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Palermo(パレルモ) 2001/7/24~27


◆行く

シチリア島内での6泊7日の旅、最終目的地パレルモアグリジェントから向かう。ここまでの3日間はタオルミナシラクーサ、アグリジェントと1泊ずつだったが帰国してからの疲れが出ないようパレルモには3泊しゆっくりしよう、と計画したわけだ。

シチリアの旅は逆ルートも考えられたが、最後は連泊したかったこと、パレルモはタオルミナあるいはカターニャよりも見所が多そうだったことからパレルモを最終地とした(結果的には大正解、逆ルートにしてミラノへの帰りをカターニャからにしていたら予定通り帰国できなかっただろう。エトナ山の噴火による火山灰でカターニャ空港は一時閉鎖されていたのだから)。

アグリジェントのバスターミナル(というほど大きくはないが)にて、何回か確認して14時30分のバスに乗る(一人13,000リラ)。2時間のバスの旅だ。

昼までのアグリジェント旧市街観光中も暑かったが外は依然暑そうだ。1時間くらい走ったところで停車したが、丁度向かいの建物にある温度計が36度を示していた。真夏、しかもサマータイムの15時半ごろなのでこの気温は当然かもしれない。

Palermoまであと1時間

 


そこを過ぎてからは車窓からの景色が幾分険しくなったようだ。

左右にごつごつとしたはげた山。その合間を縫うように上って行き、パレルモが近づいてからは一気に下がって行く。16時35分、パレルモ中央駅到着。すぐ側の市内バスのターミナルへ移動し、路線図を見てホテル近くを通るバスを確認し待つが、その間の陽射しの強いこと強いこと、じりじりと熱くてたまらない。


パレルモ市内を貫くメインストリート、ローマ通りを通るバスに乗る。ガイドブックによると予約していたホテルは進行方向に向かって左なので注意して左側を見ていたらホテルが見えたので次に止まったところで降り、チェックイン。アグリジェントからのバスを降りてからわずか20分で着いたことになる。

ViaRoma

 

 

◆初日の夕食は失敗続き
18時頃から、水の買出しがてらホテル近くを1時間少々歩き回り周りの土地勘を養う。ホテルへ戻った際、近くのリストランテを教えてもらい、酒屋がやっている店“Gigi Mangia“を20時で予約した。


この店では2つの大きな失敗をしてしまった。この日は20時になっても暑かった。お店の中に入ると(実に狭い、穴倉のようだ)、外のテーブルを勧められたものの場所が店のすぐ前ではなく少し離れたところで何となく雰囲気がいもくさかったのと、外も暑かったので断り室内にしたのがまず失敗。テーブルのすぐ近くにオープンキッチンがあり、料理を始めるとガスの火の熱さをもろに感じる。汗だくだった。

失敗その2は、シチリアの料理は前菜の量が多いのを思い知らされたこと。というのは、料理はお任せにしたが前菜をしっかり食べパスタで相当お腹がきつくなってきたのでセコンドのために途中で止め「(パスタは)もう終わり」というつもりでカメリエーレが皿を片付けるときに“フィニート”といったところ、全部終了と受け取られそれでおしまいになってしまった。まぁ相当お腹一杯だったので健康のためと暑さから逃れるには丁度よかったのだが。このときのカメリエーレには、翌日近くのCO-OPでばったり会い、お互いに気がついて軽く挨拶をした。

【2日目】
◆見る

実質的にパレルモ観光の初日だ。9時少し前にホテル出発。ホテルを出るとローマ通り、これを右方向、中央駅方向へ歩き出し最初の角を右折し、なにやら人気のない通りを進み、マクエダ通りにぶつかったところを左折する。マクエダ通りはローマ通りと並行している形になるがこれを南を進む。ほどなくマッシモ劇場の前に出る。ここは《ゴッド・ファーザー》の舞台となったところだ。

 

まだ時間が早く入ることができないので外観のみ見てさらに進むとパレルモ観光ポイントの一つ、クアットロ・カンティの交差点に出るが折りしも運悪く修復中で四つ角のどの面もバロック調の壁面が描かれたシートで覆われている。信号を渡り、クアットロ・カンティのすぐそばにあるピアッツァ・プレトーリアに行ってみるがここの噴水もこれまた修復中で囲われていて見ることができない。このピアッツァ・プレトーリアは広場というよりは交差点の一部をなす小さな広場といった感じだ。

この広場の奥がピアッツァ・ベッリーニ、その南の一角にサン・カタルド教会とマルトラーナ教会が並んでいる。サン・カタルド教会はこれぞシチリア、といった趣の赤い丸屋根の建物。イスラムの影響が強く感じられる。

隣のマルトラーナ教会は、その内部のモザイクがすごい。ファサードはバロック様式、内部はシチリアで一番古いビザンチン様式ということだ。

マクエダ通りを南へ少し歩き、右側の旧市街へ入るとほどなくジェズ教会の前に出た。このあたりは教会の宝庫?だ。ファサードは典型的なシチリア・バロック様式。装飾とか彫刻とかは少ないが明るい壁の色とファサード上の濃い茶色の柱のように見える部分や梁ののように見える部分のコントラストが奇妙な力強さを感じさせる。中に入ると、圧倒される装飾の凄さ!

ジェズ教会2

 

ジェズ教会内部

◆どてっぱらが入口のカテドラーレ

ジェズ教会からヴィットリオ・エマヌエーレ大通りを西に向かうと間もなく右手にカテドラーレがどーんと現れる。といっても通りに面しているのはピアッツァ・カテドラーレ。その広場の向こうにカテドラーレがある。カテドラーレは当然東西に位置しているが入口はどてっぱらの南からだ。シチリア・ノルマン様式として建築されたのが歴史の流れの中で増改築により折衷様式となったとのことだ。内部は外観の割に質素に見えたのはジェズ教会を見たあとのせいだろうか?

カテドラル1


 カテドラーレを出てさきほどのヴィットリオ・エマヌエーレ大通りをさらに西に進む。ほどなくノルマン王宮だ。左に曲がり建物に沿って南へ進み奥の玄関へ行ってみたもののスーツ姿の人たちが・・・・・・。どうも州議会の入口だったようでまた戻る。

◆パラティーナ礼拝堂

またヴィットリオ・エマヌエーレ大通りへ出て少し行くとポルタ・ヌオーヴァが立っていてそれをくぐり、左に曲がるとピアッツァ・インディペンツァへと入る。そこから今度はパラティーナ礼拝堂のある王宮入口の方へ進むことができた。


大階段で2階に上がると王宮の回廊に出るがパラティーナ礼拝堂はその回廊から入る。回廊にもモザイクの装飾がきらびやかにあるが、礼拝堂の中のモザイクは凄い。いわゆるビザンチン文化の影響なのだろうか。《玉座のキリスト》そしてクーポラに描かれた《全知全能の神キリスト》のモザイク画は圧巻だ。デジカメで撮ってはみたものの光が乏しくあの素晴らしさを写し撮ることはできない。

教会、礼拝堂のモザイク画といえば、ヴェネツィアのサン・マルコ寺院、ラヴェンナのサン・ヴィターレ教会が挙げられるが美しさはいずれも甲乙つけがたいが、パラティーナ礼拝堂は比較的小さな空間だけあってその壁・天井一面のまばゆさは一番かも知れない。

目がくらくらしてパラティーナ礼拝堂をあとにしたが、ピアッツァ・インディペンツァのバールで一休み(11時半になっていた)。バールといっても、外のテーブルだったのでカフェと言った方が良い。ビールで喉の渇きをいやす。旅の楽しみは昼でも一杯やることだ。シチリア名物、アランチーノも1個食べる。

バールをあとにしてピアッツァ・インディペンツァから南の方へ行って旧市街へと入る。目指すはサン・ジョヴァンニ・デッリ・エレミティ教会だ。教会といっても今は教会としては機能を果たしていない。入場料8,000リラ(1名)。アラブ・ノルマン様式の石造りの建物と中庭を見る。単廊式の素朴な建物で、内部の壁は石が剥き出しだ。観光客で意外と混んでいた。

SanGiovannidegliEremiti1

 

 



午前の観光はこれでおしまい。ホテルへ戻るために、ホテルの面しているローマ通りへ行く。途中ちょっと寄り道をして、サン・ドメニコ教会の脇から路地に入ってヴッチリアのメルカートを覗いてみた。いろいろな食材の店がある。オリーブの実やらアンチョビの瓶詰めやら欲しいものが沢山。

イタリアのメルカートで色とりどりの店が目に入ってくるとそれは八百屋。トマトの赤が目立つ。旅の途中ではお腹が一杯のことが多くなかなか食べることができないが、意を決して?桃と美味しそうなトマトを買う。重さで買ったのだが、桃3個、トマト4個で3,000リラ。

ローマ通りに戻りホテルと反対側の市街地で食べる所を探す。トラットリア兼ピッツエリアがあったのでそこの外のテーブルにした。年配の女性というよりおばちゃんが注文を取りにきた。当然のごとくピッツアを頼む。今回のタオルミナから始まったシチリアの旅でシチリア5日目にしてようやく待望?のピッツアにありつける。

ルッコラとカプリチョーザを注文する。前菜はカプレーゼ、ワインはハウスワインの赤にした。落ち着いてみると隣の店もピッツアを出している。外のテーブルは区別もないほど近いから見えるのだ。1時間近くいたがその間太陽が動き、陽射しが強いのでパラソルの影に入るように少しずつ椅子をずらす。

食後ホテルで一休み、暑い時間帯を避け少しまどろむ。さっきの桃、トマトを食べる。桃は美味しかったがトマトは生食用ではないのか、色が鮮やかな割には甘くない。

16時半ころ買物がてら再び出かける。まず初めにイタリアのデパート、ラ・リナシェンテへ行く。兄はここで頼まれたMOCA(八角形のエスプレッソ・コーヒー沸かし器)を買ったようだ。

ここを出てからカステル・ヌオーヴォ広場を抜けリベルタ大通りをズンズン北の方へ行ってみた。広々とした通りだ。通りに近い方の中の歩道を歩いていたので両側の店がどういう店なのかよく分からないほどだ。ある程度行ったところで来た通りを引き返す。またローマ通りに戻り、バスの中から目についたワインの店に入ってみたら、実は小さなスーパーのような食料品店だった。


この店にはたいしたワインがなかったので、またホテル方向に戻り夕べのリストランテの親元である酒屋“Mangia”へ行く。相手をしてくれたのは、何と注文を取りにきたお兄さんだ。『日本へ送れますか?』と尋ねると、『1日前にオーダーしてくれないと運賃計算ができない、ものが決まらないと計算できない』。しかも1箱6本からとのこと。とりあえず話だけ聞いて店を出る。

