Siracusa(シラクーサ) 2001/7/22


◆行く
 タオルミーナでの優雅なホテルライフを終え、次の目的地、シラクーサへ。

 ホテル専属の車で駅までおりる(25,000リラ)。45分後の列車のために50人以上窓口に並んでいて少々あせったが、11:09の列車が1時間半遅れていて、11:40の列車が先に出るとのこと。駅員の英語はたどたどしく、つたないイタリア語で何とか確認する。

 並んでいた若い二人連れのギリシャ人女性はイタリア語がわからないためか、いろいろ英語で尋ねられ、そのうちお互いの旅行についてもあれこれ話をした。11:40の列車も10分遅れで到着、乗車。

 夫婦二人のコンパートメントに入る。彼らは途中窓に顔をくっつけるようにエトナ山の噴煙を見ている。また一段と噴火がひどくなったようだ。約50分でカターニャ駅到着、どうも車両内が静か。切り離されるみたいで、あわてて降りて駅員に尋ねるとシラクーサ行きは「前だ!」とのこと。そのうちさっきのギリシャ人二人に「ついて行っていいか?」とまた声をかけられる。1等車に乗り込んだところで何となく別れた。

 14時頃シラクーサに着き、駅のホールで二人が振り返り、お互いに手を振って別れた。

 ホテルは駅から10分くらいと思っていたら出口の方角を完全に勘違いしたため30分もかかってしまった。

◆見る
 日曜のため新市街のホテル周辺には食べ物屋がなくこの日は昼抜き。
 
 目指すは考古学地区。暑いのでTシャツと短パンで出かける。

 タオルミーナ同様、ギリシャ劇場を見る。タオルミーナとは違いわりと平坦な地域にあり背後の海も遠くにしかし広く見える。劇場そのものも相当大きいようだ。観客席の上からの眺望が青い海を背景に素晴らしい。

Siracusaギリシャ劇場

 

Siracusaギリシャ劇場4
 ギリシャ劇場を後にして天国の石切り場に行く。石切り場として掘られたものの中でディオニソスの耳といわれる洞窟がある。入口部分は細長い合掌造のような穴になっていて、中に入ると天井が高く音がもの凄く反響するような気がする。

ディオニソスの耳の中

 


 少し戻りさらに南の方へ進むとローマ格闘技場がある。一つの場所に、ギリシャ劇場とローマ格闘技場というのは珍しいのではないだろうか。

Siracusaローマ闘技場


 考古学地区を出て大きな通りを東へ向かう。右手にはかなり大きな円錐形というか三角形の近代建築の聖所記念堂がそびえている。そのほぼ向かい側のパピルス博物館に入る。ここシラクーサはパピルスの町。中ではパピルスの作り方の実演をしておりどこかの外国人ツアーの人たちが取り囲んでいたので適当に切り上げる。パピルスに描かれた絵がお土産として展示されている(似たようなものがたまに日本橋の丸善で展示即売されている。値段からすると絶対現地で買う方が安かったように思う)。


◆カタコンべ

さらに北に向かい、サン・ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ教会へ。ここは当初予定していなかったが地図を見たら近くだったので寄ったもの。
 これがどうしておもてからは想像できないカタコンベが地下にある。カタコンベの入口で、5分待てばガイドツアーがあるので待てといわれるがなかなかスタートしないので我々だけで中に入って行こうとしたら止められる。大人数のグループの到着が遅れたため約25分待ってからスタート。ガイドは『5分待って』と言った若い男性。

 地下は広くて多分自分達だけで行ったら訳がわからず迷子になったかも知れない。縦、横に通路が交差し、細かな区画に別れている。遺骸はすべて移されていて棺が置かれていた場所(多分、かなりの立場にあった人の墓)について解説された。解説は丁寧で長い。その英語の解説を大人数グループのツアーガイドが通訳(多分ギリシャ語)する、といった具合で倍の時間がかかった。途中で帰ることもできず50分付き合い、出口が近くなったところで切り上げて出た。

SanGiovanniのカタコンベ

 

◆旧市街
 シラクーサの町は見所が3つに別れていて徒歩で観光するには広い。カタコンベを出て南方向にあるオルティジア島の旧市街へと向かう。結構広くてほこりっぽい通りを歩き、橋を渡る。橋のたもとには観光用モーターボートの看板があり、海に突き出た島であることを実感させられる。

 島に入って間もなくかなり朽ちてはいるがアポロ神殿がある。旧市街に進むとドゥオモと広場、どこかで見たなぁと思ったら、旅行の1ヵ月前に見た映画《マレーナ》の舞台になった広場だということを帰国後思い出した。このドゥオモは外から見るだけで中に入る時間はない。

SiracusaDuomo

 

それからフォンテ・アレトゥーザに行く。パピルスが生え、また伝説の泉ということだが想像していたよりも小さい。日曜であるにもかかわらずそれほど人出は多くない。



 一旦新市街のホテルまで戻り(徒歩で25分)夕食のため再び訪れる。

 旧市街をぶらついたのは夕食のリストランテ探しも目的の1つだったたが今一ピンと来なかったので、例によってホテルのフロントに尋ね予約をしてもらう。これがなんと先ほどのドゥオモのすぐ近くのトラットリア。

 さっき戻った道のりをまた歩く。間口は狭くて店は小さいが店の前の小道をはさんでオープンエアの客席が大きないくつものパラソルの下に沢山あり、その一角に座らされた。

 いつもメニューを見て注文するのは自分の役目なのだが、渡されたメニューは手書きみたいな書体で読むのも面倒くさくなり、まったくの定食を頼む。A、B2種類あったのでそれぞれを注文。一人前35,000リラ、という破格の値段。これで量が物足りなかったら、と危惧しブルスケッタ(5,000リラ)と海の幸のスープ(Zuppa di Mare、16,000リラ)もオーダー。これが大変な間違いだった。

 とにかくボリュームが多く、お腹一杯のところへもってきて、デザートがスイカだった。向こうのスイカはラグビーボールのように横長だが一切れが半端な大きさではない。兄は最初からギブアップ!その後のカフェは、通常エスプレッソなので大した量ではないのがわかっていたが断ってお勘定してもらった。

 B級グルメといった感じのトラットリアだったが超満腹で思い出に残る店だ。

◆食べる
■Trattoria KALLIOPE (via del Consiglio Regionale, 26 96100 Siracusa)
<<Aコース>>
 ◎アンティパストはアンチョビの・・・
 ◎プリモはシチリア風スパゲッティ(魚の粉、多分ボッタルガ、を振りかける)
 ◎セコンドはムール貝(Cozze)のスープ(物凄いボリューム)
 ◎カフェ
<<Bコース>>
 ◎アンティパストはタコの・・・
 ◎プリモは小海老とトマトのスパゲッティ
 ◎セコンドはカジキマグロのグリル(タオルミーナでの昼食より美味)
 ◎デザートはスイカ
 ◎カフェ
<<追加注文>>
 ◎他にブルスケッタ
 ◎海の幸のスープ(あさり、エビ、カラス貝等がふんだんに入っていて量も多い)
 ◎水
 ◎ワイン(LEONE(3万リラ)、魚料理ということで珍しく白にする。少し甘口。)

2人で12.5万リラ(ワイン込み)

◆遊ぶ
■ギリシャ劇場
■ローマ格闘技場
■ディオニソスの耳
■サン・ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ教会
■オルティジア島
■ドゥオモ
■フォンテ・アレトゥーザ


◆泊まる 
Jolly Hotel Syracuse ★★★★ Twin 12,300円

JHCで予約。Jollyにしてはちょっとランクが下。部屋は狭かった。

◆買う
特に買わず

Taormina(タオルミーナ) 2001/7/21


◆行く
 いよいよシチリア旅行の始まりだ。朝6時ミラノ中央駅近くのホテルから専属タクシーでリナーテ空港へ向かう。約10分で空港着。ほぼ定刻にカターニャへ向け離陸、1時間半でカターニャ空港到着。

 普通ならばミラノに泊まらず同日乗り継ぎで日本から出たその日のうちには着けるのだが、前の年のミラノ乗り継ぎフィレンツェ行きのアリタリアが搭乗直前に訳もなくドタキャンされひどい目にあっていたのでとりあえず1泊した訳だ。 

カターニャに着く少し前、周りの乗客が席を立ち右側の窓を覗きこんでいる。何事か?と思って立ち上がり見てみると眼下の山から噴煙が上がっている。エトナ山だ(この後段々爆発がひどくなり、旅行中新聞、TVでも報道されていた。ついには火山灰でカターニャ空港が閉鎖される事態となった。我々は、カターニャから入り、パレルモから出るルートだったので支障はなかったが、逆コースなら予定通りには帰国できなかったはず)。

