
ということで、少し早すぎるが更新することにした。

都庁のパスポートセンターに行き、同じフロア内で証明写真を撮り書類と共に提出、1週間後には新しいパスポートを受け取ることができる。

今回も『10年』にしたが、実際いつまで海外旅行ができるのだろう?
毎年ラスベガスに行く少し年上の知人とそんな話題になった時、『いつまでも行きたいものの実際には70代半ば』ではないかということに落ち着いた。
とすれば、今回が人生最後の更新ということになるかもしれない。

申請時に写真を出して思ったが、これからの10年は、今までの10年以上に顔、とりわけ頭の変化が大きくなり、入国審査で《ほんとに本人?別人じゃないの?》と疑われる時期もきそうだ。

Bassano del Grappa(バッサーノ・デル・グラッパ)2015/11/18

Bassano del Grappa(バッサーノ・デル・グラッパ)2015/11/18

 

◆行く

バッサーノ・デル・グラッパに行くのは2回目。1回目は2002年、ヴェネツイア3日目午後半日日帰りでポンテ・ヴェッキオを見るためだけに訪れた。

今回はアーゾロから行ったが、アーゾロに着く前は『寄ってもいいかな~』程度で、行くかどうかはっきり決めてはいなかった。

ヴェネツイアからアーゾロに行くのに、モンテベルーナからバッサーノ・デル・グラッパ行きのバスに乗ったことで気持ちが固まった。

といっても、フィレンツェへ移動する途中の立寄りだ。

 

アーゾロから移動するのに肝心のバスの切符が入手できず、ついに掟破りのタクシーに乗らざるを得なかった(カブレーノの移動は電車、バスが原則)。

アーゾロから乗ったタクシーは11時05分バッサーノ・デル・グラッパ駅到着(料金30ユーロ、所要時間25分)。

 

◆まずインフォメーションへ

前回はチェントロに入らずこの駅から遠回りしてポンテ・ヴェッキオへ行ったが、今回はチェントロを見ようと思う。ところがスーツケースが邪魔だ。

タクシーの中からiマークを見つけていたのでまずそのインフォメーションへ向かう。

地図をもらい、スーツケースをお願いすると快く預かってくれた。

これでフィレンツェへ行く電車の時刻を決めることができたのでチケットを買うために駅まで取って返す。

いつもは自販機で買うが、目に入らず窓口へ行く。

料金の件で一言質問すると年配の窓口氏が急に怒り出し、不愉快。

 

◆ガリバルディ広場からリベルタ広場

インフォメーションそばのいわばメインストリートを通り、チェントロに入る。

比較的ゆったりとした通りで落ち着きを感じたが、すぐにガリバルディ広場だ。

右手には端正な姿の町の塔Torre Civica)が見える。

 

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インフォメーションで地図をもらったとき、ポンテ・ヴェッキオのほか、ここと左手のフランチェスコ教会、そしてグラッパ博物館、陶器博物館が必見ということで印をつけてくれていた。

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広場にはクリスマス・マーケットの店が出ているが平日の昼だからなのか皆閉まっている。

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そのまま進むとガリバルディ広場の先は幅が少し狭いリベルタ広場へとつながっている。

人通りは少ない。

 

◆懐かしのポンテ・ヴェッキオ

リベルタ広場から右折して進み、グラッパ博物館を左折するとポンテ・ヴェッキオ。

あいにく修理工事中で橋の上から見える欄干を含む景色はまったく絵にならない。

 

◆グラッパ博物館

一旦橋の向こうまで行って戻り、グラッパ博物館(Poli Museo della Grappa)に入る。

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ガイドがつくわけではなく順路に従って見る感じ、途中映像も見たりする。

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最後にはお決まりの売店。いろいろな種類のグラッパがある。中には木箱に入った高級そうなものも。

売店とはいえ説明する店員もおらずまぁ見学みたいなものだ。

グラッパを買いたいのはやまやまだが荷物になるので買わず、その代わりグラッパ入りのチョコレートをお土産用に買う。

http://www.poligrappa.com

 