やや歩き疲れたのですぐ近くのアンティコ・カフェで休むことにして、オープン・エアのテーブルで珍しくジェラートを食べる。3つの丸いフルーツ味のジェラートにレモンシャーベット、長い棒のようなクッキーが3つの真中に立っている。アルコールも好きだが甘いものも嫌いではない。このジェラートは本当に美味しかった(8,000リラ×2)。
ジェラート満足してホテルに戻ったのが18時45分。

さて、ホテルに戻った時フロントの女性に夕食のリストランテの予約を頼んだところ、電話してくれたが目当ての店は一杯で無理だったのでどこか他のおすすめの店をお願いしたところ、ホテルから比較的近いポリティアマ劇場そばのリストランテ“Lo Scudiero” を20時半で予約してくれた。

ポリテアマ劇場


このリストランテは歩いて行ける。店に入り名前を告げると、入って左側入口から3つ目のテーブルに案内される。注文を取りにくる間待っているとエアコンがきつくて肌寒いので『ちょっと寒いので席を代えて欲しい』とお願いしたところ奥の右に曲がった方にすぐ代えてくれた。そこは問題なし。

この店は魚料理の店で、ワゴンに載せられた魚を見た上で注文させてくれた。

アンティパストは海の幸サラダ、プリモはやはり海の幸のリングイネ、そしてセコンドはワゴンから選んだ2種類の魚(残念ながら名前は分からない)のグリル・ポテト添え、ワイン、水、食後のドルチェ、グラッパ、コペルト込みで15万リラ。量を控えめにしたのでドルチェ、食後酒までいけたし、料理、サービス、雰囲気も良く満足のいく店だった。

【3日目】

ホテルから歩いて30分ほどで昨日のピアッツァ・インディペンツァへ行く。ここにはバスターミナルがある。今日の午前の予定はモンレアーレ観光。個人自由旅行を楽しむ我々としては徒歩と公共交通機関が基本だ。観光のためにタクシーはめったに使わない。9時21分の389番のバスに乗り込む。途中検札があり若い男が降ろされた。バスの中での検札はガイドブックには載っていたが実際に出会ったのは初めてだ。9時46分、ドゥオモ前の広場に着く。

まず、ドゥオモの右横のキオストロ(回廊つき中庭)に入る。回廊を支える円柱は2本づつペアになっていて、何の装飾もない2本とねじれた飴細工のような模様の2本が交互に延々と続く。その柱の上の壁の部分にはモザイクの装飾がほどこされている。かなり広い中庭だ。

Monrealre回廊3それからドゥオモ内部に入る。壁という壁がモザイク画で埋め尽くされているが、全体に暗いため迫力を落としている。内陣の壁には聖書の物語が描かれているが、場面が多すぎて良く分からない。とはいっても、祭壇正面のキリストのモザイク画は素晴らしい。

MonrealeDuomo5

ドゥオモのあとは中庭奥の見晴らし台に行く。少し階段を下りる感じだが途中小さな土産物屋が数軒あった。見晴らし台はベルヴェデーレというだけあってパレルモ市街の方を一望できた。

Monreale見晴台3

◆遺体安置のカタコンベ

11時すぎの市内へ戻るバスに乗り、途中カップチーニのカタコンベに行くため下車。バス停からカタコンベに行く途中カプチン派の修道士を見かけた。もちろん中にもいたのだが、彼らの身をまとっている修道服の色があのカプチーノの語源であることがはっきりと分かった。

入場料1人3,500リラ払って中に入る。このカタコンベには本当に遺体が安置されているというのを本で読んで知っていたのだが、「どうして?なぜ?」と思うほど生きていた時そのままの姿で安置されている。安置といっても横になっているだけではない。コートを着て立っているのもある。とにかくこれでもか、これでもかというほど数多くの遺体(骸骨)がある。遺族は何を思ってこのような形で天国に送り出したのだろうか?

市内に行くバスにまた乗り終点のピアッツァ・インディペンツァで降りる。昨日のバールで一休み。ビールとグラニータで身体を冷やす。
ホテルへ戻る前にこれまた昨日のピッツェリアの隣の店へ行く。テーブルは外で隣り合わせているのでほとんど同じ店という感じだ。ここでお昼を食べた後、ホテルへ戻り少しまどろむとともに身体を休める。こうでもしないと暑さにやられてしまうからだ。

◆考古学博物館、ロザリオ祈祷堂、サンタ・チータ祈祷堂

15時30分、再び行動開始。マッシモ劇場に行ってみたが、ガイド・ツアーは15時が最終とのこと、翌朝10時から、と聞いて引き揚げ、マッシモ劇場から東に少し行ったところのローマ通りに面した州立考古学博物館に行くことにした。中は広い。セリヌンテの神殿遺跡の彫刻が展示されている。神殿にはA,B,C・・・・とアルファベットで名前がつけられているらしいが、神殿C,E,Fの彫刻がそれぞれ何点か展示されている。神殿の一部だけあって彫刻は相当に大きなものだ。

ここを出てローマ通りを中央駅方向、南に進むと左手にサン・ドメニコ教会があるが残念ながら閉まっていたのでこの裏の通りにあるロザリオ祈祷堂サンタ・チータ祈祷堂に行く。ロザリオ祈祷堂はそう大きくはないが、中の壁の彫刻がすごい。彫刻家ジャコモ・セルポッタの手によるスタッコ装飾とのことだが立体感が素晴らしい。彫刻というより飾り付けという感じだ。

ロザリオ祈祷堂

この祈祷堂の先にサンタ・チータ祈祷堂があるがここもジャコモ・セルポッタの彫刻で装飾されている。入口内部の壁にある「レパント海戦」の彫刻が見事だ。

サンタチータ祈祷堂

今度は踵を返すように中央駅の方に行き、途中のヴィットリオ・エマヌエーレ大通りを海の方に進みピアッツァ・マリーナへ行く。この広場の前にキアラモンテ宮殿がある。中に入ることはできなかったが四角くて装飾も窓もなく城塞のような建物だ。宮殿の前ではこの建物にアンマッチな結婚式の人々がいた。このあと訪れたサン・フランチェスコ・ダッシジ教会の前にも結婚式の人たちがいる。

観光を終え、件の酒屋“Gigi Mangia“へワインを買いに行く。ペンディングにしてあった持ち帰り方法については、日本には送らない、持って帰るということにし、3本づつ例のお兄さんに選んでもらって、いざ代金を払う段になってクレジット・カードの端末のラインが作動せず現金しか受け付けないということになった。リラの持合せがなかったのでその旨伝えると「すぐそこでクレジット・カードで引き出してくればいいのではないか」といわれたがやめにして翌日両替をして買うことにして店を出る。
(イタリアでは端末ラインの不具合でカードが使えないことがある)

今回のシチリアの旅の最後を飾る夕食は昨日予約できなかったリストランテ“La Scuderia”に再挑戦ということで、ホテルに戻った際フロントに頼んで電話してもらうと今回はOK。20時半に予約してタクシーで向かう(市街地からはかなり離れている、ファヴォリータ公園の一角)。

庭の広い大きな敷地にあるゆったりとしたリストランテだ。入口や庭には大きな松明の火がゆったりと燃えている。このリストランテは98年版ガンベロ・ロッソで100点中77点、「旅の疲れも吹き飛ぶ、贅沢なコース料理」とFIGAROで紹介されていた。

昨日は一杯で予約できなかったわけだがどのくらい混んでいるのか、と思って中に入るが時間が早いせいかあまり客はいないようだ。白いジャケットを着たカメリエーレに案内され一旦入った建物を通りぬけ奥まった庭の一角のテーブルへ案内される。ちょっと気取った店のようだが外のテーブルなので落ち着くといえば落ち着く。
魚料理をメインに優雅に楽しんだ。帰る頃でも近くのテーブルには2組だけ。前日予約が取れなかったので随分すいている感じがしたのが意外だった。

帰りのタクシーを呼んでもらいホテルに帰ったがこのタクシーにぼられそうになる(詳しくは「トラブル」にて)。せっかくの優雅な夕食の後味がちょっと悪かった。

【4日目】
最後の日。朝市に行く。場所は2日目に行ったヴェチリアのメルカート。ゆでたタコを食べさせる屋台があったが朝食を取ったばかりでおなか一杯のためとりあえずパス。モンレアーレの土産物屋で買いそびれたカレンダーを探しにパラティーナ礼拝堂近くまで行ってみるが見つからない。

◆マッシモ劇場

10時からマッシモ劇場のガイドツアーに参加するため、ぶらぶらと劇場へと歩く。10時すぎにようやく門扉が開きチケットを購入し中に入る。言葉別に分けられ、英語ツアーに入れられる(イタリア語、フランス語、英語、どっちでも分からないのは同じなのだが)。とはいえ、真剣に聞いていると何だか分かったような気になった。

建築年、舞台の大きさ、プラテア、ガレリアについてなどの説明を受け、またロイヤルボックスを見学させてくれた。天井が高く声がよく反響する場所でガイドから何か大きな声でいうように促され片言のイタリア語で言ってみたが説明通りよく声が通る。
このガイドツアーは約30分で終わる。

少し小腹もすいてきたのでまたメルカートへ。タコの屋台にはまだ人だかりがしている。後ろから声をかけ1つ注文する。小さいタコなのでてっきり1パイだと思ったら何とその半分くらい。塩味が利いてうまいのだが、ちょっとがっかり。しかも5000リラだという。「少し高いね!」というと、このタコ屋の親父、ギョロッと見て足1本を付け足す。外人観光客だと思って適当にやっているように思えた。不満ながらタコも食べたので、旅の最終段階、お土産を買うのに時間を割く。件のワイン屋へ行き、4本買い、またすぐ近くのアンティコ・カフェで、シチリア名物のアーモンドでできた作り物の果物に見立てたお菓子とコーヒーを買う。

シチリアではジェラートをハンバーガーのようにパンにはさんで食べるのがポピュラーらしいがこれも最後に試してみたが、どうもいただけない。結局、中のジェラートだけ食べパンの部分は一口だけ食べ残りはごみ箱に捨てる。

一昨日のピッツェリアで昼食をとって、ホテルへ戻り荷物をピックアップし、空港行きのバス停へ行く。バス停はポリティアマ劇場の近くなので歩いて行ける。バスは14時45分発、乗る前に切符を買おうと思って尋ねるが、バスの中で買うシステムのようだ。バスはおそらく中央駅付近から出ているのだろうか、ほぼ定刻に着いたバスはかなり人が乗っている。ここから乗る人が何人かいたので荷物収納やら切符販売やらで少し時間がかかり5分ほど遅れて発車。一路空港へ向かう。ほどなく海岸沿いに走る。途中うとうとしたが35分足らずで空港到着。小さな空港ターミナルだ。
ここパレルモからアリタリアに乗りミラノでJALに乗り継ぎ、帰国する予定だったが、まず搭乗が20分以上遅れる。滑走路に出たのが16時05分だったが、元々の出発時刻は16時45分なので楽観していたところ機内アナウンスが2回あり一旦駐機場へ戻る。アナウンスはよく分からなかったが何か電気系統のトラブルのようだ。そのうちエアコンが効かなくなる・・・・・。

