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SanGimignano(サン・ジミニャーノ) 2000/8/10

SanGimignano(サン・ジミニャーノ) 2000/8/10

◆予定変更
サン・ジミニャーノシエナからプルマンで1時間ちょっと、またフィレンツェまでは2時間弱。初めはシエナからフィレンツェに行く途中に訪れるつもりだった。この日、モンテ・プルチアーノからプルマンで1時間半かけてシエナへ着き、シエナのホテルにチェックインした後、急に予定変更してシエナ観光の前にシエナから往復することにした(これが個人旅行のいいところでもあり、いい加減なところともいえる)。その理由は、途中下車だと万一荷物を預けることができなかったらまずいな、と思ったからだ。

昼食はサン・ジミニャーノで取ることにして、プルマンの切符を買う(一人8600リラ)。
2年前の3月に泊まったJOLLYホテルの前を12時10分に発車。すでにシエナまで1時間半もプルマンの旅をした後だったので多少疲れ気味のせいか、うつらうつらしてしまう。経由地のポッジポンシで乗り換える必要のない直通便だった。ポッジポンシをすぎてからようやく前方にイタリアではよくある山の上の町が見えてくる。もうすぐか、もうすぐかと思うがなかなか近づかない。

サン・ジミニャーノは塔の町として有名だ。昔は沢山あったそうだが、すでに随分取り壊されているので、遠く下の方向からから見るだけに塔の町とはあまり思えなかった。

13時20分定刻通りサン・ジョヴァンニ門前の広場に着く。念のためあたりを見回しても荷物預り所みたいなところはなかったので、シエナからの日帰りにしたことは正解だった。

朝食を8時に取ったためお腹がすいていたので観光の前にまず昼食。「FIGARO」で1ヵ所チェックしておいたリストランテは本当かどうかわからないがネクタイ着用とあったので(予算も時間もかかりそうだろうとも考え)やめることにし、サン・ジョヴァンニ通りに面した店に入った。この店は「歩き方」に出ていてすぐわかったので入ったがこれは失敗だった。単に空腹を満たしただけ。

チステルナ広場を抜けドゥオモ広場へ行くと左手に参事会教会があり、まずここに入る。天井はそう高くないし、内部は比較的明るく見え、大勢の観光客がいることもあって教会という印象をあまり受けない。奥の方にサンタ・フィーナ礼拝堂(入場料6,000リラ)がありここにはギルランダイオの「聖女フィーナの生涯」のフレスコ画があった。

ドゥオモ広場で周りの塔を見上げながら広場の北からサン・マッテオ通りに入り、この町でサン・ジョヴァンニ門から一番遠い場所にあるサンタゴスティーノ教会まで行く。入ろうとしたら昼休みということなのか15時までしまっていた。この教会は13世紀末に建てられたロマネスク-ゴシック様式とのことだが単純に外観だけみれば倉庫みたいな形をしている。

ともかくも15時まで10分ほど隣接する広場で座り込んで待ったが、陽射しがじりじりと照りつけてきたのを今でも覚えている。

白ワインで生き返る
ぶらぶらとサン・マッテオ通りからサン・ジョヴァンニ通りへと戻る。道の両側にはジェラート屋、土産物屋、ワイン屋などが並んでいる。この町にもヴェルナッチャ・ディ・サン・ジミニャーノという白ワインがあるが、昼のワインは美味しくなかったので一息入れたいこともあってキャンティ・クラシコのシンボル・マーク“ガッロ・ネロ”(黒い雄鶏)の看板がでていた店に寄る。

通りに面したテーブルで冷えたヴェルナッチャ・ディ・サン・ジミニニャーノをブルスケッタで一杯やる。白ワインといっても薄い黄金色、美味しかったし、冷たくて生き返った気がした。

16時5分発のプルマン(ポッジポンシ乗換え)で17時10分にシエナへ戻る。
滞在時間が短く、塔に上ることができなかったのはちょっと残念だった。

◆食べる
●リストランテ
お店の名前 Taverna Paradiso, Via San Gimignano, 6
食べたもの お昼の定食、ワインつき 一人22,000リラ、ほかにコーヒーを注文して2人で47,000リラ
セット・メニューの内容は良くなかったので覚えていない。

飲んだもの 本文の通り、2人で15,000リラ

Montepulciano(モンテプルチアーノ) 2000/8/09

◆みる
トスカーナの旅、4日目、ワインで有名なモンテプルチアーノを訪れる。この日はペルージャを立ち、オルヴィエート観光の後、FSでキューズィ・キャンチアーノへ行き、駅前からバスでモンテプルチアーノへ向かう。

列車は15時29分発、30分でキューズイ到着(1人4,200リラ)。小さな駅だ。駅前のバス乗り場も小さくて数台分しかなく、ここから長距離バスがでるか不安になったが、30分後にバスのあることが分り、ホッとする。

16時30発車、乗客はそう多くない。途中16時55分にテルメ・デ・キャンチアーノという温泉の町を通る。車窓からみただけでも、大きなリゾート地という雰囲気がする。きっとシーズンには多くの人が温泉などを楽しみにくるに違いない。

そこから約30分で山道を上がりモンテプルチアーノの町の入口目前の広場に着く。そこが終点。この町はそう大きくなくホテルを選ぶ時にも、ガイドブックには2つしかなく結局前の晩ペルージャで決め電話で予約したのだが、バスを降りてプラート門に入ってすぐ左手に選ばなかった方のホテルがあった。

「なぁーんだ、あのホテルだったらこんなに近かったんだ」と言いながらさらに町の中を進んで行くと勾配が段々きつくなる。スーツケースを引っ張るが結構大変だ。うっかり手を離そうもなら、まるでスキー場でころんで板が落っこちていくようにガッーとスーツケースが落っこちていきそうだ。

両側にはさすがワインの店やらみやげ物屋などがある。その急な坂道を30分かけてドゥオモの前を通り過ぎさらに上にあるホテルを見つける。このホテルは町の一番高いところにあり、そういう面ではホテル選びを間違ったのだ。間違えた理由はただ一つ、この町は南北に長く、そして北から南へ上っているのが、地図では南が下にあるからだった。でも、入口近くのホテルだったら果たして上まで足を伸ばしただろうか。

着いた時間が時間だけにいわゆる観光をする余裕はない。モンテプルチアーノにはワインを試飲させてくれる店(カンティナ)が沢山あるらしいが、醸造元直営のところを知るためにグランデ広場の観光案内所に行くがよくわからない。あきらめて出てみるとすぐ近くにそれらしき店の看板があるがもうすでに19時をまわっていて閉まっていた。

グランデ広場を取り囲むように市庁舎、ドゥオモ、コントゥッチ宮などがある。市庁舎はフィレンツェのヴェッキオ宮を模したというだけあってよく似ている。違いは塔が若干低いことか。いずれにしてもすべて外観のみで中には入らなかった。翌朝見るつもりだったが、シエナへ行くバスの時間の関係で結局モンテプルチアーノ観光は省略。坂道の上り下りがこの町を知る観光といえば観光。

さて、今度は坂道を下り、途中翌朝のバスの時刻を調べながら両サイドの店を眺める。折角ワインの産地へきたのだから、ということで1軒のワインの店に入る。何本か同じものを買えば安くなると書いてある。やはりイタリア各地からあるいは地続きの国から車で来た人は沢山買い込むのだろう。我々は荷物もあることだし、残念ながら1本だけ(この日オルヴィエートで1本買っていた)地元の、といってもあのVino Nobile di Montepulcianoを買った。
イタリアの古き良き骨太なワイン!クロチアーニ・ヴィーノ・ノヴィーレ・・ディ・モンテプルチ...