インフォメーションでは見どころとしてストゥルム宮の陶器博物館を薦めてくれたので行ってみたが陶器にそう興味があるわけでもなし、建物入口を見るだけにとどめポンテ・ヴェッキオの雄姿を写す。

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◆また橋の向こうへ

そろそろお腹もすいてきた。

いったんは広場に戻りランチの店を探すがピンとくるところがあまりなく橋の向こうのピッツアの店に行く。

最初通りがかったとき結構人の出入りが多いと思っていたら切り売りの店だったが奥にテーブル席がある。

窓越しにポンテ・ヴェッキオが見える。それも楽しみながらもちもちっとした生地のピッツアを食べる。

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◆ドゥオモは?

食べ終えたら13時半、フィレンツェに行く電車は14時25分発。

あまり時間がない中、ドゥオモに行ってみたものの時間のせいか入ることはできない。

 

インフォメーションに寄りスーツケースを受け取って駅へ。

すでに乗るべき電車は入線済みだ。

電車に乗り込み、これにて今回のバッサーノ・デル・グラッパ再訪の旅は終了、わずか3時間少々の滞在だったがそれなりにチェントロの雰囲気を楽しむことができた。

◆食べる

お店の名前 Premiata Fabbrica, Via Angarano, 5, Bassano del Grappa

ポンテ・ヴェッキオの向こう側、奥のテーブル席とテイクアウト用の切り売りピッツァのあるピッツェリア

奥のテーブル席からは、ポンテ・ヴェッキオを横から見ることになるが真近かに眺めることができる。

アルコール飲み物は地ビールのみかなりの種類、ワインは置いていない。

食べたもの ブッファーラとアンチョビのピッツァ(8ユーロ)、ピッツァの生地が違う。白くなく噛みごたえがある。

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トレヴィーゾの地ビール(Bradipongo Ionda, 5ユーロ)。

 

◆飲む

お店の名前 Enoteca Antico Bar, Via Menarola, 3, Bassano del Grappa

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グラッパ博物館近くのワインバー。この旅では昼でもバーカロ、バール、カフェなどで飲もうと決めていたのとこの時はトイレを借りるためにも入る。プロセッコ(2.5ユーロ)。

 

◆買う

グラッパ入りのチョコレート Poli Museo della Grappaにて 2.8ユーロ×4枚。

本当はグラッパを買いたかったが重いのでチョコレートをお土産にする。

Asolo(アーゾロ)2015/11/17

 

Asolo(アーゾロ)2015/11/17

◆行く
2015年イタリアの旅で初めて訪れた町、Asolo(アーゾロ)
1か所くらいは初訪の地を組み入れなければ旅のワクワク感が薄れてしまう。
そこでヴェネツィアからもそう遠くないアーゾロを選んだ。
かつて見た雑誌の紹介記事には『薔薇色に輝く中世の町、・・・』とあった。

ヴェネツィアからのルートは電車に乗り、
①Castelfranco Veneto(カステルフランコ・ヴェネト)、
②Montebeluna(モンテベルーナ)、
③Bassano del Grappa(バッサーノ・デル・グラッパ)
のいずれかでバスに乗り換える。
バスの時刻、所要時間を考えて②のモンテベルーナから行くことにした。
ヴェネツィアからの電車を7年前に1泊した町、トレヴィーゾで乗り換える。

◆モンテベルーナからのバス
モンテベルーナには15時49分着、ホームに入る前に駅近くにバス乗り場があるのを見つけた。
電車を降り、ますバス乗り場に行くとどうやら16時発(バッサーノ・デル・グラッパ行き)のバスがあるようだ。
バスの切符はどこで買うのだろう?
イタリアの町ではこれが問題だ。
近くにいた若い男性に尋ねるとどうも駅の中らしい。さっそく駅に戻るがそれらしきところはない。
1番線ホームに面したバールに入って訊いてみると、電車の切符売り場の隣の窓口だという。
そこに行くと閉まっていたので隣の窓口で訊くと『バスの切符売り場は隣だけど今日はもう終わった』とのこと。

