Spello(スペッロ)2010/9/19

Spello(スペッロ)2010/9/19

◆行く
今日は天気があまり良くない。予報では雨。『雨で出かけてもなぁ』と思いつつ、ペルージャ滞在の残り日数は限られてきたのでスペッロに行くことにした。電車で30分で行けるからだ。
スペッロは、前日モンテファルコから良く見えた。というのは町が丘にへばりつくようにあったのを見ていて、それが帰りの電車の中からアッシジの手前だったのでスペッロとわかったからだ

ペルージャ駅に向かうころにはちょっとだけれど青空も見える。
10時25分の電車は10時53分着。駅からは歩いてもたいしたことはないと知っていたので歩く。
10分もかからず旧市街の入り口の一つ、PortaUrbicaに着いた。

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そこから、チェントロの表示板にしたがって細い道を上がって行くとカヴール通りに出た、メインの通りだ。メインといってもそれほど広いわけではない。

◆あっという間の町歩き
すぐインフォーメーションが見つかったので地図をもらう。小さな可愛い町にふさわしい小さな地図だ。
そこを出ると広場(共和国広場)があって、広場に面して市庁舎がある。

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1階(イタリアでいうTerra)に入ってみると、通路部分の両側には発掘されたような石の彫刻などが白い壁に塗りこまれた感じて展示?されている。

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この町もアッシジの町と良く似たややピンクぽい石造りの建物が多い。

いつの間にかチェントロをすぎてしまい、いい景色が見えるところに出た。カップッチン広場だ。
そばにはサン・セヴェリーノ教会、12世紀の建物だそうだ。ファサードはシンプル。残念なことに閉まっている。

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そのうち旧市街の外れ、PortaMantonaraまで出てしまう。

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近くの教会だと思ったところは修道女に『ここは教会ではないから入れないですよ』と言われた。

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小さな路地をぶらぶら散策、たまに袋小路に入り込み、あと戻りしたりする。そうこうしているうちにまたチェントロに戻った。

◆チェントロでは
チェントロには彫刻がさりげなく展示されているし、絵などのアートの店も町の規模の割には多いみたいだ。
カヴール通りに1軒の手作りの蝋燭の店をみつけた。外から覗いただけだがどれも手作りのようだ。外に飾られていた作品はまるでアートのようで驚いた。

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チェントロでは、サン・タンドレア教会に行く。13世紀の建物のようだ。

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後陣はモザイクとともにフレスコ画で飾られている。また、右側廊には《玉座の聖母子》などのフレスコ画がある。

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昼時になったのでカヴール通りのオステリアでランチ。
日曜なので店は休みのところもあるが観光客目当てなのか意外に開いている店、それもノンストップのところもある。
ペルージャでは食料店は日曜休みなので、夕食用のサラミのほかパンチェッタ、朝食用のパンなどを買う。
昼頃から雨がポツリ。すぐやんでみたり、また降り始めたりで、町歩きを切り上げ、15時すぎの列車でペルージャに戻った。わずか4時間の滞在だったが、こういう町ほど1泊するのがいいのかもしれない。

◆食べる
お店の名前 Osteria Dolce Forno, Via Cavour, Spello
ランチのセット・メニューから選ぶ。前菜に5種類のブルスケッタ、プリモはフンギのストロンゴッツィ。これにグラスワインで計15ユーロ。

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◆買う
●郷土菓子
●フンギ・ポルチーニのサルサ

Bevagna(ベヴァーニャ) 2011/12/3

 

Bevagna(ベヴァーニャ) 2011/12/3

◆行く

Bevagnaという町は何年か前のFIGAROの特集記事《ローマから行く田舎町》で知った。ペルージャからわずか35kmのところらしいが行き方がよくわからなくて昨年のペルージャ滞在中はあきらめたが、今回はウンブリアのバス時刻表をネットでみつけFoligno(フォリーニョ)駅前からバスが出ていることがわかったからだ。

 

ペルージャ発9時56分の電車に乗り、フォリーニョにて下車、11時発のバスに乗る。簡単そうだが、どこでバスの切符を買うのか、どこから発車するのか知るのは結構大変だ。

駅前のバス乗り場で待っているおば様に『どこでバスの切符を買えますか?』と訊ね、駅の中のバールだと教えてもらい往復切符を買う(3.8ユーロ)。イタリアではバスの切符を売っている場所を知るのも一苦労だ。

 

北に向かったバスはフォリーニョ市内で同じところを2回ほど通ってから西の郊外の方に出る。意外に早く11時20分すぎに城壁前の大きな広場に着いた。ドライバーに『ここですか?』と確認して降りる。

フォリーニョを出る頃は小雨だったが運のいいことに雨は上がっていた。

 

◆中世の趣きある小さな町

ガイドブックも地図もないので場所を忘れないように気をつけながら門の中に入ると雨にぬれた石畳の通りだ。すぐに広場に出る。町の中心だろうとは思うが地図がないのでどこなのかわからない。あとでPiazza Silvestri(シルヴェストリ広場)だと知った。

 

その広場を左右につらぬいているのが、この小さな町のメイン・ストリートだろうと思い、人の多そうな方の右へ曲がる。

 

狭い通りの両側にはいろいろな店、ワインや食料品店のショウ・ウィンドウには興味惹かれるものがあったがとりあえず後回しにしてインフォメーションを探す。ほどなく右手のちょっと奥まった教会みたいな建物の中にあることがわかり、誰もいなかったので地図を勝手に頂戴して町歩き開始。

ところが、この地図がまったくわかりにくい。名前の入っている建物、まったく入っていない建物、番号をふってあって場所がわかるもののその説明文が理解しにくい。

 

