ほぼ固まった今年のイタリア旅行日程

6月の初めにアリタリアのキャンペーンでローマ往復を予約して早3ヵ月。
イタリアに行くのはちょうど2ヵ月後になってきた。
頭の中ではどこに行こうか何となく考えていたが、初めから決めていたのは2日目にイタリアでのふるさと《ペルージャ》にまず行くこと。それからローマに戻るまでの4泊5日をどうどこですごすかということだ。

1ヵ所にずっと滞在するというのはどうも性に合わない。ペルージャからどっちの方向に向かうかだが、今回は、かつて行ったことはあるものの滞在数時間だったパルマに泊ることにし、それ以外は何回も行っているがモデナ(ここにはメルカートでバルサミコ酢を買うのが目的)と見どころの多い定番のフィレンツェに行こうと考えていた。
残り1日は《2000年トスカーナ・ウンブリアの旅》で1泊したもののほとんど何も見る時間がなかった思い出の《モンテプルチアーノ》に行こうか、それともその近くでバスで通り過ぎた世界遺産の町《ピエンツァ》にしようか迷ったが結局《ピエンツァ》に泊ることにした。
(迷った理由は、ピエンツァに興味はあるものの町が小さすぎて時間を持て余すのではないかと危惧したからだ。)

決めるたびにホテルを予約して残すはフィレンツェだけになった。
ローマ到着日は早々とOtel.comのWeekEnd割引で予約(結果的には早すぎたのか多少割高)し、次いでペルージャ、最後のローマのホテルを予約。ここで気が付いたのはJALのHPから予約するとマイレージがつくということ。そのためにわざわざ取り直すことはしないが残りの4泊中3泊はJALのHP経由で予約した。
あとはフィレンツェ1泊分の予約を残すのみとなった。
こうやって計画することも旅の楽しみだ。

涼しい夜にイタリア語仲間と暑気払い

ずーっと暑かった今年の夏もそろそろ終わりなのかこのところ梅雨のような天気だ。
そんな中、今いわば夏休み中のイタリア語講座クラスメートと飲み会。
まだ梅雨のさなかに授業をサボってイタリアで2ヵ月バカンスを楽しんできたMさんの帰国を待ちながら1ヵ月以上も前から若手のSさんが企画し、その頃から《暑気払い》と称していた。

 先生を含めクラスの大半が新宿のイタリアンに集合。半数集まったところでまずスプマンテで乾杯。およそ10分で全員そろう。
初めこそ、真面目に後期の教材や、何かのイタリア語の言い回しについて先生に質問したりもしていたが、そのうちいろいろな話題が飛び交い、途中からはまぁ普通の飲み会と同じだ。『普通』とちょっと違うとすればイタリアがらみの話題が多いことか。

11月中旬イタリア行きを計画しているがちょうどその頃1回休講となるため同時期に他にも行く人がいるので1日だけ日程調整してローマで飲み会をすることになったのも話題の一つだ。

おしゃべりと料理を楽しんでいるうちにワインも進み、気がついたら4時間以上も経っていた。ボトルが空くと誰かが頼んでいたようでいったい全部で何本飲んだのだろう。
翌朝はちとしんどかったが楽しい《暑気払い》だった。

懐かしのペルージャ BottegaかOsteriaか

夕食後2階での用を済ませ下のリビングに戻ったちょうどその時、突然妻に『ペルージャよ!』と言われ、テレビの方を見ると確かにペルージャのチェントロが映し出されていた。

11月4日広場(Piazza ⅣNovembre)やそのシンボルでよく待ち合わせに使った大噴水(Fontana Maggiore)など懐かしい。

番組はBS日テレ《世界水紀行 イタリアの大河テヴェレ》だった。ペルージャにテヴェレ川は流れてはいなかったが流域の一部なのだろう。

画面はリストランテに変わる。店の名は《Bottega dei priori》とあった 。

『あー、あそこだ』

ペルージャ滞在中には何度も行った店だ。アペリテォーヴォにも夕食にも。おととし、去年とペルージャを訪れた際にも在住の人たちと行った店だ。

と思ったが翌日になって、自分が行っていた店は《Osteria a priori》だったのを思い出す。

 

たまたま録画していたのでもう一度見てみたが雰囲気は2階のテーブル席に似ている。でも確信が持てない。

自分が知っている店は1階がワイン売り場と奥にカジュアルな感じのテーブル席、2階が食事用のテーブル席になっていてまさに1階はbottegaなのだが。

 

ネットで検索して住所を調べると番地がちょっと違う。でもあの辺りには似たような名前の店が2軒あったとは思えない。移転をして名前を変えたのだろうか?それとももう1軒できたのだろうか?