バス乗り場に戻ると16時のバスが来ている。
乗り込み、運転手に『切符が欲しい』というと、『バスの中では売っていない』。
『売り場は閉まっていて買えない』といってみたが、オレは知らんという態度。
このバスを逃すわけにはいかないので『乗ることはできるか?』というと黙認みたいな感じだったので乗り込む。

『アーゾロに行きたいがどこで降りたらいいか教えて欲しい』と言うと、『2ヵ所あるからどっちかなぁ?』。
ドゥオモの近く、だというと最前列に座っていたおばさまが『それならCa’Vescovo』と教えてくれた。
検札がこないことを願いつつ、運転手に『まだか』確認しつつ、およそ30分後、運転手が『ここだよ』と教えてくれる。
そこは、さっきまで乗っていたバスが走っていた県道みたいなところでクルマはバンバン流れている。
近くにはイタリアには珍しい(?)ショッピングセンター。

◆アーゾロまでのしんどい山登り
チェントロ方面という目玉のような表示板だけが頼りだ。
とりあえず、クルマが途切れたところで県道を渡り、県道から折れる道路(通り、ではない)を進む。
というか登る。
時折クルマがくると道路脇によけ、スーツケースを引っ張りながら登る。
持っている地図はチェントロのものだけ、町は山の上の方ということは知ってはいたが山の上までは遠そうだ。
しばらくすると、アグリツーリズモの建物があり、まだまだ先だと思い知らされる。
そのうち右手にスペースがあり、看板があったので行ってみたものの地図ではない。
その先で道路が狭くなりクルマをとめるための一時停止信号があった。
『チェントロの端っこくらいまでは来たのかもしれない』。
その先は市街地だ。歩道ですれ違ったおばさまにホテルの場所を訊き、道が間違っていなかったことを知る。

ホテルを見つけチェックインするときあまりにも汗をかいていたのでレセプション氏から『外は雨でも降っているのか』とからかわれた。
バスを降りてから山道、地図なし、荷物ありの25分間だった。
下からチェントロまでのバスがあるのをあとで知る。
しかし、こんなに面倒であることをわかっていたら絶対に訪れなかっただろう。

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◆アペリティーヴォへ
チェックインするなり『今日はどこで夕飯をつもりだ?ほとんどの店が休みだよ。すぐ近くのビッレリアにしなさい。ステーキも安くてうまいし』と言われた。
彼は英語でしゃべり、こちらは英語とイタリア語で答える。
面倒なので2度目に会った時は『英語はできない』と言っておいた。

リストランテ探しとアペリティーヴォをかねて町歩きに飛び出したが彼の言う通り休みの店が多い。
人が入っているようなバールも見当たらない。
小さな町だ。
昨年のピエンツァと同じく『わざわざ来たのに・・・』という感じだ。

そんな中、ちょっと奥まったところに《Henry’s Bar》というバール兼リストランテがあったので恐る恐るドアを開ける。
客は誰もいない。入ってすぐのカウンターにいた男性に『いいですか?』と尋ねると『どうぞ』と返事があった。
カウンター席に座る。いわゆるイタリアの町なかにあるバールのカウンターではない。

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プロセッコを飲む。地元のものだというがめっぽう美味い。
つまみはフォカッチャ、どちらかというとパンに近いがこれも美味い。
あまりのおいしさに2杯飲む。
奥には小洒落たリストランテとしてのテーブル席の部屋があり『夕食の候補にもなるなぁ』と思った。

◆夕食
ホテルに戻り、1時間ほどしてから夕食に出かける。
ホテル近くのビッレリアは外から覗いてみたがちょっとイメージ違いだ。
開いている店もそう多くはなく結局ビッレリアのブロックでちょうど対角線上にあるオステリアに入る。
外から店の中が見え、入り口近くのカウンター付近に若い人が数人いたが客ではなさそうに見えた。
『開いていますか?』と訊くと『どうぞ』と招き入れられた。
割と広い店でゆったりした感じだ。奥のテーブルに座る。