とはいいながらも、メイン・ストリートのジャコモ・マテオッティ通りを進むと門があり、壁の外に出ると左側にローマ時代の遺跡がわずかに残っている。戻って途中から右に曲がるとサン・フランチェスコ教会の前に出た。

サン・フランチェスコ教会を見たあと、近くにローマ時代のモザイクがあることを案内板で知り行ってみたが、本来は開いている時間帯なのに鍵がかかっていて入れない。残念だ。

 

◆この町のシンボル

最初に通りすぎたPiazza Silvestri(シルヴェストリ広場)へ戻り、端正な姿の高い鐘楼を持つサン・ミケーレ・アルカンジェロ教会へ入る。

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中には数人の観光客。初期教会のような造りだが左右の柱はどっしりとしている3廊式だ。ここが多分この町1番の教会だろう。

広場の反対側にはコンソリ宮とくっついた形でサン・シルヴェストロ教会がある。

内部は簡素な石造りで何年も経ったと思われる聖人のフレスコ画がある。鍵を持っているので多分聖ペテロだろう。

Bevagna サン・シルヴェストロ教会 内部

Bevagna サン・シルヴェストロ教会 フレスコ画

 

その後、広場から離れて裏通りに行ってみると、10数人の観光客が中にいる誰かの説明を聴いているのが見えたので立ち止まる。どうやら教会で使う3本1組のろうそくを作る工場のよう(?)で、責任者らしき人が熱弁をふるっていた。

 

あとはメイン・ストリートの反対側の端にあるサンタゴースティーノ教会を見たらもう13時近く、昼食にするがオープンカフェみたいのは見当たらず、普通のリストランテ、トラットリアばかりだ。

サン・フランチェスコ教会近くのガリバルディ広場(幅広い通り)に数軒あったのでそのうちの1軒でランチにする。

 

このころにはこの町のみどころも見終わっているような気になり早いバスがあったら帰ろうと思い始める。

食後メインの通りを歩くと店はみんな昼休み、日曜みたいな感じになっていたので予定より1時間早いバスで帰る。やや、不完全燃焼のBevagna訪問だった。

 

◆帰り道で大失敗

バスでフォリーニョ駅まで戻り、ペルージャへ帰るため電車に乗る。

ホームに行先表示板がなかったが時刻(15時03分)も大体あっていたので乗り込んだ電車だったが、走り始めると太陽の差し込む方向が思っていたより逆だ。

ということはペルージャ行きではなくローマ行きか。次の駅Treviで降りる。

誰もいない知らない駅のホームで座る所もなく次の電車を待つ。何せ本数の少ないいわばローカル線なのでなかなか来ず、15時42分Ancora行きでフォリーニョに戻る。

ここでまたペルージャ行きに乗り換えるが、今度は間違えないように発車間際に前にいる人に訊くとペルージャ行きだとのこと、ホッとする。

約1時間遅れで17時頃ペルージャに戻った。結局予定通りの時間になってしまった。

 

◆食べる

お店の名前 Ristorante delle Mura, Piazza Garibaldi,14a,Bevagna

食べたもの 前菜は典型的なウンブリアの盛合せ(7ユーロ)、Sagrantinoのニョッキ(8ユーロ)、赤ワイン(グラス3.5ユーロ)、水、カフェ、コペルトで計23ユーロ。

 

Bevagna Ristorante delle Mura 前菜

Bevagna Ristorante della Mura Sagrantinoのニョッキ

Bevagna Ristorante delle Mura ワイン

◆読む

FIGARO japon 2005 No.305 10/5号《ローマから行く田舎町》

Sansepolcro(サン・セポルクロ) 2011/10/16

 

Sansepolcro(サン・セポルクロ) 2011/10/16

◆行く

2011年10月~12月、3ヵ月間のペルージャ留学生活で初めての旅はサン・セポルクロ

今日はトスカーナのSansepolcroへペルージャから日帰り。この町はFrancesca della Pieroの生まれた町で有名だ。フランチェスカ・デッラ・ピエロは昨年10年ぶりに訪れたアッレッツオサン・フランチェスコ教会の後陣に描かれている《聖十字架伝説》の作者だ。

 

サンセポルクロへは一般的にはアレッツオからバスで行くということになっているが、昨年アレッツオに行ったときにバス乗り場を駅前で探したもののわからなかった。

今回、たまたま地図を見ていたら、ペルージャからのローカル電車が行っているのがわかった。ペルージャから1時間半、ウンブリアのCitta di Castelloから20分くらいで行けるようだ。

今、クラスには先生の教え方を勉強するために出席しているLindaがいる。チッタ・ディ・カステッロに住んでいる彼女に『両方行くならどっちに泊まった方がいい?』と訊いたら『近いから泊まる必要はないですよ』と言われていたので、とにかく終点のサンセポルクロまで行って、時間があったら帰りにチッタ・ディ・カステッロに寄ることにした。

 

ペルージャの住まいを出てからいわば坂道を下り、約20分でS.Anna駅に着く。

8時18分発の2両編成の列車に乗る。ほぼ快晴の下、ウンブリアの田園地帯を走る。

小さなぶどう畑、何かなっている畑、耕したばかりで土があらわになっている畑、などなどが車窓から見える。

◆チェントロへ

定刻の9時50分、サンセポルクロ到着。地図も何もないが、とりあえず駅の正面の通り、ヴィットリオ・ヴェネト通りを進む。

Sansepolcro Vittorio Veneto通り

 

 

右手の駐車場で掃除をしている男性がいたので尋ねてみると『あそこの門を右に入ったところだよ』と教えてくれた。

Sansepolcro フィオレンティーナ門

 

結局、迷わずに、チェントロのメイン・ストリート、9月20日通りに入ることができた。

 