 

今年も1泊だけだがペルージャに行くつもりなので確かめてこようと思う。

フィレンツェ  ドゥオモの謎

3年目に入った東京外国語大学のオープンアカデミー《映像と文章で学ぶイタリア語》講座も今年上期の授業はあと1回を残すのみだ。この2年間は『魔女の宅急便』(イタリア語版)やイタリア映画『Aprile』などが教材だったが、今期はトスカーナやフィレンツェにまつわるもので『旅行にも役立つかなぁ』と思っていた。

映像はNational Geographicのフィレンツェのルネッサンスについてのものだった。それが進むにつれ、フィレンツェのシンボル、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂のクーポラがどのように造られたかという話に移る。

今まで何回かフィレンツェを訪れ、クーポラにも上ったこともあるがどうやって造られたかなど考えもしなかった。ただ知っていたのは、洗礼堂の東の扉の彫刻コンペで敗れたブルネレスキがあの大きなそして特徴のあるクーポラを造ったということだけだ。

どのように造ったか、ブルネレスキは何の図面も資料も残しておらず《謎》らしい。今回の教材では、その謎を40年以上も調査研究してきたリッチ教授の仮説が説明されている。辞書を引きながら単語の意味を調べるもののイタリア語そのものが分からないのに加えて建築のことは全くの素人なのでチンプンカンプンだ。

とはいえ、理解をすすめるためにGoogleで検索したり、YouTubeで見てみたりなどしている。クーポラに上る階段は内側のクーポラと外側のクーポラの間のスペースだということは思い出した。

今年のイタリア旅行はどこに行くか決めていないが、フィレンツェに行ってもう一度あのクーポラにじっくり考えながら上るのもアリかもしれない。ただ、四百数十段もあるので足腰が持つだろうか息切れするのではないか心配だ。

1998年から毎年行っているイタリア。その間2回は語学留学だったが連続16年行き続けている。 今年も『いつか行こうか』と考えていたら、アリタリアの《アーリーバード・キャンペーン》があることを知り、さっそく11月中旬~下旬のローマ往復便を予約した。 イタリアに1週間滞在するが、どこに行くかはまったく考えていない。 時間がたっぷりあるのでじっくり考えるつもりだ。

イタリア訪問目的

イタリアに行く目的はこのような感じです。

  • 月並みだが観光。世界遺産も多いし、教会の建物、内部の絵や彫刻、祭壇もすごい。
  • 美術館(ルネッサンス期の作品が好きだ)
  • 歴史 (建物、遺跡、絵画、彫刻などから歴史を知る)
  • 食事(グルメということではなく、口にあう)
  • ワイン(決して高いものを飲むわけではない)
  • 現地の生活を楽しむためとイタリア語を学ぶためペルージャへ短期留学2回
  • あまり興味がないのは、ショッピング、サッカー

旅行のトラブル

イタリアの裏の姿、いろいろとトラブルに遭っています。

  • フィレンツェでスリにやられる。
  • シチリアでタクシーにぼられそうになる。
  • ヴェネツィアで予約していたホテルに部屋がなかった。
  • 日本からフィレンツェまでミラノ乗り継ぎだったが、ミラノ(マルペンサ)で搭乗案内の直前にアリタリアのドタキャンにあい、バスで振替輸送となる。
  • ナポリからポンペイへ行く列車のショーペロにあい、朝のラッシュ帯に路線バスで向う。
  • アッシジの地震半年後、予約していたホテルが営業再開していないとヴェネツィアのホテルにファックスが入り、指定された代替ホテルが格落ちで、ファックスで約束されていたお詫びのワインも200mlのキャップ式のまずい白ワインだった。
  • 国鉄の駅で切符を買うとき、窓口氏に釣銭をごまかされた(ヴェローナ、ヴェネツィアで各1回)。

 

