Ravenna(ラヴェンナ) 1999/9/21~9/22
◆フェラーラ再び
パドヴァからフェラーラ経由ラヴェンナに向かう。パドヴァ発15時46分、フェラーラ着16時36分。1年半前のイタリア旅行ではボローニャからフィレンツェへ移動する日、その前に半日フェラーラかラヴェンナへ行こうと思い、列車に乗ってから途中でフェラーラに決めて降りた。まさかまた来るとは思わなかった。乗り換えまでに少し時間があったので、見覚えのある駅前(割りと車の通る道路の向かいにバールと薬局などがあるだけ)に出
てみた。17時15分発のラヴェンナ行きに乗る。車内はがらがらだが、この日は暑くまたサマータイムのせいもあってこの時間でも蒸し暑い。フェラーラを出てすぐ左側にポプラ並木(片側だけだから並木とはいわないが)が何カ所もあり懐かしさを覚える。気候的には北海道に似ているのだろうか?
18時26分、定刻通りラヴェンナへ到着。
◆ホテルを探す
パドヴァ、フェラーラ同様駅は街の中心から離れている。ホテルを予約していないので探す必要があったが、インターネットで調べておいた Centrale Byron というホテルがガイドブックの地図にも載っていたのでそこをとりあえず目指す。駅からまっすぐ歩き市庁舎の方へ向かう。地図にしたがって比較的大きな道路を渡り市庁舎らしき建物の駐車場に入り、ぐるっと周り込み裏手に出たもののどうもよくわからない。そのうち広場(ピアッツァ・ガリバルディ)に出た。この広場の一角に銀行があり両替機が目に入り、手持ちのリラが少なかったのに気づきチェックインの前に両替をしておいた方がいいと思って試してみたが何回やっても先に進まないのであきらめ(クレジットカードはこの4日前フィレンツェで財布をすられなくなっていた。詳しくは「旅のトラブル」にて)ホテル探しを続ける。そのまま行くともう少し大きな広場があった。ポポロ広場(ピアッツア・デル・ポポロ)だ。この広場を通り抜けたところの右手にCentrale Byron の看板、発見!
入ってみると小さなフロントがあり、年配の女性がいる。バスつきのシングルを頼むと、あるというので「部屋を見たい」というと鍵を渡してくれた。「問題なければその部屋」とのことなので、スーツケースを持ちながら数段階段を上ってからエレベーターに乗る。
11号室はすぐ見つかった。中に入ると95,000リラ(約5,700円)の割りにはまぁまぁ。
「この部屋でいいや」と思いつつ念のためバスルームを見たら、どこにもシャワーも浴槽もない(ように見えた)。暑い一日を長袖のシャツで右往左往したのでどうしてもシャワーかお風呂には入りたかったのでこの部屋をあきらめ、スーツケースをまた持ってフロントに戻り、その旨伝えたところ、「シャワーとお風呂はある」という。もう一度鍵を借りて11号室に入ったところ、トイレの壁だと思い込んでいたところは何と浴槽を仕切るカーテンだった。歩き疲れて目がおかしくなっていたのか。今度はスーツケースを置きフロントへ戻ってチェックインする。現金がないのでデポジットを払えといわれたらどうしようと思ったがデポジット不要でホッとした(前払いしてしまうと食事代もなくなってしまうほどしか残っていなかった)。
◆小さなリストランテ
まずシャワーを浴び着替えてから夕食に出かける。フロントの女性にどこかリストランテがないか尋ねいくつか教えてもらい地図に書き込んでもらった。「休みかもしれない」といわれたけれどホテルの裏だったのでそこへ行ってみたもののやっぱり休み。
もう1軒は、これもすぐ近くにあり、すぐに見つかる。外に3つほどのテーブルが出ている小さなリストランテだ。少し混んでいそうだったがとりあえず入ってみると本当に地元の人たちが食事を楽しみに来ているという感じのところ。お店の人に待つようにいわれドアのところで随分(30分以上?)待つ。
ようやく席に着くことができた。ワインリストを見ると結構いろいろあるが一人でフルボトルは厳しいのでハーフでは種類は限定される。セコンドは魚にすることにしてカメリエーレに訊くと「これは美味いよ」とメニューの一番上のを教えてくれた。どうも食べた感じは「鰊のフライ」だったようでそれほど美味しいとは思わなかった(あとで単語を調べたらbranzino はスズキ)。
狭い店だけれど2階席もあって、またテーブルの間隔もキツキツなので相当のお客が入っているようだ。そのうち、日本人3人(若夫婦とお爺ちゃん、翌日サン・ヴィターレ教会で出会う)が隣のテーブルに座った。
勘定をすませチップを5,000リラ払うと手元には10,000リラちょっとしかない。
◆ワインバーで
帰り道、といってもホテルまではすぐそこだけれど、出掛けに見つけておいたホテル前のワインバーに寄ることにした。カウンターに座りキャンティ・クラシコを頼む。一人でちびちびやる。ピーナッツを甘辛くコーティングしたつまみが皿一杯でる。カウンターの中のバリスタは隣の常連客と話をし続け、こっちには何も話しかけてこない。話しかける勇気も今一ないのでひたすらちびちびやる。所持金が心配なので2杯目は無理、20分くらいで引き揚げることにし、勘定してもらうとワイン1杯分、5,000リラだったのでチップを500リラ渡す。その時「このピーナッツどこで売っているの?」と尋ねたら「近くのクープ(CO-OP、生協スーパー)だよ」。てっきり地元の名物かと思っていたのでちょっとがっかりしたのを思い出す。
この日はヴェネツィアで家族と別れ、パドヴァでスクロヴェーニ礼拝堂に寄り、そしてホテル探し、と長い一日だった。イタリア数十泊しているが、当日のホテル探しはこの日と翌年夏のシエナの2回だけ。シエナの時は昼間でしかも同行者ありだったのでまだましだった。一人旅の夕方、カードなし、現地通貨わずかという悪条件でのホテル探しはコリゴリだ。
◆待望のビザンチン美術
翌朝、待望のラヴェンナのビザンチン美術を見に出かける。地図がわかりにくく随分遠回りしてしまう。ホテルからは至近距離だったのに。ラヴェンナの朝は落ち着いているし、また、朝日がまぶしい。
まず最初にサン・ヴィターレ教会に行った。入場券は何種類かあったが、市内6ヵ所共通入場券にする(9,000リラ)。この教会八角形の建物で、回廊は2階建て、灰色の大理石の柱は波のような模様で装飾されている。クーポラ内部も高さがあるので凄い大きさを感じる。うっかりくしゃみをしてしまったら大きく反響した。クーポラ内部の「ユスティニアヌス帝と廷臣たち」と「テオドーラ皇妃と女官たち」のモザイク画。素晴らしい!全体に緑の色調でペルシャじゅうたんのようだ。この日見たラヴェンナのモザイク画の中では一番凄かった。淡い茶色の外観からはとても想像できない。
次いでガッラ・プラチディアの廟へ行く。ここは5世紀半ばに建てられた皇帝の妹一族の霊廟とのこと。入口は小さく内部もそれほど大きくないが濃いブルーと金色の色調のモザイクで荘厳な感じだ。窓には薄い大理石のようなものがはめこまれそこから明るさをとりこんでいる。この瞬間ここには自分を含め日本人ばかり5人だけ。モザイク画の中には鹿や小鳥、天井には水鳥の顔がライオン、牛、コンドルや人。絵としてもおもしろい。
ガッラ・プラチディアの廟をあとにしてホテル方向に戻りさらに先のネオニアーノ洗礼堂、大司教博物館、ダンテの墓へ行ってみた。ラヴェンナという町はそれほど大きくない。洗礼堂の天井には12人の使徒が真中のキリストを取り囲んでいる。キリストはヨルダン川で洗礼を受けているという構図。ここも深い青と金色のモザイクだ。アーチの上の壁部分に唐草模様が描かれていたのが印象的だった。
