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サンタの贈りもの

イタリア旅行から帰ってちょうど1ヵ月。買ってきたお土産っぽいもののうちモデナで買ったバルサミコ酢が残りそう。

 

モデナにはバルサミコ酢を買うためにだけ1泊した。前泊地はパルマ、電車でわずか30分の距離だから日帰りも可能、っていうか2時間もあれば十分買い出し可能だが、目指す店は朝早くからやっているMercato Albineliの中なので泊れば朝食後買いに行ってすぐホテルに戻り荷物をまとめ次へ移動することができるからだ。

 

モデナは4回目、2回目以降はすべてこのメルカートでバルサミコ酢を買うためだけなので勝手知ったる道をメルカートへ直行、家族からのリクエスト分などを買う。

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ショーケースの上に置かれているいろんな形のバルサミコ酢を写真に撮り、それをfacebookに載せたところかつてペルージャ短期留学中にお世話になったワインのスペシャリストYさんが《Bertani、羨ましい!》とコメントがあった。

 

それを思い出し何とか送れないか考えて残った1本をYさんに送った。

さっそくfacebookにYさんから《サンタさんが!ごほうびを!!》といううれしいコメントが寄せられた。自分がサンタになって贈り物をした気分だ。

 

Buon Natale!! メリークリスマス!!

Pienzaへの旅

 

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イタリアへ行き始めて17年目、17回目の旅だった今回、初めて訪れたのはピエンツァ。

14年前にモンテプルチアーノからシエナに向かう途中に乗っていたバスが停まり、『今度はここに降りてみよう』と、それ以来訪れようとずっと考えていた。

 

ピエンツァはルネッサンス期にこの町出身のピオ2世によって造り変えられた小さな町で世界遺産にも登録されている。このことも行きたかった理由だ。

 

今回の旅では、当初はシエナ→ピエンツァ(泊)→モンテプルチアーノ(乗換え)→キウジィというルートを考えていたがキウジィまでのバスの便が恐ろしく良くないことがわかり全体の日程を変えてシエナから往復することにした。

 

◆シエナからのバス

前泊地はフィレンツェ。シエナからのバスはFS駅から出るのでフィレンツェからあえて電車に乗る。電車を降りてからバスの発車時刻まで30分あるので悠々だと考えていた。

とりあえず駅の外に出て雨の中スーツケースを転がしながらバス停を探すが《モンテプルチアーノ行き、112》の発車場所が全くわからない。何人かに尋ね、このあたりだということ、乗車券は駅の中で売っていることを教えてもらう。

 

バス券を買う時に発車場所を訊くと『駅の左側』としか教えてくれない。再び外へ出て何人かに訊くが『知らない』との返事。意を決してちょうど来たバスの運転手に尋ねると『この場所から。もうすぐ来るよ。』と言われほっとする。

 

バスは定刻に来た。運転手に『ピエンツァまで』と言ってスーツケースを下に入れてもらう。

 

トスカーナ特有のなだらかな丘陵地帯が見えるはずだが、雨のせいで車窓からの景色ははっきりしない。残念だ。

 

1時間以上乗り、定刻より少し遅れて14時半ごろホテル近くのバス停で降ろしてもらう。

 

◆ピエンツァ町歩き

チェックインして目と鼻の先にある町へすぐに出かける。町の入口でちょうど日本人のツアー客と一緒になった。添乗員の声が聞こえたが40分の観光のようだ。

 

一群はまっすぐ行く人が多そうだったのですぐ右にまがりオルチャ渓谷の景色がいいゴッツァーニ通りに出る。確かに景色は良さそうだが何しろ雨で見通しがあまりきかず感動するほどではない。

ドゥオモの横に出たので抜けるとそこが町の中心地。ロッセリーノ通りに出る。細い中世っぽい通りに面した店はほとんど閉まっている。

1軒の食料品店が開いていてパニーノの貼紙があったので遅いランチにする。生ハムとペコリーノのパニーノを作ってもらい赤ワインを1杯頼んだ。店内には、サラミ、チーズやオリーブオイルがあったのでまたあとで来ようと思い何時までやっているか訊く。

 