カターニャ行きの機上より



 空港ターミナル着が8:50、なかなかスーツケースが出てこない。ようやくピックアップし、今度はタオルミーナ行きのバスを探すが次のバスが10:30ということがわかる。

 少し待つつもりでいたがあまりにも陽射しが強いし時間も勿体ないのでタクシーに乗ることにした。乗る前に料金を訊いたところ、ガイドブックやターミナルに掲示されていた金額(15万リラ、約9000円)と同じだったので乗ったわけだがこれがとんだ食わせ者、雲助タクシーでメーターはどんどん上がり26万リラを超えていた。

 交渉もへったくれもないもんだが、最終的には16万リラ払った(甘いかも知れないが、1万リラはチップのつもり)。

ホテルは5つ星、サン・ドメニコ・パレスホテル、ホテルの玄関までタクシーで乗りつけるのが、雲助の場合はホテルの門の外でおろされる。


このホテルは、映画《グラン・ブルー》の舞台にもなった元修道院のホテル。チェックインのため玄関の右に入るが、そこは映画でもフロントとして使われていた場所だ。


 10時半に着いてしまったので、部屋を準備するまで少し待っていて欲しいといわれ結局1時間ほど待って部屋に入る。

◆見る
 ホテルを出て左方向のローマ通りに進む。遠回りした格好になったが、タオルミーナの海を眼下に見ながらウンベルト1世通りへ出る。それからウンベルト1世通りを登るようにカターニャ門に向かう。

Taorminaの海


 これで町をほぼ1周したことがあとでわかる。

 昼の腹ごしらえのため、旅行前にインターネットでチェックしておいた路地のピザ屋を探し入った。一般的にはピッツァは昼はやっていないが、オープンしていたので入ったところ『昼だからピッツァはない』とのこと、他に客があまりいないので「この店、大丈夫かなぁ」と思いできればやめたかったが(やめて出ていった客もいた)、ワインと魚のソテーと何か頼んで空腹を満たす。

 タオルミーナはリゾート地であり、見所はギリシャ劇場とウンベルト1世通りくらい。

 この通りを下って戻りメッシーナ門の手前で右に曲がりギリシャ劇場へと向かう。ジリジリと陽射しが強く昼時のため真上から太陽が照りつけてくる。狭いウンベルト1世通りで、まるで雨やどりするようにわずかな日陰を見つけ軒先を借りながら歩いた。

 

 ギリシャ劇場へ行く通りには土産物屋がならび、名産の大きな陶器の皿が飾られていた。旅の始めなので荷物になるので横目で見るだけ。

ギリシャ劇場は、海とエトナ山をバックにした素晴らしいパノラマの劇場で、ここを選んだ古代ギリシャ人の構想力には感服する。夏の野外イベントがあるらしくステージ、客席の準備がされていた。コンサートのようだったが、星空のもとのここでのコンサートはいいだろうなぁと思った。

Taorminaギリシャ劇場2

Taorminaギリシャ劇場3

せっかくの5つ星ホテル滞在なのでホテルをも楽しむことにする。泊まった部屋は380。

残念ながら新館のようでフロントから階段を下りエレベーターも使って部屋を行き来する。地形を利用して建てられているようだ。部屋の天井が高く、また照明がいい。バスローブがいかにも5つ星といういいものを用意している。

玄関に入りすぐ奥が映画にも出てきたガラスの回廊。陽射しが強くとも中はエアコンがきっちりと効いている。どこにもエアコンが見あたらなかったが、アンティーク家具のような黒い箱に納まっていて、昔の僧院を思わせる。司教の椅子、彫刻、絵が展示されている中にさりげなく商品も展示されている。

中庭は、手入れされていて南国の花が咲き乱れている。ここからみるエトナ山は絶景。自分で撮った写真をしばらくパソコンの壁紙にしていた。

SnDomenicoPalaceHotelの庭

エトナ山

プールはこの中庭を下ったところにあるが、ひっそりとしていた。

このホテルで結婚式の披露宴があるらしく、中庭には乾杯用のグラスの準備がされていた。

さて、夕食。コンシェルジェのお姉さんに幾つかリストランテを教えてもらう。そのうち『高いですよ』といわれたところを見に行く。ウンベルト1世通りを少し下って右の路地を入ったところにあったが、店の前にメニューが出ていて確かに高い。結局、教えてもらったお勧めのリストランテでもあった「FIGARO」に出ていた《アル・ドゥオモ》(実は旅行前からの候補)に決め予約をお願いした。

昼間うろうろしている時アル・ドゥオモの場所はわかっていた。ドゥオモ広場に面している。建物1階の屋上に折りたたまれた大きなパラソルがあった。それほどのリストランテとも思えなかったのだが。

狭い路地を入りその建物の階段を上がる。中はきちんとしたリストランテ。ところが奥へ案内された席は屋上のパラソルの下。しかし、暗くなっていくとこれが実にいい雰囲気。東京と違って夜になると屋外でも涼しい。おまけにすぐ側には大聖堂。9時ごろだったろうか、2組もの新婚カップルがドゥオモの前で記念撮影するところまでワインを飲みながら楽しめた。

◆食べる
■Al Duomo (vico Ebrei 11 98039 Taormina)
◎アンティパストはタコのサラダ、カポナータ
◎プリモは海の幸のパスタ、空豆のスープ
◎セコンドは魚介のフライ(ホタルイカ、鰯、小さな赤い魚。オレンジと一緒に食べる)、
小えびの何とか(パン粉でふっくらと固めたもの)
◎デザートはシチリア名物のカッサータ、カンノーロ(めちゃくちゃ甘い)
◎水、食後酒
◎ワイン(CURTO Fontanelle Nero D’a vola 100% Vendemmia 1998 (5万リラ))
2人で計20.7万リラ(ワイン込み)

◆遊ぶ
■エトナ山
■ギリシャ劇場
■ウンベルト1世通り

◆泊まる
San Domenico Palace Hotel Taormina ★★★★★ Twin 51万リラ(朝食つき)

メールで直接予約。宿泊日は7月第3週土曜日だったがインターネットホームページでこの日がいわばシーズンオフ最終日であることを確認して予約。日程上無理だったができれば2泊はしたかった・・・・・。絶対に勧めたいホテル。

後輩に話したら彼は即実行、冬場だったためチェックイン時に海の見える部屋を頼んだらそうしてもらえたとのこと。

庭に面した朝食も内容、雰囲気といい抜群。スプマンテも供されていた。朝にスプマンテが出ているのは高級なホテルの証と聞いたことがある(私の経験ではここ以外ではフィレンツェのベルニーニパレスホテル、他にもあるでしょうが)。

ホテル内リストランテも良さそうだ。

ホテルから当日の天候(晴れときどき曇り)、気温(22度~29度)が記された名刺大のカードを渡され記念にとっている。
従業員はリゾートらしく白のポロシャツ着用。

◆買う
アーモンドのワイン(9,000リラ) どちらかといえば梅酒のような味わい。

SanGimignano(サン・ジミニャーノ) 2000/8/10

SanGimignano(サン・ジミニャーノ) 2000/8/10

◆予定変更
サン・ジミニャーノシエナからプルマンで1時間ちょっと、またフィレンツェまでは2時間弱。初めはシエナからフィレンツェに行く途中に訪れるつもりだった。この日、モンテ・プルチアーノからプルマンで1時間半かけてシエナへ着き、シエナのホテルにチェックインした後、急に予定変更してシエナ観光の前にシエナから往復することにした(これが個人旅行のいいところでもあり、いい加減なところともいえる)。その理由は、途中下車だと万一荷物を預けることができなかったらまずいな、と思ったからだ。

昼食はサン・ジミニャーノで取ることにして、プルマンの切符を買う(一人8600リラ)。
2年前の3月に泊まったJOLLYホテルの前を12時10分に発車。すでにシエナまで1時間半もプルマンの旅をした後だったので多少疲れ気味のせいか、うつらうつらしてしまう。経由地のポッジポンシで乗り換える必要のない直通便だった。ポッジポンシをすぎてからようやく前方にイタリアではよくある山の上の町が見えてくる。もうすぐか、もうすぐかと思うがなかなか近づかない。