今回の旅で買ったワインの中では一番高かった(65,000リラ)だけあって美味しかった。

次は例によって夕食のリストランテ探し。FIGAROの「TRAVEL BOOK イタリアレストラン」に出ていたイル・カントゥチョという店を探す。半分以上坂道を下った左手に見つけ中に入ったが満席と断られる。しようがないなぁ、と思って一旦出たが兄が『どこかいい店を教えてもらおう』と言うのでもう一度入り、2つの店を教えてもらう。

まず一つ目はさらにプラート門の方へ下り右手にあったが夏休み中。そこで2軒目を探す。坂道を上り、左の路地に入って右に曲がって右手、割と簡単に見つかったがガラス越しに中を見るとほとんど客がいないので「大丈夫かなぁ」と思いながら他にあてもないので意を決して『ボナセーラ』と入る。

入口を入ってすぐのところのテーブルに前菜が多数置かれている。そこを過ぎ奥にちょっとした大きなテーブルのある手前に座らされる。オーナー(だと思う)が注文を取りにきて、こっちが外国人観光客ということでイタリアなまりの英語で説明してくれる。ワインリストを頼んだところ分厚い本のようなものを出され一瞬戸惑ったがワインがABC順に書かれた辞書みたいなものだったので、当然Vino Nobile di Montepulcianoを選ぶことにしてVのページを開きアンティノーリのものを注文する。

料理は前菜盛り合わせ、というか入口附近にあった前菜の中から好きなものを取るビュッフェ方式。プリモは兎のミートソースのピチ(トスカーナ独特のパスタ、ぷりぷりのうどんのよう、ものすごく美味)とフレッシュトマトのニョッキ(これも美味い)。セコンドはフィレ・ステーキ、緑の胡椒味(大粒の胡椒が沢山添えられていた)。お昼が少々重かったのでセコンドは2人で1品にする。それにグリーンサラダ。デザート、カフェ、グラッパ、水。合計112,000リラ。

ここでの思い出は、初め少なかった客が段々と増えそのうち結構広かった店内が満席になり、また奥の大人数テーブルにはドイツ人のツーリストグループがやってきて賑やかだったこと。また、前菜を取りに立ったら、くだんのオーナーが『好きなものをどんどん取りなさい』というので2人の大好物の生ハム&メロンは2切れ、それ以外も玉ねぎ、ピーマン、乾燥トマト、茄子のグリル、豆、フレッシュトマトなどをよそう。13,000リラ(約700円)だったのでこれは2皿分請求されても当然だと思ったが1皿分だけだった。

食事を終えてまた坂道を上がってホテルへと戻る。グランデ広場のドゥオモ前では夏のイベントの演劇リハーサルをやっている。イタリアの夏は昔の日本のようにその町、その町で野外イベントが開かれているようだ。

◆食べる
■Borgo Buio(via di Borgo Buio, 10 53045)
◎兎のミートソースのピチ
◎フレッシュトマトのニョッキ
◎フィレ・ステーキ、緑の胡椒味
◎グリーンサラダ
◎グラッパ
◎水
◎デザート
◎カフェ
◎ワイン(Vino Nobile di Montepulciano)
計二人で112,000リラ也。

◆遊ぶ
■坂道の上り下り

Orvieto(オルヴィエート) 2000/8/9

◆ドゥオモのファサードが素晴らしい
ペルージャ2泊の旅を終え、オルヴィエートへ向かう。この町の名前を知ったのは初めてのイタリア旅行の時(この旅の2年前)だ。シエナのリストランテで先客だった30代の日本人夫婦から声を掛けられ、お互いに日本人恋しさで食後話し込んだ際、シエナの前はどこからきたかということになり二人はオルヴィエートから来たということで知った。そしてドゥオモのファサードが素晴らしいということを教えてもらった。

8時すぎにペルージャのホテルをチェックアウト。イタリア広場から市内バスに乗り、駅へ(10分足らずで着く)。8:42のテロントラ行きの列車に乗り、テロントラで9:38のローマ行きに乗り換え10:30にオルヴィエート着。乗り換えてから1時間あったので兄とワインやお酒のことなど話しているうちにあわや降りそこねるところだった。

駅を出てフニコラーレに乗り、山の上の町に上る。このフニコラーレには大勢の子供たちと一緒になり、ワイワイガヤガヤと騒がしくどこの子供たちも同じだなぁと感じた。

フニコラーレを降り地図を見ながら歩いて約15分でドゥオモの南方向からドゥオモ前の広場に出る。ゴシック様式の粋をきわめたドゥオモだ。見上げると黄金色のファサード。

広場といってもそう広くなく、西側にはすぐ建物があるのでこのファサード全体を写真にとるのは難しい。ファサードは彫刻とモザイク画で装飾されている。バラ窓の周りには聖人の顔の彫刻。そして上、左右には聖人の彫刻がある。バラ窓の上にはモザイク画のマリアの戴冠が描かれていて本当に凄い。まるでファサード全体が祭壇画のように見える。

ドゥオモの向かいの店で礼拝堂の観覧券(1人3,000リラ)を買いドゥオモ内部に入る。フニコラーレで一緒だった子供たちが大勢いるため静寂なはずのドゥオモが騒がしい。

ドゥオモをあとにし、ファサードを何度か振り返りながら広場西側の狭い道を進み市庁舎のあるレップブリカ広場へ行く。4年近く経った今思い出そうとしてもドゥオモの印象が強いのかあまり思い出すことができない。ポポロ宮に行ってみたが、歴史的建造物なのだろうがくすんだ建物という感じしか残っていない。ポポロ宮前の広場には朝市の名残なのか数軒の屋台の店が出ている。

◆トリュフといのしし
ちょうどお昼になったのでいつものリストランテ探し。ここでは、FIGAROの「イタリアレストラン」に載っていたアル・ポッツォ・エトルスコに決めていたので住所からデ・ラニエリ広場を探すがなかなか見つからない。広場とは名ばかりで小さな広場だった。

FIGAROによるとオルヴィエートではトリュフといのししを必ず食すべきとのこと。この店のおすすめ料理はそれらを素材としたトリュフのフィットチーネ、いのししのミートソースのパッパルデッレがあるということでここに決めていた。それで注文する時もメニューから探すのではなく最初からあらかじめ用意したメモの料理名を見せて頼んだ。ワイン、料理とも美味しくて満ち足りた昼食となった。

食後オーナーに頼んでこの店の中にあるエトルリア時代の井戸(ポッツォ)を見せてもらった。そう深いものではなかった。でもそういう古いものがまだ壊されずに建物の中にあることがすごいと思う。

食事をすませてからメインストリートであるカヴール通りで買物をしようとしたが開いているのは名産のワイン(オルヴィエート・クラッシコ)の店と土産物屋くらい。で、ワイン1本と陶器(コーヒーカップ)を記念に買う。

そのままカヴール通りを歩いて駅へ向かうがフニコラーレの近くにサン・パトリツィオの井戸があるので寄ってみることにした。

この井戸はさっきのリストランテにあったエトルリア人の作ったものではなくて、ずっと後の16世紀のものだ。地中に埋められた大きな円筒形の建物を壁側にへばりついている螺旋階段で建物の地下まで降りて行くという感じだ。階段は上りと下りの2層で一方通行になっている。一番下まで降りてみると吹き抜け部分の下の方に水面が見えた。

見終わってからの上りが結構しんどい(往復で約10分、入場料1人6,000リラ)。
15:29発の列車でキューズィ・キャンチアーノへ向かった。

◆食べる
■Al Pozzo Etrusco(piazza de’Ranieri 1A, 05018, Orvieto)
◎生ハムとメロン
◎あたたかい前菜盛り合わせ(計17,500リラ)
※8月なのになぜあたたかい前菜を頼んだかというと、本当は冷たい方にするつもりだったのに、”freddo” と”caldo”の単語を勘違いしたからだ。
◎トリュフのフィットチーネ
◎いのししのミートソースのパッパルデッレ(計22,000リラ)
※いずれも美味しい。いのししのミートソースは物凄く美味しかった。パッパルデッレというパスタは初めてだったが、幅が広く、厚さは薄く、切り口がギザギザという形。
◎コペルト(6,000×2)
◎カプチーノ(3,000×2)
◎水(3,000)
◎ワイン(16,000リラ)
計2人で76,500リラ

◆買う
■Orvieto Classico (白 18,000リラ)
■コーヒーカップ 2組(28,000リラ)