メイン・ストリートとはいえ、日曜とあって両側の店は閉まっているし、人通りもまばら。

地図をもらおうとインフォメーションを探すが途中で表示がなくなり、中心部のトッレ・ディ・ベルタ広場とさっき来たところを行ったり来たり。

ようやく、広場の北の方にあることがわかり、地図やそのほか見所を教えてもらう。

ものすごく感じのいい人なのだけど、イタリア語で質問しているのに《どうせわからないだろう》と思ってかすべて英語で説明された。こっちの頭が混乱しそう。

 

◆フランチェスカ・デッラ・ピエロの作品

サンセポルクロに来た最大の目的、Museo Civicoにあるフランチェスカ・デッラ・ピエロの《la Resurrezione》(キリストの復活)をみるためだったが、その美術館は隣の建物。

小さな階段があり、上ると外からガラス越しにその展示室、そして正面にその絵を見ることができる(このことはBSの美術番組で知っていた)。入り口は左に回りこんだところ、6ユーロ払って入館。この建物自体が14世紀の音楽学校だったらしく天井が高く優雅だ。

 

まず最初の展示室では右の壁にあるフランチェスカ・デッラ・ピエロの彫像に迎えられた。若くてイケメンだ。

その左の部屋は順路としては最後なのかも知れないが、《聖母の無原罪の宿り》の聖母マリアの顔が可愛い。

最初の部屋の右へ進むと、フランチェスカ・デッラ・ピエロの《ミゼルコディアの祭壇画》が分割された感じで展示されている。もとの形はそばにある参考図で想像する。

 

いよいよ次が例の展示室、奥行きがあって広い。まず右に《聖ジュリアーノ》、左に《聖ルドヴィーコ》のフレスコ画、いずれもフランチェスカ・デッラ・ピエロの作品、どこからか移されたもののようだ。

 

正面の壁には《キリストの復活》。上2/3が復活したキリスト、姿勢をただしまっすぐ前を見つめている。目が生きている。一方、下の4人の兵士はそれを知らずに眠りこけている。ただ左の一人は、ひょっとしたら復活を知って義務を果たせなかったことか何かで嘆いているのかも知れない、顔を両手でおおっている。

 

次の展示室に入ると正面にあるのは一目見ただけでわかるアンドレア・デッラ・ロッビアのテラコッタの作品で、《キリストの誕生》の祭壇画だ。他にも《聖母子》の作品がある。

 

さらに展示は続くが長くなるので省略、2周したので約1時間かかった。

 

◆サンセポルクロの町歩き

フランチェスカ・デッラ・ピエロの作品を堪能した後は、ちょっと広場の方に戻りカテドラーレへ。

Sansepolcro カテドラーレと町並

 

 

3廊式の白い内部、日曜午前でミサの最中なので遠慮してすぐに出てきた。

あとはすぐ近くの3つの教会、フランチェスカ・デッラ・ピエロの家(といわれる建物、よくわからなかった)、古いお城を見に行く。

Sansepolcro サン・ロレンツォ教会

 

Sansepolcro サンタ・キアラ教会 聖母子

Sansepolcro サンタ・キアラ教会 聖母子

途中、ピエロ公園という小さな公園があり、真ん中に像が立っている。ウルビーノのラッファエッロ像があった公園(ローマ広場)を思い出す。

Sansepolcro ピエロ庭園

 

 

◆日曜のランチに大満足

そうこうしているうちに12時をかなりまわってしまい、教会もどこも15時頃までクローズ。ご飯をたべるしかない。日曜の小さな町は人出がほとんどなく、インフォメーションで教えてもらったトラットリアが集まっている通りも閑散としていて空いているテーブルからはまったく判断できず、もう少し範囲を広げて探し回る。

 

結局、朝入った門のすぐ内側のエノテカ兼リストランテにする。決め手は外のテーブルに一組いたことと10ユーロ、15ユーロ、20ユーロの定食があったからだ。

外は寒いので中の席にしたが例によって入ってすぐの隅っこだ。

3種類のコースは品数が違うだけなので、10ユーロのコース(ブルスケッタとパスタ)にしたが、美味しくてかなり満足したランチとなった。

 

この店を出たのが13時半、あと1時間半もやることがないとすると退屈だ。ちょっとブラブラしてからCitta di Castelloに行くことにし、駅に向かい、サンセポルクロ観光を終える。

Sansepolcro 町の中にも聖母子像

 

 

◆食べる

  • リストランテ

店の名前 Enoteca Ristorante Berghi, V. XX Settembre 10, Sansepolcro

食べたもの ブルスケッタとパスタのランチ・コース(10ユーロ)

 

コペルトとしてのパン、ごまにおおわれているグリッシーニ状のものもしっかり出てきた。

パスタは3種類からポモドーロのタリアテッレを選ぶ。

『水もつきますよ』といわれたあと、『ワインを』というと、封を切っていないChantiがグラスに注がれる。

ブルスケッタは大きめで4種類、みな美味しかったがフンギのが特にうまい。

 

Sansepolcro Ristorante Berghi ブルスケッタ

お皿を下げるとき『全部美味しかったですよ』というと『グラッツェ!』と喜んでくれる。

そのあとのフレッシュ・トマトのタリアテッレ、麺もうまいがトマトの味がいい。トマトの大きさは日本のプチトマトよりひとまわり大きい。塩気はソースではなくトマトについている。

Sansepolcro Ristorante Berghi ポモドーロのタリアテッレ

マスターが『カフェは?』と訊いてきたので頼む。

カメリエーレ役をしていたスタッフに勘定を頼むと、すぐさま『10ユーロ』とのこと。

水もワインもカフェも入って、しかもコペルト料もなし。美味しかったし、充分満足したランチとなった。

 

Pisa(ピサ)2011/11/12~13

 

