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Barolo (バローロ) 2006/9/12~13

Barolo (バローロ) 2006/9/12~13

◆ワインの王様《バローロ》のふるさとへ

バルバレスコに近いアグリツーリズモ、Casina Barac で朝食の後、前日頼んだタクシーを待つ。

今日の予定としては、バローロ村のワイナリーの一つ、マルケージ・ディ・バローロを訪問し、ワイナリーの見学、当主パオロさんとの昼食、バローロ村のエノテカ・レジョナーレに立ち寄り、宿泊のこれまた《バローロ》の名門、フォンタナ・フレッダのホテルまでという行程だ。

だから一回一回タクシーを手配する訳にもいかない。 9時半きっかりにタクシーがやってきた。Casina Baracのオーナー、アルビーノさんに『半日ハイヤーにすると幾ら位かかるだろう?』と訊ねているところに、運悪く?ドライバーがやってきて、話に加わり1時間15ユーロとのこと。

◆マルケージ・ディ・バローロ訪問

今回のピエモンテの旅にワイナリー探訪という目的はあったものの、フォンタナ・フレッダ内のヴィラに泊り、ワイナリー見学を予約していただけだったのが、出発2週間ほど前になって、急にマルケージ・ディ・バローロ訪問の話が持ち上がった。

というのは、同行の弟がよく行く某イタリアン・リストランテで懇意のイタリア人シェフにピエモンテ行きを洩らしたところ、『友達がやっているワイナリーを紹介する』といってくれたからだ。 その話を聞いて「それは有難い」とお願いし、こちらの日程を変えることなくアレンジしてもらった。

初めは、アルバの駅で迎えてくれるというような話もあったが、いずれにしてもタクシーを使うため、また心苦しいこともあってアルバから秘書の方へ電話をし、11時にお邪魔することにしていた。

◆グリンツァーネ・カヴール城の大展望

バローロまで30分くらいしかからないようだったので、まずフォンタナ・フレッダのヴィラに荷物を預けてから行くことにした。9時半すぎに出て10時にはフォンタナ・フレッダに到着。ここは位置的にはバローロ村の東。広々としたワイナリーで、さすがイタリア統一初代国王ヴィットリオ・エマヌエーレ2世の狩猟区だったところだけある。 Barolo フォンタナ・フレッダ 案内板 Barolo フォンタナ・フレッダ 建物

まだバローロに行くには早すぎるということでどこに寄るかはブルーノさんに任せた。

車は一旦アルバ方向へ戻り、小さな町(Diano d’Alba)の中を抜けて丘を登り始める。登りきったところが丘のてっぺん。眺望のいいカステッロだ。

このカステッロがグリンツァーネ・カヴール城であることをあとで知る。 360度の大パノラマ、見渡す限りのぶどう畑。晴れていることもあって素晴らしい景色だ。 Barolo グリンツァーネ・カヴール城からの眺望② Barolo グリンツァーネ・カヴール城からの眺望③

『あの山の上の町がLa Morra、足元のあそこがさっきのフォンタナ・フレッダ、その先がバローロ村』、ぐるっと向きを変えて『あの方向がアルバ』といろいろ教えてくれる。

このグリンツァーネ・カヴール城は今ワイン展示館になっていてブルーノさんが先に立って中に案内してくれる。ワインを造るために昔使われていた道具が展示されている。 Barolo グリンツァーネ・カヴール城②  Barolo グリンツァーネ・カヴール城 ワイン展示館④   Barolo グリンツァーネ・カヴール城 ワイン展示館⑤

コルク打栓機やら何やらいろいろなものがある。ぶどうを絞るものなのかかなり大きな器具もある。展示館というよりは博物館といった方が正しいかもしれない。

奥の方にはエノテカやみやげ物の売店が併設されている。ここでトリノの名物チョコレート、ジャンドゥイオッティを見つけ、買おうか迷ったが荷物になるので予定通りトリノで買うことにして展示館をあとにする。 Barolo グリンツァーネ・カヴール城 ワイン展示館⑦

Barolo グリンツァーネ・カヴール城 ワイン展示館⑥

◆ Marchesi di Barolo

うまく時間調整を兼ねた観光をしたおかげでちょうど11時にMarchesi di Baroloへ到着。

『2時に迎えにきて欲しい』というと、『食事をするならば、そのあと村の観光を含めて3時だ、イタリアでは食事に時間をかけるのだから』と返された(結局食事だけで3時になってしまったからブルーノさんの見通しに脱帽!)。

フォンタナ・フレッダとは対照的で道路に面した入口、幅もそれほど広くない。すぐ左に売店があり、弟が中に入って秘書の方を尋ねると若い女性が出てきて「彼女は今いないけど自分が対応することになっています」、「コーヒー飲みますか?」(全部流暢な英語)。「はい」と答えると正面2階のテラス席に案内され、エスプレッソをご馳走になる。

そうこうしているうちに若い男性(日本人?)があらわれ、日本語で『すみません。遅れてしまって。案内をするCです。在日の韓国人です』と挨拶された。最初は本当に我が同胞かと思ったが、この挨拶を聞いて納得。

彼がワイナリー工場を案内してくれることになった。彼は、東京育ちで三重県でぶどう作りを手伝い、その後自分でワインを造りたいという希望をもってイタリアに勉強にきているとのこと。アルバに住んでいてアルバの専門学校に学んで4年目だという。勉強しながらこのワイナリーでも修業をしているようだ。

◆醸造場とセラーを見る

まず、階段を下りて広場のぶどうをトラックから降ろしてから地下へ降ろす機械を見せてもらう(帰るころには丁度この作業を実際にやっていた)。

Barolo マルケージ・ディ・バローロ ぶどう積み下ろし

● ぶどうを実・たねと枝に分ける。

● 35度まで発酵させる(それ以上温度が上がると糖がアルコールに変わらなくなる)。

● 大きなステンレスタンクで1次発酵

● コンクリートタンクで熟成

Barolo マルケージ・ディ・バローロ タンク③

Barolo マルケージ・ディ・バローロ タンク④  ● 150年前から使われているクロアチア、スラボニア産の大樽で熟成させる(全部で2万本分の18,500リットル)。

Barolo マルケージ・ディ・バローロ 大樽① Barolo マルケージ・ディ・バローロ 大樽に紋章

● バリック樽 真ん中の栓を開け、減っていれば足す。 このバリック樽は使い捨てで1個600ユーロもするという。小さな樽なのでカーヴをつけるために焼くが、それが香りの元だということを知った。

Barolo マルケージ・ディ・バローロ バリック樽②

● ボトル詰めを800m離れた場所で行うのでそこまでパイプで流す。

Baroloは木樽で2年以上熟成しなければならず、BaroloRiservaは5年だそうだ。だから一番新しくても5年前のヴィンテージということになる。 このようなことを醸造場の中を行ったりきたりで説明してもらう。何せ、日本語でしかも3人に対しての説明だから本当にありがたい。

さらに奥に進むとワイン・セラーがある。ここにはヴィンテージ順にボトルが寝かされている。温度は醸造場よりも低くコントロールされているのが実感された。 1番古いのは1859年もの。ほかの年代ものと一緒に小さな格子扉のケースに立てて保管されている。

Barolo マルケージ・ディ・バローロ セラー 年代もの

Barolo マルケージ・ディ・バローロ セラー 1859年もの

それ以外は棚に年度ごとに置かれている。我々3人はそれぞれ生まれた年のボトルを手にして写真をとりあう。めったにできない経験だ。

バローロの歴史の中で素晴らしい年は10年あるという。1922年、1931年、1947年、1964年、1971年、1978年、1989年、1997年、1999年、2000年。張り出されているポスターに年度順に評価が書かれていてこれらの年は”OUTSTANDING VINTAGE” だ。 Barolo マルケージ・ディ・バローロ ヴィンテージ表②

その中で年代ものの1つを手にして『これは売っているんですか?』と訊ねると、『パオロに頼めば買えるかもしれませんよ』とのこと。買えるとしても相当するのではないだろうか?恥をかくのでお願いはしなかった。

◆当主とのランチで楽しいひととき

ひととおりの見学を終え、売店に戻る。ランチには当主のパオロさんがお見えになるということで売店奥の大きなテーブルに案内された。ちょうどその場所からガラス越しに地下の樽が見える。

まもなくパオロさんがお見えになり英語で挨拶、スプマンテが出てくる。てっきりそのテーブルで食事かと思ったら『リストランテへ』と2階に案内される。

奥のテーブルにゆったりと4名が座る。パオロさんの右隣には弟、左隣には兄、正面には自分という位置関係。ガイド役のCさんは、今度はカメリエーレ役だ。

我々にとっては観光だが、招待を受けたということでお互いビジネスランチのようなもので話題のキャッチボールをしなければならないがここはアレンジ役で英語に強い弟に任せることにした。あとはたまに合いの手を入れるくらい。それにしてもワインで世界を股にかけるビジネスマンのパオロさんは英語が流暢でつまるようなことはほとんどないし、イタリア語なまりも全くない。ということで片言のイタリア語を使わないですんだ。

さて、肝心のワインと料理。あまりに美味しかったのと話が弾んでいたこともあってあまり詳しく覚えていないが次のようなものだった。

前菜はいわば郷土料理、子牛の生肉を少しあぶったカルパッチョ(3切)、ツナのソース添え。

Barolo マルケージ・ディ・バローロ 前菜① 次も前菜、テリーヌのようなものだが材料不明。固くなくフワッとしている。これもソ ース添え。Barolo マルケージ・ディ・バローロ 前菜テリーヌ② プリモはラヴィオリ、サルビアとバターのソース掛け。

Barolo マルケージ・ディ・バローロ ラヴィオリ チーズ3種、真ん中にこの地方のCogna(チーズにつけるジャム、ワインから作られている)。 デザートはパンナコッタとカカオのケーキ。

ワインは料理にあわせ、またグラスが空になるとカメリエーレ役のCさんがどんどんサーヴしてくれる。

Dolcetto d’Alba (MADONA di COMO) 2005 Barolo(CANNOBI) 2001 (CANNOBIというのはぶどう畑の名前でバローロの中でも最高級) Moscato d’Asti (デザートワインとしてBarolo マルケージ・ディ・バローロ 前菜に Dolcetto d'Alba 2005

Barolo マルケージ・ディ・バローロ CANNOBI 2001 意外だったのは食後のカフェをパオロさんは飲まなかったことだ。

楽しい食事を終えたところでパオロさんからお土産をいただく。私と兄にはバローロのグラッパ、弟は紹介者の友達ということでバローロ、しかも例のCANNOBIのマグナム・ボトル。山形の焼酎を差し上げただけのが申し訳ないくらいだ。

パオロさんは「予定があるから」といって14時40分席を立つ。我々は下の売店に行き、店内を見ている間に食事中パオロさんにお願いした1999年のバローロが2本づつ箱詰めされて用意された(これは購入)。

◆バローロ城へ、そしてラ・モッラへ

15時ちょうどに駐車場でブルーノさんと落ち合いバローロ城へ。このお城もエノテカ・レジョナーレとなっている。本来、車は入れないようだがブルーノさんが一言言って入口近くまで連れていってくれた。展示室やらテイスティングの場所もあったがエノテカを見るだけにとどめる。

あとは本日の宿、朝立ち寄ったフォンタナ・フレッダへ行くだけだがブルーノさんが気をきかし、午前中のグリンツァーネ・カヴール城から見えたLa Morraに連れて行ってくれた。

今度はここから、バローロ、フォンタナ・フレッダ、アルバを見渡す。天気がいいこととブルーノさんに感謝、感謝。ここにもエノテカ・レジョナーレがあるが休み。すぐそばにサン・マルティーノ教会がある。

Barolo ラ・モッラからの眺望②

Barolo ラ・モッラからの眺望④

Barolo ラ・モッラ サン・マルティノ教会①

Barolo ラ・モッラ鐘楼 ◆ヴィラ・コンテッサ・ローザ

ここからはフォンタナ・フレッダまですぐだ。16時にヴィラ・コンテッサ・ローザ前に到着。ブルーノさんはメモと鉛筆を取り出し、朝からの動きを書き出して一つづつ足していくと95ユーロ。1時間15ユーロとの関係は?と思うが言い値で払う。

続いて『明日は何時にどこへ?』と訊かれ、『ブラへ直行する』と答え、交渉して40ユーロに決めた。これだって簡単ではない。『タクシーはアルバからくる、アルバに戻り列車に乗れば一人10ユーロはかかる。だから・・・・』と攻めてくるのを『アルバからブラまでの運賃はそんなにかからない云々』と対抗、上記に落ち着いたものだ。

このヴィラはホテルというより、ゲストハウスと称するだけあって、建物の端に入口があるものの小さな机があるだけでフロントもなく朝と同じくひと気もない。部屋へどうやって入ったらいいかわからずうろうろしていたら、すでにチェックインしていたらしいカップルが『部屋のドアに鍵が差し込んである』と教えてくれた。入口わきの2部屋だった。

しばらくベッドに横になりまどろむ。19時前に相棒と二人であたりを散歩。

Barolo フォンタナ・フレッダ 夕暮れのぶどう畑

ついでに予約していた翌日のテイスティング・ツアーの終了時刻を確認しに行く。タクシーが迎えにくる時間には十分間に合う。

さて、夕食。これはヴィラ内のリストランテをメールで予約していた。時間は20時、場所は隣の建物だ。ランチでお腹一杯だったので一向に満腹感がおさまらない。

Barolo フォンタナ・フレッダ リストランテ入口②

時間になったので隣の棟に移動、階段を上がったゆったりとした部屋に我々だけのテーブルがセッティングされている。天井からはシャンデリア。昔日の愛妾の部屋か?と、ふと思ったのはこのヴィラがヴィットリオ・エマヌエーレ2世が側室とした女性のためのものだったのでは・・・

Barolo フォンタナ・フレッダ リストランテ

Barolo フォンタナ・フレッダ リストランテ シャンデリア②

料理はメールのやり取りでトップワイン5種類つきのお任せにしていたが、郷土料理ということなのか、Marchesi di Baroloでご馳走になったお昼とほとんど同じだ。

しかも、まだまだお腹がすいていない状態で、食欲もなく折角のワインもなかなか進まない。完食できたお皿は一つもなくセコンドなどはサーヴされる前に断ってしまうほど。お店の人には申し訳ないことをした。

◆朝の散歩

朝食後、園内を散歩する。バルバレスコのPIAZZOとは比べ物にならないとんでもない規模の大きなぶどう畑のようだ。すでに小型トラックに積まれたぶどうが売店手前の集荷場に何台もやってくる。

道路をはさんだ反対側、すなわちヴィラの並びにはピンク色の小さな教会があり、その手前、門に近い方には季節労働者のためのものなのか宿泊棟が何棟か建っている。

Barolo フォンタナ・フレッダ 教会

Barolo フォンタナ・フレッダ ぶどう畑

ぶどう畑もすぐ側まできている。 フォンタナ・フレッダの語源となった池は逆にちょっと奥の方だ。くるみの木が多い。もう泉は出ていないようだが名残の祠がある。

Barolo フォンタナ・フレッダ 祠

Barolo フォンタナ・フレッダ くるみの木

 

◆ワイナリー・ツアー

昨日、Marchesi di Baroloでじっくりと見学、説明を受けていたので本来ここでは必要ないはずだけれど、Marchesi di Barolo訪問が決まる前に予約していたため予定通り参加(3種類のワイン・テイスティング込みで一人8ユーロ)。

ツアーは10時からだが、9時45分集合なのでその前にチェックアウトをしておこう。フロントには相変わらず誰もいない。2階の食事を準備していた場所で訊くと、外の事務所だという。9時半に事務所に行くとワイン・ショップだという。とりあえず荷物を預かってもらい、ワイン・ショップへ。

ワイン・ショップで待っていると昨日部屋の鍵のありかを教えてくれたカップルが一緒。昨晩、食事の際に何かと説明してくれた若い男性がツアー・ガイドだ。彼はフォンタナ・フレッダの由来から、とうとうとしゃべる。もちろん、Marchesi di Baroloとは違って英語だ。中々ワイナリーの中に入れない。

年間生産量は6万本、そのうち4万本がスパークリング、残り2万本がワイン、その80%が赤、20%が白。大きな木の樽の産地はMarchesi di Baroloと同じくスラボニア産、小さなバリック樽はフランス産のオーク、これは3年使うという。毎年新しい樽を使うよりはコストがセーブされるということなのだろう。

Barolo フォンタナ・フレッダ 熟成中の樽

Barolo フォンタナ・フレッダ バリック樽②

これ以外にも、というよりこれをはるかに超える説明を受け、見学を終え、細い地下道をくぐり抜けるとワイン・ショップの下に出る。そのまま上がり、ワイン・ショップのバールで試飲。セラーの中で樽から取り出したワインを味見するようなことをイメージしていたのでちょっとがっかり。テイスティングは3種類だ。