Mola di Bari(モーラ・ディ・バーリ)2005/9/17

◆行く
プーリアマテーラの旅、最終日の昼食をバーリ市内のミシュラン3本フォークの店にするか、それともモーラ・ディ・バーリの《南イタリア屈指の洗練レストラン》にするか迷ったままバーリのホテルをチェックアウトし、荷物を預けてホテルを出る。

バーリから列車に20分乗らなければならないがプーリア&マテーラの旅のフィナーレを飾ることにして行動派の我々としてはモーラ・ディ・バーリへ行くことにした。

11:57の電車があるが、ドイツ人の若い女性バックパッカーグループが駅の自販機を陣取っていたのでイライラしながら待つ。発車5分前にようやく番がきて「行き」の乗車券のみ買ってホームへ急ぐ(これがあとで問題をひきおこす)。

12:17着。モーラ・ディ・バーリの駅は小さい。窓口は閉まっている。外に出ても土曜の昼時のせいかひっそりとしている。
店の名前と住所はメモしてきたがそれがどっちの方向なのか誰にも訊くわけにもいかない。とりあえず駅からまっすぐのびた道を海の方向へ行くが市内地図の大きな看板があったので、それをじっと見ると大体の場所がわかった。店までの通りの名前と曲がる方向を持っていたバーリ市内地図の余白に書き込んだ。これで一安心、あとは店が開いているか、開いていてテーブルがあるか、だ。

◆親切に感謝
途中、通りの名前を確かめるためバーリ市内地図をひろげていると通りがかった熟年のご夫婦が声をかけてくれる。

『どこに行きたいのですか?』、『このリストランテです』とメモを見せると、奥さんがご主人に『あなた、案内してあげれば』(と多分言ったんでしょう)。ご主人は持っていたスーパーの買い物袋を奥さんに渡しウンベルト通りまで一緒に連れて行ってくれた。親切に感謝、感謝だ。

彼は国連職員としてニュー・ヨーク勤務だったので日本人初め数々の国際的な友人がいるという。ウンベルト通りに入ったところでその先の左折する目印を教えてくれ、こちらからは丁重にお礼を言い(といっても“Grazie, molto gentile”)別れる。

◆プーリア最後の食事
さて、お目当てのお店に着いたが、やっているのかどうか、何となく静かな雰囲気。不安になったその時、一人の女性が出てきたので訊いてみると『どうぞ』とのこと。
テーブル・セッティングやインテリアからみると優雅なリストランテではあるが、中はひっそりとしていて客は誰もいない。

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若いカメリエーレが注文を取りにくる。例によってプーリアのワインという希望を出しあとの具体的な選択は任せる。
コペルトとして出されたオリーブはさすがプーリアがイタリア一の産地だけあってか、きれいな緑色で粒も大きい。フォカッチャのようなものは表面のパルミジャーノがこんがりと焼けていて香ばしい。

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前菜は恒例の海の幸サラダと車エビのカルパッチョにした。初めてカルパッチョで車エビというのを食べたがこれは美味い。車エビの身をたたきにしたようなもので素材が新鮮で美味しいからできるのだろう。とろけるような味だ(ぜひとももう一度食べたい)。

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プリモは海の幸のリゾット、セコンドはスカンピ(手長エビ)のグリル。いずれも今回の旅では何回か食べていて、プーリアの最後を飾るにはふさわしい。

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最後にカフェでしめるが大満足。

この間、他のお客は1人のみ。

料理を注文する時に帰りの列車の時刻を伝えていたこともあって駅までカメリエーレのトゥーリオが車で送ってくれることになった。モーラ・ディ・バーリの人たちって何と親切なんだろう。

◆とんだトラブル
いい町、いい人、いいリストランテだという印象を得て駅に入ったのだが・・・・・。

駅は週末だからなのか依然として無人。乗車券の自販機は他の駅にあるようなカードも使えるタイプのものはない。初めて見るような行先を選びコインを入れる機械式のものだ。何回かやってもコインがそのまま戻ってきてしまう。
それを見ていた少年2人が『おれがやってやるよ』というのでやってもらったところ、同じようにコインが戻り、すぐに『おれのもんだ』と取ってコインを返さない。最初から取るつもりだったとしか思えない。「冗談じゃない!」と思って握った手の中から何とか取り上げる。