めPisa(ピサ)2011/11/12~13

◆行く

今回のペルージャ生活で初の1泊旅行。ピサに泊まり、ピサルッカ観光だ。

ピサもルッカも1998年初めてのイタリア旅行のときフィレンツエから日帰りで訪れているから13年ぶりだ。

 

7時すぎにペルージャの住まいを出てピサには正午前到着。ホテルにわずかな荷物を預け、再び列車でルッカに行き観光ののち18時すぎピサに戻る。

これから明日午後までピサを楽しむ。

 

◆ホテルのバーで

ルッカからホテルに戻ってレセプションで鍵を受け取るときにおすすめの魚料理のリストンテを教えてもらう(海から遠いペルージャではなかなか魚料理にありつけないので)。

そのとき左手の部屋で《トスカーナの食べ物を味見する》イベントが19時から開かれることを知った。

飲み物代さえ払えば、食べ物は無料とのこと、19時半すぎそこを覘いてみる。

テーブル席をすすめられたがバー・カウンターに座る。

『どうしてテーブル席に行かないのか?』とバーテンダーから聞かれたが『一人なので話相手が欲しいから』。

 

プロセッコを注文し、さっそくトスカーナの食べ物を取りに行く。

よく考えるとこれはアペリティーヴォのつまみ、しかもセルフ・サービスだ。

 

バーテンダーからは『どこから来たのか』と訊かれ正直に話し、『今日はルッカに行った』というと、何週間か前のルッカでの日本フェスティバルの話を聞かされ盛り上がる。

1杯飲みながら会話の勉強もできた。

◆リストランテでは国際交流

アペリティーヴォは1杯にとどめ、20時半ころレセプションで教えてもらった魚料理のリストランテに行ってみるとどうやら満席の模様。

しようがなく出掛けに見ていたホテル斜め向かいのリストランテに行く。魚料理があったからだ。

店主が愛想よく迎えてくれ2組のカップル(1組は若い、1組はまぁ同じ世代か)の間の席に案内される。熟年カップルは先に店を出た。

若いカップルの話が何となく耳に入ってくる。そのうち、店主とのドルチェの会話で男性がフランス人、女性がスペイン人とわかる。どちらかと言えば逆のような感じなのだが。 イタリア語の実力は女性の方が上で、男性が間違えれば何回も言い直させている。

そのうち、何となく話しかけてみた。『あなたは、フランス人。あなたはスペイン人。私は日本人。でもイタリア語で話ができますよね。』 それから3人で会話。彼らはバルセロナで知り合ったという。彼が日本語で『こんにちは』というので、フランス語とスペイン語でお返し。それから話が弾む。

年を尋ねられたので正直に答えると、『私の父親と同じ世代です』といわれてしまった。『私の子供はあなたより皆、年が上ですよ。』 彼らから『ひょっとしてすぐ近くのホテルでは?』と言われ、親近感がお互いにさらに増した。

彼らは先に帰ったが、そのあとでカメリエーラに『3人、別々の国なのにイタリア語で話していたんですよ』というと、彼女はルーマニア人。イタリアに来て1年、イタリア語をまったく知らなかったのに仕事をする中で覚えたという。『学校に行くよりイタリアで仕事をした方が身につきますよ』と厳しい一言。 とはいえ振り返ってみると、さきほどから実に楽しい会話の夕食だった。

◆夜の町歩き

すぐに向かいのホテルに帰るよりはと、夜のピサを少し歩く。

ホテル前のマッツィーニ通りを右に曲がってちょっと行くとピサ最大の目抜き通り、イタリア通りに出た。

両側の店は閉まっているものの土曜夜なので人出は多い。

イタリア通りと交差する小さな通りをいくつか入ってみるとリストランテやカフェ、バール。外で飲んでいる若い男女グループも多い。
◆朝のピサ

一夜明けると、今日もいい天気。

アルノ川の橋を渡り、川岸双方の歴史的パラッツオを眺める。

Pisa Palazzo

Pisa palazzo②

 

イタリア通りから続いているストレット通りは露店の準備が始まっている。ちょっと行きすぎて少し戻って右に曲がるとディーニ通り。この通りも露店準備中。結局カヴァリエーリ広場に出た。

ここのサン・ステファノ教会カヴァリエーリ宮の装飾は素晴らしい。

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まっすぐ進んだのち右折してドゥオモ地区に向かう通り(サンタ・マリア通り)に入る。道路は広いが両側は土産物屋や飲食店、その前を大勢の観光客が歩いている。

段々斜塔に近づくがこの方向では傾いているようには見えない。

 

◆斜塔に登る

13年ぶりのドゥオモ地区。当時と違うのは斜塔に登れることだ。今回の目的は登ること。 着いてからまず斜塔ドゥオモ洗礼堂の周りをゆっくり回り、斜塔の傾き方を目で楽しむ。

Pisa ドゥオモと斜塔②

 

 

10時ちょっと前にチケット売り場に行って入場券を買おうとすると希望の時間を訊かれた。一番早いのが10時20分なのでそういうと『個人なら10時で大丈夫』。入場料は15ユーロ。行く前に隣の部屋で荷物を預けるように指示された。あとで考えると、たとえショルダー・バッグでも持っていたら大変だった。

ショルダー・バッグを預け、身軽になって斜塔下に行くと10時の人たちが続々入場し、続いて入る。さらにうしろから団体客が続く。

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まず、右回りで登る。登り始めは身体は右に傾く。しばらく進むと平らな部分、それから今度は左に傾く。また、平らになる。この繰り返しでだんだん慣れてくるが最初の数周りがしんどい。 上にいくほど傾き方の調整というか、上の方の中心軸をずらしているとのことなので感覚ではなく物理的にもそうなのかもしれない。