サン・ジミニャーノは塔の町として有名だ。昔は沢山あったそうだが、すでに随分取り壊されているので、遠く下の方向からから見るだけに塔の町とはあまり思えなかった。

13時20分定刻通りサン・ジョヴァンニ門前の広場に着く。念のためあたりを見回しても荷物預り所みたいなところはなかったので、シエナからの日帰りにしたことは正解だった。

朝食を8時に取ったためお腹がすいていたので観光の前にまず昼食。「FIGARO」で1ヵ所チェックしておいたリストランテは本当かどうかわからないがネクタイ着用とあったので(予算も時間もかかりそうだろうとも考え)やめることにし、サン・ジョヴァンニ通りに面した店に入った。この店は「歩き方」に出ていてすぐわかったので入ったがこれは失敗だった。単に空腹を満たしただけ。

チステルナ広場を抜けドゥオモ広場へ行くと左手に参事会教会があり、まずここに入る。天井はそう高くないし、内部は比較的明るく見え、大勢の観光客がいることもあって教会という印象をあまり受けない。奥の方にサンタ・フィーナ礼拝堂(入場料6,000リラ)がありここにはギルランダイオの「聖女フィーナの生涯」のフレスコ画があった。

ドゥオモ広場で周りの塔を見上げながら広場の北からサン・マッテオ通りに入り、この町でサン・ジョヴァンニ門から一番遠い場所にあるサンタゴスティーノ教会まで行く。入ろうとしたら昼休みということなのか15時までしまっていた。この教会は13世紀末に建てられたロマネスク-ゴシック様式とのことだが単純に外観だけみれば倉庫みたいな形をしている。

ともかくも15時まで10分ほど隣接する広場で座り込んで待ったが、陽射しがじりじりと照りつけてきたのを今でも覚えている。

白ワインで生き返る
ぶらぶらとサン・マッテオ通りからサン・ジョヴァンニ通りへと戻る。道の両側にはジェラート屋、土産物屋、ワイン屋などが並んでいる。この町にもヴェルナッチャ・ディ・サン・ジミニャーノという白ワインがあるが、昼のワインは美味しくなかったので一息入れたいこともあってキャンティ・クラシコのシンボル・マーク“ガッロ・ネロ”(黒い雄鶏)の看板がでていた店に寄る。

通りに面したテーブルで冷えたヴェルナッチャ・ディ・サン・ジミニニャーノをブルスケッタで一杯やる。白ワインといっても薄い黄金色、美味しかったし、冷たくて生き返った気がした。

16時5分発のプルマン(ポッジポンシ乗換え)で17時10分にシエナへ戻る。
滞在時間が短く、塔に上ることができなかったのはちょっと残念だった。

◆食べる
●リストランテ
お店の名前 Taverna Paradiso, Via San Gimignano, 6
食べたもの お昼の定食、ワインつき 一人22,000リラ、ほかにコーヒーを注文して2人で47,000リラ
セット・メニューの内容は良くなかったので覚えていない。

飲んだもの 本文の通り、2人で15,000リラ

Montepulciano(モンテプルチアーノ) 2000/8/09

◆みる
トスカーナの旅、4日目、ワインで有名なモンテプルチアーノを訪れる。この日はペルージャを立ち、オルヴィエート観光の後、FSでキューズィ・キャンチアーノへ行き、駅前からバスでモンテプルチアーノへ向かう。

列車は15時29分発、30分でキューズイ到着(1人4,200リラ)。小さな駅だ。駅前のバス乗り場も小さくて数台分しかなく、ここから長距離バスがでるか不安になったが、30分後にバスのあることが分り、ホッとする。

16時30発車、乗客はそう多くない。途中16時55分にテルメ・デ・キャンチアーノという温泉の町を通る。車窓からみただけでも、大きなリゾート地という雰囲気がする。きっとシーズンには多くの人が温泉などを楽しみにくるに違いない。

そこから約30分で山道を上がりモンテプルチアーノの町の入口目前の広場に着く。そこが終点。この町はそう大きくなくホテルを選ぶ時にも、ガイドブックには2つしかなく結局前の晩ペルージャで決め電話で予約したのだが、バスを降りてプラート門に入ってすぐ左手に選ばなかった方のホテルがあった。

「なぁーんだ、あのホテルだったらこんなに近かったんだ」と言いながらさらに町の中を進んで行くと勾配が段々きつくなる。スーツケースを引っ張るが結構大変だ。うっかり手を離そうもなら、まるでスキー場でころんで板が落っこちていくようにガッーとスーツケースが落っこちていきそうだ。

両側にはさすがワインの店やらみやげ物屋などがある。その急な坂道を30分かけてドゥオモの前を通り過ぎさらに上にあるホテルを見つける。このホテルは町の一番高いところにあり、そういう面ではホテル選びを間違ったのだ。間違えた理由はただ一つ、この町は南北に長く、そして北から南へ上っているのが、地図では南が下にあるからだった。でも、入口近くのホテルだったら果たして上まで足を伸ばしただろうか。

着いた時間が時間だけにいわゆる観光をする余裕はない。モンテプルチアーノにはワインを試飲させてくれる店(カンティナ)が沢山あるらしいが、醸造元直営のところを知るためにグランデ広場の観光案内所に行くがよくわからない。あきらめて出てみるとすぐ近くにそれらしき店の看板があるがもうすでに19時をまわっていて閉まっていた。

グランデ広場を取り囲むように市庁舎、ドゥオモ、コントゥッチ宮などがある。市庁舎はフィレンツェのヴェッキオ宮を模したというだけあってよく似ている。違いは塔が若干低いことか。いずれにしてもすべて外観のみで中には入らなかった。翌朝見るつもりだったが、シエナへ行くバスの時間の関係で結局モンテプルチアーノ観光は省略。坂道の上り下りがこの町を知る観光といえば観光。

さて、今度は坂道を下り、途中翌朝のバスの時刻を調べながら両サイドの店を眺める。折角ワインの産地へきたのだから、ということで1軒のワインの店に入る。何本か同じものを買えば安くなると書いてある。やはりイタリア各地からあるいは地続きの国から車で来た人は沢山買い込むのだろう。我々は荷物もあることだし、残念ながら1本だけ(この日オルヴィエートで1本買っていた)地元の、といってもあのVino Nobile di Montepulcianoを買った。
イタリアの古き良き骨太なワイン!クロチアーニ・ヴィーノ・ノヴィーレ・・ディ・モンテプルチ...

今回の旅で買ったワインの中では一番高かった(65,000リラ)だけあって美味しかった。

次は例によって夕食のリストランテ探し。FIGAROの「TRAVEL BOOK イタリアレストラン」に出ていたイル・カントゥチョという店を探す。半分以上坂道を下った左手に見つけ中に入ったが満席と断られる。しようがないなぁ、と思って一旦出たが兄が『どこかいい店を教えてもらおう』と言うのでもう一度入り、2つの店を教えてもらう。

まず一つ目はさらにプラート門の方へ下り右手にあったが夏休み中。そこで2軒目を探す。坂道を上り、左の路地に入って右に曲がって右手、割と簡単に見つかったがガラス越しに中を見るとほとんど客がいないので「大丈夫かなぁ」と思いながら他にあてもないので意を決して『ボナセーラ』と入る。

入口を入ってすぐのところのテーブルに前菜が多数置かれている。そこを過ぎ奥にちょっとした大きなテーブルのある手前に座らされる。オーナー(だと思う)が注文を取りにきて、こっちが外国人観光客ということでイタリアなまりの英語で説明してくれる。ワインリストを頼んだところ分厚い本のようなものを出され一瞬戸惑ったがワインがABC順に書かれた辞書みたいなものだったので、当然Vino Nobile di Montepulcianoを選ぶことにしてVのページを開きアンティノーリのものを注文する。

料理は前菜盛り合わせ、というか入口附近にあった前菜の中から好きなものを取るビュッフェ方式。プリモは兎のミートソースのピチ(トスカーナ独特のパスタ、ぷりぷりのうどんのよう、ものすごく美味)とフレッシュトマトのニョッキ(これも美味い)。セコンドはフィレ・ステーキ、緑の胡椒味(大粒の胡椒が沢山添えられていた)。お昼が少々重かったのでセコンドは2人で1品にする。それにグリーンサラダ。デザート、カフェ、グラッパ、水。合計112,000リラ。