Perugia(ペルージャ) 2000/8/7~9

行く

フィレンツェを朝出てアレッツォ観光後14:12の列車に乗り、ペルージャに15:17到着。

駅前から市内バスを利用するが、No.9や7のバスを逃してしまい少し待ってNo.6のバスに乗る。こちらのバスはドアが広くてスーツケースを持つ者にとっても乗りやすい。

ペルージャの町は山のてっぺんというわけではないが駅よりは相当上の方にある。8分でイタリア広場に到着。

初日はホテル探しから

ホテルを予約していなかったのでとりあえずホテルのありそうなこの広場で降りる。ここには5つ星のホテルがあるのは知っていたが流石にそれはパス。

広場のすぐ近くにラ・ロゼッタというホテルを見つけフロントで部屋があるか訊ねる。広場に面した部屋と中庭に面した部屋があるというので2つの部屋を見せてもらうことにした。中庭に面した方が静かそうだが広場に面した部屋の天井には一面天使の絵が。天井画のある部屋などめったに泊まることができないので迷うことなくこの部屋に決めた。料金は1泊21万5千リラ。

チェックインして直ちに出かける。

チェントロ町歩き

ヴァンヌッチ通り11月4日広場まで行く。広いゆるやかな上りだ。左手にはプリオーリの館、すぐ先の11月4日広場にはピサーノ親子が装飾したファンターナ・マッジョーレ、大噴水がある。

そのフォンターナ・マッジョーレのすぐ上にカテドラーレがある。教会は通常、東が祭壇で西が入口となるがここは広場が南であるためいわばどてっぱらの南から入る格好となる(パレルモのカテドラーレも同じ)。建物そのものは他のドゥオモやカテドラーレなどと違って装飾性はないし、また石の色もそれほどでなく素朴な石の建物という感じだ。

カテドラーレを見た後、さらに上の方へ進んでみる。曲がりくねった道、石の建物に囲まれた回廊、ところどころに聖母子像の絵が見られる。

ぐるっと廻ってカテドラーレの東側に出ると陶器の絵皿、水差しなどの露店が出ていた。ヴァンヌッチ通りの1本東の通り(バリョーニ通り)を散策してまた広場に戻りカフェで一休み。

冷たいビールが美味い。ついさっきまで暑かったのに湿度が低いこともあって涼しくさえ感じる。

帰り道、プリオーリ宮に寄ってみる。プリオーリ宮《公証人の間Sala dei Natori に入る。フレスコ画が描かれた天井が12のアーチで支えられていてその装飾性が素晴らしい。

◆電話で予約してチェーナ

ホテルに戻る前にテレカを使ってお目当てのリストランテ(オステリア・デル・バルトロ)へ電話し20:30で予約。この店はFIGAROの1998.7.5号(永久保存版 ミラノ・フィレンツェ全マップ)に載っていた店だ。場所はカテドラーレの上の方、戻ってきたばかりのところだが何せ距離的には近いので問題なし。

石の回廊の奥まったところによくこんなところにあるなぁという感じで入口がある。店の中もそれほど大きくなくむしろこじんまりしている。

席につきメニューを渡されたが料理の名前がまったくわからない。そんなところへ若い日本人スタッフが助けに現れる!? 彼は修業中で普段は厨房で働いているがメニューの読めない日本人が困っているのでは、ということで我々のために急遽臨時のカメリエーレになったようだ。

おかげで料理を選ぶのに苦労はしなかったが、イタリアの古都、田舎町にいるという気もしなくなり、緊張も少しとけてしまった。近くの席にはこの日の昼、アレッツオのリストランテで見かけたご夫婦(イタリア人か、どこの国の人かわからない)がいる。これにはびっくり。

ホテルへの途中、バールに寄りホテルの部屋で飲むため地ワインを買う。

ところがホテルに戻りベッドで一休みしていると急に気分が悪くなりワインを飲むどころではなくなった。どうもアリタリアのミラノ・フィレンツェ便ドタキャンによる寝不足やその後の旅の疲れのようだ。こういうときは一人旅ではなく相棒のいる旅で良かったと思う。旅行を楽しむには体力、健康、無理をしないのが大事であることを痛感した。

体調を戻しつつ、観光開始
午前中はプリオーリの館の中の《両替商会館Collegio del Cambio国立ウンブリア美術館へ行く。夕べの体調の悪さが残りふらふら感じながら美術館をさまよった気がする。とりあえず1時間足らずで切り上げホテルで休む。

少し落ち着いてきたので再び出かける。11月4日広場を過ぎカテドラーレの東をさらに進み右に回りこむ道を通ってサン・セヴェーロ教会を訪れる(入場料1人6,000リラ、ポッツオ・エトルスコと共通)。小さな教会だ。ここの小礼拝堂にはラファエロが描いたフレスコ画があった。ペルージャに残るラファエロの唯一の作品だそうだ。

ここを出てすぐ近くのポッツオ・エトルスコに入る。エトルリア人が掘った井戸だ。オルヴィエートの井戸のように真下の垂直方向ではなく、鉱山の坑道のようなゆるやかな下りだったような気がするが記憶はあまり定かではない。

ペルージャにはイタリア語習得のための外国人大学があり、そっちの方に行くとエトルリア門がある。エトルリア門まで行ってみると門を出てすぐ下のフォルテブラッチオ広場に面した大学の建物が見えた。

(まさか、この10年後にここに語学留学するとは想像もしていなかった)

夕方にはこの広場からさらに奥のガリバルディ通りを北に進み円形のサン・タンジェロ教会へ行ってみた。この教会は古い時代の教会で、周囲に何もないこと、外観は円形、内部はドームで石を積んだだけの質素さが特徴だ。

少し遅くなったが昼食をとることにし、オープンエアのカフェを探すがそう沢山あるわけでもなくヴァンヌッチ通りを広場に向かって右折したところの店のテーブルに座ったもののサンドィッチしかできないといわれ「ペルージャでサンドィッチというのもなぁ」と相棒の兄と意見が一致し席を立つ。

結局オープンエアのカフェとはまったく正反対の穴倉のような庶民的なリストランテに入り、ペンネ、ピッツァ、ビール、ワインの昼食となった。少し落ち着いてきたが(ビール、ワインを飲んで落ち着いてきた、もないもんだが)一旦ホテルに戻り1時間半ほどまどろむ。

◆高低差をものともせず

疲れを充分とったところで町の中心より下の方にあるサン・ドメニコ教会、さらにはるか下に見えるサン・ピエトロ教会に行くことにした。サン・ドメニコ教会がはどっしりと大きいのに対し、サン・ピエトロ教会は尖塔が特徴的だ。

そのサン・ピエトロ教会の内部は荘重な感じで、身廊と側廊を分ける左右各9本の柱は濃い灰色だ。側廊天井はアーチ形、天井は彫金の装飾、壁にはキリストの一生を描いた大きな絵で覆われ全面絵の美術館といった趣きだ。この教会を出てから前に書いたサン・タンジェロ教会まで行ったのだからかなり高低さがあり大変な山登りをしたことになる。それほど体力も回復していたということだろう。

2時間半もかかった夕食、大満足
夕食は昨日とは対照的に気軽なオステリア。コース料理(1人39,000リラ)を頼んだがゆうに2時間半もかかったほど手を変え品を変えという感じだった。

まず食前酒としてスプマンテ。これにお通し(花びらのような形のクッキーみたいなものにオイルサーディンとサワークリームのディップがちょんと乗っている)。

前菜はバルサミコ味のゼリー状のものにエビとナッツ。

プリモは2人なので2種、フレッシュトマトとチーズが添えられた餃子のような形のパスタ(アニョロッティ?)、もう1品はムール貝とクリームソース味の四角いパスタ。

セコンドは白身の魚を焼いたもので、表面にハーブがのっている。付け合せは、きゅうりをおろしたものに、オイルサーディン?をミンチして固めたもの、きゅうりのスライス3つ、人参。ここまでくるとこの付け合せは食べきれなかった。

ドルチェはジェラート。桃の味のソースがかかっているカップ型の白いジェラートで、桃のスライス、グスベリー一房と共に大きな皿に盛り付けられ粉砂糖が振りかけられていて見た目も豪華そのもの。