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壁の内側にへばりつくようにあった階段が終わり、塔の中心部を回るように登る階段は左回り。最初のころほどしんどくない。 ようやく外に出るとスタッフが日本語で『まだまだ!』と叫んだ。実はこの時間帯は日本の団体客がほとんどで登っているときの会話や掛け声は日本語だらけ。とても外国にいるとは思えない。

最後は肩幅よりちょっとだけ広い幅の階段、これで2階分上がったはずだ。 狭い屋上で記念撮影の撮りあっこをしている。こちらも、まったく知らない日本人母娘のカメラのシャッターを押してあげた。

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登って、上で景色を眺め、写真を撮って、下りて所要時間は15分。20分きざみの入場なので狭い階段で交錯することはない。 身体が右や左に傾きながら高いところに登るという得がたい体験だった。
◆ドゥオモと洗礼堂

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いずれも2度目だが、ドゥオモは入場できるエリアが以前よりも狭くなっていた。

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洗礼堂(入場料5ユーロ)ではまず上に上がって見下ろす。

 

ゆったりと見まわしたあと下りて洗礼櫓や説教壇を見る。ピサーノ作の説教壇は浮彫りのゴシック彫刻で飾られている。

Pisa 洗礼堂内部

Pisa 洗礼堂 説教壇の浮彫り(三王礼拝)

 

ドゥオモ地区をあとにして北東エリアに移動。観光客は見当たらず途中の公園などの雰囲気は何となく日曜の朝といった風情だ。

サンタ・カテリーナ教会は閉まっていた。簡素なファサードのサン・フランチェスコ教会の中はがらんとしている。

 

Pisa サン・フランチェスコ教会

 

ピサの町もある程度見たので港町リヴォルノをどうしても見たくなり駅へ向かう。

◆Livornoに向かう

駅近くのカフェでフォカッチャとビールのランチをとり、12時32分の列車に乗る。 13時頃、リヴォルノに着いたが想像していたのと違って海は遠い。駅からまっすぐの大きな通りを30分近く歩いてチェントロへ出たが港までさらにありそうだったのであきらめ共和国広場だけ見て駅へ戻る。リヴォルノは失敗だった。

◆ピサで最後の町歩き

14時の列車でピサへ戻り、残りの時間をピサ町歩きにあてる。  サンタ・ニコラ教会に入ると、アジア系の人たちがギターを弾きながら歌っていた。 ダンテ広場サン・フレディアーノ教会の前を通り、朝訪れたカヴァエーリ広場へ出る。

教会近くのソルフェリ-ノ橋を渡り、広いローマ通りをちょっと行ってから右に曲がる。

駅からほど近いサン・パオロ・ア・リーパ・ダルノ教会は肝心のファサード下の部分が修復中で見ることができない。教会前の広場ベンチには地元の人が日曜の午後をゆったりと楽しんでいる。

アルノ川に出ると昨夕見えたおとぎ話に出てくるようなサンタ・マリア・デッラ・スピーナ教会へ行く。小さいがミラノのドゥオモを彷彿させるようなゴシック建築だ。

Pisa サンタ・マリア・デッラ・スピーナ教会

 

 

教会近くのソルフェリ-ノ橋を渡り、広いローマ通りをちょっと行ってから右に曲がる。

サンタ・ニコラ教会に入ると、アジア系の人たちがギターを弾きながら歌っていた。

ダンテ広場サン・フレディアーノ教会の前を通り、朝訪れたカヴァエーリ広場へ出る。

ここからドゥオモへ行く通りまではアンティークを中心とした市で朝よりも人出が多い。再度ドゥオモ広場に行き斜塔などを見て戻る。途中、ジェラートで一休みだ。

 

◆ペルージャまでの長いみちのり

ホテルに戻って荷物を受取り、ペルージャに帰るためピサ中央駅に向かう。

ペルージャ着が20時すぎなので腹ごしらえのため駅近くのバールでパニーノを買い17時11分のフィレンツェ行きの電車に乗る。

ピサからフィレンツェまでは問題はまったくない。18時にフィレンツェに着き、18時13分発の列車に乗り換えた。定刻に発車、ここまでも特に問題なし。

ところがアレッツォで長いこと停車、どうやら接続するはずの列車の到着を待っているようだ。確か15分停車、と言っていたような気がしたがそれ以上だった。

その後も何回か停まり、かなり遅れてきた。

20時すぎ車掌が検札にきたので『何分遅れているのですか?』と訊いたところ『20分』との答え。定刻では20時19分着なので、20時40分頃到着かと、まぁあきらめる。

そのうち行きに乗り換え時間のかなりあったテロントラに到着。『エッ!行きにここにくるまで40分はかかったはず。40分遅れ?』。実際、40分遅れでペルージャに到着。

ペルージャに着いてからチェントロへのバスがなかなか来ない。もともと本数は少ないが時刻表にのっているのに来ない。日本とは大違いだ。

◆泊る

ホテル

Hotel Bologna(★★★★) Via Mazzini,57,Pisa  Single 59ユーロ

Booking.comで予約。

部屋はレセプションのある建物をいったん出て奥の別棟、なかなかいい感じ。

 

◆食べる

お店の名前 Ristorante Il Nuraghe, Via Mazzini,57,Pisa(要するにホテルの向かい)

食べたもの 前菜は海の幸盛合せ(8.5ユーロ)、マグロの燻製カルパッチョ、タコのマリネなど5種類、ヴォリュームたっぷり。

 

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メインは久々の魚料理、白身魚をソテーしたものにバジル・ソース(15ユーロ)

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コペルト、ハウスワイン500ml、水、ドルチェ(3.5ユーロ)、カフェで計39ユーロ。