● シャルドネ

● Diano d’Alaba, LA LEPRE

● Barbaresco, COSTE RUBIN

赤は 、あとのほうがどっしりとしていてまろやかで美味しいように感じた。 Barolo フォンタナ・フレッダ テイスティング① Barolo フォンタナ・フレッダ テイスティング② Barolo フォンタナ・フレッダ テイスティング③Barolo フォンタナ・フレッダ テイスティングのあと テイスティングは10時50分終了、事務所で荷物を受け取るとまもなくブルーノさんのタクシーが約束の11時きっかりに現われ、一路スローフード運動の町、Braへ向かう。

◆泊まる&食べる ホテル Villa Contessa Rosa, Via Alba15, Serralunga d’Alba, http://www.villacontessarosa.com/ Fontana Freddahttp://www.fontanafredda.it/内のゲスト・ハウス

Barolo フォンタナ・フレッダ ヴィラ・コンテッサ・ローザ Twin 100ユーロ、Single 80ユーロ、ネット上の旅行記で知りHPからメールで問い合わせて予約。

ホテル内リストランテ お任せコース、料理5品とそれに合わせた5種類のワイン。一人50ユーロ。メールで予約していた。

パルミジャーノとサラミ盛合せ

アンティパスト 牛肉のカルパッチョ、ツナ・ソース添え さらに フワッしたテリーヌ

Barolo フォンタナ・フレッダ テリーヌ

プリモ ラヴィオリ

セコンド 兎の煮込み

Barolo フォンタナ・フレッダ 兎の煮込み デザート ティラミス、桃スライス添え

Barolo フォンタナ・フレッダ ティラミス

カフェ

ワインは、食前酒、白、赤(Nobbiolo、Barolo)、デザートワインの5種類

◆買う Barolo, Marchesi di Barolo, 1999  2本、28ユーロ×2

Barbaresco (バルバレスコ) 2006/9/11~12

Barbaresco (バルバレスコ) 2006/9/11~12

◆いざ、ワインのぶどう畑へ

アルバのホテルでチェックアウトとともにタクシーを頼んだ。アルバにはタクシーが十数台しかないと聞いていたが10分足らずでプジョー607が迎えに来てくれた。

Barbaresco ブルーノさんのプジョー607

ホテル前の道路(トリノ通り)を左に向かう。

そのうち左折してくねくねとぶどう畑を進む。ドライバーのブルーノさんはそう話す方ではないが、ところどころポイントだけは説明してくれる。いわく『あと10日で摘みはじめる。ここはGajaの畑だよ。これはネッビオーロ、あれはマスカットだよ。』などなど。 20分ほどでバルバレスコ村に着き、プジョーはかの有名なGajaの前に止まった。

Barbaresco GAJA

 

道路の両サイドに建物はあるが、その裏側はなだらかな起伏のもうすべてぶどう畑だ。

Barbaresco ぶどう畑①

 

◆エノテカ・レジョナーレ

ここバルバレスコ村では《バローロ》の弟分といわれる《バルバレスコ》が作られている。

我々の目的はエノテカ・レジョナーレ(その土地のワインが展示即売されている州立の施設で当然試飲もできる)で試飲することだった。

エノテカ・レジョナーレはかつて教会だった建物だとガイドブックに書かれていたので上の教会をエノテカ・レジョナーレと思い込んで登る。これが本物の教会(サン・ドナート教会)だったので、右手の試飲をさせる店がそうなのかなぁと入ってみたがどうも違うようだ。お店の人に尋ねたら『下におりたところの教会の建物ですよ』。全くの逆方向だった。

エノテカ・レジョナーレに入って左側の一角が試飲コーナー。一杯1.5ユーロ。

6種類のバルバレスコがカウンターに出ている。そこから選ぶことになるのだが試飲代は同じでももとの値段は当然違うはず、何とか高いのを注文したいものだと思って選ぶ。美味しかったが飲み終えてから陳列棚を見ると大半が17.5~20ユーロ、1種類だけ37.5ユーロの良いバルバレスコ。私と弟はいわば普通レベルだったが、兄は運良くこの高級ワインを飲んだことになる。

Barbaresco エノテカ・レジョナーレ

Barbaresco エノテカ・゙レジョナーレ陳列

 

◆アグリツーリズモ

目的を果たし、ぶどう畑の中を予約しているアグリツーリズモへ向かってもらう。レンタカーを借りないでよかった。こんなところ道がまったくわからないから。

20分足らずでぶどう畑のど真ん中にある本日の宿Casina Barac に到着。ブルーノさんからは40ユーロ(約6,000円)請求された。「まっ、ちょっと高いけどしようがないな」と思い払う。『また、連絡してくれ』ということで名刺を渡される。

そうこうしているうちにホテル・オーナーが出てきて、『明日は?』、『明後日は?』という話になり明日9時半に迎えに来てもらうことになった。

Barbaresco Cascina Barac

 

さて、アグリツーリズモ、日本でいえば農家の民宿みたいなものだろうが建物はそう大きくないもののロッジ風で立派だ。オーナーのアルビーノ氏に案内されロビーの応接ソファーに座らされ、いろいろと英語で質問される。

それが終わったら、『赤がいいか、それとも白がいいか?』と尋ねてきたので『赤がいい』と答えると、我々と自分用に大きなワイングラスを用意し、注いでくれた。こんなチェックインなら大歓迎だ。

飲みながらまた質問、『仕事は何だ?』、『明日以降はどこへ行く?』。『バローロ、そしてブラ、トリノ』というと、『“ブラ”ではない、“ブラァ”』とアクセントを直される。ゲストなんだか生徒なんだか分からない。

そして意表を突かれた極めて重大な質問、『今日の夕飯はどこで食べる?』。『もちろん、ここで(メールで1泊2食と予約していた)』。『今日はうちではないよ。アルバ市内へ行く?』。 「アルバ市内へ食べに行くくらいならわざわざこんなぶどう畑には泊まらないよ」と思いつつ、『この近くには?』と訊くと『2軒あるけど、歩いて行けるところは家庭料理、もう1軒の方がエレガント、車で送り迎えするけど』。後者を頼みさっそく電話してもらったが残念ながら満席とののこと。

次の選択肢はバルバレスコ村のAntineだという。「エッ?さっきまでいたあそこまで戻る?」と一瞬思ったが、実はアルバからでも行きたかったミシュラン1つ星のリストランテ、うなづく。ここは予約できた。

部屋の鍵をもらう前にもう一つ、予期せぬ質問、『ワイナリーをやっている。テイスティングできるがどう?』。これは有難いお言葉、この宿ではほかに夕食までやることもないし渡りに舟とばかりにお願いした。

◆テイスティング

部屋に入り、一休みしてから建物から出てぶどう畑を下りるような形でワインセラーの方へ行く。

向こうからジーンズをはいた実直そうな男性が待っていたかのようにやってきて『フランコです』と手をのばしてくる。こちらも名乗り握手をした。彼がワイナリーの当主だ。

そのまま彼について行き右手の建物に入り、テイスティング開始。 まず、シャルドネ。フランコ本人が注いでくれる。 説明はすべて英語。この地方の人、とりわけワイン・ビジネスに携わる方々は商売上英語を普通に操れることが必須のようだ。

こちらは必死についていく感じだ。 日本でもデパートなどでテイスティングさせることがあるがちいちゃな容器でほんのちょっとだが、ここでは普通のワイングラスにそこそこの量だ。

シャルドネ(Chardonnay)のあとは

Dolcetto D’Alba, SCALETTA

Barbera D’Alba, MUGIOT

Barbaresco, Riserva 2001

Barolo と次々にテイスティングし続ける。

Barbaresco Piazzoのテイスティング・ルーム

Barbaresco Piazzo テイスティング

 

Barbaresco Piazzo シャルドネ

Barbaresco Piazzo バローロ

Barbaresco Piazzo バルバレスコほか

自家製だというサラミまでつまみとして出してくれ、テイスティングなのか飲み会なのか・・・・あっという間に1時間経ってしまう。

世界各国に輸出していて、日本ではかつては成城石井が取り扱っていたそうだ。最初のころはコンテナ1本分、今は年間2000本だという(生産能力は50万本だから日本向けは微々たるもの)。

ここで3人とも1本づつ買ったのだが、兄が帰国してから家族で飲んだ際、姪が『このラベルのものを成城石井で買ったことがある』と言っていたとのことだった。 フランコの話では、Barbarescoの畑の広さはBaroloの1/3 、だから知名度が低い、Barbarescoは自分のところでは7,500本、ラベル枚数で制限されているそうだ。

Barbaresco Piazzoのぶどう畑②

Barbaresco Piazzo ぶどう畑⑤

Barbaresco Piazzoのぶどう畑①

Barbaresco Piazzo ぶどう畑⑦花

 

ビジネスとしてはなかなか楽ではない印象を受けた。

◆ミシュラン1つ星でチェーナ

19時半にアルビーノがバルバレスコ村まで車で送ってくれることになっていたので外の庭の椅子でぶどう畑を眺めながら待つ。少し肌寒くなってきたので重ね着をするために部屋に戻ったりする。そのうち、ようやく夕暮れ。彼がなかなか現われない。20時半ごろ、奥さんと一緒に戻ってきた。『すまない、すまない』と言ってたようだが、そのままバルバレスコ村まで送ってくれた。

もうあたりは暗いがぶどう畑の丘陵地帯を登って行く。道は幾重にもカーブしている。トレイーゾを通り過ぎ昼過ぎにいたバルバレスコ村に着いた。 「帰りはどうするのだろう?迎えに来てくれるのだろうか。」など考えていたがAntineの前で止まったとき、アルビーノから『帰りはタクシーを呼ぶように』と軽く言われる。

我々が着いたことを気づいたのだろう、リストランテの女性が出迎えてくれた、さすが一つ星は違う。ゆったりとした階段を上がり、2階に上がってすぐのテーブルへ案内された。どういう席の配置になっているのかあまり他のテーブルは目に入らない。

メニューを渡され、2種類のコースから選ぶことにしたが昨日ヴォリュームが多かったので4品からなるピッコロ・コースにする(この判断は正解だった)。 食事に入る前に食前酒をすすめられる。ついでアミューズ、これはひよこ豆にトリッパのスープ、オリーブオイルの味がいい。

Barbaresco Antine ひよこ豆のスープ

アンティパストはハムのような肉をミルフィーユのように重ねたものとマッシュポテト。これをバジルのソースにつけて味わう。

Barbaresco Antine 前菜

 

 

プリモはリゾット、真ん中に卵の黄身。米は芯があるというほどではないがほどよい固さでしっかりしている。

Barbaresco Antine リゾット②

セコンドは兎の煮込み(前の晩の馬肉と同じような味)、ローズマリー、月桂樹の葉がポレンタに添えられている。ここでお腹が一杯、しかも時差ぼけで眠く、途中でギブアップ。

Barbaresco Antine 兎の煮込み

しかし、これでは終わらない。口直しのジェラート。アーモンドの実を粉にして固めた台にジェラートだ。ついで本物のドルチェ、いろいろな木いちごに生クリーム、中にまたジェラートだ。

Barbaresco Antine ドルチェ②

ここでタクシーを頼む。最後はエスプレッソで締めるがこの時小さなクッキーとチョコレートの盛合せが出て来た。

ちょうどエスプレッソを飲み終わり、お勘定をすませた時にタクシーが来た。もと来た道を、真っ暗な中をくねくねと走り約15分で帰還。ドライバーは太った恐そうな第一印象だったがCascinaBaracのゲートを開けてあげた際は「ありがとう、おやすみ」と言ってアルバの町へ帰っていった。

 

◆泊まる

ホテル Cascina Brac, Frazione San Rocco Seno d’Elivio, 40

http://www.barac,it

ワイナリー ピアッツォ社のオーナーの娘(多分次女)夫婦が経営、我々を迎えてくれたアルビーノはこのご主人。ワイナリーの方も娘(多分長女)夫婦が経営、社長のフランコ氏はアルビーノの義兄にあたる。 Twin 95ユーロ、Single 75ユーロ、ガイドブック(『麗しの郷ピエモンテ』)に掲載されていたので本文記載の通りインターネットで予約。

Barbaresco Cascina Barac 室内①

Barbaresco Cascina Barac 部屋の名前(扉)

我々が泊まった部屋の名前は“Vigna Giaia”でピアッツォ社のバルバレスコの畑の名前から取っているようだ。 朝食はやや肌寒い外のテーブルでぶどう畑を眺めながら。チーズ、サラミ、生ハムが美味しかった。

◆食べる

●お店の名前 Antine,via Torino 34/a,Barbaresco 食べたもの 本文の通り。ピッコロコースは1人35ユーロ(もう1種類は45ユーロ)。 ワイン   Barbaresco, CARLO GIACOSA, Narin 2003 (28ユーロ)

Barbaresco Antine バルバレスコ②

食前酒(3ユーロ)、水、エスプレッソ、チップ込み3人で161ユーロ。ミシュラン一つ星でも高くない、むしろ安い。 ワイナリーGAJAのすぐ隣だったような気がする。

 

◆買う ワイン Baroro. Piazzo 18.5ユーロ  http://www.piazzo.it

Alba (アルバ) 2006/9/10~11

 

Alba (アルバ) 2006/9/10~11

◆ 行く
数年前のNHKテレビのイタリア語会話でアレッサンドロという青年が高校を卒業して北イタリアを自転車で旅するというのがあった。その主人公が旅立つ町(故郷)ということで初めてアルバの地名を知った。
アルバはピエモンテのワイナリー巡りをするには要の町。計画段階では2~3泊するつもりだったが、ワイナリー巡りをするなら市内だけではなくワイナリーのまっただ中にも泊まらなければ、と思い結局1泊だけになってしまった。

アスティでの半日観光を終え17時15分の電車に乗る。新型車両だが、エアコンが効きすぎ寒いのでジャケットを着る。
進行方向右手はなだらかな丘陵地帯。ぶどう畑が圧倒的に多い。天気がいいのでぶどう以外の木々の緑が目にしみる。
ネイツァの駅をすぎてすぐトンネルに入る。トンネルを出ると今度は左右一面ぶどう畑だ。
丘陵地帯のいわば谷間を列車が進む。また、トンネル。次々にトンネルを出たり入ったりでアルバに近づく。
定刻より少し早めに到着。

駅を出るとタクシーが2台止まっていたがホテルはそう遠くなさそうなのでスーツケースを引っ張って歩く。サマータイムの18時、しかも晴天とあってまるで昼間のようだ。
駅に面した広い道路の歩道を進みもっと広いトリノ通りを左折、ほどなく予約していたホテルに着いた。

◆ リストランテを探す
まだまだ明るいのでとりあえず町の雰囲気をつかむためと例によってリストランテ探しに飛び出す。

ホテルを出て先ほど来た道を戻る。駅からの通りの方には曲がらず信号を渡って直進する。それがカブール通りでそこからは旧市街。まっすぐの方向に二つの塔が聳えている。
カブール通りに面したお店は日曜の夕方だけあってほとんどが閉まっている。それでもウィンドウ越しに洒落た陳列を楽しむ。1軒あいている食料品店があって入ろうとしたところちょうど閉めるところだった。
とはいっても通りには散策をする人々が行き交っている。

Alba カヴール通り

 

Alba カブール通りのお店

ドゥオモ(サン・ロレンツォ大聖堂)の前まで行く。赤っぽいレンガでどっしりとした感じがそばで見るとさらに強まる。ドゥオモの前のリソルジメント広場は広い。

Alba ドゥオモ
この広場の手前、ドゥオモに向かって右にメインストリートのヴィットリオ・エマヌエレ通りがあったがあまりの狭さに驚いた。しかし、あとで分かったがこの通りは何らかの意図があったのか段々と広くなっていき、サヴォナ広場へと続く。

Alba サヴォナ広場の噴水
このヴィットリオ・エマヌエレ通りの両サイドにはいろいろなお店があり、洗練された印象を受けた。

さて、肝心のリストランテ探し。実はこの日は日曜日、アルバのリストランテは日曜~月曜昼定休のところが多い、というのをガイドブックなどで知っていたので真剣に探す必要があったのだ。
まずインターネットの個人サイトで見つけた店を探すことにする。カブール通りを戻り、Casa dei Caféの横を入った広場のバロック様式教会そばのオステリアだ。この教会がサン・ジョヴァンニ洗礼教会、全体にピンクっぽくて可愛いらしい。ファサードには聖母子が描かれている。目指すOsteria dei Sognatoriはすぐわかった。

Alba サン・ジョヴァンニ教会
次に、ペルフィナーチェ通りのOsteria Vento di Langeを目指したが途中の小さな十字路に別の店を1軒発見、候補の一つに加えることにした。というのは外に出ていたメニューのフンギ・ポルチーニのフリット(20ユーロ)に惹かれたからだ。
Osteria Vento di Langeを見つけたあといつの間にかさきほどのヴィットリオ・エマヌエレ通りに出てしまった。そのまま、サヴォナ広場まで行く。
このあたりは結構にぎわっている。通りにカフェのテーブルが出ていて、多くの人がワインを楽しんでいる。さすが、アルバだ。上の部分が広い2段になったグラスでピンクの泡状の飲み物を飲んでいる人が多い。
さて、サヴォナ広場近くにはアルバ一と言われるリストランテEnoclubがある。ここが一番のお目当てだったのだが、出掛けにホテルから電話を入れてもらったが『誰も出ない』ということで予定通り定休か、あきらめきれずに見にきたがやっぱり定休の雰囲気ということで3人の意見が一致。結局最初に見つけたオステリアに決め、帰りがけに寄って20時半で予約をした。

