ペルージャ外国人大学でイタリア語を学ぶため2010年8月から2ヵ月間、ペルージャで暮らした。これはその9月後半の滞在日記だ。
◆ペルージャに行ったきっかけ
2009年秋の一人旅でクレモナのリストランテでたまたま向かい側のテーブルにいた日本人の若い女性ふたり組と知り合った。二人ともペルージャの留学生でそのうちの一人Nさんと帰国後東京で再会したときにペルージャ外国人大学への留学をすすめられた。ちょうど仕事をやめて時間もあり、イタリア語の勉強を再開したかったのと旅行だけではなくイタリア生活を味わってみたいこと、またもう一人のAさんが引き続きペルージャにいて心強いこともあって8月、9月の2ヵ月の短期留学をすることにした。
2010年9月16日
《ペルージャ駅までウォーキング》
木曜は朝の授業が11時に終わり、また夕方17時から別の授業があるが、その間たっぷりと時間がある。
食料品の買い物に行ったり(fare la spesa)、チェントロを散歩(fare una passeggiata)したりして過ごしている。
買い物といっても、ミニスーパーも食料品店(alimentari)も八百屋(fruttivendolo)も近いのでそれほど時間がかからないし、ましてや運動にはならない。
時間もそこそこで少しは運動になるのは散歩だけど、ペルージャのチェントロは意外に小さく、ちょっと歩くと外れまで行ってしまう。
昨日出会った日本からのおばさまが駅近くのホテルから歩いてきたと聞いたのと、同じクラスでいつも隣に座るインド人から、彼の住んでいる辺りからだと15分くらいで駅に出ることができると聞いたので、今日ははるか下の、いつもはバスで往復する駅まで歩いてみることにした。
手元にある地図はチェントロだけのもので端っこの方に《駅へ》の矢印があるだけ。
まっすぐ南に下りるものだとばかり思っていたがそうではなく西の方へ下りるようだ。
とりあえず、レプッブリカ広場から路地を歩いて西側の門、ポルタ・サン・ジャコモ近くまで行く。
そこからは車が通る道路を少し下りる。
突き当たった広い道路を《駅へ》という標識で右折。
しばらく歩いて道なりに右方向へ行くとほどなくミニメトロが見えた。
並行するように進むと大きな建物の下がトンネルのようになっている。
見たことがあるなぁ、と思いながら進むとこの間シエナに行くときバスを待った場所の近くだった。
ということは駅だ。レプッブリカ広場から20分で意外に近い。
帰りは同じルートで戻り往復約8000歩、帰りは上りだったので結構汗をかきいい運動になった。
これを書きながら、登録時に渡されたツーリスト向けペルージャのガイドブックをよく見るともっと近いルートがありそうだ。標識通りに歩いたが、どうもあれはクルマ向けかもしれない。
9月20日
《残り少ない自炊のチェーナ(夕食)》
早いものでペルージャには残り11日、最終日はモノロカーレを引き払いホテルに移動する予定なのでチェーナ(夕食)の自炊はMAXで10日。
その間、モンテファルコで出会ったマルコとの飲む約束もあるし、また行きたい店もあるし自炊の回数はもっと少ない。
気になるのは、残っている食材との関係だ。
今日はまだ行っていない店に行くつもりだったが、ちょっと多めの明日までの宿題が出たため外食断念(外食すると、時間を要するし満腹状態で帰ってもやる気がおこらない)。
そこで、食料品店、プリオーリ通りの”il Parma”に今日のおかずになりそうなものを買いに行く。
この店に行くのは2週間ぶり、種類も豊富だし、お店の人の対応がいつもいいので好きな店だ。
買ったのは、生ハム60g、トマト1個、そして惣菜のカルチョーフィ(アーティチョーク)1個、合計で3.72ユーロ(約400円強)。
カルチョーフィは、昨日ミニスーパーに水など買いに行ったときあったが、どうせ買うなら専門店の方がいいと思って買わずにいた。
(数年前の8月、ローマのリストランテで注文しようとしたら季節物で夏はないといわれたことがある。旬は、春、初夏そして秋らしい。)