ここでの思い出は隣のテーブルにいたカップルとの楽しい会話だ(本文の通り)。

 

 

Lucca(ルッカ)2011/11/12

Lucca(ルッカ)2011/11/12

◆行く

今回のペルージャ留学生活で初の1泊旅行。ピサに泊まり、ピサルッカ観光だ。

ピサもルッカも初めてのイタリア旅行のときフィレンツエから日帰りで来ているが13年ぶり、たしかそのときのルッカ滞在時間は1時間半くらいでただ立ち寄った感じだ。

 

7時すぎにペルージャの住まいを出てピサには正午前到着。

ホテルにわずかな荷物を預け、再び列車でルッカに移動。ルッカには13時すぎ到着する。

 

◆城壁の中のチェントロへ

駅からすぐの車の行きかう道路には記憶があった。前回は右に行って城壁下のトンネルをくぐったが今日は左に曲がってドゥオモ鐘楼を見ながらサン・ピエトロ門から入る。真ん中が車道で両側が歩道という実に堂々たる門だ。

Lucca 城壁

 

 

そのまま進むとナポレオン広場。かすかに覚えている。

広場の端の方でイベントなのか3人の男女が音楽に合わせて踊っている(何回もやり直しているところを見ると何かの撮影なのかもしれない)。

Lucca Piazza NapoleoneでのCM撮影風景

 

 

ほどなくサン・ミケーレ・イン・フォロ教会横の広場に出た。この教会のファサードの素晴らしさははっきりと覚えている。

 

Lucca サン・ミケーレ・イン・フォロ教会

いろいろ迷ったがこの広場に面したカフェでワインを飲みながら軽いランチ、旅の気分そのものだ。

地図をもらうためインフォメーションに向かうがパオリーノ通り両側はお店がいっぱい。あいにく昼の休みでしまっているところが多い。インフォメーションでは少し順番を待ったがスタッフのご婦人は親切で地図に行くべきルート、見所を書き込んでくれた。

 

◆城壁を歩く

それにしたがい、まず城壁に上がって散策しながら進む。レンタ・サイクルでまわっている人も多い。

城壁といってもかなり幅がある。城壁と城内の間には水こそないが濠がある。完璧な守りのかたちか。トレヴィーゾの城壁を思い出し、対比して考えていた。

 

城壁からの城外の景色もいい。歩いていたのは北にあたる部分なので外の景色は田園風景だ。

 

◆サン・フレディアーノ教会

城壁から下りて向かったのはサン・フレディアーノ教会。内部は3廊式で地味な感じだ。

あとで外に出てから少し離れてファサードを見て上部のモザイクの美しさに驚いた。

Lucca サン・フレディアーノ教会 《受胎告知》

Lucca サン・フレディアーノ教会

 

◆円形劇場跡からチェントロへ

次はローマ時代の円形劇場跡だ。てっきりその形が残っているのかと思って中に入ると、楕円形の広場だった。周りをいろいろな店が取り巻いている。カフェなどはいい雰囲気だ。

 

ここからのフィルンゴ通りもお店がいっぱいでチェントロのメイン・ストリートかも知れない。

いったんサン・ミケーレ・イン・フォロ教会横の広場に戻ると、中世の衣装に身を包んだ若者が旗を持ってのパレード、鼓笛隊もいてなかなかの迫力だ。

 

◆プッチーニの生家博物館

インフォメーションで『ここは一番重要なところ』といわれた《プッチーニの生家博物館》へ。

プッチーニの座った像はあるもののそのすぐそばにリストランテ・プッチーニがあってなかなか博物館の入り口がわからない。

入って行くと博物館としての入り口は3階だとのこと。入場料(7ユーロ)払って入場、まずピアノが置かれた部屋、書き込まれた楽譜なども展示されているがそこは門外漢なのでよくわからない。

 

Lucca プッチーニ愛用のピアノ

ワーグナーとの手紙のやり取りの展示があったり、食堂、キッチン、書斎、寝室(生まれた部屋となっていたように思う)などなど。《蝶々夫人》の初演出演者の写真もあったが日本人からみるとややこっけいな感じの人も。

 

◆グイジーニの塔に上る

次は、インフォメーションで教えてもらったルートなのにすっとばして寄らなかった《グイジーニの塔》へ。

上りはじめて最初のうちは9段ごとの石段を数えていたがそのうち鉄製の階段になったら面倒くさくなり、また上るのが結構しんどくなり数えるのをあきらめる。

上に行くにしたがい階段は狭くなる。

ようやくてっぺんに出た。狭い屋上に20人近くひしめき一周するのも一苦労だ。

ただ、景色は素晴らしい。イタリアのあの屋根の色も一役買っていると思う。それとそこかしこに見える教会と鐘楼がアクセントになっているようだ。

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下に下りてまた中心部に行くと人が多くなっている。

このあと、ドゥオモ時計塔を見てお終いにしたが、時間が経つにつれチェントロは人で溢れかえっている。イタリアの土曜の夕方を感じる。

◆ピサに戻る

今回は週末を利用した1泊2日の旅、ルッカにも泊りたいところだが日数の関係でピサからの日帰りとなった。

およそ4時間ちょっとのルッカ滞在、17時42分の列車でピサへ戻る。

Tivoli(ティヴォリ)2012/11/20

Tivoli(ティヴォリ)2012/11/20

◆行く

2012年イタリアの旅、ローマ、ペルージャ、フィレンツェ、モデナとすべて何回か訪れた場所、そこで初めての町、ティヴォリへローマから日帰りで行くことにした。

日本を発つ前に、ネットでティヴォリ、とりわけ世界遺産のヴィラ・デステ(エステ家の別荘)への行き方を調べプリント・アウトしたもののそれを忘れてきたことがわかり、『歩き方』を頼りに行かざるを得ないことになった。

