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Spoleto (スポレート) 2010/8/7~8

Spoleto (スポレート) 2010/8/7~8

◆行く

ペルージャ短期留学、滞在2ヵ月の最初の週末にSpoletoへ1泊旅行。前日の金曜は午前中の授業が終わってから日帰りでアッシジに行ったが泊りでショート・トリップするのは初めてだ。

スポレートは列車でペルージャから1時間の距離。11時16分発のローマ行きに乗る。昨日アッシジから帰ってきた線路を行くことになる。滞在中、おそらく何度もこの線を利用することになるだろう。

定刻より少し遅れて到着。

Spoleto 駅

駅から旧市街入り口まで約1.5km、ちょうどバスがきたのでチェントロ行きかたずねたが『ドゥオモ行き』だというのであきらめ荷物も少ないので歩くことにした。ペルージャよりも低いので結構暑い。

Spoleto サン・グレゴリオ・マッジョーレ教会②

 

 

旧市街入口まできて、それからは《歩き方》の地図を頼りにリベルタ広場のホテルを目指すが1ヵ所間違えたことに気づき左に曲がり階段を上がったりしているうちに広場へ通じる道に出た。駅から25分でホテル到着、チェックイン。

◆見る

ホテルを出ると広場なのだがカフェやオープンテラスのリストランテにはあまり人がいない。そこでメルカート広場というのがあるのを地図で知り行ってみたがしょぼいカフェ、バール、ピッツェリアがあるものの人であふれているというわけではない。

しようがないので1軒のカフェで生ハムのフォカッチャと白ワインのランチとした。

◆鐘楼修復中のドゥオモ

3時になったのでそこから近いドゥオモに行く。

ゆるやかな階段の下にすばらしいファサードのドゥオモ(Cattedrale di S.Maria Assunta)が見えた。残念なことに左にそびえる鐘楼は修復中で尖塔しか見えない。

Spoleto ドゥオモ①

 

階段を下りて行ってみると3時なのにまだ昼休み中で入れないので来た道を戻り、上の要塞に行ってみた。

中をどんどん進むとエレベータがあり一気に要塞の上まで簡単に登ることができた。その高さはドゥオモ鐘楼よりも高い。眼下にスポレートの町が一望できラッキーな時間調整となった。

Spoleto 城塞から見たドゥオモ鐘楼尖塔

 

 

再びドゥオモに行き、今度は中に入る。3廊式で力強い四角い太い白い柱でわけられている。後陣まではまっ白で装飾がない。

その後陣にはフィリッポ・リッピと弟子によるフレスコ画《聖母マリアの生涯》の4場面が描かれている。

Spoleto ドゥオモ 後陣フィリッポ・リッピのフレスコ画

中でも左下の《受胎告知》のマリアの顔、表情は一目みてフィリッポ・リッピの作とわかる。

Spoleto ドゥオモ フィリッポ・リッピ『受胎告知』

 

◆見どころはローマ時代の遺跡

スポレートにはローマ時代の遺跡が残っている。まず、ローマ時代の劇場。ほぼ完全な形で残っている。中に入ることはできなかったが泊まったホテル前の広場から見下ろすことができた。

Spoleto ローマ劇場

 

そして1世紀のローマ時代の家がある。アトリウムを囲むよう7つの部屋があり、床には抽象模様のモザイク装飾もあってかなりの大邸宅だ(入場料2.5ユーロ)。

Spoleto ローマ人の家

 

圧巻は水道橋。フランス、ニーム近くのポン・デュガールに行ったことがあるが規模はあれほどではない(高さ80m、幅230m)ものの同じイメージ。まさか、スポレートでお目にかかるとは思ってもいなかった。

Spoleto ポンテ・デッレ・トッリ

ここには19時すぎに行ったが驚いたのは、橋のちょっと下の部分、いわば歩道部分に渓谷を見下ろすような形でざっと30ほどのテーブルがセッティングされ、夜にはそこでディナーがおこなわれること。スタッフが音響、照明の準備中だった、

Spoleto ポンテ・デッレ・トッリ 橋の上にはテーブルが

 

◆スポレートはグルメ天国?

歩き回って疲れたのでホテルで一休み、19時ころ出かける時、レセプションでホテル隣接のリストランテを予約してもらう。このリストランテはミシュラン・ガイドに載っている2軒のうちの1軒、3本フォークの店だ。しかも、何年か前の雑誌でも紹介されていた店ということで選んだ。あともう一つ、レセプションの女性からの『ホテル宿泊客は1割引きですよ』が決め手。

選んだメニューは”i classici dell ‘Apollinare”、たぶん《当店おすすめの伝統的料理》というものだろう。

アンティパストは、 地元のチーズをパイ生地でくるんで焼いたものに黒トリュフと別のチーズのソースが添えられたもの、バナナ1本くらいの大きさだ。甘くてデザートっぽくておいしい。

Spoleto Ristorante Apollinare 前菜

 

プリモは、この地方のパスタ、ストレンゴッツィのトマト・ソース。断面は四角でそんなに太くないが歯ごたえがあってもちもち感がある。

Spoleto Ristorante Apollinare ストレンゴッツィ

 

セコンドは、豚フィレの地元赤ワイン煮の洋梨添え。フィレ肉は何か薄いもので巻かれて輪切りになっている。

半分の洋梨は赤ワインに染まっていてややしょっぱい豚フィレとの相性が抜群。

デザートはこの地方名物のクレッションダ。

チョコレートケーキが地元のお酒アマレティを含みまわりにちりばめられたナッツともマッチし絶妙(ズッパ・イングレーゼのチョコレートケーキ版といったらいいか)。チョコレトケーキ好きでお酒好きの私には最高!!

かなりヴォリュームがあり超満腹状態。

これでお店が選んだワイン、ボトル1本つきでなんと・・・・・40ユーロ、しかも、1割引。

食後に、カメリエーレから『カフェは?』ときかれ”No grazie! E pieno.”と答えたにもかかわらず勘定書きを持ってきた女性オーナーから『食後酒はどうですか?サービスですよ。』といわれアマローネ(まぁ、養命酒みたいなもの)をご馳走になる。

と、まぁ最高の夕食だった(ただ、水は今までで一番高かったかもしれない。3ユーロ)。

 

実は夕食の30分ほど前、アペリティーヴォと称してドゥオモ近くのエノテカでプロセッコを1杯飲んだ。日本酒1合注ぐときのようにギリギリまで入れてくれて3.5ユーロ、どちらかといえば安い方だ。

でもこの3分後、出てきたつまみが凄い!生ハム、サラミ類が3種、各2枚ずつとかごにもられたパン。さすがに夕食を控えているのでパンはほどほどにしたが生ハム類は全部いただいた。もう1杯欲しかったくらい。

Spoleto Al Bacco Felice アペリティーヴォ

 

◆ホテル前の広場、通りはメルカート

ホテルで朝食後、ロビーでネット。PCを抱えたままちょっと外に出てみるとリベルタ広場にアンティーク中心の市が立っていた。広場に続くマッツーニ通りをずっーと行くとトリュフの店があり、イタリア生活が始まったばかりだというのに瓶詰めのパスタソースをお土産用に買う。

Spoleto 朝市のトリュフ屋さん

 

◆見どころの多い魅力的な町

ドゥオモやローマ時代の遺跡のほか旧市街にはサン・ドメニコ教会

Spoleto サン・ドメニコ教会

 

サンタ・マリア・ミセリコルディア教会などが多数ある。

Spoleto サンタ・マリア・デッラ・ピアッジァ教会

 

ちょっと外には、初期キリスト教会の石積みのサン・サルヴァトーレ教会

Spoleto サン・サルヴァトーレ教会 内部

 

ファサードにロマネスク装飾のあるサン・ピエトロ教会がある。

Spoleto サン・ピエトロ教会

 

ペルージャは高い位置にありしかもチェントロの高低さもかなりのものだが、ここスポレートはそれほどの高さでもなくあまり高低さもない。といっても、旧市街の道は入れ組んでしかも上ったり下りたり、小さな階段で結ばれたりで複雑怪奇だ。きっと、外敵から守るための都市計画だと思う。

 

この町を歩き回って、特に夕方以降気づいたのはやたらリストランテ、トラットリア、オステリアの多いこと。きっと競争も厳しいでしょうね。件のリストランテもコペルト、サービス料が価格に含まれていた。

ということは食べる方にとっては魅力的な町なんだろう。滞在中、もう一度食べるためだけに来たい。夕食だと泊まらないわけにいかないので1泊だろうなぁと思う。

(残念ながらペルージャ滞在中もその後の旅行でも再訪できていない。)

 

15時31分発の列車に乗り、Folignoで乗換えペルージャに戻る。

 

◆泊る

ホテル Hotel Aurora(★★★),Via Apollinare,3 Spoleto, Single 55ユーロ、ネットで予約

Spoleto Hotel Aurora

 

◆食べる

  • リストランテ

◎お店の名前 Ristorante Apollinare Via S.Agata, 14, Spoleto

i classici dell’Apollinare(具体的なメニューは下記)

Antipasto : Caramella soffiata alla caciottina locale con fonduta di parmigiano e tartufo

Primo : Strengozzi alla spoletina con salsa di pomodoro,peperoncino e prezzemolo

Second : Lombello di maialino in rete di lardo con salsa delicata al pecorino e pere al Rosso Montefalco

Spoleto Ristorante Apollinare 肉

Dessert : Crescionda alla spoletina agli amaretti e cioccolato con crema pasticcera

Spoleto Ristorante Apollinare ドルチェ  Spoleto Ristorante Apollinare ワイン

Vino : BOCALE Montefalco Rosso 2007

具体的な内容は本文の通り。ワイン(フルボトル)込みで36ユーロ。

この店は優雅な室内の席があるが夏とあって外に特設のテラス席が設けられていた。その入り口すぐの席だったが、人が通るたび木造の床がきしむのでちょっと居心地が悪い。たまたま一人だからここに座らされたのか、東洋人だからなのか、席にはやや不満。