シチリアへ入る際はミラノで1泊し、一応乗り継ぎトラブルがあっても影響を受けないようにしていたが、帰りまでは考えていなかったので頭の中で「もし飛ばなかったらどうしよう?もし乗り継ぎに遅れたらどうしよう?」と不安がよぎる。
結局約1時間遅れ17時50分頃離陸。ホッとした。ミラノ・マルペンサ空港に19時05分到着。タオルミナ、シラクーサ、アグリジェント、パレルモというシチリア縦断の旅は小トラブルには見舞われたものの無事終えることができた。

◆食べる
■Gigi Mangia, ルッジェーロ・セッティモ広場近く(酒屋が経営する店)
◎前菜盛合わせ(24,000リラ)※2名分
◎プリモ(28,000リラ)※2名分
◎フルーツ(10,000リラ)※2名分
◎水(1,000リラ)
◎ワイン(SYRAH YENDEMMIA 1999,Miceli)(40,000リラ)
2人で115,000リラ(ワイン込み)
■Lo Scudiero, ポリティアマ劇場そば
◎海の幸サラダ(26,000リラ)
◎海の幸のリングイネ(18,000リラ)
◎鯛の一種の魚と赤い小さな魚のグリル・ポテト添え(50,000リラ)
◎ドルチェ(6,000リラ×2)
◎ワイン、水、グラッパ(飲物3種で34,000リラ)
※ワイン:LA SEGRETA 2000,  Planeta
◎コペルト(10,000リラ)
2人で150,000リラ(ワイン込み)

■La Scuderia(viale del Fante 9,90146 Palermo)
◎生ハムとメロン
◎カジキマグロのカルパッチョ(前菜2皿44,000リラ)
◎海の幸のパスタ(20,000リラ)
◎セコンドは魚料理2皿(64,000リラ)
◎ドルチェ(10,000リラ)
◎ワイン(18,000リラ)
◎水(2,000リラ)
◎コーヒー(8,000リラ)
◎コペルト(10,000リラ)
2人で178,000リラ(ワイン込み)、チップ15,000リラ

■店名不明(via P.pe di Granatelli, 90146 Palermo)
・1回目
◎カプレーゼ
◎ルッコラのピッツァ
◎ピッツァ・カプリチョーザ
◎ハウスワイン(UVB D’ORO NERO D’ AVOLA 1999 (9,000リラ))
◎水1.5リットル
◎コペルト(4,000リラ)
2人で39,000リラ(ワイン込み)、チップ1,000リラ

・2回目
◎カポナータ(3,000リラ)
◎シチリア風パスタ(中にグリーンピースがはさまっていてトマト・ソース味、6,000リラ)
◎ピッツァ・マルゲリータ(6,000リラ)
◎ハウスワイン(白、8,000リラ)
◎水1.5リットル
◎コペルト(4,000リラ)
2人で31,000リラ(ワイン込み)
■il Mirto e la Rosa(via P.pe di Granatelli,90146 Palermo)
◎パスタ
◎フンギのリゾット・カレー味(プリモ2皿で25,000リラ)
◎ルッコラのミックスサラダ(6,000リラ)
◎ハウスワイン(7,000リラ)
◎水(3,000リラ)
◎コペルト(2,000リラ)
2人で43,000リラ(ワイン込み)、チップ(4,000リラ)

◆泊まる
■Grand Hotel et Des Palmes ★★★★ Twin 270,000リラ(1泊)
入口はさほど目立たない大きさだが中は広い。1階の天井が高くクラッシックな印象。352号室だったが1度では覚えきれない廊下を何回か曲がる。部屋は普通。セフティボックスが壊れていた。壁紙は一部破れている。これでデラックス・ルーム?
インターネットで見てメール直接予約。予約時点では24万リラだったが、チェックインするときフロントのパソコンの画面では30万リラの表示だったのですぐクレームし、24万リラを確認したにもかかわらず、チェックアウトの際30万リラ(×3泊)を請求される。英語でチェックインした際のいきさつも含め抗議するが、頭にくるものの言葉がままならぬ。担当者が変わっているため一切受け付けてくれない。ついに日本語『冗談じゃないっ!』と言ってしまったがそれでも駄目。空港へ行くバスの時間も迫っていたためあきらめたが、「地球の歩き方」に3泊以上読者割引があったのを思い出しそれを見せ何とか27万リラにさせたが最後に腹が立ったホテルだった。
帰国後メールで抗議文を2回送ったが完全に無視された。

◆買う
■靴 209,000リラ(マッシモ劇場向かいの靴屋で)
■アーモンドでできた作り物の果物のお菓子 23,000リラ
■エスプレッソ・コーヒー 6,500リラ
Antico Café, Via P.Pe di Belmonte N.115, Palermo
■ワイン(マルサラ1本、赤3本)計144,800リラ (Gigi Mangiaで)
赤のうち1本は リストランテで飲んだのと同じ
SYRAH YENDEMMIA 1999,  Miceli (25,900リラ)
■食料品(アンチョビ瓶詰め、パルミジャーノ、他) (CO-OPで)
■カレンダー(18,000リラ)

Agrigent(アグリジェント) 2001/7/23

 

◆行く

いよいよアグリジェントへの旅。前泊地のシラクーサからバスの旅だ。計画段階にてネットでいろいろ調べたが、バスで移動するなら、一旦カターニャに戻り、乗り換えるということだけは分ったが、時刻表までは入手できなかった。

シラクーサのホテルでバスターミナルを尋ねると、バス停と時刻を教えてくれた。バス停は思っていたより近かったが次のバスは8時32分とのこと。これに乗れればアグリジェントへ一つ前のバスで行けるが部屋に戻った時は8時20分。あきらめて9時2分のバスにしてバス停へ向かう。

バス停前のスタンドで切符を買う(一人8,000リラ)と次のバスは”INTERBUS”ではなく”AST”8時45分とのこと。ついている。実際にバスが来たのは8時51分。2日前に降り立った空港を通りカターニャ駅前に着いたのは10時10分。スーツケースを引いて隣のバスターミナルへ。

エトナ山からの火山灰がどんどん降ってくる。切符売り場(一人19,000リラ)でアグリジェント行きは10時25分発といわれ、あせって一番北の乗り場へ行き一旦荷物を入れるが何となく不安になり降ろして再度切符売り場で確認すると11時発とのこと。

バスはカターニャの駅を出て逆戻り、何と空港前のバス停に停まる。これを知っていたらわざわざカターニャ駅まで行かなくても良かったのが。

2階席の一番前に座ったので見通しが良い。前方に煙が見え、近づくにつれ渋滞。車が燃えている。その脇を警官の指示で上下線の車が交互に通過する。日本であれば絶対交通止めで何時間か立ち往生するなぁと思う。

事故だ1

 

バスのエアコンは壊れているらしく冷房の効かない車内でひたすら耐える。途中新しいマンションが立ち並ぶ町CALTANISETTA、小高いゆるやかな丘の町CANTITTIを通り抜け13時50分アグリジェント駅到着。5時間の旅だった。グルッと迂回しているのでレンタカーで直行すればもっと近いはずだ。

ホテルに入り一休みして16時すぎ、神殿の谷へ向かう。少し遠いがいつものように歩く。背中への陽射しがじりじりと熱い。16時すぎなのにこの暑さ、と思うが夏時間で1時間早いことを考えれば納得。

進んで行くと木々の間から神殿が見えてくる。右手にはエルコレ(ヘラクレス)神殿。UFOから宇宙人が降り立ったような、またはきのこが生えているような形だ。左方向にはコンコルディア神殿。しっかりとした形でそびえている。

エルコレ神殿5 コンコルディア神殿2
まず端正な形のコンコルディア神殿へ向かう。神殿の谷(考古学地区)の中はきちんと整備されていてここに向かう道も広くきちんとしている。地区内にはアーモンドの木々が。春先に訪れると花がきれいだと思う。この神殿は丘の上にあり、バックには海。古代ギリシャ人は何を考えてこんな壮大な建物を建てたのだろうか。

コンコルディア神殿5
少し離れた先にジュノーネ・ラチニア神殿がある。この神殿はコンコルディア神殿とは対照的に太い柱が残っているだけ。カルタゴの侵攻にあい炎上し、またその後の地震で崩壊したものだという。

 

 

ジュノーネ神殿2

 

ジュノーネ神殿6

来た道を戻り、エルコレ神殿を見る。太い柱が8本残っている。上部には柱より一回り大きい丸い石が乗っかっていてまるでひょっろとしたきのこのように見える。

これですっかり見終わったと思い神殿の谷をあとにしたが翌朝になって駐車場奥にジョーヴェ・オリンピコ(ジュピター)神殿ディオースクリ(カストール・ポルックス)神殿を見逃していたことに気づき再度訪れた。これが個人旅行の短所でもあり、再訪できるところは長所でもある。

ジョーヴェ・オリンピコ神殿はかつて神殿の柱だった巨人像テラモーネが横たわっているほかは大きな石がごろんごろんところがっている(巨人像はレプリカ、本物は考古学博物館で展示されていた)。

奥へ進むとディオースクリ神殿がある。やはりカルタゴ侵攻、地震によって崩壊し、建物の角の部分が柱とともに残っているだけだが、一番絵になる。

ディオースクリ神殿4

ディオースクリ神殿から旧市街1

神殿の谷を出て考古学博物館に行く。先ほど見た巨人像テラモーネの本物が壁に縦に展示されている。室内で見ると外で見たよりも相当でかい。柱の一部だったことが分るように往時のジョーヴェ・オリンピコ神殿の模型も展示されている。

考古学博物館3

 

一旦ホテルに戻り(博物館のすぐ側)チェックアウト後市内バスで駅へ行きスーツケースを預け旧市街を散策する。ドゥオモ(カテドラーレ)へ向かってゆるい上り坂。一本、道を間違えたようでかなり登ってしまった。ようやく見つけ中に入る。広い内部は静まりかえっていた。

AgrigentoのDuomo

 

それからすぐ近くのサンタ・マリア・ディ・グレーチ教会を探す。小径を降りて行く。八百屋をすぎると地名が変わったので戻る。見つかったものの小さな入口、鍵がかかっていたが小父さんがやって来て開けてくれ、一緒に中に入る。

『イタリア語がわかるか?』と訊かれ『少し』と答えるといろいろと説明してくれる。キリスト以前の最古の教会で当時の柱は36本(?)あったが今は8本のみ。アラブ人、ノルマン人の侵攻があって次々に変わった。今の入口はノルマン様式で最終的に1700年代に今の建物になったらしい。外へ出て地下部分の基礎を見せてくれた。帰りに気持ち程度の喜捨をしてアグリジェントでの観光を終えた。