◆バスに一苦労

メトロB線でポンテ・マンモーロ駅へ向かうが、乗った電車はコンカ・ドーロ行きだったので途中のボローニャ駅で一旦降りて次のレビッビア行きに乗換えた(実は3日前にそれに気付かず戻ってきたことがある)。

 

9時15分、ポンテ・マンモーロ駅に着き、改札を出た先のバスチケット売り場に直行。チケットは往復4.4ユーロ。そこで乗り場を聞けば良かったのだが、駅の左にはバス・ターミナルがあったので『そこだ』と思い込み、行ってみるとティヴォリ行きのCOTRAL社の乗り場が見当たらない。

バス乗務員らしい人に尋ねるとわからないらしく別の乗務員に訊いてくれ、『駅の反対側を上に上がったところだ』と教えてもらう。

 

9時30分のバスが少し遅れてきて乗りこむ。結構混んでいてあとに乗った人は立ちんぼだ。隣に座った女性はずっと携帯で話している。イタリアではありがちだ。

かなり経ってからいきなり彼女から『もうティヴォリ?』と訊かれ『わからない』と答える。そのうちバスは山道を上がり始める。

10時半頃、市街地らしきところで停まったので隣の彼女に『ヴィラ・デステは近いですか?』と尋ねると『ここで降りなければ・・・』といわれ降りる。

 

◆ヴィラ・デステまでも一苦労

バスを降りてもどっちの方向に行けばいいかまったくわからない。

ぐるっと辺りを見渡すと通りの向こうの駐車場にヴィラ・デステを矢印で示した小さな表示板があったのでそれにしたがう。

Tivoli 表示板IMG_0585

 

 

左に曲がると小さな広場。実はそこに入口があったのだがもっと大きな入り口を想定していたのでその広場を通りすぎ右に曲がると矢印は右を指している。それにしたがうとまた同じ広場、お店の人に訊くと入口を手で示して教えてくれた。何か小さな展示場に入るような感じだ(入場料8ユーロ)。

 

◆圧倒された噴水の数々

この別荘は16世紀半ばに枢機卿だったイッポーリト・デステが引退後、別荘として修道院を改築させたものとのことで、入場券売り場から中に入るとすごく大きな長い廊下に出た。

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『庭園』という表示を進むとテラスに出た。そこからは眼下に標高差のある庭園が見える。テラスに出たとたん水の音が聞こえる。かすかではなくものすごい音だ。

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階段を降りると《百の噴水の小径》が建物に並行する形で通っている。山側(建物側)の植栽からは小さいがそれぞれ噴水が出ている。とても優雅だ。

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少し下りて建物を背にして右側には《だ円の噴水》、左側には《ロメッタ》という古代ローマ時代の建築物を小さくした噴水がある。

だ円の噴水

だ円の噴水

ロメッタの噴水

ロメッタの噴水

 

さらに庭園の真ん中には《ドラゴンの噴水》があり、それを下りていくと3つの池がある。その池の先には樹齢何年くらいだろうか、巨木がそびえている。

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そこから右の方には巨大な噴水が見える。《オルガンの噴水》だ。

オルガンの噴水

オルガンの噴水

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

回り込んですぐそばまで行ってみる。ものすごい水量、高さ、音だ。まさに圧倒される。

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こんな噴水、見たことがない。現代にはモーターもあるが当時はこの高低差を利用したのだろうか。

庭園からの館の雄姿

庭園からの館の雄姿

◆建物の中は

オルガンの噴水に圧倒された後は、ゆるゆると庭園を上り建物の中に入る。最初に見たのは《ヘラクレスの部屋》。天井、壁のフレスコ画が素晴らしい。恐らくは絵の中にヘラクレスが登場しているのだろう。

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いくつもある他の部屋もフレスコ画で埋めつくされていた。

館内にバールがあったので一休みしてからヴィラ・デステを後にする。

◆不可思議なランチの店

チェントロに出てランチの店を探しながらぶらぶら歩く。小さな町だがそれなりに商店街もある。また、広場では野菜や果物、花などのメルカート(市)が開かれていた。

 

戻る途中、バールの看板に目を引かれ立ち止ったところ若い男性から声をかけられる。てっきりそのバールの人だと思い返事をすると、『前菜とパスタで12ユーロ』だという。

『まぁ、手頃だしそれでいいか』と思いO.K.すると小路を入って全く別のリストランテに連れていかれた。昼時だというのに店の中には誰もいない。ドアは開けたままだ。もう一度『前菜とパスタで12ユーロ』、『閉めていいか』と確認を求められた。『ヤバイな』と思いつつもうなづく。

パスタについては口頭で説明があり『いいか』と訊いてきた。グラス・ワインでも、と思ってメニューを見せてもらったがハウス・ワインが7ユーロ(これは一般的にはかなり高い)で量が書かれていないのでパス。

奥に誰かいるが彼以外誰も顔を見せない。食事中、固定電話のけたたましい着信音が何回か鳴りそのときだけ年配の男性がちらっと顔をみせる。

思い過ごしだったかもしれないが、ぼられそうな感じのあまり居心地のよくない店だった。

 

◆帰りのバスは超満員

少し雨も降ってきた。朝、出かける時からもうその気はなかったけれど、近くにあるもう一つの世界遺産《ヴィラ・アドリアーナ》に行こうという気はまったく起こらずローマに戻ることにした。

13時にバス停に行ってローマ行きのバスを待つが、15分ほど待ってようやく来たと思ったら満員で乗れない。その後何台か同じ状況。ちょうど高校生の下校時間のようだ。

13時55分、何とかむりやり乗りこむ。前のドアから入り最初のステップに左足の半分がのっかっている感じだ。15分ほど経ったところでかなり降りたのでようやくまともな状態になり座ることができた。