◎エノテカの名前 Bar Osteria Al Bacco Felice Via Saffi 24, Spoleto

ドゥオモ近くのエノテカ兼バール、店内の両サイドの壁にはウンブリアを中心にイタリア各地のワインが陳列されている。ほかにはこの地方の特産品が売られている。隣にはオステリアがあり、つまみはそちらで用意されるようだ。

ここには翌日のお昼にランチ代わりにもう一度訪問、つまみは同じように多く2杯飲んでしまう(白3ユーロ、赤4ユーロ)。

◆買う

  • 買ったもの 瓶詰めの黒トリュフパスタソース マッツーニ通りのメルカートで。

1個3ユーロだったが『4個買うのでまけて!』とお願いし、10ユーロ

  • 買ったもの Antinori TIGNANELLO 2006 Drogheria Petrioli,Piazza Mercato 1, Spoleto

49.9ユーロ。メルカート広場の食料雑貨屋兼酒屋にふらっと入って見つけ上記エノテカより同ヴィンテージで10ユーロ安かったので購入。帰国時我が家への土産とした。

Firenze (フィレンツェ) 2010/7/29~31

 

Firenze (フィレンツェ) 2010/7/29~31

◆行く

フィレンツェは1998年から連続3年訪れて以来10年ぶりだ。今回はペルージャ短期留学の前にローマ同様ちょっと観光気分を味わうことにしていた。そしてそのローマから移動する。

午前中のローマは晴天だったが途中から曇ってきて今にも降り出しそうだ。列車がフィレンツェ市内に入ったころ雨がポツリポツリ。

12時40分サンタ・マリア・ノヴェッラ駅に到着。このころには本降りだ。

Firenze S.M.N.駅は突然の雷雨

Firenze S.M.N.駅は突然の雷雨

駅で雨宿りをしたが結果的には失敗だ。13時をすぎたころから土砂降りで雷もガンガンごろごろ。 1時間待って青空が出てきたので地下道を使って歩き始める。地上に出てから少しは傘をさしたが、サン・ロレンツォ聖堂のあたりで傘をしまう。

カヴール通りに面しているはずのホテルがわかりにくい。ちょうど建物の工事中で看板がシートで隠れていたためだ。列車を降りてからなんと1時間半もたっていた。

◆またまた雷雨だ

荷物もあけずにカメラのみ持って台風一過のような晴天の下、昼食と散策に出かける。 ドゥオモ(花の大聖母)の前を通るが相変わらず観光客でいっぱいだ。

Firenze ドゥオモ ファサード Firenze ジョットの鐘楼

11年前家族みんなで行ったPizzeriaでランチ、遅い時間なのにかなり混んでいる。

そのあとは以前行ったことのある店やポンテ・ヴェッキオなどに行く。

Firenze ポンテ・ヴェッキオ

 

シニョーリア広場についたころには空が一面雲に代わっていた。16時、それこそ突然降り始める。 カルツァイウォーリ通りの店の軒先を飛び石のように雨宿りして最後はズブぬれでドゥオモの前まで行く。

近くの建物でしばし雨宿り。雷もひどい。1日2回もこんな目に遭うとは・・・。

◆夕食前のリサーチ

ホテルでおすすめのトラットリア数軒を教えてもらい、今度は用心のため傘をショルダーバッグに入れて夕食前の1杯(アペリティーヴォ)とリストランテ探しに出かける。

まず、おひざもとの2軒を確かめてからシニョーリア広場、ウフィツィとヴェッキオ宮殿の小路を行きワインバー1軒見つけたがパス。 ポンテ・ヴェッキオをわたりピッティ宮の方まで行き、戻って橋の近くの気になったワインバーで一休みしようとしたが20時予約のテーブルしかなく残り15分なのであきらめ、夕食に向かう。

結局教えてもらった店の一つに行くことにしたが、フィレンツェのチェントロは小さい町とはいえ、ほぼ反対側なのでそれなりに遠い。

◆ZA-ZAでのチェーナ

結構人気店のようでにぎわっている。外の席はいっぱいで中のテーブルに案内される。下に行く階段を見下ろすこじんまりとした席だ。壁の一部が祠のようになっていてそこに聖母子像が鎮座している面白い雰囲気。

Firenze Trattoria Zaza 店内の聖母子像

各テーブルにはZA-ZAのラベルの赤ワインが当然のように置かれている。

トスカーナ料理とワインを堪能しお腹いっぱいドルチェもカフェもパスだ。ホテルに戻ってから念のため胃腸薬を飲むほどだ。

◆中日(なかび)は美術鑑賞

10年ぶり、4回目のフィレンツェに来た理由のひとつはドゥオモ付属美術館ウフィッツィ美術館を見ることだ。

ドゥオモ付属美術館は過去には場所がわからなかったり、行ってみたら休みだったりして見ることができなかった。ウフィッツィには3回訪れているが、それでも『また見たいな』ということでホテルを通じて午後の予約を取っていた。

8時半ごろホテルをスタート。風があり7月末だというのに肌寒いくらいだ。 ドゥオモ博物館の場所を確認、9時からなので後回し。

◆ミケランジェロ広場

以前2回泊ったことのあるベルベリーニホテルを左折、サンタ・クローチェ教会前の道からグラツィエ橋を渡り、ミケランジェロ広場へ行く。ホテルから約2kmの道のりだ。 まだ早い時間なので広場は閑散としている。

Firenze ミケランジェロ広場 ダヴィデ像

 

昨日とは一転、うすい雲がところどころあるが晴天。その下の市内の景色は素晴らしい。何回来てもそう思う。一人占めしている気分だ。

Firenze ミケランジェロ広場からのドゥオモ

帰りは少し道を間違えたが途中で登ってきた道に合流、そのままドゥオモ付属美術館へ。

◆ドゥオモ付属美術館(Museo dell’Opera del Duomo)

念願の入館、ここは展示作品のみどころが多い。圧巻はミケランジェロの《ピエタ》とドナッテロの《マグダラのマリア》。

Firenze ドゥオモ付属美術館 ミケランジェロ『ピエタ』②

 

特に《マグダラのマリア》がここにあることを知らなかったので『おぉ!ここにあったんだぁ!』と感激した。

Firenze ドゥオモ付属美術館 ドナテッロ『マグダラのマリア』

 

◆中央市場

ホテル近くの中央市場を覘く。

ここに入るのは初めてだ。目当てはConti、日本でイタリア食材通販のお店《ベリッシモ》がここの店主と懇意のようで取り扱っている店だ。

日本人の女性スタッフに声をかけられ、そのことを話したり、このあとペルージャに短期留学することなど話しながら、自炊に必要?なドライトマト、乾燥ポルチーニ、赤ワインなどを購入。

Firenze 中央市場 Conti

いったんホテルに戻りPCでウフィッツィの予約番号を確認、メールをチェックして12時すぎ再度出かける。

ドゥオモの前を通ると時間のせいか並んでいる人が少ないので入ってみた。ここにはフィレンツェに来るたび来ているが覚えているのはクーポラの絵くらいだ。

デジカメを持って入るのは初めてなので身廊手前の壁(ファサードの内側)とクーポラの絵を写す。

Firenze ドゥオモ クーポラ

 

 

◆10年ぶりのトラットリアは期待はずれ

そろそろお腹がすいてきた。バルベリーニ・ホテルの裏側の《I’ che c’e c’e》を10年ぶりに訪問。店の前のメニューを見ると少し高くなっているようだったので13ユーロの定食をとることにして入る。

お客はアジア系夫婦と子供、若い男女3人、それにジモティのおじさんのみ。 昔いた元気で愛相のいいおばちゃんは壁に貼ってある写真では見たがもう店には出ていないみたいだ。

さて、味の方だが期待を込めて行った割には今一つ。残念だった。シェフが代わったのか、やる気がなくなったのか? お客はその後熟年カップル、グループなどで18名まで増えたのでそれなりの支持はあるようだが。

◆ウフィッツィ美術館

15時予約なので一旦戻ったホテルを14時半少し前に出る。14時35分すぎ予約窓口へ。

いとも簡単に入場券を手にし、少しベンチで待つ。 入場すると結構混んでいて、東京の美術展までとはいかないが有名な作品のあたりは人だかりだ。

シモーネ・マルティーニの《受胎告知》、レオナルド・ダ・ヴィンチの《受胎告知》、ボッティチェッリの《》や《ヴィーナスの誕生》に見入ってしまう。

『歩き方』を参照しながら見どころをおさえる。4回目だけれど何度見てもいい。 折り返しのあたりで疲れが出てくる。前もそうだったがここからは駆け足気味になってしまう。

Firenze ウフィッツィ美術館からのポンテ・ヴェッキオ

Firenze ウフィッツィ美術館からのポンテ・ヴェッキオ

最後の1階のカラヴァッジョ特別展でどっと疲れる。カラヴァッジョの作品は《メデューサの首》のみであとは弟子というか他の画家の作品だった。 結局2時間費やした。歩き回った身体を休めるためホテルで休養に戻る。

◆アペリティーヴォのあとは食べながら国際交流

19時すぎ食事に出かける。少し早いがその前にどこかバールかエノテカでアペリティーヴォということ。

昨日探し当てたワインバーに寄ってみた。フィレンツェでありながら観光客はほとんどいない小さな店。

食前酒としてはプロセッコかと思い注文。外ではなく中の壁に向かったカウンターのような席で飲む。 その店の前の通り(via Dr’Neri)をそのまま歩くと今朝見つけたカフェ・リストランテの前に出たのでそこで夕食にすることにした。割と大きな感じの店だったが通りに面したカフェっぽい席にしてもらった。

トスカーナの典型的な前菜の盛合わせ、バッカラのトマト・ソース、付け合わせに豆、ドルチェにティラミスを味わう。

Firenze Ristorante LeColonnie トスカーナ風前菜盛合せ

前菜を食べているころに隣のテーブルに座ったのが若いアメリカ人女性二人。久しぶりのつたない英語で会話だ。

旅行者同士というのも共通の話題があっていい。

500ml(いわゆるmezzo)のワインを頼んでいたのですすめて1杯づつ飲んでもらう。

Firenze Ristorante LeColonnine 赤ワイン

 