◆ 買う
ヴィットリオ・エマヌエレ通りを戻る途中、ガイドブックに出ていたトリュフの専門店( Tartufi Ponzio)があいていたので立ち寄る。ここ、アルバはトリュフの町。生の白トリュフはまだ時期的に早いがここでしか手に入らないもの、を買うことにした。ご主人に「白トリュフ入りオリーブオイル」をすすめられ、我が家には200ml、長男の家には100mlのものを買う。
旅の楽しみは「買い物」という人が多いが、買い物を楽しんだというよりはとりあえずお土産を一つ確保したという感じの買い物だ。

◆チェーナ
一旦ホテルに戻りシャワーを浴び、着替えてあわただしく出かける。ホテルはガイドブックでは郊外となっていたが旧市街とは目と鼻の先にあり予約した店までもそんなに時間はかからない。

Osteria dei Sognatoriに入ると、奥行きはないものの左の方に広くそちらに案内される。庶民的な感じで、周りを見ても地元の人ばかりのようだ。座った席は一番奥の方だが、その先には引き戸の裏口のような出入り口がある。

Alba Osteria dei Sognatori
四角いテーブルなので一人はその出入り口に背を向けた形で座る。
カメリエーラ(予約をお願いした女性)が注文を取りにくる。まず飲み物を聞かれ、“Vino”というと、“White or Red ?”と返ってきたので“Red”と答えると、次に『ハウスワインかそれとも・・・』と聞いてきたので『ハウスワインではない方』と返す。彼女が銘柄をいくつかあげてきたので『バルバレスコ』と答える。次に水だ。“gas or non gas ?”に対し “gas”。料理については『コースは1種類だけどその内容は・・・・とか何とか』。これはさすがに聞き取れなかったがまぁ出てくるものを食べるだけ、ということで本当にお任せという感じだ(この店は元々メニューがないらしい)。

前菜は4種類。①コッパとパンチェッタ盛合せ、あげパン添え。②ポテトサラダ。③バジル?の入った卵焼きとサラダ。④いわしの塩漬け、トマトソース。

Alba Osteria dei Sognatori コッパ・パンチェッタAlba Osteria dei Sognatori ポテトサラダAlba Osteria dei Sognatori バジル入り卵焼きAlba Osteria dei Sognatori いわし塩漬け
プリモは2種類。①ラザーニャ。②アニョロッティ。実は3種類といわれそれを1つづつ頼みシェアするはずだったのに実際には一人前(日本人の)づつ出てきたので、セコンドまで進むためにギブアップしたのだ。

Alba Osteria dei Sognatori ラザーニャAlba Osteria dei Sognatori アニョロッティ

セコンドは馬肉と兎の肉、3人ともこれも少しづつ残す。我々にとっては珍しい肉だけれど、このあとの旅で何回も出てくることになるとは思わなかった。

Alba Osteria dei Sognatori 馬肉と兎肉
途中ワインが進み2本目を他の銘柄で頼んだが忘れていたらしく催促したらまた同じのが出てきた。
ドルチェはカラメル、ケーキ、チョコレート、ピーチ、それに小さなコップに入ったカフェ。
最後に食後酒。だからイタリアでの食事は楽しみだ。モスカートのグラッパともう1種類(ラベルに”Borgogno”と書いてあった)。『勝手に飲め』、とばかりに二つのボトルを置いていく。

Alba Osteria dei Sognatori 食後酒
満腹になって満足し、23時ちょい前にホテルに戻る。

◆ 見る&買う
朝食を終え、8時半すぎに旧市街へ。月曜朝のカブール通り、ヴィットリオ・エマヌエレ通りは当然人通りが少ない。いざ、いろいろ見始めようとしたら兄が郵便局で留守宅に絵葉書を出したいというのでとりあえず別行動とし、ヴィットリオ・エマヌエレ通りの一角で待つことにした。その間に割と大きな食料品店があったので『ボン・ジョルノ!』と入り、買おうと思っていたベルタ社のグラッパを置いているか訊いたがないとのこと、また通りに戻りすぐ近くのサン・ダミアーノ教会を覗いてみる。ちょうどミサの最中だったのですぐまた表に出て二人を待つ。

今度は”enobibreria”という店に気づく。本屋にワインが置いてあるのか、酒屋が本も売っているのかわからないがそういう感じのお店のようだ。残念なことに月曜午前とあって閉まっていた。

3人揃ったところが昨日のトリュフの店の近く。二人が昨日買ったものと同じものを買いたいということで店も開いていたので入る。今日は息子さんがいる。昨日はトリノにサッカーを見に行っていなかったのだという。『オーグーロはいいプレーヤーだ!』しきりに誉めていた。
ここでは、白トリュフのクリーム、黒トリュフのクリームを買う。彼がパスタソースの作り方を教えてくれた。他に伝統的なアルバのお菓子と探していたベルタのグラッパを買って店を出る。

このあとエノテカを見つけたのでちょっと入ってみた。間口は狭いが両方の壁にはワインがズラーッと陳列されている。何とこの店ではさっき買ったグラッパが3ユーロ近くも安い。奥の方にはジャムやらお菓子やらいろいろな食料品があった。その中にちょうど探していたチーズに添えるコーニャ(Cogna)があったので買う。

 

Alba エノテカ①Alba エノテカ②

ヴィットリオ・エマヌエレ通りのこのあたりには教会がいくつかある。まず、さっき一人でちょっとだけ覗いたサン・ダミアーノ教会にさも初めてという顔をして入る。この教会はバロック様式、内部は落ち着いた感じ、というよりくすんだ感じだ。

Alba サン・ダミアーノ教会
斜め向かい側にはレンガの壁のマリア・マッダレナ教会、中はほぼ円形で外観には似つかわしくないきれいな絵が天井一杯に描かれている。

Alba マリア・マッダレナ教会

Alba マリア・マッダレナ教会 天井画

この教会の裏手にはサン・ドメニコ教会がある。同じくレンガの壁だが、さっきの教会よりは木目細かな壁の色合いだ。平日は団体予約以外は中に入れないようだ。

さらにズンズン行くと昨日見たドゥオモ(サン・ロレンツォ大聖堂)の横に出た。残念ながら修復中でここにも入ることはできない。ALBAという町の名前はこの町を守る四つの象徴の頭文字だそうだ。ドゥオモのファサードの柱部分に向かって左から、天使(A)、ライオン(L)、雄牛(B)、鷲(A)が彫刻されている。正面から左に回りこむと鐘楼が青空に映えてきれいだ。

Alba ドゥオモ 天使

Alba ドゥオモ ライオン

Alba ドゥオモ 雄牛

Alba ドゥオモ 鷲

 

Alba ドゥオモ 鐘楼②

ランチをとる店を探しがてら今度はサヴォナ広場の方へ行きサン・パオロ大聖堂(Tempio di San Paolo)の前に出た。ここにも入れなかったがファサードの両翼が広くて実に堂々としている。

Alba サン・パオロ大聖堂

 

前の広場、サン・パオロは駐車場と化していてちょうど下校時の子供たちを親が迎えにきているようだった。

◆ ランチをとる
狭い旧市街をさまよいながら店を探していたが月曜とあってやっている店は多くはない。一つ目をつけていたピッツエリア、12時すぎに通っても外のテーブル席にはお客が一人もいないのでパス。ドゥオモ近くのカフェには逆に一杯で席がない。難しいものだ。

カブール通りから中に入ってみると1ヵ所外にテーブル席のある店(Trattoria Italiana Aldente)を見つけた。サン・ジョヴァンニ洗礼教会近くの広場の一角だ。ジローラモ似のカメリエーレがテーブルに案内してくれる。テーブルクロスと同じ柄のナプキンが蝶ネクタイのような形でテーブルセッティングされていてお洒落だ。
Alba Trattoria Aldente Alba Trattoria Aldente メニュー

手書きで黒板に書かれたメニューを席の近くへ持ってきて注文をとるスタイル。
前菜を1品シェアし、私と兄はプリモを、弟は野菜サラダにし、ワインはDolcetto、最後にコーヒーで締める。空気がおいしいこともあったのか爽やかな気分で十分満足した。

◆ バルバレスコへ向かう
ホテルに戻りチェック・アウトし、バルバレスコ経由サン・ロッコのアグリツーリズモまでのタクシーを頼む。
計画段階ではレンタカーにしようかとも迷ったが、ものの本によるとワイナリー巡りには道が曲がりくねっていてよくわからないとあったので運転に神経を使うよりは多少費用がかかってもタクシーにすることにした。
ほどなくプジョー607のタクシーが迎えにきてくれ、バルバレスコへ向かう。
このプジョーには結局3日間お世話になった。

◆ 食べる
お店の名前 Osteria dei Sognatori, via Macrino 8, Alba
食べたもの 本文の通り
お任せで1人20ユーロ(あの料理、品数で!激安)
ワイン   Barbaresco, CASTELLENGO CA’ DU LUIN, 2003 (30ユーロ)2本

Alba Barbaresco

料理の値段の割にいい値段、翌日バルバレスコ村のエノテカでは17.5ユーロだったのでちょっと高すぎ。
水、ワイン、食後酒込み3人で120ユーロ

お店の名前 Trattoria Italiana Aldente, via Perinace 1/A, Alba
www.trattoriaaldente.com
食べたもの Vimballo di Carne Cruda (7.5ユーロ)、エビとズッキーニのスパゲッティ(7.5ユーロ)、Gnocchi ap Castelmagno(7.5ユーロ)、季節の野菜サラダ(3.5ユーロ)

Alba Trattoria Aldente エビのパスタ Alba Trattoria Aldente ニョッキ Alba Trattoria Aldente 季節野菜サラダ
ワイン   Dolcetto di Dogliani 2004,La Bruna, Bruno Andoriano (10ユーロ)

Alba Dolcetto

水、カフェ、コペルト込み3人で45ユーロ
勘定するときワインが13ユーロで打たれていたが間違いではないかというとすぐ直してくれた。
◆ 泊まる
ホテル   I CASTELLI, C.so Torino 14, Alba (★★★★) www.hotel-icastelli.com Twin 110ユーロ、Single 90ユーロ

Alba ホテル フロント

 

ガイドブックでは郊外となっていたが旧市街の外というだけ。イタリアでは珍しい近代的ホテル、ホテル内には地元のワインがショーケースで何箇所も展示されている。

Alba ホテル内ワイン展示③Alba ホテル内ワイン展示④

インターネットで直接予約。カード番号を知らせる必要がありFAXしたところご丁寧にメールで再確認してきてハラハラした。
チェックアウト時に記念品としてワインストッパーを貰う。結構重宝している。

◆ 買ったもの 白トリュフ入りオリーブオイル(200ml 24ユーロ,100ml 12,5ユーロ)
白トリュフクリーム(41ユーロ)、黒トリュフクリーム(11.5ユーロ)
お菓子(ヌガーみたいなもの、4.5ユーロ×2)
ベルタのグラッパ(22.6ユーロ)
www.tartufiponzio.com

コーニャ(6.2ユーロ)

◆ 読む
本の名前   旅名人ブックス『トリノ/北西イタリア サヴォア地方』谷克二、邸景一著
日経BP社 1500円
トリノ情報もさることながらアルバやバルバレスコ、バローロのワイナリー巡りの感じをつかむのに大いに役立った。とりわけ、ワイナリー巡りにレンタカーが難しいことを。

Asti (アスティ) 2006/9/10

Asti (アスティ) 2006/9/10

◆行く
アスティはスプマンテで有名な町。是非ここで1泊して美味しいスプマンテを飲もうとピエモンテの旅2泊目として考えていた。次の目的地アルバで市内、郊外のアグリツーリズモ、ワイナリーの中のヴィラに泊まるという計画の中で、夏休みの短い悲しさ、アスティでの宿泊をあきらめ、前泊地のノヴァーラからアルバへの途中半日だけ寄ることにした。

ノヴァーラから9時7分のアレッサンドリア行きFSに乗る。車窓からは田んぼが見える。このあたりはイタリアでも有数のお米の産地らしい。我々日本人には見慣れた水田だが、建物が違ったりして風景はやっぱり外国だ。

Asti NovaraからAstiへ 田んぼ

 

10時19分にアレッサンドリアに着く。ここで乗換える。10時58分、次の駅がアスティ到着。
スーツケースを預けようと思ったが案の定荷物預り所がない。

◆収穫祭のパレード
スーツケースを引っ張って駅の外に出る。ノヴァーラの朝は寒いくらいだったがアスティは抜けるような青空で暑いくらいだ。

駅前の広場(マルコーニ広場)のすぐ先の道路向こうにものすごい人だかり。スーツケースを持ったまま近づくと何やらお祭りのパレードのようだ。

あとでこれが“Festival delle Sagre Astigiane”(「アスティ人の収穫祭」とでもいうのだろうか)ということがパンフレットで知ったが、初めは直感的に「農業まつり」なのかなぁと思った。
最初に見えたのはトラクターだ。そのトラクターには少し時代がかった服装の農民が乗り、後ろの台車(ここには高さ5メートルほどの木が生えているように積まれている)を引っ張っている。最初はこれだけかと思っていたが何台もあるようだ。

Asti 収穫祭 パレード②

Asti 収穫祭 パレード④ Asti 収穫祭 パレード⑥

 

駅前広場にあった地図でインフォメーションの場所を確認していたが、とにかく邪魔な荷物をそこで預かってもらうしかない我々としてはこのパレード見物を適当に切り上げ、先を急ぐ。
前方右手にかなり大きな公園(カンポ・デル・パリオ広場)が見えるが道路に面したところにはいろいろな露店が並んでいてそこもものすごい人出だ。荷物を持って前進するのが大変なので一段下がったグラウンドのような広場に下り突っ切って広場の北側、ルイージ・エイナウディ通りへ出る。
と、そこにもパレードが・・・。
今度は台車にはケージごと鶏が登場する。中には小学生くらいの子供が乗っていたりしている。とにかく延々と続いている。少し途切れたところで通りを横切り、目の前の建物の裏側にあるはずのインフォメーションを探す。そのインフォメーションの入口手前には何と観覧席が設けられている。ここは三角形のヴィットリオ・アルフィエーリ広場の一角で、あとでわかったがこの広場がパレードの最終場所だった(臨時に設営された観覧席は有料のようだ)。

インフォメーションに入ると何人も係の人を待っているようだったので、置いてあるパンフレットなどを眺めて待つ。そのうち声を掛けられたので『15時ころまで荷物を預かって欲しいのですが』というと快く応じてくれた。

◆見る
身軽になってアスティ観光スタート。インフォメーションでもらった地図を眺め、自分たちがいる場所がヴィットリオ・アルフィエーリ広場を三角形の底辺だとすれば三角形の頂点の先にあるトロヤーナの塔が近そうだ。

収穫祭で人出が溢れんばかりにすごいがパレードを見ながらその中を進みヴィトリオ・アルフィエーリ通り(かなり大きな通りだ)を渡る。地図にしたがい左斜めの通りに入るとすぐに塔が見えた。

Asti TorreTroyana②

 

塔は小さな広場(メディチ広場)に面していてすっと聳えている。
さて、入ろうとしたが入口がわからず行ったり来たりするがどうやら塔の後ろの方に階段で下に降りるしかなさそうだ。一人椅子を出して座っている若い男性がいたがどうもそのあたりしか考えられない。降りて行くとその椅子の後ろが入口だった。
中に入ると男性二人が切符売場(というほどではないが)にいる。入場料(1人2ユーロ)を払い、パンフレットを貰って階段を上がる。四角い内部の壁にとりつくような木造の階段だ。結構きつい。
パンフレットによれば、13世紀後半に造られ、高さは一番上の階まで36.3m、てっぺんの越し屋根まで44mもある。しんどい訳だ。最上階からは360度のパノラマ、アスティの市街が良く見えた。写真を撮るが金網が邪魔でうまいアングルで撮れない。

Asti TorreTroyana内部

Asti TorreTroyanaの眺望
疲れた顔の記念写真を撮ってさっき上ってきた階段を戻る。

トロヤーナの塔の次はカテドラーレに向かう。両側から建物が迫ってくるようなカテドラーレ通りに入ると正面に鐘楼が見えてくる。

Asti カテドラーレ①

 

鐘楼にぶつかり左に折れるとその先がちょっと広いカテドラーレ広場だ。広場から見えるカテドラーレは右に鐘楼を従えかなり間口の広い建物だ。ピエモンテ・ゴシック様式というこの建物のファサードは入口扉の部分だけ装飾があり、それ以外の正面外壁は装飾も何もなくシンプルだ。