この店の料理は普通のイタリアンではなく創作料理といった趣きで(メニューを見ても前菜にも「生ハムとメロン」など定番の単純なものはない)、それでこの値段は信じられない。しかもこの日はサービス料はいただきませんとメニューに書かれていた。

気軽なオステリアといったのは、カジュアルなインテリアとサービスするカメリエーレ、カメエリエーラは全くの普段着だったからだ。特にカメリエーレは頭ボウボウ、無精ひげでジーンズとしけたシャツ姿だった。だからといってぞんざいなサービスではなくむしろ丁寧なサービスだった。

料理も、ワインもおいしく大満足だったので、この日はチップ不要となっていたが”ポッソ?(Posso?)”と声を掛けお皿を片付ける担当の若い女の子に10,000リラのチップを渡そうとすると”私に?(Per me?)”と遠慮がちにそして嬉しそうに微笑んで受け取ってくれた。

ちなみにこの店もFIGAROの1998.7.5号の載っていた店だが、それによるとシェフはウンブリアの食材を使って自分のファンタジーを表現したいという23歳の女性だという。おすすめの店だ。

23時すぎに店を出てホテルに帰ったが、ホテル近くのヴァンヌッチ通りのやや広いところにステージが作られ夏祭りといった感じのイベントが行われていて、夜遅くまでその音が心地よく聞こえてきた。

◆泊まる
■La Rosseta ★★★★ Twin 215,000リラ (1泊)
朝食をとる玄関前のオープンエアのテーブルが夜はディナーの席に変わる。夜帰ってくる時そこを通るがいい雰囲気。もう1泊するならここで食事をしてみたかった。(味はそれほどでもない、という話を後日経験者から聞いたが・・・・・)

◆食べる
■Osteria del Bartolo(via Bartolo, 30 06100 Perugia)
勘定をする際、エグゼクティブ・シェフ”Simone Ciccotti”の名刺を渡された。
◎前菜2品(40,000リラ)
◎プリモ(エビのぼろきれのパスタ38,000リラ)
◎セコンド(46,000リラ)
◎コーヒー(7,500リラx2)
◎コペルト(10,000リラx2)
◎水(7,000リラ)
計2人で232,000リラ(サービス料10%)

■Ristrante-Pizzeria La Botte(via Volte della Pace, 33 06100 Perugia)
庶民的な店
◎ペンネ
◎ピッツァ
◎ビール
◎デキャンタのハウスワイン
計2人で47,000リラ

■Osteria del Gambero(via Baldeschi,17 06100 Perugia)
◎スプマンテ
◎バルサミコ味のゼリー状のものにエビとナッツ
◎フレッシュトマトとチーズが添えられた餃子のような形のパスタ
◎ムール貝とクリームソース味の四角いパスタ
◎白身の魚を焼いたもの
◎ジェラート
◎ワイン
計2人121,000リラ

◆遊ぶ
■11月4日広場
■プリオーリの館
■国立ウンブリア美術館
■サン・セヴェーロ教会
■ポッツオ・エトルスコ
■サン・ピエトロ教会

◆買う
■Giuliano(via Danzzeta 1,06100 Perugia)
乾燥ポルチーニ(100g? かなりの量があった) 17,000リラ
FIGAROの1998.7.5号掲載の食材屋さん。他にももっと買いたいものが沢山あった。

Arezzo(アレッツォ) 2000/8/7

◆聖十字架伝説
フィレンツェからペルージャへの途中、《聖十字架伝説》の絵をみるため途中下車。フィレンツェからわずか1時間。
スーツケースを貸ロッカーに入れ、駅から南へ伸びるG.モナコ通りを進む。途中、中世の衣装をまとった騎馬行列に出会う。

「聖十字架伝説」の絵はサン・フランチェスコ教会にあるが、その前に道を少し登ったところにあるドゥオモに行く。

中には大勢の人がいて、テレビの撮影クルーまで入っていた。

さっきの行列と何か関係があるのか、大きな行事のようだ。ロッジアの宮殿の回廊を回ってからサン・フランチェスコ教会に行き、待望の《聖十字架伝説》を見る。これを知ったのはNHKのイタリア語会話(ラジオ)のテキストで。

後陣を囲むように10の場面の聖十字架にかかわる絵が描かれている。アダムの墓に生えた木が、後年キリストの十字架となり、時代を経てその十字架がエルサレムに戻るまでを描いていて、これだけでもアレッツオを訪れる価値がある。

昼食はこの教会の右向かいの地下にあるブカ・ディ・サン・フランチェスコでとる。

ここのお店のオーナーはとても気さくで我々が写真をとろうとしたらやってきてシャッターを押してくれたし、ハウスワインについても説明してくれたりした。

また、このリストランテは“Unione Ristorante del Buon Ricordo”というイタリアを中心としたリストランテの加盟店でその小冊子をくれた。

◆食べる
■Ristorante Buca di San Franchesco(via S.Franchesco,1 52100 Arezzo)
◎生ハムとメロン
◎牛肉のトマトソ-ス煮
◎水
◎コーヒー
◎ハウスワイン(赤、ボトル)
計二人で85,000リラ也。

◆遊ぶ
■ドゥオモ
■サン・フランチェスコ教会

 

Como(コモ) 1999/9/23


◆見る
 前日ラヴェンナのビザンチン文化を堪能した後ボローニャ経由でミラノに到着。ドゥオモ近くのホテルに泊まる。ミラノには2泊、2度目なので《最後の晩餐》鑑賞を予約していたほかは特にどうするということは決めていなかった。

 朝食後、ジェノヴァ日帰りにするかコモ日帰りにするか時刻表とにらめっこしたが、やはりジェノヴァ日帰りはきつすぎるなぁと思いコモに行くことにした。

しかし、どうみても9時台の列車には乗れない。11時10分発のCISが全席指定なので指定券をとるために早めに中央駅に着くようにしてホテルを出た。すぐ近くのドゥオモ、スカラ座を見たあと駅へ向かう。

 駅の切符売場に並ぶ。『コモまで往復。11時10分発に乗りたいが予約は必要ですか?』とメモを渡しながら尋ねると『予約は必要、その次の列車なら予約は要らない』とのこと。時間がもったいないので『予約したい』というと予約は別のところで窓口50番からだという。

そちらへ移動して予約番号をとると419番、まだ前に27人もいるがやむを得ない。時間は20分あったのでそのまま待つ。11時少し前に乗車券を買えたが『禁煙席』と伝えたのに逆になっていた。


 すでに列車はホームに入っていた。車内はやや紫煙が漂っているが30分あまりの旅なので我慢する。

コモ・サンジョヴァンニ駅に降り立つ。どこか寂しさを感じさせる静かな駅だ。駅を出たすぐのところに赤ん坊を抱いたジプシーがおもらいのためにすわりこんでいる。

駅からまっすぐ伸びた大きな通りを歩き、突き当たりの小さな広場をやや左の方に進むと少し大きな広場に出た。カヴール広場だ。ここまでくると湖が見える。ここはもうコモ湖観光のメインのところのようだ。

◆乗る
 コモ湖に来たからには遊覧船に乗らなければと、遊覧船の乗り場に行って時刻を確認すると広大な湖なので行き先も何ヵ所もあって、2時間コースのがすぐ出る(12時10分発)のがわかった。

でもちょうどお腹もすいてきて2時間ももちそうもないので昼食を取ってから13時30分の船に乗ることにした。

少し周りを歩きながら食べるところを探すが、結局乗り場へ戻り目の前のカフェで昼食をとる。晴れ渡った青空の下、気持ちの良い食事だった。

名だたる観光地のわりに良心的でコペルトもなくワイン込み18,000リラとリーズナブル。次の船まで時間があるので近くのジェラテリアでジェラートを買い、食べながら遊覧船乗り場で切符を買う(7,000リラ)。

今度のは所要時間1時間15分の一番短いコースだった。切符には“DA COMO A TORNA”となっていたのでここに戻ってくるか不安だったので乗船時に訊いたらここに戻ってくるとのこと。ひと安心。前の方に座る。