一人はワシントン、もう一人はボストンからだという。2週間のクルージングでこの後はヴェネツィア、最後はローマだという。

我々日本人の感覚だと、2週間のクルージングだと豪華だろうし乗るのは裕福な人たちという印象があるが、二人はごく普通のOLのようだった。

◆3日目も晴天

ペルージャに向かうのは14時、それまで半日は観光気分ですごせる。

晴天の下、その名もベルヴェデーレ要塞へ行ってみる。地図を見ながらサン・ジョルジョの坂道を上り、ようやく着いてみると扉が閉まっていて入れない。要塞の前から下を望むということであまり《いい眺め》とはいえない。

Firenze ベルヴェデーレ要塞を見上げる

Firenze ベルヴェデーレ要塞を見上げる

あきらめてホテルに戻りチェックアウト、スーツケースを置いて列車の切符を買いがてらサンタ・マリア・ノヴェッラ地区へ。

駅の自動販売機にはいずれも数名並んでいる。スーツケースを持たずに買いに来てよかった。

◆12年ぶりのサンタ・マリア・ノヴェッラ教会

ここには、初めてのイタリア旅行でピサ日帰りのとき列車に乗り遅れて次までの1時間の待ち時間に訪れたことがある。 今は有料(3.5ユーロ)でしかも敷地内の回廊を一周して横から入るという風に変わっていた。

Firenze サンタ・マリア・ノヴェッラ教会

ファサードのややデザインチックさから想像できない中の簡素さ。ただ、中央の礼拝堂はモザイク画で、それをとりまくフレスコ画がすごい。

左右のフレスコ画《聖ヨハネ伝》《聖マリア伝》(いずれもギルランダイオ作)もすばらしい。 左隣の礼拝堂にはブルネッレスキの木彫の《十字架像》、右隣の礼拝堂にはフィリッポ・リッピのフレスコ画が描かれている。

拝観料をとるだけあってこのほか見るべきものは多い。 サンタ・マリア・ノヴェッラ地区はサンタ・マリア・ノヴェッラ教会以外初めてなので少し歩いてみる。

ルネッサンスの代表建築といわれるストロッツィ宮を目指すが途中のサン・ガエターノ教会に寄る。入った印象は真っ暗だ。

Firenze サン・ガエターノ教会①

 

Firenze サン・ガエターノ教会内部

ストロッツィ宮は力強いどっしりとした印象だ。外見と中の吹き抜けを見る。 Firenze ストロッツィ宮

 

◆昼食のあとにまた一杯

サン・ロレンツォ教会の方に戻り、すぐ近くのカフェ・リストランテでランチ。

まだ時間があるので中央市場へシエナ名物のパンナフォルテを買いに行く。昨年秋に知り合ったペルージャでの留学生へのお土産にするためだ。

ここにも日本人スタッフがいて『このあとペルージャで2ヵ月生活する』と言ったら、塩、胡椒、リゾット用米を勧められたので胡椒を買う。 近くにエノテカを見つけ吸い寄せられるように入ってしまった。ランチでワイン1杯飲んでいたが黒板に書かれていたワイン・リストを見て1杯だけ飲む。もっと前にこの店を知っていたらいろいろなワインを飲めたのに!

Firenze サンタントニオ通りのエノテカ ワインリスト①

 

 

◆いざペルージャへ

ホテルへ戻り、スーツケースを取って駅へ。エレベーターは前日から壊れていて『まいったなぁ』と思ったが、従業員が下まで持ってくれて助かった。

14時少し前に駅に到着、14時13分発の列車はすでに14番線に入線している。

定刻発車。 途中のひまわり畑が印象的だ。右手に大きな湖(トラズィメーノ湖)が見え、10年前に観光でフィレンツェからペルージャに移動したのを思い出す。

近づくにしたがって『いよいよ遊びではなく2ヵ月も勉強しながら生活するんだ』と思うと、武者震いする感じがする。

◆泊る

  • ホテル  Hotel Casci(★★), Via Cavour 13, Firenze

http://www.hotelcasci.com/ Trippadovisorの評価を見て立地条件、料金から選びメールで予約、Single 1泊63ユーロ。

ウッフィツィ美術館の予約を無料でしてくれるので事前にメールで依頼した。 Singleの部屋(8号室)は機能的であるがやや狭い。中庭に面したテラスがありフィレンツェのど真ん中とは思えない。

◆食べる

  • お店の名前 Yellow Bar, Via Del Proconsolo 39r, Firenze

確か3回目の訪問だと思うが人気があるのかいつも混んでいる。 食べたもの 生ハムとフンギのピッツア(7.5ユーロ)、赤ワイン(3.8ユーロ)、サービス料12%、計12.66ユーロ

Firenze Pizzeria Yellow 生ハム・フンギのピッツア

 

  • お店の名前 Trattoria Za-Za, Piazza Mercato Centrale 26r, Firenze

http://www.trattoriazaza.it/ Firenze Trattoria  Zaza

食べたもの サラミ・生ハムの盛合せ(8ユーロ)、オリーブやドライ・トマトもあり小さい皿だが量は多い。 プリモはRibollita、トスカーナの郷土料理でパンの煮込みスープ(8ユーロ)、濃いおかゆのようで消化によさそう、ここでお腹いっぱいになる。

Firenze Trattoria Zaza リボリータ

 

セコンドは牛肉のタッリアータ(16ユーロ)、ルッコラとパルミジャーノ添え。食べきれず1/3ほど残す。

Firenze Trattoria Zaza 牛肉のタリアータ、ルッコラ、パルミジャーノ沿え

 

飲み物は初めにグラスでプロセッコ(5ユーロ)、キャンティ・クラシコ500ml(14ユーロ)。 ドルチェ、カフェはパス、水、コペルト込みで計55ユーロ。

  • お店の名前 Trattoria I’ che c’e c’e, Via Magalotti 11r, Firenze

食べたもの 本日の定食、ペンネ・ポモドーロ、牛肉のステーキ、付け合わせのサラダで13ユーロ、ハウスワイン250ml(4ユーロ)、水、コペルト込みで計21ユーロ。 Firenze Trattoria I Che Ce Ce ペンネ・ポモドーロ Firenze Trattoria  I Che Ce Ce 牛肉のステーキ

昔(10年前)の面影なく味はかなり落ちていた。

  • お店の名前 Ristorante Le Colonnine, Via de’ Benci 6, Firenze

食べたもの トスカーナの前菜盛合せ(7ユーロ)、サラミ2種類、生ハム、ブルスケッタ、クロスティーノなど。 リヴォルノ風バッカラ(干し鱈)のトマト・ソース(12ユーロ)、初めはサーモンのフライを注文したが『今日はない』と。

Firenze Ristorante LeColonnie リヴォルノ風バッカラFirenze Ristorante LeColonnie コントルノの白いんげん豆

 

Firenze Ristorante LeColonnie コントルノの白いんげん豆付け合わせに豆(4ユーロ)、これは日本的でよい。ハウスワイン500ml(6ユーロ)、意外にうまい。ドルチェはティラミス(5ユーロ)、やや硬い。水、コペルト込みで計37ユーロ。

  • お店の名前 Ristorante Canto dei Nelli, Via Canto dei Nelli 22r, Firenze

食べたもの スパゲッティ・ボロネーゼ、グリーンサラダ、赤ワイン1杯つきの9ユーロの軽いランチ、ほかにコペルト1.5ユーロで計10.5ユーロ

  • ワインバー All’ Antico Vinaio, Via Dr’Neri 65, Firenze
  • エノテカ F.lli Zanobini, Via S.Antnio 47r

中央市場近くの酒屋さん。ワインを買う人、グラスで飲む人が入れ替わり立ち替わりやってくる。

Roma (ローマ) 2010/7/27~29

 

Roma (ローマ) 2010/7/27~29

 

◆行く

ローマは初めてのイタリア旅行の1998年3月、ヴェローナでの野外オペラの前に寄った2004年8月、レッチェなど南に行った2005年9月に次いで今回は4回目だ。

今回はペルージャでの2ヵ月の語学留学の前にちょっとだけ旅行気分を味わうということで2泊しただけで、2泊といっても夕方着いて翌々日昼にはフィレンツェに移動したので実質1日半の滞在だ。

 

◆さっそくホテル予約のトラブル

前回バーリからローマに戻った時のホテルが何だかわけのわからない理由で別のホテルにされてしまったがそのホテルが意外に良かったので今回はそこを予約。記憶をたどりテルミニ駅からホテルに行きチェックインしようとしたらレセプションから『予約は1泊しか入っていませんよ。2泊するには部屋がありません。同系列の別のホテルを紹介します。』と早々にトラブルに会う。すでに代金は支払い済だったこともあって押し問答したものの寄り切られる。

2ブロックほど遠いホテルに移動、チェックインして2ヵ月強の長いイタリア滞在がスタートした。

 

 

◆オスティア・アンティカの遺跡へ

ローマも4回目ともなると『どうしてもこれを見たい!』というものも思いつかない。そこで前回(2005年9月)最終日に行くつもりでいながら、南イタリアから戻った旅の疲れもあって取りやめたオスティア・アンティカの遺跡を見に行くことにする。

 

メトロのテルミニ駅で切符自販機へのコインの入れ方がわからずにいると後ろのご婦人が教えてくれた。

9時07分発のメトロに乗り、マリアーナ駅で乗り換えるが通路がそのままホームにつながっている。『どこで切符を買いなおすのだろう?』とちょっと心配したが、駅員数名が検札していたので訊くとメトロの切符でいいらしい。9時40分頃オスティア・アンティカ駅到着。

歩道橋を越え、しばらく歩いてから左折するとすぐ、駅から近い。

 

ローマ門から入る。ドイツ語のガイドがついている高校生だろうか、若い男女のグループのほかは個人の見学者がほとんどだ。といってもそれほど多くはない。

 

日本と違って入口でも特に園内地図などはないのでガイドブックの小さな地図を見ながら見どころを思われるところを見学。

 

◆遺跡はモザイク画のオンパレード

 

まず、ネプチューンの浴場へ。階段を上がってテラスからあたりを見渡すと広くて大きな建物だ。見下ろすと素晴らしいネプチューンのモザイク画の床。そのためにこの建物がネプチューンの浴場と名付けられたとのことだ。

Roma OstiaAntica ネプチューンの浴場

Roma OstiaAntica ネプチューンの浴場

 

Roma OstiaAntica ネプチューンの浴場モザイク

Roma OstiaAntica ネプチューンの浴場モザイク

この建物の横の通りには大きな木がある。それを避けるように建物の土台があるのでひょっとしてあの木は2千年も前のものか?