生ハム全部は多すぎるので半分は明日にまわす。トマトはカプレーゼ用、昨日スペッロで買ったモッツァレラが半分ある。
あとは、モデナのメルカートで買った36ヵ月熟成のパルミジャーノ・レッジャーノとここで買ったウンブリアのペコリーノ・チーズ、主食は昨日スペッロで買ったパン。
飲み物は、200mlのプロセッコとワイン。
自炊とはいえ、ただ集めただけのチェーナ。
安上がりな割には、気分的にはかなり豪華。イタリアならではのことだ。
9月21日
《役に立たなかったケータイ》
こちらに来てすぐにケータイを買った。店はすぐ近くにある。
『2ヵ月しかいないんでそれに合ったケータイにしたい。』というと『それならWINDがいいでしょう。』と即決。10ユーロでSIMカードを買う。
『あのぅ、本体も欲しいんですが。(機能が少なくても)安いのでいいです。』というと、NOKIAを選んでくれた。
数日して、部屋の中でケータイを見るとアンテナがまったく立っていない。
外に出ると問題ない。やはり、石造りの建物の個室は厳しいのかもしれない。
3週間くらいして『キャリアを乗り換えようか』と思ったが、それほど知り合いが多いわけでもないし、e-mailも日本の携帯もあるのでそのままにしておいた。
しばらくして、授業中にケータイの話になり番号を訊かれるかも知れないといろいろ触っていたら、残り金額が0.99ユーロと出てきた。
『チャージしなけりゃいけないかな』
昨日、買った店に行ってチャージを頼むと、ご主人が何やら電話をかけようとしたりして『明日、来て欲しい』という。
何かの手続きで一晩必要なのかなと思って戻ってきた。
今朝、授業の前にちょっと外に出たらメールが入る(部屋の中では入らない)。見るとWINDからだ。『手続きが終わったんだな』ということで、夕方昨日の店に行って、チャージの前にご主人にメールを見せると、やおら電話をかけ始めた。
『これ、電話できないよ。本体がこわれている。NOKIAまで送る必要があるから、修理に15日かかる。どこで買ったの?』
『ここですよ。でも今月末までしかいないんですが。』
『レシートが必要だけど』
『すぐ持ってきます』
返金でもしてくれるのか、と期待して出直すと、書類にサインしたりして結局は修理依頼ということだった。
『普通は15日だけど10日後になるようにしておくから』
『10日後はいません。30日の夕方、来てみます。』
『ここのあとはどこへ?』
『ミラノへ』
『じゃ、ミラノのNOKIAで受け取れば?』
『そんな時間はないんです』
ということで、1日の朝にはここを立つのでタッチの差で自分の手に戻らないかもしれない。
本当に役立たずのケータイだった。
9月22日
《そそろろ帰り支度を》
残り9日。この部屋にもすでにペルージャに住んでいる学生が2人も下見にきて『もうあとわずかだなぁ』と実感する。
6月の初めにこの部屋を押さえるために送金した保証金も今朝大家さんが返してくれ、ますますその感が強い。
ということで、そろそろ帰り支度を考えなければならない時期になった。
成田でスーツケースを預けた時はぎりぎり20kg以内。いつもより4、5kg多い。
旅行と違って、辞書や生活用品、それにガイドブックもフィレンツエ(この中にウンブリアも含まれている)のほかローマ(最初に2泊した)、パリ(このあとちょっとだけ寄る)も持ってきた。
生活用品は消耗するのが多いので重さとしては減るが、週末旅行などで少しづつ買った瓶詰めなどが重い。
一方、家族の方からは冗談まじりで《さぞ、お土産が多くて帰りが大変ではないか、憂いていますが、家族会議の結果、まだ小包がひとつも届かないのは問題だという認識で一致しました。》とのメールが届いた。
もう日本に帰っているがここでの生活経験豊富な人に郵便小包の出し方を教えてもらっていたので、今朝は、郵便局へ行って確認かたがたScatola(専用の箱)を買いに行ってきた。
ふたを閉めてから貼るシールが3枚ついているけど心もとないので荷造り用のテープを売っているところも日本からメールで教えてもらった。
さて、問題はこの荷造り用のテープを何というのか?