腹ごしらえもできたので町歩き再開。

といってもすぐ近くのサン・フランチェスコ教会とドゥオモだけだ。そう広くもないピオ2世広場は敷石の工事中で、ピッコローミニ宮は何と前日から月末まで休館だった。

サン・フランチェスコ教会もドゥオモも中に入ると日本人だけだ。

そのあとは町の中央を通るロッセリーノ通りから折れる小路をいろいろ行ってみるが、小さな町なのですぐに終わってしまう。

雨、風がひどいのでいったんホテルに戻ることにした。入口付近ではツアーの人たちがバスに戻るところだった。

 

◆夕方の町もひっそり

1時間ほど休んで買い物やら夕食のリストランテ探しも兼ねて17時半ごろ再び町へ。

相変わらず休んでいる店が多い。さっきが単に昼休みだったのではなく月曜午後のため休みらしい。中にはピッコローミニ宮休館と合わせ2週間も休んでいるリストランテも数軒あった。全体にひっそりしている。

風雨は依然強く、雷も鳴りだす。

 

◆朝は大きな虹

翌朝は晴れ。朝食前に散歩のため町に行く。昨日と同じルートで渓谷を見下ろすところに出ると何と虹の根っこがドーンと立ちあがっているのが目に入ってきた。

『これはすごい!!』

うしろを気にしながらムーラ通りを進み振り返ると虹は大きく成長し、ドゥオモの鐘楼を包むように空に広がっている。

《早起きは三文の徳》というやつか、それとも頑張って来た割には閉まっているところが多かったための《お詫びのしるし》なのだろうか?

チェックアウト時にこの虹の話をしたら『イタリア人は虹を見ると何かいいことがあると信じている。』と言っていた。

 

9時19分のシエナ行きのバスに乗ってピエンツァをあとにした。

途中の天気は相変わらず晴れたり降ったりだったが、この日の午後以降帰国するまでパルマ、モデナ、ローマは良い天気だったのはこの虹のご利益か?

雨のち晴れのイタリア旅行、最後に晴れ女に感謝!

10日間の旅を終え昨日帰国、今日一日休んで明日から仕事だ。

旅行中この日記をUPしようと思っていたが持っていったタブレットでは書き込み禁止となりできず、東京にいる管理人に問い合わせたところアプリをダウンロードする必要のあることがわかった。

旅行中はただでさえ時間が少ない、おまけにホテルにいるときしかWifiを使えないのであきらめ、旅行に専念(?)した。

 

さて、その旅行だが、8泊中最初の6泊は毎日移動。自分で決めた日程なので誰にも文句は言えないが結構疲れたのも事実だ。おまけに前半は天気が悪かった。

ローマに夜着いた初日こそ降られなかったが、翌土曜日のペルージャは午後から雨(ローマは雷雨がひどかったらしい)、翌日のフィレンツェはぱらぱら程度だったが傘を手放せない。

次の日はピエンツァだったがバス乗換えのシエナ駅ではかなりの雨に濡れながらバス停を探し回る。

車窓からのトスカーナ独特のなだらかな丘陵地帯も本来ならもっと美しく見えただろう。ひどかったのはピエンツァに着いてからだ。段々と雨足も強くなり夜には雷も鳴りだした。

TVニュースによるとジェノヴァ辺りでは大雨で水害もあったようだ。

(翌朝晴れ間に小さなピエンツァ市街を散策したところ大きな虹を見た)

 

8日目の金曜日にローマ集合するイタリア語講座クラスメイト3人中2人が《晴れ女》と聞いていたが、その2人が到着した頃からイタリアの天気は回復に向かい火曜午後パルマに着いたころには完全に晴れた。それからずっと好天だ。木曜昼すぎローマに戻ったが東京よりも暖かく感じる。

 

そんな好天の中、金曜には予約していたフラスカーティのワイナリーを訪れる。

ワイナリーの建物屋上に上がると南は一面ぶどう畑、北にはローマの街が見え、絶景だ。

2人の《晴れ女》に感謝してワインを飲んだ。

明日およそ1年ぶりのイタリアへ

明日およそ1年ぶりのイタリアへ旅立つ。

あらかじめ決めていたスケジュールだが、この期におよんでピエンツァからモンテプルチアーノ経由(乗換え)キウジィまでのバスの便の悪いことがわかり急きょ訪問都市の順番を入れ替えることにした。