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前菜に生ハム・サラミの盛り合わせ、

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プリモはメニューの解読に時間がかかったがポルチーニのリガトーニを注文。

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さらにセコンドを頼もうとしたらカメリエーラから『プリモの量が多いのでとりあえず食べてから』とストップされる。
このカメリエーラ(シェフの奥さん?)は髪の色が赤め、とてもきれいな人だ。
結局、リガトーニの量が多くセコンドは頼まずじまい。

食後にティラミスを食べ満足して店を出るが、ホテルは目と鼻の先なのですぐに帰れる。

◆朝の町歩き前に

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ホテルのスタッフは昨晩の男性からおば様(あとで79歳だと知った)に変わっていた。
朝食後の話題は、どうやってバスの乗車券を手に入れるかだ。
ここからは下まで(昨日降りたCa’Vescovoまで)は黄色いバスがありその切符は車内で買えることはわかった。
問題はその先、バッサーノ・デル・グラッパまでの切符だ。
ちょうどホテル近くに黄色のバスが停まっていて、レセプションにいたおば様に『あのドライバーに尋ねてきな』とけしかけられ行ってみた。
バッサーノ・デル・グラッパまでの乗車券はないのでタバッキで買うように言われ、すぐそばのタバッキに行くと『扱っていない、バスの中で』とのこと。
今日も苦労しそうだ。

◆朝の町歩き
町歩きはまずすぐ近くのカテドラル。

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内陣の《聖母被昇天》がヴェネツイアの《サンタ・マリア・グロリオーサ・ディ・フラーリ教会》のものと全く同じ構図。
ガリバルディ広場の大きな松の木はクリスマスツリーの準備を始めたところだ。

向かったのは、昔の(EX)サン・ピエトロ修道院、その上のRocca(砦)へ。
きつい登りだが途中の見下ろしたような景色はいい。
Roccaに着いたが早すぎて門の鎖がかかっていて入ることができない。
1時間後に開くのはわかったがそんなに待つわけにもいかずあきらめて下山。

チェントロに下りて、あとはホテルでもらった地図を頼りに、カノーヴァ通りを歩く。
この町からどこかにつながるいわば幹線道路のようだ。
カーブしたところにサンタ・カテリーナ教会があり、通りの名前がサンタ・カテリーナ通りに変わる。
その先にヴィラ(Villa de Mattia)があるが通りを挟んだ庭園が素晴らしい。庭園だけでなくそこから見える景色もいい。

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さらに行くと16世紀に建てられたという小さなロンゴバルダの建物があった。

再びチェントロに戻ってガリバルディ広場すぐそばのカフェに入る。
店の中のテーブル席にはご年配の紳士、ご婦人で占められている。
バスの乗車券のことを知りたかったのでカウンターでいい。
 乗車券をどこで買えるか訊いてみたもののやっぱりわからない。

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◆結局はバスをあきらめる
ホテルに戻り、10時10分発の下へ行くバスに乗るつもりでチェックアウト。
おば様が『どうだった?』と訊くので『ダメみたい』。
そのとき外を歩いている男性が英語もしゃべれるし知っているかもしれない、といわれ、無理やり出される。
その男性は『なんのこっちゃ!』と思ったかもしれないが『わからない』と。

ホテルに戻ると彼女は『じゃ、タクシーで。20~30ユーロよ』というのでお願いしたのはいいが、タクシーの電話番号を調べるのに何冊ものメモ帳をひっくり返す。
ついにあきらめ、遅れていた10分発のバスがきたところでおば様は飛び出し、ドライバーと何か話して戻ってきた。
どうやらタクシーの連絡先が載っているパンフレットをもらってきたようだ。