Asti カテドラーレ③

Asti カテドラーレ⑤
ファサードの扉の上には《受胎告知》の場面が左に大天使ミカエル、右に聖母マリアが描かれている。

Asti カテドラーレ⑥
中に入ったのはちょうど正午、ミサが始まったところのようだ。
ざっと見渡すと3廊式で両側に5本の柱、一つ一つがまたいくつかの柱がくっついたような形だ。バラ窓に陽があたって綺麗だ。ミサの最中なのでそれ以上の見学を遠慮して外に出る。

カテドラーレ広場からまっすぐ南に向かうとカイロニ広場に出た。この広場に面している通りがさっきのメインストリート、ヴィトリオ・アルフィエーリ通りのようだ。右へ曲がりこの通りを西に進むと左側にトッレ・ロッサ(赤の塔)が見えた。トロヤーナの塔は四角いがこの塔は何角形なのか、なんとなく丸いように見える。塔は3段に分かれているが下の2段は赤いレンガ、一番上が白い壁の中に赤いレンガがはめ込まれているようだ。どっちのせいで「赤」というのかは分からない。隣の建物はサンタ・カテリーナ教会だ。

Asti トッレ・ロッシ(赤の塔)

 

来た道をUターンし戻るが、途中さきほどのカイロニ広場をすぎたあたりにぶどうとカラフェが描かれたゲートが目に入ってきた。しかもワイングラスの入った袋を首からぶら下げている人たちを見かける。何かワインのイベントかなぁ、と思いゲートと同じ看板のある門に入ってみた。門から中庭にかけて真っ赤な絨毯が敷かれていてそのまま建物に吸い込まれるようにして中に入る。長い大きなカウンターの手前にレジがあった。どうやらそこでお金を払ってワイングラスを受け取り、いろいろなワインを試飲できるようだ。カウンターの先にはつまみや簡単なパスタなども用意されている。ここで試飲したかったが昼食でアスティ・スプマンテを美味しく飲むためにじっと我慢して中を一回りして出る。あとでこれは”Salone Nazionale di Vini Selezionati”(「全国優秀ワイン展示会」とでもいうのだろうか)というものだと知った。

Asti ワイン展示会のゲート

Asti 全国優秀ワイン展示会

◆期待はずれのランチ
さて、待望のランチだ!ということでメインストリートやその裏の路地で店を探すが、ない!ない!日曜だからなのか、お祭りだから休んでいるのか見つからない。
先ほどのトロヤーナの塔へ行く途中、パレードを見ながら歩いていたときにテーブルが外に出ていた場所を思い出し行ってみた。お店の人が何とかテーブルを用意してくれたが居心地の悪い場所で、しかもメニューにはピッツアと定食しかなく、また注文も取りにこないので止めることにして別の店を探すことにした。

段々と駅の方に近づいたところで1軒の店を見つける。混雑していたがちょうど外のテーブルがあいたのでやむなく妥協して座る。もうお腹がすいてどうにもならないからだ。
しかし、ここもなかなか大変な店でテーブルを片付けにこないし注文をとりにもこないが、ひたすら我慢。多分年に数回あるかないかの人出でお店の方もてんてこまいなのだろう。
こ洒落たリストランテでキーンと冷えたスプマンテを!と期待していたこの町だったがランチの面では日にちが悪かったようだ。
ここではアスティ・スプマンテ1本と各自1品で空腹を満たす。

◆イタリア最大の野外レストラン
遅いながらも何とか空腹を満たし、インフォメーションにスーツケースを取りに行きがてら、行きに急いで通ったカンポ・デル・パリオ広場をゆっくりと見ることにした。

行きは公園の西側を通ったが、そのときは土産物屋、はちみつなど農産物、などしか気がつかなかったけれど、公園の中には沢山の店(スタンド)が出ている。ワインの店が多い。ここでもさっきのワイン展示会と同じように袋入りワイングラスを売っていて、それを買い、好きな店で試飲をするようだ。また、伝統食を食べさせる店も多く、なが~いテーブルがいくつも出ている。

Asti カンポ・デル・パリオ広場①

Asti カンポ・デル・パリオ広場②
ちょうどお昼を食べたばかりなので手が出ずに残念だったが、ある店で瓶詰めのバニェット・ピエモンテーゼというサルサとクッキーを買う。

イベントの一つとして“おじさんバンド”が陽気に歌っている。年を感じさせないいい声だ。

Asti カンポ・デル・パリオ広場③

 

このフェスティバルはインフォメーションでもらったパンフレットによるとこの日11時半から23時までの一日限りのもので47もの飲食の店が出ているという。
この広場ではシエナと同じようにパリオ(地区対抗の競馬)が行われる。それが次の日曜日でそのための先行行事として行われているようだ。
同じくインフォメーションで入手した『ピエモンテ州への誘い』という英文ガイドブックではイタリア最大の野外レストランと紹介されていた(詳しくは最後に)。

◆間引き?されたアルバ行きの電車
広場の中も大体見たので、インフォメーションでスーツケースを受け取り、16時10分の電車に乗るため駅へ行く。ところがあるはずの電車がない。お祭りのためなのか、間引きされたようだ。1時間以上時間があるが荷物もあるので仕方なくホームで次の電車(17時15分)を待つ。とはいうものの、途中相棒たちに託していったんパリオ広場に行ってフェスティバルの余韻を楽しんだ。

◆食べる
お店の名前 TRATTORIA-PIZZERIA tartufo d’oro, via Cavour,95
食べたもの フンギと黒トリュフのアニョロッティ(8ユーロ)
フンギのタリアテッレ(8ユーロ)

Asti フンギと黒トリュフのアニョロッティ

Asti フンギのタリアテッレ
野菜サラダ(8ユーロ)めちゃくちゃ量が多い

Asti 野菜サラダ
一人1品
ワイン   アスティ・スプマンテ Caveli Gancia (10ユーロ)

Asti スプマンテ Caveli Gancia

 
これだけは注文してすぐ出てきた。食事前に空になったが、昼でもありこれでやめておく。
コペルト、水込みで41.5ユーロ

◆買う
買ったもの Bagnetto verde piemontese (Nizza Monferrato産、瓶詰め、130g、2.9ユーロ)
ゆでた野菜などにつけるサルサ(ソース)の一種
立ち止まって一瞬見たら、お店のおばさんに味見をすすめられ、まぁ小さい瓶だし、値段も安いし、ということで買う。
材料はパセリ、ピーマン、トマト、オリーブオイル、アンチョビ、にんにく、セロリ、唐辛子、酢。微妙な味。

クッキー(一袋、1ユーロ)
上のサルサを買ったあと同じおばさんからすすめられる。素朴な味わい。

◆英文ガイドブック『ピエモンテ州への誘い』での紹介

アスティは、D.O.C.ワインの生産が非常に多いことが世界中に知られており、多くの旅行客が行事の多い「アスティの9月」を目掛けて訪れる。9月の第3日曜日に開催される「アスティのパリオ」は、中世の衣装を身にまとった人々の行進とアルフィエーリ広場での競馬はこの9月の数々の行事のハイライトであり、また、伝統食と美食の数々を味わえる行事が同時に行われるのは見逃せないものだ。トップレベルのイタリアのワイン生産者を集めた”Douja D’Or”ワインの展示と典型的な地元産の食品の展示即売は「パリオ」開催前の10日間に“Festival delle Sagre”の一環として行われる。
(中略)
この行事は、各地区組合が出店している伝統食を参加者全員が食べ尽くすことで終わる、イタリア最大の野外レストランと言えよう。

Novara (ノヴァーラ) 2006/9/9

Novara (ノヴァーラ) 2006/9/9

◆行く
今回の7泊ピエモンテの旅はノヴァーラから始めることにした。といっても泊まるだけだ。
普通ならミラノに1泊してピエモンテに向かうのだろうが、この時期のミラノは見本市でホテルがやたらに高い。また、ピエモンテではアスティアルバを訪れたかったのでその手前にあるノヴァーラに泊まろうと考えた。
成田からJL417便にてミラノ、マルペンサ空港に到着。パスポート・コントロールを終え到着ロビーに進むと1日早くミラノ入りしていた弟に迎えられる。

ノヴァーラまではバスで行ける(これはあらかじめネットで調べておいた)。20時ちょうど発なので1時間ほど時間があったがロビーの椅子に座り今回メンバー3人で情報交換などしながら時間をつぶす。

乗客はわずか7名。我々が乗らなければたったの4名ということだ。それだけマイナーな行先ということかもしれない。
発車するころには明るかった空もだんだん暗くなり始める。それでもマルペンサを出てしばらくは車窓から夕暮れの景色が見える。ポー川なのかその支流なのか、川の流れを右に見たり左に見たり、自然の中を進む。そうこうしているうちに少し広い道路に出て、そのうち町の中に入った。

本の中の写真で見ていたサン・ガウデンツィオ教会が遠くにライトアップされているのが現れるとほどなくノヴァーラ駅前に着いた。

 

我々以外は皆降りる。運転手にどうするか聞かれたが、予約していたホテルは終点のバス・ターミナルの方が近いので「次で降ります」といい、発車してもらう。ほんの少し行ったところの交差点でバスの中からホテルのネオンサイン発見。バス・ターミナルというのが恥ずかしいほどの停留所からはすぐだった。(マルペンサ空港からわずか40分、1人6.5ユーロ)
20時50分にはホテルにチェックインできた。

◆食べる
我々成田からの直行組2名は機内食が2回出たこともあってそれほどの空腹感はないけれど、ミラノ合流者1名は昼食から時間が相当経っているというのでホテル近くで軽く飲み、食べることにして、フロントの女性に近くの店を教えてもらう。

ホテル前の通り(カヴァロッティ通り)をまっすぐ行くと右側にピッツエリアがあるという。
土曜の夜だというのに人通りが少ないがそのお店の前には数人が待っているようだ。彼らが店の中に入ったあと続いて入ると席に案内してくれた。店内のテーブルはほとんど埋まっていて、なかなか流行っている店のようだ。
カメリエーラ、というよりは高校生アルバイト?の女の子が注文を取りにくるが、ワインのところでパタッ!と止まってしまう。ワインが何種類かメニューに載っていたので、『この地方のワインはどれ?』と訊くと『ぜーんぶ』と答えてくる。中にはキャンティもある。『一番上のこれは?』と訊くと『分かる人を連れてくるから待って』。それはナポリ近郊のものだった。結局ノヴァーラの地ワインというのはなく、今回の旅の目的地アスティ近くのワインを選ぶ。

前菜3皿、ポルチーニのリゾット、ピッツアを食べ、ワインを2本飲む。前菜もリゾットもピッツアもものすごい量で『ああ、イタリアにまた来たんだ!』と実感した。

Novara ハム・サラミ盛合せ

Novara フンギポルチーニのリゾット
「軽く」のつもりが2時間かけて「しっかり」飲んだので腹ごなしも兼ねて夜のノヴァーラを散策することにした。

◆見る
ピッツエリアを出てホテルとは反対側、つまりそのまま進むと比較的にぎやかな通り、カヴール通りにぶつかったので右折して進む。これがノヴァーラのメイン・ストリートのようだ。流石に土曜の夜だけあって小さい町ながらもそぞろ歩きの人たちは多い。途中の路地を左に入ったところサン・ガウデンツィオ教会のクーポラが路地に面した建物の屋根の向こうに顔を出している。

元のカヴール通りに戻りさらに行くと広場の銅像が見えたが、おそらくその先は駅だろうということで引き返してホテルに帰る。空気がひんやりとしていて肌寒い。

◆朝のノヴァーラ
ノヴァーラは旅行スケジュールでは単に泊まるだけ。アスティ経由でアルバまで行く。距離的には近いけど鉄道では本数が少なく、また結構時間がかかる。というわけで9時07分のFSに乗ることにしていた。
朝食後、1時間あまりの時間を利用して朝のノヴァーラを散歩する。晴れてはいるが気温が低く19度しかなく半袖では寒いくらいだ。まずはサン・ガウデンツィオ教会を目指すが(昨晩は裏から見ていた)、ホテルのロビーにあった簡単な地図を頼りに、「正面に行けるのでは?」とあたりをつけた通りはどうも違ったようだ。それならばと、何とかの館(地図を捨てたので名称不明)を経てレップブリカ広場に向かう。この広場の真ん中には銅像(ヴィットリオ・エマヌエーレ2世?)が立っている。その向こう側にはヴィスコンティ・スフォルツァ城と呼ばれるカステッロがあった。

Novara レップブリカ広場とカステッロ

 

広場の周囲にはどの町にもあるようにリストランテやバールがあり、『夕べここにくればもっと良かったかなぁ』と一瞬思う。広場のすぐ近くにドゥオモがあるのに気づいたが時間が早いため中に入ることはできない。

Novara ドゥオモ鐘楼
時間があまりなくなってきたのでサン・ガウデンツィオ教会に急いだが、遠くからはよく見えるものの近くに行くとわからなくなる。背後から回りこむようにしてようやくたどりついた。外壁の赤茶けたレンガの壁が古さを感じさせる。正面から写真を撮ろうとしたがクーポラが高すぎてなかなかうまくファインダーに収まらなかった。

Novara サン・ガウデンツィオ教会①

Novara サン・ガウデンツィオ教会③

ノヴァーラはピエモンテ州で2番目の都会のようだがこじんまりとして落ち着いた感じを受けた(といっても、日曜の朝だったからかもしれないが)。

◆食べる
お店の名前 Ristorante Pizzeria Albergo Centro, L.go Cavvalli 2 Ang.Corso, Cavalotti 9/D

Novara ピッツエリア チェントロ
食べたもの 生ハム(7ユーロ)、ハム・サラミの盛合せ(6.5ユーロ、これは前者とかぶってしまったオーダーミス)、夏の焼き野菜とモッツアレラ(サラダとして注文したもの、5.5ユーロ)、ポルチーニのリゾット(8ユーロ、少し塩気があるが美味い)、Centro風ピッツア(9.5ユーロ、ピッツアだけでメニュー2ページ、そのトップにあった自慢の品か?ムール貝、フンギ、イカなどがそれぞれ分かれてトッピングされていて真ん中に卵)。

Novara Centro風ピッツア
ワイン   Barbera D’Asti 2002(13ユーロ)
Dolcetto D’Alba, Le Terre 2004 (13ユーロ)
コペルト、水あわせて3人で70.5ユーロ

◆泊まる
ホテル Hotel Europa ★★★ Twin 100ユーロ、Single 80ユーロ
部屋に入ると2部屋ともエアコンが入らない。フロントに言いに行くと、元のスイッチを入れ忘れていたようだ。室内は少し狭い、Twinの方はバスのお湯が出ない。朝食はテーブル・セッテイング、食事の内容もまあまあ。
インターネット(Expedia)で予約。室内に貼ってあった料金とまったく同じ。他のホテル予約サイトでこの町のホテルがみつからなかったのでやむを得ない。

◆読む
本の名前 『麗しの郷ピエモンテ 北イタリア 未知なる王国へ』山岸みすず、井川直子著
昭文社 1890円
2005年7月発刊の数少ないピエモンテ紹介の本、プランニング初期の段階で図書館で発見、2回ほど借りてからAmazonにて購入。ピエモンテの詳しい地図や美味しいリストランテ、心地よいホテルなどが紹介されている。今回の旅では随分お世話になった。
ノヴァーラはこの本でミラノからアスティ、アルバへの途中にあることを知る。サン・ガウデンツィオ教会のクーポラの写真が印象的だ。

《チンクェテッレとエミリア・ロマーニャ州の旅》旅行記をUP

この旅行記サイトを再開したもののまだ一部しか移植できていないが、2009年秋の《チンクェテッレとエミリア・ロマーニャ州の旅》旅行記をUPした。
Pavia~ChinqueTerre&LaSpezia~ReggioEmilia~Cremona~Bresciaと9泊11日。
現役サラリーマン最後の旅でしかもこのときCremonaでペルージャ留学生と知り合った縁で翌年、翌々年とペルージャにイタリア語留学することになり、それ以来イタリアつながりの友だちができたきっかけになった思い出の旅だ。

Brescia(ブレーシャ) 2009/9/19/~21

Brescia(ブレーシャ) 2009/9/19/~21

◆行く

2009年イタリア一人旅、最後の宿泊地はブレーシャ

この町はいつも通りすぎるばかりだった。最初はイタリア旅行初めてのとき、ベルガモからヴェローナに行くときに乗り換えた。あとはミラノ~ヴェネツィアなどヴェネト地方移動の際は何回も通りすぎている。

前泊地クレモナから乗った16時23分発の列車は単線なのか途中の駅でかなり停車していたが約1時間でブレーシャに到着。

意外に大きな町のようだ。駅からは、チェントロに入ってから歩道が土曜夕方のため混んでいてホテルまで20分かかってしまった。

◆夕暮れの町歩き

ホテルの部屋で一休み。時計塔に続くすぐ下の通りに面しているがすごく賑わっている。

19時すぎ例によって町歩きに出かける。出がけにレセプションでおすすめのリストランテを訊いてみたが、『今日は土曜だから今からだと予約はとれない。このあたりには沢山あるので自分の目で見て入って。』といわれる。