◆アグリジェントでの夕食
ホテルは旧市街と神殿の谷の中間にあり周辺にはリストランテらしきものがあまりなさそうだったことと、ホテルホームページでの庭(このホテルには広大な庭がある)でのディナーの写真が良さそうだったので神殿の谷観光に出かける前にフロントで予約したところ庭でのディナーはやっていない、食事はホテル内のリストランテでとれるといわれ予約した。

予約した時間に行ってみると客は誰もいない。それからもいくつかのテーブルがうまっただけだったがテーブルセッティングはきちんとされていたしカメリエーレも良い対応だった。残念ながら昼間の疲れのせいかワインを飲み干すこともできず、セコンドでお腹一杯になりそこでやめた。客が少ないとはいうものの優雅な雰囲気の中、セコンドでやめたとはいえ雰囲気、味の割にべらぼうに安かった。

◆食べる
■ホテル内リストランテ【夕食】
◎アンティパストはサーモンのカルパッチョ(赤キャベツ添え)、生ハムの燻製と洋梨
◎プリモはフンギのリゾット(少々塩っぱい)、オマール海老のタリアテッレ(クリームソース)
◎セコンドはフィレステーキ(トマト味、小さなエンドウ豆添え)、海老のマヨネーズソースかけ
◎水、食前酒
◎ワイン(LIGORIO 1999  Aziende Vinicade Micelli Palermo (1.4万リラ))
2人で11万リラ(ワイン込み)

■Trattoria Black Horse(via Celauro,8,Agrigento)【昼食】
旧市街中心部にはあまり店がなく、もう1ヵ所見つけた店の名はマンハッタン。
これだけでどんな店か想像できたがパレルモへ行くバスの時間のこともあり妥協したのが失敗のもと。
◎アンティパスト1品(多分生ハムとメロン)
◎プリモ2品
◎ハウスワイン
◎水
2人で4.2万リラ(サービス料込み)

◆遊ぶ
■コンコルディア神殿
■ジュノーネ神殿
■ディオースクリ神殿
■ドゥオモ
■サンタ・マリア・ディ・グレーチ教会

◆泊まる
■Colleverde Park Hotel ★★★★ Twin 24万リラ

ColleverdeParkHotel1
メールで直接予約。
ホテル到着したのが14時45分。まだ部屋の準備が出来ていなくて、近くのバールで遅い昼食をパニーノ、アランチーノでとり時間をつぶした。ホテルからの神殿の谷からの眺めが良く、庭も散策できるほど広い。
旧市街からはバスで10分、バス停もすぐ前なのでロケーション的にもそう問題はない。

 

Siracusa(シラクーサ) 2001/7/22


◆行く
 タオルミーナでの優雅なホテルライフを終え、次の目的地、シラクーサへ。

 ホテル専属の車で駅までおりる(25,000リラ)。45分後の列車のために50人以上窓口に並んでいて少々あせったが、11:09の列車が1時間半遅れていて、11:40の列車が先に出るとのこと。駅員の英語はたどたどしく、つたないイタリア語で何とか確認する。

 並んでいた若い二人連れのギリシャ人女性はイタリア語がわからないためか、いろいろ英語で尋ねられ、そのうちお互いの旅行についてもあれこれ話をした。11:40の列車も10分遅れで到着、乗車。

 夫婦二人のコンパートメントに入る。彼らは途中窓に顔をくっつけるようにエトナ山の噴煙を見ている。また一段と噴火がひどくなったようだ。約50分でカターニャ駅到着、どうも車両内が静か。切り離されるみたいで、あわてて降りて駅員に尋ねるとシラクーサ行きは「前だ!」とのこと。そのうちさっきのギリシャ人二人に「ついて行っていいか?」とまた声をかけられる。1等車に乗り込んだところで何となく別れた。

 14時頃シラクーサに着き、駅のホールで二人が振り返り、お互いに手を振って別れた。

 ホテルは駅から10分くらいと思っていたら出口の方角を完全に勘違いしたため30分もかかってしまった。

◆見る
 日曜のため新市街のホテル周辺には食べ物屋がなくこの日は昼抜き。
 
 目指すは考古学地区。暑いのでTシャツと短パンで出かける。

 タオルミーナ同様、ギリシャ劇場を見る。タオルミーナとは違いわりと平坦な地域にあり背後の海も遠くにしかし広く見える。劇場そのものも相当大きいようだ。観客席の上からの眺望が青い海を背景に素晴らしい。

Siracusaギリシャ劇場

 

Siracusaギリシャ劇場4
 ギリシャ劇場を後にして天国の石切り場に行く。石切り場として掘られたものの中でディオニソスの耳といわれる洞窟がある。入口部分は細長い合掌造のような穴になっていて、中に入ると天井が高く音がもの凄く反響するような気がする。

ディオニソスの耳の中

 


 少し戻りさらに南の方へ進むとローマ格闘技場がある。一つの場所に、ギリシャ劇場とローマ格闘技場というのは珍しいのではないだろうか。

Siracusaローマ闘技場


 考古学地区を出て大きな通りを東へ向かう。右手にはかなり大きな円錐形というか三角形の近代建築の聖所記念堂がそびえている。そのほぼ向かい側のパピルス博物館に入る。ここシラクーサはパピルスの町。中ではパピルスの作り方の実演をしておりどこかの外国人ツアーの人たちが取り囲んでいたので適当に切り上げる。パピルスに描かれた絵がお土産として展示されている(似たようなものがたまに日本橋の丸善で展示即売されている。値段からすると絶対現地で買う方が安かったように思う)。


◆カタコンべ

さらに北に向かい、サン・ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ教会へ。ここは当初予定していなかったが地図を見たら近くだったので寄ったもの。
 これがどうしておもてからは想像できないカタコンベが地下にある。カタコンベの入口で、5分待てばガイドツアーがあるので待てといわれるがなかなかスタートしないので我々だけで中に入って行こうとしたら止められる。大人数のグループの到着が遅れたため約25分待ってからスタート。ガイドは『5分待って』と言った若い男性。

 地下は広くて多分自分達だけで行ったら訳がわからず迷子になったかも知れない。縦、横に通路が交差し、細かな区画に別れている。遺骸はすべて移されていて棺が置かれていた場所(多分、かなりの立場にあった人の墓)について解説された。解説は丁寧で長い。その英語の解説を大人数グループのツアーガイドが通訳(多分ギリシャ語)する、といった具合で倍の時間がかかった。途中で帰ることもできず50分付き合い、出口が近くなったところで切り上げて出た。

SanGiovanniのカタコンベ

 

◆旧市街
 シラクーサの町は見所が3つに別れていて徒歩で観光するには広い。カタコンベを出て南方向にあるオルティジア島の旧市街へと向かう。結構広くてほこりっぽい通りを歩き、橋を渡る。橋のたもとには観光用モーターボートの看板があり、海に突き出た島であることを実感させられる。

 島に入って間もなくかなり朽ちてはいるがアポロ神殿がある。旧市街に進むとドゥオモと広場、どこかで見たなぁと思ったら、旅行の1ヵ月前に見た映画《マレーナ》の舞台になった広場だということを帰国後思い出した。このドゥオモは外から見るだけで中に入る時間はない。

SiracusaDuomo

 

それからフォンテ・アレトゥーザに行く。パピルスが生え、また伝説の泉ということだが想像していたよりも小さい。日曜であるにもかかわらずそれほど人出は多くない。



 一旦新市街のホテルまで戻り(徒歩で25分)夕食のため再び訪れる。

 旧市街をぶらついたのは夕食のリストランテ探しも目的の1つだったたが今一ピンと来なかったので、例によってホテルのフロントに尋ね予約をしてもらう。これがなんと先ほどのドゥオモのすぐ近くのトラットリア。

 さっき戻った道のりをまた歩く。間口は狭くて店は小さいが店の前の小道をはさんでオープンエアの客席が大きないくつものパラソルの下に沢山あり、その一角に座らされた。

 いつもメニューを見て注文するのは自分の役目なのだが、渡されたメニューは手書きみたいな書体で読むのも面倒くさくなり、まったくの定食を頼む。A、B2種類あったのでそれぞれを注文。一人前35,000リラ、という破格の値段。これで量が物足りなかったら、と危惧しブルスケッタ(5,000リラ)と海の幸のスープ(Zuppa di Mare、16,000リラ)もオーダー。これが大変な間違いだった。

 とにかくボリュームが多く、お腹一杯のところへもってきて、デザートがスイカだった。向こうのスイカはラグビーボールのように横長だが一切れが半端な大きさではない。兄は最初からギブアップ!その後のカフェは、通常エスプレッソなので大した量ではないのがわかっていたが断ってお勘定してもらった。

 B級グルメといった感じのトラットリアだったが超満腹で思い出に残る店だ。

◆食べる
■Trattoria KALLIOPE (via del Consiglio Regionale, 26 96100 Siracusa)
<<Aコース>>
 ◎アンティパストはアンチョビの・・・
 ◎プリモはシチリア風スパゲッティ(魚の粉を振りかける)
 ◎セコンドはムール貝(Cozze)のスープ(物凄いボリューム)
 ◎カフェ
<<Bコース>>
 ◎アンティパストはタコの・・・
 ◎プリモは小海老とトマトのスパゲッティ
 ◎セコンドはカジキマグロのグリル(タオルミーナでの昼食より美味)
 ◎デザートはスイカ
 ◎カフェ
<<追加注文>>
 ◎他にブルスケッタ
 ◎海の幸のスープ(あさり、エビ、カラス貝等がふんだんに入っていて量も多い)
 ◎水
 ◎ワイン(LEONE(3万リラ)、魚料理ということで珍しく白にする。少し甘口。)

2人で12.5万リラ(ワイン込み)

◆遊ぶ
■ギリシャ劇場
■ローマ格闘技場
■ディオニソスの耳
■サン・ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ教会
■オルティジア島
■ドゥオモ
■フォンテ・アレトゥーザ


◆泊まる 
Jolly Hotel Syracuse ★★★★ Twin 12,300円

JHCで予約。Jollyにしてはちょっとランクが下。部屋は狭かった。

◆買う
特に買わず

Taormina(タオルミーナ) 2001/7/21


◆行く
 いよいよシチリア旅行の始まりだ。朝6時ミラノ中央駅近くのホテルから専属タクシーでリナーテ空港へ向かう。約10分で空港着。ほぼ定刻にカターニャへ向け離陸、1時間半でカターニャ空港到着。

 普通ならばミラノに泊まらず同日乗り継ぎで日本から出たその日のうちには着けるのだが、前の年のミラノ乗り継ぎフィレンツェ行きのアリタリアが搭乗直前に訳もなくドタキャンされひどい目にあっていたのでとりあえず1泊した訳だ。 

カターニャに着く少し前、周りの乗客が席を立ち右側の窓を覗きこんでいる。何事か?と思って立ち上がり見てみると眼下の山から噴煙が上がっている。エトナ山だ(この後段々爆発がひどくなり、旅行中新聞、TVでも報道されていた。ついには火山灰でカターニャ空港が閉鎖される事態となった。我々は、カターニャから入り、パレルモから出るルートだったので支障はなかったが、逆コースなら予定通りには帰国できなかったはず)。