ようやくタクシー会社と連絡がとれ、35ユーロを30ユーロにまけてもらい、タクシーを待つ。
5分といっていたが15分近く待つ。

その間、おば様といろいろ話をする。
『プロフェッソーレ?』(もちろん違うが)
『どこでイタリア語勉強したの?』
『年は?』
『私はいくつに見える?』
おかげでイタリア語のいい勉強になった。

思いがけず山登りをしたり、バス(特に乗車券)にも苦労し、滞在時間も短かったが思い出に残る町となった。

10時40分タクシーがきておば様と別れ、バッサーノ・デル・グラッパに向かう。

◆泊まる
ホテル Hotel Duse (★★★), Via Robert Browning 190, Asolo
Single 60ユーロ、Booking.comで予約
チェントロど真ん中でガリバルディ広場すぐそば、部屋の窓からはカテドラルも見える。

◆食べる
お店の名前 Hosteria Ca’Derton, Piazza d’Annunzio 11, Asolo
食べたもの 前菜は生ハム・サラミなど盛り合わせ、付け合わせにカルチョフィ、ペペローニの酢漬け(8ユーロ)。

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プリモはポルチーニのリガトーニ(8ユーロ)。うまいが食べているうちにリガトーニが少し柔らかくなってくる。これで満腹のためセコンドはパス。
ドルチェはティラミス(4ユーロ)。グラスの中に作っているのでフワッとしている。
ハウスワインは軽めだというのでやめ、地元のマルベックを250ml(5ユーロ)。
水、カフェを含め、計27ユーロとそれまでのヴェネツイアに比べると半額以下。

◆飲む
お店の名前 Henry’s Bar, Valcagnata 200, Asolo
アペリティーヴォで訪れる。なかなか雰囲気のいい店。
飲んだもの 地元のプロセッコ2杯(6ユーロ)
https://www.facebook.com/henrysbarasolo

Frascati, Casale Marchese

Frascati, Casale Marchese 2014/11/21

◆電車でFrascatiへ

2014年イタリアの旅は、ローマでイタリア語講座クラスメート4人が集結し、まる1日一緒に行動することになっていた。

そのメインイベントはFrascatiでのワイナリー訪問、待ち合わせ場所はテルミニ駅だ。

 

ほぼ時刻通りに4人全員揃う。

10時14分発のTor Vergata行きの電車は10分遅れて発車、約20分で到着。

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駅の写真を撮っている時、迎えの青年が反対側から声をかけてきた。

10時50分ワイナリー《Azienda Agricola Casale Marchese》に着く。ローマから近い!

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天気が良く、景色も良い。

 

◆眺望のあとは歴史

まず、当主夫人と思われるおば様のガイドにより、マルケージ館屋上からワイナリー周辺の景色を眺める。

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屋上からは辺り一面ブドウ畑だ。もちろん収穫は終わっているが『ワインがなっているよう』と一人が冗談をいう。

 

屋上から下りたあとマルケージ館の歴史について説明がある。

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その昔はチルコ・マッシモからの道路がここまで通じていたらしい。

我々全員がイタリア語を多少分かると連絡していたので普通にしゃべられ、とてもじゃないが理解できないところもしばしば。

そこはイタリア人を夫に持つクラスメートに補足してもらう。

 

おば様の次は背の高い男性(エノロゴか?)が担当、我々を案内してくれる。

タンク、樽、ボトルに詰めるところ、梱包場所など。

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イタリアでのワイナリー訪問は4ヵ所目、今まで訪れた中では規模が小さい方だ。

今年のボトリング、梱包はすべて終わっているようだ。

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◆テイスティング

そのあとは待望のテイスティング、館の外の小さな屋根のあるところでアウトドア気分。

金額(1人37ユーロ)にもよるのだが、白、赤各1種類のテイスティングとポルケッタ、生ハム、トマトのブルスケッタ、パンにオリーブオイル、ペコリーノチーズというつまみだ。

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ワインのサーブをしてくれるのはフィリピン人の女性、イタリア語はイタリアに来てから覚えたとのこと。