 船は北へ向かうので背中からの陽射しがきつい。広大なコモ湖の中ではほんのちょっと見るだけの遊覧コースだけれどアルプスの山々を望んだ景色は素晴らしい。

しかし食事をとったあとでもあり船の揺れに身をゆだねていると眠気にも襲われる。山が湖まで迫っていて斜面には別荘とおぼしき建物が多い。

途中5ヵ所の船着場に寄る。2つ目は《VILLA D’ESTE》、かつては英国皇太子妃の別荘だったというホテルのための乗り場だ。その建物は船着場の船上からは良く見えない。この近くにはかもめが随分いた。

次の《MOITRASIO》で針路を右へとったせいか揺れる、揺れる。しぶきがかかってきた。4つ目の《TORNO》は教会の広場のすぐ前だ。ここで向きを変えてまた左の方へ進む。

 山々が青く湖の水も同じように青い。すぐスイスの国境だというのがうなづける自然の景色。時間の関係でベッラージオまでは行けないがもっと良く事前に調べておけばミラノを早く出てベッラージオへ行くこともできたかもしれないし、今度は1泊してもいいなぁと思った。

5つ目の《URIO》というところ(目の前にホテルがある)でしばらく停まり、そこから同じルートで戻る。

 船を下りてから今度は山の上から湖を眺望することにしてフニコラーレ乗り場へ向かう。

15時丁度発に乗る(往復7,200リラ)。乗客は10人ほど、中に二人の若い日本人女性が乗っていたが、二人は別々にイタリア語を勉強しに来ているらしくたどたどしくながらもイタリア語で会話していたのがほほえましい。

地上や湖面では暑かったがブルナーテ山の頂上駅では25度、標高1000メートル近くあるらしく涼しい。湖を上から見下ろすつもりで行ったが、湖よりもコモ市街地が中心でちょっと予想と違っていた。15時30分下山。

◆買う
 コモは絹の産地、ネクタイでも買おうかと思ってガイドブックに出ていた“BINDA”というシルク製品の店を探す。フニコラーレ駅のすぐ近くだと思って歩き始めるが500メートルくらい行っても見つからないのであきらめて戻ると何と駅のすぐそばにあった。お店というより邸宅という感じ。


 門のチャイムを押すと何かしゃべっているので『ポッソ エントラーレ?』というとドアのロックが外れ、中に入れた。ここはアウトレットの店らしく品物は段ボールに入れたままドーンと置いてある。ネクタイを2本選んで払おうとしたら2割引きだった。お店の人は気のいい人で何かと話しかけてくる。『ここ2日間が暑い』と教えてくれた。

◆ドゥオモを見る
 フニコラーレのブルナーテ山からそのクーポラがよく見えたドゥオモへ行ってみた。さすがに遠くからもよく見えただけあって中に入ってもクーポラの天井が異常に高く見える。後陣の右手にサンピエトロ寺院のような(大きさは違うが)洗礼台がある。天井は絵ではなく金の装飾、右にはパイプオルガンとタペストリーが掲げられている。聖堂内部はバラ窓のせいか明るい。

 ドゥオモなど市街地観光をしてからFSの駅に向かうが行きにチーズの店を通ったのを思い出し「ミラノで時間がないかもしれない」と思ってチーズを買って帰ることにして少し戻ってそのお店に寄る。

お店には愛想のよいご主人がいた。まずはじめにパルミジャーノ・レジャーノの小さいのを量ってもらい約1万リラ。それからゴルゴンゾーラを頼むと『辛い方か、それとも甘い方か?』と訊かれたので夕べのミラノのリストランテで食べたのが甘かったのを思い出し辛い方を注文。

さらに何かこの地方のものをと頼むと一つ出して何やらいろいろ説明してくれたがよく分からない。《1ポッソ プロヴァルロ?』というとすぐ一切れ薄く切ってくれたので試食。まあまあだったので注文、しめて24,000リラ。

これでミラノでチーズ探しをしなくてすむ。他においしそうな中味のどっしりしたパンもあってそれも欲しかったが荷物になるのであきらめる。

 それから駅に向かい、着くとちょっと前にICが出たばかり、次の電車を時刻表でみるとガリバルディ駅に着く各駅停車はあったが時間もかかるし、着いてから不便かなぁと思い約1時間後(17時56分)のICに乗ることにする。

駅で何もすることもないのでお土産用の小瓶のグラッパでも買おうと思い、来た道を戻りドゥオモ西側の旧市街に入り込んで2軒ほど尋ねたがおいていない。適当に切り上げ余裕を持って駅に戻り、コモ日帰りの旅を終えた。

Ravenna(ラヴェンナ) 1999/9/21~9/22

Ravenna(ラヴェンナ) 1999/9/21~9/22
◆フェラーラ再び
 パドヴァからフェラーラ経由ラヴェンナに向かう。パドヴァ発15時46分、フェラーラ着16時36分。1年半前のイタリア旅行ではボローニャからフィレンツェへ移動する日、その前に半日フェラーラかラヴェンナへ行こうと思い、列車に乗ってから途中でフェラーラに決めて降りた。まさかまた来るとは思わなかった。乗り換えまでに少し時間があったので、見覚えのある駅前(割りと車の通る道路の向かいにバールと薬局などがあるだけ)に出
てみた。17時15分発のラヴェンナ行きに乗る。車内はがらがらだが、この日は暑くまたサマータイムのせいもあってこの時間でも蒸し暑い。フェラーラを出てすぐ左側にポプラ並木(片側だけだから並木とはいわないが)が何カ所もあり懐かしさを覚える。気候的には北海道に似ているのだろうか?
18時26分、定刻通りラヴェンナへ到着。

◆ホテルを探す
 パドヴァ、フェラーラ同様駅は街の中心から離れている。ホテルを予約していないので探す必要があったが、インターネットで調べておいた Centrale Byron というホテルがガイドブックの地図にも載っていたのでそこをとりあえず目指す。駅からまっすぐ歩き市庁舎の方へ向かう。地図にしたがって比較的大きな道路を渡り市庁舎らしき建物の駐車場に入り、ぐるっと周り込み裏手に出たもののどうもよくわからない。そのうち広場(ピアッツァ・ガリバルディ)に出た。この広場の一角に銀行があり両替機が目に入り、手持ちのリラが少なかったのに気づきチェックインの前に両替をしておいた方がいいと思って試してみたが何回やっても先に進まないのであきらめ(クレジットカードはこの4日前フィレンツェで財布をすられなくなっていた。詳しくは「旅のトラブル」にて)ホテル探しを続ける。そのまま行くともう少し大きな広場があった。ポポロ広場(ピアッツア・デル・ポポロ)だ。この広場を通り抜けたところの右手にCentrale Byron の看板、発見!

 入ってみると小さなフロントがあり、年配の女性がいる。バスつきのシングルを頼むと、あるというので「部屋を見たい」というと鍵を渡してくれた。「問題なければその部屋」とのことなので、スーツケースを持ちながら数段階段を上ってからエレベーターに乗る。

 11号室はすぐ見つかった。中に入ると95,000リラ(約5,700円)の割りにはまぁまぁ。
 「この部屋でいいや」と思いつつ念のためバスルームを見たら、どこにもシャワーも浴槽もない(ように見えた)。暑い一日を長袖のシャツで右往左往したのでどうしてもシャワーかお風呂には入りたかったのでこの部屋をあきらめ、スーツケースをまた持ってフロントに戻り、その旨伝えたところ、「シャワーとお風呂はある」という。もう一度鍵を借りて11号室に入ったところ、トイレの壁だと思い込んでいたところは何と浴槽を仕切るカーテンだった。歩き疲れて目がおかしくなっていたのか。今度はスーツケースを置きフロントへ戻ってチェックインする。現金がないのでデポジットを払えといわれたらどうしようと思ったがデポジット不要でホッとした(前払いしてしまうと食事代もなくなってしまうほどしか残っていなかった)。