カターニャ行きの機上より



 空港ターミナル着が8:50、なかなかスーツケースが出てこない。ようやくピックアップし、今度はタオルミーナ行きのバスを探すが次のバスが10:30ということがわかる。

 少し待つつもりでいたがあまりにも陽射しが強いし時間も勿体ないのでタクシーに乗ることにした。乗る前に料金を訊いたところ、ガイドブックやターミナルに掲示されていた金額(15万リラ、約9000円)と同じだったので乗ったわけだがこれがとんだ食わせ者、雲助タクシーでメーターはどんどん上がり26万リラを超えていた。

 交渉もへったくれもないもんだが、最終的には16万リラ払った(甘いかも知れないが、1万リラはチップのつもり)。

ホテルは5つ星、サン・ドメニコ・パレスホテル、ホテルの玄関までタクシーで乗りつけるのが、雲助の場合はホテルの門の外でおろされる。


このホテルは、映画《グラン・ブルー》の舞台にもなった元修道院のホテル。チェックインのため玄関の右に入るが、そこは映画でもフロントとして使われていた場所だ。


 10時半に着いてしまったので、部屋を準備するまで少し待っていて欲しいといわれ結局1時間ほど待って部屋に入る。

◆見る
 ホテルを出て左方向のローマ通りに進む。遠回りした格好になったが、タオルミーナの海を眼下に見ながらウンベルト1世通りへ出る。それからウンベルト1世通りを登るようにカターニャ門に向かう。

Taorminaの海


 これで町をほぼ1周したことがあとでわかる。

 昼の腹ごしらえのため、旅行前にインターネットでチェックしておいた路地のピザ屋を探し入った。一般的にはピッツァは昼はやっていないが、オープンしていたので入ったところ『昼だからピッツァはない』とのこと、他に客があまりいないので「この店、大丈夫かなぁ」と思いできればやめたかったが(やめて出ていった客もいた)、ワインと魚のソテーと何か頼んで空腹を満たす。

 タオルミーナはリゾート地であり、見所はギリシャ劇場とウンベルト1世通りくらい。

 この通りを下って戻りメッシーナ門の手前で右に曲がりギリシャ劇場へと向かう。ジリジリと陽射しが強く昼時のため真上から太陽が照りつけてくる。狭いウンベルト1世通りで、まるで雨やどりするようにわずかな日陰を見つけ軒先を借りながら歩いた。

 

 ギリシャ劇場へ行く通りには土産物屋がならび、名産の大きな陶器の皿が飾られていた。旅の始めなので荷物になるので横目で見るだけ。

ギリシャ劇場は、海とエトナ山をバックにした素晴らしいパノラマの劇場で、ここを選んだ古代ギリシャ人の構想力には感服する。夏の野外イベントがあるらしくステージ、客席の準備がされていた。コンサートのようだったが、星空のもとのここでのコンサートはいいだろうなぁと思った。

Taorminaギリシャ劇場2

Taorminaギリシャ劇場3

せっかくの5つ星ホテル滞在なのでホテルをも楽しむことにする。泊まった部屋は380。

残念ながら新館のようでフロントから階段を下りエレベーターも使って部屋を行き来する。地形を利用して建てられているようだ。部屋の天井が高く、また照明がいい。バスローブがいかにも5つ星といういいものを用意している。

玄関に入りすぐ奥が映画にも出てきたガラスの回廊。陽射しが強くとも中はエアコンがきっちりと効いている。どこにもエアコンが見あたらなかったが、アンティーク家具のような黒い箱に納まっていて、昔の僧院を思わせる。司教の椅子、彫刻、絵が展示されている中にさりげなく商品も展示されている。

中庭は、手入れされていて南国の花が咲き乱れている。ここからみるエトナ山は絶景。自分で撮った写真をしばらくパソコンの壁紙にしていた。

SnDomenicoPalaceHotelの庭

エトナ山

プールはこの中庭を下ったところにあるが、ひっそりとしていた。

このホテルで結婚式の披露宴があるらしく、中庭には乾杯用のグラスの準備がされていた。

さて、夕食。コンシェルジェのお姉さんに幾つかリストランテを教えてもらう。そのうち『高いですよ』といわれたところを見に行く。ウンベルト1世通りを少し下って右の路地を入ったところにあったが、店の前にメニューが出ていて確かに高い。結局、教えてもらったお勧めのリストランテでもあった「FIGARO」に出ていた《アル・ドゥオモ》(実は旅行前からの候補)に決め予約をお願いした。

昼間うろうろしている時アル・ドゥオモの場所はわかっていた。ドゥオモ広場に面している。建物1階の屋上に折りたたまれた大きなパラソルがあった。それほどのリストランテとも思えなかったのだが。

狭い路地を入りその建物の階段を上がる。中はきちんとしたリストランテ。ところが奥へ案内された席は屋上のパラソルの下。しかし、暗くなっていくとこれが実にいい雰囲気。東京と違って夜になると屋外でも涼しい。おまけにすぐ側には大聖堂。9時ごろだったろうか、2組もの新婚カップルがドゥオモの前で記念撮影するところまでワインを飲みながら楽しめた。

◆食べる
■Al Duomo (vico Ebrei 11 98039 Taormina)
◎アンティパストはタコのサラダ、カポナータ
◎プリモは海の幸のパスタ、空豆のスープ
◎セコンドは魚介のフライ(ホタルイカ、鰯、小さな赤い魚。オレンジと一緒に食べる)、
小えびの何とか(パン粉でふっくらと固めたもの)
◎デザートはシチリア名物のカッサータ、カンノーロ(めちゃくちゃ甘い)
◎水、食後酒
◎ワイン(CURTO Fontanelle Nero D’a vola 100% Vendemmia 1998 (5万リラ))
2人で計20.7万リラ(ワイン込み)

◆遊ぶ
■エトナ山
■ギリシャ劇場
■ウンベルト1世通り

◆泊まる
San Domenico Palace Hotel Taormina ★★★★★ Twin 51万リラ(朝食つき)

メールで直接予約。宿泊日は7月第3週土曜日だったがインターネットホームページでこの日がいわばシーズンオフ最終日であることを確認して予約。日程上無理だったができれば2泊はしたかった・・・・・。絶対に勧めたいホテル。

後輩に話したら彼は即実行、冬場だったためチェックイン時に海の見える部屋を頼んだらそうしてもらえたとのこと。

庭に面した朝食も内容、雰囲気といい抜群。スプマンテも供されていた。朝にスプマンテが出ているのは高級なホテルの証と聞いたことがある(私の経験ではここ以外ではフィレンツェのベルニーニパレスホテル、他にもあるでしょうが)。

ホテル内リストランテも良さそうだ。

ホテルから当日の天候(晴れときどき曇り)、気温(22度~29度)が記された名刺大のカードを渡され記念にとっている。
従業員はリゾートらしく白のポロシャツ着用。

◆買う
アーモンドのワイン(9,000リラ) どちらかといえば梅酒のような味わい。

SanGimignano(サン・ジミニャーノ) 2000/8/10

SanGimignano(サン・ジミニャーノ) 2000/8/10

予定変更
サン・ジミニャーノはシエナからプルマンで1時間ちょっと、またフィレンツェまでは2時間弱。初めはシエナからフィレンツェに行く途中に訪れるつもりだった。この日、モンテ・プルチアーノからプルマンで1時間半かけてシエナへ着き、シエナのホテルにチェックインした後、急に予定変更してシエナ観光の前にシエナから往復することにした(これが個人旅行のいいところでもあり、いい加減なところともいえる)。その理由は、途中下車だと万一荷物を預けることができなかったらまずいな、と思ったからだ。

昼食はサン・ジミニャーノで取ることにして、プルマンの切符を買う(一人8600リラ)。
2年前の3月に泊まったJOLLYホテルの前を12時10分に発車。すでにシエナまで1時間半もプルマンの旅をした後だったので多少疲れ気味のせいか、うつらうつらしてしまう。経由地のポッジポンシで乗り換える必要のない直通便だった。ポッジポンシをすぎてからようやく前方にイタリアではよくある山の上の町が見えてくる。もうすぐか、もうすぐかと思うがなかなか近づかない。
サン・ジミニャーノは塔の町として有名だ。昔は沢山あったそうだが、すでに随分取り壊されているので、遠く下の方向からから見るだけに塔の町とはあまり思えなかった。

13時20分定刻通りサン・ジョヴァンニ門前の広場に着く。念のためあたりを見回しても荷物預り所みたいなところはなかったので、シエナからの日帰りにしたことは正解だった。
朝食を8時に取ったためお腹がすいていたので観光の前にまず昼食。「FIGARO」で1ヵ所チェックしておいたリストランテは本当かどうかわからないがネクタイ着用とあったので(予算も時間もかかりそうだろうとも考え)やめることにし、サン・ジョヴァンニ通りに面した店に入った。この店は「歩き方」に出ていてすぐわかったので入ったがこれは失敗だった。単に空腹を満たしただけ。

チステルナ広場を抜けドゥオモ広場へ行くと左手に参事会教会があり、まずここに入る。天井はそう高くないし、内部は比較的明るく見え、大勢の観光客がいることもあって教会という印象をあまり受けない。奥の方にサンタ・フィーナ礼拝堂(入場料6,000リラ)がありここにはギルランダイオの「聖女フィーナの生涯」のフレスコ画があった。

ドゥオモ広場で周りの塔を見上げながら広場の北からサン・マッテオ通りに入り、この町でサン・ジョヴァンニ門から一番遠い場所にあるサンタゴスティーノ教会まで行く。入ろうとしたら昼休みということなのか15時までしまっていた。この教会は13世紀末に建てられたロマネスク-ゴシック様式とのことだが単純に外観だけみれば倉庫みたいな形をしている。ともかくも15時まで10分ほど隣接する広場で座り込んで待ったが、陽射しがじりじりと照りつけてきたのを今でも覚えている。

白ワインで生き返る
ぶらぶらとサン・マッテオ通りからサン・ジョヴァンニ通りへと戻る。道の両側にはジェラート屋、土産物屋、ワイン屋などが並んでいる。この町にもヴェルナッチャ・ディ・サン・ジミニャーノという白ワインがあるが、昼のワインは美味しくなかったので一息入れたいこともあってキャンティ・クラシコのシンボル・マーク“ガッロ・ネロ”(黒い雄鶏)の看板がでていた店に寄る。通りに面したテーブルで冷えたヴェルナッチャ・ディ・サン・ジミニニャーノをブルスケッタで一杯やる。白ワインといっても薄い黄金色、美味しかったし、冷たくて生き返った気がした。

16時5分発のプルマン(ポッジポンシ乗換え)で17時10分にシエナへ戻る。
滞在時間が短く、塔に上ることができなかったのはちょっと残念だった。

◆食べる
●リストランテ
お店の名前 Taverna Paradiso, Via San Gimignano, 6
食べたもの お昼の定食、ワインつき 一人22,000リラ、ほかにコーヒーを注文して2人で47,000リラ
セット・メニューの内容は良くなかったので覚えていない。