ここでの思い出は、初め少なかった客が段々と増えそのうち結構広かった店内が満席になり、また奥の大人数テーブルにはドイツ人のツーリストグループがやってきて賑やかだったこと。また、前菜を取りに立ったら、くだんのオーナーが『好きなものをどんどん取りなさい』というので2人の大好物の生ハム&メロンは2切れ、それ以外も玉ねぎ、ピーマン、乾燥トマト、茄子のグリル、豆、フレッシュトマトなどをよそう。13,000リラ(約700円)だったのでこれは2皿分請求されても当然だと思ったが1皿分だけだった。

食事を終えてまた坂道を上がってホテルへと戻る。グランデ広場のドゥオモ前では夏のイベントの演劇リハーサルをやっている。イタリアの夏は昔の日本のようにその町、その町で野外イベントが開かれているようだ。

◆食べる
■Borgo Buio(via di Borgo Buio, 10 53045)
◎兎のミートソースのピチ
◎フレッシュトマトのニョッキ
◎フィレ・ステーキ、緑の胡椒味
◎グリーンサラダ
◎グラッパ
◎水
◎デザート
◎カフェ
◎ワイン(Vino Nobile di Montepulciano)
計二人で112,000リラ也。

◆遊ぶ
■坂道の上り下り

Orvieto(オルヴィエート) 2000/8/9

◆ドゥオモのファサードが素晴らしい
ペルージャ2泊の旅を終え、オルヴィエートへ向かう。この町の名前を知ったのは初めてのイタリア旅行の時(この旅の2年前)だ。シエナのリストランテで先客だった30代の日本人夫婦から声を掛けられ、お互いに日本人恋しさで食後話し込んだ際、シエナの前はどこからきたかということになり二人はオルヴィエートから来たということで知った。そしてドゥオモのファサードが素晴らしいということを教えてもらった。

8時すぎにペルージャのホテルをチェックアウト。イタリア広場から市内バスに乗り、駅へ(10分足らずで着く)。8:42のテロントラ行きの列車に乗り、テロントラで9:38のローマ行きに乗り換え10:30にオルヴィエート着。乗り換えてから1時間あったので兄とワインやお酒のことなど話しているうちにあわや降りそこねるところだった。

駅を出てフニコラーレに乗り、山の上の町に上る。このフニコラーレには大勢の子供たちと一緒になり、ワイワイガヤガヤと騒がしくどこの子供たちも同じだなぁと感じた。

フニコラーレを降り地図を見ながら歩いて約15分でドゥオモの南方向からドゥオモ前の広場に出る。ゴシック様式の粋をきわめたドゥオモだ。見上げると黄金色のファサード。

広場といってもそう広くなく、西側にはすぐ建物があるのでこのファサード全体を写真にとるのは難しい。ファサードは彫刻とモザイク画で装飾されている。バラ窓の周りには聖人の顔の彫刻。そして上、左右には聖人の彫刻がある。バラ窓の上にはモザイク画のマリアの戴冠が描かれていて本当に凄い。まるでファサード全体が祭壇画のように見える。

ドゥオモの向かいの店で礼拝堂の観覧券(1人3,000リラ)を買いドゥオモ内部に入る。フニコラーレで一緒だった子供たちが大勢いるため静寂なはずのドゥオモが騒がしい。

ドゥオモをあとにし、ファサードを何度か振り返りながら広場西側の狭い道を進み市庁舎のあるレップブリカ広場へ行く。4年近く経った今思い出そうとしてもドゥオモの印象が強いのかあまり思い出すことができない。ポポロ宮に行ってみたが、歴史的建造物なのだろうがくすんだ建物という感じしか残っていない。ポポロ宮前の広場には朝市の名残なのか数軒の屋台の店が出ている。

◆トリュフといのしし
ちょうどお昼になったのでいつものリストランテ探し。ここでは、FIGAROの「イタリアレストラン」に載っていたアル・ポッツォ・エトルスコに決めていたので住所からデ・ラニエリ広場を探すがなかなか見つからない。広場とは名ばかりで小さな広場だった。

FIGAROによるとオルヴィエートではトリュフといのししを必ず食すべきとのこと。この店のおすすめ料理はそれらを素材としたトリュフのフィットチーネ、いのししのミートソースのパッパルデッレがあるということでここに決めていた。それで注文する時もメニューから探すのではなく最初からあらかじめ用意したメモの料理名を見せて頼んだ。ワイン、料理とも美味しくて満ち足りた昼食となった。

食後オーナーに頼んでこの店の中にあるエトルリア時代の井戸(ポッツォ)を見せてもらった。そう深いものではなかった。でもそういう古いものがまだ壊されずに建物の中にあることがすごいと思う。

食事をすませてからメインストリートであるカヴール通りで買物をしようとしたが開いているのは名産のワイン(オルヴィエート・クラッシコ)の店と土産物屋くらい。で、ワイン1本と陶器(コーヒーカップ)を記念に買う。

そのままカヴール通りを歩いて駅へ向かうがフニコラーレの近くにサン・パトリツィオの井戸があるので寄ってみることにした。

この井戸はさっきのリストランテにあったエトルリア人の作ったものではなくて、ずっと後の16世紀のものだ。地中に埋められた大きな円筒形の建物を壁側にへばりついている螺旋階段で建物の地下まで降りて行くという感じだ。階段は上りと下りの2層で一方通行になっている。一番下まで降りてみると吹き抜け部分の下の方に水面が見えた。

見終わってからの上りが結構しんどい(往復で約10分、入場料1人6,000リラ)。
15:29発の列車でキューズィ・キャンチアーノへ向かった。

◆食べる
■Al Pozzo Etrusco(piazza de’Ranieri 1A, 05018, Orvieto)
◎生ハムとメロン
◎あたたかい前菜盛り合わせ(計17,500リラ)
※8月なのになぜあたたかい前菜を頼んだかというと、本当は冷たい方にするつもりだったのに、”freddo” と”caldo”の単語を勘違いしたからだ。
◎トリュフのフィットチーネ
◎いのししのミートソースのパッパルデッレ(計22,000リラ)
※いずれも美味しい。いのししのミートソースは物凄く美味しかった。パッパルデッレというパスタは初めてだったが、幅が広く、厚さは薄く、切り口がギザギザという形。
◎コペルト(6,000×2)
◎カプチーノ(3,000×2)
◎水(3,000)
◎ワイン(16,000リラ)
計2人で76,500リラ

◆買う
■Orvieto Classico (白 18,000リラ)
■コーヒーカップ 2組(28,000リラ)

Perugia(ペルージャ) 2000/8/7~9

行く

フィレンツェを朝出てアレッツォ観光後14:12の列車に乗り、ペルージャに15:17到着。

駅前から市内バスを利用するが、No.9や7のバスを逃してしまい少し待ってNo.6のバスに乗る。こちらのバスはドアが広くてスーツケースを持つ者にとっても乗りやすい。

ペルージャの町は山のてっぺんというわけではないが駅よりは相当上の方にある。8分でイタリア広場に到着。

初日はホテル探しから

ホテルを予約していなかったのでとりあえずホテルのありそうなこの広場で降りる。ここには5つ星のホテルがあるのは知っていたが流石にそれはパス。

広場のすぐ近くにラ・ロゼッタというホテルを見つけフロントで部屋があるか訊ねる。広場に面した部屋と中庭に面した部屋があるというので2つの部屋を見せてもらうことにした。中庭に面した方が静かそうだが広場に面した部屋の天井には一面天使の絵が。天井画のある部屋などめったに泊まることができないので迷うことなくこの部屋に決めた。料金は1泊21万5千リラ。

チェックインして直ちに出かける。

チェントロ町歩き

ヴァンヌッチ通り11月4日広場まで行く。広いゆるやかな上りだ。左手にはプリオーリの館、すぐ先の11月4日広場にはピサーノ親子が装飾したファンターナ・マッジョーレ、大噴水がある。

そのフォンターナ・マッジョーレのすぐ上にカテドラーレがある。教会は通常、東が祭壇で西が入口となるがここは広場が南であるためいわばどてっぱらの南から入る格好となる(パレルモのカテドラーレも同じ)。建物そのものは他のドゥオモやカテドラーレなどと違って装飾性はないし、また石の色もそれほどでなく素朴な石の建物という感じだ。

カテドラーレを見た後、さらに上の方へ進んでみる。曲がりくねった道、石の建物に囲まれた回廊、ところどころに聖母子像の絵が見られる。

ぐるっと廻ってカテドラーレの東側に出ると陶器の絵皿、水差しなどの露店が出ていた。ヴァンヌッチ通りの1本東の通り(バリョーニ通り)を散策してまた広場に戻りカフェで一休み。