◆小さなリストランテ
 まずシャワーを浴び着替えてから夕食に出かける。フロントの女性にどこかリストランテがないか尋ねいくつか教えてもらい地図に書き込んでもらった。「休みかもしれない」といわれたけれどホテルの裏だったのでそこへ行ってみたもののやっぱり休み。
もう1軒は、これもすぐ近くにあり、すぐに見つかる。外に3つほどのテーブルが出ている小さなリストランテだ。少し混んでいそうだったがとりあえず入ってみると本当に地元の人たちが食事を楽しみに来ているという感じのところ。お店の人に待つようにいわれドアのところで随分(30分以上?)待つ。

 ようやく席に着くことができた。ワインリストを見ると結構いろいろあるが一人でフルボトルは厳しいのでハーフでは種類は限定される。セコンドは魚にすることにしてカメリエーレに訊くと「これは美味いよ」とメニューの一番上のを教えてくれた。どうも食べた感じは「鰊のフライ」だったようでそれほど美味しいとは思わなかった(あとで単語を調べたらbranzino はスズキ)。
狭い店だけれど2階席もあって、またテーブルの間隔もキツキツなので相当のお客が入っているようだ。そのうち、日本人3人(若夫婦とお爺ちゃん、翌日サン・ヴィターレ教会で出会う)が隣のテーブルに座った。

 勘定をすませチップを5,000リラ払うと手元には10,000リラちょっとしかない。

◆ワインバーで
 帰り道、といってもホテルまではすぐそこだけれど、出掛けに見つけておいたホテル前のワインバーに寄ることにした。カウンターに座りキャンティ・クラシコを頼む。一人でちびちびやる。ピーナッツを甘辛くコーティングしたつまみが皿一杯でる。カウンターの中のバリスタは隣の常連客と話をし続け、こっちには何も話しかけてこない。話しかける勇気も今一ないのでひたすらちびちびやる。所持金が心配なので2杯目は無理、20分くらいで引き揚げることにし、勘定してもらうとワイン1杯分、5,000リラだったのでチップを500リラ渡す。その時「このピーナッツどこで売っているの?」と尋ねたら「近くのクープ(CO-OP、生協スーパー)だよ」。てっきり地元の名物かと思っていたのでちょっとがっかりしたのを思い出す。

 この日はヴェネツィアで家族と別れ、パドヴァでスクロヴェーニ礼拝堂に寄り、そしてホテル探し、と長い一日だった。イタリア数十泊しているが、当日のホテル探しはこの日と翌年夏のシエナの2回だけ。シエナの時は昼間でしかも同行者ありだったのでまだましだった。一人旅の夕方、カードなし、現地通貨わずかという悪条件でのホテル探しはコリゴリだ。

◆待望のビザンチン美術
 翌朝、待望のラヴェンナのビザンチン美術を見に出かける。地図がわかりにくく随分遠回りしてしまう。ホテルからは至近距離だったのに。ラヴェンナの朝は落ち着いているし、また、朝日がまぶしい。

 まず最初にサン・ヴィターレ教会に行った。入場券は何種類かあったが、市内6ヵ所共通入場券にする(9,000リラ)。この教会八角形の建物で、回廊は2階建て、灰色の大理石の柱は波のような模様で装飾されている。クーポラ内部も高さがあるので凄い大きさを感じる。うっかりくしゃみをしてしまったら大きく反響した。クーポラ内部の「ユスティニアヌス帝と廷臣たち」と「テオドーラ皇妃と女官たち」のモザイク画。素晴らしい!全体に緑の色調でペルシャじゅうたんのようだ。この日見たラヴェンナのモザイク画の中では一番凄かった。淡い茶色の外観からはとても想像できない。

 次いでガッラ・プラチディアの廟へ行く。ここは5世紀半ばに建てられた皇帝の妹一族の霊廟とのこと。入口は小さく内部もそれほど大きくないが濃いブルーと金色の色調のモザイクで荘厳な感じだ。窓には薄い大理石のようなものがはめこまれそこから明るさをとりこんでいる。この瞬間ここには自分を含め日本人ばかり5人だけ。モザイク画の中には鹿や小鳥、天井には水鳥の顔がライオン、牛、コンドルや人。絵としてもおもしろい。

 ガッラ・プラチディアの廟をあとにしてホテル方向に戻りさらに先のネオニアーノ洗礼堂、大司教博物館、ダンテの墓へ行ってみた。ラヴェンナという町はそれほど大きくない。洗礼堂の天井には12人の使徒が真中のキリストを取り囲んでいる。キリストはヨルダン川で洗礼を受けているという構図。ここも深い青と金色のモザイクだ。アーチの上の壁部分に唐草模様が描かれていたのが印象的だった。

 ラヴェンナを訪れる前の年ヴェローナのシニョーリ広場でダンテの像を見てフィレンツェで生まれたダンテがヴェローナへ亡命?したのは知っていたがその後ラヴェンナで活躍、亡くなったことは知らなかったのでお墓があるのにちょっと驚いた。

 ダンテの墓からサンタポッリナーレ・ヌオーヴォ教会まではそう遠くない。この教会は市内で一番広いローマ通りを渡った向こう側、駅の近くにある。この教会は細長い三廊式で奥行きのある長い壁に祭壇に向かって左には聖女の行列、右には殉教者の行列が描かれている。もちろんモザイク画だ。祭壇の方は淡いブルーであるのに対して壁のモザイク画はうぐいす色と金色できれいだ。

◆サンタポッリナーレ・クラッセ教会
 市内の観光はそのくらいにして昼食をすませ、それから市内バスでサンタポッリナーレ・クラッセ教会へ行く。駅前にバス乗り場があるが、近くを通りがかったバスの乗務員に乗り場、切符売場を訊いて教えてもらった建物へ切符を買いに行く。階段を上がって2階に行くとポリスの詰所みたいなところ。間違ったようだ。ようやく切符売場にたどり着くと係りの人に「今日はただ」と言われる。毎週1日、観光客向けサービスのようなことを言っていたが本当のところはよく分からない。
すぐ4番のバスが来た(13:54→14:10頃)。

 15分もバスに乗るとそこはまったくの郊外、まわりは何もないが観光客は多い(観光バスで来ているようだ)。さすがにヌオーヴォ教会によく似ているが中のモザイクの色調が違う。回廊は淡いクリーム色とブルー。内陣はモスグリーンを背景に十字架を真中にして左右に羊が5匹づつ描かれている。梁がむき出しになった天井は木のように見える。
帰りもただのバスに乗り駅へ向かった(14:40頃→14:52)。


 ラヴェンナの駅で自宅に電話してみる。日本時間で22時頃だったので前の日ヴェネツィアで別れた家族が無事帰っているか確かめたかったからだ。ところがまだ帰っていなくてカプリ観光中の長男の声で留守電メーッセージが聞こえたのには笑ってしまった。

 ラヴェンナからは最後の宿泊地ミラノに向かうが、当時はまだ切符の自販機がなく窓口で買ったのだがそれほど並んでいるわけではないのに一人にえらく時間がかかっていたため発車時刻が迫ってきてやきもきする(予定通りの列車に乗れてもミラノのホテルに着くのは21時近くになってしまうので)。何とかギリギリ間に合い、15時49分のボローニャ行きに乗り、ボローニャで約1時間待って18時16分発のESで20時丁度にミラノに着いた。

◆食べる
●リストランテ
<お店の名前>
La Gardela, Via Ponte Marino,3 Ravenna
<食べたもの>
前菜(8,000リラ)、プリモ(8,000リラ)、スズキのフライ(20,000リラ)、付け合せ(5,000リラ)、コーヒー(2,000リラ)
・・・58,000リラ(チップ、ワイン込み)
<ワイン>
Sangiovese di Romagna ハーフボトル 6,000リラ

◆飲む
<お店の名前>
la cucina del Capello, Via ? Novembre 41, Ravenna
<飲んだもの>
Chanti Classico BORAOSALCINETO 5,000リラ

◆泊まる
■Hotel Centrale Byron, Via ? Novembre 14, Ravenna Single 95,000リラ、朝食 7,000リラ 本文の通り現地調達