11時からの授業で教室に入ったら先生だけ。誰もこないうちに教えてもらった。
何と”scotch”というとのこと、もちろんそのあとに”adesivo per pacchi postali”(郵便小包用の粘着テープ)と付け加える必要があるらしい。
いずれにしても、夕方の授業のあとで買いに行くつもりだ。
9月23日
《小包はvia superficieで》
今日は朝が8時から11時までの授業、そして夕方は17時からだ。
この間の時間を使って、少しチョコレートを買い、そして小包を作るつもりだった。
朝の授業が終わってからクラスメートがガレンガにある本部に修了証明書の申請に行くという。
どうせ、行かなきゃならないので一緒に行くことにした。2ヵ所で代金を払い、書類を提出。何とか昼ごろには終わる。
他のクラスメートと別れ、先週まで近くに住んでいたメルと2人でチェントロへ戻った。
本来なら”Ciao!”と別れる場所で、『このままチョコレートを買いに行く』(もう少しあとだとお店が昼休みに入り、夕方にならないと開かない)というと、『ついて行ってもいいか?』と訊いてきたので『もちろん』と、男2人でドゥオモの裏にある店に行く。お店の人とやり取りをし、味見もして、お土産になるものを買った。
買うものも買い、じゃあお昼でも食べようかと教室で2ヵ月近く一緒だったメルと初めてランチをした。
ワインも飲んでちょっといい気分だったが、部屋に戻るとさっそくまじめに荷造りにとりかかる。
送り状を見ると、品名、個数、重さを書く欄があるので一応入れるものを書き出し、丁寧に箱の中に入れる。すきまがあったら中のものが動かないように、もう着ることのないTシャツを入れるつもりだったが必要がないほどびっしりだ。
テープで完全に荷造りして郵便局へ持って行く方が運ぶには楽だったが、もし万が一入れてはいけないものがあったりするとまずいので、あけたまま持って行く。
順番がきて、『この小包を日本に《via superficie》で送りたいのですが』というと、『箱は、そっちに置いて(要は、重さを量るということ)』というので『テープしてもいいですか?』と確認し、その場で持参した荷造りテープと鋏で完全に荷造り。
そのとき、重さをみると何と10.12kgもある。5kgの料金(22.49ユーロ)は昨日訊いていたが10kg超となると幾らかかるのだろう?
荷造りが終わって、窓口の人とやり取りをするが、言葉もさることながら仕組みが良くわからない。『届かなかったときのために、もう一つの住所が必要だ、それを入力しないとコンピュータが先に進まない。』とか、いろいろ。
中身については、『チョコレート、食材、オリーブ・オイル、・・・』と言っているうちに『瓶詰めのオリーブ・オイルはまずい』という。もう完全に荷造りしてしまったので、ジェスチャーで『聞かなかったことにして』と頼み込んだ。
重さについては10kgをほんのちょっと超えているだけなので”dieci,dieci(10、10)”と言って10kgの料金にしてもらう。40.41ユーロだから、ちゃんと着けばまぁまぁ安い。航空便とはちがうので2週間はかかるようだ。
9月24日
《今日は一日ペルージャ三昧》
ペルージャ最後の金曜日。今までは10時までの授業の後、必ず小旅行に出かけていたが、今日は1日ペルージャだ。
というのは、週間天気予報で、『全国的にこの週末の天気は良くない』となっていたので出かける意欲がわかなかったからだ。
そしてもう一つの理由は、今週月曜に行われたオペラを観に行きたかったのに発売と同時に完売だった。
来週は別の劇場でオペラが上演されるが、そのチケットの売出しが明日、土曜の10時からだからだ。
そうしたところに、この間アペリティーヴォをした人たちからお誘いがあり、ちょうど良かった。
お陰で今日は昼前から夕方までゆっくり過ごすことができ、久しぶりにペルージャ観光もする。
まず、プリオーリ宮の中の”Collegio del cambio”。ここは、2回目だ。
入ると部屋全体が精緻な木彫で装飾された部屋、その右の部屋に受付があるるが、その部屋の天井、壁の絵がすごい。
もちろん、壁の下部は、入り口の部屋と同じように木彫で覆われている。
壁の絵は大きく5つの場面になっていて聖人などキリスト教の絵だ。天井の絵も素晴らしい。