まず、さっきスーツケースを引っ張って通ったドゥオモ前の広場(パウルス6世広場)へ。

昨日のクレモナ、おとといのレッジョ・エミリアのようにいきなり目に飛び込んでくる方が良かったのだが。

ドゥオモの前は珍しく芝生だ。

目の前のカフェで一杯と思ったものの混んでいて座れそうもないので西の方へ通りを渡って行ってみた。今日も音楽が聞こえてくる。

行ってみるとちょっと面白い形をしたロッジアの前にステージがある。アコーディオン、打楽器、マンドリンの演奏だ。1曲聴いて戻りながら歩くとそこがホテル前の通りだった。
Brescia ロッジア
カフェに席があったのでプロセッコでアペリティーヴォ、小さなサンドイッチがついてくる。

ドゥオモの正面、右に旧ドゥオモのロトンダ、左にはブロレットという構成。見ているだけで美しく絵になる。夕暮れの風が気持ちいい。

 

◆自力で探したリストランテ

リストランテは自分で探すことになったが、旅行前にネットでチェック、HPで見ていた店がホテルの2,3軒先だというのがわかったのでそこに決めた。

20時半近くに行ってみるともうほとんど一杯だったが、外に面した向かって左の席に案内される。

前菜で注文したロンバルディアのサラミ・ミストは真ん中のペペローネが生肉に見えたが全部で4種類、我が家なら皆で食べる量だ。しかもいずれも目茶苦茶うまい!プリモのカプレーゼはブファーラ(モッツァレラ)がものすごい大きさだ。セコンドの牛肉のタリアーテは完食できなかった。
Brescia Locanda dei Guasconi ロンバルディアのサラミ盛合せ
21時すぎから21時45分頃まではどんどんお客が入ってきて中にはあきらめて帰る人もいた。この界隈にはリストランテが沢山あるのにこんな状況なのは相当な人気店なのだろう。

 

◆日曜朝は新旧ドゥオモ

9時半頃、まずドゥオモへ。このドゥオモは17世紀のものだ。

3廊式で、太い四角い柱が力強い印象を与える。柱の上部は内部を取り巻くように彫刻がほどこされている。

外から想像できるようにクーポラが高い。側廊、翼廊の礼拝堂も立派だ。掲げられている絵画も大きい。
Brescia ドゥオモ クーポラ
祭壇奥の後陣の絵は《聖母被昇天》だ。

10時近く、ミサが始まる頃なのか段々と人が増えてきたので外に出る。

 

広場に出てみるとゼッケンをつけた大勢のランナーがこの楕円形の広場を走っている。ブロレットの北から入り広場をぐるっと回ってドゥオモの北に出ていく。きっと市民大会なのだろう
Brescia ドゥオモ前広場のランニング大会②
それを見ながら南側にある円形のロトンダへ行く。このロマネスク様式のロトンダはドゥオモ・ヴェッキオとも呼ばれている。
Brescia ロトンダ
中に入ると当然のことだが丸い。アーチのある壁でまた丸く仕切られていて真ん中を取り巻くように回廊になっている。天井やアーチ状の壁の装飾がきれいだ。内陣にはここブレーシャの画家モレットの《聖母被昇天》がある。地下はcrept(地下納骨所)になっている。ここの白い太い柱は力強い。

ロトンダを出てからロッジア広場を散策。この町は珍しく市がないようだ。日曜だからなのか、それとも他の広場でやっているのか?

 

◆ローマ遺跡とサン・ゼノ・アル・フォノ教会

今度は反対側、東にあるローマ遺跡、カピトリーノ神殿へ向かう。11時ごろだが日差しが強い。

この神殿は1世紀にヴァスパシアヌス帝が建立したものだ。柱は6本残っていて、白と茶色だけど実際には白い石の表面に茶色い石を張り付けていたのがはげ落ちたようだ。
Brescia カピトリーノ神殿
奥には建物があり一部復元されているようだ。また出土品というか建物に付属していたと思われるものが展示されている。

神殿の東側にはローマ劇場がある。まさに、ローマ遺跡だ。
Brescia ローマ劇場
神殿の通りの向かい側にある教会から大勢のアフリカ系の一群が出てきた。おそらくミサを終えたところなのだろう。

中に入ると、小さいながらも外観からは想像もできないほど豪華な絵画が沢山あり驚くと同時に『さすがイタリアだなぁ!』と思う。
Brescia サン・ゼノ・アル・フォロ教会 内部

 

◆市立サンタ・ジュリア博物館

このあと、すぐ近くの市立サンタ・ジュリア博物館へ移動。

入口でもらったパヌフレットによると、博物館といいながら同じ建物の中にはサンタ・マリア・イン・ソラリオ礼拝堂サン・サルヴァトーレ教会がその中にあり相当な広さで見どころも多い。3千年の歴史をカバーしているとのことだ。

サンタ・マリア・イン・ソラリオ礼拝堂では小さな空間の壁一面にフレスコ画が描かれている。
Brescia サンタ・ジュリア博物館 SantaMaria in Solario礼拝堂②
部屋の中央には”Croce di Desiderio”という名の十字架がガラスケースに収められ展示されていた。
Brescia サンタ・ジュリア博物館 Croce di Desiderio
ローマ時代の展示では1世紀のブロンズ像《翼を持った勝利の女神》が素晴らしい。2千年前のものとは思えない写実性と迫力が印象的だ。そのほか8世紀の《孔雀》のレリーフ、9世紀の風見鶏もいい。
Brescia サンタ・ジュリア博物館 翼を持った勝利の女神②
ローマ時代の邸宅の遺跡部分もあって床などのモザイクがきれいだ。
Brescia サンタ・ジュリア博物館 邸宅の遺跡モザイク②

見学順路の最後はサン・サルヴァトーレ教会だ。ここはさっきの礼拝堂よりは大きくまさに教会なのだが、ここも美しく素晴らしい《キリストの生涯》のフレスコ画で埋めつくされている。

『こんな町(失礼!)にもこんな素晴らしいものが』と驚いた。そのうち、パドヴァの《スクロヴェーニ礼拝堂》のように予約制になるかもしれないなぁ?

出るとき係の人に”Grazie! Arrivederci”と言ったら”Bella?”と訊かれた。”Si! Molto!”と答える。

システィーナ礼拝堂に匹敵すると言ったら言いすぎだがとにかく素晴らしい。

3千年を約1時間で垣間見たことになる。

 

◆夕方はカステッロへ

遅いランチのあといったんホテルへ戻り一休み。9月中旬とはいえ夏時間とあって15時はまだまだ暑い。暑い時間帯は歩き回らず身体を休ませた方がいい。

16時すぎに夕方の観光・町歩きに出かける。まず向かったのはピナコテーカ(市立絵画館)
Brescia モレット像
ピノコテーカを向いた絵描き姿のモレットの銅像があるところだというのはわかったが、レンガ色の建物入口は閉まっている。どうやら修復工事で閉館のようだ。

 

次に向かったのは駅の近くのバス・ターミナル。「明日もしガルーダ湖のシルミオーネに行くならば」ということでバスの時刻を調べに行く。

帰りはレップブリカ広場からリベルタ通りを通ってチェントロを通りすぎ、今度はカピトリーノ神殿の北にあるカステッロへ向かった。

カステッロへは階段を使い車の道を横切る形で上がって行く。

カステッロ前の広場にはバールがある。それを横目にそのままカステッロへ。
Brescia カステッロへ
ところがどういうわけか上には行けずじまい。したかって眺望も今一つ。足が疲れた。バールで一休みしたいところだったがホテルに戻る。

 

レッジョ・エミリアからの一昨日、クレモナからの昨日そして今日と、イタリアの夏らしい朝夕涼しく昼は暑いといういい天気が続いて気持ちがいい。

 

◆9泊11日の旅の最後の夕食

19時半すぎ食事に出かける。「どこかで一杯」と思い早めに出たが、結局「食事のときに食前酒を飲めばいいや」と思い直し、さっきバス・ターミナルからの帰りに見つけたサン・フランチェスコ教会裏手のOsteria San Francescoへ行ってみる。

最終日前日とあって現金の持ち合わせが少なくなっていたのでお店入口で『クレジット・カードを使えますか?』と尋ねると『ふだんは使えるけど今日は機械の故障で使えない』との返事。

ちょっと明日の行動を考え残念ながらこのオステリアをあとにする。

 

結局ホテルすぐ近くのドゥオモ広場に面した店にした。これが大当たりだった。久々(といっても3日前のラ・スペツィア以来)の魚料理を堪能できた。

ドゥオモとブロレット前という絶好のロケーション、ドゥオモの前で食事をするのは8年前のタオルミナ以来だ。あのときは2階席からドゥオモをやや見下ろしていたのに対し、今日は外の席から見上げている。しかもドゥオモが大きい。一人の食事だが見ていると飽きることがない。
Brescia 夜のドゥオモ

一人旅の食事の欠点といえば「どう時間をすごすか」に加えて、ワインがどうしてもボトルで頼めない以上ハウスワインのカラフェになってしまうことが多いが、この店はグラスワインの種類がいくつかありしかもボトルを見せてテイスティングまでさせてくれたのも良かった。

9泊11日の旅の最後の夜にふさわしい優雅な食事となった。

 

◆明け方の雷

夜中、1時半頃雷で目がさめる。今回の旅は雷によく出くわす。

その後断続的に鳴り4時くらいまで続いただろうか。近くに落ちたような音もする。6時に目覚めたが寝不足だったためかそのまま眠り7時半起床。

朝食後荷物をまとめ『12時までに戻るから』と行って9時すぎに出かける。雷雨のあとのせいか肌寒い。

こんな天気なのでシルミオーネに行くのはやめた。

ヴェネツィア門近くの食料品店に行ってみる。ホテルにあったパンフレットでは9時開店のはずが9月から定休日が月曜に変わっていたらしくあきらめる。昨日たどりつかなかったカステッロの上まで登ろうかとも考えて北の方に向かったが、早めにミラノに戻る(時間があればピアチェンツァへ行く)ことにし、ホテルに戻りチェックアウト。

 

◆さんざんだったミラノ行き

ミラノに早く行こうと駅に着いてみると切符売り場には大勢並んでいておまけに自販機は目につくところ1台のみ。

ようやく自分の番がきて操作すると次のミラノ行きは12時39分発の ES(エウロ・スター)だ。2時間近く待つことになるがやむなし。ところが操作ミスをしたのかクレジット・カードを入れても発券されない。

しかたがないので切符売り場に並びなおし購入。遅れていたESに乗れたかもしれない。

 

12時39分発のESはミラノ着13時25分の予定なのでミラノからピアチェンツァ往復は無理だ。

2時間待ったあげくこの列車も15分遅れで到着。

しかも待っていた場所が真ん中の車両くらいと思っていたら何と1号車だ。乗るべき車両は10号車、ホームを後ろに走るが何せスーツケースは重いし、他人にぶつかっては大変。なんとか7号車に乗り込み通路移動するが、スーツケースを引っ張れないのでしんどい。途中2カ所で持ち上げるなどしてようやく指定席に座りミラノへ向かう。

 

◆泊る

ホテル Albergo Orologio(★★★), Via Beccaria,17, Brescia
Brescia Albergo Orologio
http://www.albergoorologio.it/

Single 78.5ユーロ、Hotel-Freak.comで予約。

ドゥオモ広場のすぐそば、ロッジア広場にも近い。

21号室だったが大きな窓で明るい、すぐ下は時計塔への通り。

 

◆食べる

  • リストランテ

お店の名前 Locanda dei Guasconi, Via Beccaria, 11/G, Brescia

http://www.locandadeiguasconi.it/

食べたもの 前菜はロンバルディアのサラミ・ミスト(9.5ユーロ)。

プリモはカプレーゼ (冷たい大麦のミネストローネを頼みたかったがなかったので。8.5ユーロ)、ブファーラがものすごい大きさ。
Brescia Locanda dei Guasconi カプレーゼ
セコンドは牛肉のタリアーテのスモークチーズ添え(14ユーロ)。

ワイン   Teve di Franciacorta 2005 Cudula、Colline della Stella, Andre Arici (ハーフ、8ユーロ)

コペルト、水、グラッパ(3.5ユーロ)で合計40ユーロ

 

お店の名前 Pizzeria DonRodriguez, Via F.Cavalloti, 6, Brescia

食べたもの(ランチ) 前菜は生ハム・サラミの盛合せ(7.5ユーロ)、ピッツァはロマーナ(5.5ユーロ)、トマト、アンチョビ、オレガノ、ケッパーなど。大きくて食べるのに一苦労。
Brescia Don Rodriguez ピッツア・ロマーナ
コペルト、水、ワインで合計20.5ユーロ

 

お店の名前 Ristorante I Macc de le Ure, Piazza paolo vi, 6, Brescia

http://www.imaccdeleure.it/

食べたもの 魚料理のコース(ワイン込み48ユーロ)があったのでそれを注文しようとしたら『海の幸リゾットを含むので2人前から』ということで断念。アラカルトで魚料理を選ぶ。

プリモにマグロのカルパッチョ(14ユーロ)があったのでそれを頼み前菜を飛ばす。マグロを1cm角にしたものにオレガノなどハーブを混ぜたものを丸い型に入れお皿に盛りつけたもの。オリーブオイルがたっぷりかかっている。つけ合わせにトマト。
Brescia Volto マグロのカルパッチョ
セコンドは川カマスのグリーン・ソース(16ユーロ)。川カマスを煮たものにオリーブ、プティトマトなどがかかっていて黒いリゾットが添えられている。

ドルチェはティラミス(6ユーロ)

ワイン   Prosecco Volto 10、

Cannonau di Sardgna Riserva 2005 Sella Mosca (いずれもグラス、各4ユーロ)

グラスにもかかわらずテイスティングできるし銘柄まで教えてくれた。

コペルト、水、カフェで合計50ユーロ

 

Cremona (クレモナ) 2009/9/18~19

Cremona (クレモナ)  2009/9/18~19

◆行く

2009年イタリア一人旅、最初の計画ではクレモナに泊る予定はなかった。

最後の宿泊地はブレーシアに決めていて、前泊のレッジョ・エミリアから移動してピアチェンツァに泊る予定だった。

ところが、適当なホテルがみつからずピアチェンツァ宿泊をあきらめヴァイオリンの町クレモナに泊ることにした。時間があればクレモナから日帰りでピアチェンツァ観光をしてもいいと思った。

これが大げさにいえば《運命の出会い》につながることになった。

◆フィデンツァでの乗換え

レッジョ・エミリアを10分遅れで発車した列車は、遅れを取り戻せずに乗換えのフィデンツァに到着。クレモナに向かう列車は入れ替わるように出て行ってしまう。

次の列車は17時38分発、小一時間待つ。バールにでも行きたいところだがスーツケースが重いので動きたくない。結局ホームで時間をつぶす。

17時10分頃入線してきた列車が折り返すようだ。外で待っていても暑いので車内へ。

『早く動き出して!』。定刻通り発車、18時13分到着。

 

ローマ広場(とは知らなかったが)までは合っていたがその先でわからなくなり、少し戻ってホテルへの小径(vicolo)発見、結局20分かかってホテルに着いた。

 

◆夕暮れのカテドラーレ

19時すぎホテルすぐ近くのカテドラーレに行く。

コムーネ広場につながる小径に入ると正面に見えるトラッツォ(鐘楼)が素晴らしい。

 

Cremona 夕暮れのトラッツァ①

 

そう思ってさらに前に進むと、その右にあるカテドラーレが視界に入ってきてその美しさに思わず息を飲む。

Cremona カテドラーレとトラッツォ

イタリアは何てすごいんだろう。

 

正面のカフェでビールを飲みながらカテドラーレの姿を見つめる。

夕方に着いて薄暮から暗くなりライトアップされているところがいい。

 

ファサードはいわば7階建ての感じだ。全体的にピンク、クリーム色っぽい大理石。1階はポルティコのようにも見える。3、4階部分は左右各9本の列柱で正面扉の上(壁龕)には3本の列柱、真ん中には聖母子像、左右は聖人像か。その上には大きなバラ窓、さらにその上の7階部分にも5本の列柱の間に聖人像が4体。

Cremona カテドラーレのファサード

 

すごい! ロマネスク・ロンバルディア様式の傑作だそうだ。

左にはトラッツォ(鐘楼)、右には洗礼堂だ。

 

ビール小は4ユーロ、つまみはついてこなかったが席料だと思えば安いものだ。

コムーネ広場に面したこのカフェの建物もものすごく古くてフレスコ画もある。この建物が歴史あるコムーネ宮だということを翌日知った。

Cremona コムーネ広場のカフェのフレスコ画

 

 