ラヴェンナを訪れる前の年ヴェローナのシニョーリ広場でダンテの像を見てフィレンツェで生まれたダンテがヴェローナへ亡命?したのは知っていたがその後ラヴェンナで活躍、亡くなったことは知らなかったのでお墓があるのにちょっと驚いた。
ダンテの墓からサンタポッリナーレ・ヌオーヴォ教会まではそう遠くない。この教会は市内で一番広いローマ通りを渡った向こう側、駅の近くにある。この教会は細長い三廊式で奥行きのある長い壁に祭壇に向かって左には聖女の行列、右には殉教者の行列が描かれている。もちろんモザイク画だ。祭壇の方は淡いブルーであるのに対して壁のモザイク画はうぐいす色と金色できれいだ。
◆サンタポッリナーレ・クラッセ教会
市内の観光はそのくらいにして昼食をすませ、それから市内バスでサンタポッリナーレ・クラッセ教会へ行く。駅前にバス乗り場があるが、近くを通りがかったバスの乗務員に乗り場、切符売場を訊いて教えてもらった建物へ切符を買いに行く。階段を上がって2階に行くとポリスの詰所みたいなところ。間違ったようだ。ようやく切符売場にたどり着くと係りの人に「今日はただ」と言われる。毎週1日、観光客向けサービスのようなことを言っていたが本当のところはよく分からない。
すぐ4番のバスが来た(13:54→14:10頃)。
15分もバスに乗るとそこはまったくの郊外、まわりは何もないが観光客は多い(観光バスで来ているようだ)。さすがにヌオーヴォ教会によく似ているが中のモザイクの色調が違う。回廊は淡いクリーム色とブルー。内陣はモスグリーンを背景に十字架を真中にして左右に羊が5匹づつ描かれている。梁がむき出しになった天井は木のように見える。
帰りもただのバスに乗り駅へ向かった(14:40頃→14:52)。
ラヴェンナの駅で自宅に電話してみる。日本時間で22時頃だったので前の日ヴェネツィアで別れた家族が無事帰っているか確かめたかったからだ。ところがまだ帰っていなくてカプリ観光中の長男の声で留守電メーッセージが聞こえたのには笑ってしまった。
ラヴェンナからは最後の宿泊地ミラノに向かうが、当時はまだ切符の自販機がなく窓口で買ったのだがそれほど並んでいるわけではないのに一人にえらく時間がかかっていたため発車時刻が迫ってきてやきもきする(予定通りの列車に乗れてもミラノのホテルに着くのは21時近くになってしまうので)。何とかギリギリ間に合い、15時49分のボローニャ行きに乗り、ボローニャで約1時間待って18時16分発のESで20時丁度にミラノに着いた。
◆食べる
●リストランテ
<お店の名前>
La Gardela, Via Ponte Marino,3 Ravenna
<食べたもの>
前菜(8,000リラ)、プリモ(8,000リラ)、スズキのフライ(20,000リラ)、付け合せ(5,000リラ)、コーヒー(2,000リラ)
・・・58,000リラ(チップ、ワイン込み)
<ワイン>
Sangiovese di Romagna ハーフボトル 6,000リラ
◆飲む
<お店の名前>
la cucina del Capello, Via ? Novembre 41, Ravenna
<飲んだもの>
Chanti Classico BORAOSALCINETO 5,000リラ
◆泊まる
■Hotel Centrale Byron, Via ? Novembre 14, Ravenna Single 95,000リラ、朝食 7,000リラ 本文の通り現地調達
「カブレーノ旅行記」カテゴリーアーカイブ
Padova(パドヴァ) 1999/9/21
Padova(パドヴァ) 1999/09/21
◆一人旅の始まり
家族総勢6人のフィレンツェ・ヴェネツィアの旅もこの日の午前で終わり。
新婚の長男夫婦はナポリ、カプリの旅へ向かう。妻と次男、長女は皆予定があって、ヴェネツィアからパリ経由で帰国。2組をそれぞれ朝と昼、サンタ・ルチア駅近くのローマ広場のバス・ターミナルへ送りに行く。私はこれから、パドヴァ、ラヴェンナ、ミラノへの一人旅だ。
妻たちのバスを見送り、ヴァポレットでサンタ・ルチア駅へ行き窓口でパドヴァまでの切符を買う。近い割に高いなぁと思ったがお釣りが少ないことに気づいたものの後のまつり。10,000リラごまかされてしまった。前年の初めてのイタリア旅行でヴェローナの駅員氏にやられたのに次いで2回目だ(詳しくは「旅のトラブル」にて)。
13時10分発。動き始めてからすぐに検札があり、車掌から乗っている車両がパドヴァでは降りられないと教えられ、1つ前の車両に移る。座席は結構混んでいる。ドアのすぐ近くの4人掛け座席が1つ空いていたのでそこに座った(ドアの近くなので反対側は3人掛けになっていて、イタリアの列車は良く考えられているなと感心した)。パドヴァに行くという先入観からなのか、向かいの人は何となく大学の先生みたいな雰囲気。
パドヴァには13時44分に着く。
◆滞在時間は2時間
パドヴァにも1泊したいところだが、日程上厳しくまたラヴェンナではホテル探しもあるのでどうしても19時までには着きたい、ということで滞在時間はわずか2時間。それでも寄りたかったのは、目的はただ一つ、スクロヴェーニ礼拝堂のジオットのフレスコ画を見ることだ。
駅でスーツケースを預け、駅からまっすぐ南へのびる道を進む。陽射しが強く長袖のシャツは暑い。途中のバールでスクロヴェーニ礼拝堂の場所を尋ねる。駅で市内地図を手に入れたがこれが実にわかりにくい。そのうち左手に礼拝堂らしき建物を見つけるがフェンスで囲まれているので入口を探すとさらに先に市立博物館の入口があった。中に入ると記念品などを売っていて、そこで入場券(10,000リラ)を買いショルダーバッグを預けて念願の礼拝堂へ向かう。
中にはドイツ人とおぼしき年配の団体観光客が大勢いた。
ジオットのフレスコ画は礼拝堂壁面に絵巻物のようにいくつもの場面が描かれている(後で数えたら38もあった)。この場面の展開は祭壇に向かって右手の上の段の奥(祭壇の方)から入口の方へ、そして2段目、3段目へと続いて行くのではないだろうか。入口の上は《最後の審判》だ。
キリストを捕らえるための合図としてユダがキリストに接吻する場面の《キリストの逮捕》は右手下段中央にある。視線が集中している臨場感ある構図だ。右手奥には車座になった《最後の晩餐》。磔刑になったゴルゴダの丘へ十字架を背負って行くシーンは左手の入口近くの下段にある。その段の中央には《ピエタ》そして《復活》、《昇天》へと祭壇方向へと続く。なかなかの絵巻物だ。
無理して来た甲斐があった。
祭壇にあるピサーノの聖母像はまるで観音様のような表情をしている。
(現在は入場は予約制になっているようだ)
礼拝堂を出てから市立博物館に入る。1階は古代ローマ時代の遺物などの考古学館があるが時間がないので通り抜けて2階の絵画館へ行く。とにかく沢山の絵画があり、ヴェネツィア派が中心のようだが作者不詳というのも多いみたいだ。ゆっくり見ているとラヴェンナに行けなくなるので、本当に駆け足で見てしまった。
見終わってから駅へ戻る。お昼を食べていなかったので駅のバールでパニーニを買い、15時46分の列車に乗ってフェラーラ経由ラヴェンナへ向かう。
◆何とかカプリ島へ
ポンペイを見てからナポリにバスで戻る。
この日はナポリからポンペイへ日帰りで行ったのだが鉄道がイタリア名物ショーペロ(ストライキ)のためバスで往復せざるを得なかった時だ(詳しくは「トラブル」にて)。