そのためホテルの予約もし直すことになり、ようやく昨晩確定した。

 

並行して、イタリア語講座のクラスメイトとのワイナリー訪問についてSさんがいろいろやりとりしてくれ最終的に先方が最寄り駅まで出迎えてくれること、そのやりとりのメールを読んだり、またその日は皆で夕食を食べることで候補の店をチェックしたりでなかなか忙しい。

 

さらに、かつて通算5カ月暮らしたいわばイタリアのふるさと、ペルージャでの友人たちと連絡を取り合ったりでこれも気分的には結構せわしない。

 

明日は12時間余のフライトなので少しゆっくりして旅行の毎日に備えたいものだ。

 

向こうに着いてからはできれば毎日日記をUPするつもりだ。

来年春はスペインへ

今年のイタリア行きも出かけるまであと2週間足らず。ここのところの円安・ユーロ高が気になるもののもうほとんど出かけた気分でその日を待つだけだ。

 

今、頭の中を占めているのは急きょ決めた来年春のスペイン旅行だ。というのは、某エアラインのマイレージ特典でなかなか取れなかったチケットがちょっと日にちをずらして何とか取ることができたからだ。

 

スペインにはイタリアに行き始める前の年、今から17年前に行ったことがある。

その時はマドリード、トレド、バルセロナ、モンセラートを訪れているので今度(来年)はアンダルシア地方に行こうと思う。

滞在日数が限られている中、グラナダ、セビーリャ、コルドバあたりを周りたいが、まだ春まではたっぷり時間があるのでじっくり考えるつもりだ。

それと並行してスペイン語もちょっとだけ勉強しようと思う(もちろん簡単な旅行会話程度だが)。

ローマで課外授業?

今年のイタリアへの旅もようやく1ヵ月後に迫ってきた。

イタリア滞在中のスケジュールもほぼ確定し、ホテルの予約もすべて終わった。

あとは行くだけだがひとつだけペンディングだったのは最終日前日のローマでのすごし方だ。

 

ちょうどイタリア語講座のクラスメート数名が同じころイタリアに行く予定なのでそのうちの一人Sさんから『皆でローマ近郊のワイナリー探訪をしませんか?』とURL付きのメールが入り賛同。

http://www.movimentoturismovino.it/it/home/

 

さっそくこの中から近郊のワイナリーをチェック、駅から近そうなところを2、3選んでSさんに伝える。

時期的には収穫後なので畑をみても意味がないが、多分葡萄を仕込み中のタンクや熟成中の樽などを見てから試飲ということになるだろう。それからランチ、そして夜はローマでチェーナ(夕食)ということになりそうで楽しみだ。

ほぼ固まった今年のイタリア旅行日程

6月の初めにアリタリアのキャンペーンでローマ往復を予約して早3ヵ月。
イタリアに行くのはちょうど2ヵ月後になってきた。
頭の中ではどこに行こうか何となく考えていたが、初めから決めていたのは2日目にイタリアでのふるさと《ペルージャ》にまず行くこと。それからローマに戻るまでの4泊5日をどうどこですごすかということだ。

1ヵ所にずっと滞在するというのはどうも性に合わない。ペルージャからどっちの方向に向かうかだが、今回は、かつて行ったことはあるものの滞在数時間だったパルマに泊ることにし、それ以外は何回も行っているがモデナ(ここにはメルカートでバルサミコ酢を買うのが目的)と見どころの多い定番のフィレンツェに行こうと考えていた。
残り1日は《2000年トスカーナ・ウンブリアの旅》で1泊したもののほとんど何も見る時間がなかった思い出の《モンテプルチアーノ》に行こうか、それともその近くでバスで通り過ぎた世界遺産の町《ピエンツァ》にしようか迷ったが結局《ピエンツァ》に泊ることにした。
(迷った理由は、ピエンツァに興味はあるものの町が小さすぎて時間を持て余すのではないかと危惧したからだ。)