◆《運命の出会い》のトラットリア

さて、夕食。ホテルのご主人に教えてもらった店はちょっと遠かったが行ってみた。

地元の人が通う店のようで混んでいて断られる。

『しようがない、あとは勘で探すしかないなぁ。』と来た道を戻り、途中ローマ広場近くの角に《トラットリア》の看板が出ていたので左折し暗い道を歩いてその店に行った。

Cremona Trattoria Il Bissone 看板

 

 

落ち着いた感じの店だ。入ってすぐ左にはカウンターがありうしろにはずらっと飲み物の瓶がならんでいる。部屋の中央にはドルチェなどの置かれたテーブルがあり、その周りを取り囲むように客席がありほとんど空いていたが、奥の部屋に案内された。

 

こちらもゆったりとしたテーブルの配置だ。一番奥には暖炉がある。Trattoriaと名乗っているがRistoranteの雰囲気だ。

 

メニューを見てすぐわかったが、この店はグラスで頼めるワインの種類が多い。ハウスワインもその中で1.5ユーロのものと同じだということがわかる。一人で飲みながら食事をするには、あるいはいろいろなワインの味を楽しむには絶好の店だ。

Cremona Trattoria Il Bissone メニュー

 

この部屋もすいている。3組の客しかいない。

たまたま、通路をはさんだ向かい側のテーブルにいて目があったのが日本人の若い女性二人組。

最初にちょっと挨拶。『久しぶりに日本の方にお会いしました』。一人旅だったのでミラノに着いてから7日目にして初めて日本語をしゃべった。

『OLの先輩、後輩の旅かなぁ?』と想像していたが、二人はペルージャで勉強中の留学生だった。真向かいの女性はヴァイオリニスト、もう一人はペルージャ外国人大学で語学留学中とのこと。

ペルージャには9年前に2泊したことがあり外国人大学の場所も知っていたので話がはずむ。

イタリア語も話題になり、『私のような年代の人も留学していますか?』と訊いたところ『日本の方はわからないけど欧米の方は見かけますよ』といわれた。

明日はヴァイオリン職人さんに会いにPiadinaに寄ってからMantovaへ行くという。

彼女たちの帰り際、日本での再会を約束し別れた。

 

食後のカフェを飲み終え、遅れてトラットリアをあとにする。

ホテルに近づくと大きな音楽が聞こえてきた。行ってみるとコムーネ広場、カテドラーレ前のステージだ。2曲ほど聴いてホテルに戻った。

Cremona コムーネ広場での演奏

 

 

◆翌朝ホテルで

朝食後コムーネ広場へ。夕暮れ時の静寂な広場は、花卉類が中心の市(メルカート)の準備中だった。

ホテルに戻りレセプション前の椅子に座って新聞の天気予報を見ていたら、昨夜の二人とばったり。

『ホテルも同じだったんですね』とお互いびっくりした。半日ほど早くクレモナ入りしている二人はもう出かけるところ。少し話をして送り出した。

 

《運命の出会い》というのは、ここで二人と知り合ったことで2010年夏にペルージャへ留学することになったからだ。

帰国後再会し、ペルージャ語学留学を勧められ、準備段階でもいろいろ教えてもらう。また、ペルージャ滞在の2ヵ月間も現地で何かとお世話になった。

 

◆カテドラーレと洗礼堂

9時半、クレモナ観光スタート。まず、カテドラーレへ。

どっしりとした太い濃いグレーの柱が印象的だ。縦に金色の線がある。

身廊柱の上はキリストやマリアの一連のフレスコ画、後陣も同様だ。主祭壇は上から、《受胎告知》、《天上のキリスト》、《聖母被昇天》。入口の上は《十字架のキリスト》、右下は《降架》。側廊にもいろいろな絵や彫刻がある。

ファサードも美しいが中も素晴らしい。

 

カテドラーレ右の聖ヨハネ洗礼堂、まわりも裏も市の店だらけだ。こちらは食べ物中心で、中には魚などのフリットの店もある。フリットは100g1.9ユーロ、買って昼食にでも食べたいくらいだ。

 

さて、中に入ると外の喧騒さがうそのように静かだ。天井がものすごく高い。真ん中にはヴァルポリチェッラ産だという赤い大理石の洗礼盤、正面祭壇にはは《キリスト磔刑》の木彫、左には《嘆きのマリア》、右には毛梳き道具を手にした《サン・ビアッジョ》がまつられている。

Cremona 洗礼堂 毛梳き道具を手にしたサン・ビアッジョ

 

《サン・ビアッジョ》は梳毛職人達にとっての守護聖人でこの祭壇は16世紀に梳毛職人の信者会によって寄進されたものだそうだ。

 

◆トラッツォに上る

カテドラーレの左側に優美な姿を見せるトラッツォは、高さ111mの鐘楼で町のシンボルだそうだ。

今まで訪れた町で高いところがあれば必ず上っているがこのトラッツォにも挑戦(入場料5ユーロ)。

 

最初は直線の階段、そのうち左回りのらせん階段を上る。

Cremona トラッツォ 階段

 

そこを上り切ったところで終わりかと思い屋上に出て一周しながら写真を撮る。そのあとで中に戻ると、まっすぐ上がるだけの宙に浮いた感じの階段があることに気がついた。結構こわい。高所恐怖症の人は絶対にダメだろう。

Cremona トラッツォ らせん階段

Cremona トラッツォの鐘

一番上に出るとさっきとは眼下の景色が違う。上から見るとクレモナには教会の多いことがよくわかった。あとで、地図を見ると市内には少なくとも22の教会がある。

Cremona トラッツォの上から見たカテドラーレ  Cremona トラッツォの上から②

 

◆昨夜のトラットリアへ再び

ちょっと迷ったがランチは昨夜のトラットリアでとることにした。短い日程の旅行では『いい』と思った店には経験上再訪するのもありだ。

行ってみると閉まっている。少し時間が早いかもしれないので近くをブラブラしてまた行ってみる。3度目にちょうどカメリエーレのお兄さんが自転車で出勤したところに出くわすと、『どうぞ、どうぞ』と入れてくれた。

本日の前菜、ポルチーニのニョッキ、桃のタルト(まるまる1個)、ワイン、カフェで計25.8ユーロ。

 

Cremona Torattoria Il Bissone 桃のタルト

2日連続のためか、その日のせいか理由はよくわからないが、マダムがおみやげとしてトローネをテーブルまで持ってきてくれた。

 

◆市立博物館とストラディヴァリアーノ博物館

ランチのあとおよそ15時半までの観光。市立博物館ストラディヴァリアーノ博物館に向かう。入口に「土曜は14時まで」の表示があった。ちょうど14時なので訊ねると博物館の入口はもっと中だとのこと。

切符売り場でどんな種類の入場券があるか確かめてみるとコムーネ宮を含む共通券を説明してくれたが、残り時間では厳しそうなのでとりあえずここだけにした(入場料7ユーロ)。

 

入ってすぐのところにヴァイオリンが6本展示されている。10年ほど前に教育TVのイタリア語講座のストーリーで出てきたところによく似ている。

Cremona 市立博物館 展示①

『このヴァイオリンはきっと素晴らしくまた高価なものなのだろうなぁ』と思う。

 

その奥には1400年代の絵画やキリスト教関係のもの、ずっと後の方には1800年代、1900年代のもの、九谷、伊万里など日本の陶磁器が展示されている。

市立博物館とあって町の歴史が写真代わりの当時の絵も含め展示されている。

 

一番奥がストラディヴァリアーノ博物館だ。右側にヴァイオリンを作る工程の展示があり、入ってすぐのところでは実際の作業をビデオの映像で見ることができる。

Cremona ストラディヴァリアーノ博物館 制作工程左の部屋にはヴァイオリンはじめ弦楽器が展示されている。

 

出口まではもと来た順路を戻って外に出た。中庭にはストラディヴァリの胸像があった。

Cremona ストラディヴァリ胸像

 

 

◆ブレーシャへ

これを最後にコムーネ広場に戻り市の終わった昼間のカテドラーレを見に行ってから、ホテルでスーツケースを受け取り駅に向かう。

 

16時23分発の列車は20分ほど前に入線、蒸し風呂のような車内に乗り込む。1時間後の列車でも良かったが早めにブレーシャに着き一休みするためにこの列車にした。

定刻に発車、最終目的地のブレーシャに向かう。

 

 

◆泊る

ホテル Astoria Hotel(★★★), Via Bordigallo,19 angolo Via Solferino, Cremona

www.astoriahotel-cremona.it

Single 60ユーロ、Booking.comで予約。

昨日までの4つ星とは比べるべくもない。エレベーターは手動でドア開閉、ちょっと怖い。348号室だったが窓枠がはずれそう、ただバスルームだけはバス付で広い。

コムーネ広場に近く、ロケーションで選んだ価値はあった。

 

 

◆食べる

  • リストランテ

お店の名前 Trattoria il Bissone, Via Pecorari, 3, Cremona

www.bissone.it

食べたもの 前菜はパルマ産のクラッチャ(culaccia di Parma 11ユーロ)、

Cremona Trattoria Il Bissone パルマ産クラッチャ

プリモは生のフンギ・ポルチーニの生タリアテッレ(Tagliatelle Fresco ai funghi porcini 9ユーロ)、

Cremona Trattoria Il Bassone フンギ・ポルチーニのタリアテッレ

 

セコンドは子牛の薄切り肉ツナソースかけ(vitello tonnato 9.5ユーロ)。

Cremona Trattoria Il Bissone 子牛の薄切り肉ツナーソース

ワイン

Prosecco Valdobbiadente Jeio Colmai Extra Dry(3.5ユーロ)

Barbera d.o.c. Lorenzo Zanetta, Piemonte (250ml, 2.5ユーロ)

Nobbiolo Colline Novaresi d.o.c.Pratogrande,Pratogrande 05, Lorenzo Zanetta, Piemonte (2.5ユーロ)

コペルト、水、カフェで合計42ユーロ

 

食べたもの(ランチ) 前菜は本日の前菜、ズッキーニ、バジリコ、チーズのタルトでふわふわした食感(4ユーロ)。プリモはポルチーニのニョッキ(10ユーロ、ニョッキはかぼちゃで作られ長さ5cm x幅1.5cm)。ドルチェは桃の上にチョコレートやクッキーの乗ったタルト(5ユーロ、桃まるまる1個)、桃の自然の甘さで無茶苦茶甘く大きさも半端でないが完食する。

ワイン   Ortugo colti piacentini d.o.c., Vitivincola Luenti, Emiglia(250ml, 2.5ユーロ)、エミリア・ロマーニャ州の発泡性(Frizzante)白ワイン。

 

 

◆買う

お店の名前 Negozio Sperlari, Via Solferino,25 Cremona

買ったもの ボローニャのチョコレート Majani、家族や職場のお土産用として結構沢山買う。

Reggio Emilia (レッジョ・エミリア) 2009/9/17~18

Reggio Emilia (レッジョ・エミリア) 2009/9/17~18

◆行く

2009年イタリア一人旅、目的の一つだったチンクエテッレ訪問の次はロンバルディア州で今まで行ったことのない町をいくつか行くことにして、イタリア国旗発祥の町で、またパルミジャーノ・レッジャーノの町であるレッジョ・エミリアが次の目的地だ。

チンクエテッレ観光の拠点にしたラ・スペツィアを午前中に発つ計画だったが、雨にたたられチンクエテッレを結局2回行くことになったので予定より半日遅れて16時20分発のパルマ行きの列車に乗る。

5分遅れで発車したが1時間ちょっと走ったところで急停車。その分だけまた遅れる。パルマでの乗換えをあきらめた。18時20分頃パルマ着。レッジョ行きのホームがわからない。とりあえず地下道へ下り、そこで時刻表で確認すると4番ホーム18時29分発、ぎりぎりセーフだ。

さっきまでは山の中を走っていたが今度は田園だ。18時45分到着、50分に駅を出てトリコロール広場を目指して歩くものの大きなロータリーがそれとは知らず全く方角がわからなくなってしまった。

◆ホテルまで苦労したが・・・

ちょうど自転車に乗った高校生に訊ねる。渡り切ったロータリーのやや斜め後方に見えるクーポラを指し『あれはドゥオモですか?』、『いや、あれはサン・ピエトロ』。

ドゥオモのすぐ近くのホテルを予約していたので『ドゥオモの方へ行きたいんですが』、『この広場を渡って左の方向ですよ』と教えてくれた。

広場の信号を渡る必要はなかったのだ。スーツケースが重い。

大きなエミリア・サン・ピエトロ通りをどんどん歩く。結構遠い。

ReggioEmilia エミリア街道

 

ぶつかったところで左折するとそこがドゥオモ前の広場(プランポリーニ広場)。ホテルはそこからすぐだった。19時15分チェックイン。

このホテルは昔の公証人役場を改装したものでレッジョ・エミリアに本社を置くあのMax&Maraが経営しているだけあってなかなかスタイリッシュでいい。101号室の室内もいい感じだ。バス、トイレも機能的だ。

ReggioEmilia AlbergoNotarie

 

◆トワイライトのプランポリーニ広場

シャワーを浴び着替えて散策に出かける。

ドゥオモ前のプランポリーニ広場はひっそりと静まりかえっている。トワイライトの広場は幻想的。チンクエテッレの天候に左右され予定よりも半日遅れで行動した結果、こういう雰囲気を味わえることになった。いつもは昼ごろ次の町に着いているが、夕方着くのもいいものだと思った。

 

ReggioEmilia 夜のプランポリーニ広場 ボケ

近くの通り(ファルニ通り)のカフェでプロセッコを飲みたかったが、オーナーが出てきてもう閉めるとのこと。随分夜の早い町だなと思う。

◆トラブルで記憶に残るホテル・リストランテでの夕食

ホテル内のリストランテはミシュラン3本フォークなので最初からここで夕食をとることに決め、散策前に予約しておいた。

20時半に行くと、予約のときに話をしたアンナが席に案内してくれる。ほとんど客がいなかったがそのうち大グループ(年代バラバラで14名)が隣に縦長の席につき、さらに入口近くに熟年カップルが座る。

さて、注文だが部屋においてあったメニューの中に地元料理(コースで35ユーロ)があったのでそれを頼んだつもりで渡されたメニューの中から前菜、プリモ、セコンドを選んだ。飲み物はカフェで飲み損ねたプロセッコをグラスで、そしてワインは赤のハーフボトル数種類の中から地元の微発泡のものを選ぶ。

レッジョ・エミリアはモデナと並ぶバルサミコ酢の町。

ReggioEmilia AlbergoNotarieリストランテ 苺にバルサミコ

 

料理にもかなり使われているがアンナがお皿を運んでくれるが、そのうちバルサミコ酢の話になった。ここの料理に使われているのは15年ものだといって箱に入って現物を見せてくれた。さらに、25年もの、40年物もテーブルに置かれる。

ReggioEmilia AlbergoNotarieリストランテ バルサミコ勢ぞろい

 

値段は順に50ユーロ、75ユーロ、100ユーロだという。ヤバい!!売りつけられるのか?