冷たいビールが美味い。ついさっきまで暑かったのに湿度が低いこともあって涼しくさえ感じる。

帰り道、プリオーリ宮に寄ってみる。プリオーリ宮《公証人の間Sala dei Natori に入る。フレスコ画が描かれた天井が12のアーチで支えられていてその装飾性が素晴らしい。

◆電話で予約してチェーナ

ホテルに戻る前にテレカを使ってお目当てのリストランテ(オステリア・デル・バルトロ)へ電話し20:30で予約。この店はFIGAROの1998.7.5号(永久保存版 ミラノ・フィレンツェ全マップ)に載っていた店だ。場所はカテドラーレの上の方、戻ってきたばかりのところだが何せ距離的には近いので問題なし。

石の回廊の奥まったところによくこんなところにあるなぁという感じで入口がある。店の中もそれほど大きくなくむしろこじんまりしている。

席につきメニューを渡されたが料理の名前がまったくわからない。そんなところへ若い日本人スタッフが助けに現れる!? 彼は修業中で普段は厨房で働いているがメニューの読めない日本人が困っているのでは、ということで我々のために急遽臨時のカメリエーレになったようだ。

おかげで料理を選ぶのに苦労はしなかったが、イタリアの古都、田舎町にいるという気もしなくなり、緊張も少しとけてしまった。近くの席にはこの日の昼、アレッツオのリストランテで見かけたご夫婦(イタリア人か、どこの国の人かわからない)がいる。これにはびっくり。

ホテルへの途中、バールに寄りホテルの部屋で飲むため地ワインを買う。

ところがホテルに戻りベッドで一休みしていると急に気分が悪くなりワインを飲むどころではなくなった。どうもアリタリアのミラノ・フィレンツェ便ドタキャンによる寝不足やその後の旅の疲れのようだ。こういうときは一人旅ではなく相棒のいる旅で良かったと思う。旅行を楽しむには体力、健康、無理をしないのが大事であることを痛感した。

体調を戻しつつ、観光開始
午前中はプリオーリの館の中の《両替商会館Collegio del Cambio国立ウンブリア美術館へ行く。夕べの体調の悪さが残りふらふら感じながら美術館をさまよった気がする。とりあえず1時間足らずで切り上げホテルで休む。

少し落ち着いてきたので再び出かける。11月4日広場を過ぎカテドラーレの東をさらに進み右に回りこむ道を通ってサン・セヴェーロ教会を訪れる(入場料1人6,000リラ、ポッツオ・エトルスコと共通)。小さな教会だ。ここの小礼拝堂にはラファエロが描いたフレスコ画があった。ペルージャに残るラファエロの唯一の作品だそうだ。

ここを出てすぐ近くのポッツオ・エトルスコに入る。エトルリア人が掘った井戸だ。オルヴィエートの井戸のように真下の垂直方向ではなく、鉱山の坑道のようなゆるやかな下りだったような気がするが記憶はあまり定かではない。

ペルージャにはイタリア語習得のための外国人大学があり、そっちの方に行くとエトルリア門がある。エトルリア門まで行ってみると門を出てすぐ下のフォルテブラッチオ広場に面した大学の建物が見えた。

(まさか、この10年後にここに語学留学するとは想像もしていなかった)

夕方にはこの広場からさらに奥のガリバルディ通りを北に進み円形のサン・タンジェロ教会へ行ってみた。この教会は古い時代の教会で、周囲に何もないこと、外観は円形、内部はドームで石を積んだだけの質素さが特徴だ。

少し遅くなったが昼食をとることにし、オープンエアのカフェを探すがそう沢山あるわけでもなくヴァンヌッチ通りを広場に向かって右折したところの店のテーブルに座ったもののサンドィッチしかできないといわれ「ペルージャでサンドィッチというのもなぁ」と相棒の兄と意見が一致し席を立つ。

結局オープンエアのカフェとはまったく正反対の穴倉のような庶民的なリストランテに入り、ペンネ、ピッツァ、ビール、ワインの昼食となった。少し落ち着いてきたが(ビール、ワインを飲んで落ち着いてきた、もないもんだが)一旦ホテルに戻り1時間半ほどまどろむ。

◆高低差をものともせず

疲れを充分とったところで町の中心より下の方にあるサン・ドメニコ教会、さらにはるか下に見えるサン・ピエトロ教会に行くことにした。サン・ドメニコ教会がはどっしりと大きいのに対し、サン・ピエトロ教会は尖塔が特徴的だ。

そのサン・ピエトロ教会の内部は荘重な感じで、身廊と側廊を分ける左右各9本の柱は濃い灰色だ。側廊天井はアーチ形、天井は彫金の装飾、壁にはキリストの一生を描いた大きな絵で覆われ全面絵の美術館といった趣きだ。この教会を出てから前に書いたサン・タンジェロ教会まで行ったのだからかなり高低さがあり大変な山登りをしたことになる。それほど体力も回復していたということだろう。

2時間半もかかった夕食、大満足
夕食は昨日とは対照的に気軽なオステリア。コース料理(1人39,000リラ)を頼んだがゆうに2時間半もかかったほど手を変え品を変えという感じだった。

まず食前酒としてスプマンテ。これにお通し(花びらのような形のクッキーみたいなものにオイルサーディンとサワークリームのディップがちょんと乗っている)。

前菜はバルサミコ味のゼリー状のものにエビとナッツ。

プリモは2人なので2種、フレッシュトマトとチーズが添えられた餃子のような形のパスタ(アニョロッティ?)、もう1品はムール貝とクリームソース味の四角いパスタ。

セコンドは白身の魚を焼いたもので、表面にハーブがのっている。付け合せは、きゅうりをおろしたものに、オイルサーディン?をミンチして固めたもの、きゅうりのスライス3つ、人参。ここまでくるとこの付け合せは食べきれなかった。

ドルチェはジェラート。桃の味のソースがかかっているカップ型の白いジェラートで、桃のスライス、グスベリー一房と共に大きな皿に盛り付けられ粉砂糖が振りかけられていて見た目も豪華そのもの。

この店の料理は普通のイタリアンではなく創作料理といった趣きで(メニューを見ても前菜にも「生ハムとメロン」など定番の単純なものはない)、それでこの値段は信じられない。しかもこの日はサービス料はいただきませんとメニューに書かれていた。

気軽なオステリアといったのは、カジュアルなインテリアとサービスするカメリエーレ、カメエリエーラは全くの普段着だったからだ。特にカメリエーレは頭ボウボウ、無精ひげでジーンズとしけたシャツ姿だった。だからといってぞんざいなサービスではなくむしろ丁寧なサービスだった。

料理も、ワインもおいしく大満足だったので、この日はチップ不要となっていたが”ポッソ?(Posso?)”と声を掛けお皿を片付ける担当の若い女の子に10,000リラのチップを渡そうとすると”私に?(Per me?)”と遠慮がちにそして嬉しそうに微笑んで受け取ってくれた。

ちなみにこの店もFIGAROの1998.7.5号の載っていた店だが、それによるとシェフはウンブリアの食材を使って自分のファンタジーを表現したいという23歳の女性だという。おすすめの店だ。

23時すぎに店を出てホテルに帰ったが、ホテル近くのヴァンヌッチ通りのやや広いところにステージが作られ夏祭りといった感じのイベントが行われていて、夜遅くまでその音が心地よく聞こえてきた。

◆泊まる
■La Rosseta ★★★★ Twin 215,000リラ (1泊)
朝食をとる玄関前のオープンエアのテーブルが夜はディナーの席に変わる。夜帰ってくる時そこを通るがいい雰囲気。もう1泊するならここで食事をしてみたかった。(味はそれほどでもない、という話を後日経験者から聞いたが・・・・・)

◆食べる
■Osteria del Bartolo(via Bartolo, 30 06100 Perugia)
勘定をする際、エグゼクティブ・シェフ”Simone Ciccotti”の名刺を渡された。
◎前菜2品(40,000リラ)
◎プリモ(エビのぼろきれのパスタ38,000リラ)
◎セコンド(46,000リラ)
◎コーヒー(7,500リラx2)
◎コペルト(10,000リラx2)
◎水(7,000リラ)
計2人で232,000リラ(サービス料10%)

■Ristrante-Pizzeria La Botte(via Volte della Pace, 33 06100 Perugia)
庶民的な店
◎ペンネ
◎ピッツァ
◎ビール
◎デキャンタのハウスワイン
計2人で47,000リラ