飲んだもの 本文の通り、2人で15,000リラ

Montepulciano(モンテプルチアーノ) 2000/8/09

◆みる
トスカーナの旅、4日目、ワインで有名なモンテプルチアーノを訪れる。この日はペルージャを立ち、オルヴィエート観光の後、FSでキューズィ・キャンチアーノへ行き、駅前からバスでモンテプルチアーノへ向かう。

列車は15時29分発、30分でキューズイ到着(1人4,200リラ)。小さな駅だ。駅前のバス乗り場も小さくて数台分しかなく、ここから長距離バスがでるか不安になったが、30分後にバスのあることが分り、ホッとする。

16時30発車、乗客はそう多くない。途中16時55分にテルメ・デ・キャンチアーノという温泉の町を通る。車窓からみただけでも、大きなリゾート地という雰囲気がする。きっとシーズンには多くの人が温泉などを楽しみにくるに違いない。

そこから約30分で山道を上がりモンテプルチアーノの町の入口目前の広場に着く。そこが終点。この町はそう大きくなくホテルを選ぶ時にも、ガイドブックには2つしかなく結局前の晩ペルージャで決め電話で予約したのだが、バスを降りてプラート門に入ってすぐ左手に選ばなかった方のホテルがあった。

「なぁーんだ、あのホテルだったらこんなに近かったんだ」と言いながらさらに町の中を進んで行くと勾配が段々きつくなる。スーツケースを引っ張るが結構大変だ。うっかり手を離そうもなら、まるでスキー場でころんで板が落っこちていくようにガッーとスーツケースが落っこちていきそうだ。

両側にはさすがワインの店やらみやげ物屋などがある。その急な坂道を30分かけてドゥオモの前を通り過ぎさらに上にあるホテルを見つける。このホテルは町の一番高いところにあり、そういう面ではホテル選びを間違ったのだ。間違えた理由はただ一つ、この町は南北に長く、そして北から南へ上っているのが、地図では南が下にあるからだった。でも、入口近くのホテルだったら果たして上まで足を伸ばしただろうか。

着いた時間が時間だけにいわゆる観光をする余裕はない。モンテプルチアーノにはワインを試飲させてくれる店(カンティナ)が沢山あるらしいが、醸造元直営のところを知るためにグランデ広場の観光案内所に行くがよくわからない。あきらめて出てみるとすぐ近くにそれらしき店の看板があるがもうすでに19時をまわっていて閉まっていた。

グランデ広場を取り囲むように市庁舎、ドゥオモ、コントゥッチ宮などがある。市庁舎はフィレンツェのヴェッキオ宮を模したというだけあってよく似ている。違いは塔が若干低いことか。いずれにしてもすべて外観のみで中には入らなかった。翌朝見るつもりだったが、シエナへ行くバスの時間の関係で結局モンテプルチアーノ観光は省略。坂道の上り下りがこの町を知る観光といえば観光。

さて、今度は坂道を下り、途中翌朝のバスの時刻を調べながら両サイドの店を眺める。折角ワインの産地へきたのだから、ということで1軒のワインの店に入る。何本か同じものを買えば安くなると書いてある。やはりイタリア各地からあるいは地続きの国から車で来た人は沢山買い込むのだろう。我々は荷物もあることだし、残念ながら1本だけ(この日オルヴィエートで1本買っていた)地元の、といってもあのVino Nobile di Montepulcianoを買った。
イタリアの古き良き骨太なワイン!クロチアーニ・ヴィーノ・ノヴィーレ・・ディ・モンテプルチ...

今回の旅で買ったワインの中では一番高かった(65,000リラ)だけあって美味しかった。

次は例によって夕食のリストランテ探し。FIGAROの「TRAVEL BOOK イタリアレストラン」に出ていたイル・カントゥチョという店を探す。半分以上坂道を下った左手に見つけ中に入ったが満席と断られる。しようがないなぁ、と思って一旦出たが兄が『どこかいい店を教えてもらおう』と言うのでもう一度入り、2つの店を教えてもらう。

まず一つ目はさらにプラート門の方へ下り右手にあったが夏休み中。そこで2軒目を探す。坂道を上り、左の路地に入って右に曲がって右手、割と簡単に見つかったがガラス越しに中を見るとほとんど客がいないので「大丈夫かなぁ」と思いながら他にあてもないので意を決して『ボナセーラ』と入る。

入口を入ってすぐのところのテーブルに前菜が多数置かれている。そこを過ぎ奥にちょっとした大きなテーブルのある手前に座らされる。オーナー(だと思う)が注文を取りにきて、こっちが外国人観光客ということでイタリアなまりの英語で説明してくれる。ワインリストを頼んだところ分厚い本のようなものを出され一瞬戸惑ったがワインがABC順に書かれた辞書みたいなものだったので、当然Vino Nobile di Montepulcianoを選ぶことにしてVのページを開きアンティノーリのものを注文する。

料理は前菜盛り合わせ、というか入口附近にあった前菜の中から好きなものを取るビュッフェ方式。プリモは兎のミートソースのピチ(トスカーナ独特のパスタ、ぷりぷりのうどんのよう、ものすごく美味)とフレッシュトマトのニョッキ(これも美味い)。セコンドはフィレ・ステーキ、緑の胡椒味(大粒の胡椒が沢山添えられていた)。お昼が少々重かったのでセコンドは2人で1品にする。それにグリーンサラダ。デザート、カフェ、グラッパ、水。合計112,000リラ。

ここでの思い出は、初め少なかった客が段々と増えそのうち結構広かった店内が満席になり、また奥の大人数テーブルにはドイツ人のツーリストグループがやってきて賑やかだったこと。また、前菜を取りに立ったら、くだんのオーナーが『好きなものをどんどん取りなさい』というので2人の大好物の生ハム&メロンは2切れ、それ以外も玉ねぎ、ピーマン、乾燥トマト、茄子のグリル、豆、フレッシュトマトなどをよそう。13,000リラ(約700円)だったのでこれは2皿分請求されても当然だと思ったが1皿分だけだった。

食事を終えてまた坂道を上がってホテルへと戻る。グランデ広場のドゥオモ前では夏のイベントの演劇リハーサルをやっている。イタリアの夏は昔の日本のようにその町、その町で野外イベントが開かれているようだ。

◆食べる
■Borgo Buio(via di Borgo Buio, 10 53045)
◎兎のミートソースのピチ
◎フレッシュトマトのニョッキ
◎フィレ・ステーキ、緑の胡椒味
◎グリーンサラダ
◎グラッパ
◎水
◎デザート
◎カフェ
◎ワイン(Vino Nobile di Montepulciano)
計二人で112,000リラ也。

◆遊ぶ
■坂道の上り下り

Orvieto(オルヴィエート) 2000/8/9

◆ドゥオモのファサードが素晴らしい
ペルージャ2泊の旅を終え、オルヴィエートへ向かう。この町の名前を知ったのは初めてのイタリア旅行の時(この旅の2年前)だ。シエナのリストランテで先客だった30代の日本人夫婦から声を掛けられ、お互いに日本人恋しさで食後話し込んだ際、シエナの前はどこからきたかということになり二人はオルヴィエートから来たということで知った。そしてドゥオモのファサードが素晴らしいということを教えてもらった。

8時すぎにペルージャのホテルをチェックアウト。イタリア広場から市内バスに乗り、駅へ(10分足らずで着く)。8:42のテロントラ行きの列車に乗り、テロントラで9:38のローマ行きに乗り換え10:30にオルヴィエート着。乗り換えてから1時間あったので兄とワインやお酒のことなど話しているうちにあわや降りそこねるところだった。

駅を出てフニコラーレに乗り、山の上の町に上る。このフニコラーレには大勢の子供たちと一緒になり、ワイワイガヤガヤと騒がしくどこの子供たちも同じだなぁと感じた。

フニコラーレを降り地図を見ながら歩いて約15分でドゥオモの南方向からドゥオモ前の広場に出る。ゴシック様式の粋をきわめたドゥオモだ。見上げると黄金色のファサード。

広場といってもそう広くなく、西側にはすぐ建物があるのでこのファサード全体を写真にとるのは難しい。ファサードは彫刻とモザイク画で装飾されている。バラ窓の周りには聖人の顔の彫刻。そして上、左右には聖人の彫刻がある。バラ窓の上にはモザイク画のマリアの戴冠が描かれていて本当に凄い。まるでファサード全体が祭壇画のように見える。

ドゥオモの向かいの店で礼拝堂の観覧券(1人3,000リラ)を買いドゥオモ内部に入る。フニコラーレで一緒だった子供たちが大勢いるため静寂なはずのドゥオモが騒がしい。

ドゥオモをあとにし、ファサードを何度か振り返りながら広場西側の狭い道を進み市庁舎のあるレップブリカ広場へ行く。4年近く経った今思い出そうとしてもドゥオモの印象が強いのかあまり思い出すことができない。ポポロ宮に行ってみたが、歴史的建造物なのだろうがくすんだ建物という感じしか残っていない。ポポロ宮前の広場には朝市の名残なのか数軒の屋台の店が出ている。

◆トリュフといのしし
ちょうどお昼になったのでいつものリストランテ探し。ここでは、FIGAROの「イタリアレストラン」に載っていたアル・ポッツォ・エトルスコに決めていたので住所からデ・ラニエリ広場を探すがなかなか見つからない。広場とは名ばかりで小さな広場だった。

FIGAROによるとオルヴィエートではトリュフといのししを必ず食すべきとのこと。この店のおすすめ料理はそれらを素材としたトリュフのフィットチーネ、いのししのミートソースのパッパルデッレがあるということでここに決めていた。それで注文する時もメニューから探すのではなく最初からあらかじめ用意したメモの料理名を見せて頼んだ。ワイン、料理とも美味しくて満ち足りた昼食となった。

食後オーナーに頼んでこの店の中にあるエトルリア時代の井戸(ポッツォ)を見せてもらった。そう深いものではなかった。でもそういう古いものがまだ壊されずに建物の中にあることがすごいと思う。

食事をすませてからメインストリートであるカヴール通りで買物をしようとしたが開いているのは名産のワイン(オルヴィエート・クラッシコ)の店と土産物屋くらい。で、ワイン1本と陶器(コーヒーカップ)を記念に買う。

そのままカヴール通りを歩いて駅へ向かうがフニコラーレの近くにサン・パトリツィオの井戸があるので寄ってみることにした。

この井戸はさっきのリストランテにあったエトルリア人の作ったものではなくて、ずっと後の16世紀のものだ。地中に埋められた大きな円筒形の建物を壁側にへばりついている螺旋階段で建物の地下まで降りて行くという感じだ。階段は上りと下りの2層で一方通行になっている。一番下まで降りてみると吹き抜け部分の下の方に水面が見えた。