マネージャー(カメリエーレ?)が席にやってきた説明にくる。

『お客さん!これはメーカーとの契約で市内ではウチでしか売っていない。町の店には置いていないんだから。』

これを大きな身振りで、両手を振りあげて説明しているうちに彼の手が気づいた時には目の前の残り1杯のワイングラスを飛ばし、こっちの白いポロシャツとベージュのコットンパンツがワインレッドに染まった。

『申し訳ない。いつまでホテルにいるんですか?クリーニングしてお返しします』ということで部屋に戻り次第汚れものを渡し、明日の昼までにクリ-ニングしてくれることになった。

さて、バルサミコ酢。

もともと、本場のこの町ではパルミジャーノ・レッジャーノとバルサミコ酢を買うつもりだったので『それじゃあ、15年もの4本』と注文するといったん彼は引き下がり、戻って来て『在庫をみたら15年ものは1本しかない。40年物を90ユーロにするがどうか?』と。

しばらく考え、15年物1本、25年物2本、40年物1本を注文、代金はチェックアウト時に部屋代とまとめて精算することになった。バルサミコ酢の歴史、作り方、使い方(料理)など書かれた小冊子がつき立派な箱に入っている。ボトルが割れなくていいがものすごく荷物になりそうだ。

食事の締めはドルチェとカフェ。自分としては定食だと思っていて苺とカフェを頼む。2等分された旬の苺はお皿一面に並べられ、その上に15年物のバルサミコ酢がたっぷりかかっている。あとでこの2つはお詫びの印かサービスだと知った。

23時、部屋に戻り内線140に電話し汚れものを彼に取りにきてもらう。

ハプニングといえばハプニングだが大変な思い出に残るトラブルの夕食だった。そのときはさらにトラブルが待ち構えているとは夢にも思わない。

◆朝のプランポリーニ広場は真逆

一夜明け、朝食前にホテルから外に出るとプランポリーニ広場に市が立っている。昨夜の黄昏時に感じた静寂でガラーンとしていた広場は店、店、店でいっぱい。まるで正反対な感じ。先に夕べの広場を見ておいてよかった。

ReggioEmilia プランポリーニ広場から見るモンテ宮

ReggioEmilia プランポリーニ広場の市①

◆三色旗博物館

広場を取り巻く建物群、南側には市庁舎がある。その建物の中に三色旗博物館があるというので、ここから観光スタートだ。

 

ReggioEmilia 市庁舎(三色旗博物館)

ReggioEmilia 市庁舎(三色旗博物館)

市庁舎に入り、まず「三色の間」(Sala del Tricolore)の中に入る。18世紀末にレッジョ・エミリアなど4都市の代表者がこの部屋でチスパダーナ共和国建国を宣言したという。今でもそのまま使えるような会議場だ。そのときに制定された国旗が三色旗でこれが今のイタリア国旗の原型になっているそうだ。会議場の奥には三色のバナーが2本掲げられている。

ReggioEmilia 三色の間②

ReggioEmilia 最初の三色旗①

このあと目についたドアを押すとそこは市役所。女性数人から『博物館はあっち』と声をかけられ、その方向へ行ってみると老婦人が係りの人で『入場料はいらないが名前を書いて欲しい。人数カウントのためチケットを受け取って下さい。』と。

展示内容はイタリア建国の歴史を知らないとなかなかわかりにくいがナポレオンとの戦いに敗れたがその時に三色旗が使われたことやガリバルディ、エマニュエルⅡ世のリソルジメントの展示もある。

ボローニャのカフェ・ペドロッキといい、イタリアは国の歴史を大事にしているなぁと感じた。

◆ショッピングしながら国際交流

今回のレッジョ・エミリアの旅には随分古いがFigaro1998年7月5日号のコピーを持参、ここに出ているサルメリアで本場のパルミジャーノ・レッジャーノを買うつもりで番地を頼りにプランポリーニ広場の南側、市庁舎の並びを中心にあたりを探し回る。

なかなか見つからずあきらめたときに見つけた。えてしてこういうものだ。

ReggioEmilia 洋品店 Mazzilli

 

買うと重いので場所を覚えておき、昨夜みつけておいたリネンの店に留守を預かる女性陣向けのおみやげを買いに行く。ウィンドウに出ていたエプロンや鍋つかみがメイド・イン・イタリーであることを確かめて買う。

ご主人ほか家族、店員の皆さんと選びながら談笑、イタリア語をほめられる。お世辞でもうれしいものだ。

ポケットに入れていた雑誌コピーを見せるとご主人から『ぜひコピーさせて欲しい』といわれる。地元の人にとって(日本語の文章はわからなくても)自分の町が外国の雑誌で紹介されているのはものすごくうれしいみたいだ。

◆ドゥオモ

プランポリーニ広場に戻りドゥオモを見学。エプロンなどは大した荷物ではないのでチーズを買う前に行ってみた。

ReggioEmilia ドゥオモ 聖母子像

ReggioEmilia ドゥオモ鐘楼に翻る三色旗

ちょうどミサの最中だった。それとは別に各礼拝堂で祈っている人もいる。

主祭壇奥の後陣には《聖母被昇天》が描かれている。

ReggioEmilia ドゥオモ内部

 

◆例のバルサミコ発見、しかも安い!

次はさっき見つけた店でパルミジャーノ・レッジャーノだ。

我が家用とおみやげ用にあわせて2つの塊りを買う。1kg11.9ユーロと日本で買うことを考えると破格の値段だ。

ReggioEmilia チーズとサラミの店

 

サルメリアだけあってほかにも美味しそうで買いたい生ハムやらサラミやらいろいろあるがここは我慢我慢。

同じ通りの食料品店をのぞき店を出るときに、昨夜ホテルのリストランテで買ったバルサミコ酢と同じものが置いてあるのに気づく。確か『市内の店では買えない』と言っていたはず、しかも値段をみるとこっちの方が安い!

すぐホテルにとって返しリストランテへ直行。件のマネージャーがいたのでそのことを告げるが最初は取り合ってくれない。英語でやりあい、ハード・ネゴだったが結局4本分の差額(30ユーロ)をその場で現金で返してもらった。昨夜の食事代は部屋払いでサインしていてそれを変更できないかららしい。

びっくりしたのはこれで終わらず、こっちが渡した食料品店の名前と各々の値段を書いた紙に示談書の文言《差額を現金で受け取り、以後異議を申し立てません》みたいなことを英語で書き込み、サインをしろと言われた。一応内容を確認し、サインをし、握手をして別れる。コピーをもらっておけば良かったか?

◆最後の観光は空振り

お昼を食べるところを探しながらぶらぶらし、結局昨晩一杯飲もうとして『閉めるから』と断られたカフェでランチにする。

ガリバルディ通りに面したギアラ教会エミリア街道サン・ピエトロ通りを歩いてサン・ピエトロ教会に行ってみるがいずれも昼の時間帯とあって開いていない。通りも閑散としていてまさに平日の昼下がりといった感じだ。

ReggioEmilia ギアラ教会

ReggioEmilia サン・ピエトロ教会

途中、市立劇場裏手の公園に寄ってみると、ベンチには結構座っている人がいる。

ReggioEmilia 市立劇場

ReggioEmilia 市立劇場

15時をまわったのでギアラ教会にもう一度行ってみるがやはり閉まっているのであきらめ、ホテルへ戻ってクリーニングされた衣類とスーツケースを受け取り駅に向かう。

箱入りのバルサミコが4本増えたので荷物が重い。

途中のサン・ピエトロ教会が開いているのはわかったが荷物があったのでパスした。

◆クレモナへ向かう

16時10分発のFidenza行きの列車は10分遅れ、しかも混んでいて車両を動く。次の目的地クレモナへ向かった。

◆泊る

ホテル Albergo delle Notarie(★★★★), via Palazzolo,8  Reggio Emilia

Twin single use 1泊 82ユーロ。Venere.comで予約。

ReggioEmilia AlbergoNotarie レセプション

 

◆食べる
リストランテ お店の名前 Ristorante delle Notarie, (上記ホテル内)

ミシュランのこの町で一番の評価(3本フォーク。

食べたもの アンティパストはクラテッロ、プロシュートとパルミジャーノ(10ユーロ)。プリモは野菜のトルテッリ(9ユーロ)、セコンドにルッコラの上に牛肉のタリアテッレ、バルサミコ酢たっぷり(18ユーロ)、200~300gくらいあるが完食。

ReggioEmilia AlbergoNotarieリストランテ クラテッロ、生ハム、パルミジャーノ

ReggioEmilia AlbergoNotarieリストランテ 牛肉にバルサミコプロセッコ2杯。赤ワインのハーフボトル(8ユーロ)。水、サービス料で計52.25ユーロ。

ReggioEmilia AlbergoNotarieリストランテ スプマンテ ReggioEmilia AlbergoNotarieリストランテ ワイン

ドルチェ、カフェはワインをこぼされたお詫びとしてリストランテからのサービス。

お店の名前 Caffe Farini, via Ferini,1/E Reggio Emilia

食べたもの プロシュートとメロン、スパゲッティ(トマト、バジリコ、モッツアレラ)、赤ワイン500cc、カフェ、コペルトで計18.5ユーロ

Cinque Terre & La Spezia (チンクエテッレとラ・スペツィア) 2009/9/15~17

Cinque Terre & La Spezia  (チンクエテッレとラ・スペツィア)
2009/9/15~17

◆行く

わずか9kmの範囲の海岸線にへばりつくように5つの町がありその景観で《ポルトヴェーネレ、チンクエテッレと小島群》として世界文化遺産に登録されている。今までなかなか機会がなかったが’09年の旅ではここを訪れることを目的の大きな一つとした。

いつもイタリアの旅情報を交換している会社の後輩にメールでいろいろ教えてもらい『モンテロッソあたりで1泊した方がいいですよ』とすすめられたものの適当な宿が見つからなかったことと『あまりにも小さな町なので景観以外の見どころが少ないかなぁ』と思いラ・スペツィアに2泊し、そこをベースにチンクエテッレを楽しむことにした。

◆ラ・スペツィアへ向かう

パヴィア修道院観光後、パヴィアに戻り12時35分発の直通列車に乗る。ジェノヴァからリグーリア海を南下することになるがジェノヴァまでは’02年、’04年と2回通ったことがあるので懐かしい。

13時40分ジェノヴァ・プリンチペ駅通過。曇っているが天気はこっちの方がよさそうだ。

14時08分頃、海が見える。サンタ・マルゲリータをすぎたあたりから薄日がさしてきた。定刻より5分遅れ15時23分ラ・スペツィア到着。

駅と港の中間あたりの予約していたホテルを目指し歩き始めたが、なかなか思った通りに出ないままホテルの裏に出たようだ。標識を見つけ表玄関までスーツケースを持ち上げホテル建物南側の階段を上がる。レセプションは6階だ。

◆さっそくラ・スペツィア街歩き

部屋は3階210号室、窓のカーテンをあけるとさっきの階段が目の前だ。荷物を片づけたりして16時半頃街歩きに出かける。

中世の雰囲気ただようパヴィアから来たため全く違う印象だ。どちらかといえばやはり港町のバーリ、アンコーナ、トリエステに近いか。

例によってネットで検索したリストランテ、本に出ていたトラットリアをプリントアウトした地図をもとに出かける。すぐに大きな教会の前に出た。サンタ・マリア・アッスンタ教会だ。白っぽい横じまのファサード。中に入るのはあとで、ということでさらに海岸の方に行く。リストランテ探しばかりではしょうがないのでフェリー乗り場を確認しに行った。大きなフェリーが停まっているところだ。

すぐ近くでは屋台の本屋が新本バーゲンの店を出していた。

戻ってすぐのところにある公園の中にインフォメーションがあったので地図をもらう。ホテルでもらった地図よりもずっとわかりやすい。

LaSpezia ガリバルディ公園

 

なかなかわからなかったリストランテだったが帰りに2軒見つけたものの目当ての”All’ Inferno”は見つからない。魚市場近くと書いてあったのでまわり一帯を歩きまわるがわからず。でもこれで結構街に詳しくなった。

さっきスーツケースをうるさく引っ張ってきたプリオーネ通りを身軽に歩く。イタリア特有の夕方のパッセジャータですごい人出だ。

帰りにカフェに寄る。他の町のような広場のカフェがわからないので通りに出ているところだ。生ビール中1杯を注文。お釣りとともにポテトチップとオリーブが運ばれる。これで3.5ユーロとは安い。カメリエーレのおじさんに”All’ Inferno”の場所を訊くと持っていた地図の上に印をつけてくれた。さっそくそのあたりに行ってみるがやっぱり見つからない。

◆ついに見つけた” Osteria All’ Inferno”

ホテルに戻り一休みして20時ちょっと前に出かけてまた探し、なかったのでネットでチェックし見つけていたトラットリアに行ってみた。外から覗くとまだ誰も客がいないのでいったんホテルに引き揚げた。30分ほどしてから再度出かけさっきの店に行く途中おじさんがつけてくれた地図の印の場所とはちょっと違っているところに”Osteria・・・・”の看板発見。行ってみると探し求めていた”All’ Inferno”だったので地下への階段をためらいなく下りる。

階段を下りると左に受付兼レジがあり、大勢の客がいる奥の大きな部屋に入ってすぐ右のテーブルに案内される。店内がよく見渡せる。本に出ていたように地元の人たちで活気があふれているのが良くわかった。

最初に訊かれたのは飲み物、あとで水を頼む。メニューはなさそうで、プリモを口頭で告げられる。海の幸のスパゲッティ、スカンピのペンネ、ペンネアラビアータなど。最初のものにした。

トマトソースでスカンピ、ムール貝、エビはいずれも小さいながらたっぷり。出汁が出ていて美味い。前菜をとばしていきなりプリモにしたのでこれで終わってもいいかと思うくらいだ。

LaSpezia All' Inferno 海の幸スパゲッティ

 

まわりを見るとムール貝が多くのテーブルに運ばれていて美味しそうなので欲しかったがいかんせんお腹の調子が今一なので我慢。そのうち最初のお兄さんが現れ、セコンドの説明をしてくれる。いろいろあったが(多分ムール貝Zuppa di musselも)魚のカルパッチョにした。

ちょっと塩がきいているが段々感じなくなる。去年トリエステで食べたのと同様軽くスモークしてある。

ここで次のワインについて訊かれたのでグラスで頼む。白を頼んだつもりだったが赤が出てきた。もともと赤の方が好きなので『まぁいいか』。食後はカフェで締める。

地元の人たちが集まる居酒屋みたいな店で大いに満足。22時近くホテルに帰る。

◆2日目は雨

今回の旅の5日目の朝、例年ならば折り返しの日だが今年は10泊11日のためまだまだたっぷりある。

6階の食堂に行く途中雨なのを知る。『うーん。また、今日も雨かぁ・・・』。

ちょうどこの日、日本では鳩山内閣が誕生したようでTVをつけるとCNN、BBCとも好意的に伝えている。

8時40分にチンクエテッレ巡りのフェリー乗り場に向かう。波が高いため今日は欠航だとのこと。

LaSpezia フェリー乗り場

 

LaSpezia 欠航したフェリー

せっかく海からの眺望を楽しみに来たのにショックだ。『しようがない、列車で行くしかないか』、意外に蒸し暑いので着替えのためいったんホテルに戻る。

行きがけにホテルそばのサン・ジョルジョ城の入口まで行ってみる。そこからの港方面の景色がいい。

LaSpezia サン・ジョルジョ城 バナー

 

 

LaSpezia サン・ジョルジョ城からの眺望

駅までの途中、魚市場にも寄ってみた。

 

 

LaSpezia メルカートの魚屋②

LaSpezia メルカート

市場は魚だけではなく野菜、果物、チーズ、ハムなどの店がいっぱい。屋根付きでかなりの規模だ。

駅の中のインフォメーションみたいところでチンクエテッレ1日券を買う(レヴァント/ラ・スペツィア間の乗降自由、8.5ユーロ)。

LaSpezia 駅のチンクエテッレ・インフォメーション

 

 

市場でぶらぶらしすぎたせいか次の列車は11時10分といわれびっくり、前の列車はちょっと前に出たばかりだ。駅のホームで時間をつぶす。

◆チンクエテッレ列車の旅

わずか8分でリオ・マッジョーレ下車。

CinqueTerre Riomaggiore 駅

 

多くの人がここで降りチンクエテッレ観光スタート。まずはかの有名な《愛の小道》だ。

駅を出ると目の前のレンガ積みの壁に巨大な絵がある。労働の場面のようで割と新しいもののようだ。

CinqueTerre Riomaggiore 駅前の大きな絵

すぐ近くにいわば物産館のようなものがあったのでちょっと入ってみる。チンクエテッレ特産のシャケトラ(甘口の赤ワイン)、グラッパやレモンチェッロがあったが荷物になるのでここでは見るだけ。

◆《愛の小道》

階段の昇り口みたいところがマナローナに向かう《愛の小道》の入口だ。1日券を見せて入る。

CinqueTerre 愛の小道スタート

 

《愛の小道》は海に向かい切り立つようないわば断崖にへばりつくような道だ。

CinqueTerre 愛の小道①

 

一面曇り空のため海も濃いグレーだ。断崖を支えている岩は柱状節理で海に突き出したところにはそれが斜めになってラザーニャみたく見えるのもある。

CinqueTerre 愛の小道 ラザーニャのような柱状節理

 

ドイツ、アメリカ人とおぼしき観光客の一団がいて、狭い道なので途中何度か渋滞する。

トンネルの中にアコーディオン弾きがいてその音が反響してうるさい。足早にトンネルを出るともうそこはマナローナ側の終点。

南京錠が沢山掛けられたモニュメントをうっかり通りすぎたことに気づき一度戻った。トンネル出口近くにあった。

CinqueTerre 愛の小道 意外に小さいモニュメント

 

 

CinqueTerre 愛の小道 南京錠

ガイドブックではゆっくり歩いて30~40分とあったが、わずか15分で終わってしまった。雨がぱらついたりする天気もあってちょっとがっかり。

◆モンテロッソ

眼下にみたマナローラの駅に着き、12時12分発の列車でモンテロッソへ向かう。

CinqueTerre Manarola駅

 

CinqueTerre Monterosso駅①少し遅れて12時30分到着。駅を出ると目の前がすぐビーチ。天気が悪いせいかパラソルは店じまいだ。海の方に目をやると漁船だと思うが何隻か固まっている。そのずっーと沖には少し大きな船影が見える。

CinqueTerre Monterosso ビーチ②

Cinqueterre Monterosso 海に漁船

本に出ていたシーフードの店を探しに駅を出て左の方に行きトンネルを抜ける。右はフェリー乗り場。さらに先に行くと旧市街だ。店はすぐわかったが休業なのか定休日なのか閉まっている。

そのあたりをぶらぶらして路地に入る。リゾート地だけあってどこもいい値段のようだ。定食18ユーロと出ていたリストランテに入る。入口が2カ所あり意外に大きくてまたなかなかきれいな店だ。定食のほかにワイン、食後にドルチェを頼む。