白、赤それぞれ3杯くらい飲んだかもしれない。

そのあとは、ワイナリー当主ご夫妻らと写真を撮ったりしてすごす。

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『帰りの足はどうなるかなぁ』と思っていたが迎えにきてくれた青年(どうも次男らしい)がフラスカーティの町まで送ってくれた。

 

 

◆ワイナリー《Azienda Agricola Casale Marchese》

クラスメートのご主人(イタリア人)にメールで予約してもらう。

http://www.casalemarchese.it/it/

http://www.movimentoturismovino.it/it/cantine/lazio/767/azienda-agricola-casale-marchese/

 

 

Barolo, Fontanafredda

Barolo, Fontanafredda 2006/9/13

◆ワインの王様《バローロ》のふるさとで2日連続のワイナリー訪問

Barolo フォンタナ・フレッダ 案内板

 

ヴィラ、ワイナリー・ツアーともHPからメールで予約していた。

ピエモンテの旅、6日目。ワイナリーFontanafredda内のヴィラVilla Contessa Rosaに泊まり、翌朝ワイナリー・ツアーに参加。

前日、Marchesi di Baroloでじっくりと見学、説明を受けていたので本来ここでは必要ないのだが、Marchesi di Barolo訪問が決まる前にここを予約していたため予定通り参加(3種類のワイン・テイスティング込みで一人8ユーロ)。

 

◆ 朝の散歩

朝食後、園内を散歩する。

Barolo フォンタナ・フレッダ ぶどう畑

 

バルバレスコのPIAZZOとは比べ物にならないとんでもない規模の大きなぶどう畑のようだ。すでに小型トラックに積まれたぶどうが売店手前の集荷場に何台もやってくる。

Barolo フォンタナ・フレッダ 集荷場に向かう車

 

道路をはさんだ反対側、すなわちヴィラの並びにはピンク色の小さな教会があり、その手前、門に近い方には季節労働者のためのものなのか宿泊棟が何棟か建っている。

ぶどう畑もすぐ側まできている。

フォンタナ・フレッダの語源となった池は逆にちょっと奥の方だ。くるみの木が多い。もう泉は出ていないようだが名残の祠がある。

Barolo フォンタナ・フレッダ くるみの木

Barolo フォンタナ・フレッダ 祠

◆ワイナリー・ツアー

ツアーは10時からで、ワイン・ショップ9時45分集合。

ワイン・ショップで待っていると前日ヴィラに入る際部屋の鍵のありかを教えてくれたカップルが一緒。

昨晩、食事の際に何かと説明してくれた若い男性がツアー・ガイドだ。

彼はフォンタナ・フレッダの由来から、とうとうとしゃべる。もちろん、Marchesi di Baroloとは違って英語だ。中々ワイナリーの中に入れない。

年間生産量は6万本、そのうち4万本がスパークリング、残り2万本がワイン、その80%が赤、20%が白。

Barolo フォンタナ・フレッダ コンクリート・タンク

Barolo フォンタナ・フレッダ ステンレス・タンク

大きな木の樽の産地はMarchesi di Baroloと同じくスラボニア産、小さなバリック樽はフランス産のオーク、これは3年使うという。毎年新しい樽を使うよりはコストがセーブされるということなのだろう。

Barolo フォンタナ・フレッダ 大樽②

Barolo フォンタナ・フレッダ バリック樽② Barolo フォンタナ・フレッダ 熟成中のバローロ

これ以外にも、というよりこれをはるかに超える説明を受け、見学を終え、細い地下道をくぐり抜けるとワイン・ショップの下に出る。そのまま上がり、ワイン・ショップのバールで試飲。

Barolo フォンタナ・フレッダ バールのセラー

 

セラーの中で樽から取り出したワインを味見するようなことをイメージしていたのでちょっとがっかり。テイスティングは3種類だ。

シャルドネ

 

Barolo フォンタナ・フレッダ テイスティング①

 

Diano d’Alaba, LA LEPRE

Barolo フォンタナ・フレッダ テイスティング②

Barbaresco, COSTE RUBIN

Barolo フォンタナ・フレッダ テイスティング③

 