見終わってからの上りが結構しんどい(往復で約10分、入場料1人6,000リラ)。
15:29発の列車でキューズィ・キャンチアーノへ向かった。

◆食べる
■Al Pozzo Etrusco(piazza de’Ranieri 1A, 05018, Orvieto)
◎生ハムとメロン
◎あたたかい前菜盛り合わせ(計17,500リラ)
※8月なのになぜあたたかい前菜を頼んだかというと、本当は冷たい方にするつもりだったのに、”freddo” と”caldo”の単語を勘違いしたからだ。
◎トリュフのフィットチーネ
◎いのししのミートソースのパッパルデッレ(計22,000リラ)
※いずれも美味しい。いのししのミートソースは物凄く美味しかった。パッパルデッレというパスタは初めてだったが、幅が広く、厚さは薄く、切り口がギザギザという形。
◎コペルト(6,000×2)
◎カプチーノ(3,000×2)
◎水(3,000)
◎ワイン(16,000リラ)
計2人で76,500リラ

◆買う
■Orvieto Classico (白 18,000リラ)
■コーヒーカップ 2組(28,000リラ)

Perugia(ペルージャ) 2000/8/7~9

行く

フィレンツェを朝出てアレッツォ観光後14:12の列車に乗り、ペルージャに15:17到着。

駅前から市内バスに乗るのだが、No.9や7のバスを逃してしまい少し待ってNo.6のバスに乗る。こちらのバスはドアが広くてスーツケースを持つ者にとっても乗りやすい。

ペルージャの町は山のてっぺんというわけではないが駅よりは相当上の方にある。8分でイタリア広場に到着。

初日はホテル探しから

ホテルを予約していなかったのでとりあえずホテルのありそうなこの広場で降りる。ここには5つ星のホテルがあるのは知っていたが流石にそれはパス。

広場のすぐ近くにラ・ロゼッタというホテルを見つけフロントで部屋があるか訊ねる。広場に面した部屋と中庭に面した部屋があるというので2つの部屋を見せてもらうことにした。中庭に面した方が静かそうだが広場に面した部屋の天井には一面天使の絵が。天井画のある部屋などめったに泊まることができないので迷うことなくこの部屋に決めた。料金は1泊21万5千リラ。

チェックインして直ちに出かける。

チェントロ町歩き

ヴァンヌッチ通り11月4日広場まで行く。広いゆるやかな上りだ。左手にはプリオーリの館、すぐ先には11月4日広場にはピサーノ親子が装飾したファンターナ・マッジョーレ、大噴水がある。

そのフォンターナ・マッジョーレのすぐ上にカテドラーレがある。教会は通常、東が祭壇で西が入口となるがここは広場が南であるためいわばどてっぱらの南から入る格好となる(パレルモのカテドラーレも同じ)。建物そのものは他のドゥオモやカテドラーレなどと違って装飾性はないし、また石の色もそれほどでなく素朴な石の建物という感じだ。

カテドラーレを見た後、さらに上の方へ進んでみる。曲がりくねった道、石の建物に囲まれた回廊、ところどころに聖母子像の絵が見られる。

ぐるっと廻ってカテドラーレの東側に出ると陶器の絵皿、水差しなどの露店が出ていた。ヴァンヌッチ通りの1本東の通り(バリョーニ通り)を散策してまた広場に戻りカフェで一休み。

冷たいビールが美味い。ついさっきまで暑かったのに湿度が低いこともあって涼しくさえ感じる。

帰り道、プリオーリ宮に寄ってみる。プリオーリ宮《公証人の間Sala dei Natori に入る。フレスコ画が描かれた天井が12のアーチで支えられていてその装飾性が素晴らしい。

◆電話で予約してチェーナ

ホテルに戻る前にテレカを使ってお目当てのリストランテ(オステリア・デル・バルトロ)へ電話し20:30で予約。この店はFIGAROの1998.7.5号(永久保存版 ミラノ・フィレンツェ全マップ)に載っていた店だ。場所はカテドラーレの上の方、戻ってきたばかりのところだが何せ距離的には近いので問題なし。

石の回廊の奥まったところによくこんなところにあるなぁという感じで入口がある。店の中もそれほど大きくなくむしろこじんまりしている。

席につきメニューを渡されたが料理の名前がまったくわからない。そんなところへ若い日本人スタッフが助けに現れる!? 彼は修業中で普段は厨房で働いているがメニューの読めない日本人が困っているのでは、ということで我々のために急遽臨時のカメリエーレになったようだ。

おかげで料理を選ぶのに苦労はしなかったが、イタリアの古都、田舎町にいるという気もしなくなり、緊張も少しとけてしまった。近くの席にはこの日の昼、アレッツオのリストランテで見かけたご夫婦(イタリア人か、どこの国の人かわからない)がいる。これにはびっくり。

ホテルへの途中、バールに寄りホテルの部屋で飲むため地ワインを買う。

ところがホテルに戻りベッドで一休みしていると急に気分が悪くなりワインを飲むどころではなくなった。どうもアリタリアのミラノ・フィレンツェ便ドタキャンによる寝不足やその後の旅の疲れのようだ。こういうときは一人旅ではなく相棒のいる旅で良かったと思う。旅行を楽しむには体力、健康、無理をしないのが大事であることを痛感した。

体調を戻しつつ、観光開始
午前中はプリオーリの館の中の《両替商会館Collegio del Cambio国立ウンブリア美術館へ行く。夕べの体調の悪さが残りふらふら感じながら美術館をさまよった気がする。とりあえず1時間足らずで切り上げホテルで休む。

少し落ち着いてきたので再び出かける。11月4日広場を過ぎカテドラーレの東をさらに進み右に回りこむ道を通ってサン・セヴェーロ教会を訪れる(入場料1人6,000リラ、ポッツオ・エトルスコと共通)。小さな教会だ。ここの小礼拝堂にはラファエロが描いたフレスコ画があった。ペルージャに残るラファエロの唯一の作品だそうだ。

ここを出てすぐ近くのポッツオ・エトルスコに入る。エトルリア人が掘った井戸だ。オルヴィエートの井戸のように真下の垂直方向ではなく、鉱山の坑道のようなゆるやかな下りだったような気がするが記憶はあまり定かではない。

ペルージャにはイタリア語習得のための外国人大学があり、そっちの方に行くとエトルリア門がある。エトルリア門まで行ってみると門を出てすぐ下のフォルテブラッチオ広場に面した大学の建物が見えた。

(まさか、この10年後にここに語学留学するとは想像もしていなかった)

夕方にはこの広場からさらに奥のガリバルディ通りを北に進み円形のサン・タンジェロ教会へ行ってみた。この教会は古い時代の教会で、周囲に何もないこと、外観は円形、内部はドームで石を積んだだけの質素さが特徴だ。

少し遅くなったが昼食をとることにし、オープンエアのカフェを探すがそう沢山あるわけでもなくヴァンヌッチ通りを広場に向かって右折したところの店のテーブルに座ったもののサンドィッチしかできないといわれ「ペルージャでサンドィッチというのもなぁ」と相棒の兄と意見が一致し席を立つ。

結局オープンエアのカフェとはまったく正反対の穴倉のような庶民的なリストランテに入り、ペンネ、ピッツァ、ビール、ワインの昼食となった。少し落ち着いてきたが(ビール、ワインを飲んで落ち着いてきた、もないもんだが)一旦ホテルに戻り1時間半ほどまどろむ。

◆高低差をものともせず

疲れを充分とったところで町の中心より下の方にあるサン・ドメニコ教会、さらにはるか下に見えるサン・ピエトロ教会に行くことにした。サン・ドメニコ教会がはどっしりと大きいのに対し、サン・ピエトロ教会は尖塔が特徴的だ。

そのサン・ピエトロ教会の内部は荘重な感じで、身廊と側廊を分ける左右各9本の柱は濃い灰色だ。側廊天井はアーチ形、天井は彫金の装飾、壁にはキリストの一生を描いた大きな絵で覆われ全面絵の美術館といった趣きだ。この教会を出てから前に書いたサン・タンジェロ教会まで行ったのだからかなり高低さがあり大変な山登りをしたことになる。それほど体力も回復していたということだろう。

2時間半もかかった夕食、大満足
夕食は昨日とは対照的に気軽なオステリア。コース料理(1人39,000リラ)を頼んだがゆうに2時間半もかかったほど手を変え品を変えという感じだった。

まず食前酒としてスプマンテ。これにお通し(花びらのような形のクッキーみたいなものにオイルサーディンとサワークリームのディップがちょんと乗っている)。

前菜はバルサミコ味のゼリー状のものにエビとナッツ。

プリモは2人なので2種、フレッシュトマトとチーズが添えられた餃子のような形のパスタ(アニョロッティ?)、もう1品はムール貝とクリームソース味の四角いパスタ。

セコンドは白身の魚を焼いたもので、表面にハーブがのっている。付け合せは、きゅうりをおろしたものに、オイルサーディン?をミンチして固めたもの、きゅうりのスライス3つ、人参。ここまでくるとこの付け合せは食べきれなかった。

ドルチェはジェラート。桃の味のソースがかかっているカップ型の白いジェラートで、桃のスライス、グスベリー一房と共に大きな皿に盛り付けられ粉砂糖が振りかけられていて見た目も豪華そのもの。

この店の料理は普通のイタリアンではなく創作料理といった趣きで(メニューを見ても前菜にも「生ハムとメロン」など定番の単純なものはない)、それでこの値段は信じられない。しかもこの日はサービス料はいただきませんとメニューに書かれていた。

気軽なオステリアといったのは、カジュアルなインテリアとサービスするカメリエーレ、カメエリエーラは全くの普段着だったからだ。特にカメリエーレは頭ボウボウ、無精ひげでジーンズとしけたシャツ姿だった。だからといってぞんざいなサービスではなくむしろ丁寧なサービスだった。

料理も、ワインもおいしく大満足だったので、この日はチップ不要となっていたが”ポッソ?(Posso?)”と声を掛けお皿を片付ける担当の若い女の子に10,000リラのチップを渡そうとすると”私に?(Per me?)”と遠慮がちにそして嬉しそうに微笑んで受け取ってくれた。

ちなみにこの店もFIGAROの1998.7.5号の載っていた店だが、それによるとシェフはウンブリアの食材を使って自分のファンタジーを表現したいという23歳の女性だという。おすすめの店だ。

23時すぎに店を出てホテルに帰ったが、ホテル近くのヴァンヌッチ通りのやや広いところにステージが作られ夏祭りといった感じのイベントが行われていて、夜遅くまでその音が心地よく聞こえてきた。

◆泊まる
■La Rosseta ★★★★ Twin 215,000リラ (1泊)
朝食をとる玄関前のオープンエアのテーブルが夜はディナーの席に変わる。夜帰ってくる時そこを通るがいい雰囲気。もう1泊するならここで食事をしてみたかった。(味はそれほどでもない、という話を後日経験者から聞いたが・・・・・)