14時30分、どこかの駅に着いたので隣の人に尋ねるとポンテ・マンモーロ駅だという。行きとまったく違うルートで高速を通ったので早かったのだろう。

すぐにメトロに乗換えローマに戻る。

 

◆食べる

お店の名前 Taverna Quintilia VicoloTodini, 4,Tivoli

食べたもの 本文の通り、コペルト込み14ユーロ

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CinqueTerre&La Spezia旅行記に写真をUP

ひまを見つけては移植した旅行記に徐々に写真をUPしているが、2009年秋の《ChinqueTerre&LaSpezia》旅行記にもUPした。

CinqueTerre 海から見る愛の小道

   CinqueTerre 海から見る愛の小道

CinqueTerre 海から見るRiomaggiore②

ChinqueTerreには2泊したLaSpeziaを基点として列車と船で2回訪れた。初めから2回行くつもりだったのではなくたまたま悪天候でフェリーが欠航したため陸路で行き、翌日晴れたので再び海から行ったわけだ。

写真をUPしながら当時の思い出に浸ったが、やはりCinqueTerreは海から訪れるものだと思う。

写真をUP中

1年前に移植したこの旅行記、とりあえず文章を移すことを優先していたがやはり文章だけでは大した内容もないので面白くも何ともない。移植をしてくれた管理人は仕事で忙しいらしいのでつつきすぎるわけにもいかない。そこで写真の載せ方を教えてもらい少しずつUPしている。

イタリアに行き始めたころはまだデジカメを使っていなかったのでUPできないが、2001年のシチリア旅行から順次UPしてきている。

コンコルディア神殿2

今朝は2008年《Treviso》を載せたが、PCで作業しながら当時の記憶が鮮やかによみがえる。個人旅行ならではの楽しみ方かもしれない。

やっていて気が付いたがやたらに料理の写真が多い。イタリアだからなのか、旅の楽しみが食事にあるからだろうか?

Treviso-Beccherie-生ハムとメロン

Treviso-Beccherie-生ハムとメロン

Padova Zaramella

Padova(パドヴァ) 2008/9/26

 

お店の名前 Zaramella,  Largo Europa,10 (Hotel Europa内),Padova

2008年、兄と2人でヴェネトの旅。前泊地は日本から着いたばかりのミラノなので実質初日みたいなものだ。行こうと考えていたリストランテが休みだったのでホテルのフロントに相談したところホテルの中のリストランテZaramella(ミシュラン2本フォーク)を勧められた。

フロントの横から入ってみるとゆったりとテーブルが置かれたエレガントな雰囲気(といってもお客の服装はカジュアル)。

 

◆食べたもの

海が近い町なので前菜からプリモ、セコンドと二人とも魚で攻める。

前菜はマグロのカルパッチョ(茄子とジェノヴェーゼみたいな味のソース)と海の幸サラダ(エビ、シャコ、ムール貝、あさり、小さなイカなど)。この海の幸サラダには、オリーブオイル、胡椒、レモン半分で自分の好みで味付ける。シンプルだけれどめっぽう美味い。それまでの中で最高だった。(前菜2品で20ユーロ)

Padova Zaramella まぐろのカルパッチョ

Padova Zaramella 海の幸サラダ

プリモは何というのだろう。ぎょうざの皮みたいものを重ね、間に何か(イカ墨?)をはさんだもの。上にエビが乗っている(9ユーロ)。これもものすごく美味しい。この店にして良かった!

 

Padova Zaramella プリモ

セコンドは、相棒はガンベローニ(エビ)、自分はアドリア海の白身魚を揚げたものにフンギ・ポルチーニが添えられたものにした(2品で30ユーロ)。

Padova Zaramella ガンベローニ

Padova Zaramella 白身魚フライのポルチーニソース

イタリアでの夕食ではよくあることだが満腹状態。テーブル横にデザートがワゴンで運ばれてきたが手を振ってパスする。食後酒もカフェもパスだ。

Padova Zaramella ワゴンサービスのデザート

 

 

ワイン   頼むのに迷い、ワインリストの赤の中で地ワインを教えてもらう。

Padova Zaramella Colli Euganei

 

Colli Euganei Rosso Riserva 2004, VIGNALE

(メルロ60% カベルネ・ソーヴィニォン40% 19.5ユーロ)

水、コペルトで86.5ユーロ。

Roma La Fraschetta di Mastro Giorgio

Roma (ローマ) 2014/11/21

 

お店の名前:La Fraschetta di Mastro Giorgio, Via Matro Giorgio,19 Roma

http://www.lafraschettadimastrogiorgio.com/

2014年11月のイタリアの旅、最後の夕食。イタリア語教室のクラスメイトが示し合わせてこの週にイタリアを訪れ、この日はローマに集結。朝からフラスカーティのワイナリー訪問などで行動をともにし、チェーナをテスタッチョのここにする。

選んだのはクラスメイトの一人、実際にはローマに住んでいるイタリア人の友人が予約してくれたらしい。

ローマの下町らしく客はほとんどローマっ子ばかりか?

 

◆食べたもの(総勢5人でシェア)

パルマの生ハム(24カ月もの)

生ハム・サラミ・チーズ盛合せ(2人前)

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Tonnarelli alla gricia(ローマ名物のトマトソースのないパスタ)(2人前)

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Paccheri all’amatriciana di pesce

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ピアッツェッタ(可愛らしいピッツア、6個)

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フォカッチャ

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モッツアレッラのフリット

 

ハウスワイン赤1000ml(これが終わったらボトルで頼むつもりがこれで終わる)

食後にカフェ

締めて135ユーロくらいで5人とも超満腹状態。