 

次いで、消防士宿舎へ。ここの神殿には躍動感あふれるモザイク画がある。4頭立ての馬車、魚、蛇、泳いでいる男たち、牛など、とにかく素晴らしい。

 

Roma OstiaAntica 消防士宿舎の神殿モザイク

Roma OstiaAntica 消防士宿舎の神殿モザイク

Roma OstiaAntica 消防士宿舎の神殿モザイク

Roma OstiaAntica 消防士宿舎の神殿モザイク

 

劇場は他の場所にあるローマ遺跡と同じだ。フォロ、元老院などもそうだ。

Roma OstiaAntica 劇場

Roma OstiaAntica 劇場

フォロは広々としてまさに町の中心に位置している。

Roma OstiaAntica 公共広場

Roma OstiaAntica 公共広場

元老院は壁の上部や屋根こそ失われいるものの入口への階段はしっかり残っていて威厳すら感じさせられる。

Roma OstiaAntica 元老院

Roma OstiaAntica 元老院

 

いったん大きな通り(デクマーノ・マッシモ)を戻り、途中で南の方へ行ってみた。

Roma OstiaAntica 大きな通り

Roma OstiaAntica 大きな通り

五穀豊穣の女神の家のモザイクは人と動物の営みが描かれている。

Roma OstiaAntica 五穀豊穣の女神の家プレート

Roma OstiaAntica 五穀豊穣の女神の家プレート

Roma OstiaAntica 五穀豊穣の女神の家モザイク

Roma OstiaAntica 五穀豊穣の女神の家モザイク

 

西の方にはセラーピデの共同住宅七賢人の浴場があるがほとんど同じ場所だ。

Roma OstiaAntica セラーピデの共同住宅からの眺め

Roma OstiaAntica セラーピデの共同住宅からの眺め

共同住宅の屋上に上がると町並みが整然としているのもわかる。また、通りの向こうにある床だけ残っている計量商の食糧貯蔵庫のモザイク画が良く見えた。

Roma OstiaAntica 計量商の食糧貯蔵庫モザイク

Roma OstiaAntica 計量商の食糧貯蔵庫モザイク

七賢人の浴場にも床に動物や草のモザイク画があるが、壁には2頭立て馬車を操る人の色つきの画もあった。

 

Roma OstiaAntica 七賢人の浴場モザイク

Roma OstiaAntica 七賢人の浴場モザイク

Roma OstiaAntica 七賢人の浴場 壁画

Roma OstiaAntica 七賢人の浴場 壁画

キューピッドとプシケの家はかなり大きな邸宅だったようだ。入口付近には抱き合うキューピッド像を見ることができるがそれがこの遺跡名の由来のようだ。

 

Roma OstiaAntica キューピッドとプシケの家

Roma OstiaAntica キューピッドとプシケの家

Roma OstiaAntica キューピッドとプシケの家 キューピッド像

Roma OstiaAntica キューピッドとプシケの家 キューピッド像

4本の柱に支えられた一角もある。床のモザイク画は動物でも神話でもなく、丸い抽象的な柄でしかも、ベージュや赤、緑でカラフルだ。

Roma OstiaAntica キューピッドとプシケの家モザイク

Roma OstiaAntica キューピッドとプシケの家モザイク

ときおり、フィミチーノ空港を飛び立った飛行機が見える。空港はすぐ近くなのだ。

空は青く、遺跡はレンガ色、こんもりと茂った木の緑で絵になる。

Roma OstiaAntica

Roma OstiaAntica

 

約1時間歩き回り、休憩所で一休み。

その後博物館で彫刻を見る。紀元1世紀頃のものが多い。また皇帝などの実在した人物も多い。

 

紀元前4世紀から800年間の遺跡、区画整理がきちっとされている。

ポンペイと同じような遺跡の町だ。何が違うかというとポンペイはヴェスーヴィオ火山の噴火によって一瞬のうちに歴史から消え去ったが、ここオスティア・アンティカはテヴェレ川からの土砂の堆積のために当時住んでいた人が徐々に逃げ出した町のようだ。 でも残されている遺跡はポンペイと同じようなのでローマから40分足らずの近さだし見るべき価値はあると思う。

 

入った入口とは反対方向にあるマリーナ門を出て、『チェントロに行き、お昼でも』と思ってマリーナ門目指して一瞬歩き始めたが、とても遠そうなのであきらめ、デクマーノ・マッシモ通り(大きな石の舗装で実に歩きにくい)で元の入口に戻って13時頃オスティア・アンティカをあとにする。

 

◆ローマの名所を歩きまわる

オスティア・アンティカから乗った列車はメトロの途中まで乗り入れていた。

終点で皆と同じように歩いてメトロに乗換えたときそこがピラミデ駅だと思わず(行きの乗換え駅ひとつ手前のマリアーナ駅と思いこみ)チルコ・マッシモ駅で降りるつもりが降りそこね、次のコロッセオで降りる羽目になってしまう。

 

コロッセオ周辺は観光客であふれている。

Roma コンスタンティヌスの凱旋門

Roma コンスタンティヌスの凱旋門

チルコ・マッシモまで歩き、さらにカラカラ浴場へ行く。今晩の野外オペラのチケットがあれば買うためだ。ところがそういう売り場がみつからなかったのであきらめ、チェリオの丘をまわってコロッセオへ。

コロッセオからはカヴール通りを目指す。結局カヴール通りを眺めながらテルミニ駅を越えホテルまで歩き通してしまった。

 

◆衛兵交代式に遭遇

ホテルで一休み、17時半ごろ出かける。

9月20日通りをクイナーレの方へ歩く。

ベルニーニの代表作といわれるサンタンドレア・アル・クイナーレ教会に寄ってみた。

Roma サンタンドレア・アル・クイリナーレ教会

Roma サンタンドレア・アル・クイリナーレ教会

ほかの教会と違って奥行きよりも幅の方が広い。クーポラが異常に高い。ただ高いだけでなく視覚的にも実際以上に高さを感じた。

Roma サンタンドレア・アル・クイリナーレ教会クーポラ

Roma サンタンドレア・アル・クイリナーレ教会クーポラ

 

サンタンドレア・アル・クイナーレ教会を見た後クイナーレ宮に近づくと楽団の音が聞こえ、大勢の人が何かを待っている様子。立ち止ったところどうやら衛兵と警官の交代式(あるいは一日の終了式か?)のようだ。

Roma クイリナーレ宮 衛兵交代式

Roma クイリナーレ宮 衛兵交代式

Roma クイリナーレ宮 衛兵交代式

Roma クイリナーレ宮 衛兵交代式

クイナーレ宮の入口で実にカッコいい将軍というのか偉い人が立って衛兵の一群の敬礼を受ける。

 

トレヴィの泉の看板があったので何回目かの観光をする。相変わらず美しい泉と大勢の観光客だ。そのあとはパンテオンの前を通ってナヴォーナ広場へ。ここも同様だ。

帰り道、バールの外のテーブルで白ワインを飲み一休み。

Roma 11月4日通りのカフェでアペリテーヴォ

 

このバールが11月4日通りの突きあたりにあるのでバスも車も真正面に向かってくるのが面白い。

Roma 11月4日通り

 

◆ローマの夕食は魚料理

ホテルに戻り、シャワーを浴び着替えて近くのリストランテへ。20時半をまわっているのにまだ外は明るい。

ローマで魚料理というのも何だけれど、この先2ヵ月すごすペルージャは山の上なので期待できそうもないので魚料理を注文した。

 

食後、5年前に行ったことのあるワインバー、《トリマーニ》でグラッパでも飲もうかとも考えたが疲れていたのでホテルに帰る。

この日は何と36,000歩も歩いていた。疲れるはずだ。

 

◆3日目午前は絵画鑑賞

フィレンツェに移動する前にトリトーネの噴水のある広場、バルベリーニ広場近くの国立古典絵画館(バルベリーニ宮)へ行くことにした。今まで近くを通ったことはあるが入ったことはなかった。

 

バルベリーニ宮は門から少し奥まったところにあり、ひと目では絵画館に見えずどこが入口なのかわかりにくい。建物は、まさにパラッツオだけあってどっしりとしている。

 

1室から10室までを鑑賞。

ラファエッロの《フォルナリーナ》、カラヴァッジョの《ホロフェルネスの首を切るユーデット》、ティントレットの作品が2枚、ティツィアーノが1枚、そのほか沢山。

礼拝堂のフレスコ画も良かった。

 

◆ローマはめんどくさい

ホテルまでの帰り道、教会があったので入ってみた。サンタ・マリア・デッラ・ヴィットリア教会だ。

Roma サンタ・マリア・デッラ・ヴィットリア教会 後陣

Roma サンタ・マリア・デッラ・ヴィットリア教会 後陣

入った直後、ジプシーのお婆さんにお金をせびられる。ちょうどサングラスを外してしまおうとしたとき、ズボンの左のポケットに手を入れられそうになったので祭壇まで走って逃げた。気をつけていたつもりだったが教会の中でとられそうになるとは盲点だった。

 

ホテルに戻りスーツケースを受け取ってテルミニ駅に行く。

自販機で切符を買うときまたしても・・・・・1人目は親切にあいているところを教えてくれ『どこまで?』と日本語で言うので「ヤバい」と感じ別の自販機に移動して操作。

カードを入れようとしてまごついていると列の横から親切に教えてくれた女性は、そのあとで『パニーノを買いたい』と手を出してくる。ほんとにめんどくさい。もちろん無視した。

 

11時45分発のESでフィレンツェに向かう。

 

◆泊る

ホテル ARTDECO Hotel, Via Palestro 19, Roma

予約していたのは2005年9月に泊ったHotel Camelia(★★★Single1泊80.3ユーロ)、HotelTravelサイトにて2泊予約していたが1泊しか予約されていない。満室なので2泊は無理とのことで同系列のここにまわされる。Hotel Cameliaよりも2ブロックほどテルミニ駅から遠くなる。