この帰りのバスがまた大変、何台か満員で止まらない。ようやく止まったバスにも中学校か高校の生徒で一杯で一瞬乗れないかとも思う。乗れなければカプリには行けないし、ナポリにはもう泊まりたくないし、ローマに戻ってもホテルを探さなきゃならないし・・・。しかし何とか乗り込むことができた。
満員だった車内はそれからいくつめかの停留所で大半がおり、すいてしまう。行きは1時間35分かかったところが帰りは50分ですんだ。
ナポリ・チェントラーレ駅でおりそれから歩いてベヴェレッロ港へ行く。15時10分に着きとりあえず乗車券を買う。8,500リラとやけに安い。
埠頭にはまだジェット・フォイル船は入っていない。ただカプリ行きのみ窓口に出発時刻は表示されていないのが気になり、訊くと「今日のジェット・フォイル船は終わり。15時15分発のフェリーが今出る」と言われ、慌てて走り出航間近かのフェリーに乗り込み、何とかセーフ(運賃が安かったのはフェリーだったため)。
昨日の時点ではソレントからカプリに向かう予定だったがもっと時刻表を確認しておくべきだったと反省する。
絶景のナポリ湾、ヴェスヴィーオを見ながら1時間半の船旅を楽しむ。
16時50分マリーナ・グランデ到着、下船するとめちゃくちゃ寒い。フニコラーレを待っている間も吹き込む風が冷たい。寒いはずの北イタリアから入って2週間余り、最後の南イタリアは相当暖かいだろうと思ったがカプリの何という寒さ!今までで一番寒い。
フニコラーレを降り立っても小さな広場があるだけ(これがウンベルト1世広場)。
ホテルをなかなか見つけることができず何回か行ったり来たりして、お店の人に訊いてようやくわかった。ホテルは外から見るとシーズンオフのリゾートホテルという感じだ。
部屋はシングル、床はグリーンのカーペット、バルコニーつきで海も望め、贅沢だ。ベッドカバー、ベッドの頭のところ、鏡の枠、いずれも同じ色調の花柄。
◆勘定に間違い
18時少し前に町の様子を見るため出かけ、ウンベルト1世広場のバールでコーヒーを飲む。
一旦ホテルに戻り一休みしてから19時30分にさっき目星をつけていた広場のちょっと先にあるリストランテ“La Salafina”へ行く。先客は2組。前日のナポリで飲みすぎていたのでワインはハウスワインの1/2にし、また魚介類のスープ(Zuppa di pesce)にしようとしたが最低400グラム(多分2人前)というので前日の飲みすぎのため胃腸の回復が万全でないこともあってパスし、プリモで終えドルチェとカプチーノで締めくくる。
お勘定の際、ワインが1リットルになっていたので覚えたてのイタリア語で『勘定に間違いがありますが・・・』と言ってみたところ見事に通じ、勘定書きをサービス料に至るまで訂正してくれた。
リストランテを出たら時計塔の鐘がちょうど21時を打つ。着いた時に17時の鐘、散歩時に18時の鐘、そして今回と4時間に3回も聴いた。
◆まぼろしの青の洞窟
カプリでの目的は当然のごとく「青の洞窟」。
食事を終えてホテルに戻っても格別することはない。
夕べナポリで白ワイン1本を空け、それまでの長旅(16日間)の疲れも出たのか、夜中に吐くほどひどい酔い方をしてしまい、二日酔いで頭が痛い中、ポンペイ往復がショーペロのため路線バスで苦労して、それからカプリにたどり着いたという長い一日だったので早めに寝ることにする。
寝ながら風の音が気になる。海からの強い風がバルコニーの扉をたたく。
青の洞窟に入れるだろうか、と思いながらまんじりともせず3時ごろ目がさめ、うとうとして4時頃また眠りにつく。
7時に起きると外はもう明るくいい天気だが波が心配だ。8時過ぎフロントで訊くと「青の洞窟」観光は今日は中止とのこと。残念!
やむなく近くを散策することにした。休業改装中のホテルやリストランテが目立つ。展望台までゆっくりと歩く。シーズンオフで朝ということもあって誰とも行き会わない。
展望台への道は途中で通行止め。今度は方向を変えホテル下の海岸の方へ下ってみたがこれも途中で通行止め。ウンベルト1世広場へ行ってみたが香水を売る店もレモンチェロを売る店もみんな休業中だ。
カプリにこれ以上いてもしようがないと判断してホテルへ戻りチェックアウト。10時のフニコラーレに乗り港に着いたら10時35分のジェット・フォイル船がある。これに乗り(16,000リラ)、ナポリ着11時15分。スピードが速いだけあって、かなり揺れた。
せっかくカプリへ行きながら青の洞窟に入れなかったのは残念だ。機会があればもう一度トライしてみたい。
この翌年家族で行ったフィレンツェとヴェネツィア旅行、新婚の長男夫婦はヴェネツィアからナポリ、カプリへ行ったが青の洞窟に入ることができ、本当にきれいだったとのことだ。
◆食べる
お店の名前 Ristorante La Salafina(Buca di Bacco)
食べたもの Bucca風前菜(セルフサービスで色々な前菜を楽しめた)、プリモはPennetta alla Bucca(これまたBucca風ということで要するにこの店のオリジナルか名物料理ということだろう、チーズで絡められているためちょっとしょっぱい)、ドルチェ、カプチーノ、ハウスワイン、水で42,000リラ(サービス料込み)
◆泊まる
La Residenza Hotel Capri ★★★★ Single 10,000円
ミキで予約、旅行代理店でクーポン購入。
チェックインの時こちらが名乗るより前に向こうから言われる。
16泊目にして初のバルコニー(テーブル&いす)つき。
リゾートぽいホテルだった。
Napoli(ナポリ) 1998/3/9
◆行く
ミラノから始まったイタリア3週間の旅、17日目。いよいよ南に向かう。
ローマで2泊したあと、ナポリ、カプリへ行く。再びローマへ戻ってくるのでホテルにスーツケースを預け、ショルダーバッグ一つで出かける。ローマは3月なのにあったかくて半袖でもいいくらいの時もあったので、南はもっとあったかいだろうと思い、セーターをスーツケースにしまいこみ、本当に身軽だ。
午前中はローマをぶらぶらし、テルミニ駅に13時頃着く。テルミニ駅は2日前に降り立っただけだが、何となく得体のしれない人間や物乞いが多い。サンドイッチを買ったがそのレジでも変な老婆が立っていて皆に1,000リラくれと言っている。
13:40の電車に乗ったが10分ほど遅れたようだ。車内はすいていて6人掛けに2人。
1時間くらい走ったところで雨。観光をどうしよう?と思う。15:40頃ナポリ到着。ナポリの駅は物騒だとガイドブックに出ていたのでやや緊張して駅構内を抜けた。
外はまだ雨。予約していたホテルは駅前の大きな広場に面したところなのですぐにチェックイン。
当初ナポリには2泊し、ポンペイ、カプリ島を日帰りしようと計画していたため足の便のいい駅前のホテルにしていたが、その後カプリ島も泊まることにしたので結局駅前ホテル1泊となった。
◆決死の覚悟の横断
外はまだ雨だったけれどホテルにいてもしようがないので、少し小降りになったところで傘をさして17時頃出掛ける。ナポリは治安が悪いと聞いていたので、ガイドブックも持たず手ぶらで出た。ホテルを出て最初の道路(大した幅ではない)を渡るときに車が止まってくれず必死の思いで横断する。それまでに経験しなかったような苦労を強いられ、これでいっぺんにナポリの印象が悪くなる。
◆ナポリを見て、死ね?