◆食べる
■Osteria del Bartolo(via Bartolo, 30 06100 Perugia)
勘定をする際、エグゼクティブ・シェフ”Simone Ciccotti”の名刺を渡された。
◎前菜2品(40,000リラ)
◎プリモ(エビのぼろきれのパスタ38,000リラ)
◎セコンド(46,000リラ)
◎コーヒー(7,500リラx2)
◎コペルト(10,000リラx2)
◎水(7,000リラ)
計2人で232,000リラ(サービス料10%)

■Ristrante-Pizzeria La Botte(via Volte della Pace, 33 06100 Perugia)
庶民的な店
◎ペンネ
◎ピッツァ
◎ビール
◎デキャンタのハウスワイン
計2人で47,000リラ

■Osteria del Gambero(via Baldeschi,17 06100 Perugia)
◎スプマンテ
◎バルサミコ味のゼリー状のものにエビとナッツ
◎フレッシュトマトとチーズが添えられた餃子のような形のパスタ
◎ムール貝とクリームソース味の四角いパスタ
◎白身の魚を焼いたもの
◎ジェラート
◎ワイン
計2人121,000リラ

◆遊ぶ
■11月4日広場
■プリオーリの館
■国立ウンブリア美術館
■サン・セヴェーロ教会
■ポッツオ・エトルスコ
■サン・ピエトロ教会

◆買う
■Giuliano(via Danzzeta 1,06100 Perugia)
乾燥ポルチーニ(100g? かなりの量があった) 17,000リラ
FIGAROの1998.7.5号掲載の食材屋さん。他にももっと買いたいものが沢山あった。

Arezzo(アレッツォ) 2000/8/7

◆聖十字架伝説
フィレンツェからペルージャへの途中、《聖十字架伝説》の絵をみるため途中下車。フィレンツェからわずか1時間。
スーツケースを貸ロッカーに入れ、駅から南へ伸びるG.モナコ通りを進む。途中、中世の衣装をまとった騎馬行列に出会う。

「聖十字架伝説」の絵はサン・フランチェスコ教会にあるが、その前に道を少し登ったところにあるドゥオモに行く。

中には大勢の人がいて、テレビの撮影クルーまで入っていた。

さっきの行列と何か関係があるのか、大きな行事のようだ。ロッジアの宮殿の回廊を回ってからサン・フランチェスコ教会に行き、待望の《聖十字架伝説》を見る。これを知ったのはNHKのイタリア語会話(ラジオ)のテキストで。

後陣を囲むように10の場面の聖十字架にかかわる絵が描かれている。アダムの墓に生えた木が、後年キリストの十字架となり、時代を経てその十字架がエルサレムに戻るまでを描いていて、これだけでもアレッツオを訪れる価値がある。

昼食はこの教会の右向かいの地下にあるブカ・ディ・サン・フランチェスコでとる。

ここのお店のオーナーはとても気さくで我々が写真をとろうとしたらやってきてシャッターを押してくれたし、ハウスワインについても説明してくれたりした。

また、このリストランテは“Unione Ristorante del Buon Ricordo”というイタリアを中心としたリストランテの加盟店でその小冊子をくれた。

◆食べる
■Ristorante Buca di San Franchesco(via S.Franchesco,1 52100 Arezzo)
◎生ハムとメロン
◎牛肉のトマトソ-ス煮
◎水
◎コーヒー
◎ハウスワイン(赤、ボトル)
計二人で85,000リラ也。

◆遊ぶ
■ドゥオモ
■サン・フランチェスコ教会

 

Como(コモ) 1999/9/23


◆見る
 前日ラヴェンナのビザンチン文化を堪能した後ボローニャ経由でミラノに到着。ドゥオモ近くのホテルに泊まる。ミラノには2泊、2度目なので《最後の晩餐》鑑賞を予約していたほかは特にどうするということは決めていなかった。

 朝食後、ジェノヴァ日帰りにするかコモ日帰りにするか時刻表とにらめっこしたが、やはりジェノヴァ日帰りはきつすぎるなぁと思いコモに行くことにした。

しかし、どうみても9時台の列車には乗れない。11時10分発のCISが全席指定なので指定券をとるために早めに中央駅に着くようにしてホテルを出た。すぐ近くのドゥオモ、スカラ座を見たあと駅へ向かう。

 駅の切符売場に並ぶ。『コモまで往復。11時10分発に乗りたいが予約は必要ですか?』とメモを渡しながら尋ねると『予約は必要、その次の列車なら予約は要らない』とのこと。時間がもったいないので『予約したい』というと予約は別のところで窓口50番からだという。

そちらへ移動して予約番号をとると419番、まだ前に27人もいるがやむを得ない。時間は20分あったのでそのまま待つ。11時少し前に乗車券を買えたが『禁煙席』と伝えたのに逆になっていた。


 すでに列車はホームに入っていた。車内はやや紫煙が漂っているが30分あまりの旅なので我慢する。

コモ・サンジョヴァンニ駅に降り立つ。どこか寂しさを感じさせる静かな駅だ。駅を出たすぐのところに赤ん坊を抱いたジプシーがおもらいのためにすわりこんでいる。

駅からまっすぐ伸びた大きな通りを歩き、突き当たりの小さな広場をやや左の方に進むと少し大きな広場に出た。カヴール広場だ。ここまでくると湖が見える。ここはもうコモ湖観光のメインのところのようだ。

◆乗る
 コモ湖に来たからには遊覧船に乗らなければと、遊覧船の乗り場に行って時刻を確認すると広大な湖なので行き先も何ヵ所もあって、2時間コースのがすぐ出る(12時10分発)のがわかった。

でもちょうどお腹もすいてきて2時間ももちそうもないので昼食を取ってから13時30分の船に乗ることにした。

少し周りを歩きながら食べるところを探すが、結局乗り場へ戻り目の前のカフェで昼食をとる。晴れ渡った青空の下、気持ちの良い食事だった。

名だたる観光地のわりに良心的でコペルトもなくワイン込み18,000リラとリーズナブル。次の船まで時間があるので近くのジェラテリアでジェラートを買い、食べながら遊覧船乗り場で切符を買う(7,000リラ)。

今度のは所要時間1時間15分の一番短いコースだった。切符には“DA COMO A TORNA”となっていたのでここに戻ってくるか不安だったので乗船時に訊いたらここに戻ってくるとのこと。ひと安心。前の方に座る。

 船は北へ向かうので背中からの陽射しがきつい。広大なコモ湖の中ではほんのちょっと見るだけの遊覧コースだけれどアルプスの山々を望んだ景色は素晴らしい。

しかし食事をとったあとでもあり船の揺れに身をゆだねていると眠気にも襲われる。山が湖まで迫っていて斜面には別荘とおぼしき建物が多い。

途中5ヵ所の船着場に寄る。2つ目は《VILLA D’ESTE》、かつては英国皇太子妃の別荘だったというホテルのための乗り場だ。その建物は船着場の船上からは良く見えない。この近くにはかもめが随分いた。

次の《MOITRASIO》で針路を右へとったせいか揺れる、揺れる。しぶきがかかってきた。4つ目の《TORNO》は教会の広場のすぐ前だ。ここで向きを変えてまた左の方へ進む。

 山々が青く湖の水も同じように青い。すぐスイスの国境だというのがうなづける自然の景色。時間の関係でベッラージオまでは行けないがもっと良く事前に調べておけばミラノを早く出てベッラージオへ行くこともできたかもしれないし、今度は1泊してもいいなぁと思った。

5つ目の《URIO》というところ(目の前にホテルがある)でしばらく停まり、そこから同じルートで戻る。

 船を下りてから今度は山の上から湖を眺望することにしてフニコラーレ乗り場へ向かう。

15時丁度発に乗る(往復7,200リラ)。乗客は10人ほど、中に二人の若い日本人女性が乗っていたが、二人は別々にイタリア語を勉強しに来ているらしくたどたどしくながらもイタリア語で会話していたのがほほえましい。

地上や湖面では暑かったがブルナーテ山の頂上駅では25度、標高1000メートル近くあるらしく涼しい。湖を上から見下ろすつもりで行ったが、湖よりもコモ市街地が中心でちょっと予想と違っていた。15時30分下山。

◆買う
 コモは絹の産地、ネクタイでも買おうかと思ってガイドブックに出ていた“BINDA”というシルク製品の店を探す。フニコラーレ駅のすぐ近くだと思って歩き始めるが500メートルくらい行っても見つからないのであきらめて戻ると何と駅のすぐそばにあった。お店というより邸宅という感じ。


 門のチャイムを押すと何かしゃべっているので『ポッソ エントラーレ?』というとドアのロックが外れ、中に入れた。ここはアウトレットの店らしく品物は段ボールに入れたままドーンと置いてある。ネクタイを2本選んで払おうとしたら2割引きだった。お店の人は気のいい人で何かと話しかけてくる。『ここ2日間が暑い』と教えてくれた。

◆ドゥオモを見る
 フニコラーレのブルナーテ山からそのクーポラがよく見えたドゥオモへ行ってみた。さすがに遠くからもよく見えただけあって中に入ってもクーポラの天井が異常に高く見える。後陣の右手にサンピエトロ寺院のような(大きさは違うが)洗礼台がある。天井は絵ではなく金の装飾、右にはパイプオルガンとタペストリーが掲げられている。聖堂内部はバラ窓のせいか明るい。

 ドゥオモなど市街地観光をしてからFSの駅に向かうが行きにチーズの店を通ったのを思い出し「ミラノで時間がないかもしれない」と思ってチーズを買って帰ることにして少し戻ってそのお店に寄る。

お店には愛想のよいご主人がいた。まずはじめにパルミジャーノ・レジャーノの小さいのを量ってもらい約1万リラ。それからゴルゴンゾーラを頼むと『辛い方か、それとも甘い方か?』と訊かれたので夕べのミラノのリストランテで食べたのが甘かったのを思い出し辛い方を注文。

さらに何かこの地方のものをと頼むと一つ出して何やらいろいろ説明してくれたがよく分からない。《1ポッソ プロヴァルロ?』というとすぐ一切れ薄く切ってくれたので試食。まあまあだったので注文、しめて24,000リラ。

これでミラノでチーズ探しをしなくてすむ。他においしそうな中味のどっしりしたパンもあってそれも欲しかったが荷物になるのであきらめる。

 それから駅に向かい、着くとちょっと前にICが出たばかり、次の電車を時刻表でみるとガリバルディ駅に着く各駅停車はあったが時間もかかるし、着いてから不便かなぁと思い約1時間後(17時56分)のICに乗ることにする。

駅で何もすることもないのでお土産用の小瓶のグラッパでも買おうと思い、来た道を戻りドゥオモ西側の旧市街に入り込んで2軒ほど尋ねたがおいていない。適当に切り上げ余裕を持って駅に戻り、コモ日帰りの旅を終えた。