宿泊代(Single 1泊80.3ユーロ)は事前支払い済みだったのでちょっと心配したが問題なかった。

 

◆食べる

  • リストランテ

お店の名前 Trattoria Pizzeria La Famiglia、地元の人に愛されている感じの店。

お店の了解を得て入ってきたラテンのデュオの演奏がちょっとうるさい。

Roma LaFamiglia

 

食べたもの 生ハムとメロン(メロンが今一、7ユーロ)、エスカロピーネ(6ユーロ)、薄切り肉でレモンのソースがきいて、量も少なくまぁまぁ。ピッツア・マルゲリータ(5ユーロ)。ハウスワイン、水、パーネ、カフェ、サービス料込で27ユーロ。

Roma LaFamiglia 生ハムとメロン

Roma LaFamiglia エスカロピーネ・レモーネ

 

お店の名前 Al Grappolo D’oro, Via Palestro 46B, Roma

Roma al Grappolo d'Oro

食べたもの 前菜に海の幸サラダ(イカ、小さな貝柱、人参、セロリ、12ユーロ)。

セコンドはカジキマグロのカルパッチョ、ルッコラ添え(カジキマグロは生ではない、ゆがいている。あとはレモンを自分で絞る。16ユーロ)。

Roma al Grappolo d'Oro カジキマグロのカルパッチョ

デザートは小さい木イチゴ(7.5ユーロ)、これはちょっと失敗。Roma al Grappolo d'Oro 苺

 

ワイン   Chardonnay 2009,Collio, Marco Felluga(ハーフ、11ユーロ)

水、サービス料込で55ユーロ、全体に高め。

 

◆見る

◎オスティア・アンティカ遺跡 入場料6.5ユーロ

◎国立古典絵画館(バルベリーニ宮) 入場料5ユーロ

Perugia 滞在日記 8月後半

 ペルージャ外国人大学でイタリア語を学ぶため2010年8月から2ヵ月間、ペルージャで暮らした。これはその8月後半の滞在日記だ。
 

◆ペルージャに行ったきっかけ
2009年秋の一人旅、クレモナのリストランテでたまたま向かい側のテーブルにいた日本人の若い女性ふたり組と知り合った。二人ともペルージャの留学生でそのうちの一人Nさんと帰国後東京で再会したときにペルージャ外国人大学への留学をすすめられた。ちょうど仕事をやめて時間もあること、旅行だけではなくイタリア生活を味わってみたいこと、またもう一人のAさんが引き続きペルージャにいて心強いこともあって2010年の8月、9月の2ヵ月の短期留学をすることにした。

8月16日(月)
《インターネットがつながらないと・・・・・》
前日までのArezzoの旅にパソコンを持っていったもののホテルの部屋の中でのインターネット接続が有料でしかも高かったのでニュースなどはロビーのパソコンで見ていた。メールもできそうだったが自分のプロバイダーとのパスワードを覚えていなかったためペルージャに戻ってから読むことにした。

また、しばらくサーバーがダウンしていたため日記の更新ができなかったがサーバー管理人から『復旧した』というメールが携帯に入っていた。

前日17時すぎペルージャの自室へ戻り、さっそくパソコンの電源を入れメールを立ち上げると意外なメッセージ、つながらない。
ここの無線WiFiが1度つながらなかったことがありそのときもう1種類の無線WiFiのパスワードを教えてもらっていたことがあってそちらを選択したがやっぱりダメ。

『パソコンの設定を変えた覚えもないしおかしいなぁ』と思いいろいろやってみたが『どうも回線が切れたのではないか。それなら自分だけではなくこの建物全員が影響を受けているはず』と思い直す。
実は前科があって数日前何かの工事の際、TVのアンテナ・ケーブルが外れたらしくほぼ1日TVが映らなかったことがあった。
とはいえ、もしパソコンの設定がおかしくなっていたら『陸の孤島ならぬ情報の孤島に島流しか?』と少々あせる。

寝る前にやってもダメ、今朝起きてすぐにやってもダメ(日曜の夜から月曜の朝、しかも日曜は《聖母被昇天の日》で祝日だから飛んでくる工事屋さんはいないだろう)。

5時間の授業が終わってから13時すぎに戻ってパソコンを立ち上げ恐る恐るメールにつなぐと・・・・・何事もなかったかのようにメールが入ってきて、一件落着。ホッとした。

8月17日(火)
《ペルージャ買い物事情》
ペルージャに住み始めて2週間がすぎた。
久しぶりの単身生活で自炊もしようかと思ってきたのだが・・・・・。
ここペルージャのチェントロにはあまり店がない、というかこれがイタリアの町なのか。
下の町にはあるのかもしれないが近くにはスーパーはない。
minisupermercatoが2軒あるだけ。一応のものが揃い、プロシュット、サラミやチーズなどは注文に応じて切り売りしてくれるし、惣菜も量り売りで扱っているが、店内がなんせ狭い。野菜や果物の種類も少ない。

Perugia パン屋さんとCoop

 

なにか目新しいものを探したり、たくさんある中から選ぶというには不向きのようだ。

ペルージャでチェントロに住む人が皆が皆こういう店で買い物をしているわけではなさそうで、野菜・果物は八百屋、パンはパン屋、お菓子はお菓子屋でそれぞれ小売店がある。minisupermercatoほどの品ぞろえではないが、alimentariという食料品店もある。
一度、八百屋(看板はortofrruttaとなっていた)へ行ってみたが物も良さそうだったし、対面で指さしながら買えたし、自分で量る必要はないので楽だった。

今までイタリアを旅行中いろいろな町で広場や通りでメルカートを見かけたが、ここペルージャでは見たことはないのが不思議だ(もっとも朝は8時に登校しているし、週末はいないので自分が知らないだけかもしれないが)。
先日も、Cortonaに行ったときドゥオモ近くの広場に《市》が立っていたので思わず買ってしまいたい誘惑にかられたものだ。

物価という点でいうと、今の為替レートで考えれば概して日本より安いみたいだ。
当たり前だけど、本場の美味いプロシュットやサラミとチーズをつまみにワインを自分の部屋で飲み、瓶詰めのパスタ・ソースをからめたパスタを食べていれば本場の味で気分はリッチだ。

8月18日(水)
《ここでは運動不足》
ペルージャに来てももう18日も経つ。
毎日通学するとはいえ、我が家でいえば最寄り駅よりもかなり近い。往復しても2400歩くらい。
今までは通勤や仕事中に歩いたほかに週3回スポーツクラブに行っていた。
フリーになった4月以降はほぼ毎日のように通っていた。
それがここでは運動不足もいいところ。
何とか1万歩くらいは、と努力しているがチェントロは狭い範囲なのでそんなに行くところはない。今日は、サン・ドメニコ教会まで下りて行き国立考古学博物館の中を少し歩いた(ただ、観覧時の歩き方は運動にはならないようだ)。

Perugia サン・ドメニコ教会

 

 

 

週末にほかの町へ小旅行のときは頑張って歩いているがどれほど役立っているだろうか。
おまけに、小旅行のときはうまいものをたらふく食べているしなぁ。

ここには体重計がないからどういう状況になっているがわからないが、10月に帰国したときが心配だ。

8月19日(木)
《魚屋さん、発見》
メルカートがないと思っていたら、いつも日常の買い物をする(fare la spesa)ミニスーパーのすぐ近く、ミニメトロの駅のそばにメルカートがあるのを教えてもらった。
なかなかわかりにくいところだったが何とかたどりつくと開いている店はわずか3軒、肉屋、サラミ類とチーズの店、それに何と魚屋だ。

授業の帰りに寄ってみたがやはり3軒だけ。
魚屋さんに行き、先客の注文の魚をさばき終えるのを待って生のエビ(gamberi rosso)を『少し欲しいのですが』と注文。
『いいよ、1尾でも2尾でも3尾でも』といいいながら量り始めたので『そのくらいで』とやめてもらう(3.5ユーロ)。あとで数えたら7尾あった。

単純に塩茹でにして味わう。久しぶりの海の幸で美味しかった!!
(後日行ってみたらその日は2フロアに店があり10軒以上開いていた。)

8月21日(土)
《ペルージャを歩く》
ペルージャに来て3週間、着いた日以来初めて土日をここですごすことにする 。
大体の見所は見たつもりだったが、外国人大学登録時にもらったガイドブックを見ると、まだまだ見ていないところが沢山あるみたいだ。
このガイドブックでは5つの地区に分け、地図上に順路とひとつひとつの場所が書き込まれ、しかも地図に続くページには写真と解説が載っているというすぐれもの(英語版もあるらしいが、手元にあるのはイタリア語版)。

今日はほとんど足を踏み入れていないエブルネーア門のコース(旧市街の南西エリア)へ行ってみることにした。
スタート地点はプリオーリ宮。いつものヴァンヌッチ通りを下り、地図にしたがってこの間グラナータを食べたジェラテリアの前を行く。途中で右に曲がるのがよくわからない。
そこから先は未知のエリア。狭い路地に入り込んでいく感じだ。
サンタンジェロ教会という小さな教会のそばを通ってから左に曲がるとコースの名前になっているエブルネーア門。旧市街には建物をつなぐ門みたいなものが沢山あるのでうっかり見落とすところだった。
それから右折、ほどなくまた門がある。ジャコモ門だ。形はさっきの門とほとんど同じ。
来た道を戻り(上りだ)、今度は右に曲がって進むと大きな教会があった。なんか見覚えがあると思ったら割と早い時期に迷い込んできたところ。今日も閉まっている。
コース上の次の場所も来たことがある。
そのうち、またさっきのエブルネーア門を通り抜けるとマリオッティ広場に出た。

そのあともガイドブックの順路にしたがって上っていくが、途中工事中の道路があり細い歩行者専用の通路を通っていくうちに場所がわからなくなる。
小さな公園を抜けるとエスカレーターがあったのでホッとする。
終点を出るといつもの学校の横に出た。
ここに出るはずはないので、どうもさっきのところで間違えたようだ。