その後、きた人のやり方を真似て切符を買って地下道をくぐりホームで列車を待つ。

そうこうしているうちにさっきの悪ガキがホームへやってきてころがっていた棒切れを手にして襲い掛かってきた。日本語で怒鳴るが今度は屋根瓦のようなものを見つけ、棒を捨てその瓦を投げつけようとする。無事に終わるはずだったプーリアの旅がここで大怪我をしローマに戻れなくなり、ひいては日本に帰れなくなるのかなぁという思いが一瞬頭の中をよぎった。

そのうちホームにいた一人の男性が彼らに声をかけいろいろと説得をしてやめさせてくれて事なきを得た。最後に少年に謝るように言い、彼に言われたようにオウム返しの英語で謝ってきた。

彼は我々に『自分の側にいるように』と言ってくれ、少年たちも同じ列車に乗り込んだので列車の中でも一緒に座ってくれた。彼の名はクリスさん。オランダ系アメリカ人でフロリダからバイオの研究に来ているとのことだった。『日本に来る機会があれば連絡して下さい』と相棒が連絡先を渡す。
14:45、バーリ着。クリスさんと別れる。

いろいろと中身の濃い3時間だった。

◆食べる
●リストランテ
Niccolo Van Westerhaut, via de Amicis 3/5
FIGARO(2002年4月5日号)のとじこみ付録で「南イタリア屈指の洗練レストラン」と紹介されていた。
<食べたもの>
オリーブ、フォカッチャ、海の幸サラダ(7.5ユーロ)、車エビのカルパッチョ(carpaccio di gamberoni、6.5ユーロ)、海の幸のリゾット(10.5ユーロ)、スカンピのグリル(7尾、20ユーロ)、カフェ(2ユーロ×2)
2人で70ユーロ(チップ込み)
<ワイン>
SALICE SALENTINO 2001 Riserva, CA’NTELE (10ユーロ)

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時間とともに段々美味しくなる。

Castellana Grotte(カステッラーナ・グロッテ) 2005/9/16

◆行く
バーリでの2泊の中1日、世界遺産のカステル・デル・モンテか、鍾乳洞のカステッラーナ・グロッテのどちらかに行こうと思っていたが、交通の便を考え結局カステッラーナ・グロッテに行くことにする。

ここは、実はアルベロベッロバーリの間にあり、アルベロベッロからバーリに向かう途中に立ち寄ることもできたが、旅の荷物を持っては難しいということもあって予定通りバーリからの日帰りにする。

8時にホテルを出て歩いてバーリ駅へ向かう。

駅の中でFSE(私鉄Sud-est線)の切符売場を探すが見つからない。あまり余裕を持たずに出かけてきたため発車時刻まであと5分足らず。FSの切符売場で訊いたら『11番線』、早口で『右へ曲がってずっと行く』みたいなジェスチャ。

時間がないので訊き直すこともせず、とりあえず切符売場すぐ近くの入り口から出て11番線へ通じる通路を探すがわからずどんどん駅から離れてしまう。カヴール通りまで行ってしまいの陸橋を渡り右折して、ようやく駅の裏側にあるFSEの入り口を見つけた。そこから階段をあせって下ったその時、乗るはずの列車は出て行ってしまった。

あとでよく考えると駅員のジェスチャを勘違いしてしまったようだ。というのはアルベロベッロからバーリに着いた時には、バーリ駅の一番奥のホームに降り立ち、地下道を通って駅の正面側に出ていたからだ。

FSEの切符売場はこのホーム横の待合室を兼ねた小さな建物の中にあった。切符を買う時、『次は9時52分、1番線(これは実は11番線)から』と念を押される((1人往復5.2ユーロ)。1時間半以上もあるので、駅北側の下町を散策して時間をつぶす。

列車は少し遅れて9時58分発車、日本人旅行者も何人かいた。

10時45分ころグロッテ・デ・カステッラーナに着く。下車する時に、朝、駅で会った日本人の女の子が『ここですか?』というから『そうだよ』と答えると一緒に降りてきて、『駅の名前が違いませんか?』。『アルベロベッロに行くの?』『そうです』『じゃここではないよ』。

お互いの誤解で彼女のスケジュールを狂わせてしまうところだった。同じ列車に乗っていた女性2人組、若い夫婦はそのままアルベロベッロへ(だと思う)。

 

この駅はまるで原っぱのようなところにあるホームだけの無人駅。グロッテ入り口まではすぐだ。大きな通りに面して土産物屋や食堂があり観光地ぽいといえばいえるが平日のせいかそれほどの人出はない。