特にパンフレットがあるわけでもないので、中央にある説明パネルを読むしかない。
その右隣は奥の礼拝堂につながる小さな部屋で、当時の貨幣や分銅・秤など両替商の道具が展示されている。螺旋階段もあるがこれは上ることはできない。
奥の部屋は洗礼者ヨハネ礼拝堂で16世紀に中の絵が描かれたとのことだ。
祭壇中央には、ヨハネから洗礼を受けるキリストの絵がある。
その左右にはおなじみ《受胎告知》がある。天井も左右の壁も素晴らしい絵だ。
当時の両替商の経済力が大変なものだったことがよくわかる。
10年前にペルージャを訪れたときは場所がよくわからず、見落としていたと思っていたが、『1998~2002年に修復をした』と書かれていたので多分閉まっていたのではないだろうか。
いずれにしても、ここはペルージャを訪れる人には必見の場所だ(その割に少なく今日行ったときは3人だけ)。
もう1ヵ所は、カヴール通りへ行く途中のサン・エルコラーノ教会。ここはどうもほとんど閉まっているようで何回も前を通るが開いていたことはない。
金曜の夕方だけだと書かれていたような気がしたので、買い物に行く途中に正面入り口へまわってみると開いていたので入った。
八角形のものすごく天井の高いクーポラのみ、という感じだ。
中を飾る絵は、何か荒々しい感じを受けた。
外から見ると、傾斜をうまく利用しているので聳え立つように見える。
右翼廊にあたる部分はサン・エルコラーノ礼拝堂、一人祈っている人がいたので早々に失礼する。
ドゥオモからエトルスコ門を下る通りにあるエノテカ、前に一度訪れたことがあり、ご主人ともいろいろ話をしたがそれっきりになっている。
その後、通りがかったときには挨拶をされ、『もう一度行かなきゃ』と思っていたので、ワインを買いかたがた行ってみた。
この店のいいところは、いろんな種類のワインがグラスで飲めること。
今日は、ちょっと気張って”Vino Nobile di Montepulciano”、それでも5ユーロ。高い方の部類だ。つまみとして、チーズ2種類、サラミ2種類、生ハムなどがついてくる。
隣にいたカップルともちょっと話をし、彼らが帰ったあとはご主人と少し会話。
『もうすぐコースが終わり帰るけどイタリア語は難しいですね』というと”piano,piano(あせらずゆっくりだよ)”と返してくれた。
もう一つの目的のワイン(これがペルージャ生活最後の家飲みワインのはず)を1本買っていったん自分の部屋に戻る。
このあとは、皆との2度目のアペリティーヴォに出かけ、いい気分でゆったりと残り少ないペルージャ生活を楽しんだ。
9月25日
《演奏会とアペリティーヴォとチェーナ》
今日は曇り空で気温も低い。朝9時ごろには一時激しい雨も降ったので、どこにも出かけなかったのは正解かもしれない。
10時から、火曜、水曜に上演されるオペラのチケットが発売になるので小雨の中、買いに行く。
今度の劇場(Teatro Morlacchi)は、20日に行けなかった劇場にくらべ大きいのと2回公演なので、問題なく買えた。舞台前の席(Platea)で29ユーロとものすごく安い。
月曜に試験があるので少し復習しながら、出たり入ったり。
昼頃、電話が入る。昨日の夜、アペリティーヴォで一緒だったAさんからだ。彼女はヴァイオリスト、今晩自身が弾く演奏会の招待だった。この演奏会、軍の主催のため招待者限定のところに、昨日会ったときに『一般の人は入れるんですか?』とたずねたため、頼み込んでくれたようだ。喜んで行くことにした。
場所は、バス・ターナルの先にあるサンタ・ジュリアーナ教会。
陸上競技場の横の公園を抜けると、素晴らしい鐘楼をもった教会がある。
ここまでは来たことがなく、それだけでも良かった。ちょうど天気も回復し少し青空も見えてきてこの教会の姿も美しい。
少し早く着いたので周りを歩き時間調整、教会につながっている付属建物は軍の管轄にあるようだ。
入口で2人の若い男女の隊員が入場者のチェックをしている。
順番を待っている間にAさんがもう一人の出演者とやってきたので、招待券を提示し名前をフルネームで言って一緒に会場に向かった。
『教会の中で演奏するといっても、廊下なんですよ。』と言われたが、会場は教会の回廊の上階。
このコーナーをステージにしてL字型に観客席が作られていた。窓から外を見ると、下は回廊と中庭。美しい。