CinqueTerre Monterosso Al Carugio 店内

CinqueTerre Monterosso Al Carugio スパゲッティ・ペスト

食事中に外から入ってきた人が小さなチラシを各テーブルに置いていった。それは近くの土産物屋のもので読むといろいろありそうなので食後に行ってみることにした。

間口は狭く小さな店。外にはグラッパなど中心に置かれ《呼び込みディスプレイ》のような役目を果たしている。

中に入るとお店の人はベトナム人か、アジアの人でちょっと驚いた。グラッパ、レモンチーノ、甘いリキュールなど味見しそれぞれ買う。

モンテロッソの旧市街はそう広くないが中心部のT字路みたいなところにサン・ジョヴァンニ・バッティスタ教会(ドゥオモ)がある。白と黒(濃い緑か)の縞模様のファサード、ジェノヴァ様式だ。ジェノヴァのサン・マッテオ教会とそっくりだ。

CinqueTerre Monterosso サン・ジョヴァンニ・バッティスタ教会②

 

中に入ると意外に明るい。側廊は狭いものの3廊式で柱やアーケードも白黒の縞模様だ。隣の建物は小さな教会か礼拝堂のようでこちらはファサードは白くてシンプル、中も白いが彫刻の装飾が豪華に感じられる。

CinqueTerre Monterosso サン・ジョヴァンニ・バッティスタ教会 身廊

 

ラ・スペツィア方向へ戻る列車にはまだ早いので駅を通りすぎビーチ沿いの道を歩いていると、昨日の列車で同じ席になり先にレヴァントで降りたアメリカ人夫婦にすれ違ったようだ。彼らの姿、格好が列車の中と違いリゾートぽくなっていたのでこっちは気づかず、だ。先に向こうが『アレッ!』という感じの表情を見せたのを、スレ違いざまに気づいて思い出す。

◆ヴェルナッツァ

15時24分の列車でヴェルナッツァへ。着くとホームはトンネルの中、先頭車両のみ外だ。

CinqueTerre Vernazza 駅

 

駅からすぐ近くに入り江があり、そこはよく写真で見る景色だ。入り江に向かってカラフルな建物が立ち並んでいる。岩場では釣りをしている人もいる。

CinqueTerre Vernazza カラフルな建物

 

カラフルな建物群に隣接する優雅な時計塔のある建物は教会だった。サンタ・マルゲリータ・アンティオキア教会だ。狭い場所に立つロケーションの関係か、入口は内陣横にある。外観もゴツゴツした石積みだが中も同じような感じだ。

CinqueTerre Vernazza サンタ・マルゲリータ・アンティオキア教会

 

甘口ワインのシャケトラが沢山置いてあるすぐそばのエノテカに行ってみたが荷物になるので(モンテロッソで買い込んで十分、荷物がある)リオマッジョーレで買うことに次の16時12分の列車に乗る。

チンクエテッレの5つの町には唯一山の上にあるコルニーリアは駅から遠そうなのでパス。そのままリオマッジョーレへ向かう。

 

◆再びリオマッジョーレ

駅を出て線路横のトンネルを抜け坂道のメインストリートへ。雨がひどい。これならモンテロッソかヴェルナッツァにいれば良かった。

CinqueTerre Riomaggiore 街並み

 

ワインと土産物を扱っているエノテカ発見。シャケトラが何種類もあるので迷ってお店のご主人にその違いなどいろいろ教えてもらう。シャケトラのほかレモンのオリーブオイル、アンチョビ、ペストを買う。レジを打っているときに『まけて!』と言ったら手をとめ、ペスト分を引いてくれた。“Grazie!!”。その後イタリア語で少し話をする。

次のラ・スペツィアへの電車には間に合いそうもない。雨も依然降っているので雨宿りをかね、屋根のあるカフェでビールを飲んで時間調整。

17時半、駅へ向かう。駅で待っている間、雷鳴がとどろく。17時50分発の列車は5分遅れのまま18時05分、ラ・スペツィア到着。雨の中まっすぐホテルに帰る。

◆雷で停電

念願のチンクエテッレへ行ってきたものの満足感はない。チンクエテッレは《海からの景色》を見ないと。しかも天気が悪いので陸地だけでも物足りない。結局は土産物を買う観光地なのか?

ホテルの部屋でTVを見ていると雷のせいか一時停電。復旧するもCNN,BBCなどは見えなくなる。

お腹も珍しくすいてきたので20時すぎ食事に出かけた。目指すは昨夜いったんは行こうと思ったDa Duccio。行ってみると誰も客がいないのでちゅうちょしたが入店。

イタリア人っぽくない女性が迎えてくれた。

LaSpezia Osteria Duccio 店内

 

メニューを見ながら相談してアンティパスト、プリモ、セコンドを注文。アンティパストが出てきたのと同時くらいに8人の男性グループが来てにぎやか。年恰好が同じくらいで久しぶりの人たちもいるようなので学生時代の仲間が何年かぶりに集まっている感じだ。にぎやかになったとはいえ帰るまでこのグループだけだった。

 

お腹いっぱいなのでドルチェをパスし、食後酒としてアベルノを飲む。甘い薬用酒みたいだ。ほかにシェフからといってズィビッボ(Zibibbo、シチリアのデザートワインだと教えてくれた)とレモンチーノがサービスされる。

LaSpezia Osteria Duccio 食後酒

 

 

◆ラ・スペツィア3日目の朝

6時ころ雷と雨の音がひどくて目がさめる。7時半すぎ朝食に出るときロビーから外を見ると雨はあがり晴れ間も出てきた。

フロントで船のことを訊ねたが『ここでは運航状況はわからない』という。急いで荷物をまとめ、とりあえずフェリー乗り場に行ってみる。途中、大きな虹が出ていることに気づく。

LaSpezia 朝の港

LaSpezia 雷が終わって虹

乗り場に行っても運航するか不明のようだ。ホテルに戻り、急いでチェックアウト。「運航」に賭けることにして再びフェリー乗り場へ。

 

9時すぎ乗り場に着くと大勢の人が待っている。どうやらO.K.のようだ。

 

◆フェリー出航

ポルトヴェーネレでは下船して見るつもりなのでその旨切符売り場で言うと『他では下りないこと』を確認された上で13ユーロ払う(これは料金表にはのっていない)。船に乗りこみ2階席(デッキ)に座る。座ったまま陸が見えるように進行方向左側だ。

定刻より5分遅れで9時20分出航。まずラ・スペツィアの湾内をゆっくりと進む。フェリーといってもいわば遊覧船、いろいろと英語で説明がある。ヨットハーバーもある。ジョルジョ・アルマーニの大きなヨットも停泊している。ムール貝の養殖場(多分)も見える。

LaSpezia ヨット・ハーバー

 

だんだん天気が良くなり海の旅日和、風が気持ちいい。再チャレンジして良かった。昨日運航していたとしても天気はいまいちだったのでなおさらそう思った。

 

◆ポルトヴェーネレ

約30分でポルトヴェーネレ到着。船から見える岬の突端にあるサン・ピエトロ教会の姿は印象的だ。

Portovenere フェリーから見えるサン・ピエトロ教会②

Portovenere フェリーから見上げたサン・ピエトロ教会

ほとんどの人がここで下船、次の11時の船まで約1時間の観光だ。

大半の人がサン・ピエトロ教会の方に向かっていったが混雑するのも嫌なのでカステッロ横の石段を登る。結構しんどい。左側がカステッロだと思うがその壁はまさに城塞、高くそびえている。

Portovenere 城塞への階段

Portovenere 城壁

 

 

先端に出てみるとサン・ピエトロ教会が眼下に見える。チンクエテッレの海が青くきれいだ。周りには誰もいず絶景を独り占めだ。

Portovenere 城から見るサン・ピエトロ教会

Portovenere サン・ピエトロ教会のある岬 

登ってきた石段をころばぬように下り、今度はサン・ピエトロ教会へ行く。船で一緒だった人々はもう戻ってくるところ。

Portovenere サン・ピエトロ教会への道

Portovenere サン・ピエトロ教会 鐘楼

教会はここも縞模様のジェノヴァ様式、小さな教会だ。後陣の窓から日が差し込み、思っていた以上に中は明るい。

Portovenere サン・ピエトロ教会 内陣

 

Portovenere サン・ピエトロ教会回廊からの海

一通り見るべきものを見てあとは次の船に乗るだけだが港に面した土産物屋兼バールでジェラートを買い一休み。

 

◆海からのチンクエテッレ

11時の船がなかなか来ない。10分弱遅れて到着、乗り込むが出航したのは11時半頃。舳先近くに座ったので結構揺れ、波しぶきを受ける。それでも海も空も真っ青で気持ちがいい。

CinqueTerre 海から見るRiomaggiore

CinqueTerre 海から見るRiomaggiore②

リオマッジョーレには30分弱で到着、下りるつもりはないので乗客の乗り降りを座って待つのみ。12時すぎ出航。

昨日歩いた《愛の小道》がよく見える。この船はマナローナには寄らない。山の上の町、コルニリアも船上からはっきり見ることができた。教会の塔も見える。

CinqueTerre 海から見る愛の小道

CinqueTerre 海から見る愛の小道

CinqueTerre Corniglia④ ベスト

入り江に面した建物がカラフルなヴェルナッツァの町が見え、だんだんと近づく。こういう景色は「海から」ならではだ。

CinqueTerre 海から見るVernazza

 

 

12時20分到着、ここでほとんどの人が下りる。12時27分出航。

モンテロッソにも船着き場のある旧市街の方に船が向かって行く。12時35分到着だ。

CinqueTerre 海から見るMonterosso

CinqueTerre Monterossoへ近づく

◆モンテロッソで2日続けてランチ

モンテロッソの町は昨日見ていたし、ラ・スペツィアへ戻りレッジョ・エミリアへ移動する予定なので駅へ急ぐ。切符売り場に並んでいる人がいて12時43分発の列車に乗るのをあきらめる。

 

次の列車まで、と駅前のビーチ沿いをぶらぶらするが、折角の景色なのでこのビーチに面したリストランテ・カフェでランチにする。メニューを見ると場所柄少し高いようだ。

海の幸サラダと魚介類のフリット、これと水代わりに白ワイン。フリットがカラッと揚がっていて美味い。

CinqueTerre Il Gabbiano 海の幸サラダ①

CinqueTerre Il Gabbiano 魚介類のフリット①

海を見ながらゆったりと食事をとる。海の色は空を映して青いし波がキラキラ。目の前のビーチにも平日(水曜)なのに人出がある。

CinqueTerre Il Gabbianoからのビーチ

 

船旅もできたし本当に再度来て良かった。昨日だけではチンクエテッレの印象が悪くなるところだった。

 

◆ラ・スペツィアへ戻る

14時04分の列車は10分遅れ。これでラ・スペツィアへ戻る。到着寸前、車窓から真夏のような積乱雲が見えたので雷雨を心配したが大丈夫だった。

 

ホテルに戻らず、何回か通りすぎながらまだ見ていないサンタ・マリア・アッスンタ教会へ直行する。

LaSpezia サンタ・マリア・アッスンタ教会(全景)

 

中は3廊式で装飾もあまりなく白っぽい。ロッビアの《聖母被昇天》の作品が左にある。一つ一つは割と小さいが《キリストの磔刑》の14場面の絵が左右の壁を飾っている。主祭壇奥には《聖母被昇天》の絵だ。

LaSpezia サンタ・マリア・アッスンタ教会 内陣

LaSpezia サンタ・マリア・アッスンタ教会 ロッビア作「聖母戴冠」

ホテルに戻るついでに朝行ったサン・ジョルジョ城へ再び行き、眼下の港を見ると景色が天気で全然違う。

LaSpezia サン・ジョルジョ城からの良い眺め

 

帰りにホテル前の教会に立ち寄る。イエスの聖心教区教会とでもいうらしい。

LaSpezia イエスの聖心教区教会

 

 

◆レッジョ・エミリアへ

スーツケースをピックアップし駅へ向かう。16時、駅に着く。

パルマ乗換えでレッジョ・エミリアに行く列車は16時20分発だ。15分をすぎても1番線なのにそこにはピサ行きが停まっている。ディスプレイを見るとホームは”1T”となっている。駅の人に訊くと『1番の前、右の』だという。”1Tronco”は日本でいう0番線ということを初めて知った。

5分ほど遅れて発車、内陸エミリア・ロマーニャ州のレッジョ・エミリアへ向かう。

 

◆泊る

ホテル MY ONE HOTEL(★★★★), via XX Settembre, 81 Twin single use 1泊 89ユーロ

LaSpezia MyOne Hotel

 

Venere.comで予約、2泊する。駅とフェリー乗り場の中間であることが決め手で選ぶ。

建物は割と新しく高低差のある場所に建っていて、正面入り口は6階にあたる。部屋は210号室、内装、設備はいいがピローネ通りからのいわば裏階段を目の前にしており眺望は全くだめ。

 

◆食べる

  • リストランテ

お店の名前 Osteria All’ Inferno, via Lorenzo Costa, 3 La Spezia

LaSpezia Osteria All' Inferno 入口

LaSpezia All' Inferno 店内

地元の人でいっぱい、安くてうまい居酒屋的雰囲気で場所さえわかればおすすめ。

食べたもの プリモは海の幸のスパゲッティ(6ユーロ)、セコンドに魚のカルパッチョ(8ユーロ)。

LaSpezia All' Inferno 魚のカルパッチョ

 

味は本文の通り。コペルト、ワイン(グラスで2杯)、水、食後のカフェで計19ユーロ。

お店の名前 Osteria Duccio al mercato, via F.lli Rosselli,17 La Spezia

TripadviserでのLa Spezia飲食店評価第一位

食べたもの 前菜はタコとポテトのサラダ(7.5ユーロ)、プリモはロンボのパスタ(Paccheri al ragu di rombo、7ユーロ)、カメリエーラに勧められた一品。イカみたいな歯ごたえのパスタに魚とトマトが押しつぶされたソースで美味い。あとで辞書で調べるとロンボとはヒラメのことらしい。

LaSpezia Osteria Duccio タコとポテトのサラダ LaSpezia Osteria Duccio ロンボ

セコンドはこれまたおすすめのカタロニャ風ヨーロッパロブスター(Astice alla catalano、14ユーロ)。パプリカ、人参、セロリの上にロブスター半分。ロブスターと言われたがAsticeは「ウミザリガニ、オマールエビ、ヨーロッパロブスター」を指すらしい。値段から見て伊勢エビではないだろう。

LaSpezia Osteria Duccio カタルーニヤ風ロブスター

コペルト、ワイン(500ml、3.5ユーロ)、水、カフェで計35ユーロ。食後酒3種はシェフからのサービス。

お店の名前 Ristorante Al Garugio, via S.Pietro, 9 Monterosso Al Mare

食べたもの プリモはジェノヴェーゼ・ソースのスパゲッティ、セコンドはムール貝のワイン蒸し(何と40個もあった)、

CinqueTerre Monterosso Al Carugio ムール貝の蒸し物

CinqueTerre Monterosso Al Carugio クレーム・カラメル

これにパンと水がついて18ユーロの定食、プリモ、セコンドは何種類から選べるプリフィックス。ワイン(500ml、2.5ユーロ)、ドルチェ(クレームカラメル、4.5ユーロ)で計25ユーロのランチ。

お店の名前 Ristorante Il Gabbiano, via Fegina,84  Monterosso Al Mare

食べたもの 前菜に海の幸サラダ(8ユーロ)、セコンドに魚介類のフリット(14ユーロ)、これが食べたかった。イカ(カラマリ)とエビ(ガンベロ)がからっと揚がっていて美味しい。ビーチを望みながらたべるのは格別。コペルト、水代わりの白ワイン(500ml、4ユーロ)で計28.5ユーロのランチ。

 

◆買う

お店の名前 Enoteca La Monterossina, via Roma,7  Monterosso Al Mare

買ったもの グラッパ、レモンチーノ、野イチゴのリキュールなど200mlのもの4本(各7ユーロ)、500mlのグラッパ(14ユーロ)、いずれもシャケトラ醸造元Sangalla社製品

お店の名前 Enoteca D’Uuscintu, via Colombo,84  Riomaggiore

買ったもの シャケトラSciacchetra Riserva 2002, Terra di Bargon(375ml、54ユーロ)

レモンオイルコンデショナー(250ml、7.5ユーロ)

ジェノヴァ産アンチョビフィレ瓶詰め(10.5ユーロ)

ペスト(ジェノヴェーゼ・ソース、3.5ユーロ)

 

◆乗る・歩く

◎チンクエテッレ1日乗車券(レヴァント/ラ・スペツィア間の乗降自由、愛の小道入場も含む、その他チンクエテッレ・カードと同じ利用範囲、8.5ユーロ)

◎チンクエテッレ遊覧船(ラ・スペツィア~ポルトヴェーネレ~モンテロッソ、13ユーロ)

 

◆読む

本の名前 『ミラノから行く北イタリアの街』田島麻美著 双葉社 1700円

ラ・スペツィア1日目に探し回ったオステリア、モンテロッソで閉まっていた店はこの本による。

今までの旅でもタビタビお世話になっている。