ガリバルディ広場からまっすぐ伸びたウンベルト1世通りを進む。この通りにはリストランテやピッツエリアはまったくないようだ。途中で海側の方へ曲がる。どんどん行くと大きな広場に出た。そこが王宮前の広場(プレビシート広場)で一方が半円形で広々しているのに驚いた。しかも閑散としている。
広場を左の方へ抜け海に向かうとほどなくサンタ・ルチア港。『ナポリを見て、死ね』という言葉はこのサンタ・ルチア港からのナポリ湾、ヴェスヴィオの景色の美しさを言うのだろうがあいにくの天気でそこまでの感動は得られない。
海沿いのナザリオ・サウロ通りを戻り途中で右に曲がりヌオーヴォ城の前に出た。このとき通りの反対側にいたのだがここからお城側に横断するのが大変だ。トラムも走っている大きな道路なのでホテルを出た直後の横断とは規模が違う。トラムの停留所を離れ小島に見立てそこまでどうやって行くかそれこそ車の流れを見ながら決死の思いで、ヌオーヴォ城を見るどころの騒ぎではない。やや疲れて19時頃ホテルに戻った。
◆再びサンタ・ルチアへ
部屋に戻りガイドブックで歩き回った所を確認していて、サンタ・ルチアのナザリオ・サウロ通りに良さそうなリストランテが載っていたのでちょっと遠いけれどそこに行くことに決め19時半前に再び出かける。40分かかってお目当てのリストランテへ到着。
ドアを開けようとしたが開かない。中にお客がいるので休みではなさそうだ。「どうしよう」と思っているうちにお店の人が気づいて鍵を外し入れてくれた。
店内は明るい華やかな感じで一人で食事をするにはもったいない。ナポリゆえ魚料理ばかりで注文したが本当に美味しい。そのうち隣のテーブルにハネームーンの日本人カップルが座ったので『ここの魚料理は美味しいですよ』などと言ってしまう。
ワインはカンパーニャのキーンと冷えた白ワイン、グレコ・ディ・トゥーフォを注文した。一人旅で初めてボトルで頼んだ。というのは、前日ローマの夕食で最初250mlのデキャンタを飲み、もう少しいけそうだったので同じものを頼んだところ500mlが出てきて「まっ、いいか」と考え、飲み干してしまったから、ボトル一本でも大丈夫と思ったからだ。
◆二日酔い
食事を終え、タクシーを呼んでもらって22時ホテル着(徒歩40分の距離がタクシーで10分、13,000リラ)。
ベッドで横になりBBCで日本の天気予報を見ているうち、1時間ほどうとうとしてしまいあわててシャワーを浴び就寝。ところが寝ているうちに気分がむかむかし目覚める。
3週間の旅の17日目にして初めてしんどい思いをした。17日間の旅疲れ、ナポリでの緊張を強いられた歩き疲れ、冷たいワイン、しかもフルボトル。これらが複合した原因だったと思う。
翌朝は頭がガンガンする二日酔いだった。
翌日はポンペイを見たあとカプリ島泊まりなのでナポリ観光はカプリからの帰りにしようと考えていたが半日の印象が悪く結局これ以上の観光をしなかった。
翌年、家族でフィレンツェ、ヴェネツィア旅行をしたあと長男夫婦がカプリ島へ行くためナポリに泊まったがやはり怖くて観光しなかったという。
◆食べる
お店の名前 Il Posto Accanto, via N.Sauro 2, Napoli
◎海の幸サラダ(烏賊、タコ、エビなどにオリーブオイル、レモン、14,000リラ)
◎ファルファッローニ(小さな蝶ネクタイ形のパスタ、11,000リラ)トマトが美味い。魚介類はわずかだけれど本当に美味い。
◎メカジキのグリル(長さ13cm×高さ7cmのひし形、15,000リラ)でかいがこれも美味い。
◎ジェラート・ミスト(7,000リラ)
◎ワイン Greco di Tufo, Mastroberrardino (20,000リラ)
◎コペルト、水、サービス料(10,000リラ)込み82,000リラ
◆泊まる
ホテル Cavour ★★★ Single 9,000円
MIKIで予約、旅行代理店でクーポン購入
間口の狭い縦長のホテル。フロント氏はこの旅では初めて普通の服装で愛想もない。
「どこかいいリストランテを教えて欲しい」と訊ねたら、たちどころに「このホテルの中だね」と返され全くとりつくしまもない。二日酔いになったこともあって印象のよくないホテル。
Siena(シエナ) 1998/3/5~6
◆初めてのプルマン
シエナにはこの時が初めて。この時はフィレンツェのホテルに荷物を預け、ショルダーバッグ1つで1泊の小旅行としゃれ込む。2度目は2年後、モンタルチーノ・プルチアーノからシエナ泊まりのフィレンツェまでの旅だった。
4日前にボローニャで長男と別れ一人旅の5日目。別れてからずっとフィレンツェに泊まっていたがいよいよフィレンツェからいろいろ動き回る旅が始まる(とはいうものの荷物を取りに翌日には戻ることになっていたのだけれど)。
サンタ・マリア・ノヴェッラ駅近くのターミナルからプルマンに乗り込む。初めは9時40分のプルマンに乗るつもりだったが、サン・ロレンツオ教会、メディチ家礼拝堂など見ていて時間がなくなり1時間遅れの10時40分のプルマンになってしまう。しかしこうやって気軽に時間を変えられるのが個人旅行、とりわけ一人旅の良いところだ。
車窓からはなだらかな田園風景、といっても田んぼはない。ぶどうの木だろうか、それともオリーブの木だろうか?地面からまっすぐ立っている木、白くてひょっろしている木、黒っぽくて短く、ぐにゃとしている木(これがぶどうの木)。
道路はすいていて12時ごろ市街地に入る。定刻の12時10分、サン・ドメニコ教会そばの停留所に到着。そのまま、ジョリー・エクセシオールホテルにチェックイン、フロントの男性がよそよそしい(この感じはチェックアウトの時まで変わらない)。
ホテルまでの通りにはアーモンドの花だろうか梅のような花が咲いている。ルッカやボローニャではモクレンが咲いていた。春は東京よりも早いように思う。
◆イタリア一美しい広場からドゥオモへ
世界で最も美しい広場、といわれるカンポ広場でランチにした。ピッツァとワインを注文する。シチリアという名のピッツァだったが薄くて美味しい。外のテーブルで反対側がプッブリコ宮殿、マンジャの塔と絵になるのでカメリエーラに頼んでシャッターを押してもらう。そのうち少しひんやりしてきた。セーターやマフラーをフィレンツェに置いてきたのをちょっぴり悔やむ。
折角なのでマンジャの塔に登ることにした。ボローニャのアジネッリの塔と同じくらい階段の傾斜がきつい。肩幅より狭いところもある。どうやって建築したのだろう。
かなりしんどい登りだ。
てっぺんからみたカンポ広場は当たり前だが貝殻の形だとはっきりわかる。さすがにイタリア一美しい広場といわれるだけある。さきほど食事をしたリストランテが眼下に見えるが、沢山のパラソルが綺麗だ。それにしてもかなりの高低さを感じる。下りはわずか10分しかかからないが降り終わるころには太ももが痛い。