Padova(パドヴァ) 1999/9/21

Padova(パドヴァ) 1999/09/21


一人旅の始まり
 家族総勢6人のフィレンツェ・ヴェネツィアの旅もこの日の午前で終わり。

新婚の長男夫婦はナポリ、カプリの旅へ向かう。妻と次男、長女は皆予定があって、ヴェネツィアからパリ経由で帰国。2組をそれぞれ朝と昼、サンタ・ルチア駅近くのローマ広場のバス・ターミナルへ送りに行く。私はこれから、パドヴァラヴェンナミラノへの一人旅だ。

妻たちのバスを見送り、ヴァポレットでサンタ・ルチア駅へ行き窓口でパドヴァまでの切符を買う。近い割に高いなぁと思ったがお釣りが少ないことに気づいたものの後のまつり。10,000リラごまかされてしまった。前年の初めてのイタリア旅行でヴェローナの駅員氏にやられたのに次いで2回目だ(詳しくは「旅のトラブル」にて)。

 13時10分発。動き始めてからすぐに検札があり、車掌から乗っている車両がパドヴァでは降りられないと教えられ、1つ前の車両に移る。座席は結構混んでいる。ドアのすぐ近くの4人掛け座席が1つ空いていたのでそこに座った(ドアの近くなので反対側は3人掛けになっていて、イタリアの列車は良く考えられているなと感心した)。パドヴァに行くという先入観からなのか、向かいの人は何となく大学の先生みたいな雰囲気。
パドヴァには13時44分に着く。

◆滞在時間は2時間
 パドヴァにも1泊したいところだが、日程上厳しくまたラヴェンナではホテル探しもあるのでどうしても19時までには着きたい、ということで滞在時間はわずか2時間。それでも寄りたかったのは、目的はただ一つ、スクロヴェーニ礼拝堂のジオットのフレスコ画を見ることだ。


駅でスーツケースを預け、駅からまっすぐ南へのびる道を進む。陽射しが強く長袖のシャツは暑い。途中のバールでスクロヴェーニ礼拝堂の場所を尋ねる。駅で市内地図を手に入れたがこれが実にわかりにくい。そのうち左手に礼拝堂らしき建物を見つけるがフェンスで囲まれているので入口を探すとさらに先に市立博物館の入口があった。中に入ると記念品などを売っていて、そこで入場券(10,000リラ)を買いショルダーバッグを預けて念願の礼拝堂へ向かう。
中にはドイツ人とおぼしき年配の団体観光客が大勢いた。

 ジオットのフレスコ画は礼拝堂壁面に絵巻物のようにいくつもの場面が描かれている(後で数えたら38もあった)。この場面の展開は祭壇に向かって右手の上の段の奥(祭壇の方)から入口の方へ、そして2段目、3段目へと続いて行くのではないだろうか。入口の上は《最後の審判》だ。

キリストを捕らえるための合図としてユダがキリストに接吻する場面の《キリストの逮捕》は右手下段中央にある。視線が集中している臨場感ある構図だ。右手奥には車座になった《最後の晩餐》。磔刑になったゴルゴダの丘へ十字架を背負って行くシーンは左手の入口近くの下段にある。その段の中央には《ピエタ》そして《復活》、《昇天》へと祭壇方向へと続く。なかなかの絵巻物だ。

無理して来た甲斐があった。
祭壇にあるピサーノの聖母像はまるで観音様のような表情をしている。
(現在は入場は予約制になっているようだ)

 礼拝堂を出てから市立博物館に入る。1階は古代ローマ時代の遺物などの考古学館があるが時間がないので通り抜けて2階の絵画館へ行く。とにかく沢山の絵画があり、ヴェネツィア派が中心のようだが作者不詳というのも多いみたいだ。ゆっくり見ているとラヴェンナに行けなくなるので、本当に駆け足で見てしまった。

 見終わってから駅へ戻る。お昼を食べていなかったので駅のバールでパニーニを買い、15時46分の列車に乗ってフェラーラ経由ラヴェンナへ向かう。

 

◆何とかカプリ島へ

ポンペイを見てからナポリにバスで戻る。

この日はナポリからポンペイへ日帰りで行ったのだが鉄道がイタリア名物ショーペロ(ストライキ)のためバスで往復せざるを得なかった時だ(詳しくは「トラブル」にて)。

この帰りのバスがまた大変、何台か満員で止まらない。ようやく止まったバスにも中学校か高校の生徒で一杯で一瞬乗れないかとも思う。乗れなければカプリには行けないし、ナポリにはもう泊まりたくないし、ローマに戻ってもホテルを探さなきゃならないし・・・。しかし何とか乗り込むことができた。

満員だった車内はそれからいくつめかの停留所で大半がおり、すいてしまう。行きは1時間35分かかったところが帰りは50分ですんだ。

ナポリ・チェントラーレ駅でおりそれから歩いてベヴェレッロ港へ行く。15時10分に着きとりあえず乗車券を買う。8,500リラとやけに安い。

埠頭にはまだジェット・フォイル船は入っていない。ただカプリ行きのみ窓口に出発時刻は表示されていないのが気になり、訊くと「今日のジェット・フォイル船は終わり。15時15分発のフェリーが今出る」と言われ、慌てて走り出航間近かのフェリーに乗り込み、何とかセーフ(運賃が安かったのはフェリーだったため)。


昨日の時点ではソレントからカプリに向かう予定だったがもっと時刻表を確認しておくべきだったと反省する。

絶景のナポリ湾、ヴェスヴィーオを見ながら1時間半の船旅を楽しむ。

16時50分マリーナ・グランデ到着、下船するとめちゃくちゃ寒い。フニコラーレを待っている間も吹き込む風が冷たい。寒いはずの北イタリアから入って2週間余り、最後の南イタリアは相当暖かいだろうと思ったがカプリの何という寒さ!今までで一番寒い。

フニコラーレを降り立っても小さな広場があるだけ(これがウンベルト1世広場)。
ホテルをなかなか見つけることができず何回か行ったり来たりして、お店の人に訊いてようやくわかった。ホテルは外から見るとシーズンオフのリゾートホテルという感じだ。


部屋はシングル、床はグリーンのカーペット、バルコニーつきで海も望め、贅沢だ。ベッドカバー、ベッドの頭のところ、鏡の枠、いずれも同じ色調の花柄。


◆勘定に間違い
 18時少し前に町の様子を見るため出かけ、ウンベルト1世広場のバールでコーヒーを飲む。

一旦ホテルに戻り一休みしてから19時30分にさっき目星をつけていた広場のちょっと先にあるリストランテ“La Salafina”へ行く。先客は2組。前日のナポリで飲みすぎていたのでワインはハウスワインの1/2にし、また魚介類のスープ(Zuppa di pesce)にしようとしたが最低400グラム(多分2人前)というので前日の飲みすぎのため胃腸の回復が万全でないこともあってパスし、プリモで終えドルチェとカプチーノで締めくくる。

お勘定の際、ワインが1リットルになっていたので覚えたてのイタリア語で『勘定に間違いがありますが・・・』と言ってみたところ見事に通じ、勘定書きをサービス料に至るまで訂正してくれた。


リストランテを出たら時計塔の鐘がちょうど21時を打つ。着いた時に17時の鐘、散歩時に18時の鐘、そして今回と4時間に3回も聴いた。


◆まぼろしの青の洞窟
 カプリでの目的は当然のごとく「青の洞窟」。
食事を終えてホテルに戻っても格別することはない。


夕べナポリで白ワイン1本を空け、それまでの長旅(16日間)の疲れも出たのか、夜中に吐くほどひどい酔い方をしてしまい、二日酔いで頭が痛い中、ポンペイ往復がショーペロのため路線バスで苦労して、それからカプリにたどり着いたという長い一日だったので早めに寝ることにする。

 寝ながら風の音が気になる。海からの強い風がバルコニーの扉をたたく。

青の洞窟に入れるだろうか、と思いながらまんじりともせず3時ごろ目がさめ、うとうとして4時頃また眠りにつく。

7時に起きると外はもう明るくいい天気だが波が心配だ。8時過ぎフロントで訊くと「青の洞窟」観光は今日は中止とのこと。残念!