赤は 、あとのほうがどっしりとしていてまろやかで美味しいように感じた。テイスティングは10時50分終了。

Villa Contessa Rosa http://www.villacontessarosa.com/

Barolo フォンタナ・フレッダ ヴィラ・コンテッサ・ローザ

 

Fontanafredda http://www.fontanafredda.it/

Barolo, Marchesi di Barolo

Barolo, Marchesi di Barolo (バローロ)2006年9月12日

◆ワインの王様《バローロ》のふるさとへ

今回のピエモンテの旅にワイナリー探訪という目的はあったものの、フォンタナ・フレッダ内のヴィラに泊り、ワイナリー見学を予約していただけだったのが、出発2週間ほど前になって、急に《マルケージ・ディ・バローロ》訪問の話が持ち上がった。

というのは、同行の弟がよく行く某イタリアン・リストランテで懇意のイタリア人シェフにピエモンテ行きを洩らしたところ、『友達がやっているワイナリーを紹介する』といってくれたからだ。その話を聞いて『それは有難い』とお願いし、こちらの日程を変えることなくアレンジしてもらった。

 

ピエモンテの旅、5日目、バルバレスコに近いアグリツーリズモからタクシーでバローロのワイナリーに向かう。

途中、小さな町の中を抜けて丘を登り、登りきったところあるカステッロ、グリンツァーネ・カヴール城で眺望を楽しむ。

 

◆Marchesi di Barolo

うまく時間調整を兼ねた観光をしたおかげでちょうど約束の11時にMarchesi di Baroloへ到着。

道路に面した入口、幅もそれほど広くない。

すぐ左に売店があり、弟が中に入って秘書の方を尋ねると若い女性が出てきて『彼女は今いないけど自分が対応することになっています』、『カフェ飲みますか?』(全部流暢な英語)。『はい』と答えると正面2階のテラス席に案内され、エスプレッソをご馳走になる。

 

そうこうしているうちに若い男性(日本人?)があらわれ、日本語で『すみません。遅れてしまって。案内をするCです。在日の韓国人です』と挨拶された。最初は本当に我が同胞かと思ったが、この挨拶を聞いて納得。彼がワイナリー工場を案内してくれることになった。東京育ちで三重県でぶどう作りを手伝い、その後自分でワインを造りたいという夢をもってイタリアに勉強にきているとのこと。アルバに住んでいてアルバの専門学校に学んで4年目だという。勉強しながらこのワイナリーでも修業をしているようだ。

◆醸造場とセラーを見る

まず、階段を下りて広場のぶどうをトラックから降ろしてから地下へ降ろす機械を見せてもらう(帰るころには丁度この作業を実際にやっていた)。

Barolo マルケージ・ディ・バローロ ぶどう積み下ろし

 

●ぶどうを実・たねと枝に分ける。

●35度まで発酵させる(それ以上温度が上がると糖がアルコールに変わらなくなる)。

●大きなステンレスタンクで1次発酵

Barolo マルケージ・ディ・バローロ タンク③

 

●コンクリートタンクで熟成

●150年前から使われているクロアチア、スラボニア産の大樽で熟成させる(全部で2万本分の18,500リットル)。

Barolo マルケージ・ディ・バローロ 大樽①

 

●バリック樽

真ん中の栓を開け、減っていれば足す。

このバリック樽は使い捨てで1個600ユーロもするという。小さな樽なのでカーヴをつけるために焼くが、それが香りの元だということを知った。

Barolo マルケージ・ディ・バローロ バリック樽②

 