17時半開始。まず、主催者代表の軍人が、開会の挨拶、10分くらい熱弁。ついで音楽関係の方が出演者の紹介を含め5分ほどスピーチ。
はじめに、コントラバスの独奏が2人続く。はじめてコントラバスだけの演奏を生で聴いた。最初の演奏は、指だけで弾いたり、叩いたりやや前衛的。次の曲はバッハだったので耳に心地よい。3曲目は2人で演奏、いわばデュエットか。先輩が後輩に目くばせしながら、なかなかいい雰囲気だった。
入るとき一緒だった男性が3人目でヴァイオイリンチェロを独奏。プログラムをみると3人ともペルージャほか地元ウンブリアの出身で、最後に登場したのが日本人のAさん。
初めて聴く曲だったけど、すばらしい演奏で、気持ちよく聴くことができた。
Aさんのお陰で貴重な体験をすることができた。
このあとは、急いでチェントロに戻り、留学生3人と二日連続でアペリティーヴォ。というのは、そのうちの一人、Mさんが3日前に日本から再度ペルージャに来ていて、急遽食事をすることになったからだ(Mさんには、私のペルージャ初日に一度会っていてお世話になっている)。
おもしろいことに、Mさんがペルージャに着いてから路上でばったりと3回も会っている。ペルージャはそんな町だ。
アペリティーヴォは約1時間、一人は試験勉強をしなければいけないというので別れ、3人でプリオーリ通りを下ったリストランテへ移りチェーナ(夕食)。
入口から想像できないほど地下には3つの部屋があって客席は多い。
久しぶりのシーフード。3人でおしゃべりしながらの食事は楽しい。あっという間に時間がたち、気がついたら12時。
帰り道はちょっと寒かったが、実に楽しい一日だった。
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お店の名前 La cambusa Via dei Piori,78, Perugia
http://www.lacambusa.biz/dove.html
9月26日
《今日は休養日に》
ペルージャ滞在中最後の日曜日。昨日までは『フィレンツェにでも行こうか』など、考えていたものの往復4時間以上かかるし、昨晩寝たのが遅かったことともあって、結局週末に初めて3日連続でペルージャにいることになる。
金曜にはペルージャを立ち、帰国するまで6日間ほど旅行するので今日は休養にあてることにした。
午前中は青空だったので、この間旅行者を案内した昔の水道橋のアクアドット通りを望めるアッピア通りへ、上からの景色の写真にとるため出かけた。
数日前、そこにはスケッチをしている年配の日本人女性3人がいた。
そのまま散歩をする。プリオーリ通りに面したサン・フィリッポ・ネリ教会に出たので前に一度訪れているがデジカメを持っていたので入る。8月中はこの教会の前を毎日通っていたが今日で2回目だ。
夕べの食事のとき一緒だったひとりが食通なので《一番いいと思うリストランテ》を聞いたところ近くの店をあげてくれた。その店を探してみた。
以前、その前を通って気がついていたがその頃はずぅっと夏休みだった。
その店の前を下るとサン・スザンナ門。いったん広い道路に出たが、ペッリーニ駐車場のわきを抜けてエスカレーターで上がってプリオーリ通りへ戻る。
その時間には夕べの店はすでに開いていた。
今日は日曜なので普通の店は全部休みだとばっかり思っていたが、午前中通りがかったところよく行くパン屋さん、食料品店は開いていた。
それを知って午後に明日からの朝食用のパンとチーズなど買いに再び出かける。
パン屋さんに行くとびっくり!もうほとんどない。
何とか残っている中から買って食料品店へ。
この店のご主人は顔を覚えてくれている人。一度広場ですれ違ったとき”Salve!”と声をかけてくれた。
地元のペコリーノチーズとサラミ、サン・ダニエル産のプロシュートを買う。
朝食時とワインのつまみ用だ。
これでほとんど日常の買い物は終わりかもしれない。
夕方、もう一度散歩のためだけに出かけると、小雨が降っている。
そのうちやんだが、今度は風が強くなってきた。
日曜とあってヴァンヌッチ通りの人出はそこそこあるけど、通りの真ん中や共和国広場に出ているカフェは客もまばらでそろそろ店仕舞いするところもあった。
少し前から、イタリア広場に近い通りのあたりには、《焼きとうもろこし》と《焼き栗》の店が出ていて秋を実感させてくれる。