とりあえずバールでカプチーノを飲んで一休み。それからドゥオモに向かったがどうやら逆方向だったようだ。それでも気づいてからほどなくゴシック様式のドゥオモに着く。あたりに人はまばらだ。
白地にグリーンのラインが巻かれているような壁。正面には三角の金地にキリスト。装飾、彫刻が素晴らしい。
内部の壁も白にグリーンのラインかと思ったが、白地に黒のライン。柱の壁には聖人の顔がズラリ。象嵌などで描かれた床の絵は6ヵ所のみ公開されている。
クーポラの天井は黒地に金色の文様装飾。八角形の説教壇にはキリストの生涯の彫刻が見事だ。
左手にある有料(2,000リラ)のピッコローミニ家の図書館に入って見る。天井、壁の絵が明るく鮮やかで豪華だ。賛美歌の本(相当大きなもの)が四方の壁に展示されている(フィレンツェのサン・マルコ美術館では2冊のみ展示)。
ゆっくりと見たため1時間近くかかった。
ドゥオモを出て左に回り裏手の広い階段を下り、サン・ジョヴァンニ洗礼堂に行く(3,000リラ)。先客が出て行ったら他には誰もいない。静寂だ。
入口に回ると色合いの感じの違う建物で少しピンクっぽいところがある。
壁、天井一面にキリストの生涯が描かれている。洗礼台にはドナテッロのブロンズ彫刻がある。
◆パンナフォルテを買ったついでに
チッタ通りに1軒の食料品店があったので、お土産としてシエナ名物のパンナフォルテを沢山買い込む。結構重い。この店のご主人に「どこかいいリストランテを教えて下さい」と尋ねると2軒教えてくれた。そのうちの1軒はすでにチェック済み、結局そこに行ったことになる。
シエナには国立エノテカがあるというので行ってみた。スタジアムの近くだ。
ここ、トスカーナだけではなくイタリア各地のワインが集められていて、試飲ができる。
何種類か飲んでみて2本買ったが、パンナフォルテに加えて荷物が重くなった。
◆教えてもらったリストランテへ
20時すぎ食料品で教えてもらったリストランテの1つ“Il Ghibellino”に行くと奥のテーブルに案内された。店の中には、地元のおばさんグループ9人、カップル2組、我が同胞カップル1組、おじさん1人。白い壁、天井が山小屋のようにむき出しだ。
ハーフボトルのハウスワイン、前菜、ペンネ、烏賊とエビのフリットを注文する。
一人で店内を見渡しながらメモなどしていると、日本人カップルが気づいて会釈をしてくる。そのうち、女性が化粧室の帰りに話しかけてきてあとで情報交換をすることとなった。
そのため心もち急いで食べ、すぐに勘定してもらい自分のホテルに寄ってもらう。
◆久しぶりの日本語で情報交換
新婚旅行かなと思って訊いてみると結婚10年だという。奥さんの方が仕事で度々イタリアに来ているとのこと。ご主人を誘ってご自分が良かったと思うところを回って見ているようだった。シエナへはオルヴィエートから来たという。オルヴィエートのドゥオモの素晴らしいファサードをご主人に見てもらうためだったらしい。
私のことは雑誌か何かの記者だったと思ったようだ。というのは一人のテーブルで料理が運ばれるまでの間メモを取っていたからだそうだ。
いわば逆コースで旅していたのでいろいろと話し込む。気が付くと24時になっていたのでタクシーを呼び二人は郊外のホテルへ帰って行き、長い一日が終わる。
◆食べる
お店の名前 Il Ghibellino Osteria in Siena, via del Pellegrini, Siena
◎前菜 手長エビ(5尾)のグリル 10,000リラ
◎プリモ ペンネ・アッラッビアータ 7,000リラ
それまでに食べていたのに比べると固さといい、辛さといいベスト。
◎セコンド 烏賊リングとエビのフリット 18,000リラ
またエビを選んでしまったが、種類が違っていてこれも美味しい。
◎ワイン Chianti Coll Senesi,Fattorie Chigi Saracini (1/2) 12,000リラ
◎水、Tax込み 54,000リラ
シエナは土地柄肉料理が中心のようだが、この店は週に1回魚料理が食べられると看板に書かれていてちょうどその日だったようだ。
この2年後、シエナを再訪した際もこのオステリアで夕食を取った。その時は電話で予約したが、混んでいて20時45分を指定されたほど。
◆泊まる
ホテルの名前 Jolly Hotel Excelsior Siena, ★★★★ Single 13,000円
JHCで予約、旅行代理店でクーポン購入。
ロビーも広く、部屋数も多い大きなホテル。ただ、フロントが嫌な感じ、何を頼んでも最初は無視されたような気がしたのは考えすぎか。2度目のシエナの時、絶対にこのホテルには泊まるまいと思った。
◆買う
お店の名前 Manganelli Antica Droghe, via di Citta 71/73
◎パンナフォルテ 大、小あわせて8個(103,000リラ)
◎パスタソース用乾燥ハーブ(6,000リラ)
お店の名前 Pelletter cuoteria Fiorentina S.N.C., via di Citta 118
◎コイン入れ 5個(75,000)9年後の今も愛用
お店の名前 Enoteca Italiana, Fortezza Medicer
◎ワイン Brunello di Montalcino 2本(醸造元、ヴィンテージ不明、48,000リラ、49,000リラ)
お店の名前 Andrew’s Ties, via Banchi di Sopra 37
◎ネクタイ (25,000リラ)
Asisi(アッシジ) 1998/3/6
◆アメリカ人と再会
アッシジは聖フランチェスコの生まれた町で聖地だ。数多くの人が巡礼に訪れるという。前年の秋、地震があり被害がひどかったようだ。
前泊地のシエナからスーツケースを預けてあるフィレンツェのホテル(ブルネレスキ)へ一旦戻りシエナで買ったワイン、パンナフォルテなどパッキングし直してタクシーでサンタ・マリア・ノヴェエラ駅へ。
列車に乗り込み座席に座ると一つ前の座席に3日前フィレンツェのリストランテで見かけた女性がいた(店がすいていたのとスポーツ刈り?だったので覚えていた)ので話しかけ同じ席に移った。彼女もどうやら同じように覚えていたようだった。
名前はジェーンさん。アメリカ人で年令的にはほぼ同じ。今回は3週間の旅でフィレンツェに10日間滞在し、アッシジには日帰り、フィレンツェにいる間に30歳になる娘さんと合流しそれから一緒に旅行するという。こっちも3週間、前半は24歳の息子と一緒でフィレンツェの前に別れたということで話題も一致した。
アメリカは新しい国なのでイタリアの歴史的建造物、特に教会には興味がひかれるとのこと。いろいろ話し込んでいるうちにアッシジに着いてしまった。