このコースは、眺望は望めないもののいくつもの教会、かなり古い病院や大学もあり、ペルージャという町の歴史を感じることができた。

ヴァンヌッチ通りのパッセジャータもいいが、こういう町歩きもいいものだ。
しかも階段を使った上り下りが結構あってかなり汗をかき、いい運動にもなるし一石二鳥だ。

8月22日(日)
《2日続けてペルージャを歩く》
昨日に続いてペルージャ散策、今日はPortaSoleコース。まず、いつも行くミニスーパー近くのジェズ教会から始める。

Perugia ジェズ教会

 

 

 

このコースの一番遠くはサンタ・マリア・ディ・モンテルーチェ教会。途中アジロ通りからはるか向こうに見えたときは一瞬『遠いなぁ』とひるんだが運動のつもりで歩く、歩く。

Perugia モンテルーチェ教会遠景

Perugia モンテルーチェ教会
着いたときはちょうどミサの最中だったのでしばらく待ってから中に入る。祭壇画がすばらしい。

Perugia モンテルーチェ教会 祭壇画
《Perugiaでも10年ぶりの店へ》
今晩の夕食をどうしようか、と思っていたが、以前旅行で訪れたときに行った店に行くことにした。
というのは今の住まいからすぐだということがわかったからだ(徒歩3分くらい)。
予約もせずに20時半ころ訪れる。

Arezzoのリストランテは10年前と何も変わっていなかったが、ここは店の造りは同じものの雰囲気はすっかり変わっていた。
まず、名前。10年前は”Osteria del Bartolo”だったのが、今は”Wine Bartolo Hosteria”。
以前は、料理中心のしゃれた店だったと記憶しているが、今はカメリエーレ、カメリエーラともカジュアルな服装で、また、ワイン・リストにはイタリア各地のワインがいっぱい。

Perugia Wine Bartolo Hosteria 店内のワイン

 

一方、よくあるカラフェのハウス・ワインはない(4~6ユーロのグラス・ワインがプロセッコ、白、赤がそれぞれある)。

ということで、飲み残したボトルは持ち帰ることで地元ウンブリアの”Montefalco Rosso”フル・ボトルを注文。
料理はキィアーナ牛の定食にした。

アンティパストはキィアーナ地方の子牛のカルパッチョ、結構塩がきいていてうまい。Perugia Wine Bartolo Hosteria キアナ牛(仔牛)のカルッパチョ

 

 

プリモは、やはりキィアーナ牛のミート・ソースのタリアテッレ。

 

Perugia Wine Bartolo Hosteria タリアテッレ・キアナ牛のラグー
セコンドもキィアーナの子牛のサン・ジョヴェーゼ(赤ワイン)煮込み。これはこれで美味しいが、この間のArezzoのリストランテの方が数段美味しかった。
この定食(20ユーロ)はまったくのお仕着せで量は少ないが日本人の胃袋にはちょうどいい。

ドルチェは好物のチョコレート・ケーキ、ふわっとして少しあったかくておいしい。最後にカフェでしめる。

Perugia Wine Bertolo Hosteria チョコレート・ケーキ

 

 

ワイン(*)は1/3ほど残ったので持ち帰り。計44ユーロ。

雰囲気が多少変わったとはいえ、まずまずのCenaだった。

*ワイン:MONTEFALCO ROSSO, COLPLETRONE 2007 (17ユーロ)
=============================================================
お店の名前:Wine Bartolo Hosteria, Via Bartolo 30, Perugia
http://www.tripadvisor.com/Restaurant_Review-g187907-d1231020-Reviews-Wine_Bartolo_Hosteria-Perugia_Umbria.html

 

8月23日(月)
《ピッツァの誘惑には勝てず》
月曜は8時から13時までの授業なので疲れる。しかも終わるころにはおなかぺこぺこ状態。
朝食のパンがなくなったこともあって、帰りにパン屋に寄りお昼用にフォカッチャとコルネット(クロワッサン)、朝食用のパンを買い、自室に戻った。
その帰り道、途中にある初日に連れてきてもらったペルージャ一うまいと評判のピッツェリア、いつも並んでいるのに今日は誰も並んでいない。
店内をチラッと覗くと空いているテーブルもある。

自分の部屋に戻るまでの1分のうちに結論を出した。
『お昼用のパンは一つは午後のおやつ、一つは明日の朝』と決め、カバンとパンを部屋の中に置いて、すぐさまピッツェリアに向かった。

注文したのはフンギのピッツァ、フンギのほかモッツァレラ、パジリコなどたっぷり。

これで5ユーロ(一番安いのは3.5ユーロ、高いのでたしか6.5ユーロくらいだったと思う)。
これに、今日抜くつもりだったアルコール、2つ目の誘惑に勝てずちょっとフリッツァンテの(スパーリングぽい)白ワイン250ccも頼んでしまった。
(これでサービス料込み8.1ユーロ)
いずれにしてもイタリアらしい美味しいランチになった。

8月24日(火)
《早くも4週目に入ったが》
8月3日から始まった授業も今日で4週目に入った。
月、火は朝8時から13時までの5時間授業だから結構しんどい。
火曜の13時、解放されるとホッとする。

8時からの3時間がテキスト中心で進む(週4日)のに対し、11時からの2時間は会話演習で文法的には同じようなところを2、3人で一組で相手のことを質問してみたり、最近はロープレもある(週3日)。

しかし3週間たって、はたしてレベルアップしているのか、よくわからない。
400ページちょっとあるテキストはもう140ページくらいまで進んだ。
もう65時間もやっているので文法的には多少は身についたとは思うが、会話能力は来る前とほとんど変わっていないかもしれない。

1週間後には1ヵ月受講のトルコ人学生ら7、8人が帰ってしまうし、いつも隣にいるフィリピン人などは上のクラスに移るというので2ヵ月目はかなりこじんまりしたクラスになり鍛えられそうだ。

8月29日(日)
《今日のペルージャ》
今日は日曜。昨日までの陽射しの強い中のGubbio1泊旅行でちょっと疲れ気味。
一日休養にあてる。といっても、散歩には出かけた。

いつも観光客で賑わっているヴァンヌッチ通りも8月最後の日曜日ということで心なしか人出が少ないようだ。
先週の月曜から暑かったのも一段落したのか、ヴァンヌッチ通りの銀行入口に表示されている気温は24度だ。
しかもペルージャ名物?の風が結構あって体感温度はもっと低いみたいだ。

昨日からイタリア広場では骨董市が開かれている。昨日、Gubbioからの帰りに通りかかり『あとで見に来ようか』と思ったものの、疲れていてとても出かける気がしなかったが、近くまで行ってみると今日もやっていた。
小さめの家具、シャンデリアなどインテリア関係、食器類、ネックレスなどアクセサリー、古本、コインや切手、古そうな絵や彫刻、カメラ、時代物サングラス、道具類、その他もろもろ。おもしろいものでは、中身の入っている1959年のCoCa-Colaがあった。
場所は違っても雰囲気は我が家の近くで開かれる骨董市と良く似ている。

日曜だから目抜き通りのヴァンヌッチ通りの店は8割がた開いているものの中にはいつも赤いジャケットのカメリエーレで目立つpasticceriaなどは23日から9月7日まで休みだ。
ぼつぼつバカンスを終えて開いている店もあるが、散歩をしているとまだまだ”Ferie”(休暇中)の貼紙も多い。ペルージャに着いたとき、すでに休みに入っていた店も多く、9月の上旬に入ってようやくふつうの姿になるのだろう。

8月30日(月)
《校舎が変わる》
8月最後の週が始まった。
教室に行くと予想されたことだが出席者は6名。そのうち1ヵ月受講生は一人だけ。
最初のころはともかく最盛期は16名出席していたので10名はそれぞれの国に帰ったか、帰国前の旅行を楽しんでいるのだろう。

今の校舎は夏休み中の高校の校舎を借りているようだ。あさって、9月1日からはメイン・ストリートのヴァヌンッチ通りをはさんでちょうど反対側にある外国人大学のPalazzina Prosciuttiというところになると、授業中に先生から話があった。
距離的には今までと変わらないようだけど、今まではまずドゥオモに出てフォンターナ・マッジョーレを見てヴァヌンッチ通りを見下ろし、プリオーリ宮の前を通り、右に曲がってプリオーリ通りを下っていくという毎日の通学路が観光コースだった。しかも、プリオーリ通りの両側にはいろいろな店もある。

夕方、今度の教室がどこにあるのか登録時に外国人大学からもらった地図を頼りに探してみたがまったくわからない。
いったん戻ってネットで検索。もう一度探しに行く。
大学の新しいキャンパスの中、自然環境には恵まれているがチェントロを歩く楽しみはない。

Perugia 外国人大学
逆に9月からは授業が終わってからのチェントロ散歩が今以上に楽しみになりそうだ。

8月31日(火)
《ついに1ヵ月終了!》
今日、5時間の授業を終えついに1ヵ月が終わった。中国人のファンドンは1ヵ月受講なので今日が最後。ミラノに戻ってシェフの仕事を探すという。
残るは、インド人2人とフィリピン人1人(いずれも教会関係者)と中国人女性1人に自分の計5名だ。帰りに明日からの校舎を皆で見に行った。

Perugia 外国人大学 Palazzina Prociutti

 

 

明日からの授業は校舎だけではなくちょっと時間帯も変更になることがわかった。
今までは、月、火、2日続けて5時間連続だったのが、月曜は11時にいったん終わり13時から再開。中抜けはイヤだけど5時間続くよりはマシだ。
水曜は午前中はなくて15時から3時間、木曜は今までと同じで11時でいったん終わってから夕方17時から19時まで、金曜も今までどおりで8時からの2時間。

曜日によって時間帯がまったく違うので生活のリズムをとるのがなかなか難しいかもしれない。

Perugia 滞在日記 8月前半

ペルージャ外国人大学でイタリア語を学ぶため2010年8月から2ヵ月間、ペルージャで暮らした。これはその8月前半の滞在日記だ。

◆ペルージャに行ったきっかけ
2009年秋の一人旅でクレモナのリストランテでたまたま向かい側のテーブルにいた日本人の若い女性ふたり組と知り合った。二人ともペルージャの留学生でそのうちの一人Nさんと帰国後東京で再会したときにペルージャ外国人大学への留学をすすめられた。ちょうど仕事をやめて時間もあり、イタリア語の勉強を再開したかったのと旅行だけではなくイタリア生活を味わってみたいこと、またもう一人のAさんが引き続きペルージャにいて心強いこともあって8月、9月の2ヵ月の短期留学をすることにした。