さて、夕食。昨日教えてもらって、今朝場所も再確認したトラットリアに決めていた。
行く前にネットで検索したらこちらのリストランテ検索サイトでペルージャNo.1の店だ。
これは絶対に行かなきゃと20時ちょっと前に出かけ行って見ると何と今日は休みだ。
戻っても食材も作る気もないので、住まいのすぐ近くのpizzeria(この店はペルージャのpizzeriaで一番美味しいという評判)で持ち帰りすることに決め、行ってみると外には何人も待っている。
そこを中に入り、フンギのピッツァを持ち帰りで注文、代金5ユーロを払って外で待つ。
代金は店内と同じで、しかも箱代不要(中で食べると、席料1,1ユーロ。大きさは、帰ってから測ってみると直径27cmはある。)。
5分くらいで焼き上がり、それをもらって徒歩1分で帰宅。
ちょうど片付けたかったワインを飲みながら大満足。
ここのピッツァはこれで6回目、あともう1回くらいは店内でちょっとスパークリング的な白ワインと一緒に食べたいものだ。
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お店の名前 Pizzeria Mediterranea, Piazza Piccinito, 11/12, Perugia
9月27日
《すっぽかされたワインバーの約束》
東京も一気に気温が下がったみたいだけれど、ペルージャも今日は朝方かなり冷え込んだ。
8時からの授業(といっても、今日は修了テスト)のため、出かけると寒い。数回だけどはく息が白い。まるで晩秋のようだ。
8時ちょっとすぎからテストだ。
その前にクラスメートが用意してきた先生への贈り物を年長だからということで代表して渡すことになった。
感謝の気持ちをこめて手渡す。今日最終日の人もいるのでみんなやや感傷的。
テストは結構手ごわい。テキストも辞書もみるわけにいかない。
何とか10時過ぎに提出、採点結果を待つ。その結果は合格、もし続けるならば上のクラスに行ける。
インド人の一人は、4、5年の留学のためローマへ移動するとのことで今日が最終日。いつも、隣の席だったのでちょっとさびしくなるなぁ。『ローマでしっかり勉強するよう期待している(これは英語で)。もしローマに行く機会があったら全部ガイドして欲しい。』と言って別れた。
今日はこのあと夜までフリー。昼食後、まだ入ったことのないすぐ近くの美術館に行ってみると『もうすぐ閉館時間だから』と断られた。
風が強いものの日が差してきたので、そのまま散歩。ペルージャ生活もあとわずかだ。カヴール通りからサン・ピエトロ門まで行き、また戻る。このコースは多分最後だろう。
サン・エルコラーノ教会脇の階段を上がったオベルダン通りで、イタリア人と話しているSさんに出会う。
来たばかりのころカフェで一緒になって以来だ。彼は、一番の古株だ。
ミラノでピアノの勉強している方(昨年外国人大学留学経験あり)もいて立ち話。
お互い時間がありそうなので出会ったカフェに移動し、3人でお茶をしながら1時間ほどいろいろ話をする。『楽しく充実したペルージャ生活だったですよ』というと『それは良かったですね。』と喜んでくれた。
さて、今晩はモンテファルコの”eno’logica”のテイスティングで出会ったソムリエのマルコに誘われ、近くのワインバーで会うことになっている。
最近アペリティーヴォ、チェーナを一緒だったソムリエ目指して勉強中のYさんに話したら『行きたい』というので心強い。
マルコとの待ち合わせは21時なので遅いので、その前にアペリティーヴォで少し小腹を満たすことにした。最初に行った店が休みだったので、結局おととい行った店に行きプロセッコと白を1杯づつ。
そろそろ時間だとマルコの指定した店に行ってみたが来ていない。
『マルコと待ち合わせなんですが』とお店の人に訊くと『どのマルコ?髪のチリチリした○○かい?』。こっちは苗字は聞いていないので『ソムリエのマルコ』というと『あー、今日はまだ来ていないね。カウンターで待ってれば。』ということでカウンター席に座った。
店内は相当混んでいて2人のカメリエーレはてんてこ舞いの模様。
しばらく待っていたが手持ちぶさたなのでカウンターにあったワインの中からシエナのサン・ジョヴェーゼをグラスで注文。
連れがいるからいいものの一人で来ていたら大変だったと思う。