駅からはアッシジの町は山の斜面に見える。こっちは場所もわからぬホテル(ヴェネツィア滞在中ファックスでホテル変更が伝えられたあのホテル。詳しくは「トラブル」にて)へ直行するためタクシーにのることにし、市内バスに乗るジェーンさんと別れた。
ホテルへチェックイン後、ぶらぶらと歩きコムーネ広場へ出る。ここには見るべきものが沢山あるがまず腹ごしらえ。広場に面したバールで生ハムのパニーノとビールを頼む。立って食べようとしたらテーブルに座るよう勧められ、話すきっかけができたので夕食のリストランテをいくつか教えてもらった。
遅い昼食を終え、コムーネ広場をあとにしてロッカ・マッジョーレ(大城塞)へ向かう。ジェーンさんから景色のいいところだと教えてもらっていたからだ。途中カフェで休んでいたジェーンさんと出会う。とりあえず挨拶だけしてまた別れたが登ったところであとからやって来た彼女とまた出会い、その後夕方まで一緒に行動する。
この日は快晴でロッカ・マッジョーレからの眺望が素晴らしい。”Wonderful!Beautiful!”の連続。空は青、鳥はさえずり、のどかで良い。聖フランチェスコが小鳥にまで説教した雰囲気を感じる。
そんな中を彼女と一緒に観光したが、聖フランチェスコの生家へ連れていってくれた。日本のガイドブックと欧米人向けのガイドブックは何か視点が違うみたいだ。生家にしてはまるで教会のよう。暗い部屋があったので持参していたアウトドア用のライトをつけて見る。
◆地震の爪あと
町の中にはまだ地震の爪あとが残り、ブルーのシートに覆われた建物が多い。テント生活の人もいた。聖フランチェスコゆかりのサンタ・キアーラ教会へ行ってみたが地震修復工事中のため青いシートで覆われ、入ることもできなかった。
再びコムーネ広場へ戻る。さっきのバールの並びにミネルヴァ神殿がある。外からはローマ時代の特徴ある柱が見えるが、中に入ると小さな教会になっている。形は長方形で祭壇にマリア、天井はうすい明るいブルー、真中の絵は金細工の4人の天使に支えられた聖人が描かれている。
サン・フランチェスコ通りを下りいよいよサン・フランチェスコ聖堂へ行く。通りを進んでいくと建物そのものは相当大きいことがわかる。残念なことに地震のため上部教会は修理工事中で入ることはできない。下部教会にしか入れないが聖堂右側から入り地下礼拝堂へ行く。聖フランチェスコの遺骸が安置されている。濃い青の壁が落ち着きと荘厳さを感じさせた。
聖堂を出てホテル近くのバス停でフィレンツェに帰るジェーンさんと別れ、短いアッシジ観光を終えた。
◆アッシジでの夕食
夕食はバールの女主人を初め、ホテルの支配人、元々泊まる予定だったフォンテベッラ・ホテル(営業していなかったがちょっと覗いてみた)の人、いずれも共通して名前の挙がったブ-カ・ディ・サン・フランチェスコにした。
少し早めに行ってみたが誰も客はいなかったし、その後もすいていた。地震でしかも3月というシーズンオフのためかもしれない。お店とオーナーの自宅が兼用のようで子供の声がする。勘定してもらうと62,000リラだったが、カード払いのためチップとして6,000リラ加えて欲しいと言ったが言葉が通じなかったのか、辞退したのか、チップは現金ということなのか断られてしまった。やむを得ず持っているだけの千リラ札4枚をテーブルに置いて店を出る。
この日は快晴で夕焼けが物凄くきれいだった。リストランテからの帰り道、冷え込みを感じる。ハーフコートの下に厚手のセーターを着ていたが本当に寒かった。それだけに空気が澄んでいて見上げると満天の星だ。ホテルの部屋から、眼下には町の灯。半弦の月とオリオンを初めとした星が良く見える。西の空が幻想的。本当にドラマチックで絵になる町でこれが聖地というものなのかと思った。
◆食べる
■Buca di San Francesco(via Brizi 1, 06081 Assisi)
このリストランテも翌々年アレッツォの同名の店でもらった”Unione Ristorante del Buon Ricordo”の加盟店であることがわかった。
◎アンティパストは生ハムとメロン 9,500リラ
◎プリモはブーカ風スパゲッティ 12,000リラ ※フンギのスパゲッティでわざわざトマト抜きと書かれていた。
◎セコンドはおすすめにしたがった。名前は覚えていない 14,500リラ。薄い牛肉を焼き、フンギのソースをかけたもので美味しかった。
◎デザートはドルチェ 5,000リラ、下がスポンジ、上が生クリームのケーキ
◎水、エスプレッソ、ワイン(ハーフボトル:SPORTOLETTI rosso di Assisi(7,000リラ))
1人で6.2万リラ(ワイン込み)
◆遊ぶ
■コムーネ広場
■ロッカ・マジョーレ
■聖フランチェスコの生家
■サンタ・キアーラ教会
■ミネルヴァ神殿
◆泊まる
■Wiindsor Savoia Hotel ★★★ Single 7,000円
アップルワールドにてFontebella を予約、地震被害のため営業再開間に合わずこのホテルに変更になった。
向かい合う形で玄関からサン・フランチェスコ聖堂がすぐそこに見える。
◆買う
特になし
Pisa(ピサ) 1998/3/2
◆子供の頃から見たかった
フィレンツェからピサとルッカへ日帰りの旅をした。子供の頃から「ピサの斜塔」というワンフレーズがそれが地名だとも知らず、イタリアにあるとも知らず、ただ、斜めに傾いて建っているおもしろい建物として頭の中に刷り込まれ、子供心にいつか見てみたいなぁと思っていたものだった。
フィレンツェからは電車で行く。9時35分の電車にするつもりでいたが朝食後時間があったので絵葉書や日記を書いているうちに時間がなくなりホテルを慌てて飛び出す。サンタ・マリア・ノヴェッラ駅にギリギリに着いたものの発車ホームの3番線は遠くようやくたどり着いたその時逃げるように発車してしまい乗り遅れた。次の電車は1時間後の10時35分。この間、一旦駅を出てサンタ・マリア・ノヴェッラ教会を見学。
ピサには11時33分に着く。卒業旅行の学生たちもかなり降りてきた。
3月初旬というのにまるで初夏のような陽気の中、アルノ川を渡りローマ通りを歩いてドゥオモ広場へ向かう。およそ20分で前方右手にこちらの方へ倒れてくる(だからあまり斜めには見えない)斜塔が現れた。斜塔は当時(1998年)入場禁止になっていたので遠くから見たり、下から見上げたり、ドゥオモ広場から見たりして楽しむ。
広場を取り囲むように北にドゥオモ、その西隣に洗礼堂、ドゥオモと洗礼堂の北側の奥にはカンポサント、広場の南、通りに沿ってシノーピエ美術館がある。
ドゥオモから洗礼堂の方へまわると徐々に傾き方がはっきりとわかる。12世紀に工事が始まり地盤沈下のため時間をかけて建築されたというが、それを物語るようにまっすぐな建物が斜めに傾いたというよりは傾くのを食い止めるように塔の最上部のズレが感じられる。
◆共通券?
