Ferrara(フェラーラ) 1998/3/1



◆別れ
初めてのイタリア旅行9日目をボローニャで迎える。ここボローニャで同行の長男と別れるのだ。長男は前日予約したユーロスターでミラノへ行きミラノから日本へ帰国、私はいよいよ一人旅、フェラーラを訪れた後、フィレンツェへ向かう日だ。


別れる日が来るせいか二人ともあまりよく眠れなかったようで早く目覚める。
スーツケースを午後までホテルに預け駅へ向かったが駅前の通りを渡ったところで記念にホテルを背に写真を撮る。


長男は8時17分発のESで、自分は8時26分の列車でフェラーラへ。当初はラヴェンナへ行くつもりだったが1日がかりになり、フィレンツェへ着くのが遅くなるので長男に『早くフィレンツェへ行き、少し身体を休ませ、ざっと地理感覚をつかんだ方がいいよ』と、とめられた。老いては子に従えということか。


ESがプラットフォームに入ってきたが何号車かの表示に気づかず6号車がどれか分からない。多分ここだろうと長男を乗り込ませたが、席に座ってしばらくしてから立ち上がり、どうも隣の車両だったようで席を動く。正しい座席に座ってからも時間がある。こんな時は窓のガラス越しにずっと顔を見合わせているのも気恥ずかしいものだ。何かしゃべりかけているので『何?』と問いかけるともう一度『気をつけてね』と言っているようなので『わかった』と答える。


ESが発車したのでお互いに手を振る。ボローニャの駅で親子が別れるシーンなんて世間にはないだろう。これから13日間の一人旅、何が待ち受けているかも知れず、一抹の不安もありちょっぴり感傷的になってしまった。

◆ここはカステロ・エステンセですか?
フェラーラ行きの列車に乗ってもなお、ラヴェンナまで行っちゃおうか迷ったが、「エーィ」という感じでフェラーラで降りる。9時少し前だった。


駅前のそう広くはない車の通る道路を横断し、それから左方向に進み大きな通りと交差したところで右折する。そのカブール通りカステロ・エステンセへ歩いて向かう。他にも10人くらいの若いイタリア人(?)、日本人老夫婦が同じ方向に歩く。

カステロ・エステンセらしきものが見えたがガイドブックには「日曜も9時30分から」となっているのに入口がまったく分からない。まだ10分前かと思ってぶらぶらしていると蚤の市が目の前すぐのところともう一ヵ所大聖堂の前で始まった。

行きつ戻りつしてから蚤の市の人に『ここはカステロ・エステンセですか?』と尋ねると「そうだ」とのこと、今度は入口を尋ねると近くまで連れて行ってくれた。が、1階の庭(庭園ではない)に入れただけ。どうも市庁舎だったみたい。他にも観光客がいたが、結局井戸だけ見て終わり。10時を過ぎていたので大聖堂に入る。日曜とあってミサの真っ最中だった。

肝心のカステロ・エステンセに入れない以上ボローニャに戻ることにする。11時頃の電車に乗るつもりだったが時間がまだあるのでディアマンティ宮に寄ってみる。

何が“ディアマンティ”かというと壁を覆う石の先端がダイヤモンドのようにカットされているからとガイドブックに出ていたが、まさにその通りだ。確かに外壁に積み上げられている石の一つ一つがとんがっている。建物の入口は通りからちょっと入ったところにあり、行ってみたが中は美術館のようで時間があまりないので見るのをやめ駅に向かう。

駅に行くと乗ろうと思っていた電車は日曜のせいかなく次は11時29分発のIC。駅から一旦出て通りの向こう側にあるバールでカプチーノを飲んで電車を待つ。ボローニャには11時56分に戻る。

結局フェラーラにはわずか2時間の滞在、しかも最初からスキファノイア宮殿(この時点では研究不足、どんな展示物があるか知識がなかった)が少し離れているというだけで予定から外してしまいフェラーラに行ったとはいえないかもしれない。この日はラヴェンナ行きをあきらめたわけだが、これはむしろ大正解。この翌年念願のラヴェンナに行ったがビザンチン文化を彷彿させる見所が沢山あったからだ。