■Osteria del Gambero(via Baldeschi,17 06100 Perugia)
◎スプマンテ
◎バルサミコ味のゼリー状のものにエビとナッツ
◎フレッシュトマトとチーズが添えられた餃子のような形のパスタ
◎ムール貝とクリームソース味の四角いパスタ
◎白身の魚を焼いたもの
◎ジェラート
◎ワイン
計2人121,000リラ

◆遊ぶ
■11月4日広場
■プリオーリの館
■国立ウンブリア美術館
■サン・セヴェーロ教会
■ポッツオ・エトルスコ
■サン・ピエトロ教会

◆買う
■Giuliano(via Danzzeta 1,06100 Perugia)
乾燥ポルチーニ(100g? かなりの量があった) 17,000リラ
FIGAROの1998.7.5号掲載の食材屋さん。他にももっと買いたいものが沢山あった。

Arezzo(アレッツォ) 2000/8/7

◆聖十字架伝説
フィレンツェからペルージャへの途中、《聖十字架伝説》の絵をみるため途中下車。フィレンツェからわずか1時間。
スーツケースを貸ロッカーに入れ、駅から南へ伸びるG.モナコ通りを進む。途中、中世の衣装をまとった騎馬行列に出会う。

「聖十字架伝説」の絵はサン・フランチェスコ教会にあるが、その前に道を少し登ったところにあるドゥオモに行く。

中には大勢の人がいて、テレビの撮影クルーまで入っていた。

さっきの行列と何か関係があるのか、大きな行事のようだ。ロッジアの宮殿の回廊を回ってからサン・フランチェスコ教会に行き、待望の《聖十字架伝説》を見る。これを知ったのはNHKのイタリア語会話(ラジオ)のテキストで。

後陣を囲むように10の場面の聖十字架にかかわる絵が描かれている。アダムの墓に生えた木が、後年キリストの十字架となり、時代を経てその十字架がエルサレムに戻るまでを描いていて、これだけでもアレッツオを訪れる価値がある。

昼食はこの教会の右向かいの地下にあるブカ・ディ・サン・フランチェスコでとる。

ここのお店のオーナーはとても気さくで我々が写真をとろうとしたらやってきてシャッターを押してくれたし、ハウスワインについても説明してくれたりした。

また、このリストランテは“Unione Ristorante del Buon Ricordo”というイタリアを中心としたリストランテの加盟店でその小冊子をくれた。

◆食べる
■Ristorante Buca di San Franchesco(via S.Franchesco,1 52100 Arezzo)
◎生ハムとメロン
◎牛肉のトマトソ-ス煮
◎水
◎コーヒー
◎ハウスワイン(赤、ボトル)
計二人で85,000リラ也。

◆遊ぶ
■ドゥオモ
■サン・フランチェスコ教会

 

Como(コモ) 1999/9/23


◆見る
 前日ラヴェンナのビザンチン文化を堪能した後ボローニャ経由でミラノに到着。ドゥオモ近くのホテルに泊まる。ミラノには2泊、2度目なので《最後の晩餐》鑑賞を予約していたほかは特にどうするということは決めていなかった。

 朝食後、ジェノヴァ日帰りにするかコモ日帰りにするか時刻表とにらめっこしたが、やはりジェノヴァ日帰りはきつすぎるなぁと思いコモに行くことにした。

しかし、どうみても9時台の列車には乗れない。11時10分発のCISが全席指定なので指定券をとるために早めに中央駅に着くようにしてホテルを出た。すぐ近くのドゥオモ、スカラ座を見たあと駅へ向かう。

 駅の切符売場に並ぶ。『コモまで往復。11時10分発に乗りたいが予約は必要ですか?』とメモを渡しながら尋ねると『予約は必要、その次の列車なら予約は要らない』とのこと。時間がもったいないので『予約したい』というと予約は別のところで窓口50番からだという。

そちらへ移動して予約番号をとると419番、まだ前に27人もいるがやむを得ない。時間は20分あったのでそのまま待つ。11時少し前に乗車券を買えたが『禁煙席』と伝えたのに逆になっていた。


 すでに列車はホームに入っていた。車内はやや紫煙が漂っているが30分あまりの旅なので我慢する。

コモ・サンジョヴァンニ駅に降り立つ。どこか寂しさを感じさせる静かな駅だ。駅を出たすぐのところに赤ん坊を抱いたジプシーがおもらいのためにすわりこんでいる。

駅からまっすぐ伸びた大きな通りを歩き、突き当たりの小さな広場をやや左の方に進むと少し大きな広場に出た。カヴール広場だ。ここまでくると湖が見える。ここはもうコモ湖観光のメインのところのようだ。

◆乗る
 コモ湖に来たからには遊覧船に乗らなければと、遊覧船の乗り場に行って時刻を確認すると広大な湖なので行き先も何ヵ所もあって、2時間コースのがすぐ出る(12時10分発)のがわかった。

でもちょうどお腹もすいてきて2時間ももちそうもないので昼食を取ってから13時30分の船に乗ることにした。

少し周りを歩きながら食べるところを探すが、結局乗り場へ戻り目の前のカフェで昼食をとる。晴れ渡った青空の下、気持ちの良い食事だった。

名だたる観光地のわりに良心的でコペルトもなくワイン込み18,000リラとリーズナブル。次の船まで時間があるので近くのジェラテリアでジェラートを買い、食べながら遊覧船乗り場で切符を買う(7,000リラ)。

今度のは所要時間1時間15分の一番短いコースだった。切符には“DA COMO A TORNA”となっていたのでここに戻ってくるか不安だったので乗船時に訊いたらここに戻ってくるとのこと。ひと安心。前の方に座る。

 船は北へ向かうので背中からの陽射しがきつい。広大なコモ湖の中ではほんのちょっと見るだけの遊覧コースだけれどアルプスの山々を望んだ景色は素晴らしい。

しかし食事をとったあとでもあり船の揺れに身をゆだねていると眠気にも襲われる。山が湖まで迫っていて斜面には別荘とおぼしき建物が多い。

途中5ヵ所の船着場に寄る。2つ目は《VILLA D’ESTE》、かつては英国皇太子妃の別荘だったというホテルのための乗り場だ。その建物は船着場の船上からは良く見えない。この近くにはかもめが随分いた。

次の《MOITRASIO》で針路を右へとったせいか揺れる、揺れる。しぶきがかかってきた。4つ目の《TORNO》は教会の広場のすぐ前だ。ここで向きを変えてまた左の方へ進む。

 山々が青く湖の水も同じように青い。すぐスイスの国境だというのがうなづける自然の景色。時間の関係でベッラージオまでは行けないがもっと良く事前に調べておけばミラノを早く出てベッラージオへ行くこともできたかもしれないし、今度は1泊してもいいなぁと思った。

5つ目の《URIO》というところ(目の前にホテルがある)でしばらく停まり、そこから同じルートで戻る。

 船を下りてから今度は山の上から湖を眺望することにしてフニコラーレ乗り場へ向かう。

15時丁度発に乗る(往復7,200リラ)。乗客は10人ほど、中に二人の若い日本人女性が乗っていたが、二人は別々にイタリア語を勉強しに来ているらしくたどたどしくながらもイタリア語で会話していたのがほほえましい。

地上や湖面では暑かったがブルナーテ山の頂上駅では25度、標高1000メートル近くあるらしく涼しい。湖を上から見下ろすつもりで行ったが、湖よりもコモ市街地が中心でちょっと予想と違っていた。15時30分下山。

◆買う
 コモは絹の産地、ネクタイでも買おうかと思ってガイドブックに出ていた“BINDA”というシルク製品の店を探す。フニコラーレ駅のすぐ近くだと思って歩き始めるが500メートルくらい行っても見つからないのであきらめて戻ると何と駅のすぐそばにあった。お店というより邸宅という感じ。


 門のチャイムを押すと何かしゃべっているので『ポッソ エントラーレ?』というとドアのロックが外れ、中に入れた。ここはアウトレットの店らしく品物は段ボールに入れたままドーンと置いてある。ネクタイを2本選んで払おうとしたら2割引きだった。お店の人は気のいい人で何かと話しかけてくる。『ここ2日間が暑い』と教えてくれた。

◆ドゥオモを見る
 フニコラーレのブルナーテ山からそのクーポラがよく見えたドゥオモへ行ってみた。さすがに遠くからもよく見えただけあって中に入ってもクーポラの天井が異常に高く見える。後陣の右手にサンピエトロ寺院のような(大きさは違うが)洗礼台がある。天井は絵ではなく金の装飾、右にはパイプオルガンとタペストリーが掲げられている。聖堂内部はバラ窓のせいか明るい。