Perugia 11月4日広場からのプリオーリ宮

 

 

2010年7月31日(土)
《いざ、ペルージャへ》
4日前にローマに着いてからローマ、フィレンツェを観光気分で過ごし、フィレンツェ14時13分発の列車でいよいよ留学先のペルージャに向かう。定刻通り到着。旅行で目的地の駅に降り立つのとはちょっと感覚が違う。駅前からバスに乗りイタリア広場で下車。10年前に泊まったホテル”La Rosetta”にチェックイン。

今晩はペルージャにいる若い友人の留学生と夕食をし、そのあとドゥオモでコンサートを聴くことになっている。
去年、クレモナのリストランテで知り合ったヴァイオリニストのAさん、その友人ピアニストのYさん(出かける前に日本で会っている)とフォンターナ・マッジョーレ前で待ち合わせ。ふたりの友人Mさんも加わり、皆さん行きつけのピッツエリアで楽しい時間を過ごす。

Perugia Pizzeria Mediterraneo 生ハムとルッコラのピッツァ

 

 

すぐ近くのドゥオモに移動、3人の知り合いがソリストで出るコンサートを聴く。歴史的建造物の中で行われるのはすばらしい。

Perugia カテドラーレでのコンサート

 

コンサートのあとは『ペルージャ一』とみんなが言っていたジェラテリア《GROM》でジエラートを味わう。おいしかった!!
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お店の名前:Pizzeria Mediterranea, Piazza Piccinino 11/12, Perugia
http://www.tripadvisor.jp/ShowUserReviews-g187907-d1508818-r74879744-Pizzeria_Mediterranea-Perugia_Umbria.html#REVIEWS

8月1日(日)
《ホテルからアパート住まいに》
観光気分は昨日まで。ホテルをチェック・アウトして今度はアパート(モノロカーレ=ワンルーム)住まいだ。昨日のうちに確かめていた建物の大家さんを訪ね、契約書にサインし1カ月分の家賃を払ってから部屋に案内してもらう。そんなに広くはないが、ホテルのシングル・ルームよりはちょっと広い。
10数年ぶりの単身生活だ。スーツケースの中身を出し、それなりの場所に片付ける。

そのあとは買出しに出たつもりだったが教えてもらったミニスーパーCO-OPは日曜とあって休み。たまたま住まいの近くの広場でMostra Mercatoという市が立っていたので明日の朝食用にパンとチーズを買う。『夕飯は外食、まぁしようがないか』。

Perugia Piccnino広場のMostraMercato②

 

 

いったん戻り少し休憩。17時すぎ、散策に出かけるとスーパーらしき袋を持っている若い男性2人がいたので訊いてみるとすぐ近くだという。営業時間を確認してから町歩きをして最後に寄ってみる。
オリーブ・オイル、スパゲッティ、パスタ・ソース、ワインなど買い込んでいるところで声をかけられる。昨夜、夕食、コンサート、ジェラートを一緒にしたうちの一人、Aさんだ。話をしながら野菜の量り売りの買い方を教えてもらう。そのときメロンが安いことに気づき、メロンのほか生ハムを買う(これはきちんとその場でスライスしてくれる)。
結局、生ハム&メロン、スパゲッティ、チーズという夕食になった。まずまずのイタリア単身、自炊生活スタートだ。

8月2日(月)
《ペルージャ外国人大学で入学手続き》
さて、今日が8月期のスタート。入学案内や通知では何も触れていないが事務所は8時30分となっているので少し早めに行ってみた。もうすでに並んでいたので少し待つ。自分の番がきて受け付けてもらうが、その時のやりとりでこちらの能力を診断、『ビギナーの部屋に行ってテストを受け、終わったら事務局(segreteria)へ行って下さい。良い学生生活を!』てなことを言われテストの教室に行く。
しばらくすると『隣(もう少し上級のテスト)の教室へ移って』といわれ、そこで小冊子を渡され、オリエンテーションがあるがほとんどわからずちんぷんかんぷん状態。
そのあと元の教室に戻る。その教室には30人弱、テストは4回あるのでビギナー・クラスは約100人くらいか。今日の30人の中に日本人はいない。
オーラルテストとなっていたが『さぁ、どんなテストだろう?』と思っていたら隣の列の東洋人2人が呼ばれていなくなったと思ったら次は自分の番だった。
『どのくらいイタリア語を勉強しましたか?』と訊かれ『10年ほど前の2年間、仕事の帰りに週1回90分の授業で勉強しました』と遠慮気味に答えると『ひと月は本当のビギナー・クラスで思い出し、2ヵ月目に上のクラスに行ったら』と言われた。これがテストだった。
その結果を持って事務局に行き、その旨伝えると『コースの変更だから授業料が変わる。100ユーロ追加で払って下さい』と言われたものの、結局最初から一つ上のクラスでやることになった。

証明書のための写真が2枚必要といわれ日本のような証明書撮影ボックスみたいのがそこらじゅうにあるわけではなく写してくれる店を随分探し回ってしまったが何とか提出、身分証明書を受け取り無事入学手続きが終わった。
授業は明日から。今日はこれでお終い、あとはフリーだ。

8月3日(火)
《授業開始、ついていけるか?》
今日から授業が始まる。校舎はどうも外国人大学ではなく、夏休み中の高校のようだ。

Perugia 初めての登校

 

行ってみると教室がよくわからない。ドアの上に小さく数字が書かれていてわかりにくい。
8時からということで少し遅れて先生が来られた。そのときは学生は12人、『なんだ、意外に少ないんだぁ』と思ったが、それから続々と遅れてくる人で倍以上になる。たぶん今日入学手続きをしたため遅れてきたのだろう。
トルコ人が一番多い。次いで中国、マレーシア、あとはフランス、チュニジア、ポーランド、フィリピンなど。日本人は自分のみ。圧倒的に若い人が多い。特にこの季節は近場の国々から学生の参加が多いようだ。
最初の3時間は先生の質問に答える形で自己紹介しながら定形文を繰り返したり、ペーパーが都度配られそれに基づいて答えさせられたりで息つく暇がない。この授業は週4回で毎回8時~11時だ。
会話中心の授業が週3回あり、ふたつのグループに分かれたが金曜の授業が10時に終わる方を選んだので今日はそのまま11時から2時間続けて受ける。中身もさることながら先生の言っていることが理解できない。
さらに、3月末に仕事をやめてからここ数か月ゆるい日々を過ごしていたので5時間しばられるのはしんどい。ついつい時計ばかりみてしまう。
予想していた以上に厳しいのでついていけるかどうか・・・・・・。

8月4日(水)
《午前は授業、午後からは観光気分》
今日は水曜、授業は朝8時からの3時間。昨日に比べて短いので、授業中はともかく、早く終わった。
あとはフリー、観光気分に戻る。住まいのすぐ近くの《pozzo etrusco》を見に行く。ここは10年前、旅行で2泊したときに見たことがある。エトルニア人が掘った井戸だが、結構深く大きく掘られている。中は涼しく、壁からは水が染み出ていて機能的には今でも健在といえるかもしれない。
このあともすぐ近くのサン・セヴェーロ教会の礼拝堂へ。ラファエロの描いた《三位一体》のフレスコ画が残っている。

Perugia サン・セヴェーロ教会
さらに、サン・ベルナルディーノ教会、隣のサン・フランチェスコ教会をみる。サン・ベルナルディーノ教会の前に芝生があったので思い出した。

Perugia サン・ベルナルディーノ教会③

 

次に《ローマ時代のモザイク》を探すが、現代的な大学の建物に取り込まれていて気づかず通りすぎてしまった。しかし、これは圧巻で大小30以上の動物、鳥が精緻にモザイクで描かれていてまるで動き始めるかのようだ。

perugia ローマ時代のモザイク①

 

観光はこれでお終い。メインのヴァンヌッチ通りのカフェでプロセッコを1杯、一緒に出てくるつまみ(サラミ、ブルスケッタ、チーズなど)がまた美味しい。
授業も通算8時間になったし、自炊もあきたので4日ぶりに夕食(Cena)を外食することにした。昼間、目をつけていたドゥオモ裏手の”il padrino”で魚料理を食べ、満足の一日となった。
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お店の名前:Ristorante il Padrino, Via Baldeschi 5, Perugia
http://www.ristoranteilpadrino.it/default_e.asp

 

8月5日(木)
《住まいはモノロカーレ》
今日の授業は朝8時から11時までと、夕方5時から7時までの2回。あまり歩き回って疲れると夕方に差し支えるので、自分の部屋に戻って週末の旅行プランを立てたりして体と頭を休ませている。
このアパートはイタリアではモノロカーレ(monolocale)といい、日本語に訳すとワンルーム・マンション。
石とレンガ造りの相当古い建物でその1~2階部分がモノロカーレ何部屋かになっているようだ。
広さは20平米、ここに来る前泊まったローマやフィレンツェのホテルのシングルよりも広い。洗面、トイレ、シャワールームが意外にゆったりしている。
ベッド、洋服ダンス、本棚、食卓、机、椅子、キッチン、食器棚、冷蔵庫、調理道具、食器、TV、電気スタンドなど、身ひとつで来てすぐに生活ができる。
お湯は止まることなくいつでも使えるのもいい。
建物は古いが、中はきれいできちんと改修されている(着いたとき同じ建物に住んでいる大家さんの住居を訪れたが、もちろん広々しているが、建物外観からは想像できないほど素敵な住まいだった)。
ただ、共同使用の洗濯機がものすごく時間がかかるのにはちょっと驚いた(初めて使ったが2時間くらい)。
とはいえ、教室までも近いしまぁまぁ快適な単身生活が送れそうな住居環境だ。