2階のテーブルがあいたのでそっちに移り、彼がこようがこまいが食事をすることにした。ところが、カメリエーレが忙しいらしく『注文したいけど』といっても『すぐに来るから』と返事はあるもののまったくこない。
お腹もすいてきたのでこの店を出ることにし、ワイン2杯分だけ払おうとしたが『食事したいんだけど注文も取りにこなかったの』とYさんがちょっと強めにいうと『ワインはサービスしときますよ』と。
結局、常連らしいマルコにすっぽかされた。ま、イタリア人だからしょうがないか。
アペリティーヴォのつまみを食べていたとはいえ、22時を回っていて相当の空腹だ。
昨日行って休みだったトラットリアに行く。常連らしいYさんが『食事はできますか?』というと『10分で注文して1時間で食べてくれるならね』と冗談半分、本音半分の返事が帰ってきた。
Yさんおすすめの《アンティパスト盛り合わせ》と、《キアーナ肉の赤ワイン煮》を頼み、500mlのハウスワインの赤を飲みながらまたおしゃべり。
店に入ったときすでに2組しかいなかったので完全に最後の客だった。プリオーリ通りを上ってヴァンヌッチ通りに出たところ、日本での再会を約束して別れた。
ヴァラエティにとんだ長い一日だった。
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お店 Trattoria Del Borgo, via della Sposa 23, Perugia
http://www.paginegialle.it/trattoriadelborgo
9月28日
《La vita e’ bella》と《愛の妙薬》
火曜は10時から15時までという厳しい時間帯の授業だけど今日で終わり。
2、3回に1回出てくる10代のサッカー選手2人は出てきたが、今日から1人欠けたので総勢6人、12時からは4人、13時からの会話演習は3人とさびしい人数。
会話演習の先生にも昨日と同じように皆からの感謝のプレゼントをする。
イタリア人はこういうときの喜び方が自然に表現できると感心する。
今日のその授業は、イタリア映画《La vita e’ bella》のDVD視聴。
字幕もイタリア語だ。2時間近く見続け、残り20分のところでとりあえず今日は終わり。
日本では《Life is beautiful》というタイトルで公開され、見たことがあるがストーリーを覚えているものの忘れている場面もあった。
明日は続きを見てから特定のシーンについて台詞を勉強することになるらしい。
さて、今晩はTeatroMorlacchiでオペラ《愛の妙薬》鑑賞だ。チケットは25日に購入済(29ユーロ)。
20時半開演なので、夕食を自分の部屋で早めにとって出かけた。住まいからはわずか5分の距離。入り口で土曜夜一緒だった声楽家留学生とばったり出会う。しばらく、中のバールのテーブルで談笑。
開演時刻になったころ別れてそれぞれの席につく。建物を外からみただけではまったく想像がつかないほど、中はすばらしい。椅子席のPlateaを取り囲むように5階ものボックス席がある。
私の席は、椅子席の最前列、オーケストラ席のすぐ前。チケットを買ってからいわれたのだけど、最前列はあまり見やすくないらしい。確かに、近いが舞台は目の高さよりちょっと上だった。
そのうち、オーケストラの人たちが入ってきたが本当に目と鼻の先、それぞれの表情まではっきり見える。音あわせのあと、指揮者登場。最前列中央2番目だったので指揮者は斜め前2メートルの距離だ。
15分遅れでカーテンが開く。舞台の高さは、始まってみると気にならない。指揮者の動きも気にならず、むしろオケだけではなくスーテージ上の歌手にまで指揮していたように見えておもしろかった。
オペラは3回目、イタリアでは2回目。《愛の妙薬》は東京で見ているので2回目、今回の方が出演者が村人を中心に多くて合唱や全体の動きに迫力があった。
2、3列うしろから女性の声で”bravo!!”、”bravi!!”といいタイミングで掛け声がたびたびあった。きっと《通》なんだろうなぁ。
主役の農夫、恋の相手の村娘も熱演だったが、軍曹と妙薬売りは存在感があった。
途中20分ほどの幕間があり23時ころ終わったが、指揮者も含めたカーテンコールがまた良かった。出演者の一仕事終わった達成感を感じた。