 ドゥオモなど市街地観光をしてからFSの駅に向かうが行きにチーズの店を通ったのを思い出し「ミラノで時間がないかもしれない」と思ってチーズを買って帰ることにして少し戻ってそのお店に寄る。

お店には愛想のよいご主人がいた。まずはじめにパルミジャーノ・レジャーノの小さいのを量ってもらい約1万リラ。それからゴルゴンゾーラを頼むと『辛い方か、それとも甘い方か?』と訊かれたので夕べのミラノのリストランテで食べたのが甘かったのを思い出し辛い方を注文。

さらに何かこの地方のものをと頼むと一つ出して何やらいろいろ説明してくれたがよく分からない。《1ポッソ プロヴァルロ?』というとすぐ一切れ薄く切ってくれたので試食。まあまあだったので注文、しめて24,000リラ。

これでミラノでチーズ探しをしなくてすむ。他においしそうな中味のどっしりしたパンもあってそれも欲しかったが荷物になるのであきらめる。

 それから駅に向かい、着くとちょっと前にICが出たばかり、次の電車を時刻表でみるとガリバルディ駅に着く各駅停車はあったが時間もかかるし、着いてから不便かなぁと思い約1時間後(17時56分)のICに乗ることにする。

駅で何もすることもないのでお土産用の小瓶のグラッパでも買おうと思い、来た道を戻りドゥオモ西側の旧市街に入り込んで2軒ほど尋ねたがおいていない。適当に切り上げ余裕を持って駅に戻り、コモ日帰りの旅を終えた。

Ravenna(ラヴェンナ) 1999/9/21~9/22

Ravenna(ラヴェンナ) 1999/9/21~9/22
◆フェラーラ再び
 パドヴァからフェラーラ経由ラヴェンナに向かう。パドヴァ発15時46分、フェラーラ着16時36分。1年半前のイタリア旅行ではボローニャからフィレンツェへ移動する日、その前に半日フェラーラかラヴェンナへ行こうと思い、列車に乗ってから途中でフェラーラに決めて降りた。まさかまた来るとは思わなかった。乗り換えまでに少し時間があったので、見覚えのある駅前(割りと車の通る道路の向かいにバールと薬局などがあるだけ)に出
てみた。17時15分発のラヴェンナ行きに乗る。車内はがらがらだが、この日は暑くまたサマータイムのせいもあってこの時間でも蒸し暑い。フェラーラを出てすぐ左側にポプラ並木(片側だけだから並木とはいわないが)が何カ所もあり懐かしさを覚える。気候的には北海道に似ているのだろうか?
18時26分、定刻通りラヴェンナへ到着。

◆ホテルを探す
 パドヴァ、フェラーラ同様駅は街の中心から離れている。ホテルを予約していないので探す必要があったが、インターネットで調べておいた Centrale Byron というホテルがガイドブックの地図にも載っていたのでそこをとりあえず目指す。駅からまっすぐ歩き市庁舎の方へ向かう。地図にしたがって比較的大きな道路を渡り市庁舎らしき建物の駐車場に入り、ぐるっと周り込み裏手に出たもののどうもよくわからない。そのうち広場(ピアッツァ・ガリバルディ)に出た。この広場の一角に銀行があり両替機が目に入り、手持ちのリラが少なかったのに気づきチェックインの前に両替をしておいた方がいいと思って試してみたが何回やっても先に進まないのであきらめ(クレジットカードはこの4日前フィレンツェで財布をすられなくなっていた。詳しくは「旅のトラブル」にて)ホテル探しを続ける。そのまま行くともう少し大きな広場があった。ポポロ広場(ピアッツア・デル・ポポロ)だ。この広場を通り抜けたところの右手にCentrale Byron の看板、発見!

 入ってみると小さなフロントがあり、年配の女性がいる。バスつきのシングルを頼むと、あるというので「部屋を見たい」というと鍵を渡してくれた。「問題なければその部屋」とのことなので、スーツケースを持ちながら数段階段を上ってからエレベーターに乗る。

 11号室はすぐ見つかった。中に入ると95,000リラ(約5,700円)の割りにはまぁまぁ。
 「この部屋でいいや」と思いつつ念のためバスルームを見たら、どこにもシャワーも浴槽もない(ように見えた)。暑い一日を長袖のシャツで右往左往したのでどうしてもシャワーかお風呂には入りたかったのでこの部屋をあきらめ、スーツケースをまた持ってフロントに戻り、その旨伝えたところ、「シャワーとお風呂はある」という。もう一度鍵を借りて11号室に入ったところ、トイレの壁だと思い込んでいたところは何と浴槽を仕切るカーテンだった。歩き疲れて目がおかしくなっていたのか。今度はスーツケースを置きフロントへ戻ってチェックインする。現金がないのでデポジットを払えといわれたらどうしようと思ったがデポジット不要でホッとした(前払いしてしまうと食事代もなくなってしまうほどしか残っていなかった)。

◆小さなリストランテ
 まずシャワーを浴び着替えてから夕食に出かける。フロントの女性にどこかリストランテがないか尋ねいくつか教えてもらい地図に書き込んでもらった。「休みかもしれない」といわれたけれどホテルの裏だったのでそこへ行ってみたもののやっぱり休み。
もう1軒は、これもすぐ近くにあり、すぐに見つかる。外に3つほどのテーブルが出ている小さなリストランテだ。少し混んでいそうだったがとりあえず入ってみると本当に地元の人たちが食事を楽しみに来ているという感じのところ。お店の人に待つようにいわれドアのところで随分(30分以上?)待つ。

 ようやく席に着くことができた。ワインリストを見ると結構いろいろあるが一人でフルボトルは厳しいのでハーフでは種類は限定される。セコンドは魚にすることにしてカメリエーレに訊くと「これは美味いよ」とメニューの一番上のを教えてくれた。どうも食べた感じは「鰊のフライ」だったようでそれほど美味しいとは思わなかった(あとで単語を調べたらbranzino はスズキ)。
狭い店だけれど2階席もあって、またテーブルの間隔もキツキツなので相当のお客が入っているようだ。そのうち、日本人3人(若夫婦とお爺ちゃん、翌日サン・ヴィターレ教会で出会う)が隣のテーブルに座った。

 勘定をすませチップを5,000リラ払うと手元には10,000リラちょっとしかない。

◆ワインバーで
 帰り道、といってもホテルまではすぐそこだけれど、出掛けに見つけておいたホテル前のワインバーに寄ることにした。カウンターに座りキャンティ・クラシコを頼む。一人でちびちびやる。ピーナッツを甘辛くコーティングしたつまみが皿一杯でる。カウンターの中のバリスタは隣の常連客と話をし続け、こっちには何も話しかけてこない。話しかける勇気も今一ないのでひたすらちびちびやる。所持金が心配なので2杯目は無理、20分くらいで引き揚げることにし、勘定してもらうとワイン1杯分、5,000リラだったのでチップを500リラ渡す。その時「このピーナッツどこで売っているの?」と尋ねたら「近くのクープ(CO-OP、生協スーパー)だよ」。てっきり地元の名物かと思っていたのでちょっとがっかりしたのを思い出す。

 この日はヴェネツィアで家族と別れ、パドヴァでスクロヴェーニ礼拝堂に寄り、そしてホテル探し、と長い一日だった。イタリア数十泊しているが、当日のホテル探しはこの日と翌年夏のシエナの2回だけ。シエナの時は昼間でしかも同行者ありだったのでまだましだった。一人旅の夕方、カードなし、現地通貨わずかという悪条件でのホテル探しはコリゴリだ。

◆待望のビザンチン美術
 翌朝、待望のラヴェンナのビザンチン美術を見に出かける。地図がわかりにくく随分遠回りしてしまう。ホテルからは至近距離だったのに。ラヴェンナの朝は落ち着いているし、また、朝日がまぶしい。

 まず最初にサン・ヴィターレ教会に行った。入場券は何種類かあったが、市内6ヵ所共通入場券にする(9,000リラ)。この教会八角形の建物で、回廊は2階建て、灰色の大理石の柱は波のような模様で装飾されている。クーポラ内部も高さがあるので凄い大きさを感じる。うっかりくしゃみをしてしまったら大きく反響した。クーポラ内部の「ユスティニアヌス帝と廷臣たち」と「テオドーラ皇妃と女官たち」のモザイク画。素晴らしい!全体に緑の色調でペルシャじゅうたんのようだ。この日見たラヴェンナのモザイク画の中では一番凄かった。淡い茶色の外観からはとても想像できない。