決めるたびにホテルを予約して残すはフィレンツェだけになった。
ローマ到着日は早々とOtel.comのWeekEnd割引で予約(結果的には早すぎたのか多少割高)し、次いでペルージャ、最後のローマのホテルを予約。ここで気が付いたのはJALのHPから予約するとマイレージがつくということ。そのためにわざわざ取り直すことはしないが残りの4泊中3泊はJALのHP経由で予約した。
あとはフィレンツェ1泊分の予約を残すのみとなった。
こうやって計画することも旅の楽しみだ。

涼しい夜にイタリア語仲間と暑気払い

ずーっと暑かった今年の夏もそろそろ終わりなのかこのところ梅雨のような天気だ。
そんな中、今いわば夏休み中のイタリア語講座クラスメートと飲み会。
まだ梅雨のさなかに授業をサボってイタリアで2ヵ月バカンスを楽しんできたMさんの帰国を待ちながら1ヵ月以上も前から若手のSさんが企画し、その頃から《暑気払い》と称していた。

 先生を含めクラスの大半が新宿のイタリアンに集合。半数集まったところでまずスプマンテで乾杯。およそ10分で全員そろう。
初めこそ、真面目に後期の教材や、何かのイタリア語の言い回しについて先生に質問したりもしていたが、そのうちいろいろな話題が飛び交い、途中からはまぁ普通の飲み会と同じだ。『普通』とちょっと違うとすればイタリアがらみの話題が多いことか。

11月中旬イタリア行きを計画しているがちょうどその頃1回休講となるため同時期に他にも行く人がいるので1日だけ日程調整してローマで飲み会をすることになったのも話題の一つだ。

おしゃべりと料理を楽しんでいるうちにワインも進み、気がついたら4時間以上も経っていた。ボトルが空くと誰かが頼んでいたようでいったい全部で何本飲んだのだろう。
翌朝はちとしんどかったが楽しい《暑気払い》だった。

フィレンツェ  ドゥオモの謎

3年目に入った東京外国語大学のオープンアカデミー《映像と文章で学ぶイタリア語》講座も今年上期の授業はあと1回を残すのみだ。この2年間は『魔女の宅急便』(イタリア語版)やイタリア映画『Aprile』などが教材だったが、今期はトスカーナやフィレンツェにまつわるもので『旅行にも役立つかなぁ』と思っていた。

映像はNational Geographicのフィレンツェのルネッサンスについてのものだった。それが進むにつれ、フィレンツェのシンボル、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂のクーポラがどのように造られたかという話に移る。

今まで何回かフィレンツェを訪れ、クーポラにも上ったこともあるがどうやって造られたかなど考えもしなかった。ただ知っていたのは、洗礼堂の東の扉の彫刻コンペで敗れたブルネレスキがあの大きなそして特徴のあるクーポラを造ったということだけだ。

どのように造ったか、ブルネレスキは何の図面も資料も残しておらず《謎》らしい。今回の教材では、その謎を40年以上も調査研究してきたリッチ教授の仮説が説明されている。辞書を引きながら単語の意味を調べるもののイタリア語そのものが分からないのに加えて建築のことは全くの素人なのでチンプンカンプンだ。

とはいえ、理解をすすめるためにGoogleで検索したり、YouTubeで見てみたりなどしている。クーポラに上る階段は内側のクーポラと外側のクーポラの間のスペースだということは思い出した。

今年のイタリア旅行はどこに行くか決めていないが、フィレンツェに行ってもう一度あのクーポラにじっくり考えながら上るのもアリかもしれない。ただ、四百数十段もあるので足腰が持つだろうか息切れするのではないか心配だ。

イタリア訪問目的

イタリアに行く目的はこのような感じです。

  • 月並みだが観光。世界遺産も多いし、教会の建物、内部の絵や彫刻、祭壇もすごい。
  • 美術館(ルネッサンス期の作品が好きだ)
  • 歴史 (建物、遺跡、絵画、彫刻などから歴史を知る)
  • 食事(グルメということではなく、口にあう)
  • ワイン(決して高いものを飲むわけではない)
  • 現地の生活を楽しむためとイタリア語を学ぶためペルージャへ短期留学2回
  • あまり興味がないのは、ショッピング、サッカー