8月6日(金)
《アッシジへ小旅行》
今日は金曜日、《会話グループA》の授業は8時から始まり10時で終わり。
昼から小旅行ということで一番近いアッシジに行く。初めてのイタリア旅行のとき行ったので12年ぶりだ。
ペルージャからは電車でもバスでも行けるが、電車だと駅からまたバスに乗り換えなければならないのでバスで行くことにする。ペルージャのパルティジャーニ広場を12時45分に出発。のどかなウンブリアの景色を楽しむ。45分くらいでアッシジ、パオロⅡ世広場に到着。以前、地震のため代えられ泊まったホテルのすぐそばだ。当時よりちょっと大きなターミナルになっている。
まず最初に向かったのはサン・フランチェスコ聖堂、さすがに聖地というか観光地というかものすごい人がいる。団体も多い。

Assisi サン・フランチェスコ聖堂
下部教会に入る。12年前は地震被害のため上部教会には入れずここにだけ入れたけどほとんど記憶がない。天井が低く暗い身廊の椅子席にはイヤフォンで説明を聞くいくつもの団体客でいっぱいだ。
右翼廊には修復中のサン・ニコラ礼拝堂がある。前に2組のスペイン人熟年カップルがいてスタッフに説明を受けていてどうやらその修復中の現場に入るようだ。”Posso?”と訊くといいらしい。ヘルメットと音声ガイドを渡され中に入る。中には足場が組まれ、階段もあって4階になっている。修復中のフレスコ画を間近に見るのは初めてだ(この入場は無料だった)。ただ、説明がよくわからなかったのは残念。

Assisi サン・フランチェスコ聖堂 サン・ニコラス礼拝堂修復現場

 

上部教会の身廊には、美術史上のここの目玉、ジヨットの《サン・フランチェスコの生涯》が左右14場面、計28場面で描かれている。よく目にする絵も沢山あるが写真のほうが色が鮮やかかもしれない。ここも人が多く、しょっちゅう、”silenzio!!”と渋い声のアナウンスが流れていた。

次に向かったのはサンタ・キアラ教会。雨が降り始めどんどん激しくなる。フィレンツェといい今回は雨にたたられる。天気予報は晴れだったので傘を持たずにきたので途中の軒下で雨宿りだ。

Assisi サンタ・キアラ教会
サンタ・キアラ教会は、前回は地震のため青いシートで覆われていて外観を見ることすらできなかったのだが、白と淡いピンクの縞模様で優雅な感じだ(町の一般の建物もペルージャにくらべ使われている石の違いのせいか淡い印象を受ける)。
入り口に大勢のドイツからの生徒一群がいてなかなか入れず雨に濡れる。ようやく入るとまずサン・ジョルジョ礼拝堂に進むことになる。それから左の身廊へ。内陣と翼廊は彩色されているがそれ以外は白くてシンプルだ。右翼廊奥には《サンタ・キアラの生涯》のフレスコ画が大きく2段あるがそれぞれ下の部分が欠落している。地下のクリプタに行ってみると天井は青くなんとなく華やかに感じた。
このあとはサン・ルフィーノ大聖堂、ロッカ・マッジョーレなど見てチェントロ噴水前のバールで一休み。帰り道、アッシジの地ワインとチンギアーレ(猪)のサラミを買い、バスで駅まで行き電車でペルージャに戻った。

8月9日(月)
《5時間授業のあとは観光》
今日は月曜、丸々1週間の授業が始まる。先週火曜に開講したときは30人くらいいたはずなのに、自分のレベルに照らして上のクラスに移ったり、下のクラスに行ったりで今朝は16人しか出ていない。
月、火は8時から3時間のイタリア語、11時から2時間の会話演習で途中1時間毎に10分程度の休憩があるがちょっとしんどい。

といっても、13時には解放されるわけで今のところ宿題があるわけでもなし、それからの時間はまったくのフリー。
通学は片道10分、これでは運動不足にもなるので歩き回らなくては。
一休みして暑い時間をさけ(見るべきところも15時くらいまでは閉まっているが)15時半すぎに出かける。

今日の目的地は、10年前にも行ったことがあるサン・ドメニコ教会サン・ピエトロ教会
いずれもどちらかといえばチェントロからは少し下になる。16時近いとはいえサマー・タイムなのでカヴール通りを歩いているときは日差しが強く暑い。

Perugia サン・ドメニコ教会とサン・ピエトロ教会②

 

 

サン・ドメニコ教会は淡いピンクのどっしりとした大きな建物、左の鐘楼は修復工事中。中に入ってもまったく以前訪れた記憶がない。

建物にあわせたのだろうが、身廊と側廊を分ける柱が柱というよりは壁という感じだ(幅2m×奥行5mくらいか)。後陣の高さ23mのステンドグラスがすごくきれいだ。

Perugia サン・ドメニコ教会 後陣ステンドグラス
この教会に併設する形で国立ウンブリア考古学博物館があるが、ここで歩きつかれてしまうとサン・ピエトロまで行く気が萎えてしまうと思い、とりあえずサン・ピエトロ教会へ向かう。
サン・ピエトロ教会まではかなりあるが目立つ鐘楼で意外に近そうに見える。

Perugia サン・ピエトロ教会②

 

ここも来た記憶があるものの入ってみても記憶がない。サン・ドメニコ教会に比べると中は彩色された装飾や壁いっぱいの絵で荘重さを感じるものの寄せつけない冷たさも感じた。

帰り道、考古学博物館に寄ってみたが予想通り歩き疲れた身にはしんどかった。興味を引いたのはカエサルのちょっと前の時代から1世紀くらいまでの貨幣の展示。

Perugia 国立ウンブリア考古学博物館 コイン展示
初めのころは小さいが金貨、時代が下るにしたがって大きくなるものの金貨ではない。
美術館・博物館を見るのに1年間使えるメンバー・カードを買ったので疲れていない足でもう一度見に行こう。

8月10日(火)
《ペルージャは避暑地?》
今日は日中、結構暑かった。日差しのジリジリさだけではなく空気も暑い。おそらく今までの10日間の中で一番暑かったのでないだろうか?
窓が一つしかない半地下のような部屋の中はどうかというと、5時間の授業を終え1時すぎに帰ったが、ムッとしているわけでもなく暑くもない。
自宅から持ってきた温度表示つきの目覚まし時計でみると朝と同じ23度台だ。
もっともこの部屋に日が当たるのは夕方6時ころなのでそれも当然かもしれない。

今日はメインストリート、ヴァンヌッチ通りのカフェでアペリティーヴォを楽しんでいたが、7時ころはまだ暑い空気を感じたが少し暗くなり始めた8時ころには涼しい風が通り抜け気持ちがいい。

Perugia カフェでアペリティーヴォ

 

 

今年(2010年)の日本は猛暑が続いているようだけど、ここはまるで避暑地のようだ。シャワーを浴びて出てくると寒気を感じるくらい。
寝るときは薄いシーツのようなのとベッドカバーをかけているが明け方涼しすぎて目がさめることがある。
今晩からは毛布もかけてみようかと思うほどだ。
まだ滞在して10日間、9月になったらどうなるだろう。

8月11日(水)
《まぼろしに終わったサン・マリノへのバス旅行》
ペルージャ外国人大学の学生向けに旅行社がいろいろな旅行を企画しているようだ。この間の週末には同じクラスのトルコ人学生がヴェネツィアへ行ってきたと言っていた。
昨日の午後、ガレンガにある大学本部の1階に行ってどんなのがあるのか確かめてみた。
8月中は、シチリア、サン・マリノ、エルバ島、シエナのパリオ見物、チンクェ・テッレ、ラヴェンナ、ボーロニャ、ヴァチカンなど目白押しだ。
その中でサン・マリノとシエナのパリオ見物に興味がわいたが、パリオ見物は月曜なのでパスし、ここから個人で行くには大変なサン・マリノに行くことに決めた。

今日は11時で授業が終わったのでその旅行社を探して申し込みに行く。大学本部のすぐ近くだった。
『今、5人申し込んでいますがどうしますか?』、『申し込みます』ということで、学生証を出し現金で参加代金を払う。申し込みにあたってイタリアの連絡先、携帯の番号を教えて欲しいというので、『まさに授業でも同じ場面があったなぁ~』と数字を読み上げる。

さて、それから6時間後、カヴール通りを歩いていたところポケットの中から着信音が。
番号が表示されていたので『電話だ!』と思って”pronto?”と出ると女性の声がする。よーく聞くとどうもサン・マリノへの件のようだ。念のための確認電話かと思って聞いていたら『参加者が6人しかいないので催行中止』ということらしい。
その足で旅行社に向かい、代金の返金を受けサン・マリノへの日帰りバス旅行はまぼろしとなった。それにしても『6人で中止』というのは自分が申し込んだのちすぐに締め切ったということではないか。

今週の週末はどこに行くか今からまた考えなければ・・・・・・・。

8月12日(木)
《パラッツォの前で涼風コンサート》
今晩は誘われて《I solisti di perugia》のコンサートを聴きに行く。誘ってくれたのはこのグループの活動に参加しているヴァイオリニストのAさんだ。

場所はPalazzo della Penna(今は美術館になっている)の前の広場。21時半開始ということで10分ほど前に行くと9割方席は埋まっていた。
現地集合だったがピアニストのYさんがこちらを見つけ、手招きしてくれたのでおち合うことができ、椅子も確保してくれていた。

Perugia i solisti di Perugiaコンサート②

 

 

ヴァイオリン7人、チェロ3人、コントラバス1人という構成だったと思うがなかなかいい雰囲気で聴くことができ良かった。広場そばの建物の人などは窓から身を乗り出して聴いている。
ヴァイオリンの音色もいい、チェロもいい。
クラシックはあまり聴かないのでほとんどの曲は始めて(最後の曲だけCMに使われていて聴いたことがあったが)。それでも本当に心地よかった。

イタリアの人は豊かな生活を満喫しているなぁとつくづく思う。
日本は猛暑が続いているようだけど、ここは涼しく22時をまわった頃に吹き抜けた風は一瞬肌寒さを感じるくらい。本当に気持ちがいいコンサート。

終わってからわざわざAさんの師であるPaolo Franceschiniさんに挨拶させていただけた。
これから《I solisti di perugia》は蒸し暑い日本でのコンサートに出かけるそうだ。
http://www.isolistidiperugia.com/primapagina.htm

帰りに食べたYさん御用達の苺のグラニータも美味しかった。