やむなく近くを散策することにした。休業改装中のホテルやリストランテが目立つ。展望台までゆっくりと歩く。シーズンオフで朝ということもあって誰とも行き会わない。
展望台への道は途中で通行止め。今度は方向を変えホテル下の海岸の方へ下ってみたがこれも途中で通行止め。ウンベルト1世広場へ行ってみたが香水を売る店もレモンチェロを売る店もみんな休業中だ。

カプリにこれ以上いてもしようがないと判断してホテルへ戻りチェックアウト。10時のフニコラーレに乗り港に着いたら10時35分のジェット・フォイル船がある。これに乗り(16,000リラ)、ナポリ着11時15分。スピードが速いだけあって、かなり揺れた。

 せっかくカプリへ行きながら青の洞窟に入れなかったのは残念だ。機会があればもう一度トライしてみたい。


この翌年家族で行ったフィレンツェとヴェネツィア旅行、新婚の長男夫婦はヴェネツィアからナポリ、カプリへ行ったが青の洞窟に入ることができ、本当にきれいだったとのことだ。

◆食べる
お店の名前 Ristorante La Salafina(Buca di Bacco)
食べたもの Bucca風前菜(セルフサービスで色々な前菜を楽しめた)、プリモはPennetta alla Bucca(これまたBucca風ということで要するにこの店のオリジナルか名物料理ということだろう、チーズで絡められているためちょっとしょっぱい)、ドルチェ、カプチーノ、ハウスワイン、水で42,000リラ(サービス料込み)

◆泊まる
La Residenza Hotel Capri ★★★★ Single 10,000円

ミキで予約、旅行代理店でクーポン購入。
チェックインの時こちらが名乗るより前に向こうから言われる。
16泊目にして初のバルコニー(テーブル&いす)つき。
リゾートぽいホテルだった。

Napoli(ナポリ) 1998/3/9


◆行く 
ミラノから始まったイタリア3週間の旅、17日目。いよいよ南に向かう。
ローマで2泊したあと、ナポリ、カプリへ行く。再びローマへ戻ってくるのでホテルにスーツケースを預け、ショルダーバッグ一つで出かける。ローマは3月なのにあったかくて半袖でもいいくらいの時もあったので、南はもっとあったかいだろうと思い、セーターをスーツケースにしまいこみ、本当に身軽だ。

午前中はローマをぶらぶらし、テルミニ駅に13時頃着く。テルミニ駅は2日前に降り立っただけだが、何となく得体のしれない人間や物乞いが多い。サンドイッチを買ったがそのレジでも変な老婆が立っていて皆に1,000リラくれと言っている。


13:40の電車に乗ったが10分ほど遅れたようだ。車内はすいていて6人掛けに2人。
1時間くらい走ったところで雨。観光をどうしよう?と思う。15:40頃ナポリ到着。ナポリの駅は物騒だとガイドブックに出ていたのでやや緊張して駅構内を抜けた。


外はまだ雨。予約していたホテルは駅前の大きな広場に面したところなのですぐにチェックイン。
当初ナポリには2泊し、ポンペイ、カプリ島を日帰りしようと計画していたため足の便のいい駅前のホテルにしていたが、その後カプリ島も泊まることにしたので結局駅前ホテル1泊となった。

◆決死の覚悟の横断
外はまだ雨だったけれどホテルにいてもしようがないので、少し小降りになったところで傘をさして17時頃出掛ける。ナポリは治安が悪いと聞いていたので、ガイドブックも持たず手ぶらで出た。ホテルを出て最初の道路(大した幅ではない)を渡るときに車が止まってくれず必死の思いで横断する。それまでに経験しなかったような苦労を強いられ、これでいっぺんにナポリの印象が悪くなる。

◆ナポリを見て、死ね?
ガリバルディ広場からまっすぐ伸びたウンベルト1世通りを進む。この通りにはリストランテやピッツエリアはまったくないようだ。途中で海側の方へ曲がる。どんどん行くと大きな広場に出た。そこが王宮前の広場(プレビシート広場)で一方が半円形で広々しているのに驚いた。しかも閑散としている。

広場を左の方へ抜け海に向かうとほどなくサンタ・ルチア港。『ナポリを見て、死ね』という言葉はこのサンタ・ルチア港からのナポリ湾、ヴェスヴィオの景色の美しさを言うのだろうがあいにくの天気でそこまでの感動は得られない。

海沿いのナザリオ・サウロ通りを戻り途中で右に曲がりヌオーヴォ城の前に出た。このとき通りの反対側にいたのだがここからお城側に横断するのが大変だ。トラムも走っている大きな道路なのでホテルを出た直後の横断とは規模が違う。トラムの停留所を離れ小島に見立てそこまでどうやって行くかそれこそ車の流れを見ながら決死の思いで、ヌオーヴォ城を見るどころの騒ぎではない。やや疲れて19時頃ホテルに戻った。

◆再びサンタ・ルチアへ
部屋に戻りガイドブックで歩き回った所を確認していて、サンタ・ルチアのナザリオ・サウロ通りに良さそうなリストランテが載っていたのでちょっと遠いけれどそこに行くことに決め19時半前に再び出かける。40分かかってお目当てのリストランテへ到着。
ドアを開けようとしたが開かない。中にお客がいるので休みではなさそうだ。「どうしよう」と思っているうちにお店の人が気づいて鍵を外し入れてくれた。

店内は明るい華やかな感じで一人で食事をするにはもったいない。ナポリゆえ魚料理ばかりで注文したが本当に美味しい。そのうち隣のテーブルにハネームーンの日本人カップルが座ったので『ここの魚料理は美味しいですよ』などと言ってしまう。


ワインはカンパーニャのキーンと冷えた白ワイン、グレコ・ディ・トゥーフォを注文した。一人旅で初めてボトルで頼んだ。というのは、前日ローマの夕食で最初250mlのデキャンタを飲み、もう少しいけそうだったので同じものを頼んだところ500mlが出てきて「まっ、いいか」と考え、飲み干してしまったから、ボトル一本でも大丈夫と思ったからだ。


◆二日酔い
食事を終え、タクシーを呼んでもらって22時ホテル着(徒歩40分の距離がタクシーで10分、13,000リラ)。
ベッドで横になりBBCで日本の天気予報を見ているうち、1時間ほどうとうとしてしまいあわててシャワーを浴び就寝。ところが寝ているうちに気分がむかむかし目覚める。
3週間の旅の17日目にして初めてしんどい思いをした。17日間の旅疲れ、ナポリでの緊張を強いられた歩き疲れ、冷たいワイン、しかもフルボトル。これらが複合した原因だったと思う。
翌朝は頭がガンガンする二日酔いだった。

翌日はポンペイを見たあとカプリ島泊まりなのでナポリ観光はカプリからの帰りにしようと考えていたが半日の印象が悪く結局これ以上の観光をしなかった。
翌年、家族でフィレンツェ、ヴェネツィア旅行をしたあと長男夫婦がカプリ島へ行くためナポリに泊まったがやはり怖くて観光しなかったという。

◆食べる
お店の名前 Il Posto Accanto, via N.Sauro 2, Napoli
◎海の幸サラダ(烏賊、タコ、エビなどにオリーブオイル、レモン、14,000リラ)
◎ファルファッローニ(小さな蝶ネクタイ形のパスタ、11,000リラ)トマトが美味い。魚介類はわずかだけれど本当に美味い。
◎メカジキのグリル(長さ13cm×高さ7cmのひし形、15,000リラ)でかいがこれも美味い。
◎ジェラート・ミスト(7,000リラ)
◎ワイン Greco di Tufo, Mastroberrardino (20,000リラ)
◎コペルト、水、サービス料(10,000リラ)込み82,000リラ

◆泊まる
ホテル Cavour ★★★ Single 9,000円
MIKIで予約、旅行代理店でクーポン購入
間口の狭い縦長のホテル。フロント氏はこの旅では初めて普通の服装で愛想もない。
「どこかいいリストランテを教えて欲しい」と訊ねたら、たちどころに「このホテルの中だね」と返され全くとりつくしまもない。二日酔いになったこともあって印象のよくないホテル。