 次いでガッラ・プラチディアの廟へ行く。ここは5世紀半ばに建てられた皇帝の妹一族の霊廟とのこと。入口は小さく内部もそれほど大きくないが濃いブルーと金色の色調のモザイクで荘厳な感じだ。窓には薄い大理石のようなものがはめこまれそこから明るさをとりこんでいる。この瞬間ここには自分を含め日本人ばかり5人だけ。モザイク画の中には鹿や小鳥、天井には水鳥の顔がライオン、牛、コンドルや人。絵としてもおもしろい。

 ガッラ・プラチディアの廟をあとにしてホテル方向に戻りさらに先のネオニアーノ洗礼堂、大司教博物館、ダンテの墓へ行ってみた。ラヴェンナという町はそれほど大きくない。洗礼堂の天井には12人の使徒が真中のキリストを取り囲んでいる。キリストはヨルダン川で洗礼を受けているという構図。ここも深い青と金色のモザイクだ。アーチの上の壁部分に唐草模様が描かれていたのが印象的だった。

 ラヴェンナを訪れる前の年ヴェローナのシニョーリ広場でダンテの像を見てフィレンツェで生まれたダンテがヴェローナへ亡命?したのは知っていたがその後ラヴェンナで活躍、亡くなったことは知らなかったのでお墓があるのにちょっと驚いた。

 ダンテの墓からサンタポッリナーレ・ヌオーヴォ教会まではそう遠くない。この教会は市内で一番広いローマ通りを渡った向こう側、駅の近くにある。この教会は細長い三廊式で奥行きのある長い壁に祭壇に向かって左には聖女の行列、右には殉教者の行列が描かれている。もちろんモザイク画だ。祭壇の方は淡いブルーであるのに対して壁のモザイク画はうぐいす色と金色できれいだ。

◆サンタポッリナーレ・クラッセ教会
 市内の観光はそのくらいにして昼食をすませ、それから市内バスでサンタポッリナーレ・クラッセ教会へ行く。駅前にバス乗り場があるが、近くを通りがかったバスの乗務員に乗り場、切符売場を訊いて教えてもらった建物へ切符を買いに行く。階段を上がって2階に行くとポリスの詰所みたいなところ。間違ったようだ。ようやく切符売場にたどり着くと係りの人に「今日はただ」と言われる。毎週1日、観光客向けサービスのようなことを言っていたが本当のところはよく分からない。
すぐ4番のバスが来た(13:54→14:10頃)。

 15分もバスに乗るとそこはまったくの郊外、まわりは何もないが観光客は多い(観光バスで来ているようだ)。さすがにヌオーヴォ教会によく似ているが中のモザイクの色調が違う。回廊は淡いクリーム色とブルー。内陣はモスグリーンを背景に十字架を真中にして左右に羊が5匹づつ描かれている。梁がむき出しになった天井は木のように見える。
帰りもただのバスに乗り駅へ向かった(14:40頃→14:52)。


 ラヴェンナの駅で自宅に電話してみる。日本時間で22時頃だったので前の日ヴェネツィアで別れた家族が無事帰っているか確かめたかったからだ。ところがまだ帰っていなくてカプリ観光中の長男の声で留守電メーッセージが聞こえたのには笑ってしまった。

 ラヴェンナからは最後の宿泊地ミラノに向かうが、当時はまだ切符の自販機がなく窓口で買ったのだがそれほど並んでいるわけではないのに一人にえらく時間がかかっていたため発車時刻が迫ってきてやきもきする(予定通りの列車に乗れてもミラノのホテルに着くのは21時近くになってしまうので)。何とかギリギリ間に合い、15時49分のボローニャ行きに乗り、ボローニャで約1時間待って18時16分発のESで20時丁度にミラノに着いた。

◆食べる
●リストランテ
<お店の名前>
La Gardela, Via Ponte Marino,3 Ravenna
<食べたもの>
前菜(8,000リラ)、プリモ(8,000リラ)、スズキのフライ(20,000リラ)、付け合せ(5,000リラ)、コーヒー(2,000リラ)
・・・58,000リラ(チップ、ワイン込み)
<ワイン>
Sangiovese di Romagna ハーフボトル 6,000リラ

◆飲む
<お店の名前>
la cucina del Capello, Via ? Novembre 41, Ravenna
<飲んだもの>
Chanti Classico BORAOSALCINETO 5,000リラ

◆泊まる
■Hotel Centrale Byron, Via ? Novembre 14, Ravenna Single 95,000リラ、朝食 7,000リラ 本文の通り現地調達

Padova(パドヴァ) 1999/9/21

Padova(パドヴァ) 1999/09/21


一人旅の始まり
 家族総勢6人のフィレンツェ・ヴェネツィアの旅もこの日の午前で終わり。

新婚の長男夫婦はナポリ、カプリの旅へ向かう。妻と次男、長女は皆予定があって、ヴェネツィアからパリ経由で帰国。2組をそれぞれ朝と昼、サンタ・ルチア駅近くのローマ広場のバス・ターミナルへ送りに行く。私はこれから、パドヴァラヴェンナミラノへの一人旅だ。

妻たちのバスを見送り、ヴァポレットでサンタ・ルチア駅へ行き窓口でパドヴァまでの切符を買う。近い割に高いなぁと思ったがお釣りが少ないことに気づいたものの後のまつり。10,000リラごまかされてしまった。前年の初めてのイタリア旅行でヴェローナの駅員氏にやられたのに次いで2回目だ(詳しくは「旅のトラブル」にて)。

 13時10分発。動き始めてからすぐに検札があり、車掌から乗っている車両がパドヴァでは降りられないと教えられ、1つ前の車両に移る。座席は結構混んでいる。ドアのすぐ近くの4人掛け座席が1つ空いていたのでそこに座った(ドアの近くなので反対側は3人掛けになっていて、イタリアの列車は良く考えられているなと感心した)。パドヴァに行くという先入観からなのか、向かいの人は何となく大学の先生みたいな雰囲気。
パドヴァには13時44分に着く。

◆滞在時間は2時間
 パドヴァにも1泊したいところだが、日程上厳しくまたラヴェンナではホテル探しもあるのでどうしても19時までには着きたい、ということで滞在時間はわずか2時間。それでも寄りたかったのは、目的はただ一つ、スクロヴェーニ礼拝堂のジオットのフレスコ画を見ることだ。


駅でスーツケースを預け、駅からまっすぐ南へのびる道を進む。陽射しが強く長袖のシャツは暑い。途中のバールでスクロヴェーニ礼拝堂の場所を尋ねる。駅で市内地図を手に入れたがこれが実にわかりにくい。そのうち左手に礼拝堂らしき建物を見つけるがフェンスで囲まれているので入口を探すとさらに先に市立博物館の入口があった。中に入ると記念品などを売っていて、そこで入場券(10,000リラ)を買いショルダーバッグを預けて念願の礼拝堂へ向かう。
中にはドイツ人とおぼしき年配の団体観光客が大勢いた。

 ジオットのフレスコ画は礼拝堂壁面に絵巻物のようにいくつもの場面が描かれている(後で数えたら38もあった)。この場面の展開は祭壇に向かって右手の上の段の奥(祭壇の方)から入口の方へ、そして2段目、3段目へと続いて行くのではないだろうか。入口の上は《最後の審判》だ。

キリストを捕らえるための合図としてユダがキリストに接吻する場面の《キリストの逮捕》は右手下段中央にある。視線が集中している臨場感ある構図だ。右手奥には車座になった《最後の晩餐》。磔刑になったゴルゴダの丘へ十字架を背負って行くシーンは左手の入口近くの下段にある。その段の中央には《ピエタ》そして《復活》、《昇天》へと祭壇方向へと続く。なかなかの絵巻物だ。

無理して来た甲斐があった。
祭壇にあるピサーノの聖母像はまるで観音様のような表情をしている。
(現在は入場は予約制になっているようだ)

 礼拝堂を出てから市立博物館に入る。1階は古代ローマ時代の遺物などの考古学館があるが時間がないので通り抜けて2階の絵画館へ行く。とにかく沢山の絵画があり、ヴェネツィア派が中心のようだが作者不詳というのも多いみたいだ。ゆっくり見ているとラヴェンナに行けなくなるので、本当に駆け足で見てしまった。

 見終わってから駅へ戻る。お昼を食べていなかったので駅のバールでパニーニを買い、15時46分の列車に乗ってフェラーラ経由ラヴェンナへ向かう。