まず、洗礼堂へ行く。何やら何と何と何の共通券という形で何種類もあり、それなりに見ようと4施設共通入場券(15,000リラ)を買う。あとでドゥオモに入ろうとしたら断られてしまった。よく見ると、共通券はドゥオモはドゥオモでもドゥオモ美術館だったのでドゥオモ(カテドラーレ)の入場券(3,000リラ)を買うはめになった(5施設共通入場券は17,000リラ)。
広場には沢山の人がいるのにどれも中にはそれほどの人はいなくて、洗礼堂は静寂そのもの。そんな中で誰か子供が大きな声を出したら物凄く反響した。説教の声を最大限に効果良く出すための形なのだろう。八角形の洗礼盤と説教檀の彫刻が素晴らしい。洗礼盤は7本の足で支えられ、3本は獅子の台座になっている。階段で上の階(ガッレリア)に上がれるようになっていた。ガッレリアから全体を見渡すことができる。
ドゥオモの礼拝堂の天井には金色の衣をまとったキリストが印象的だった。
カンポサントには、お墓とばかでかい壁画がある。白衣を着た人たちが修復の仕事をしていた。シノーピエ美術館にはカンポサントが第2次世界大戦で火事になりその修復工事中に発見されたフレスコ画の下絵が多数展示されている。専門家には興味深いだろうが素人の自分には「下絵とはこういうものか」と思いながら足早に見たという感じだ。
ドゥオモの周りや南側の芝生には、大勢の若者が陽射しを浴びて休んでいる暑さもあってTシャツ姿も目立つ。
約1時間半の滞在で斜塔を振り返りながら広場をあとにする。ガイドブックに載っていたピサ大学周辺の下町にあるトラットリアに行こうとしたが道を間違え、行きつ戻りつして入った通りに「定食あり」のオステリアがあったのでそこで昼食にする。地元の人が食事をしていた。カメリエーレは主人とおぼしき小父さん、茶色っぽいセーターを着たこの小父さんが実にいい雰囲気だ。
(3/2)Lucca 旅行記へ続く
◆食べる
■Osteria Dei Mille(via Dei Mille,30/32,Pisa)
◎前菜はカプレーゼ
◎プリモはスパゲッティ・ポモドーロ(これは美味しかった)
◎グリーンサラダ
◎ハウスワイン1/4(2万リラ)
◎水(2千リラ)
計1人で2.5万リラ
◆遊ぶ
■ドゥオモ
■洗礼堂
■ピサの斜塔
Lucca(ルッカ) 1998/3/2
◆地図のない旅
ピサで昼食後、15時18分のルッカ行きの電車に乗る。ルッカに降りた時、地図の載ったもう一冊のガイドブックを持っていないのに気づいた。駅の観光案内所が混んでいたので駅を出て、車の往来のある道路を渡るとすぐそこが城壁だった。城壁のトンネルをくぐり、城壁の町ルッカに入る。教会らしき建物が見えたので行く。それがドゥオモだった。
それからもう少し行くと広場に出た。さらに進むと大きな教会がある。これはサン・ミケーレ・イン・フォロ教会。ファサードてっぺんに大天使ミカエル像が立っている。ファサードは彫刻で装飾されていて、また全体に白っぽいこともあってすごく美しい。このファサードはドゥオモと同じように大きなアーチの上に小アーチが重ねられている(これがピサ・ルッカ式というのを後で知った)。内部はファサードの印象とは違ってくすんだ青で質素な感じだ。
ルッカにはプッチーニの生家があるというのは知っていたが何せ地図を持っていないのであきらめ、通りをぶらぶらしてトイレを借りるためバールに入りジェラートで一休み。これでルッカ観光はおしまい。駅に行くと17時丁度の電車があるのでフィレンツェに戻る。フィレンツェに着く直前からの夕焼けがとてもきれいだった。雲の筋が赤く染まり、何かが起こりそうな感じがした。18時13分到着。
予定より1時間遅く出かけ、1時間早く戻ってきたが予定通りでしかもルッカの地図を持っていればゆっくりと2つの町を訪れることができると思う。
◆食べる
ジェラート 2,000リラ
◆遊ぶ
■サン・ミケーレ・イン・フォロ教会
■プッチーニの生家
Ferrara(フェラーラ) 1998/3/1
◆別れ
初めてのイタリア旅行9日目をボローニャで迎える。ここボローニャで同行の長男と別れるのだ。長男は前日予約したユーロスターでミラノへ行きミラノから日本へ帰国、私はいよいよ一人旅、フェラーラを訪れた後、フィレンツェへ向かう日だ。
別れる日が来るせいか二人ともあまりよく眠れなかったようで早く目覚める。
スーツケースを午後までホテルに預け駅へ向かったが駅前の通りを渡ったところで記念にホテルを背に写真を撮る。
長男は8時17分発のESで、自分は8時26分の列車でフェラーラへ。当初はラヴェンナへ行くつもりだったが1日がかりになり、フィレンツェへ着くのが遅くなるので長男に『早くフィレンツェへ行き、少し身体を休ませ、ざっと地理感覚をつかんだ方がいいよ』と、とめられた。老いては子に従えということか。
ESがプラットフォームに入ってきたが何号車かの表示に気づかず6号車がどれか分からない。多分ここだろうと長男を乗り込ませたが、席に座ってしばらくしてから立ち上がり、どうも隣の車両だったようで席を動く。正しい座席に座ってからも時間がある。こんな時は窓のガラス越しにずっと顔を見合わせているのも気恥ずかしいものだ。何かしゃべりかけているので『何?』と問いかけるともう一度『気をつけてね』と言っているようなので『わかった』と答える。
ESが発車したのでお互いに手を振る。ボローニャの駅で親子が別れるシーンなんて世間にはないだろう。これから13日間の一人旅、何が待ち受けているかも知れず、一抹の不安もありちょっぴり感傷的になってしまった。
◆ここはカステロ・エステンセですか?
フェラーラ行きの列車に乗ってもなお、ラヴェンナまで行っちゃおうか迷ったが、「エーィ」という感じでフェラーラで降りる。9時少し前だった。
駅前のそう広くはない車の通る道路を横断し、それから左方向に進み大きな通りと交差したところで右折する。そのカブール通りをカステロ・エステンセへ歩いて向かう。他にも10人くらいの若いイタリア人(?)、日本人老夫婦が同じ方向に歩く。
カステロ・エステンセらしきものが見えたがガイドブックには「日曜も9時30分から」となっているのに入口がまったく分からない。まだ10分前かと思ってぶらぶらしていると蚤の市が目の前すぐのところともう一ヵ所大聖堂の前で始まった。
行きつ戻りつしてから蚤の市の人に『ここはカステロ・エステンセですか?』と尋ねると「そうだ」とのこと、今度は入口を尋ねると近くまで連れて行ってくれた。が、1階の庭(庭園ではない)に入れただけ。どうも市庁舎だったみたい。他にも観光客がいたが、結局井戸だけ見て終わり。10時を過ぎていたので大聖堂に入る。日曜とあってミサの真っ最中だった。
肝心のカステロ・エステンセに入れない以上ボローニャに戻ることにする。11時頃の電車に乗るつもりだったが時間がまだあるのでディアマンティ宮に寄ってみる。
何が“ディアマンティ”かというと壁を覆う石の先端がダイヤモンドのようにカットされているからとガイドブックに出ていたが、まさにその通りだ。確かに外壁に積み上げられている石の一つ一つがとんがっている。建物の入口は通りからちょっと入ったところにあり、行ってみたが中は美術館のようで時間があまりないので見るのをやめ駅に向かう。
駅に行くと乗ろうと思っていた電車は日曜のせいかなく次は11時29分発のIC。駅から一旦出て通りの向こう側にあるバールでカプチーノを飲んで電車を待つ。ボローニャには11時56分に戻る。