この通り右手の食堂の先にゲートがあった。横断幕のようなこげ茶色の横看板に《グロッテ・デ・カステッラーナ入り口》と書かれているのですぐわかる。その奥には7〜8階建てほどの高さのあるタワーのような建物が見えた。

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◆見る
ゲートをくぐってタワー棟の方に行くと左手に切符売場があり付近には入場待ちの数十人の観光客が集まっている。
売場で少し並んだが11時から始まるガイドツアーにぎりぎり間に合った(1人13ユーロ)。

先ほどの建物の中に入るとすぐ『English?』と訊かれたので『Guide?』と訊き返すとうなずくのでEnglishの方に入る。その場所で英語組とイタリア語組にふるいわけられ、先にイタリア語組が進んで行く。英語組には日本人は我々だけだった。

ガイドは若い女性でドイツ人とのハーフだと自己紹介し、ドイツ人が多そうなので英語とドイツ語で説明するという。それから右手をくるっと回し“アンディアーモ”(レッツ・ゴー)と言ってガイドツアースタート!

まず階段を降りるとパンテオンのように天井に穴があいているとんでもなく大きなドームに入る。馬鹿でかい空間に圧倒される。天井の穴からは日が差し込んでいる。

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ドーム中央にはモニュメントを思わせるような石筍のかたまりが、そしてドームの壁一面はつららのような石筍で覆われていて凄い。

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しかしこれはここから始まる洞窟探検のほんの序章だった。ガイドを先頭に総勢30人ほどが列をなして進む。通路がきちんと整備され足元の照明もある。天井も高く圧迫感はまったくない。ところどころで立ち止まってガイドを取り囲むようにして説明を受ける。まず英語、それからドイツ語の説明がある。

自然が造った石筍のかたちに特徴があるものはイタリアらしく《ローマ建国のロムルス・レムスに乳を飲ませるの狼》、《ピサの斜塔》などと名づけられていて、なるほどと思う。とりわけ狼はまるで彫刻されたかのようにそっくりだ。
そのほか、駱駝、インディアン、コブラ、天使の廊下など。

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一番奥のグロッタ・ビアンカ(白い洞窟)まで行って来た道をまた戻ったが、どこかが上り、下りの一方通行になっているらしく前の組や後の組とすれ違うことはない。

その下り見学路で石筍の聖母子像を見た。これはそれまでの名づけられたものと違ってものすごく小さい。この小さいものに聖母子像と名づけること自体イタリアを感じさせる。
石筍の長い廊下があったり、ドーム手前の最後のところにはとうもろこし、カリフラワーの形そっくりの石筍もあり驚きの連続だった。

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実際に行くまでは個人で歩くものと思いガイドブックに2時間コースとあったので1時間半くらいで見終えるつもりだったが、2ヵ国語でしかもイタリア語組のあとだったので2時間10分かかってしまう。

1938年に発見されたが、それまでは例の天井の穴、それは地面の穴なのだがそこへ農民がゴミを捨てていたという。それを今のようなすごい観光対象までにしたイタリアの観光に賭ける情熱、コストは大変なものだ。電気もあり、要所要所がライトアップされ、通路(というより道路といってもいいかもしれない)や手すりがしっかりと整備されている。

こんなスケールの大きい鍾乳洞が、南イタリアのしかもやや交通不便なところにあるので日本ではあまり知られていないのは残念だ。

◆帰る
バーリに戻る次の列車は13時53分、30分足らずしか時間がないがお昼を食べていこうと駅に一番近いリストランテに入りテーブルに座ったもののお店のスタッフは誰も来ない。客もそれほどいないので「こりゃだめだ」と席を立つ。

やむを得ず他の店へ行こうと戻ったところバールを見つけたのでパニーノとビールを買い、駅近くのベンチでピクニック気分の昼食をとる。陽射しが強くて暑いがあまり日陰となるような木もなく逃れられないが冷たいビールがうまい。

食べ終わってまもなく列車がホームに入ってきた。何と3両編成の展望車だ。ここは無人駅のため帰りの乗車券もバーリで買ってきていたが、発車してすぐに車掌が乗車券販売のためやってきた。
バーリには定刻の14時49分着。鍾乳洞探検、半日の旅を終える。