●ボトル詰めを800m離れた場所で行うのでそこまでパイプで流す。

Baroloは木樽で2年以上熟成しなければならず、BaroloReservaは5年だそうだ。だから一番新しくても5年前のヴィンテージということになる。

このようなことを醸造場の中を行ったりきたりで説明してもらう。何せ、日本語でしかも3人に対しての説明だから本当にありがたい。

さらに奥に進むとワイン・セラーがある。ここにはヴィンテージ順にボトルが寝かされている。温度は醸造場よりも低くコントロールされているのが実感できた。

1番古いのは1859年もの。ほかの年代ものと一緒に小さな格子扉のケースに立てて保管されている。

Barolo マルケージ・ディ・バローロ セラー 年代もの

Barolo マルケージ・ディ・バローロ セラー 1859年もの

それ以外は棚に年度ごとに置かれている。我々3人はそれぞれ生まれた年のボトルを手にして写真をとりあう。めったにできない経験だ。

Barolo マルケージ・ディ・バローロ セラー 保管棚①

 

 

バローロの歴史の中で素晴らしい年は10年あるという。1922年、1931年、1947年、1964年、1971年、1978年、1989年、1997年、1999、2000年。張り出されているポスターに年度順に評価が書かれていてこれらの年は”OUTSTANDING VINTAGE” だ。

その中で年代ものの1つを手にして『これは売っているのですか?』と訊ねると、『パオロに頼めば買えるかもしれませんよ』とのこと。買えるとしても相当するのではないだろうか?恥をかくのでお願いはしなかった。

◆当主とのランチで楽しいひととき

ひととおりの見学を終え、売店に戻る。ランチには当主のパオロさんがお見えになるということで売店奥の大きなテーブルに案内された。

ちょうどその場所からガラス越しに地下の樽が見える。まもなくパオロさんがお見えになり英語で挨拶、スプマンテが出てくる。てっきりそのテーブルで食事かと思ったら『リストランテへ』と2階に案内される。

奥のテーブルにゆったりと4名が座る。パオロさんの右隣には弟、左隣には兄、正面には自分という位置関係。ガイド役のCさんは、今度はカメリエーレ役だ。我々にとっては観光だが、招待を受けたということでお互いビジネスランチのようなもので話題のキャッチボールをしなければならないがここはアレンジ役で英語に強い弟に任せることにした。あとはたまに合いの手を入れるくらい。それにしてもワインで世界を股にかけるビジネスマンのパオロさんは英語が流暢でつまるようなことはほとんどないし、イタリア語なまりも全くない。ということで片言のイタリア語を使わないですんだ。

さて、肝心のワインと料理。あまりに美味しかったのと話が弾んでいたこともあってあまり詳しく覚えていないが次のようなものだった。

前菜はいわば郷土料理、子牛の生肉を少しあぶったカルパッチョ(3切)、ツナのソース添え。

次も前菜、テリーヌのようなものだが材料不明。固くなくフワッとしている。これもソ

ース添え。

プリモはラヴィオリ、サルビアとバターのソース掛け。

チーズ3種、真ん中にこの地方のCogna(チーズにつけるジャム、ワインから作られている)。

デザートはパンナコッタとカカオのケーキ。

ワインは料理にあわせ、またグラスが空になるとカメリエーレ役のCさんがどんどんサーヴしてくれる。

Dolcetto d’Alba (MADONA di COMO) 2005

Barolo マルケージ・ディ・バローロ 前菜に Dolcetto d'Alba 2005

 

Barolo(CANNOBI) 2001 (CANNOBIというのはぶどう畑の名前でバローロの中でも最高級)

Barolo マルケージ・ディ・バローロ CANNOBI 2001

 

Moscato d’Asti (デザートワインとして)

楽しい食事を終えたところでパオロさんからお土産をいただく。私と兄にはバローロのグラッパ、弟は紹介者の友達ということでバローロ、しかも例のCANNOBIのマグナム・ボトル。山形の焼酎を差し上げただけなのが申し訳ないくらいだ。

パオロさんは『予定があるから』といって14時40分席を立つ。我々は下の売店に行き、店内を見ている間に食事中パオロさんにお願いした1999のバローロが2本ずつ箱詰めされて用意された(これは購入、28ユーロ×2)。

旅行計画当初には思ってもいなかった老舗ワイナリー訪問、しかも当主との美味しいワインと食事。思い出に残るワイナリー訪問となった。