結局フェラーラにはわずか2時間の滞在、しかも最初からスキファノイア宮殿(この時点では研究不足、どんな展示物があるか知識がなかった)が少し離れているというだけで予定から外してしまいフェラーラに行ったとはいえないかもしれない。この日はラヴェンナ行きをあきらめたわけだが、これはむしろ大正解。この翌年念願のラヴェンナに行ったがビザンチン文化を彷彿させる見所が沢山あったからだ。
Bologna(ボローニャ) 1998/2/28
Bologna(ボローニャ) 1998/2/28
◆リストランテが見つからない
前泊地はヴェネツイアだった。朝起きてホテルの窓から海を見ると、『ありゃありゃ、霧で何にも見えない』。それまでの3日間素晴らしい天気に恵まれたのがうそのような外の白さだった。
サン・ザッカリアからヴァポレット1番のいわば快速に9時28分乗る。サンタ・ルチア駅に近いフェッローヴィアに着いたらダッシュする人が多い。このときの同行者である長男から『親父もダッシュして切符を買った方がいい』といわれ荷物を託しダッシュしたが、切符売場に並んでいる人はそれほどでもなく10時前には切符を買うことができた。
列車は定刻(10時20分)に出て一路ボローニャに向かう。12時15分ボローニャに着いた。
予約していたホテルは駅のすぐ前だと知っていたが、ホテルへ行く前に翌日長男が乗るミラノ行きユーロ・スター指定券を買う。初めに切符売場に並び順番がきたら『ここではない、予約の方へ行け』といわれる。まず銀行の順番待ちのような券をとる。順番がきたら簡単に買えた。最近は自販機で買えるので今となっては懐かしい思い出だ。
13時少し前にチェックイン。お腹がすいていた(ヴェネツイアのホテルの朝食はお腹にたまるものがなかった)ので定食メニューにしようと決め、旧市街の方へ歩いたが、食の町ボローニャでどうしたことかリストランテがみつからない。ついにあきらめピッツェリアに入る。
食事を終えて店を15時ちょっと前に出た。そこが旧市街の中心地。ポルタ・ラヴェニャーナ広場があり、斜塔がある。この斜塔(2つの塔のうち低い方が本当の斜塔、高い方がアジネッリの塔)に上ることにして行ってみる。入場料一人3,000リラとあるので、前日上ったヴェネツイアの鐘楼に比べると安いからエレベーターはないだろうなと入った。
8年前にパリ、モンマルトルのサクレ・クール寺院を苦労して登ったことを思い出す。少し上がったところの右手に入場料をとるところがあり、6,000リラ払って登り出す。土曜の午後とあって結構来ているらしく狭い階段ですれ違う。かなり登ったところで上に天井があったのでもうすぐかと思ったが壁に26Mと書いてあったのでまだまだだった。
昼のワインもきいている中、息があがりそうになりながらもてっぺんまで行った。結構しんどい。15時15分最上階に着いた。360度の展望は素晴らしい。家並みというか屋根がヴェネツイアと同じく黄色がかった茶色できれいだ。写真を撮ったりして一休みし、降りる。最初の下りがきついので気をつける。最後の入場係のところで大渋滞したもののわずか10分たらずで降りた。
◆マッジョーレ広場
次に本当の中心地、マッジョーレ広場へ。ここには昔の宮殿(ポデスタ宮)、サン・ペトロニオ聖堂、市庁舎、ネプチューンの噴水が広場を取り巻くように建っている。サン・ペトロニオ聖堂は上部が木造っぽい色合いで下がピンクがかった建物。内部は非常にシンプルで広い。
ボローニャはまた古くから大学のあった町としても知られているが、折角だから昔の大学にも行ってみようとどんどん行ったら目指している先が今の大学であることに気づき途中で引き返し、地図を片手に旧ボローニャ大学を探すが結局わからずじまい。
疲れてサン・ペトロニオ聖堂の裏手の小さな広場で一休み。そこにある誰かの銅像が持つ左手のシルクハットの中に鳩がとまっていたのと木蓮みたいなピンク色の花が咲いている木が周りにあったのが印象的だった。
そのあたりはどうもブランドショップ街のようなので、めったにしないウィンドウショッピングをしてみる。同行の長男が4月から新社会人になるのでそのお祝いに黒い革靴を買ってあげることにし、ヴィトンの入っている建物の靴屋で品定め、一応の候補を決める。他もみたいと本人がいうので何軒かあたるが結局元の店に戻り、買いたい旨を伝えて試したところサイズが大きくてあきらめた。
◆ちょっといいリストランテに
夕食の前に一旦ホテルに戻ることにしたが、通りや広場には驚くほどの物凄い人出。雲霞のごとく、という表現がぴったり。話には聞いていたがイタリア人のそぞろ歩きは本当に凄い。ホテルには19時ごろ戻る。随分歩いたことになる。
さて、夕食。長男とは旅行中最後の夜となるので、また折角二人ともジャケットを持ってきていたのでそれなりの夕食にしようということで高田さんという方の書かれた旅行記に登場していた「ノタイ」なるちょっといいリストランテに行くことにした。「ノタイ」のスペルを部屋の電話帳で調べそのメモを持ってフロントへ降り、ノタイとタクシーを予約してもらう。
タクシーで連れていってもらうと、何のことはない、さっきまでいた大聖堂のすぐ脇だった。予約した時間より少し早かったので、イタリア人よろしく近くのバールで食前酒がわりにカンパリーソーダを飲み、5分前に「ノタイ」に入る。
少しお高くとまっているのかそれまでのお店のようなフレンドリーさを感じない。
前菜には郷土料理のものを訊いたらクロスティーニをすすめられた。5種類あったがレバーペーストに少し独特の臭みがある。プリモはスパゲッティ・ポモドーロとタリアッテレ・ディ・ボロネーゼの2種にしたがポモドーロがうまい。セコンドのビステッカ・アッラ・フィオレンティーナは本来フィレンツェで食すべきものだが翌日のフィレンツェからは一人旅。一人前ではオーダーできないかもしれないし、何といっても若い人も居るということで注文する。100g6,000リラ、お勘定から逆算すると800gあった。量も凄いが美味しかった。食後に長男はパンナコッタ、私はグラッパを試してみる。
◆食べる
●リストランテ
お店の名前 Ristorante NUOVI NOTAI,Via Da’ Pignattari, 1 Bologna
食べたもの
クロスティーニ(10,000リラ)
スパゲッティ・ポモドーロとタリアッテレ・ディ・ボロネーゼ(あわせて30,000リラ)
ビステッカ・アッラ・フィオレンティーナ(48,000リラ)
パンナコッタ(8,000リラ)
グラッパ(8,000リラ)
赤ワインEnrico Valliani(20,000リラ)
コペルト、水、付合わせを含め2人で155,000リラ(チップ込み)
お店の名前 Antico Brunetti (お昼を食べたところ、斜塔の近く)
食べたもの
ラザーニャ
スパゲッティ・アッラ・カルボナーラ
ピッツァ(いずれも10,000リラ)
コぺルト、コーヒー、水、ハウスワイン、を含め2人で52,000リラ
なかなか味は良かった。
◆泊まる
Hotel Sofitel ★★★★ Twin 18,000円
ミキで予約、旅行代理店でクーポン購入。
駅前で列車利用にはロケーションがいいが市街地まで距離がある。
タクシーで12,000リラ。
Sofitelだけあって部屋も含めいいホテルだった。
ホテル内でコンベンションがあったらしく翌朝ロビーは揃いの黄色いジャンパーを着た人たちでごった返していた。
◆買う
買ったもの ゴルゴンゾーラ・チーズ 10,500リラ
◆読む
本の名前 高田信也著 「イタリア讃歌―手作り熟年の旅」(1995年5月 文藝春秋社)
初めてのイタリア旅行を3週間、個人旅行するにあたって購入、熟読した。
随分参考にさせていただいた。今は文庫版も出ている。