9月29日
《映画のあとはエノテカへ》
ここペルージャは有名なチョコレート・メーカーのあるところ。
今日の夕方の授業ではペルージャを舞台にし、チョコレート作りを題材にした”lezione di cioccolato”という映画を見た。
初めに先生から、《主人公2人、建築業を営む青年社長とそこで不法就労中に大ケガをするエジプト人》について解説があった。
教室のスクリーンを使って大画面なので字幕の台詞もはっきり見える。
昨日の”La vita e’ balla”の時の先生と違って、要所要所で止め、言い回しや単語の解説が入る。
しかし、まぁストーリーとしては面白い。最後はハッピーエンド。
映画の中では、毎日見ている11月4日広場が1度だけ出てきた。途中1回だけ休憩し、終わってからはやはり言葉の解説。
初めのうちは話の展開がちょっとわからなかったが、イタリア語のままでほぼストーリーを追えたということは2ヵ月の間にそれなりにレベルアップしたのかもしれない。
夜は20時半待ち合わせで日本語を勉強しているGiuseppeとチェーナの約束。
それまで時間があり、おなかもすくのでロッキ通りのエノテカへ挨拶をかねアペリティーヴォに行く。
ここでは1杯2.5~7ユーロのグラスワインを何十種類もの中から選ぶことができ、つまみとして生ハム、サラミ、チーズ、グリッシーニなどが出てくる。
『イタリア語のコースも明日で終わり、あさってここを立ちます』『ローマへかい?』
『いいえ、ミラノです、ペルージャでは楽しい時間をすごしました。でも2ヵ月では無理ですね。』『そうだね、やっぱり1年は必要だと思うよ。今度はいつ?』
『今はまだわかりません』『また来てよ、Buon viaggio!!』と、まぁ飲みながらこんな話をする。
ここのご主人、イタリア人ぽくなく落ち着いた話し方をするので好きだ。
小腹を満たしすぎたのか、そのあとGiuseppeとの夕食ではピッツアの店へ行ったがアンティパストもピッツアも残してしまった。
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映画 ”lezione di cioccolato”
http://www.mymovies.it/dizionario/recensione.asp?id=49569
9月30日
《ついに終わった留学生活》
ついに2ヵ月のコースが終わった。
来る前は長いと思ったのに、来てみて実際に授業が始まってみるとあっという間にすぎてしまった。
どれだけレベルアップしたかはわからない。
しかし、最初のうちはどうやってコミュニケーションをとろうかと思っていたクラスメートとも9月に入ってからはお互い間違えながらもイタリア語になってきた。
8月は、大勢のトルコの大学生がヴァカンス気分で来ていて遅刻して来たり休憩時間がすぎてもなかなか戻らなかったり、何となくクラスも2分されていたが、9月からはまじめに出席し、休憩時間が終わる前に席に戻るという人ばかりで、また少人数だったこともあって、3人の先生方ともうまくコミュニケーションできたみたいだ。
ひとことでいうと、ものすごく充実した時間を好きなイタリアですごすことができた。
本当に来てよかったと思う。
この日記の場を借りて、喜んで送り出してくれた妻をはじめ家族の皆に感謝したい。ありがとうございました。
そして、今回の留学のきっかけとなった昨年の旅行先、クレモナで出会ったお二人、来る前には日本で、来てからはペルージャで、それぞれに何かとお世話になりました。その友達の皆さんにも随分助けてもらいました。Greazie mille!!
とりわけ、お二人の友人でこちらに来る直前に東京で紹介され、私より数日前にペルージャ入りして1ヵ月近くダブったペルージャ生活の経験豊富な友人には本当にいろいろ教えてもらい、ここでの生活ができました。Grazie tante!!
さらに、日本から気遣いや励ましのメールを何回もくれたイタリア旅行仲間でもある兄弟、友人、長年勤務していた会社の同僚、など多くの皆さんに支えられて無事終わったように思います。
予期せぬときのメールは本当にうれしかったです。ありがとうございました。
幸い、滞在中体調を崩すこともなく過ごせました。
明日からは、旅人になって1週間ほど旅行して元気な姿で帰りたいと思っています。